ひだまりシンドローム



 時刻はまだ三時を回ったばかりだが、陽は早くも人家の屋根のきわまで落ちかけている。ちょうど今が一番日没が早い頃だろうか、と徒然に考えながら、背に長い影を引いてゆっくりと帰路を進む。
 独り暮らしの部屋から住まいを移して十日。住みやすさを重んじたぶん多少長くなった駅までの道のりを、住宅街特有の入り組んだ地図に早く慣れるためにも、余裕がある日には自転車を使わず自分の足で歩くようにしている。稀に見る長身はやはり人の目を引くらしく、早くも近くの住人たちに顔を覚えられ始めているようで、気さくな老人や子どもに声をかけられることもあった。マンション住まいとはいえ近所付き合いが深まるのは悪いことではないから、幸いと捉えている。今日は半端な時間であるためか、そもそも人とすれ違わずにいたが。
 朝のニュースでアナウンサーが伝えた小春日和の予報の通り、風もなく、澄んだ冬空の晴れ渡る暖かな一日だった。それでも寄り道はせずまっすぐ帰ろうと決めていたのは、さすがに陽が落ちてしまえば寒さが戻るのもすぐだろうから、という判断もあるが、そうした筋のある理屈よりはもちろん、帰る家に彼がいるという、単純な事実ひとつが理由の大部分を占める。
 オレ今日一日休み、と日向が事もなげに告げてきたのは、テーブルに並んだ朝食の皿がほとんどカラになりかけた頃だった。授業は休講、部活もバイトもない、本当に丸一日の休みだと言う。そうかと頷くより先に口をついて出たのは、「なんでゆうべのうちに言ってくれないんだ!」という抗議の言葉で、そこから流れるように口論開始である。

『別にいいだろ』
『良くないだろ! 朝からずっと空いてるって知ってたら、遠慮しないで一緒に寝てあんなコトこんなコトできたのに……!』
『だ、だからだろーがっ。お前今日一限からっつってたろ。それに今日こそあのクソ邪魔な段ボールども殲滅するって決めてたんだからなオレは』
『日向と朝までコースでいちゃいちゃしたかった!』
『ばっ……、声がでっけーんだよダァホ!』

 指摘する側ともに近所迷惑な声量でもってしばし続いた実りのない争いは、適正な出発時間を超過したところであえなく強制終了となった(今思えば、日向も初めからそれを図って告げるタイミングを決めていたのだろう)。にわかな相手では後を引くところかもしれないが、付き合いの長さ深さは伊達ではなく、そもそもがこの関係になる以前からくり返しやり合った、仲間たちが苦笑して称するところの「しょうもない喧嘩」である。無理やり背を押される形で玄関まで出て、双方肩をいからせながらも見送りの体勢で向き合った。

『チャンスを逃したって思うと余計にお預け状態で行きたくねーなぁ……』
『だーっ、いい加減しつけぇぞ、遅刻すんだろーが!』
『じゃあ行ってらっしゃいのちゅー』
『してやるからさっさと行け!』

 言うが早いか胸倉をがばりと引き掴まれ、そのままの勢いでまた離され、後ろへよろめいた脚が三和土から外の廊下へ落ちるなり、じゃあな! と投げ放たれた声とともに音立てて目の前のドアが閉まる。ぽかんとして見つめる戸板の向こうで、慌ただしく鍵とチェーンをかける気配がした。ほとんど衝突のような勢いでぶつかった口元に、それでも確かに残るやわらかな感触。
『……あ、じゃあ、うん。行ってきます……』
 扉越しの相手へ届いたかどうかもわからない間の抜けた呟きを落として、階段へ向かいふらりと歩を進める。じわじわと頬をせり上がる血の色を感じたが、今頃玄関でうずくまっているに違いない彼はさらに赤い顔をしているだろうと想像すると、照れるより先に抑えようもなく口角が上がってしまう。
 そうして熱にふやけた頭のまま外へくり出した結果、「余裕がない日」となったことも忘れて駐輪場を素通りした木吉は、恋人の気遣いもむなしく一限遅刻の扱いと相成った。

