I'll listen to you.



「……やはり私は気が短すぎるだろうか?」
「え?」
 不意に落ちた問いを追うように火花の爆ぜる音が止み、熱鏝を宙に浮かせたまま、部屋主が首を横へ傾げる。幅広の机を挟んで向き合う相手が一瞬のためらいを浮かべる間に、ごく自然な声音で反問が発された。
「気が短いって、君がかい? もっと危なっかしいやつがほかに沢山いるし、うちの基準では平均ぐらいだと思うけどな」
「あ、いや。その……けんかっ早いという意味ではなくて、口うるさいと言うか、文句や説教が多すぎるだろうか、と……」
 思って、と言い切る前に語尾はしぼんだが、小ぢんまりとして人少ない機工室の内では充分な声量だった。うーん、と部屋の主・補修員ホイストが再び首を傾げて返す。
「でも、別に理由もなしに怒ってるわけじゃないだろ?」
「それはまあ、そうなんだけど」
「なら説教されるほうが悪いんじゃないのかい」
 至極もっともな指摘である。うんと一度頷き、しかしそれで話を終いとはせず、本日の部屋の客人・保安員アラートは先を続けたげな仕草を見せた。ふらついた目線がこちらにも向けられ、かすかな迷いを浮かべたようだったが、文字通りの「第三者」と見なされたのか、すぐに色治めて正面へ戻っていった(あるいは、机に片肘ついた怠惰な姿勢を『居眠り中』とでも判断したのかもしれない)。
 訥々と言葉が進む。
「しかしその、たとえ正当な理由があったとしても、あんまり細かなことで何度もがみがみと言われていたら、説教されるほうもいい気分はしないだろう」
「まあ、叱られておいていい気分には普通ならないだろうな」
「私もわかってはいるんだけど。どうにも我慢が利かなくて、ついいつもうるさくなってしまうから……」
 その後をアラートは語らなかったが、結果、相手の心証を損ねるということだろう。それ自体は否定できない事実である。超のつく堅物で、何事につけ過敏に抑止の警告を発するアラートに苦手意識を抱き、関わり合いを避けている仲間も、特に正反対の気質を持ちがちな前線要員の中には少なくない。近年は多少改善の気配も出てきているようだが、まだまだだ。
 とは言え、そうした点は当人も呑んだうえで振る舞っているはずであり、
「それが仕事なんだし、お互いある程度は仕方ないさ」
 そう返したホイストの言葉もああと肯定されて、ならば何が、そして誰が問題とされているのか、ここまで来ればおおよその見当はつく。いや、平素は無駄口を嫌う側である保安部長が我から話を始めた時点で、ほとんどわかっていたことではあった。
 しかし意図してなのかそうでもないのか、わかり切った面をわざわざ引っ張り出してしまわないのがこの部屋主の特質で、ホイストが次いで口にしたのは、何か困ったことでもあったのか、という確認のみだった。
「いや、困ったってほどではないんだ。ただ、こんなくだらないことで仕事を持ち込まれたら、私だったら怒っているだろうなと思って」
 みたび首が傾ぎ、アラートの目線を追って手元の「仕事」を見たようだった。持ち込まれた時には見るも無残な様相を呈していた通信機は、既にほとんど元の姿を取り戻している。はは、とホイストは軽く笑って答えた。
「妙ないきさつで壊れる物なんてほかにも山ほどあるからね。いちいち噴き上がったりしてたらキリがないさ」
「私ならいちいち噴き上がっているよ。実際今回も説教してから持ってきたんだし……何度やっても進歩なく売り言葉に買い言葉になってしまって、あっちもいい加減に嫌になっているだろうなと。君はいつも怒らずにいられて凄いな」
 なるほど、機工室を訪れた直後のアラートが浮かべていたいわく言いがたい表情は、噴き上がった直後の不機嫌と、くだらない仕事を持ち込む気後れが混ざってできたものであったらしい。説教中のやり合いの火花が今日は少々大きくなり、憤りと幾許かの不安を抱えたまま訪れた先で、思わぬ柔和な態度と向き合い熱が散ったというところだろうか。
 凄いかな、と贈られた賞辞へ疑問を発し、大らかな整備工は言う。
「個体差と言うか、俺がもともとそういう性格だってだけな気もするけど……別に全然怒らないわけでもないしさ。売り言葉に買い言葉って意味なら、単に苦手だからできないんだよ」
「苦手?」
 おうむ返しの問いに頷き、
「怒るのでもなんでも、普通ぱっと反射的に動いたり喋ったりするだろ? 俺、瞬発力が低いせいですぐに反応できなくて、思考演算だけ先行することがあるんだ。で、考えてるうちに『ああそういうこともあるか』なんて思うと、もしむっとしたことがあっても、忘れたりどうでも良くなったりしてさ」
