no title



 生まれながらに持つ我が機体に関し、インフェルノは時に知人の例を聞く自主換装などを慮するような不満を抱いたことはなく、むしろ、消防救助という一種の荒仕事を担うにうってつけの造りであると考えている。装甲は厚く頑強で、質量相応の出力を誇り、肝心の耐火性能も申し分ない。厳つい見た目から初対面の相手へ与えがちな威圧感は、持ち前の愛嬌で補えばよろしい。
 と、そのように満足して日々晴れ晴れと過ごしてはいるが、無論、何もかも万全、一切無欠のものと捉えているわけではない。おそらく世の誰しもがそうであるように、こまごまとした短所は抱えている。少々のあいだ口閉じて考えるだけでも指折り挙げていくことができるが、たとえば「鈍感さ」がそのうちのひとつだ。熱と炎の観測に特化したセンサーおよびレーダーは、その他の事象の察知についてはどれも並以下の感度であるし、機体そのものが大きく嵩高であるぶん、周囲に生じる死角も多い。気を張っている任務中ならばともかく、平時には横手のものですら見逃すことがあるのだから、背後などはそれこそ捕捉範囲外も良いところである。
 とは言え普段さほど気にかけているわけでもないそうした事々をふとブレインに考察させたのは、今まさにその「範囲外」において、とある企みが生まれた瞬間を捕捉することに成功したためだ。まあ威張るような成果ではない。ラウンジの椅子にひとり茫と座っていたところ、前方の窓の高みに真後ろの景色が映ったのだ。光の向きやら何やらの条件が重なって生じた単純な偶然である。ごく単純な、そして貴重な偶然だった。ガラス板の湾曲部に薄く映り込んだ中型機体の影は、見馴染んだ赤と白に彩られていた。
 右手に数種の端末、左手に図面か何からしき背丈ほどの幅の巻紙を携えた、今日も今日とて多忙なサイバトロン保安部長は、おそらく業務資料の収集がてら、休憩超過常習犯である部下をピックアップしに来たのだろう。まだ速やかに行動すれば間に合う程度の微妙な時間であったためか(それでも自分は悠々と遅刻していたに違いないのだが)、開口一番の叱責が飛んでくることはなく、窓に映った顔が言葉を探す思案の色を浮かべている。
 ここで咄嗟に振り返り、よぉアラート今ちょうど戻ろうと思ったんだ、とでも口にしてしまえば、のちの小言はまぬがれるだろうとわかっていた。実行に移さなかったのは、あまりに気を抜いていたためあちらこちらの回路を半休眠状態から復帰させねばならず、咄嗟の動きがそもそも困難であったというのが半分、加えてその一瞬に窓が映した企みの予兆――具体的に言えば、相棒の表情の変化がもう半分の理由だ。
 常のしかめ面に近い思案の顔がふと崩れ、見てわかるほどに片頬が上がる。それは明らかな笑いの仕草で、おや、と気付いた次の間には、インフェルノは小言逃れのための即動ではなく、なりゆきを計るための待機を選択していた。いかなる時のいかなる事象に対しても過剰なまでの察知力を誇るアラートが、平素は鈍い部下から先に察知されている、しかも何やら笑いの漏れるような思い付きをしたらしい瞬間を、という事態が面白く感じられたのだ。
(さて、何をしようってんだ相棒?)
