アンダーザブランケット



 墜落した宇宙船アークを核に築いたサイバトロン基地の周辺は、大部分が岩場と荒地、そして砂漠という地勢である。人の住む街からはるか彼方、というわけでもない土地とは言え、その気候は景色通りに少々荒涼としており、雨少なく、砂塵の舞う乾いた日が続くことが多い。昼夜の、また季節ごとの寒暖の差が激しく、真夏の陽の照り付ける時間の気温はヒトの体温を軽々と超え、冬の夜は水のたちまち凍る寒さにもなる。
 身の内に無数の精密機器を有する生命機構上、サイバトロニアンも極端な温度変化には少なからぬ影響を受ける。機器の深刻なダメージにつながりやすい高温は言うに及ばず、結露や油圧の調整不良をもたらす低温も警戒の対象である。が、無論のこと、そうした自明の弱点とも言うべき特性には、研究を重ねた上で厳重に対処がなされており、地球の自然な気候変動程度、生体維持の観点においてはものの数にも入らない現象と理解されている。
 とは言え、暑い寒いの感慨を全く持たないかと言えばさにあらず、時に侮蔑の語として「冷徹な機械」だのと比喩されるトランスフォーマーたちは、むしろ機械の身を持つからこそ常に熱を発しており、機熱、すなわち有機生命体に言う体温は、彼らの思うそれと寸分変わらず、生あることの証にほかならない。だからして、ある程度の熱には安堵を覚えもするし、熱失くしたものに不安や寂寥を感じもする。あとは個々の感性に還元されて、たとえばサイバトロンの勇ましきファイアファイターは、その役目柄もあり、高揚を喚起させもする熱さよりも、身の動きを鈍らせがちな寒さのほうが心持ちの上では不得手だ。
 ――さて、ここまでは聡明な学者仲間たちがことごと語るところのまとめであり、そういうものらしい、とそのまま丸ごとメモリに詰め込んでいる無形の話であるとして、ここからは目下、まさしくこの目で見下ろしているところの現実、今ここの話である。
 夜のパトロールを終えて基地へと帰還したばかりの救助員・インフェルノは、食堂で軽い補給を終えて居室に戻ったのち、明かり落ちた部屋の隅、据え付けの寝台の上に現れている趣深い景色をとっくりと眺め、
「……丸いなァ」
 ほつり、見たままの呟きを場に落とした。
 もう一歩状況を鮮明にしようと試みるならば、眼前の白く丸い塊に、「ロボット在中」とでも伝票を貼ったものだろうか。表面の白い物体は、天然繊維と鳥類の羽から作られた地球人類の寝具、すなわち布団であり、その下にある丸みの正体は、インフェルノの直属上司兼パートナー、すなわちサイバトロンの保安部長どのであった。
 丸い、と今度は声に出さずにしみじみ思い、独り頷く。


 宇宙の時はたゆまず巡り、太陽系第三惑星・地球は北半球に位置するアメリカ合衆国の季節は、今まさに冬のただ中にある。
 朝晩がくりと落ち始めた外気温を鑑みて、無用の破損故障を招かぬよう、機器の調整にいっそう気を配ること、と軍医および補修員から(特に身辺の細かいメンテナンスを怠りがちな前線要員たちへ向けて)注意が発されたのをきっかけに、基地内の空調を全域終日稼働にしたものかどうか、という議論が持ち上がった。資源枯渇した母なるセイバートロン星ほどの倹約は要さないにせよ、デストロン軍との交戦も絶えぬ折、決して潤沢とまでは言えないエネルギー事情である。秋口にしていたように必要時、必要箇所のみの稼働でいいのでは、いやそれは逆に急激な温度変化を生じさせはしまいか、等々、飛び交う意見を腕組みして聴いていたコンボイ司令官は、決を求める視線を受け、ひとつ頷きのあとに言った。
 ――私にいい考えがある。