 だから凄いっていうのとは違うんじゃないか、と笑ってみせるが、アラートは思わしげに視線を落とし、低く呟いた。
「考える、……そうか」
 自分の見解を述べつつ作業を再開していたホイストはその小さな声を拾わず、二名のあいだで通信機が試運転の唸りを立てる。それからいくつかの(きっと瞬発の能の代わりに得たのだろう、実に鮮やかで器用な)手わざを経て、はいできた、と修理完了を告げた時には、既に直前の会話の中身も忘れているように見えた。
「ありがとう。代替部品があって良かった」
「今の規格に合わせて出力を強めに調整したから、ノイズが出るようならまた見よう」
「ああ。色々助かったよ」
 色々、の言葉には文字通り多重の意が含まれていたのだろうが、それ以上掘り下げられることもなく本日二番目の仕事は完了と相成り、依頼人は速やかに自分の仕事場へと引き上げていった。
 幸い直した通信機には後不良も生じなかったらしく、多忙な保安部長は機工室どころか基地の共有スペースにも滅多に顔を出さずにいたため、もうひとかたの経過が確認できたのは、それから十日ほど経ってのことだった。


「あー……、なあホイスト、いつも口うるさいやつの説教が減ったら、どういう理由があると思う?」
 ライフルのオーバーホールをぼんやりと眺めていた客がやにわに発した問いに、ホイストはいつものように首傾げつつ答えた。
「説教が減る理由? ミスが減ったからじゃないのか」
「いや、そっち側はその……、まあ、特に変わってねえとして」
 稀な歯切れの悪さを見るに、今までの「ぼんやり」は作業待ちで手持ち無沙汰にしていたわけではなく、何やら考えにふけっていたためであったのだろうか。正真の手持ち無沙汰からの「ぼんやり」で眺める前で、二名の問答は続く。
「性格が変わった?」
「それもねえと思う」
「叱り方を変えたとか」
「叱り方って何種類もあるもんか?」
「忙しくて説教してる暇がない」
「忙しいのは毎度のことだしなァ」
 何を(そして誰を)指しているのか初手から丸わかりの話題であったが、旧型ホバー機同士の衝突じみた、微妙な精度と煮え切らなさを抱える空中戦はそのまま進み、
「じゃあ、もう諦めたとか?」
「ぐっ」
「――」
 ある地点で不意に撃墜の様相を見せたので、さすがに「ぼんやり」も覚め、反射に挟みかけた言葉をすんでで呑み込む羽目となった。
「やっぱあるか……あるよな、それ……」
「そういう理由も考えられるかもってだけだよ」
 俺が思い付くぐらいの一般論として、とホイストが補足するが、鮮赤の救助員は巨躯を折り曲げるようにして頭を抱える。戦時でも消防の任務時でも滅多に見られない姿から、滅多に聞かれない弱音が落ちた。
「急に沸かせるのに関しちゃ心当たりが多過ぎて、逆にこれってのが無い……てことは、ちりも積もってボヤが大火事ってのが、すげぇあり得る」
 やばい、と引きつる顔は強面を超えて凶相に近く、常の好漢ぶりは消え失せている。しかしそれを正面から見るホイストはいささかもひるむ様子なく、せっかく働かせておきながら的を外した論理を、おそらくさまで気を回さずにさっくりと一蹴した。
「実際のところは本人に訊かなきゃわからないだろうし、ちゃんと叱られたいならそう言えばいいんじゃないか?」
「叱られたい、っつーわけじゃあ」
「ないのか」
「あります……」
 あいつにあーだこーだ文句言われてないとやる気が出ねぇ、と、その言葉だけ取るといささか倒錯したようなことをぶち明けてくるが、前向きに解釈してやれば、発破をかけてくる者がいないと張り合いがない、ということだろう。適当にかわされると調子が狂う、らしくない、と続くぼやきを聞く限り、ちょっかいをかけたら構ってほしい、情を露わにしている姿が見たい、という念も含んでいるらしい。子どもか、と正直な感想を漏らしかけて、また呑み込む。
 次第に声高になる独り語りと独り合点をよそに作業は順調に進み、すれ違う会話からいくらもなく、ファイアファイター愛用の特殊銃は新品同様の状態を取り戻した。
「トリガーの修理と照準の調整と、あと消火弾の補充もしたよ」
「おう、ありがとよ。これでまた暴れ回れるぜ」
「ライフルはいいとして、怪我するような暴れ方はほどほどにしておけよ」
 銃を受け取りつつ、わかってるよ、と軽く相槌してから、はたと思い直した様子で首を振り、救助員インフェルノはその体躯に似合いの重々しさで言葉を改めた。
