※玩具「New Year Special版アラート」(http://www.e-hobbymagazine.com/museum/1645.html)に基づく捏造要素含む戦後のお話。
 ※拡大解釈満載&夢心地物件&モブ視点(無個性型)につきご注意下さい。

 
彼方



 存外に親しみやすいかもしれない、というのが彼の第一印象だった。なぜ初手からそうした回りくどい形容をするに至ったかと言えば、事前にインプットされた種々の情報が、いささか、いや、だいぶん、ネガティブな性格を有するものに偏っていたためだった。気難しい、という言葉が最も良く聞かれた。口うるさいという評もあれば、冷徹だという評もあった。辺境出で風説にうとく、格別に噂の収集に勤しんでいたわけでもない自分でさえがそうだったのだから、その場にいた訓練生のほとんどが同じ気構えを持ち、ずばり言ってしまえば、同じ嫌気けんきをも感じていたはずだ。わずかな期間の関係とは言え、担当教導官ともなれば直属の部隊長にも等しい存在である。身近に指導を請う相手が少しでも好ましい人となりであれかしと思うのは、贅沢ながら必然の望みでもあるだろう。
 壇上に立ち、まだ有象無象でしかない保安部候補生の群れ(無論そこには私自身も含まれていた)を端から端まで一渡り眺め見てから、彼はゆっくりと口を開いた。音強くはないが、集団への聴かせ方を知る声だった。
「本日より諸君の指導を担当する、保安教導官レッドアラートだ。ごく限られた時間の付き合いになるが、宜しく頼む」
 特段に威圧的ではなく、その裏返しに、ことさら威厳があるとも言いがたい佇まいだった。型通りの話になるが、と置いてから、「レッドアラート教導官」は保安救助職を志す者の心得と、今後の修学と訓練にあたっての注意を淡々と述べていった。記述であれ口述であれ、確かにはや幾度目かという話ではあったが、志望の途への記念すべき一歩を踏み出した我々は、それなりの真剣さで担当教官の言葉を聴いた。
 そうして、話があと数言で終わりに差しかかろうかという時だった。彼は不意に一度言葉を区切り、こんな台詞を口にした。
「最後列の者、緊急の内容でなければ受信通知は後で確認するように」
 後方で軽いどよめきが起きた。私は前から二番目の列にいたためにその時は詳しい状況がわからなかったが、後で聞いたところによると、指摘の通り、最後列にいた候補生の端末が何かのメッセージを受信し、それを持ち主が確認しかけたらしい。通知にしろ当人の動作にしろ、人の声よりはるかに小さな音を発したに過ぎなかったという。
 皆の注目が全て前へ戻り切るまでを待たず、彼は一瞬前の発言を忘れたかのごとき調子でごく自然に言葉を続け、一連の話を締めた。そうしてひとつ間を置き、少しく語調をゆるめ、次にこう語った。
「諸君の中にはもう聞いている者もいるのだろうし、噂の真偽を気にしている者もいるだろうから、先に教えておく。私の聴音機構は特別製だ。規律違反行為の相談に関しては、同じ施設内にいる時間中は推奨しない。もし聞き咎めた場合は事前の通告なく評定に反映するので心して臨むように。教官陣への陰口も同様だ」
 呆気に取られた者が大半で、先に何か話を聞いていたのか、笑いを漏らす者もいた。だが、と彼は続けた。
「陰口は勧めないが、口を閉ざしている必要もない。私には感情があり、信念がある。諸君も同じく感情を持ち、それぞれの信念を抱いていることだろう。そのために想い異なり理解を成せないことも、指導を受け入れがたく感じることもあるだろう。そんな時に、ただ黙っている必要はない。諸君はみな道半ばにある者だ。聴き、従うだけでなく、大いに語ってほしい。いかに優秀なセンサーでも、声にされない言葉を聞くことは不可能なのだと憶えておいてほしい」
 よどみなく語る声にやはり特別の威はなかったが、変わらず淡然と口にする言葉の端々には、確かな熱量が宿っていた。その時はまだ詳らかではなかった、彼の積んだ経験の重みの一片を感じ、我々は自ずと姿勢を正した。
