◇


 翌朝一番に、隊の連絡係からメッセージが届いた。
『明日からどうしますか?』
 帰還の翌日、すなわち今日はもともと任務明けの休日であったが、以降もインフェルノ隊は数日のあいだ身が空いていた。遠征の終了日が二転三転し、最終的には帰還が早まったのだが、次の任務の予定がほかの部隊と重なってしまっていたことがわかり、現場入りの遅れるこちらがお役御免となったのだった。まだシステムに組み入れられ切っていない急設部隊ゆえか、既に幾度か経験済みのごたごたで、またか、と肩をすくめるにとどめている。
 普段であればそうした日は自主訓練や溜まった事務仕事の消化に充てており、今回もその確認が来たというわけだが、インフェルノは前でぱたぱたと忙しく出勤準備中の(珍しく寝坊をした)同居人の姿をちらと見やってから、少し考えて短い返事を書き送った。
『休みにする。出動待機から外れねぇ範囲で好きなことしてろ』
 何人かの快哉と何人かの怪訝の反応を想像して口角上げながら、最後の確認をしているアラートへ視線を戻す。
「ええと、資料はゆうべのうちに送ったし、通信機は現地のを借り出すし、カラビナもハーネスもある、ザイルはランチャーに入れたままで……」
「そのランチャーを付け忘れてんじゃねぇか」
「あ、そうだっ」
 慌てて廊下に駆け出るアラートは簡易補給用のエネルゴンをかじりながら走り回っており、正確に言えば「つーひんひ」だの「はーねふ」だの「らんひゃー」だのと口にしていて滑稽この上ないのだが、インフェルノは寛大に指摘をせずにいた。観賞に価する景色、とさえ思いつつ声をかける。
「遅れるって伝えてメシぐらいゆっくり食ってきゃどうだ。もう手取り足取りじゃなくても動けるようにはなってんだろ」
「そうだが……いつも時間については厳しく言っているのに、教える側が寝坊なんかで遅刻していたら示しがつかない」
 まあおおかた予想通りの返事だ。あまり口を出すと例のごとく喧嘩へ発展しかねないので、そうかとおとなしく納得する。今朝に関しては少々の引け目もあった。
「俺も先に時間聞いといて起こしてやりゃ良かったんだけどな。あんまり気持ちよさそうに寝てるもんだから、まだいいのかと思っちまった」
 まさか二度寝してたなんてな、と少しのからかい込みで言えば、
「だって、お前がいると……」
「ん?」
「な、なんでもない」
 反駁しかけて濁し、どたばたを再開させる。何にせよ悪い言葉ではなかったようだ、とわざとらしくにやつきを浮かべてやると、気付いた相手にすぐぷいとそっぽを向かれた。少しのトラブルは起きても、いつもとそう変わらぬ幸福な朝の光景。――そのはずである。
「じゃあ、行ってくる」
「おう」
 慌ただしく出発を告げた機体へ手を振って応え、窓から聞こえる走行音が充分に遠ざかるのを聞いてから、さて、とおもむろに立ち上がり、自分も外出の支度を始める。と言って特別な準備はなく、施錠その他を確認して回った足でそのまま戸口を抜け、ためらいなくトランスフォームして走り出した。一路目指すのはゆうべ立ち寄ったばかりの保安部本局で、任務はもちろん、人との約束もなかったが、それに等しくこなすべき仕事が待っていた。昨夜、そしてついこの朝に課せられたばかりの、重要な仕事だ。アラートは昨日から始めた遠地直行での現場実習をあと数日続けるというから、決行するなら今この時を置いてない。
(家で考えてても埒が明かねぇから、あいつの見た目が結局どうなのか、人に訊いてやろう)
 当人にとっては大いに重要でも周りには全く重要でない問題がある、ということをインフェルノは賢明にも知っていたが、だからやめておこう、と思い直すほど殊勝な性格であるとは言えなかった。


 元保安部長の存在はさすがに部内に知れ渡っており、一線を退いた今なお名は高く、婉曲ににしろずばりにしろ、評判を聞くのはさして困難な話ではなかった。今さらなんだと勘操られがちな分、自分とアラートの関係を良く知る相手のほうが(特に隠し立てていないので次第に数が増えてきてもいたのだが)、答えを引き出すのが逆に面倒に感じられたほどである。
 自身の付き合いの広さを活かし、不審がられない程度の方法で、ゆっくり着実に話を集めるにつれ、インフェルノの感慨は複雑なものになっていった。あえて解きほぐして整理するまでもなく、その評価は概ね歴然としていた。「美人」という言葉を使うかどうかはそれぞれだが、最終的な判断はそれと大差なかった。
「ふぅん」
「何その反応」
 夕刻、ある知人の口にした答えに軽い相槌を打ってからの会話である。この知人はインフェルノたちの関係を以前から承知していたので、部下と似た感想を得たようだった。
「自慢しにきたのかと」