 場の何人の口元が引きつったかはさておき、語られた案の大枠は夜間の暖房を必要最低限に控え、代わりに各員の居室で人類製の寝具である「布団」を活用してはどうか、というもので、地球文化に好意的な総司令らしい、かついつものあれこれほど突飛ではないアイデアだった。早速検証がなされた結果、なんの変哲もない布一枚にもなかなか馬鹿にできない保温性能があることが確認されたため、正真正銘の「いい考え」として採用されることと相成った。
 誕生以来、金属と電気信号で編まれる機械文明を発達させてきたサイバトロニアンには、布はもとより、何か軟質の物体を体にかけて寝るという習慣がない。今回の発案も、すぐに受け入れる者半分、違和感を覚えて首ひねる者半分、という様子だった。インフェルノはさほど抵抗も感ぜず説明を聞いたが、やはりと言うべきか、アラートは慎重な態度を前面にしていた。管理の方法から始まり、寝ているあいだに繊維のくずや羽毛が機体内部に入って支障は生じないか、火災につながる恐れはないか……云々、細かな疑点を挙げては対策を確認する姿に、やれまたか、と肩をすくめる者もいるにはいたが、当人の性格上という点もあれど、そうして仲間のため組織のため徹底的にリスクを顕在化させ排除することこそが、サイバトロンの〝警鐘〟たるアラートの責務なのだから、司令部も心得てその意見を聞き、協議を経て懸念も全てクリアーとなったようだ。
 最後に残った、サイバトロニアン大の布団をいかに用意するか、という問題も各国政府の好意によって乗り越え、かくて冬本番を前に、新たな暖房器具が各部屋へ配備されるに至ったのが、おおよそ二十日前のことである。
 組織全体の方針として納得はしたものの、馴染みのない寝具の存在に当日まで(表出としてはひと言ふた言を相棒にこぼしたのみではあるが)難色を示していたアラートは、しかし結果的には、彼としてはおそらく異例の早さでその環境変化への態度をやわらげた。どころか、実物に対する初めの印象を「わずらわしくはないがやや邪魔っけ」と捉えたインフェルノなどよりよほど柔軟だった――否。
 身近に過ごす者としての見解をはっきり言えば、一昼夜のうちに「布団」の話題を口にのぼらせなくなったアラート主任は、この布と羽毛でできた地球製の寝具が、どうやらいたくお気に召したらしいのだった。

 そうした過程を経て、今夜も寝台には見事なまでの白い小山ができあがっている。
 身に幅と厚みのあるロボットの寝姿というのはもともと人類のそれより山じみているものだが、今のアラートの場合、手足を折り縮め、横に膝を抱えるような姿勢を取っているものだから、それなりに厚みのある布団をかぶると余計に丸みを帯びて、かつて訪れた東の島国の「マンジュウ」だか「ダイフク」だかという名の菓子じみて見える。胸部の突出しない比較的小柄な機体だからこそ取れる体勢だが、それでもどこかをこのために変形させているのではなかろうか、と思わせるような姿を見るたび、自分の機体では到底不可能な姿勢であることも手伝って、妙な感心を覚えてしまうインフェルノだった。
 スパイクの持っていた地球の生物の図鑑に、こういう格好で寝ているのがいた気がする。確かネズミとか。などと当人が聞けば拳を上げて怒るだろうことを考えつつ、さて、と再び現実、今度は己の現況に気を戻す。
 今日の任務は無事終了、報告書を提出し、補給も行った。余暇を過ごすような時刻でもないので、あとは明日に備えて休眠を取るだけといったところだ。それを理解しながらまっすぐ自室に戻らず、今は上官のマンジュウ姿を見下ろしているわけだが、ほんの少しの寄り道程度は構わないだろう。顔が見たかったし、できるならおやすみの声を交わしたかった。彼は唯一無二の相棒であり、そして恋人であるのだから、そのぐらいの望みは当然のものであるはずだ。戸にロックがかかっていなかった時点で許されていると判断し、隣の部屋に足を踏み入れた。