「もし私に意見があればいつでも言ってくるといい。全て聞こう。もちろん、こちらにも曲げられない考えはあるから、反論は遠慮なくする。私に限らず教官陣はみな口達者だ。めげずに挑んでくれることを期待する」
 以上だ、と結んだ唇は、わずかに弧を描いていた。その微笑の気配こそ、冒頭の印象に至る最後のひと押しであった。

 かくて始まった訓練生としての日々の中、彼が我々にとっての「噂の教官」から「親愛なる教師」へ、印象と実像ともに転ずるまで、さほどの時間は要さなかった。
 確かに、彼は感情的であるよりは理屈や理論を尊ぶ性格で、規律の遵守を多弁に唱え、違反者が出れば厳しく叱責した。だがそれは教導官として当然の姿勢と言え、我々に求めるものの理由をそのごと丁寧に述べることも怠らなかったので、過剰にうるさいとは感じられなかった。表情や表現が色豊かでない部分も、普通の範疇かやや控えめ、といった程度で、「冷徹」の語が当てはまるほど冷えびえとした気質ではなかった。むしろ、時たまに見せる大きな喜色や動揺を求めようと、幾人かの調子者たちがあれこれと仕掛けるのを誘う点で、それは彼との親しみを深めるのに一役買っていた態度とも言える。
 演習の合間に他愛ない雑談を交わすことにも馴染んだ頃、ある訓練生の行動を彼が軽い冗談交じりにやり込め、場に起きた笑いの流れそのままに、別の生徒がこう口にした。
「ねぇ、誰があなたを冷たいとか気難しいなんてデタラメ言ったんです?」
 ほかにも色々聞きましたよ、と言うのに、我々も一斉に頷いた。彼は特に熟慮の様子も見せず、すぐに答えた。
「まあ、みんな言っていたな。実際にそうだったから」
 まさか、とさざめきが広がるのに、これもまたあっさりとした様子で首を振ってみせる。
「初めのうちに根付いてしまった評価はなかなか消えないってことだ。特に悪評は」
 お前たちも将来あれこれと言われたくなかったら、今から節度を持った行動を心がけることだぞ、とその場は忠言で締められ、すぐ次の講習の時間を迎えたこともあり、多くは語られなかった。我々は半信半疑の心地のままであったものの、それが今現在の師を慕う障害となるわけでもなく、些細な問題として処理された。
 彼は教導官としてはまだ熟練とは言えず、ともすると新参の域にあったが(それが種々の「噂」の流布に貢献していたことは言うまでもない)、保安員としては充分以上の実績を積んでいた。情報通の生徒たちによって次第に明らかにされたところによれば、彼はかつて軍の保安部隊長を務め、かの太陽系第三惑星への初の探察遠征にも参加していたという。やがて勃発した例の大戦役から生還して以後、一線を退いて教導官に就任し、それからは保安部候補生の育成と、後方での救助任務に専念しているらしい。
 若輩の訓練生にその非凡な経歴は輝かしく映り、我々は折に触れて経験談をせがんだ。彼は我がことについてはあまり饒舌でなかったものの、その日の演習内容に合わせるなどして、訓示代わりにと短い話をぽつぽつと語った。つまらない問いにも大抵は答えてくれたが、初めのうちにきっぱり首を振られてしまった題目もあった。
「ぜひ、教官が参加して生き抜かれた、あの大戦争の話を何かお聞かせください」
 それは、満を持して投げかけられた、訓練生全員の期待を代弁する問いと言ってよかった。我々は皆、音に聞く大戦へ思いを馳せ、参じた兵たちに対してそれぞれに憧憬を抱き、自らもいつか英雄たらんと願う、意気盛んで思慮の浅い、実に若者らしい若者であった。
 一心に見つめる教え子たちをぐるりと眺め返し、手元に視線を落としてから、彼はゆっくりと口を開いた。
「すまないが、それに関しては公のデータバンクにある以上のことを語ることができない。私はあの戦争を生き抜いたのではなくただ運良く生き残ったに過ぎないし、ひどく早くに戦線離脱してしまった。気付けば何もかも終わっていたという次第だから、知識量はお前たちとそう変わらないはずだ」
 一度声を切り、ふと前へ上げた視線は、はるか遠くをまなざしていた。静やかに、言葉が続く。
