※シリーズ派生の年齢操作ifなお話です。設定や展開を重ねている部分もありますがnotシリアス、あほ度高め。
※日向と伊月がちびっこです。ツンは失踪気味。

 
こねこのいちばん好きな場所



 むかしむかし、誠凛というおだやかな里に、大きな大きなオオカミが住んでいました。オオカミの名前は木吉といって、ずっと古くから誠凛の里を護ってきた神さまでした。少々のんびりした性格ではありましたが、とても力の強い、それでいて優しい神さまでしたので、里の者たちには大変愛され、慕われていました。
 木吉オオカミはもう何十年もひとり森の中で暮らしていましたが、誠凛に住む人や獣が増えるにつれて、自分も家族がほしいな、と思うようになりました。オオカミはもともと群れを作る獣でしたし、みんなの賑やかで楽しげな暮らしがうらやましく感じられたのです。
 そうして、さてどうやって家族を作ろうか、と考えていたある日のこと。林の中の道をぶらぶらと歩いていた木吉オオカミの耳に、何やら騒がしい物音が聞こえてきました。なんだろうと茂みの向こうをのぞいてみると、小さな子どもが二人ならんで、犬とトカゲのあいのこのような妖魔と向き合っているのが見えました。
「あ、あっち行けよ! 行けったら!」
 ねこの耳としっぽを生やした子どもと、背中につばさを背負った子ども、どちらもどうやらまだ生まれていくらも経たない見習い神さまのようでした。ねこの耳の子が前に立ちふさがって威嚇を発しているのを、後ろでワシのつばさの子が心配そうに見ています。
「日向、にげたほうがいいって」
「ブシはテキにせなか見せたりしねーんだよっ」
「いやおれたちブシじゃないし……」
「み、見てろよ、すぐおいはらってやるから」
「足がっくがくなんだけど」
「ムシャブルイだよ!」
 威勢よく声を上げますが、長いしっぽが足の間にくるりと丸まってしまっていて、必死に強がっているのがわかります。ふるえる両手をいっぱいに伸ばして、後ろに隠した自分よりほんの少しだけ小さな子どもを懸命に守ろうとしているようなのでした。

 ほほ笑ましいと言えばほほ笑ましい光景でしたが、いつまでも黙って見ているわけにはいきません。小さくとも妖魔は妖魔です。幼い子ども、特に力のある神さまの子は、妖魔たちにとっては格好の「ごちそう」なのですから。
 よしちょっとおどして追い払ってやろう、と獣姿になった木吉オオカミは、茂みをひょいと飛び越えて、横から妖魔に呼びかけました。
「こら、うちの土地のやつに手出したら許さねーぞ」
 突然現れた大きなオオカミの姿とうなり声に、妖魔と一緒に二人の子どももぴょんと跳び上がっておどろきます。口をぱかんと開けた妖魔をひとにらみしてやると、慌てた様子で子どもたちに背を向け、すたこら逃げていきました。

「大丈夫か?」
 振り返ると、二人の子どもは目をまんまるにしてこちらを見上げています。ねこの子などは地面にぺたりと尻もちをついてしまっていて、よっぽど怖かったんだろう、と木吉オオカミは早く助けてやれなかったのを済まなく思いました。まさか、自分の途方もない大きさが原因とは考えもつきません。
 とはいえ少し顔が遠すぎましたので、すぐ人の姿に戻ってしゃがみ込み、おちびさんたちと目の高さを合わせます。
「どこから来たんだ? こんなとこに子どもだけでいると危ないぞ」
 訊ねかけると、笑った顔に少し安心したのでしょうか、まずつばさの子が一歩前へ進んで言いました。
「おれたち、南のはずれから来たんです。助けてくれてありがとう」
「あ、……ありがとう」
 ほらと促されてねこの子も慌てて立ち上がり、二人そろってぺこりとお辞儀をします。
「南の外れ? ひょっとして戦があったあたりか?」
 誠凛はいざこざのほとんどない平和な里でしたが、十日ほど前のこと、となりの国で起きた戦に運悪く国ざかいの土地が巻き込まれてしまい、木吉オオカミも口を出しに行かなければならない大きな騒ぎになりました。
「おれたちの住んでた森、その時やけちまったんだ」
 小さな口をへの字にして、ねこの子が悔しげに言います。
「そうか……大変だったな」
 しゅんとする二人の頭をなでてやって、木吉オオカミは考えました。いつかは力のある神さまに育つのだとしても、まだこんなに幼い子どもを、守ってくれる霊たちもいない場所に二人ぼっちにしてはおけません。誰か気のいい木霊にでも世話してくれるよう頼もうか? それとも――と、そこで、ひらめきました。
「そうだ! 俺と家族になろう!」
「は?」
「え?」
 突然の(しかもわけのわからない)提案に、子どもたちはまたぽかんとして木吉オオカミの顔を見つめます。そうだそれがいい、とひとり頷く木吉オオカミは、満面の笑顔で二人の子どもに手を伸ばし、小さな身体をひょいと抱えました。
「うわ」
「ぎゃっ、なにすんだ!」
 暴れられるのにも構わず、二人を腕に乗せたまま立ち上がって、俺のところで一緒に住もう、と笑いかけます。
「そうすれば妖魔も怖がらずに暮らせるし、俺も森が賑やかになって嬉しいしな!」
「かってに決めんなよだぁほ! ようまなんて、こ、怖くねぇしっ」
「いやもう聞いてないなこれ……オオカミのオリガミ付き……あんまりキてないか」
「ちっともキてねーよ!」
 腕の上でやいやいと騒ぐ二人を「子どもって元気でいいなぁ」などと呑気に見下ろしつつ、木吉オオカミは尾を振り振り機嫌良く家へと歩き始めます。
 こうして、木吉オオカミに(むりやり)拾われたちびねこ日向とちびワシ伊月の、三人での暮らしが始まったのでした。