 喧嘩から幕を開けた一日は、しかし出がけの僥倖と言い、木吉にとって幸運の続く日であったと言える。まずもって一限の講義も出席より試験を重視する科目であったため、遅刻による痛手はほとんどない。さらに、一、三、五、と飛び石で入っていた少々面倒な時間割のうち、五限が教授の都合により休講となっていた。期せずして普段より三時間以上早い帰宅が叶うこととなり、朝のどたばたの謝罪も兼ねて、昼の間に日向へメールで報告を入れた。ひょっとすると最も大きなものであったかもしれない今日の幸運は、ニュースでも伝えられたこの陽気だった。
差出人:日向順平
件名:了解
 別に怒ってねえけど。
 んなことよりあの箱の群れを
 全部始末したオレを褒め称えろ。
 すげぇあったけーから布団も干した。
 もう少し片すから注文があるなら
 今のうちに言っとけ。
 さほど間を置かず届いたぶっきら棒な文章の表面に、「今朝のアレは全面的になかったことにしたい」という話題そらしのオーラがにじみ出ていて、思わず笑ってしまった。と同時に、どうやら本当に怒ってはいないらしい、ということも行間からうかがえた。むしろ上向きの機嫌すら感じさせたが、添付されていた写真を見てそれにもなんとなく納得を覚えた。引っ越し後の荷物が全て消えてさっぱりとした床に、きらめく光の帯が落ちた部屋の光景。朝から働こうと決めた休日がこれほどいい陽気に恵まれれば、人間いつまでもへそを曲げてはいられないだろう。
 投げかけにありがとう、好きにしてくれて大丈夫だと返し、また後ろに花が咲いてる、と友人に呆れられながら、本日二つ目にして最後の授業の始まりを今や遅しと待った。



 気付かぬうちに歩みが速くなっていたのだろうか、予想より数分前に帰路が尽き、正直な自分に笑いながら玄関ホールを抜けてエレベーターに乗り込む。途中ですれ違った住人と会釈を交わし、「我が家」のドアの前に立った。二人暮らしを始めて十日。周りの道にはだいぶ慣れたが、いまだこの瞬間は、柄にもなく気分が高揚する。同じ鍵、同じ部屋、同じ心を交わすひと。
「日向、ただいま」
 ひとつゆっくり呼吸をしてからドアを開け、中へ呼びかける。おかえり、と返った声は奥の部屋よりさらに遠く聞こえた。なんだろうと思いつつ靴を脱いで歩き始めたところに、続けて呼び声が届く。
「ちょうどいいとこに帰ってきやがったな。ちょっと来て手伝え」
 どこに、と探すほど広い家ではない。木吉の部屋を覗くとすぐベランダに出ている後ろ姿が見えた。両手いっぱいに「荷」を抱え、何やらまごついている。
「どうした?」
「あー、とりあえずこいつ受け取ってくれ」
 よろけながら振り返り、手にしていた大判の布をこちらへ押し付けてくる。洗ったシーツであるらしく、どうやら木吉と日向それぞれのベッド用のものが二枚重なっている。重くはないが、引きずらないよう皺にしないようと思うと扱いはなかなか難儀だった。
「畳んでおけばいいのか?」
「頼む」
 言いつつ自分はもう一度ベランダへ出て、物干しにかかったタオルなどの小物を取り込んでいる。後回しを決めたらしい「大物」を横目で気にしつつ、木吉もひとまず腕の中の仕事を片付けにかかった。ベッドに腰掛けて手を動かしながら、部屋の中と外とで声を交わす。
「ずいぶん気合入れてやったんだなぁ」
「なんつーか、天気の良さに気が大きくなってたな」
 オレの部屋のはまた次にすりゃ良かった、と息をつく。
「そのベッド、寝やすいのはいいんだけどよ……でけぇぶん洗濯の手間がはんぱねーわ。干す時に二回ぐらい手すり越えかけた」
「あぶねーなぁ。気を付けてくれ」
 まあ何しろホテル並の大きさの寝具に、学生二人暮らしの小さな洗濯機とベランダだ。そもそもの規模にだいぶん無理があるのは仕方がない。見れば一番内側にかかった掛布団は日向がそばで動くたびに上下にたわんで揺れていて、おそらく手すりと竿が一杯になったものだから、物干し台に荷造り用の紐か何かを渡して無理やりに干したのだろう。いい考えかどうかはともかく、なかなかの苦労である。
 そんな骨折りがあった気配の割に、やはり日向は上機嫌の様子だった。ジオラマ造りなどを趣味とする彼のことでもあるから、一点集中的に何かに取り組むのを好むのかもしれない。その最たる発露の例がバスケであり、得意のスリーポイントシュートであることはまず異論ないだろう。
「あー、やっぱいいな。洗い立てのタオル。すげー触り心地いいわ」
「日干しすると違うよな」
 顔を綻ばせて部屋へ戻るのにつられて笑み、ざっくりと畳まれたタオルの束を受け取る。ちょうど片付いたシーツとともに足元の籠へ重ねてから、さて、と気合を入れ直す元主将の号令に応え、ベッドから腰を上げた。
「あとパッドと毛布と掛布団、掛ける二ずつか」
「おう。見た目以上に重てぇから油断すんなよ」
「了解」
 寸劇めかして言い、笑いを向け合う。眼鏡のレンズに映り込んだ色付き始めの陽が眩しかった。