「あの日と、あの日に至る戦いは、非常に多くのものを犠牲にした。私たちは最後には勝利を得たが、同時に深い哀しみも得た。敵も味方も、幾人もの者が命を散らした。大切な者たちを、幾人も失った。……私も、あの戦いに関してはいまだ整理を付けきれていない」
 悪いが回答保留とさせてくれ、と小さな排気の音とともに落ちた言葉に、食い下がる者はなかった。申し訳ございません、と頭さえ下げた質問者へ、彼は穏やかな苦笑を返した。
 かつて軍の中央部にも籍を置いた彼は、今なお軍属でこそあったが、積極的な戦闘を支持せず、あくまで守戦主義の立場を通していた。時に議論の的にもなったその主張が、語るを善しとしなかったあの戦役での経験から生まれたものであるのか、我々は知らないままだった。しかし、折々その横顔に薄霧のごとく浮かぶ翳りや、演習の途中、ふと何事か思い出したように遠くをまなざす仕草には気付いていた。時に軍部の(一般兵卒などではなく、明らかに役職付きの)兵が彼を訪れ、大抵は訓練生が案内役を務めたが、旧友を迎えた瞬間に浮かんだ笑みが、しばしの歓談を経ての別れののち、逆しまの憂いに変じる瞬間があることには気付いていた。いかに浅慮の若者と言え、それらが全て根を同じくするものであるのだろうと判断するだけの、また、迂闊に立ち入らざるべき域であるのだろうと判断するだけの分別はあった。


      ◇


 私は格別に優秀な生徒というわけではなかったが、ほかの友人たちに度々やっかみの軽口を叩かれる程度には、彼――レッドアラート教官の教えを直接受ける機会に恵まれていた。と言うのも、訓練生となった当初から、正確に言えばそれ以前から既に、私が消防指揮官およびそれに準ずる役職を志していたためである。保安部の花形と言えばやはり現場の最前に立って活動する消防救助員であり、「自ら火の粉を浴びずして何が保安部か」という若造特有の過度な気概も加わって、後方の指揮ないし支援役に関しては、その重要性を認識されながらも、早くから志望する者は珍しいということだった。私はその珍しい一人で、担当となった教官は消防指揮の熟練者であった。そんな偶然を、友人たちが口々にする通りに、私は大いなる幸運だと思った。入隊二日目にして、プロファイルを見た教官のほうから興味の声をかけてきてくれたのだから、名を呼ばれた瞬間の驚きは筆舌に尽くしがたい。
 私が指揮役を志したのは、機体に生来これといった取り柄がなく、前へ出れば屈強な同輩たちに後れを取ることがわかり切っていた、という決して高尚とは言えない理由から始まっていたものでもあったから、思いがけない関心に気後れを覚え、後で失望させるよりはと、数名の志望者を集めた小講習後の雑談中、早々にそれを自白してしまった。教官は危惧した呆れも浮かべず、きっかけより過程のほうがよほど重要だと言って、後方任務の意義を再度述べてから、戸外の空き地で何やらの競技に勤しむ訓練生たちを指差し、お前たちはいつか必ずあの中の何人かと激論をすることになる、と語った。
 後方の保安員と現場の救助員は、志を同じくする仲間でありながら、時に仇敵のような関係に陥ることがある。立つ場が違い、見るものが違うのだから、それはある種致し方ないことだ、と教官は言う。重要なのは、互いの差を認め、理解を寄せ合う努力であると。
「大いに議論することだ。物別れに終わっても、明確な答えに行き着かなくとも、そのたびごとに何かを見出すことができる。ただ黙って溜め込んでいるのが一番の愚策だ。互いのずれが広がるばかりで、そのうちに重大な事態をもたらすこともあり得る。違いを恐れ、全て等しくあろうと悩む必要はない。立つ場が違っても、見えるものが違っても、我々はきっと同じ道を歩いているのだから」
「教官も、議論をされたことがあるのですか?」
 もちろん、と彼は問いに頷き、さらに言葉を続けた。
