Milk Sweets


 あんたのせいで太りました、と地面に引きずるような声を落とすと、伸びた草の向こうで、しゃがみ込んでなお嵩のある長躯が上体ごと大仰に首を傾げた。
「太った?」
 そのまま訝しげに顔を覗き込まれ、つい口に出してしまったことに失敗を感じつつ、気恥ずかしさを押し込めてまた地面へ向けて呟く。
「昨日の授業のあとに、身体計測の時間があったんです。そうしたら、背は入学の時からちっとも伸びてないのに体重だけ増えてて……」
「おー、そんなんやってたらしいなぁ。アビスのやつは対象外だってんですぐ出ちまったが」
 懐かしいな俺も昔は、と思い出話に入りかけるバルタザールの呑気な声をさえぎり、もはや言ってしまったからには、の勢いでリシテアは嘆きを前へぶつけた。
「お菓子の食べ過ぎじゃないか、だなんて笑われたんですよ。もう、あんたが毎回報酬だなんて言って持ってくるから!」
「ええ、いや俺かぁ? 喜んで食ってたのはお前だろ?」
「そう、ですけど……だってお菓子に罪はないし……あるなら食べなくちゃもったいないし……」
 自分でも半分は言いがかりと知っていたので、反駁を受けてもごもごと声をしぼませながら答える。進んで過食した憶えはなく、量りが示した数字を見た瞬間、普段の節度の埒外としてまず思い当たったのがこの時間だったのだ。
「だからもう報酬は結構です。だいたい、ものに釣られて働くなんて、子どもみたいだし」
 きっぱりと言い切るも、バルタザールはそうかねぇ、と再び横へ首を傾げてみせる。
「労働に対価を出すのは普通のこったろ。むしろ手に職のあるいい大人こそ、それ相応の報酬を得られるってもんじゃねぇか? 俺だって働いたあとに旨い酒を呑ませるとなりゃあ、何倍もやる気が出る」
「あんたを『いい大人』の例としては見れません」
「ま、それについちゃ何も反論できねぇ」
 世をはみ出た無頼漢代表のような男はリシテアの指摘に悪びれなく笑って頷き、だがと続けた。
「やめるってんなら残念だなぁ。今日の『報酬』はとっときなんだぜ? なんせ週に十も二十も菓子を貢がれてるような甘いもん好きが、これならってんで太鼓判を捺した代物だからな」
「えっ」
 思わず声漏らし、顔を見上げる。今日もバルタザールがリシテアへの「報酬」として菓子を携えてきているのには気付いていた。そばで香る甘い匂いが気になって、ついこの話を始めてしまったのだ。
 今語られたのは、おそらくバルタザールの友人であるところの地下街の首領のことだろう。その女性と見まごうような美貌は表に裏に始終褒めそやされており、気を惹こうと好物を贈る者も多いに違いない。そんな人間が保証した味だと言うなら、正直なところ大いに気にかかる。しかし折角の決意を誘惑に負けて一瞬でひるがえすなど、それこそ子どものすることだ。
 次の反応に詰まって俯き、ただ手元の草をぶちぶちと引き抜くリシテアの頭上で、ふっと笑いの息が鳴る。
「菓子の一個や二個いいじゃねぇか。痩せ我慢なんざしてても体に毒なだけで痩せやしないぜ。それに、そのくらいの歳の頃なら誰だって少しは膨らむもんだろ。俺だってそれなりに肉が付いてた」
 しみじみとした口調で語る相手の顔をもう一度仰げば、あるのは演技にも見えない懐旧の表情だけだった。
「……ほんとに?」
「おう。充分に食ってまず横に肉を付けて、それから縦に伸びるってこった。食うもん食わなきゃでかくならねぇぜ?」
「あんたの場合うすらでかくなり過ぎてる気もしますけど……」
 でかいほうが喧嘩にゃ有利でな、とうそぶき、バルタザールはまた腰を屈ませてこちらを覗き込んでくる。自分より小さな(すなわちほとんどの)相手が近くで話している時に、こうして目線を合わせようと姿勢を変えるのが癖らしい。初めは少し気にかかったが、その身にほんの少しばかり残った「育ちの良さ」の表れなのだろうかと思ってからは、自分も眉寄せずに視線を返すようにしている。
「つっても、別に太ったようにも見えんがねぇ。重さだけ増えたんなら筋肉が付いたってことじゃねえか」
「それはそれでどうなんですか。私、魔道士ですし」
「あんまりひょろっこいよりはいいだろ。丈夫になるしな」
 似たようなことを普段うんざりするほど聞いている気がする、と同じ学級の筋肉愛好家の顔を思い浮かべながら医学の方面へ思考を伸ばしかけたが、面倒な議論を無意識に避けたのかどうか、リシテアが口を開く前に、ともかく、と言ってバルタザールは話をまとめにかかった。
「好きなもんが食える時には有難く食ってりゃいいのさ。いちいち細けぇことを気にしてちゃあどんな馳走も酒も旨く思えなくなっちまう。いつだかの俺みたいに、腹が減ってそのへんの草食わなきゃしょうがねぇってんじゃないんだからよ」
「草を食べ……あんた本当に元貴族なんですか……」
「おかげで野草の類にはだいぶ詳しくなったぜ」
 得意げにすら響く太平楽な声音につられ、こちらの意地までが空しく抜けていくのを感じた。それとともに、戦場に立つ長駆、当人曰く「喧嘩に有利」な丈高い姿を思い起こす。あれこれと吐かれる調子のいい言葉にしかし嘘はなく、その屈強な身にかばわれたのは、もはや一度きりのことではない。
 あれほどにとは、さすがに望みもしないけれど。
「……私、まだ大きくなれますよね」
「なるだろ。そんだけ若いんだ」
 俺は背はもうさすがに、いやまだ充分若いけどな、おっさんってほどじゃねぇ、ねぇが……などと独りごつ言い訳の急な曖昧さに思わず吹き出して笑えば、こらと咎める声も笑っている。
「んで、報酬はどうすんだ?」
「そ、そうですね。まあ、あんたの意見にもそれなりに納得しましたので。お菓子に罪はありませんし」
「そういうこった。お前にも俺にも罪はねぇ。……ま、体のことも気にしようってんなら、好きなもんを食っただけ、ほかのもんもちゃんと食えばいいんじゃないか。今日の食堂の夕食は確か野菜炒めだったか……俺は正直あんまり得意じゃあねぇが、明日の自分のためだ。残すわけにゃあいかねぇよな。なあリシテア?」
「え、あ……当たり前じゃないですか。子どもじゃないんですから……」
「そうそう。それでこそ立派なコーデリアのご令嬢だ」
 ぽん、と励ますように頭に手が乗せられる。その下でとっておきの菓子と山盛りの野菜とを天秤に乗せるのに忙しく、大きな掌に思わぬやわらかさで撫でられていることには、最後まで気付かなかった。