 まず軽いベッドパッド二枚と、通常サイズの寝具一組を狭いベランダで右往左往しながらも取り込み、手すりに掛けた毛布を二人がかりで引き上げてベッドの上に投げ出す。最後に残ったのは、縦横の幅、容積ともに若干うんざりする感さえあるダブルロングの羽毛布団である。
「すげぇ膨らんでんな……」
「太陽の力って偉大だよな」
 しみじみと嘆じても布団が勝手に取り込まれてくれるわけはなく、仕方なく並んで前へ回る。竿に掛けているなら、裾にさえ気を遣えば単純に引き落としてしまってもいいのだが、生憎この布団を支えているのは手製のロープ、と言えるほど頑丈でもない単なる紐である。無造作に扱えば後の惨事が目に見えていた。
「お前、上に引き抜けねぇ?」
「うーん、さすがにちょっと高いな……」
 入居の際、気のいい大家が二人とも大きいから、と物干し台を背の高い在庫品に交換してくれたのだが、今はそれが仇となって、木吉の身長でも見上げる位置に紐が来ている。
「椅子に乗れば行けるかも」
「危ねぇからやめとけ。ただでさえ身体の半分近く手すりから出てんのに」
「じゃあもういっそ紐切っちまうか?」
「それが早いかもな……」
 せっかく苦労して張った物をあっさりと切るのは少々勿体ないが、どの道、安全性を考えるとずっと使ってもいられない。さっさと部屋へ行って戻ってきた日向は、躊躇なく自分の側の紐に手を伸ばして鋏の刃を当てた。
「端が落ちねえように支えといてくれ」
「おう」
 布団の正面に立ち、半ばのあたりを抱え込む。じゃあ切るぞ、と合図をする日向の声が終わる寸前、ふと体勢の欠点に気付いた。
「日向、ちょっと待っ……」
 慌てて紐にかかった布団の折り目を押さえにかかるが、一手遅く、
「ぶっ」
「あ? ……ふっ、」
 しゃきん、という擦れた金鳴りのあと、重力に従ってこちらへ倒れかかってきた布団の面が、ちょうど前を見上げた顔を直撃した。くぐもった潰れ声は木吉のもので、一拍置いて噴き出された笑いの息の主は日向だ。
「ふ、あ、あほか……」
「アホはねーだろー……」
「何言ってっか全然わかんねぇ。ふ、ふはは」
 布団を頭に被ったままもごもごと抗議したのがさらに笑いを誘ったらしく、腹を抱えて震えている気配がする。機嫌がいいのは喜ばしいのだが、爆笑される側(曲がりなりにも恋人に!)としてはいささか複雑だ。
 日向がなかなかフォローの手を出してくれないので、仕方なく相当滑稽なのだろう姿のまま待つ。視界がないぶんほかの知覚が冴えて、今日のあたたかな陽の恩恵を全身に感じた。