 まあ結果的には、顔は布団の隙間の寝顔を覗いて終わり、挨拶は叶わなかったが、そもそも先に寝てくれていいと伝えていたのは自分なので致し方ない。また明日話そう、ときびすを返す。
 と。
「――インフェルノ」
 囁きに近い声に呼ばれ、すぐ寝台に向き戻った。白の小山が少し崩れ、ぼんやりとした光を宿すアイセンサーがこちらを見上げている。
「悪い、起こしちまったか」
「いや……足音で起きていた」
 でもお前が黙っているから、と半覚醒の声で言う。何も言わずに寝台の前に立っているかと思えば、妙な呟きひとつ落としてそのまま去って行こうとしたので、自分から呼びかけてきたのだろう。まさか丸さに見入っていたとも言えず、曖昧に笑ってごまかした。
「お帰り、インフェルノ」
「おう。ただいまアラート」
 ごそりと布団を抜け出て差し上げられた手を腰かがめて取り、頬に当てる。
「あれから何もなかったか?」
「ああ。異常なし。オールグリーンだぜ」
「報告書は」
「さっき出してきた」
「そうか」
 俺も明日確認する、と続けられる言葉は自分で気付いているのかいないのか全てあやふやで、常の上官仕様にまで持ち上がりきらずにいたが、インフェルノは特に指摘もせず、手を取ったままどこか愉快な心地でそれに答えた。指先に口付けるとくすぐったげに笑いが漏れ、別段咎めてもこないので、どうやら今日の仕事は閉店済みの判断らしい。
 にしても機嫌が良さそうだな、と手を戻してやりながら改めて顔を見下ろし、センサーに灯る青い光の胡乱な揺らぎが、寝起きからくるものではないらしいことに気付いた。
「なんだアラート、酒でも呑んだのか?」
 酩酊と言うほど深くはないようだが、その表情には眠気のほかに確かに酔いがある。最後の通信の時にはごく普通の様子だったがと思い返しつつ訊ねると、一杯だけ、と返事があった。
「お前から帰還時刻の連絡が来たあと……ランボルとサンストリーカーに、勧められて」
 続く言葉をみなまで聞く前に、登場した名前からおおよそのいきさつは察せられた。あの双子め、と日頃何かと絡んでくる赤と黄のカウンタックたちの顔をブレインに浮かべ、ゆるく排気する。
 今夜は当初、夕餉の頃合をやや過ぎる時刻に帰還する予定だった。自分も少し遅く食堂へ向かうから、そこでついでに報告を聞く、とアラートが言ってくれたので、久しぶりに並んでゆっくり話ができると思っていたのだ。が、帰途につく直前、細い道で渋滞につかまり、さらに大型車両の抜けられない工事区域を延々と迂回させられることとなってしまったため、仕方なく到着が遅くなる旨の報告を入れた。アラートは緊急車両の通行を妨げる工事計画に不満を漏らしつつ、詳細は明朝聞くので今夜は無闇に急がず帰還するように、と冷静に指示を唱えたが、その声がわずかに心惜しげに聞こえたのは自分の願望ばかりが原因ではないだろう。
 アラートは先に上がった食堂で通信を受けていたらしく、気落ちした心を少し持ち上げてくれたその声を、自分以外にちゃっかりと聞いていた者がどうやらもう一人、いやもう二人、いたらしい。

『よぉアラート、インフェルノのやつ帰ってこないのか?』
『うわ、な、なんだ、聞いてたのか』
『気の利かないやつだなぁ。お前がせっかくこうして待ってやってるのに』
『仕方ないだろう。今回は私もルート上の急の工事に気付かなかったし、本来なら事前に』
『まぁまぁアラート、仕事の話はいいから兄ちゃんたちと呑もうぜ』
『でも』
『先に寝てくれって言ってたんだろ?』