「いや、初めは確かに『そうだろ』って感じだったんだけどよ……」
 ただ誇らしいと思えていたのはごく初期の段階で、ことが明確になればなるほど、こちらのもやつきは逆に深まるのだ。何よりの初めに部下の発言を気にかけた時と同様、これという理由はいまだ見えてこない。
「見た目だけであれこれ言うなよ、ってこと?」
「それもあるっちゃあるが、そっちは中心じゃねぇつーか、ちょっと違う気がすんだよな」
 はなはだしく曖昧な言葉を述べると、当事者がその様子ではわかるわけがないと匙を投げられたが、そういえば、と別の話題が持ち上がった。
「レッドアラート教官と言えば、最近教練のあとの付き合いが悪いって、訓練生がぼやいてるのを聞いたよ。『新品のワックス付けてやけに綺麗にして、あれは絶対誰かと会ってる!』なんて騒いでたな。可愛い恋人独り占めしたいのはわかるけど、たまには後輩に譲ってやったら」
「え?」
 それこそ聞き捨てのならない情報に、一日前の再現のごとく反問の声が漏れる。
「最近って、それいつの話だよ」
「昨日から現場演習らしいからそれは別として、ここ五日か……長くて十日ぐらい?」
「俺、ゆうべ遠征から帰ったんだが」
「え?」
 今度は相手が驚きの反応を示し、しばしの沈黙を置いて、謝罪が落ちる。
「……なんかごめん」
「……おう」
 それ以上のことは知らないと申し訳なさげに言われたので、問題をひとつ増やしてその日の「仕事」はお開きとなった。
 翌日も自分の休みと相手の不在を都合よく利用し、本局の外までも足を伸ばして答えを求めたが、結論にそう変わりはなかった。身近な場所か否かで多少の差は表れても、それはむしろ内面の評に関する違いが大きく、容色の方面についてはより客観的になるだけ、結局は同じ格付けに収まるということのようだった。
 話を聞いて回るうち、自分が問題と捉えているのがアラートの容貌とそれに対する評価そのものでないことは、さすがに理解も納得もできた。良しか悪しか、たとえどちらの結論が出たところで、インフェルノの心変わりなどは初めからあり得ないのだから、それ自体はごく些末な話なのだ。
 ならば一体この話の何が気にかかるのか、馬鹿馬鹿しいと思い捨てられないのは何ゆえか、そもそもについて深く頭をひねり始めた――と言いたいところだったが、初日に湧いた別の問題をも同時に俎上に乗せてしまったため、事の追求が半端になった点は否めない。
(誰かと会ってる、つってもなぁ)
 疑惑、などと大仰に呼ぶには情報が少なすぎる。まさかアラートに限って、とは考えたし、普段ならその通り笑い飛ばして終わっていたはずだ。しかし皮肉にも、と言うべきだろうか、二日に渡って集めた評価が、そうした一蹴を思いとどまらせた。
 そんな中で教習棟を訪れると、こちらから問うまでもなく、アラートの受け持ちとは別の組に所属する顔馴染みの訓練生が、直接訴えかけてきた。
「インフェルノ先輩、最近夜にレッドアラート教官連れ出してるの先輩ですよね? ちょっと控えて下さいよー。居残り講義やってくれないんすよ!」
 次の考査が、と頭を抱える後輩へ自分もわからないのだと事実を語るのも情けなく、自習でなんとかしろと肩を叩いてごまかす。心中は騒いでいた。アラートには知人から話を聞いた初日のうちにそれとなく訊ねてみたが、最近は演習準備のためにあちこちで籠もっていた、という返事だった。付き合いが悪いことの説明は付くが、そのために身綺麗にする理由はないだろう。「連れ出す」などとはっきり言われているからには、それを思わせる素振りを見せていたはずだ。好奇心旺盛な若者連中はとかく目ざといものである。
 もう一度、今度は少し踏み込んで訊いてみよう、と決めて家へ帰ると、演習が長引いたため現地の宿舎に泊まる、とメッセージが届いた。反射的に疑念を抱いた自分をいっそう情けなく思いながらも、そのまま勝手に疑いを深めているほうが不誠実だと思い決め、折り返し音声通信を飛ばす。少し驚いた様子で応答したアラートの声の後ろから、偽りようない訓練生たちの賑やかなざわめきが聞こえた。
『何かあったのか?』
 気遣わしげに問われ、内心深々と頭を垂れながら、声が聞きたかったのだと答えた。数瞬の間を置いて小さく返った「ばか」という叱責の声はやけに甘く聞こえたので、今ひとつ性能よろしくない演算装置ではもはや情報が処理し切れなくなってしまい、すまんと謝してすぐに通話を終えた(素直に舞い上がってその場はどうでも良くなった、というだけではない。決して)。
 明けて三日目。今夜は早めに帰る、と昼過ぎに連絡が入り、今度こそ面と向かって話す機会を得られると思えば、根本的に向いていないのだろう回りくどい聞き込みに勤しむ気概もはやばやと失せる。半ば惰性で軍本部を訪れたが、一人二人とおざなりに話したあとは、特に当てもなくぶらつき歩くのみとなった。