      ◇


 森で暮らし始めてしばらくのあいだ、日向ねこは大変ご機嫌ななめでした。なにしろなんの説明もなく、ほとんど勝手に連れてこられてしまったのです。生まれた土地を焼け出されて悔しく悲しく思っていたところに、突然さあ今日からここがお前の家だなんて言われても、そうかと素直に喜べるはずがありません。
 森の主人の、そして自分たちをさらった(ということに日向の中では決まっていました)張本人の木吉は、日向がどんなに腹を立て毛を逆立てて威嚇しても、ちかよるなと怒鳴っても、まるで気にしていない様子でいつも呑気に笑っています。それが余計に気に入らなくて湯気を立てて怒っては、とぼけた言葉でいなされて、きりがないからと伊月になだめられるのが、毎日の決まりごとのようになりました。
 そうして十日ばかりが騒がしく過ぎたある日のこと。木吉はまた唐突に、とんでもないことを言い出したのでした。

 それは、おちびさんたちに、と仕立てられた着物が森に届いて、そろって着替えをしたときのことでした。古い着物は戦から逃げ出した日のまま、ずいぶん煤けてくたびれてしまっていましたから、真新しいわらべ衣裳はとてもきれいで着心地がよくて、まっしろな生地がきらきら光って見えました。
「うん、二人とも良く似合うぞ!」
 横で見ていた木吉が満足げに頷きます。どうやら、汚れてしまった二人の恰好を見て、近くの村人に衣裳づくりを頼んでいたようでした。
「あ……」
 普段がどれほど気に入らなくても、親切でしてくれたことですし、日向も新しい着物はとても嬉しかったので、ちゃんとお礼を言わないと、と木吉に向き合います。けれど、いつも文句や不満ばかりなので、少し照れくさくてなかなか言葉が出てきません。
「ん、どうした?」
「あ、あの」
 日向の様子に気付いて、木吉のほうから声をかけてきます。余計に緊張してしまってもじもじとしっぽを揺らしていると、あ、と木吉は何やら気付いたように言いました。
「日向、漏れそうなんだったらすぐ便所に……」
「ちげーし!」
 と、怒る言葉なら簡単に口を飛び出てきます。隣の伊月につんと肘でつつかれて(きっと何をしようとしているか気付いたのでしょう)、あわてて牙を引っこめる日向に、木吉は不思議そうに首を傾げました。
「どっかキツかったか?」
「え、だ、大丈夫」
 ゆるくもないし、と答えると、木吉はそうかと笑って言います。
「二人が昼寝してる隙に全身くまなく触って厚みとか長さとか確かめておいた甲斐があったな!」
「なにしてくれてんだテメェー!」
「どうりで測ったおぼえもないのにぴったりなはずだ……」
 せっかく引っこめた牙も怒鳴り声もまたすぐに出てしまった日向ですが、木吉は気にせず、着物を仕立ててきてくれた村の夫婦に嬉しそうに話しかけています。
「本当におかわいらしい神さまたちですこと」
 健やかに長ぜられますように、と二人を見てにこにことおかみさんが言うのに、ああ、と頷いて、とんでもない言葉が飛び出したのは、その時でした。

「二人ともどんな風に育つか楽しみだなぁ。そうだ、将来立派な神さまになったほうに、俺の嫁さんになってもらおうかな!」

 え、と口をあんぐり開けたのは当の日向と伊月だけで、夫婦は何をお戯れごとをと大神どのを止めもせず、おやお気の早い、その時はぜひ盛大に宴を、などとまわりの精霊たちも一緒になって笑っています。
「てめーのヨメなんかだれがなるかだぁほーっ!」
 言おうとしていたお礼の言葉はあっさりどこかへ消えてしまって、代わりに転げ出てきた叫び声は、ころころと楽しげに笑い合う誰の気にも留まらずに、ただ森に響きわたったのでした。



