ワンタイムXXワード



 「よぉアラート、なんだそりゃ?」
 出発前に立ち寄った警備室にはいつものごとく相棒が独り根を張っており、モニター前の定位置に座って、手にしたケースを眺め見ていた。
「インフェルノ」
 前触れなく声をかけたことに驚いたわけではないだろうが(寄ることは告げていなかったが、廊下を近付く段階で気付いていたはずだ)、こちらを振り仰いだアラートは一瞬動きを止めて、正面から見つめてかすかにわかる程度の瞠若を示しつつ、名ひとつのみを口にした。慮外の問いに即座に答えかねた、といった風情で、武器でも消防用具でもない物に関心を持つとは、などと思われていたとしたら心外な話だ。
「まだ少し時間があるからよ。チップか何かか?」
 まあそれそのものへの関心ではなく、雑談の種としての関心なのだから間違っちゃいない、と心中で自答しながら、寄り道の弁明を先に置きつつ問いを重ねる。机に置き戻された薄型ケースは電子回路運搬用のもので間違いなく、それ自体は自明の確認である。アラートも言外に含めた本題を取り誤ることなく、表面に貼付された秘のマークと最前まで読んでいたのだろう注意文を見やって、頷きのあとに解説を加えた。
「新型メモリの試作品だ。センサー内蔵式で、特定の環境下や時間経過によって自動的に記録が消去される。以前からあった物の機能改良を進めているそうだ」
「へえ。何に使うんだ?」
「これに関しては主にセキュリティリスクの高い、物理的なデータ運搬が必要となる任務での利用が想定される。だが本命は機体組み込み型への転用で、改良もそれを見越してのものだろうな。実用化が進めば非常時のフェイルセーフとして機能させることになるはずだ」
 メインモニターを見上げて淡々と語る横顔は既に業務時用の無表情に戻っており、定例の報告を述べているかのごとき様であったが、言葉の意味するところ、重要性は正確に伝わった。機体に組み込んで使うのなら当然各員の個人記録が保存されるわけであり、それを消さねばならない非常時とはすなわち、各員の身の自由、あるいは生命そのものが脅かされる事態を想定している。
「自爆よりは穏便かもしれんが、記憶が全部飛ぶってのはぞっとしねえな」
「いかなる事態に対しても相応の備えは必要だ。まあ、活用せずに済むに越したことはない。そのために我々がいるんだ」
 準備は万全なのか、と訓告と確認をひと繋ぎに拝領し、さすがにこの段階で気楽な雑談は難しいなと笑いを噛みながら、おうと腕上げて答えた。
「準備っつっても手荷物だけだったしな。積むほうはお前が先に指示出してくれてたんだって? 五日ばかしの遠征なら、俺ひとりでもちゃちゃっと用意できたのによ」
「いいや、お前に任せたら絶対に必要な物が漏れる」
「信用ねぇな」
 起き抜けの半覚醒状態でのろのろと手元の準備をしているところに、備品積載完了の報告が飛んできたのだから、なかなか念の入った先回りであった。まあこうしたことは適材適所というやつで、ぜひにも任されようと意地を張る場面でもない。笑って礼を言い、冗談のひとつも吐いたが、そのまま話膨らませるには至らず、じゃあそろそろ行け、と流れで部屋を追い出されてしまった。まったく真面目な上官どのである。
 ようやく施設のととのい始めた発着場に降り、入り組んだ道を二度ほど間違いつつも、挽回に急いだおかげで予定より早く目的のシャトルに乗り込むことができた。航路は既にセットされているため、あとは退屈な移動時間を寝てやり過ごしてしまえばいい。
 だがその前に、と手を伸ばし、機内通信をオンにして、今しがた後にしてきた警備室へと電波を飛ばす。簡易船での飛行中のみならず、目的の惑星上においても地球とは通信難となるため、次に話す機会は帰投後だ。短い時間であれ、棒に振る理由はない。