       ◇


「はー、三週もったら奇跡の予想が、意外や意外だな」
 大胆な起用をするもんだと思ってたが、さすが先生、見る目が違うね、とクロードが感心の声で言う。共に眺めやる窓の向こうには、教室棟脇の草むしりの課題を与えられたリシテアとバルタザールの姿があった。一方は中途かつ出戻りの仮のような所属だが、金鹿学級内の最年長と最年少、身の丈までが山谷甚だしい見るからにちぐはぐな二名は、それでもクロードの言葉の通り、意外なほど円満のやり取りを続けながら、ごく和やかな空気の中で作業に取り組んでいる。共同課題を始めてはや三節。入学したての頃に比べればだいぶん丸くなってきたものの、いまだ才気に実齢が追い付いていないもどかしさを抱え、周囲からの扱いに棘を示しがちなリシテアが、この組み合わせに不満を漏らしたのは、それこそ任命の瞬間ただ一度であった。
「うちの兄さんもそんな感じだったけど、昔からちっちゃい子の面倒を見るのが意外と上手なのよねー、バル兄って」
 近頃は食堂など、教習や課題以外の折にも見かけられるようになった一見不思議な並びの所以について、昔馴染の見地からそんな評価が語られる。
「ははぁ、なるほど。過去の学習経験からワガママお姫様の世話はお手の物ってわけか」
「ちょっとクロードくん、それどういう意味?」
 肩いからせるヒルダを笑って受け流しつつ、向けていた視線に応えるように、翠の目がこちらへぱちりとひとつウインクを寄こした。『俺はいいと思うぜ、先生』。放任主義に見えて周囲をよく気にしている級長の、次第に意味を受け取れるようになってきた目配せへ、頷きを返す。
 采配への賛意を受けてもう一度外へ目をやれば、どうやらちょうど作業が完了に至ったようだった。抜き集めた雑草の束を抱える長身の傍らに少女がどこかそわそわとした様子で歩み寄り、遠い頭の距離がひょいと詰まって、その間にまた言葉が交わされる。双方の横顔に浮かんだ笑みを見て、報告を楽しみに待つ自分の頬もゆるんでいたらしく、クロードがひゅう、と口笛鳴らして一度置いた筆を取り上げ、学級の日誌に何事か言葉を書き足していた。


Fin.

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