「この里のやつらはボケばっかりか!」
「主神の性格がもろに出てるよなぁ……」
 街道まで送ってくるから、と木吉が夫婦とともに行ってしまったあと、日向は先ほどの信じられないようなやり取りについて、ぷくぷくと湯気を立てながら話し出しました。伊月も今回はさすがにおどろいたようで、苦笑いをしています。
 そんな兄弟同然の幼なじみの顔を見ながら、日向ははっとして声を上げました。
「伊月、おまえもうアイツと二人っきりになるんじゃねーぞ! ぜってぇヘンなことしてくるに決まってる!」
「えー、さすがにあれは冗談だと思うけど……」
「そうやってユダンさせる手なんだよ!」
「ジョウダンでユダン……キタコレ」
「まじめに聞けよ!」
 伊月はあまり大したことに思っていないようでしたが、日向はきっとそうだ、と自分の考えに真剣に頷きました。南の土地に暮らしていた頃から、このちょっと女の子にも見えるようなきれいな顔をした幼なじみは、精霊たちいわく「ちごしゅみ」という危ない好みのある大人に声をかけられたり、さらわれそうになったりしたことが何度もあったのです。きっと木吉もそうしたヘンタイたちと同じことを考えて、出会ったあの時から伊月に目を付けていたに違いありません。
「とにかくもうアイツに近づくな!」
「うーん」
 今ひとつわからない、という顔をしている伊月に日向は何度も同じ注意をくり返しました。日向は伊月よりも半年ばかり早く生まれて、身体も少し大きく育っています。本当の兄弟ならお兄さんに当たるわけですから、少し得意な気分でいるのと一緒に、自分が守ってやるんだ、と昔からずっと思っているのでした。
 ユダンするな、二人になるな、何かされそうになったらすぐ逃げろ、もしどうしても用があるならおれが一緒に行くか代わりに話してやるから、と真剣に続ける日向に、最後には伊月もはいはいと頷きました。
 そうです。今はまだこの森にいるしかありませんが(ようまが怖いんじゃねぇけどいろいろ危ないかもしれないからだ、と日向は自分に言い聞かせました)、しばらく用心して過ごして、二人で暮らせるぐらいに大きくなったら、すぐに出て行ってしまえばいいのです。
 あんなやつの好きにさせるもんか、と、こねこは小さな手を握り、新たな決意を固めるのでした。


      ◇


 三人での騒がしい日々は、それからまたたく間に過ぎていきました。
 ひと月、ふた月とたつうちに、初めは不満ばかりだった日向も、この森はまあ悪いところじゃないかも、と思うようになりました。森の獣や精霊たちはみんな新入りの自分たちに優しく、散歩や遊びにも喜んでつきあってくれました。今日はここ、明日はそこと、まだ行ったことのない場所をめぐっては、まだ知らないことを教えてくれて、森を少しずつ二人の家にしようとしてくれているのがわかりました。そんなときは木吉も一緒で、まだ小さく疲れやすい二人が出先でうとうとしてしまった時には、帰り道にいつの間にか大きなオオカミの背中に乗せられていたことも何度かありました。
 伊月をヘンタイから守ってやる、と決めて以来、二人のあいだに入ったり、用事を代わってやったりすることが増えたので、自然に木吉と顔を合わせることが多くなりました。そうするうちに、こいつもそこまで悪いやつじゃねぇかも、と日向は思い始めました。相変わらずとぼけているし、わけのわからないことを言われたりされたりすることもありましたが、木吉はまわりの人や精霊たちが言うとおりの真正直で優しい神さまでした。どんなシタゴコロがあるかわからない、と注意は続けていましたが、それでも、自分たちを大切に思ってくれているのが嘘ではないことぐらい、日向にもすぐにわかりました。