『うん』
『時間が空いてすることないんだろ?』
『うん……』
『なら、一杯ぐらいいいじゃないか』
『そうそう。ほら』
『……じゃあ、一杯だけ』

 とかなんとか、一語一句正解とまでは行かずとも、だいたいこれと似たような会話があったに違いない。なんだかんだと不平を言いつつアラートは賑やかな同型機たちを突き放しづらいところがあるようだし、双子は双子で真面目な末弟を日々からかいながらも親しんでいる。そのちぐはぐなやり取りのあとに割を食うのは大抵インフェルノで、決して疎まれているわけではないが、彼らにとっての自分は、可愛い弟分を横からさらって行った生意気な若造(だから一緒に茶化してやるべき相手)という扱いであるらしい。
 明日あたりまた何か言われるのだろうなと視線を遠く投げていると、どうしたインフェルノ、と下から疑問調子に呼びかけられた。声はやはり少々不安定で、これは確実に「一杯だけ」ではない。
「お前の警戒センサー、あの二人にも働かせたほうがいいと思うぜ」
 忠告に小首を傾げられて苦笑を漏らしつつ、その幼げな仕草に胸の奥がちりりとうずくのをも感じる。衝動に膝を折りかけたインフェルノだったが、その瞬間、ごく近くから高い電子音が響き、少しく慌てて身を止めた。見回せば、なんのことはない、自分で手にしているのを半ば忘れていた端末の電力低下警告だ。放っておいてもいいが、強制シャットダウンで何か保存し忘れたデータが飛んでしまってはやり切れない(そして往々にして自分は保存を忘れている)。
「悪い。いったん部屋に戻る」
 せっかく話を交わせたのだからそのまま寝てしまうのも惜しく、おやすみを告げる代わりにそう言った。意図を理解しているのかいないのか、アラートはああと頷き、布団の下でもぞりと身じろぐ。一度出した腕も再び納めてしまい、どうやらマンジュウモードをやめる気はないらしい。
「妬けちまうね、まったく」
 部屋を抜けぎわ冗談めかして投げた言葉にも、センサー光の不思議げな瞬きが返っただけだった。

 部屋に戻ると言っても、アラートの私室からインフェルノの私室まではものの数歩である。廊下から入ると物置程度の少しのスペースがあって、またすぐに二枚の戸がある。その一方がインフェルノの、もう一方がアラートの部屋なのだ。前回の基地内整備の結果で、こうした造りで宛てがわれている居室はほかにもいくつかある。使い方はそれぞれだろうが、自分たちについて言えば、廊下からの戸は常にロックし、中の戸は開けていることが多いので、事実上相部屋のようなものだ。互いのプライベートを踏み荒らすほどの出入りまではしないが、呼べば気兼ねなく行き来できる近さにあれるのは純粋に嬉しい。
 明かりを点けて机の充電台に端末を載せ、なにともなく部屋を見渡したインフェルノは、そこでふと景色の違和感に気付いた。いつもと同じ部屋だが、何かが欠けているように思う。しかしじっくり検分するほど物も多くないのだが――と巡らせる視線が引っかかりを感じて止まったのは、隅の寝台の上だった。当然、こちらに白い小山はない。
「……ん?」
 小山はない。そもそも物がないから作られようがない。そう、欠けているのは布団だ。少し前まではこの場になかった物だから、すぐにわからなかった。
 前回部屋を出た時には確かにあったはずで、洗浄に出した記憶もない。首をひねりながら、かすかな予測とともにきびすを返し、隣室へ向かう。明かりの落ちた部屋でアラートはいまだ小山になっている。その丸みの見事さたるや、以前に自分が贈った地球生物のぬいぐるみの姿にひけを取らない。もこもことした白い毛皮に覆われたぬいぐるみは今も枕元にあって、大切にしてくれているらしいのは嬉しくも、寝る間際にその鼻先へちょんと口付けをくれてやっているのを目撃して以来、密かにライバルの認識である。