「こんな訓示を垂れておいてなんだが、私の場合、あまり良い手本であったとは言えないな……。特に若い頃は、議論なんて穏やかなものでは収まらずに、ほとんど諍いのようになることも珍しくなかった。それが原因で二度と顔を合わせなくなった相手も何人もいたし、猛省すべきことばかりだ。まあ、行き過ぎも利口ではないという反面教師と捉えてくれ」
 想像がつかない、と別の訓練生が感想を述べ、周りで口々に同意したのに、あまり買いかぶってくれるなと苦笑いが浮かぶ。
「前にも言ったろう。悪評ばかりだったって」
「でもそれこそ想像できなくて。昔はどんな方だったんですか?」
 我々はここぞとばかりにその問いを支持した。教官は少し迷う素振りを見せたが、おそらく集まっていた生徒の数が少なかった(また、どちらかと言えばおとなしく、噂を喋り散らすこともない部類の者たちだった)ことが後押ししたのだろう、やがて答えの口を開いた。
「昔は、氷みたいに冷たいやつだとか言われていたっけな……。それから色々あって、面倒でうるさいやつだと言われるようになっていた頃もあった。陰口を叩かれるのもしょっちゅうだったし、わんわん泣きわめいて怒鳴り散らしたりもしたさ」
 あまり胸を張れたものじゃない、と決まり悪げに呟かれた言葉を、やはりそのままの事実として受け止めることは難しかった。前の二つに関しては、そうした評価もあるだろうとまだ納得はできた。他者との相性や好みは千差万別であり、他の教官陣と同様にもちろん彼にも、ただ懐く者ばかりではなく、独特の堅さに対する苦手を語る生徒は既にいた。事細かな注意を小言と受け取る者もいた。
 しかし、最後に述べられた点、ことに「泣きわめく」というおよそ静穏でない言葉については、まさしく想像が及ばなかった。彼は決して激情家ではなく、生徒の行いに怒声を放つときであれ、己を失くすほどの興奮は見せなかった。どんな緊急事態にも冷静に相対する知識と経験を持ち、いつも揺らぎの少ない態度を保っていた。と同時に、事あるごとに感涙にむせぶような、特別の情熱家でもなかった。
 疑問の視線を受けながら、教官は言葉を続けた。
「今だから客観的に省みれることだが、いつ誰に愛想を尽かされてもおかしくない振る舞いをしていたんだ。そこに至るまで色々とありはしたが、……結局、私は恵まれていたのだと言うほかない。うるさく面倒な存在を認めてくれる仲間たちがいて、必要としてくれる場があった。何度諍いをくり返しても呆れて去らずに、笑って手を取ってくれる者たちがいた」
 私は幸せ者だった、と静やかに落とした自らの言葉を噛み締めるように、ゆっくりと口が閉じられる。光量の絞られた瞳灯は、周囲の、そして話の途中でふと目線を移した窓下の教え子たちの姿を通して、遠く昔日をまなざしているように見えた。
 沈黙の落ちる中、私は初めて、ごく個人的な質問を彼に投げかけようとしていた。半ば無意識に開いた口から声が転がり出る寸前、場の沈黙を裂く大音声が部屋へ飛び込んできたため、我に返り、言葉を呑むのが間に合った。
「レッドアラート教官! そんな湿っぽいとこにずっといたら機体が錆びついちまいますよ! たまには俺たちと一緒にカラダ動かしませんかー!」
 教官が向けた視線に応えたものらしく、窓の外の訓練生たちが競技を中断し、こちらを見上げて手を振っている。警報と聞きまごうような呼びかけに、急のことで調節が効かなかったのか、教官は少し顔をしかめて頭部のセンサーを押さえていた(何しろガラスがびりびりと震えを立てたほどの音であった)。窓際に座っていた同輩が立ち上がり、怒声を返す。
「うるさい、そんな大声でなくても聞こえてる!」
「おー、お前たちも入れてやってもいいぞー」
 錆びた脚が椅子にくっ付いちまってないんだったらな、などと揶揄を上げ、声合わせて笑うのに、我々もさすがに無反応ではいなかった。
「あれじゃ議論するのも馬鹿馬鹿しいですよ」
「はは、そうだな」
 口尖らせて訴えれば、おかしげに笑いが返る。いつの時代も同じだな、と落とした言葉こそ、まだ過ぎた時間の影をにじませていたが、穏やかな青の灯の見据える先は確かに今ここにあり、私はそのことに奇妙なほどの安堵を覚えた。