「なぁ、おまえなんでおれたちを拾ったんだ?」
 ある日、伊月が空を飛ぶ練習のため鳥たちと出かけてしまい、朝からひまだった日向は、縁側で足をぶらぶらさせながら(この森の神殿は人の家のような変な造りでした)、隣に並んでいた木吉にずばりと訊いてみました。もちろん、妙なことを言ったらひっかいてやろう、と思っていましたが、木吉はうーん、と少し真面目な顔になって、
「やっぱり、家族が欲しかったからかな」
 そう言いました。
「でもおまえ、家族いただろ」
 日向と伊月がここへ来る前から、森には今と同じように獣や精霊たちが住んでいたはずです。二人増えたぐらいで変わらないだろうと思って訊ねると、まぁあいつらも家族みたいなものではあるんだが、と木吉は歯切れ悪く言いました。
「人間や獣は俺より生きる時間がずっと短いし、精霊は気まぐれだからすぐ出たり消えたりしちまうだろ? みんなすげー慕ってくれて、それは本当に嬉しいんだが……俺と同じものを見て、同じものを護って、同じ時間をそばで一緒に過ごしてくれるやつはいなくて」
 それが少し寂しかったんだよな、と呟く横顔が、いつもの呑気な様子とはまるで違って見えて、日向は目をぱちくりさせてそれを見つめました。こんな時に何を言えばいいんだろう、とぐるぐる考えますが、出てくるのはいつもの憎まれ口ばかりです。
「そ、そんなことでガキ二人さらったのかよ。主神のくせにめめしいやつだなっ」
 ちがうちがう、こんなんじゃないだろ、と自分の口の悪さを叱りますが、木吉は怒ったりせず、逆にそうそう、と嬉しげに笑いました。
「そんな風にさ、悪いとか駄目だとか色々言っちまってほしいんだ。日向も遠慮しないでくれな」
「もともとおまえにエンリョなんてしてやるつもりねーし!」
「ああ。ありがとな」
 ふんわりと笑いかけられて、思わず耳としっぽの毛が逆立ちます。怖いわけでもぴっくりしたわけでもないのに、と戸惑っていると、ぬっと横から腕を伸ばされて、今度こそおどろいてその場から跳び離れました。
「あー、ぎゅってしたかったのに……」
「だ、だぁほっ! 変なことするな!」
 怒鳴りながら、着物の前をぎゅうぎゅうと押さえつけます。おどろいたのは一瞬だけなのに、胸のどきどきがなかなか鳴りやんでくれません。
「日向? どうした?」
「にゃっ」
 立ち上がり、大きな一歩でこちらに近付いて、またひょいとしゃがみ込んだ木吉の顔が目の前に現れて、日向はその場にぴょこんと跳び上がりました。とび色の眼にのぞき込まれてわけがわからなくなってしまい、ものも言えずに背を向けて、気付いたら庭に下りて駆け出していました。
「お、追っかけっこか? 負けねーぞー」
「ち、ちげーよ! ついてくんな!」
 振り返って叫びますが、木吉は完全に乗り気で数を数え始めています。
 そうして唐突に始まった一人だけ必死な追いかけっこは、伊月が呆れて夕飯に呼びにくるまで延々と続きました。


 その日は逃げ出してしまった日向でしたが、それからというもの、ほんの少しだけ、木吉との距離が近くなりました。変わらずとぼけた言葉や行動に怒ったり怒鳴ったりするのは変わりませんでしたが、用がない時にそばに来られてもあっちいけとは言わないようになりましたし、自分から近くへ行くことも増えました。何しろ寂しがり屋の情けない主神ですから、誰かが隣でカツを入れてやらなければならないのです。それがきっと「家族」の役目というものだろう、と日向は思いました。
 森にやって来た頃から、木吉はそのままだと顔が遠いと思うからか、何か話をしようとする時は二人を自分の膝に乗せたがりました。初めはもちろん抵抗して、すぐに暴れるだけ無駄とさとって、むくれつつもおとなしくしていましたが、もともとが鳥の伊月はあまり人の懐にいるのが落ち着かなかったようで、わけを話して遠慮したいと伝えると、木吉もわかったと頷きました。
 いっぽうの日向は、じゃあおれが代わりにギセイになってやる、と決めましたが、木吉と少し打ち解けてからは、あまりイヤだとも感じなくなりました。むしろ、ちょんと膝に腰かけて大きな身体に支えられていると、伊月とは反対に、妙に居心地よく落ち着いて感じるのでした。なんだか悔しいような困ったような気分でしたが、きっと自分がねこだから仕方ないんだ、と結論づけて、あまり深く考えるのはやめにしました。
 膝の上から背の高いオオカミの顔を見上げながら、早く大きくなりたい、と日向は毎日のように思いました。早く森を出たいからではなくて(そんな風に決めたことさえ、半年もするともうすっかり忘れてしまっていました)、早く大きく強くなれば、それだけ自分も森のために何かをできる、頼りがいのある仲間に、本当の家族に、なれるような気がしたのです。


 ひとつまたひとつと季節はめぐって、あっという間に三年の月日が過ぎました。
 背も伸びて少し木吉と顔の近づいた日向は、このごろになってまた、一度は忘れていたはずの「どきどき」に困らされるようになっていました。乗せられた膝から下りるのだけは我慢しましたが、あまり近くでのぞき込まれたり笑いかけられたりすると、そわそわしてどうにも落ち着かなくなるのです。妙な態度や言葉を返してしまうことも増えて、一度など、ひよひよと後ろでまごつかせていたしっぽに急に触られて仰天し、木吉の顔に見事な三本線の爪あとを付けてしまったこともありました。
(おれ、変だ……)
 そう自分でも思いながら、こればかりは誰にも、親友の伊月にだって、相談することができませんでした。きゅうきゅうする胸を押さえつけて背を丸めて眠るのですが、そんな時には必ず、呑気なオオカミの顔が頭の中に浮かんでいるのでした。