「……じゃないよな。気を付けるよ。とにかく話だけしちまって、何かあったらボヤのうちに消しとかねえと……」
 じゃあ行ってくる、と求めたわけではない即断の宣言と騒がしい足音を残して本日五番目の客は去り、サイバトロンの小さな機工室はまた常の平穏を取り戻した。


       ◇


「お前さんも大変だな」
「え、何が?」
「まあその反応だろうと思ってたがね」
 足音が角を曲がっていったのを確認してから、ワーパスは壁際のいつもの席を立って机を回り込み、最前までインフェルノが座っていた部屋主の正面の椅子に腰かけた。漏らした感想に首が横へ倒れる。よくよく自分たちはこの温和な補修員に疑問を抱かせてばかりいるものだ。
 一日の終わりまではまだ間があるが、仕事を持ち込むには少々遅い、という半端な時間だ。よほどのことがない限り、今日はもう客はやって来ないだろう。ホイストも店仕舞いのための器具の点検にかかっている。慣れた作業の邪魔になることはないと知っていたので、ワーパスはためらわず話を続けた。
「日に何度もああいう妙ちきな相談を受けてさ」
 妙ちきって、とホイストは笑ったが、これでもまだ軽い言葉を選んだつもりだった。日によっては「馬鹿馬鹿しい」「どうしようもない」としか言いようのない会話がくり広げられることもあるのだ。
 自覚が全くないわけでもないだろうホイストは、それでも倦みや疲労を表すでなく、別に相談を受けているつもりではないから、とやはりこちらの予想通りの答えを述べた。
「だって俺、聞いてるだけだしなあ」
「そうだな」
 事実、相手の話をただ聞き、それに対して自分の素直な感想や想像を返しているのみで、ホイストが明確な助言や忠告を客へ贈っている場に居合わせたことはない。それらしく聞こえる言葉や問いがあったとしても、あくまで普通の会話の域を出ないものである。そもそも初めから積極的な助けを求めている者は、コンボイに皆の相談窓口を頼まれているスモークスクリーンであるとか、不調の治療を請け負う軍医ラチェットであるとか、思慮深い学者のビーチコンバーであるとか、世知に長けた副官マイスターであるとか、そうした仲間をまず先に訪うのだ。
 にもかかわらず、時としてこの小さな機工室が「悩み相談室」の現場となってしまうのは、やはり部屋のあるじの特性によるものだ。気質と、その職務の合わせ技である。仲間うちでも指折りに温厚で気さくな補修員との話しやすさは誰もが認めるところであるし、機器の修理や整備で何かと関わる機会も多い。さらに、簡単な作業なら依頼人を待たせてその場で終えてしまうので、わざわざ会話のための時間を割く必要もなく、仕事の合間に済んでしまうという利もある。
 おそらく、相談者の誰もが、初めから何か相談をしようと決めてやって来ているわけではないのだ。ちょうど良く時間が空き、心がかりにしていた問題をなんとなく話し始めて、得た感想や問いからなんとなく答えを拾って、なんとなく自分で解決してしまう。そのくり返しである。
「さっきのインフェルノの話のきっかけが自分だってこと、お前あんまりわかってないだろ?」
「アラートと話したことは憶えてるし、あのコンビの話がお互いの話だってこともわかってるけど、俺なんか言ってたっけか」
 やはり繋がりの把握はなかったらしい。まああいだに何人も来ているし、「聞いてるだけ」の姿勢だからなと頷き、事の要約をしてやる。
「なんで怒らないのかって話をしてたろう。私も直接会ってないから詳しくは知らないが、アラートが多分『ホイストに倣って説教の前にいったん考えることにしよう』とかなんとか決めて、部下へのお叱りが減って、すれ違いを起こしてインフェルノがああやっていじけてるってことなんだろうさ。例によって」
「ああ、なるほど。あの二人も仲は充分いいのに、なかなかまとまらなくて大変だな」
 まるで他人事のような台詞である。いや、事実として他人事であって、そうしたところもホイストが相談相手に選ばれる所以なのだろう。その親切心や自然に示される気遣いに疑いをかける余地は全くないのだが、この大らかな補修員は、言い方を変えるといくらか大雑把なのである。人や物を広い枠組にまとめて放り込んで、上下左右の区別なく一定に親しんでいる。文句なく優しい気性だが、何かにひたすら親身になるような例がごく少ない。同じ技術者たちと比較して探究欲も弱い部類と見え、突然に興奮するだの気負うだの、反対にひとつ事に集中して静か過ぎるだのということもなく、常に自然体である。
