momently



 地球の客人となって数年のうちは、この時期の特別な喧騒を奇異な事象と受け止めていた。煩わしいとさえ感じていたと言って良い。ヒトは何事につけ時間の区切りを祭りとし、祭りとなれば即座に寄り集まり、集まれば大に小にトラブルを起こす。些細な内輪もめで終わるものなら文句もないが、時として大規模な事故や事件につながる騒動にまで発展するのだから、呑気に眺めてもいられなかった。地球人類の良き友であれという司令官の志にことさら異を唱えようというわけではなかったが、軍の保安統制の本務にすら手が回りきらないでいるところを他所事の始末のためにたびたび駆り出されれば、恨み言のひとつふたつは出ようというものだ。
 ヒトの一生は短い。サイバトロニアンを始めとする機械生命種の歩みから見れば、それこそほんのひとまたぎの間でしかない。いかに互いの種への親しみを深めようとも、生の尺度の差はあまりに大きく、それはすなわち価値観の差でもあった。偶然にもこの青の星の「一年」と母星のそれとの絶対時間はかなり近しい長さであったが、意識の持ち様はまるで異なっていた。ある適当な一点を基準に、星が宇宙空間に極小の円を描いた、というだけの取るに足らない事象を、地球の人間たちは驚くほどの重さで受け止め、有用な単位として扱っていた。それもそのはず、彼らのうちのほとんどの者は、そうして描かれる円の数が百にもならないうちに世を去ってしまうのだから、と気付きを得たのはそれなりの交流を経てからのことである。
 だからして、今日という日がまさに終わろうという時刻に休憩の令を掛けたのには特別の意図はなく、ただ単純に、予定の地点に到着したからというだけの偶然に過ぎなかった。ひとつ丘向こうの空にはまだ街の灯がせわしなく瞬いているが、ここまで人家を離れれば、アラートのセンサーにも「年越し」を待つ人間たちの賑わいの声は届かなかった。
「ま、たいした騒ぎもなくて良かったな」
 上官に次いで二足形態に戻ったインフェルノがひとつぐっと伸びをし、軽い声音で呟く。まだ気は抜けないぞ、とお定まりの訓告を吐けば、わかってるさとまた軽い声が返った。生来の懐疑家にとっても現地文化に好意的な楽天家にとっても、結局は常の任務の日々のひとつでしかない、「一年の終わり」。一応の警戒態勢はととのえ、久方ぶりに相棒と二人での警邏出動となったが、担当区域内で起きたトラブルと言えば酔って警官隊と揉めていた若者を諫めた程度で、大きな事件の兆しも感じられず、ごく静穏と言っていい空気のなか路程の三分の二までを走破した。
「座れよ、アラート」
「ああ」
 常のこととて説教を始める気もなく、呼びかけに頷き、赤の機体の隣に腰を下ろす。街を出てからの順路には手を加えなかったため、休憩の場所も普段と変わりなかった。二人で警邏を行う際には、この丘陵地に並んで座り、街を眺めながら少憩を取るのがいつしか習慣となっていた。
 出がけこそ今日は基地で地球の友人たちが企画した夜会があるのに、などとこぼしていたインフェルノだったが、馴染みの薄い行事だけにこだわりも軽く、ここ幾日か内務が続いていたこともあってか、街の華やぎに紛れ入る頃にはむしろ上機嫌の様子で車輪を回していた。今もその横顔には微笑を残したままでおり、活気を好む性格が良く顕れ出ている。そんな相棒を傍らに見上げながら、アラートは逆に意識して口元を引き締めた。直前に指揮官として注意を述べた手前、つられて気を和ませているわけにもいかない。変容の自覚があるからこそ、やや大げさに意気込む程度が適当だろうと考えていた。
 我から進んで関わろうとは思わないまでも、こうした人間たちの祭りに過剰な嫌気を覚えなくなったのは、果たしていつの頃からだったろう。身慣れない土地での生活、遠く生まれ異なる現住種との交流、自身に生じた様々の出来事、ひとまたぎどころか半歩にも満たない歩みのあいだに、驚嘆すべき変転と学びがあった。どちらかと言えば苦みの強い日々から生じる動揺は、個の思想にとどまらず、指標までをも揺らがせた。『ひとつきりの物差しで世を計り尽くすことなどできない』。甲斐なくもどこか晴れ晴れしい、単純な結論だった。