「そうだ教官、対抗戦で我々のチームの指揮を執ってください」
「そりゃいいや。後方支援の重要性ってものをあいつらに思い知らせてやりましょうよ」
「私は消防指揮官であってボール競技の指揮者じゃないぞ」
 まあたまにはいいか、と承諾した教官へ口々に歓声を上げながら椅子を立ち上がり、皆で連れ立って外へ降りると、待ち構えていたように同輩たちが寄ってくる。中には違う組の訓練生も混ざっており、教官が「指揮官志望者」のチームに入ることを告げると、我々の組の者たちと一緒になって残念と不平の声を漏らした。不思議なことに、彼は自身と似た性質の生徒よりも、むしろ正反対の気質を持つとも言えるこうした活動的な生徒から、最終的にはより懐かれる傾向があった。
 大柄な救助員志望者たちに取り巻かれている画の妙に似合う、保安部員としてはやや小兵の部類に入る赤と白の機体を離れた場所から見つめながら、私は部屋で口にしかけた自分の言葉を思い返していた。それはあまりにも個人的な、あまりにも不躾な問いであり、考えれば考えるほど、あのまま声になってしまわず良かったと感じられた。にもかかわらず、疑問そのものは消えることなく胸に残り、未練がましく答えを求めてくすぶり立てていた。
 彼は言った。自分は幸せ者だった、と。それを嘘と思って聞いたわけではなかった。しかし、ひたすらに麗しき懐古譚と聞くこともできなかった。話の終わりに私はただひと言、こう問いかけたかった。
 今は、幸せではおられないのですか? ――と。


      ◇


 中庭での交流から十日ほどが過ぎたある夜、演習で使用した機材を戻しに整備室へ向かった私は、明かりの付いた室内に意外な人影を見つけ、あ、と思わず声を漏らして戸口に立ち止まった。椅子に座ったままこちらへ振り返ったレッドアラート教官は、挨拶の言葉に代えて上げ示した手に、補修用の器具を握っていた。
「こんばんは、教官」
 慌てて礼を返してから、部屋の中へ足を進め、抱えていた機材を壁際のキャビネットに戻す。一人で随分な大荷物だな、と教官が後ろで呟きを落とした。
「射撃訓練で一番スコアの低かった者が返しにいくことになりまして……」
「なるほどな」
 頷き、私も射撃はあまり得意じゃない、と言う。
「そうなのですか」
「ああ。部下に指導をされたことがあるくらいだ。なんでも気負って狙い過ぎているんだそうだ」
 こればかりはいくらセンサーが良くてもな、と苦笑して向き戻った台の上には、各種の救難用具が並んでいた。中には演習で実際に使う様子を見た憶えのある物も混ざっており、全て教官の私物であるらしかった。自分の用は済んだがなんとなく去りがたく、私は台のそばへ歩み寄っていった。
「修理をされていたのですか?」
「うん。修理と言うか、点検だな」
 機体内に組み込まれたデバイスのほか、その時々に応じて使い分ける幾種もの救助器具など、保安部の隊員は武器以外の装備を多数所持する例が多く、その使用法はもちろん、管理の作法や応急の補修処置についても、充分に習得すべき技能のひとつであった。教官の装具は見るからに使い込まれ、良く手入れをされていたが、中でもひときわ目立つ品があり、私は台の一番端に置かれたその器具を指差して、なんの気なしに感を述べた。
「随分古いザイルですね」
「ん? ああ、これか」
 頷きとともに取り上げられた合金繊維製の救助用ザイルと、それに附属するいくつかの器具は、造りそのものの古さもさりながら、そこここに見える修補の跡、剥げて変色した塗装、ほつれ磨り減った金属糸と、台に並ぶ他の装備と比して、突出した時代の深さを感じさせた。端的に言えば、いささか奇妙な品であった。教官もそれを自覚しているのだろうか、語る言葉はいつものように淡々としていながら、どこか弁明に似た響きが混じっているようにも聞こえた。
「こうまで持ち続けてしまうと、逆に手離しがたくってな……。直し直し使ってきたんだが、つい先日知り合いの技師にも、さすがに次の修理は保証できないと言われてしまった。まあ、道具というのはいつか壊れるものだからな。仕方がない」