「丸いなァ……」
 呟きつつ、そっと手を伸べて布団をめくった。背を丸め膝を腹へ折り縮めた機体の腕から、抱えきれないもう一枚の白がはみ出している。数に限りのある寝具は、本来それぞれに一枚ずつしか支給されていない。
「人のいないあいだに何してんですか、主任」
 どうりでいつもより丸いわけだ、と笑いを噛みながら言うと、淡い光がこちらを見上げ、やっと気付いたかとでも言いたげに唇が弧を描いて笑んだ。今度はためらわず床へ膝ついて上体を折り、上がった頬に軽いキスを落としてやる。アラートは上機嫌の顔のままそれを受けた。
「ん……お前の布団、焦げくさいぞ」 
 また洗浄をさぼって寝ただろう、と言いながらそれを抱いて頬をすり寄せるのだから、怒る気にもならない。
「その焦げくさいのを持ってっちまったのは誰だよ。ンなに寒かったのか」
 確かに、強い寒波がどうとかで、今日は朝からとみに冷え込んでいた。平野の街のほうでも雪が舞っていたぐらいだから、このあたりの気温は推して知るべしだ。
「それとも、俺がいなくて寂しかった?」
 からかい調子に訊く。様子を見るにいずれも遠からぬ理由ではあるだろうが、さすがに照れて怒るだろうかと一度身を起こして待った。少しの間のあと、小さな返答。
「……それも、あるけど」
 はて前後どちらが肯定されたのだろう、と考える前に声が続き、
「これがなかったら、お前が訊きにくるかもしれないと思って……取ってきた」
 ――でも、先にこっちに来たんだな。
 そう言って、ふふ、と嬉しげに笑ってみせるので、些細な言葉の判断などはすぐにどうでも良くなってしまった。
「ああもう、お前は」
 普段が堅い相手のたまの可愛げほど胸に響くものはない。そんなことを言いつつ普段だって可愛いのだろう、と例の双子に冷やかされそうだが、その判断も今は些事だ。この場はとにかく白旗である。酔い心地の恋人の笑みと己の衝動に全面降伏を宣言して、インフェルノは眼前の白い小山を丸ごと腕に抱え込んだ。
「うわっ」
 不意の動きに声を上げたアラートの体を横向きにしっかりと抱き支え、胸の前に持ち上げつつ膝を立て起こす。自分の布団に背からくるみ込まれ、胸にインフェルノの布団を抱えた姿はなかなか滑稽だったが、腕の中からきょとんと見上げてくる顔はやはり愛らしかった。
「布団、返してもらうぜ」
 離してくれないんならとりあえずお前ごとな、と笑って告げつつ、戸口に向かって歩き出す。
「それと、次から俺の寝床で待っててくれよ。お前のほうのじゃ狭いから」
 続けて言えば、揺れでようやく酔いが覚めてきたのか、見下ろす頬にさっと朱が差したが、それと同時に腕が布団を取り落とすまいと抱え直すのも見えたので、もはや一片の躊躇もなく足の送りを速めた。



「インフェルノ……、ん、ぅ……」
 寝台に腰かけた脚の上にアラートの体を向き合う体勢で乗せ、口付けを交わす。浅く深く重ねる唇の間に熱い呼気が絡まり、冷えた空気を白く濁らせては消えていく。
 ここ最近、互いの仕事にすれ違いが多く、話をするどころか任務時以外はまともに顔も合わせない日が続いていた。並び立つだけの時間さえ取れず、今夜は本当に久しぶりの機会だったのだ。食堂で話す予定は不運にも潰れてしまったが、今こうして抱き合えているのだから、しつこく愚痴を続けるつもりはない。
 咥内オイルの立てる水音の合間に、アラートの声が苦しげに揺れる。性急になってしまっている自覚はあったが、止められなかった。吸気の隙を与える間にも唇と舌を顎の線へ、首へと滑らせ、ケーブルの間の喉に吸い付く。腕の中の小さな体がびくりと跳ねて細い声で名を呼ばわり、そのたび胸の奥が熱くうずいて、いっそう気をはやらせる。