「船に乗ったぜ、アラート」
 呼び出しに、軽いノイズの混ざった応答が返る。
『ああ。現地到着後は先行部隊と速やかに合流して、そちらの指示に従ってくれ。くれぐれも迷惑はかけないように』
「わかってるよ」
 最後まで注意かと苦笑しかけたが、いや別に最後なわけではない、と思い直して笑いを呑んだ。秘印の付いた机上のメモリケースの画がブレインによぎる。常日頃から機密事項に触れる立場ではないため頻度そのものは少ないが、これまでにも時限式の情報を取り扱ったことはあった。どんな大容量のデータもこちらが意識せぬうちにあっさりと失くなってしまうのだから、簡単なものだ。
「……俺たちもそう変わらないんだよな」
 自分でも思わぬ低さで呟きが漏れる。たった数日と言えどそれなりの危険度に設定された遠征を控え、真面目な相棒の隣で笑い話だけをしようというのは、やはりまだ少々難しい。気楽な雑談に終始するには思い残すところがあまりにも多過ぎる。
 その心残りですら、ひとつ間違えれば情報の海の中にあっさりと消えて、誰にも渡せぬまま失われてしまう。
『インフェルノ、どうかしたか』
 唐突に独りごちて黙った部下の名が呼びかけられる。かすかに揺れて届いた声の中に、怪訝ではなく確かな憂慮の響きを聞き、答えに代えて名を呼び返した。
「なあ、アラート」
 壁のタイマーが発射までのカウントダウンを始める。もう時間はない。衝動任せでもなんでもいい。消える前に、消させぬように、今ここで決めてしまわなくては。
「帰ったら、お前に言いたいことがあるんだ」
 はっと呼気呑む音が電波に乗って届く。告げた言葉が何を指すのか、永年えいねんの相棒にあやまたず伝わることを疑いはしなかった。おそらく互いに、笑いの中へ、諫言の中へ、幾星霜にも渡って押し込めごまかし続けてきた言葉だ。
「聞いてくれるよな?」
 シャトルの揺れに紛れてしまわないよう、ゆるやかにはっきりと、問う。
 余韻の沈む間を置き、ノイズの向こうから返ったのは、
『……はあああああああ』
 一瞬別の何かと聞き違えかけたほどに深く長い、馴染みの排気音だった。
『お前、お前な……結局それか……俺がせっかく……』
「へ、アラート?」
 呆れを超えて虚脱に近い声が続き、困惑して三たび名を呼ぶ。感動の返事を期待したわけではないが、たしなめの言葉ですらないとは、さすがに予想外の反応だ。
『案の定と言うかなんと言うか……お前、朝から一度も日付を確認してないだろ』
「日付?」
 思わぬ方向へ話が転び、反射的に指摘のデータへのアクセスを試みた。並ぶ数字が意味するところを考え、さらに困惑が深まる。
「……ん?」
『今日は地球暦の三月七日だ』
「三月?」
 常から地球人の文化にも馴染んでおく必要がある、と教え込まれた不思議な暦には、なぜか日数の少ない月が存在していた。それは確かに二月であったはずだ。だが、これはあまりにも――
「出発って二月じゃなかったっけか?」
『前回はな。今回の遠征任務は、内容は前回と同じく惑星探査部隊の支援と施設防衛、ただし出発は三月七日、帰投予定日は三月二十七日。所要期間は地球時間に換算して二十日!』
「二十日っ?」
 強く発された語尾を我なくくり返す。まさか、と疑いをかけるが、自分はともかく、真面目な相棒が任務の前にこんな奇妙な冗談を吐くはずがない。加えて、誤って乗りかけた番号違いの船、先に積まれた備品(横手のパネルに表示された積載重量を見れば、予想の三倍はある)、警備室で声をかけた瞬間の、アラートのあの態度――