「今日までさぞ多くの命を救ってきたのでしょうね」
 ふっと落ちた排気へ重ねて言うと、
「ああ」
 そう、思いがけず明快な肯定が返ったので、私は少し意外を覚えた。日頃こうしたむき出しの賛辞を贈ると、事がなんであれ、ばつの悪げな表情が浮かぶのが常であったからだ。しかし今、手の中の太いザイルに目を落としている彼の横顔は、気負うところなくただ誇らしげに見えた。
 その一瞬、私のブレインの内には種々の言葉が消え現れした。先日し損ねた問いが再び浮かび、別の問いが新たに浮かんだ。
「あの、教官――」
 衝動的に呼びかけ、しかしいざ相手がこちらを見上げ、淡く光る青を直視した瞬間、湧き立った気勢は消え散り、実際に口にしたのは、我が分の域にとどまる間の抜けた言葉であった。
「……もう、夕飯は済まされましたか? もしまだでいらっしゃるのでしたら、その……最近できたいい店を知っていますので、ぜひご一緒にと」
 思いまして、と後へ行くほど声の弱まる情けなさに身の縮む思いではあったが、本旨であったと言えるかどうかはさておき、それもまた確かに胸に浮かんだに違いない言葉ではあったので、最後まで言い切ったことに相応の満足は得た。誘いの唐突さにか、それを口にした相手の珍しさからか(私は普段、こうした誘い役は周りに任せていた)、教官は少し首を傾げつつも笑いはせずに、思いのほか手が取られて食堂へ行き損ねてしまったことを語り、では連れて行ってもらおうか、と応じてくれた。
「だが、もう少しかかるぞ」
「はい。お待ちします」
 彼は他にまま見るような、暇があれば教え子と杯を交わす、といった教師ではなかったので、この首尾はまれな幸運と言えた。店にはどうせ同輩たちがたむろしているだろうから、向き合って食事を共に、とは行かずにすぐ宴会が始まってしまうに違いないが、それでも胸が浮き立つのを感じ、早口に答える。
 促されるまま向かいの椅子に腰かけ、いくらも経たないうちに、そうだと言って教官は傍らのデータパッドを取り上げた。
「ただ待つのも暇だろう。ちょうどいい。これを見ていてくれないか?」
 差し出された端末は、一枚の文書を映し出していた。それが教官の受け持つ――つまり私の所属する組の名簿であることはすぐにわかった。先頭に「レッドアラート」の文字が単独で記され、その下に訓練生の名前が二列に並んでいる。
「そろそろ現場演習に入っていい頃合いだからな。仮でバディを組んでみたんだ。特性を勘案していったん決めたんだが、お前から見て問題だと思う点があったら言ってほしい」
「……え? いえ、そんな。教官が決められたものを私などが……」
 予想だにしない台詞に面食らって返すと、いや、と首が振られ、
「能力面はともかく、それぞれの関係性については考慮できていないと思う。お前は皆を良く見ているし、いずれにせよ頼むつもりでいた」
 そう、なお驚くような言葉を重ねるので、私は端末を手に受け取ったまま固まってしまった。一応褒めているつもりなんだから喜んだらどうだ、と教官が笑う。
「周囲の者の特性や状況の事前の見極めも、指揮官には重要なスキルだぞ。任務のひとつと思ってやってみてくれ」
「は、はい」
「まあ、私はその点視野が狭いから、あまりいい指導もしてやれないけどな」
「そんなことは……」
 否定の声を挟みかけるのをさえぎり、
「どうも見方が一面的になってしまって、昔からあまり得意じゃないんだ。融通が利かないというか、頭が固いんだな」
 だからいつも別の者に意見を求めている、と言って、改めて頼みかけられてしまったので、さすがにそれ以上固辞をすることはできなかった。わかりましたと答え、名簿に目を落とす。
 器具をる手が動き始めたのを視界の隅に映しつつ、ついぞない状況に気兼ねが薄まってしまったものでもあろうか。やがて私は、半ば無意識に、思うままの感慨をこぼしていた。
「教官は、いつもご自分をそうやって冷静に……冷静過ぎるほど冷静に、評価されますね。我々からすると、充分に誇っていいはずの実績を成されているのに」
