Bear hug



 それはまさしく「げんなり」という音がそのまま聞こえてきそうな見事な呆れ顔であったので、反発の気が湧くどころか、軽い笑いさえ漏れてしまった。
「よお、アラート」
 正面に向き直り、見せつけるように毛むくじゃらの片手を上げる。倉庫の戸口に足を止めた相棒は、「げんなり」の上に「全く気は進まないがさっさと本題へ移るため多少の踏み込みは致し方なし」を塗布した表情でぼそりと言った。
「……なんだそれは」
 浮かんだ言葉はいくつもあったろうが、今回は省エネに務めることとしたらしい。ごく短く発された問いに、こちらも短く答える。
「熊」
「くま」
 思いがけずつたない音が折り返されてさらに大きく笑いかけたが、さすがに説教の線を越えるだろうかと呑み込み、口にした地球生物の名に「の、着ぐるみな」と説明を足した。
「前にホイストたちが世話になっただか、世話しただかって人間のエイガ監督がいたろ? 宣伝用に作ったもんをくれたんだと」
 廃材処分に利用されたの間違いじゃないのか、と返るもっともな指摘はひとまず棚上げし、脇に抱えていた頭部を被って両腕を広げ、灰茶の毛に覆われた巨大な「熊」になりきってみせる。
「試しに着てみたらぴったりだったんでよ。どうだ、今度の講習会にこいつで出たらウケねえかな?」
「子どもが泣く以前に移動中にハンターに撃たれかねない……」
「まーちょっと本物っぽ過ぎるか」
 エイガ用だしなと認めると、この大陸に存在する熊は最大でも体高三メートル弱だぞ、と今度はもっともなのか持って回ったなのか微妙な感度の追い打ちを受けた。何はともあれ、上官承認は下りずということらしい。もともとは着ぐるみ姿で警備室へ参上したのちの提案を目論んでもいたのだが、この反応では確実に説教と相成ったに違いなく、先に発見されてむしろ穏便に事が済んだと言える。
 再び外した頭部を本物の棚の上に置き、首から下は熊に扮したまま、まだ渋面の崩れない相棒へこちらから話の歩を寄せる。
「で、何か取りに来たのか? 手は空いてるし荷運びならするぜ」
 お互いに小憩の間であったが、多忙な保安部長が規定時間通りに休みを消化しているとは常ながら考えられず(実際ここへ来る前に警備室を覗いた時には、今以上に険しい顔のまま怒涛の勢いでキーパッドを叩いていた)、何か目的があって倉庫までやって来たのだろう。
 ようやくの「本題」であろう問いかけに、しかし今度は即答がなく、代わりに視線だけをじっと送られ、インフェルノは首を傾げた。実はこの姿が意外に評価されたのか、などと考えている間に、アラートがなおも無言のまま足踏み出し、こちらへつかつかと歩み寄ってくる。その後ろで自動扉が閉まるのと、ぽふ、と眼下に薄く埃が立ったのとはほぼ同時だった。
「アラート?」
 一瞬慌てたが、大型機の身幅に合わせて自ら広げた腕を見るに、気を失して倒れ込んできたわけではないらしい。腹部に埋まった赤色の頭部を見下ろし、もう一度問う。
「なんかトラブったか?」
「ちょうど処理が完了したところだ……」
「そうか」
 お疲れさん、と頭を撫でると、排気が長く尾を引いて地面へ落ちた。相応に深いが重苦しい音ではなく、事は紛糾まで至らず終わったようだ。毛皮に覆われた奇態の手の感触をどう受け取っているのか、呆れより疲れで渋くなっていたらしい顔はそのまま腹から起き上がってこない。
 そうして、
「……見た目より角張っている」
 ぽつり、そんなことを言う。
「そりゃ、中身は俺だからな」
 思いのほか精巧に造られてはいるが、あくまで地球製の着ぐるみ、正確には展示用の張りぼてである。いくら全身包んでいても、合金の硬さを完全に隠そうと思えばこの倍は毛の厚みが必要だろう。
 などといった当たり前の事象に当たり前の事実で答えたやり取りで、遂に状況の滑稽さが説教の線より先におかしみの線を越えたと見え、そうだなと頷いてのち、アラートは肩揺らして笑い出した。いまだ毛皮に埋もれた口からくぐもった声が落ちる。
「熊ってお前……俺が真剣に問題対応してる時にこんなもの着て遊んでお前……無駄にでかいし……角張ってるし……」
「悪い悪い」
 だがこの展開は悪くない、と我ながら軽い謝罪に内心で続ける。日々仕事に追われる相棒の鬱積を散らしてやるのも役目と自負しているが、こちらが問題を笑い飛ばしてうやむやにするよりは、相手の気が晴れての笑いを得るほうが上首尾に決まっている。
 地球での駐留任務開始からこっち、環境の激変に伴って多少は忍耐強くなった自分とは逆に、アラートは溜め込み過ぎない工夫を覚えたらしい。口では何やかやと言いつつ張りぼての熊とたわむれるまま和毛にこげの稀な触感を楽しんでいるようで、すり減った心身を和ませるのに一役買ったなら、わざわざ時間をかけて着込んだ甲斐があったというものだ。
「今度本物のぬいぐるみでも仕入れるか? でかい熊のやつ」
 調子に乗って提案したが、そこは空気に流される上司ではなく、要らんとすぐさま棄却を喰らった。
「置いておく場所もないし、すぐ埃をかぶるだけだ」
「ま、そうかもな」
 こんな滑稽な状況でもさすがに現実的だなと素朴に感心していると、それに、とまたぽつり、声が続いた。
「中身はただの綿だろ」
 当たり前の事実が含むところを瞬時には咀嚼しかねて、まじまじと相手を見下ろす。隠れた表情はうかがえなかったが、肩はもう揺れてはおらず、笑いを誘うための冗談ではない、むしろそれなりの真剣さをもって発された言葉であることは伝わった。
 前言撤回、多少は夢心地であるのかもしれない。あれだけ休みなく働いていれば無理からぬことだろう。現実をひととき逃れて息抜きに励んでも、咎める者など誰一人としていないはずだ。
 悪くない、と頷き、返事の代わりに小さな背へ腕を回して、一段深く懐に機体を抱き込む。もはや金属の感触がほとんどそのまま伝わっているに違いないが、おそらく着ぐるみのやわらかさを気に入ったのは確かだろうとは言え、本題にはむしろ近付いている。このまま「中身」として時間いっぱいたわむれていたとして、少なくともそれこそを探しにやって来た恋人から咎められる憂いはないだろう。


fin.

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