Lady in the dark


 その様は空き家というよりもまさしく廃墟に近く、もっと陽の高い時間に来れば良かったと後悔したが、昼にはより優先すべき用事があったのだから仕方がない。幽霊屋敷だなどと呼ばれていることを直前に知ったからとて、今さら泣き言を吐いて他人任せにするのは領主の責任にもとる。そも、噂の通りに呪われた遺物、或いはなんらかの魔道具があるのなら、知識のある自分こそが探索の適役者であるのだ。他家へ割譲する土地に不穏な噂の立つ家を残しておくわけにはいかない――反論の余地ない言葉を並べて自らを鼓舞し、前へ踏み出そうとして、既に数分が経っていた。
「リシテア」
「大丈夫ですっ」
「や、まだ何も言ってねえよ……」
 横からかかった声に反射で返し、さらに困惑を返される。いつものごとく用心棒と言って同行した男は、朽ちて埃と蜘蛛の巣にまみれた屋敷の様子に眉をひそめてみせるどころか、興味深げにあたりを見渡してさえおり、今にもつかつかと先へ進んでいきそうな気配だ。それもそのはず、ほんの二年前には陽の当たらぬ地下で寝起きしていた人間なのだから、こんなぼろ屋敷の風情など何ほどのものでもなかろう。そう考えると焦りがつのり、どうにか先へ立って進まねば、と思うが、思うだけでは脚は動かない。
 そうこうするうち、風が強く吹きつけたのか、背後に開け放していた正面扉が音立てて閉まり、ホールに不意の暗闇が落ちた。ただでも竦んでいた胸で咄嗟の衝動を抑えることなどできず、声を上げ、手を伸ばす。すがった腕は一瞬遅れて動じたようだった。
「あー……リシテア?」
「だだ、大丈夫です!」
「まだ何も言ってねえって……大丈夫なようにも見えねえし」
「平気ですっ。明日には取り壊してしまうんですから、今夜のうちにちゃんと調べておかないと……お、お化けなんかいないって」
「お化けじゃなく呪いの道具だった気がするがね……」
 同じです、と言い切り、抱えた腕をそろそろと上に辿って、こちらを覗き込んでいるだろう顔を見上げる。
「ゆ……ゆっくり進んでください、バルタザール。置いていったら怒りますからっ……」
「置いてかねえよ。置いていったことなんてあったか? だが、あー……」
 濁る語尾を、なんです、と問いただすと、空いた側の手で頭を掻く気配ののち、いつになく歯切れの悪い声が落ちた。
「いや、全く悪かねえと思ってるんだがよ……人間いくつになろうがこれに関しちゃそういうもんだし、何に縛られる気もねえ。……が、あんまり昔と重なっちまうとな、やっぱりなんつーかこう、うっすら罪悪感みてえなもんがだな」
「何が言いたいのかさっぱりわかりません……まさか呪われたわけじゃないですよね……」
「呪われねえって。いや、お前が俺でいいって言うならいいんだけどよ」
「……? あんたしかいないのに、あんた以外の誰を頼れって言うんです?」
 いつも傍らにいて、いつも伸ばせば届く場所に手を差し出しているくせに、今さら引いてしまわれたらどうすればいいのか。
「いつもならわかりませんけど、今だけは攻撃魔法も辞しません」
「やめろ。悪かった」
 灯りを作るから少し待てと放浪慣れした人間らしく言い、いくらかの間を置いて、そうか、と続けた声は、どこか和らいでいる。
「頼る、か。そう言うようになったんだな」
「え、……いけませんか」
「いや、嬉しいね」
 そう言い落として作業にかかる横顔は確かに笑んでいるのだろうと思われたが、たとえ見えなくとも目を向けたままでいるのが何か気恥ずかしく、そっと視線を引き戻す。すがった腕はもう動じておらず、いつものごとく触れるも離すも自由と言葉なく述べているようであったので、ひとまず灯りが点くまでは、そばに身を寄せたままでいることにした。


end.

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