 そんなこんなでどうにか「どきどき」をやり過ごしていたある日のこと、袖と裾の長さがぎりぎりになってしまった着物の代わりに、また村のおかみさんが新しい衣裳を持ってきてくれました。お礼を言って自分の部屋で着替え、ぴかぴかの格好をまた見せにいこうと廊下を駆け戻ります。すると戸を開ける前に中の会話が聞こえてきて、耳にした言葉に日向はふと手を止めました。
「これが花嫁衣装かー。きれいなもんだなぁ」
「一生に一度のものですから、丹精を込めてお作りしておりますわ」
(……花ヨメ?)
 戸の隙間からそっとのぞくと、部屋の中にまだ仕立ての途中らしい着物が広げられていました。まばゆいばかりの白の生地に花の模様が散りばめられていて、思わず息を飲み込んでしまうほどのうつくしさです。
「あと一年なんて長いよな。衣裳ができたらすぐでもいいぐらいなのに」
「まぁ。まだまだたくさん準備が要りようですもの。……そういえば、お二人にはこのことは?」
「それがまだ言ってないんだ。ひょっとしたら嫌がるかもと思って……」
「難しいお年頃ですものねぇ」
 二人の話を聞きながら、日向はぼんやりと昔を思い出していました。今日のように着物を新しくしてもらった日に、木吉はこう言ったのです。

『将来立派な神さまになったほうに、俺の嫁さんになってもらおうかな』

 どくどくと、これまでとは違う強さで心臓が鳴り出しました。痛むようにすら感じる胸をぎゅっと掴むと、不意に後ろから肩を叩かれて、上げかけた声を慌てて手の中に押し込めました。振り向くと、伊月が不思議そうな顔をして立っています。
「日向、入らないのか?」
「えっ、と」
 同じことを考えて戻ってきたのでしょう、伊月も新しい着物に着替えています。桔梗色の小さな篠懸は、子どもらしからぬ涼しげな顔立ちに良く似合っていました。
「な、なんかむずかしい話してるみてぇだから、またあとでお礼言おうぜ」
 そう言って少し強引に手を引っ張り、木吉の部屋の前を離れます。なぜだか、この幼なじみにあの花嫁衣裳を見せたくなかったし、あの話をしている木吉にも会わせたくなかったのです。伊月は首を傾げながらも特に何も言わずに付いてきました。
 
 森に来てから三年が経ってそれぞれ背が伸びても、まだ日向の身体は伊月より少し大きなままでした。けれど、確かに上、と言えるところは、それともうひとつ、まだ物心つかないうちから続けている弓の腕ぐらいのものでした。日向は特に「ザガク」で少し要領の悪いところがあって、読み書きや算術などの勉強も、神さまの使う術も、昔から伊月より苦手でした。今までは、自分は自分で頑張ればいいのだからと、あまり気にしたことはなかったのです。
 けれど。
(立派な神さまに――)
 くるくると、あの時の言葉が頭の中を回ります。きっと伊月は立派な神さまになれるでしょう。もちろん自分だってなるつもりだけれど、でも、誰かが二人を並べて見たときに、より賢くて立派そうに見えるのはどちらでしょうか? 負けず嫌いで意地っ張りな日向にも、それぐらいのことは、正しくわかります。身体が大きい、力が強いと言ったって、ほんの少しです。弓は日向のほうが得意でも、代わりに伊月は薙刀が得意です。昔から変わらずきれいな顔をしていて、つやつやした羽があって、性格だって真面目で穏やかだし、たまに妙な冗談は言うけれど、口が悪いなんてこともありません。どこにでもいるような黒ねこが着たら、埋もれて見えなくなってしまうようなうつくしい着物も、伊月ならきっと似合うでしょう。
 まだ勉強不足のこともあるけれど、「お嫁さん」がどういったものなのかは知っています。それは一番近くで、ずっと一緒にいる家族のことです。森へ来て一年ぐらいの自分なら、きっと祝ってやれたでしょう。おれの親友を不幸にしたら許さないと木吉にめいっぱい脅しをかけて、何かあったらすぐに捨ててやれと伊月にめいっぱい忠告をして、それでも最後にはおめでとうと言ってやれたはずです。けれど、今は。
(いやだ)
 きゅうきゅうと痛む胸を押さえて、誰にも聞こえないように、その中でだけ、必死に叫びます。
(いやだいやだ。おれの場所、取られたくない)
 その場所がどこにあるのか、誰に取られたくないのか、幼いこねこはもう、気付いてしまっていました。