 双子の兄弟機を筆頭に、時折アラートはインフェルノの名を呼ぶ回数を周りにからかわれることがある。確かに多少は癖じみているところもあるのだろうが、役職上に限って言っても最も近しいパートナーなのだから、当然と言えば当然のことだ。自分だって日頃アラートの名を一番口にしているはずである。
 アラートのそれが目立つのは、インフェルノほど広く他者と交わらない性質のためだ。警戒心が強く打ち解けるまで時間がかかるし、細かく堅苦しい物言いの生む第一印象は決して良いものとは言えない。かく言う自分も初めは苦手なタイプの相手だと感じ、親しくなって長所や美点を知ってからは、付き合いの狭さをもったいないとも思ったものだ。無理に社交の場に引っ張っていって周りと親しませようとしたこともある。
 しかし、さらに心深く踏み入り、彼の苦悩に触れてのちは、その行いを振り返り、青い顔をしていた相棒の姿を思い返して恥じた。それこそランボルたちにぐうの音も返せない、見識の狭い若造だったということだ。サイバトロンひとつ取っても、アラートとそう変わらないほど気難しい者もいれば、インフェルノに輪をかけて社交的な者もいる。それぞれにそれぞれの歩む速さがあり、心地良いと感じる距離があるのだ。その変化は自ら望み努力して成すもので、他から強制されるべきものではない。
 以来、その手の問題に関してはなるべくアラート自身が助けを求めてきた時だけ乗り出すように努めているが、随分と角が取れたという評も聞くので、良い変化が現れてきているようだ。自分が好きになったものを、他者が偏見排して認めてくれるのは喜ばしい。
 そう、喜ばしいのだが――
「あっ、あ……」
「アラート、呼んでくれ」
 頭部の聴音センサーに口付け、直接囁き入れつつ、機体の間にもぐらせた手で脚の付け根のハッチを探る。パネルをずらして引き出したコネクトプラグは既に透明な油液をにじませており、握り込むとか細い悲鳴が上がった。
「ひぁッ、ぅ」
「アラート」
「イン、あっ……、インフェルノ、ぉ」
 ねだるように呼び、呼ばせる。甘くこぼれるあえぎを呑み込むごとく深く口付けて、舌を絡ませる。
 数度コネクタを扱いてやり、もどかしげに腰が揺れたのを密着する下腿から感じて、さらに下のハッチの壁を指の背で叩く。胸にすがってくる指が怯えるように跳ね動いた一瞬の間のあと、かちりとロックを解除する音が聞こえた。そうしてすぐに暴いた口から冷気が入ったのか、抱き込む体がかすかに震えを立てる。
「寒いか?」
「平気、だ……」
 問いには首を振られるが、触れ合わない部位の装甲はだいぶ冷えてしまっているだろう。横から布団を取り上げ、背にかけて包んでやる。本当は全て自分の熱であたためてやりたいがそうも行かないなと考え、残念を覚えるその思考に苦笑が漏れた。まだ生きた他者ならばともかく、布団だの、ぬいぐるみだの、並べるだに馬鹿馬鹿しいものへの悋気だ。
 その使命どおり、普段の生活にも厳重に警戒線を引くアラートは、しかし「自分とその周囲」に限っては妙に両極端と言うのか、気を許すとその堅牢な壁を一息に取り去ってしまうようなところがある。まあ「気を許す」までの道が非常に長く険しいのだが、今現在、最もその心身の近くにいると自負するインフェルノは、かつてでは想像もできなかったアラートの素顔にいまだ驚かされ続けている。
 不信を寄せていた物を気に入って一晩で意見を撤回したり、貰ったぬいぐるみにキスをしたり、丸く縮こまって寝たり、人の布団を勝手に取っていってしまったり、そんな言動を仲間たちに言って聞かせたら、いったい何人がまさかと笑わずに信じるだろう。