「――なあ日向、『ブランケット症候群』って知ってるか?」
「は?」
 笑いの治まった頃を見計らい、ふと頭に浮かび上がってきた言葉を口に乗せる。
「なんかの病気?」
「正式な病名ってわけじゃないが、まぁそんなようなもんかな。このあいだ健康科学の講義で話題に出てさ。人が過度に物に執着することで、セキュリティブランケット、とも言うらしい」
 依存症みてぇなもんか、と返す日向に、そうだなと頷く。おそらく相手には「布団の化けもんがもぞついてる」ぐらいにしか見えていないだろうが。
「ふーん……っつーか、んなことよりお前はまず今の自分の格好をだな……」
「いや、こう気持ちいいと執着するのもなんかわかる気がするなって」
「布団顔面キャッチして思いついたのがそれか?」
 ほんとお前って、と呆れよりもまだおかしみの響きの強い声。くつくつと小気味良く、口では悪態をつきながらも目を細めて優しげに笑う顔を、視界がなくとも今は簡単に想像できる。顔に差すあたたかな陽の光を、たとえ目を閉じていても確かに人が感じられるように。
「それでな、日向」
 布団を抱える手の指先だけを動かして、手招きのジェスチャーを示す。なんだよ、と言いつつこちらに歩み寄る気配が傍らに来たところですかさず足を返し、抱え込んでいた布団を横いっぱいに広げて、咄嗟に反応できず硬直した日向の身体をがばりと中へくるみ込んだ。
「ぶ、何すんだてめっ……!」
「遠慮なく笑ってくれた罰で簀巻きの刑だっ」
「んむっ……罰とかお前、『それでな』から話が一ミリもつながってねぇ……あ、おいバカ、眼鏡!」
「大丈夫、ちゃんと取ったぞ」
 言って手の中に避難させた眼鏡を示すと、いつの間に、と問いたげに丸くなった目が布団の隙間から見上げてくる。
「日向の眼鏡を外すことにかけてはもう誰にも負けないからな!」
「誰と競ってんだよっつぅか変なこと極めてんじゃねぇよっつぅかとりあえず離せダァホッ」
 怒声を上げて抜け出そうとするが、狭いベランダで全力で暴れ立てるのはさすがに躊躇があるようで、布団に包まれての動きづらさも加わり、大した抵抗にはなっていない。木吉は日向の背に回した手を腰の位置よりさらに下げて、腕に座らせるように布団ごとその身を抱え上げた。
「ぎゃー!」
 当人はかなり本気で叫んだらしい声も、厚い羽毛に吸い込まれて消える。後ろへひっくり返るのを恐れてか、抵抗を捨てこちらへ寄りかかってきた身体をもう一度ぎゅうと抱きしめ直し、悠々と足を進める。
「よし、布団干し終了だな。日向、ちょっと痩せたか?」
「今絞ってんだよ畜生!」