      ◇


 それから日向は、来る日も来る日も懸命に勉強と修練に取り組みました。一年あるんだ、大丈夫、まだ大丈夫、と自分に言い聞かせながら。
 しかし、幼い子どもが思うほど、時間はゆったりとは流れてくれません。み月が過ぎる頃には、たった一年でみちがえるように立派になるなんてとても無理だと、日向も気付き始めました。日向と同じぐらい伊月だって勉強しているのですから、よく考えれば当たり前の話です。
 それでも、もう一年も間がない「その日」のこと、「その日」の後の自分のことを考えると怖くてたまらず、諦めてしまうことができません。どうしようどうしようと気ばかりあせるうちに、ひとつ思いついたのは、夜にみんなが寝てしまったあと、一人で修練をすることでした。弓の修練なら自分だけでもできますし、夜に弓を引いた分だけ昼は時間を少なくして、そのぶん苦手な勉強をすればいいのです。
 我ながらとてもいい思いつきのように感じられて、日向は早速その日からこっそり部屋を抜け出し、夜の修練を始めました。お日さまが昇る前にまたこっそり布団に戻り、昼は夜の分だけ修練の時間を減らして、余計に机に向かいました。
 一日目、二日目、そして三日目まではその思いつきもうまくいきました。しかし四日目、朝からなんとなく具合が悪くて、それでも我慢して勉強をしていると、昼過ぎには頭がふらふらし始めて、本を取ろうと立ち上がったとたん、ついにその場にひっくり返ってしまいました。慌てて駆け寄ってきた伊月に呼びかけられて、木吉に抱え起こされたところまではわかったのですが、大きな腕の中が暖かくて気持ちよくて、すぐに眠り込んでしまったようでした。
 次に目を覚ますと、寝室の布団の上でした。どうしたのだろうとぼんやりした頭をはたらかせて、昼間のことを思い出し、がばりと跳ね起きました。夕方までするつもりでいた勉強が抜けてしまいましたし、もう夜の修練に行かなければならない時間です。あわてて、しかし衝立の向こうで寝ている伊月が起きてしまわないようできるだけ静かに、弓を持って外へ駆け出しました。


 弓の練習場についた日向は、びっくりして入り口の前に立ち止まりました。なんと、日向が来るのを待っていたような姿勢で、木吉がこちらを向いて立っていたのです。
 木吉は日向の姿を見つけると、はあと息をついて言いました。
「今日の今日でほんとに来るとはなぁ……どうも変だなと思ってたら。こら日向、練習熱心なのはいいけど、ちょっとやり過ぎだぞ」
 どうやら、日向の様子がおかしいと気付いて、誰かに秘密の修練のことを聞いたようです。立ち尽くしている日向に歩み寄ってきて、続けます。
「日向はまだ小さいんだから、夜はたくさん寝てちゃんと休まねーと」
「け、けどよ」
「あんまりあせったって上達しねーぞ? 最近ゆっくり話したり遊んだりもしてないだろ? 勉強や修練ばっかりじゃなくて、そういうのも大事だ。時間はまだまだたっぷりあるんだから、少しずつ上手くなればいい」
 な、と笑いかけてくるのに、ぶんぶんと首を振ります。
「時間、ねぇもん……」
「え?」
「すぐに強くなりてーんだよっ。ど、どけよ、おれ練習するんだから!」
「……駄目だ。部屋に戻るんだ」
 いつになく厳しい声に、日向はびくりと肩を縮めました。幼い子どもの耳には、まるでこんな努力をしたって無駄だと言われているようにさえ聞こえました。日向が必死になっているのは、ただ「その場所」にいたいからです。とぼけているけど寂しがり屋で優しいオオカミの、一番近くにいたいからです。その相手に否定をされてしまったら、もうどうすればいいというのでしょう?
 悔しくて悲しくて、でもやっぱり、出てくるのは可愛げのない意地っ張りな言葉ばかりです。
「うっせーよ! 時間なんてねぇんだよ、お前が言ったんだろ! だからおれ、すぐに立派に、なるって……」
「日向?」
「こっち来んな! お……お前なんか、だいっきらいだ!」
「日向っ」
 もはや自分が何を言っているかもわからず、手にしていた弓を投げつけて、木吉が一瞬ひるんだ間に、日向は足を返して猫に身を変え、練習場とは逆の方向へ駆け出しました。いつもならすぐに捕まっていたことでしょうが、その日は月の隠れた真っ暗な夜で、小さな黒猫の姿はすぐに闇に紛れて見えなくなって、慌てたオオカミの手からまんまと逃げおおせてしまったのでした。