 いっそう激しさを増す揺れにはたとなり、慌てて発射再始のコマンドを入れた。終わりかけた離陸のシークエンスが初めに戻り、壁の数字が増える。警備室で例外操作を知らせるブザー音が鳴るのが聞こえたが、今は多少の迷惑に構っていられなかった。
「なあ、何がどうなってるのかさっぱりわからないんだが」
『だろうな』
「記憶が飛んでるっつーか……」
『飛んでるんだよ。前回の遠征でどっかの向こう見ずが電磁防壁に頭から突っ込んでぶっ倒れて、無駄に頑丈だから傷ひとつなかった代わりにエネルギー全部吸われて、遠征中の個体ログ丸ごと飛ばしたんだよ』
 稼働停止状態のまま連れ帰られて、大事を取って微速給電を行い、ようやく目覚めたのが今朝、ということであるらしい。先行部隊にパーセプターがいるから前後の詳しい事象は彼に訊け、と投げ出すように言い、アラートは再び重く排気を落とした。
『記録逸失については聞いていたが、遠征前から飛んでいるとはな……極小の不整合で繋がってしまったのがいいのか悪いのか』
 明かされた事実だけでも衝撃の度合いが行き過ぎ、小難しい理屈についてはわかろうとも思わなかったが、そうしてこぼれた言葉に、持ち前の直感が働いた。
「繋がった……て、ことは」
 数日分とは言え記憶を失ったとなれば、通常は当人が最も混乱を極めるだろう。だが奇しくも類似の遠征任務が続き、前回の出発日の目覚めと、今回の出発日の目覚めがちょうど良く重なってしまったため、あたかも連続性が保たれたままであるかのように錯覚を起こしてしまったのだ。実際は任務復帰まで多少の準備期間が確保されていたに違いない。
 それを自分は気付かず無視して、いつものように遠征前の相棒の見送りを求めに行って、そうして――
「……ひょっとして、あのメモリは『前回』も警備室にあったのか?」
 応答はない。呼気呑む音も聞こえない。だが、わずかな身じろぎの気配が届いた。長い長い付き合いだ。モニターの前の相棒が「嫌なことに勘付きやがった」とでも言いたげな顔を浮かべるのが見えるようだった。
「ひょっとして、アラート」
 おそるおそる、問う。
「――俺、『前回』もお前に告白したのか?」
 沈黙。発射再始。カウントリセット。ブザー音。そして怒声。
「あーした! したさ! 見たこともない真剣な顔して言ってくるから、俺も真剣に答えたさ! 全部まるっと飛ばしてきやがって! そのくせあっさり起きてあっさり復帰してあっさりまた顔合わせて、完全に同じ話になって!」
 だから今日は早めに追い出したのに、と音が割れるほどの叫びが続き、なるほどあの態度はほとんど全て演技だったのか、などと冷静に考えていられるわけもなく、ひとつの言葉に意識の九割九分が持っていかれた。
 答えた。答えた。答えた?
 もはや恥も外聞も普段からしない遠慮も一切合切打ち捨てて、発射停止のコマンドを連打する。ブザー音。ブザー音。
「えっ、おい、オッケーだよな? 俺フられてないよなっ?」
「あーもういいから今回の任務に集中しろ! 五日ほったらかされた挙句忘れられた俺の身になって真面目に働いてこい!」
「って、俺は二十日もほったらかしじゃねーか!」
「うっさいバーカ! さっさと行け! ブザー鳴らすな! 強制射出するぞ!」
「バーカって可愛いなおい! いや待て、待てって、アラートー!」
 おぉぉぉぉ、と悲痛な残響と土煙を引いてシャトルは飛び立ち、見る間に空の彼方へと姿を消した。モニター前に残された赤面の保安部長の「答え」を警備室内の監視カメラだけがしかと記憶していたが、時限式のメモリによっていずれは奇麗さっぱり忘れ、次に相棒が帰る頃には、そ知らぬ顔でいつもの騒ぎを眺めているはずである。


Fin.
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