 あえて確かめずとも個人の事情へ無理に立ち入ってこないことがわかっているから、みな気安く声をかけるし、ごく常識的な感覚を持った、かつさまで辛辣ではない相手の反応をうかがいたいと考えて、様々な話を気軽に置き残していく。端から眺めている身としては良くやるものだと思うし、呆れを覚えることもあるが、仲間たちにせよ当人にせよ、体よく使っている、使われているという意識は全くないだろう。詰まるところ、普段となんら変わりない一日のうちの、一時の雑談に過ぎないのだから。
「割を喰うのは我ばかりなり、か」
 片肘ついたいつもの怠惰な姿勢に戻り、芝居めかしてこぼすと、こちらを見る青の灯がゴーグルの下でちかちかと瞬いたようだった。
「割、って、君が?」
 確認の問いにそうさと頷き、
「意中の補修員どのがあんまり周りから人気なもんで、城に訪ねて来てもさっぱり構ってもらえない」
 先の救助員ばりの我儘を吐けば、さらに驚きの色が深まる。
「えっ、君、俺に構われたかったのかい?」
「でなきゃあ毎日朝から晩までこんなとこに居着いてないだろう」
「暇なのかと……」
 まあ、それはそれで間違っていない。純戦闘員である自分に任じられた日常業務はごく少量で、持ち回りの周辺警邏でさえ、ビークルでの姿が民間人の目に触れて、すわ何事かと騒ぎを起こした初回以降、お役御免となっている。訓練や模擬戦があれば喜んで参加するが、ただでも人員不足の軍でそう頻繁に行われるものでもなく、非戦闘時における兵士など暇人も良いところだ。
 やることがない、ならば恋人の顔でも詣でに参ろう、と事が流れるのは別段おかしな話でもないだろう。幸いホイストは仕事場に関係のない顔が紛れていても気にしないたちだし、入り浸りを邪険にしてくることもない。ただしもてなしも一切ないので、うっかり忘れられることがないよう、折々に存在は主張している。
 客のほうもおおよそ慣れているらしく、部屋主との会話が始まれば口を挟むこともほとんどないので、大抵は部屋の備品のような扱いである。戦場での姿はどこへ行ったのかと不気味さを指摘する者もいるが、こちらとしてはそりゃすまんねと頷くだけだ。戦いは生き甲斐であり自分の存在理由でもあるが、まさか恋人の城で暴れて砲を放ってやろうと思うほど回路がねじ曲がっているわけではない。
「最近はずっと客続きで、ちっとも話せてなかったからな」
「そうか。修理も整備もなんでか重なるんだよなあ」
 ヒューズとインダクタを早めに補充しておかないと、と自然に業務へと立ち戻る呟きを聞いて、つい笑いが漏れてしまい、気付いたホイストが頭を掻いた。
「すまない」
「私が仕事中に邪魔をしてるんだから、謝るなら逆だろう」
「でも、……俺だってワーパスと話したいからさ」
 返った言葉の元を見つめ直せば、すっと顔の向きが手元に逸らされ、マスクの下に隠れた頬の色が想像できた。同じくマスクの下であるのをいいことに、口角を思いきり上げてやる。
 多少の割を喰わされようと、博愛の枠から外れた特例代表の現状には大いに満足しているし、簡単に他人へ譲り渡す気もない。冷やかしも備品扱いも上等である。
 やや早回しに点検と後片付けを終えたホイストが席へ戻り、お待たせ、と言って手を広げる。抱擁を求めるかのごとき動作だが、間に机を挟んでいる以上、当人にその意図はないだろう。こちらとしては望むところだが、まあ今は今、そうした交誼は次のお楽しみだ。
「さあ、君の話を聞くよ。ワーパス」
 朗らかに言うのに、いや、と首を振り、疑問の仕草が返る前に続ける。
「聴くのはこっちで、話すのはお前さんだよ、ホイスト」
「俺?」
「ここ何日も続けて誰かの話を聞いてばかりで、自分のことを話している暇もなかったろう。馬鹿馬鹿しい話でもどうしようもない話でも、なんでも聴こうじゃないか」
 こいつは私の特権だからね、と付け加えれば、呆気に取られたような空気が和み、お言葉に甘えてと前置きして語り始める。そうしていくつかの言葉を連ねたあと、ふと思い出したように望みが足された。
「君の話も後で聴かせてくれよ?」
 もちろん、と笑って応えてやったので、明日の相談室の開店は少々遅い時間になるように思われたが、あくまで部屋の備品たる自分には配慮の外の問題だった。


end.

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