 森の外れの大きな柳の木の下で、日向は一人膝を抱えて座り込んでいました。
 茂みの中を走り続けた身体は疲れ果てていて、胸はしくしく痛んで、本当にひどい気分でした。怒鳴って飛び出してきた時の苛々した気持ちはすぐに消えてしまって、なんであんなことをしてしまったんだろう、と、浮かんでくるのはそればかりです。
 今まで木吉は日向がどんな憎まれ口を叩こうが、生意気なことをしようが、いつも笑って受け流してくれました。でも今度こそは、もうだめかもしれません。
 大嫌いだなんて、これっぽっちも思ってやしないのに。
「おれ、ばかだ」
 こんなことで、立派な神さまになどなれるはずがありません。結局初めから無理な話だったのだとしゅんと肩を落とすと、後ろの茂みががさがさと音を立てました。
 木吉が追ってきたのかと振り向いて、日向はあっと息を飲み込みました。茂みの奥から出てきたのは、大きな四つ足の妖魔でした。裂けた口からぽたぽたと涎を垂らして、じっとこちらを見ています。
「あ……」
 足ががくがく震えて、立ち上がるどころか、叫ぶことさえできません。妖魔はうなり声を立てて頭を低くし、今にも飛びかかってきそうな姿勢です。こんな大きな化け物相手では、自分のような子どもなど、逃げることもできずにひと呑みにされてしまうでしょう。
 うなり声がやみ、獣の後肢が地面を蹴りました。日向はきつく目をつぶって身を丸め、初めて叫び声を上げました。
「木吉っ……!」
 一瞬後、森に響いたのは子どもの悲鳴ではなく、生き物の身体がぶつかり合って、地面に転がる大きな音でした。おそるおそる目を開き、すぐにしんと静まり返ったあたりの様子を見回すと、斜め向こうの地面に妖魔がひっくり返っていて、日向の前には、大きな大きなオオカミが凛と立ちふさがっていました。
 オオカミは獣の言葉で、先ほどのうなり声よりも数段おそろしげに威嚇を発し、転がっていた妖魔はあたふたと立ち上がり逃げ去っていきました。その後ろ姿が森を出る方向へ見えなくなってから、オオカミは人の姿に戻って振り向きました。
「日向、大丈夫か?」
 落ちた言葉は少し息を弾ませていて、本当に心配げでした。その優しい声で、叱られると思ってすくませた身体が一度にゆるんでしまい、目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちます。おどろいた木吉がすぐに駆け寄ってきて、しゃがんだ膝の上になだめるように抱き上げられると、緊張がはじけて、ずっと押さえつけていた言葉が胸の奥からあふれ出てきました。
「ばか木吉、よ、ヨメにもらうとか、立派になったらとか、少しでかくて強くて、か、かっこいいからっていい気になってるんじゃねぇよっ」
「へ?」
「おまえなんかに、伊月はもったいねぇんだからなっ。お、おれぐらいで充分だ、おまえみたいな変なやつのヨメなんか!」
「嫁? え、日向……?」
「だぁほ! おれの場所、ほかの誰かにやろうとするやつなんか、だいっきらいだ……」
 すんすんとしゃくり上げながら、「この場所」に来るのがずいぶんと久しぶりのことであるのに気が付きました。自分の修練でいっぱいいっぱいになっていて、実は暮らしに必要なこと以外を木吉と話すのも、喧嘩のようになってしまったとはいえ、やはり先ほどの練習場でのやり取りが何日かぶりのものでした。
(そうだ、こいつは寂しがりなんだから、おれが構ってやらなきゃいけなかったんだ)
 本当に寂しかったのは自分のほうなのだということは、もちろんわかっていました。けれどもしちょっとでも同じように感じてくれていたらと思うと、ほんの少しだけ、胸の痛みが軽くなるような気がしました。



「ごめんな日向、もっとちゃんと話聞いてやってれば良かったな。……何かあったのか? 嫁、って」
 少し様子が落ち着いたのを見計らって、日向の背をぽんぽんと撫でながら木吉が訊ねかけてきます。ここまで来ればもうごまかせないと覚悟を決めて、広い胸に寄りかかったまま、日向はまだ少しかすれた声で答えました。
「……ヨメ、もらうんだろ。この前、着物持ってきてた」
「ああ、あれ見てたのか! やっぱり早く教えておくんだったな……」
「おれ、ちゃんと祝ってやるし」
「そうか、ありがとな。日向は特に仲が良かったから、嫌がるかなと思ってたんだ」
「……いやなわけねぇだろ」
 本当は、嫌なことも沢山ありました。それでもきっと、どちらも大事な家族だから、いざその時が来たら我慢できます。いつか伊月と同じぐらい、木吉と同じぐらい、立派な神さまになるのです。一番近くが自分でなくなったって、「その場所」が自分のものでなくなったって、きっと我慢してみせます。
 良かった、と木吉は安心したように頷き、
「で、さっきの話なんだが、日向は俺の嫁さんになってくれるのか?」
 真面目な声で、そんなことを言い出しました。
「……は?」
 いきなりなんだ、と日向は妙に真剣にしている顔を見つめ返しました。「さっきの話」なら、今ちょうど終わったはずです。なんでそこに自分の名前が出てくるのでしょう。
「おれがなんだって?」
「俺の嫁さんになってくれるのかって」
「……おまえ、ヨメ二人もらう気なのか」
「いや、俺はオオカミだからな。嫁さんは一人の主義だ! あ、それに今すぐじゃないぞ、さすがにそれはいろんなやつに怒られそうだから」
「でも、もらうだろ。一年なんてすぐだろ」
「もらう? 何をだ?」
「だから、伊月を、ヨメに……」
「伊月? え? 大変だ、今そんなこと言い出すやつがいたらとっちめてやらねーと」
「……え?」
「え?」
 どうにも話が噛み合いません。こちらを見下ろす目は冗談を言っているようでもなくて、日向は混乱しながら質問を仕切り直しました。
「えーと、だな」
「ああ」
「このあいだの着物は、いつ、誰が着るんだ?」
「ん、さっき言ったろ? 来年の春、森に通ってた泉の精が、隣の国に輿入れする時に着るんだ」
「え、あのねーちゃんヨメに行っちまうのか……」
 それは日向と伊月に術を教えてくれていた精霊のことで、確かに仲良くしてくれて少し憧れてもいましたし、ちょっとした衝撃を受ける話ではありましたが、それ以上の衝撃でその祝い話もすぐどこかへ飛んで行ってしまいます。
「おまえがヨメをもらう話じゃなかったのかよっ?」
「え? 相手がいなきゃもらいたくてももらえねーだろ?」
 当たり前のように笑って言います。あまりのことに目を丸くしたまま、日向はここに来て一番の問いになったことをおそるおそる口にしました。
「お、おまえ、ひょっとしておぼえてねぇの? 『立派な神さまになったら』って……」
「……俺、なんか言ってたのか?」
 けろりと返された言葉に、今度こそ日向はものが言えなくなってしまいました。こんなの、馬鹿なお芝居にもほどがあります。最初から全部が全部、自分の思い過ごしだったなんて!
「ま……まぎらわしいんだよこのだぁほっ!」
 腹立たしいやら恥ずかしいやら、頭のぐるぐるが頂点に達したこねこは、とぼけたオオカミの顔に、今夜は爪ではなく固めたこぶしをおもいきりお見舞いしてやったのでした。