「インフェルノ、インフェルノ……早、く」
「ああ、待ってな。すぐ滅茶苦茶にしてやる」
「んぁ、あっ……!」
 こうして他者の腕にしどけなく身を預け、快感に震える姿を。どうしようもなく慾を煽るその甘く蕩けた表情を、すがるように呼ぶ声を、誰が保安部長アラートの名とともに思い浮かべることができるというのだろう。
 自分しか知らない、と思うし、自分だけが知っていればいい、とも思う。ランボルやサンストリーカーと結ぶ兄弟機ならではの親しさには羨みを覚えないではないが、彼らにも踏み入れない領域が自分たちにはある。
 広く交わりを持たないからこその、近しい者にだけ寄せられる依存や執着にも似たアラートの情は、鏡合わせのようにインフェルノの独占欲を強める。馬鹿馬鹿しくも愚かしくもあろうが、これはスパークの奥底から生まれた、燃え滾つ正真の恋慕だ。

 心の急くまま少々おざなりに受容器を指で慣らし、腰を抱え上げて、取り出した己のコネクタを入り口にあてがう。いいか、と訊ねたうわずり声に頷きが返ったのを確かめ、ゆっくりと腰を引き下ろさせた。
「や、あぁ、んっ……」
 樹脂コートに覆われた外郭を過ぎ、奥へと欲を呑ませるごとに、アラートの口から苦しげに気を詰めた、しかし甘さのにじむ声が漏れる。機体の大幅な規格差による負担はあれど、相性自体は悪くないのではないかと思う。過去にそうした意のことを口にした際、何か羞恥の琴線を引っかけたらしく顔を真っ赤にしたアラートから蹴りを頂戴したので、今はことさら主張はしないが、狭い内部と行き交うパルスはブレインを揺さぶる愉楽を与えてくれるし、アラートも偽りなく快感を示している。
 根本まで埋め込んで一度身を止め、熱い呼気を融け合わせてから、初めは小刻みに、徐々に激しく、手に抱く腰を揺さぶり立てる。
「あっ、あ、インフェルノ、やっ、深、ぁ……っ」
「は……っ、イイ、か? アラート」
「んぅ、んんっ……気持ち、いいっ……」
 素直な答えに俺も、と返し、保護オイルがぐちゅぐちゅと泡立つほどに中を突き上げかき混ぜる。快の信号が止めどなく流れ、互いの愉悦と激情を分け合って全身に渡っていくのを感じながら、間接部がきしみ装甲が擦れるのも構わず身を寄せ、上から覆い被さるようにして唇を重ねる。アラートは深い交合に必死に応え、あえかな声で幾度もインフェルノの名を呼んだ。
「好き、好きだ……っ、インフェルノぉ」
「ん……俺も、好きだ。可愛いぜ、アラート……」
「ふぁ、あぁぁっ、も……奥、だめ、だっ……」
 内部が受容限界に押し上げられて蠕動すると同時に、眼下に警戒センサーの青い光が弾ける。こうして身を重ねるようになった初めの頃はともかく、今はほとんど見られなくなっていた反応だが、酔いで制御がゆるくなっているのだろうか。アラートの機体にしてみれば体内に異物が侵入して統制下にない信号をまき散らしているのだから、警報を発するのも自然な話だ。本人は気付かずインフェルノの胸にしがみ付いたままで、そのどちらに応えるかと言えばもちろん決まっている。
「あっ、ひぁ……っ、あああぁぁっ……!」
「っく……」
 最奥を突き上げ、ひときわ強いパルスを送る。艶声を上げてがくんと後ろへ仰け反ったアラートがコネクタから白濁したオイルをこぼし、自分も絡みつくレセプタ内部へ欲を放った。
 二対の青が瞬電し、すぐに一対が光を戻す。ふらりと持ち上がった視線に笑みを向ければ、ゆるやかな変化で同じ表情が返され、ああこの顔が一番周りに見せてやりたくて、一番見せてやりたくないものかもしれない、と尊大なことを思った。