 澄んだ青が手元からこちらへ視線を上げ、驚きの気配とともにその淡い光を揺らす。
「私は別に、自分を卑下しているつもりはないぞ」
「はい」
 それはわかっていた。我が不足をあっさりと口にするその顔に、ほのかな自嘲の苦笑は浮かべど、衒いやためらいはない。
 ――だが、そうして全てを克しているのであれば、なにゆえに――
 急にどうした、と問いが返ったが、答えることができなかった。発した言葉に明確な意味さえ与えられないというのに、その理由をしかと述べられようはずがなかった。胸に響くのはただ、新たな――否、形を変えて再び立ち現れた、あるひとつの疑念ばかりだった。
 気まずく落ちた沈黙を切り、
「……誇っているとも」
 静かに、しかしはっきりと、言葉が発せられる。
「誇っている。もしその言葉に及ばなくとも、認めている。栄誉も失態も、価値も非も。そう思えるようになったのは、さほど遠い日のことではないが」
 対の青を先の日のごとく往時の影へ没させもせず、揺らぎない声が続く。それは、不肖の教え子とともに、己へ聞かせているもののようでもあった。
「昔は、完璧に在れないことを理解しながら、それを許すことができなかった。欠けていることが我慢ならずに、自分にも他人にも過分にものを求めて、痛みもしたし、痛ませもした。独り躍起になって、空回りして、近しい仲間たちにさえ疑心を寄せて……それでも倒れずにいられることを知った時、ようやく心底から、欠けを欠けとして認められた。共に補い、分かち合って生きる幸運に、幸福に、ようやく気付けた」
 自分が教え子たちに語る自らの欠点は、全て、かつて仲間に指摘されたことそのままなのだと彼は言う。論を重ねた末に認めた非であり、それは同時に、我が価値を認めることの裏返しであったのだと、言う。
「昔なら、大勢の前で自分のセンサーの話をしたりはしなかったな」
 ぽつりと落ちた言葉が何を指すものかはすぐにわかった。いまだ鮮烈に記憶に残る、我々との初顔合わせの日の出来事だ。
「あれは、驚きました」
 口を挟むと、うん、とやや小さく相槌があり、そこで教官は今夜初めて語調を鈍らせた。
「本当は、まだ少し気が進まないんだ。でも、お前は今ひとつ押し出しが弱いから、何かパフォーマンスでもしてみろと先輩の教官に言われてしまって……。まあ、陰で色々噂される前におおっぴらにしてしまったほうが、結局のところ面倒がないというのも確かではあるんだが、……どんなものなんだろうな」
 訥々と明かされた真相に、私は内心で深く頷いた。理解の進んだ今になって振り返れば、確かにあの瞬間の「レッドアラート教導官」の態度はどことなく大仰で演技じみており、パフォーマンスだと言われたほうが違和感はない。そうして初めの印象を自ら飾ってみせるのは、上に立つ者のそれこそ自然な方策なのだろうから、別に今さら気にかかりはしなかったが、教官は「皆には内緒だぞ」と言って顔の前に指を立てた。口元に浮かんだ面映ゆげな微笑に、胸にくすぶる疑念がなだめられるのを感じつつ、はいと応えれば、気を抜いたように肩が落ちる。
「……少し喋り過ぎてしまった。お前は人に話をさせるのがうまいんだろうな」
「実は、良く言われます。友人の指摘によれば、相手の邪魔をしないのが……要するに主張が弱く存在感に欠けるのがいいんだろうと」
「それも欠点と裏返しの価値というわけだな」
 良いほうへ伸ばすことだ、と笑って話を締め、また台上で手を動かし始めた教官に倣い、私も端末へ視線を戻した。
 仲間の名前の横に私見を直接書きつけながら、師のかつての仲間たちについて、おぼろな想像を巡らせる。彼の昔語りに折に触れ浮かび上がるその影は、熱鎮められながらもまだ消え残る問いの、解のかけらの一片であるに違いない。明確な言葉にし得る根拠こそなかったが、ひとつの揺るぎない事実として、私はそれを確信していた。



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