「いてて、ひどいぞ日向……」
「おまえが悪い! ぜんぶおまえのせいだ! お、おれがどんだけ……ちくしょう……」
 赤くなった頬をさすっている木吉に、こちらは興奮で赤くなった頬をふくらませます。早とちりした自分も自分ですが、そもそも木吉の軽率な言葉がなければここまでのことにはならなかったのです。
「けどそうか、日向は俺の嫁さんになってくれるのか」
「う」
 思えばなんてことを言ってしまったのでしょう。これも全て、このとぼけたオオカミのせいです。
「あの花嫁衣裳見たとき、いつか二人も嫁さんもらってよそに行っちまったりするのかなーって、ちょっと寂しかったんだ。でも日向が俺の嫁さんになってくれるなら、ずっと一緒にいられるな」
 ちくしょう、と思いながらも、そんなことを言って笑う顔が本当に嬉しそうなので、誰がおまえのヨメになんか、とはもう言えなくなってしまいました。
「し、仕方ねぇよな。おまえみたいなののヨメになってやろうなんて心の広いやつ、おれぐらいしかいねぇんだから。おれでがまんしろ」
 本当はそんなわけないことぐらい、わかっています。こんな強くて優しい神さまになら、どんな人や霊でも、嫁に来いと言われて嫌な顔はしないはずです。でもそんなこと、もう教えてやりません。
「我慢なんてしねーさ。だって俺も日向がいいから」
「にゃ……、じゃ、じゃあ、おまえのひざは一生おれのなわばりだからなっ。ほかのやつ乗せたりするんじゃねぇぞ!」
「ああ」
「伊月でもだめだからな!」
「ああ」
 わかったから、と笑って頭を撫でられ、怒るよりも先にごろごろと喉が鳴ってしまいます。耳をくすぐる指が優しくて、広い胸があたたかくて、もう誰にだって、この場所を諦めて譲ってやろうとは思えません。
「あ、あと、今日のことは、誰にも言うんじゃねぇぞ! 悪かったのはおれだけど、伊月に心配されたくねーし……こっそり抜け出したこととか、ようまのこととか、よ、ヨメのこととか」
「嫁さんのこともか?」
「あ、えっと……おれがもう少しでっかくなったらいい、けど、今はだめだ」
「そうか。じゃあそれまで俺と日向だけの秘密だな」
「う、うん」
 二人だけの秘密というのがなんだか照れくさくて嬉しくて、そわそわとしっぽを揺らしながら、あと、と思い切って続けます。
「あの、あ、……ありがとう……」
 探しに来てくれて、助けてくれて。
 一番好きなこの場所に、ずっといてもいいと言ってくれて。
 木吉は笑ってひとつ頷いたあと、長い指でそっと日向の前髪を上げて、顔を近づけてきました。額に落ちたやわらかな感触が言葉の代わりに何を言っていたのかはわかりませんでしたが、それでもきっととても幸せなことに違いないと思えて、日向はこれもおれたちだけの秘密にしよう、と決めました。


 さあ帰ろうな、と歩き出した木吉の腕の中に身を丸めて揺られながら、ふわふわと降りてきた夢の中で、日向は立派な神さまになった日のことを想像していました。
 ――ヨメになったら、今は週に一度ぐらいだけど、三日に一度ぐらい、膝に乗せてもらえるようになるかも。
 そんな幸せで少しとんちんかんなことを考えているこねこが、既に何年か後のできるだけ早い日取りに幼なヅマをもらう気満々でいるオオカミの本当のお嫁さんになるまでは、もちろん大小さまざまなどたばた騒ぎが待っているのですが、それはまた、別のお話です。


めでたしめでたし?

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