 椅子にだらりと腰かけたまま、アイセンサーの感度を最大に高め、頭上に浮かぶ鏡像の動向をうかがう。ガラス窓の中のアラートは慎重を絵に描いたような動作でゆっくりと足を進め、インフェルノの背の真後ろまで近付いてきた。巨体にさえぎられて赤白の機体そのものは見えなくなるが、肩口にはみ出した「武器」の動きで、その狙いははっきりとわかった。
 棒状に巻かれた図面がそろそろと持ち上がり、一瞬の静止ののち、まっすぐ前に振り下ろされる。それなりの速さで風を切った巻紙はあやまたずインフェルノの頭部を見舞ったが、無論、そこまで見て大人しくしている法はない。
「あっ」
 振り上げた腕で巻紙を受け止め、逃さず掴んで大きく横へ払う。元を握ったままのアラートが思わぬ反撃に引きずられてたたらを踏み、小さく声上げて前へ転びかけたのも予想の範疇内のことで、すかさず身を返しながら立ち上がり、伸べたもう一方の手で軽く受け止めた。
「よぉアラート、俺の警戒力もなかなかのもんだろ?」
 呆然としている相棒を見下ろし、ことさら演技めかして言ってやる。ぽかんと口の開いた顔へ見る間に色が昇り、がたつく動きで起き直った機体がインフェルノを離れて後ろへ飛びすさった。にっと笑みを贈り、いくら気が抜けてようが、武器振って俺に勝とうなんざ千年早いぜ、と言葉を重ねれば、頬を染めたままゆがんだ唇が横へ引き結ばれ、恥ずかしさと悔しさをどうにか内へ押し込めているようだ。
(カッワイイ顔してやんの)
 つい追い討ちをかけてしまったが、悪意を持ってやり込めようと思ったわけではない。得た感慨は毒気にはほど遠く、悪戯心よりも純粋な愉快さ、さらにはいとしみの念に近かった。寝ても覚めても仕事に明け暮れ、遊びの意気など初めからインプットして来なかったかのような真面目一辺倒の上官が、こうしてごくごくまれに自分へ――部下であり相棒であり恋仲である自分ただ一人へだけ、ささやかな稚気を向ける事実を、インフェルノは非常に好もしく思っていた。
「んじゃ、戻ろうぜ」
 鈍いの不注意のと日ごろ小やかましく賜る忠言への意趣返しも叶い、大いに満足して笑いながら、まだ動けずにいるアラートの横をすり抜け歩き出す。このまま遅刻もうやむやにしてしまおう、などと考えて揚々と廊下へ踏み出しかけたその時、
「あでっ」
 背(正確な高さから言えば腰付近)の中心に鈍い衝撃を受け、思わず声漏らして足を止めた。背後も背後、呼気のかかる位置から低い呟きが落ちる。
「……すぐ調子に乗るのが」
「俺の悪いクセです……」
 笑うだけ笑って完全に警戒を切ったところへ、見事なしっぺ返しを頂戴したというわけだ。決まりの悪さに頬掻きつつ素直な反省を述べてから、状況の妙に気付いた。ごつりと音立てて背に当たり、今も当たったままの物体は、アラートが手にしていた端末でも、握った拳でも、もちろん柔らかな紙でもない。声の近さから言って、どうやら前額部――要するに、前へ礼するようにして頭を打ち当てられて、そのままの体勢になっているらしい。
「アラート?」
 名を呼びかけるが、反応はない。まさか打ちどころが、と不安も一瞬よぎったが、全体重を預けてくるわけでもなく、しっかり自分の脚で直立を保っているのだから問題ないだろう。
 先へ続ける言葉も見つからず、奇妙なひとかたまりとなって奇妙な沈黙を行き交わせている間に、時たまに突飛へ傾く相棒の行動を考える。
 休憩中の部下を呼び戻しにやって来て、気の抜けた背中を見つけて呆れつつも、叱り飛ばすほどではないので軽く喝を入れてやろうと忍び寄る。しかし部下のほうは偶然にもそれを察知し、見舞った一撃はあしらわれ、意図とは反対の結果となってしまった。そこで得意げにしている相手への逆襲を考えたのだろうが、小突こうにも両手は物でふさがっており、歩く相手の脚部へ蹴りを見舞うほどのむかつきではない。結果、衝動に近い形でこの不自然な攻撃が繰り出され、
(引っ込みが付かなくなったな、アラートのやつ)
 生来の真面目者には、己のまれな稚気と、そこから至った妙な姿勢を適当に丸めて流す術がひねり出せずにいるようだ。
 呆れよりも企みに気付いた瞬間から続くほほ笑ましさが先立ち、やれ仕方ないこちらが請け負ってやろう、と脚を返して振り向いたが、身の向きが変わっても視界に赤白の機体は現れない。おやと探すまでもなく背には気配が張り付いたままだ。
「アラートー」
 同じ動作をくり返して姿を捉えようとしても、あわせて脚が動くため前後になって回るのみである。はたから眺めればさぞかし滑稽な状態に違いない。幸いにと言うべきか、この半端な時間に、この外れの部屋まで仲間の誰かがやってくるとは思えなかったが、客観視とともに常の過剰な用心を忘れるほどであるということは、アラートの混乱にまみれた心中もまず正しく推し計ることができるし、インフェルノの背に伏せた顔がどれほど赤くなっているか想像することもできる。