 どん、と街の方角に爆発音が起き、警戒を向ける間もなく空に鮮やかな火花の図形が描かれる。日が変わったらしい。つまり地球は例の小さな一回りを終え、また始めたということになる。宇宙の規模で見ればやはり特段の意味を持たないだろう勝手な切り割りの定義に、重みも当然ないのだろうとは、今の自分は思わない。
 夜気を抜ける音と光の印象は思いのほか強く、集中適わないと判断して、アラートは定期記録のために取り出したデータパッドをまた機体にしまい直した。今のところ特筆すべき事件もないのだし、とようやく身についた方便を胸に唱えつつ、急報がないことだけを確認して姿勢を戻す。と、動作の途中でひときわ明るく空に炎が広がり、視界の隅に入った鮮赤の上に、強い輝きと、対照の濃い影を焼き付けた。いびつな陰影の跡に、我知らず、手を伸ばす。
「……アラート?」
 体側部に指が触れ、花火から視線を外したインフェルノが問い調子に名を落とした。応えず、じっと指先を見る。隊章をかすめるようにして走る塗装擦れとかすかなひずみは、傷と呼べるほどのものではない。だが、自分の注意の号が、そして相棒の咄嗟の身ごなしがあと一瞬でも遅れていたなら、この勇猛な保安員の機体は、交戦から五日が経った今も基地の治療台の上にあったかもしれない。
 インフェルノはひとつ小首を傾げ、一度問いを発しかけたようだったが、押し黙ったままの相棒の様子に何を見たのか、倣うようにまた口を閉じた。代わってゆるやかに手が伸べられ、置いた指の上へ重なる。肩が反射に揺れ跳ねたが、身を逃すのをこらえ、アラートもそのまま黙止を続けた。
 どん、と夜闇に火の花が咲き、一瞬で散り消える。量子が波の一山を大気へ伝わらせるひと間のあいだにさえ、万象は何かを成し得り、何かを失い得る。音も、光も、心も、魂さえも。
 地球人類の短い生涯も、機械生命体の永い生涯も、無数の刹那の積み重ねに過ぎない。全ての瞬間が等価なら、それを連ねた全ての時間に価値の差などありようもない。たかが一度の星の巡りだと、煩わしく吐き捨てることなどもはやできなかった。一瞬たりとも気を抜くなと口ではうるさく説きながら、課された仕事のみに捕らわれ漫然と日を重ねてきた我が身に比べ、短かな時のひとつひとつを祝い尊ぶ人間たちの姿の、なんと眩く鮮やかなことか。
 重ねた手が動き、静かに握りこまれる。伝わる熱の中に自嘲の棘が融けていくように思えた。簡単なものだと嗤いを噛み潰す前に腕が上に引かれ、機体を離れて持ち上がる。仰ぎ見た先には微笑があり、弧を描く唇がやわらかく指先に触れた。
「これからもよろしくな、アラート」
 呆けて見つめる間に笑みが深まり、声を刻む。
 新たな一年の始まりには「今年もよろしく」と唱えるのがこの地の習いであるらしく、その点でインフェルノの言葉はやや場外れのものではあったが、ここから連なる一瞬一瞬の積み重ねを誓う意義においては、その違いもごく些末なものであるはずだった。
 指摘に代えて笑みを返し、唱える。
「ああ。よろしく、インフェルノ」
 いつを始まりとするか、何を区切りとするか、枠にはまった言葉の定義にさしたる意味はない。この一瞬を共に在れることに、ただ慶びを。
 ゆっくりと腕を戻し、揃って眺めやる景の向こう、終演に向けて光と音が激しさを増す。予定の時間が過ぎたことをシステムが狂いなく教えたが、この一瞬の華の全てが果つまではと、重ねた指が声なく求めるに任せ、ふたり身を寄せて空を仰いでいた。


fin.

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