「しんどいか?」
「少し……」
「久しぶりだったしな」
 休もうぜ、と言って返事を聞く前に身を後ろへ倒す。拍子に接続部が引き抜かれて二重の衝撃に声上げたアラートを胸に乗せる格好で、寝台に背を伸ばした。
「馬鹿、いきなり……っ」
「すまんすまん」
 軽く謝しつつずり落ちた布団を引き上げ、またその背にかけてやる。ふわりとした感触に包まれると、アラートは反射のように表情をやわらげ、自分の手でその端をさらに上へと引いた。五感をせばめる布をほとんど頭からかぶり、とろりとした顔でインフェルノを見ている。
「……悪くねぇな、布団」
「ああ」
 頷くアラートだが、こちらが発した言葉の本当の意は汲み取れていないだろう。ほかに何も見えない、まるでこの腕に閉じ込めてしまえているようだなどと。
 外から眺めると、今の自分たちはまたでこぼことした白い山のように見えているだろうか。さすがに人の胸の上ではアラートも丸くはならず、ぺたりとうつ伏せの姿勢である(互いに隆起少ない胸部の機体で良かったと思うのはこんな時だ)。手を伸ばして頬を撫でれば心地よさげにアイセンサーの光を揺らし、口元をほころばせる。
 地球の小さな動物たちは、身を守るために手足を縮め背を丸めるのだという。図鑑の中に見た奇妙な生物のあるものは、そうして丸めた身を硬い鎧で覆い、あるものは鋭い棘を生やしていた。布団に身を包んだアラートの寝姿を初めに目にした夜、インフェルノはおかしさやほほ笑ましさとともに、かすかな憂いをも胸に感じた。周囲を遮して安堵を得る彼の棘だらけの防壁の下に、せめて自分だけでも受け入れて、いつもその身を抱きしめられるよう、隣に並び立たせていてくれればいい。

 現状は布団の下で警戒レベルをゼロにしている上官どのは、まだ完全には覚め切らない酔いに伴う機嫌の良さが続いているらしく、インフェルノのフロントガラスに唇を寄せては、呼気に曇りが広がりまた消える様を見て遊んだりなどしている。こんな子どもじみた姿も誰に語ったところで信じられやしないだろう。そもそも当人が隠したがるだろうし、アラートには是非知られるべき長所や美点がほかにあるのだ。たまに覗かせる愛くるしさなど、限られた者だけ、できるならやはり自分だけが、この腕の中に見知っていればいいというものだ。
 布団の間に持ち上げた手で腰を抱き、指先でくすぐるように撫でれば、あ、と幼い者のそれではない、艶めく声が眼前の小さな口から漏れ落ちる。背をもぞつかせながらも抗いは示さない様子を見つつ、明日の予定をメモリの表層に呼び出す。朝一番から昼までの時間に設定されたスケジュールはアラートの入れたもので、『レスキューチーム定例ミーティング』とある。ただし、注として『プロテクトボット部隊は別件のため不参加』と追記されており、要するに保安部長とその直属の部下計二名のみの雑多な打ち合わせということだ。インフェルノはスケジュールに編集をかけて会議スペースの予約を開放し、こちらをそっと覗き上げている恋人に呼びかけた。
「なあ、もう一回シようぜ。アラート」
「え、あっ……」
 返る声が言葉になるより早く、ぐいと身を引き上げて頭を抱き寄せ、口付ける。すぐに差し入れ絡めた舌の熱さは一回きりでは到底冷めないことを予感させたが、ためらうことなく明朝の予定に上官からの説教を追加し、それで対応完了とした。久方ぶりの二人きりの仕事だ。腰をさすり肩をいからせながらも彼は結局許しを与えてくれるだろうから、布団の下でのミーティングというのも、たまには悪くないだろう。


fin.

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