 少々行儀が悪いが足でガラス戸を閉め、ベッドに投げ出された二つ折りの毛布の上にそっと腕の中の身体を降ろす。自分も布団の上から折り重なったので、重い、とすぐに文句が上がったが、後は続いてこなかった。
 途切れた物言いを意外に思って腕立ての要領で上体を起こし、少し布団を分けると、半端に眉を寄せた微妙な表情と上下に対面する。
「日向?」
 呼びかけると、妙な形に引いた唇がもにょりと開き、
「……なんか、もこもこに負けて一気に色々どうでも良くなってきた」
 やべぇわコレ、背中が天国だわ。毛布やべぇ、とどこか夢見心地な声で呟く。ああ後ろに花が咲いてるってこんな感じなのかな、と大学の友人の言葉を思い返しながら笑って頷き、けど、と言葉を続けた。
「背中だけか? ……こっちは?」
 言いつつ、寄せた指で頬を撫で、髪の流れに沿って耳をなぞる。目がひとつ瞬き、ゆるやかに口が開いた。
「布団はともかく、あとは腑抜けヅラっぽいのがぼやけてるのしかわからねぇな」
 どっかの天然ボケ野郎に眼鏡取られたからよ、と言う。
「ひでーなぁ。良く見たら日向好みの顔かもしれねーぞ?」
「いやーどうだろうな。多分ねぇな」
「いやいや、ひょっとするとってこともあるだろ」
「いやいやいや、このあいだ道端で腹筋よじれるぐれーそっくりの犬見たけどキュンとしなかったし」
「キュンとされたらむしろ悔しいんだが、この前本文なしで送ってきたまゆげ犬はそういう意味だったのか」
 状況にふさわしいのかふさわしくないのかわからない他愛ない掛け合いが無性に楽しく、同じ感慨の音色でくすくすと笑い合う。引き寄せられるように腕を折り、鼻先の触れかける距離まで顔を近付けた。
「これなら見えるか?」
 ひそりと囁けば、日向はからかうように口角を上げ、布団の下敷きになっていた腕を上へ無理やりに引き抜き、
「だーほ。逆に見えねぇよ。こっちのが確実だろ」
 この距離なら。詩でも口ずさむように愉快げに言って、差し伸べた指で木吉の頬を捕らえてみせた。
「……そうだな」
 笑みを返し、自分ももう一度日向の頭を抱えるようにして髪を撫でてから、唇を寄せる。押し重ね、ゆっくりと食み、舌はあえて差し入れず犬が甘えるように口唇の上をなぞる。目を伏せていても、おそらく今の自分はこの口付けの感触と合間に漏れる甘やかな吐息の音だけで彼のことがわかる。
(お前はどうなんだろうな、日向)
 同じならいい。自分の声を、気配を、この腕の中で分け合う熱を、彼も同じように身に刻んでいてくれればいい。
「日向」
「……ん」
 一度顔を起こして熱こもる視線を交わす。もう少しいいかとねだる代わりに呼ぶ名と、問いもなく返る頷きが、同じ高さで重ねた心を静かに語っている。



「なあ、日向ぁ」
「んー」
「夕飯までこのまま寝ちまわねーか?」
「まだ日ィ出てんぞ」
「すぐ沈むだろもう冬至だから」
「そういう問題かよ」
 なんとなく離れがたく、日向からのお咎めもないので先と同じ体勢、むしろ木吉が本格的に身体を伸ばしてのしかかったためほとんどゼロになった距離で、互いの耳に直接声を送るように言葉を交わす。髪を揺らす吐息がくすぐったくも心地いい。
「つか明日からクソ寒ぃ冬に逆戻りか」
 いくらなんでも早過ぎんだろ沈むのが、と今日存分にその恵みを受けたはずの太陽に愚痴り始めたので、なだめるようにして頭を撫でてやる。
(オレはいつでもあったかいけどなー)
 だってお日様がいつもそばにあるから、などと告げれば、とうとうおかしくなったのかとでも斬り捨てられるか、またクサいこと言いやがってと顔をしかめられるか、最大限に良くても爆笑がオチだろう。
 隣り合うだけで安らぎを覚える。優しい日だまりの中に身を寄せているような、あたたかな心地になる。ただ得るのみでなく、近頃では「無いことの不安」も、折に触れ感じるようになった。それは確かに、依存とも執着とも言い換えられる心ではある。
 だがこれを不健康とまなざすのは、思い込みの強い研究者、それもきっと、恋を知らない人間ぐらいのものだろう。
「とりあえずお前いったんどけ」
「えー」
「えーじゃねぇよ。そのまま寝るのかよ。風邪引きたいんなら止めねぇけど」
 布団に入れてやるっつってんだ、と口調は尊大に、目はよそへそらしてつんけんと言う。慌てて起き上がり、入る入る、と一も二もなく誘いに従う。持ち上げられた布団の隙間から滑り込んで、今度は布団越しではなく直接腕を背に回し、あたたかな身体を抱きしめた。
 病気なら病気で構わない。治そうとも思わない。人は結局、太陽が無ければ生きられないのだし、日だまりの中で身や心を壊す者がいるのだろうか?
「あー、あったけぇな……」
「背中が? 布団が?」
 ふわ、とあくびを噛む口の端に軽く唇を寄せて問いかければ、胸に納めた日だまりの君は悪戯めいた笑みを浮かべ、
「全部だよ」
 だぁほ、と落としたいつもの甘い悪態とともに、こちらの背にも優しく抱擁の腕をくれた。


-fin-
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