 想像だけでは当然足りずに、さぞ可愛らしいことになっているのだろう表情をうかがってやるべく首を後ろへひねったが、そこで本日二度目の感慨を得た。
(やっぱ俺の機体てんで後ろが見えねぇな)
 広く角張った肩と頭頚部防護のための装甲にさえぎられて、背近くにあるものを視界に入れることができない。それが腰ほどまでの高さしかないのであればなおさらだ。
 ある程度以上の性能が確保できるのなら、一度ぐらい改修を考えてみても良いだろうか、たとえば後ろから近付く中型機にすぐ気が付くことができて、かつ頭を回した時に背後の中型機の顔が見えるような造りにだとか、と公私混同はなはだしい思考を取り留めもなく浮かばせながら、今この場での役得は諦め、もはや何も考えられなくなっているのだろう(正確には、この場を切り抜けるための方策を今も必死に考え続けて、極度の演算負荷のため半フリーズに陥っているのだろう)相棒をまずは助けてやらねばなるまいと、手を身の横から後ろへ伸ばす。
「腕も回り切らねェんだよなー」
 落とした声に背後の機体が跳ね動き、ようやく額を上げてインフェルノの手から逆方向へ逃げかけたが、今日の点検は三号棟からだったよな、と何気ない口調で続けてやると、今度はぴたりと足が止まった。どこまで仕事熱心なのかと笑いを噛み潰しつつ、伸べた指はあえてそれ以上進めずに宙に浮かせ、ひらひらと前へ誘うように揺らしてみせる。アラートは巻紙を握る手をインフェルノの機体へ寄せて、背に貼り付いたまま様子をうかがっているらしい。
「お前がひっ付いてくれてるぶんには一向に構わないんだが、仕事が残っちまってまたしばらく顔も見られなくなるのは有難くねぇからな。キリのいいところで終わっとこうぜ」
 なあ相棒、と諭すように呼ぶ。
「……キリ?」
 多少は平静を取り戻したのか、それが見出せないから困っているのだ、と言いたげに小さな反問が落ち、
「顔見てぎゅっとしてちゅー」
 軽い言葉でさらりと答えてやると、またもや驚きと混乱で跳び上がりかける気配があった。
 ふざけたことを言うな、と怒声が上がる展開はもちろん考えられたが、それも平常時であればだ。そもそも、この珍妙な状況に陥ったのはアラートのまれな遊び心がきっかけで、当人もそれを承知して強く出られなくなっているわけである。さらにはそうした戯れを思い付いたという事態こそ、この根っから真面目な保安員の心境を物語っていた。いかに相手が気心知れた相棒兼恋人でも、何かしらの難事や物思いを抱えている状態(アラートにとっては特段珍しくもない状態)で、後ろから人を不意打ちしてやろうなどとは思い付かないはずだ。
 つまるところ、今日の相棒はいつになく機嫌がよろしいのだ。その証拠に、朝からの業務中に何度も笑いを見せたし、そっけない通信で済まさずわざわざインフェルノを呼びにやって来たし、今この状況で怒って出ていくでもなく恥じ入って逃げていくでもなく、ごく近くに身を寄せたまま、突拍子もない言葉をどう処理しようかと迷っている。インフェルノは自分の感覚の鈍さを認めているが、このわかりづらい相棒の情の動きに関しては、ほかの誰より鋭く察知できると強い自信を抱いていた。
 何より固い自負を援護に、ほら、ともう一度手を揺らす。たっぷりの逡巡の間を置いてから、まさしく「灯台下暗し」の状態にあった機体が背を離れ、伸ばした腕側へそろそろと歩を進め始めた。急かさず待ち、巻紙の先端が視野の隅に揺れたところでのかせた腕の下、赤く染まった頬がはたとよそを向きかけ、思いとどまって正面へ戻るまでが鮮明に見えた。
 部下の半分ほども幅があろうかという小作りの手をすがるように鮮赤の胴へ寄せ、懸命の動きでゆっくりゆっくりと頭を後ろへ倒し、
「……お前の背がうすらデカいのが悪い……」
 予期せぬ憎まれ口とともに、言葉とは裏腹の弱り切った表情でインフェルノを仰ぐ。処理熱のためうっすらと潤んだ青の瞳の奥に、気後れと同量の期待がにじんでいる。
 それはぽかりとやるのに良い的があったということか、頼もしさに惹かれて思わずくっ付いてしまったのだということか、或いはそのどちらともか、いずれにせよ、インフェルノからすれば憤るどころか親しみの証左となる文句でしかなく、今こうして見下ろす景色もなかなか眼福と感じられるのだから、頬がゆるむのをこらえようとも思わなかった。
 ここで期待に背けば相棒の名がすたるとばかり、捕捉範囲ならぬ捕獲範囲の広さを活かして隠れた肩を引き寄せ、くるりと体を回して戸口へ背を向ける格好で向き合う。この体勢であれば、たとえ誰かが廊下を通りがかっても自身の陰にアラートを隠すことができ、恋人の愛らしくほうけた顔は腕の中に独り占めというわけだ。
「俺、やっぱデカい機体に生まれて良かったわ」
 軽やかに前言ひるがえせば当然訝しげな表情が浮かんだが、次の間にはこちらを見上げる光が確かに眩しげに揺れたので、仕事の荷ごと全て懐に抱え込み、とびきりの笑みとともに口付けを贈った。


fin.

NOVEL MENU