 そうしてふらりと差しかかった渡り廊の途中、
「あれ、インフェルノ? インフェルノじゃないか?」
 後ろから問いの形で名を呼ぶ声を聞き、鈍い足取りをその場に止めた。
「よお、久しぶり!」
 腕振り示しながら駆け寄ってきたのは、明るく投げかけられた言葉がまさにふさわしい、交遊の記憶をはるか訓練生時代までさかのぼる旧い友人だった。保安部の隊員ではない技術者で、軍属となって時を置かず地方の施設に配属されたため、戦乱が激化してからはほとんど連絡も付かず、疎遠となっていた。
 お互い良く生きていたものだと再会を喜び合ったのち、出張の用事が早く済んで暇があると言うので、連れ立って食堂の一席に腰落ち着け、積もる話を交わした。こちらの現況については思った以上に知られており、そんなことまでと驚けば、田舎は中央から流れてくる噂話ぐらいしか娯楽がない、などと笑ってうそぶいてみせる。
「お前もいつの間にか出世して、街のど真ん中に家まで建てて? しかもカワイイの捕まえて二人暮らしだって?」
「まァな」
 今日までに越えたあれこれを思えば、決して口当たりのよい言葉だけで語れる日々などではなかったが、常のごとく笑って応じた。おそらく相手もそれとわかっての冷やかしなのだろうし、今が幸福であることは確かなのだ。目下、小さな気がかりはあるにせよ。
(しかしまぁ、ここでもその評判かよ)
 なんとも言えない心地で、具体的なところまでは聞き及んでいなかったらしい旧友の問いを当たり障りなくかわす。響きの薄い反応に友人は口を尖らせた。
「なんか身持ちが固くなっちまってつまらん」
「ま、変わるときゃ変わるんだよ」
 あまり自慢げにしても墓穴を掘りかねないと、ある程度の言葉にとどめたが、幸い相手は過去の言動をあげつらっては来ず、代わりに別の思いつきをしたらしい。そうだ、と手を打って、ある依頼を持ち出した。
「なぁインフェルノ、明日の夜空いてないか?」
「明日? まあ一応」
 次の現場入りは二日後で、明日までは予定がない。厳密には非番ではなく出動待機の身だが、よほどの事件が生じなければこのまま要請なく終わる気配だ。
「実はさ、支局の交流会があるんだけど、一人来れなくなって……」
「代わりに出ろってか」
「そういうこと」
 みなまで聞く前に答えが出てしまうほどには、珍しくもない話である。転属の少ない地方にいると他部署との付き合いがなくなり、見分せばまってよろしくない。機会を見つけて交流の場を設けるべし、と、過去にそうした通達がなされたことも実際にあったと聞くが、次第に「宴会に公費の補助が出る」程度の認識となり、混乱期には当然のごとく内規から消えていた。今はあくまで私的な、主に若手の交流、ならぬ「交際」のため開かれる催しに形式を残すのみの状態だが、参加者や店の斡旋を担う商売もあるらしく、それなりの効果と活気を有しているようだ。
「企画のほうに頼まれて俺の知り合いを数合わせに誘ってたんだけど、ほかは基本みんな初対面だからさ。一人賑やかなのがいると違うんだよ。その来れなくなった知り合いも消防隊でさ、火に突っ込みましたー、みたいな話があるとやっぱ盛り上がるんだよな」
「救助員を虫かなんかと勘違いしてねぇか」
「酒代はおごるし! いろんな部署のやつが来るから、出たら割と楽しいと思うぜ?」
 まぁ、と頷きつつ考える。インフェルノも過去に幾度か似たような会に参加しており、おおよそどんな場かは把握している。そこで充分に楽しめることも知っている。しかし、当時と今では状況の一点が大いに違う。
「相手いるんだぜ、俺」
 建前はともかく、本旨の部分では参加にそぐわないだろう、と思って言ったが、友人は全く問題ないと首を振った。
「黙っときゃわからないって。お前が来たら場がいい感じになるし、相手がいるならほかをほいほい持ってかれる心配もないし、俺はむしろ都合がいい」
「はっきり言いやがって……」
 こうまで明け透けに言い切られては、呆れるより先に笑いが漏れる。だが躊躇を感じるのに変わりはなかった。それこそ過去の自分なら軽い気持ちで足を運んだかもしれないが、今は心にしかと決めた存在があるのだ。友人の頼みであれ、主旨がそれと定まった場に黙って出向くのは、やはり気が引ける。
 しかしわざわざ許しを求めるのもそれはそれでどうだろうか、と思案で続けた沈黙は拒否の態度には見られなかったらしく、これ店と参加者、と先へ進む言葉とともに端末を差し出された。とりあえずの姿勢で覗き込み、次の一瞬、深く声を呑む。
「インフェルノ?」
 変調に気付いての呼びかけにすぐには応えられず、たっぷりの間を置いてから、ようやく声を発した。喉に物の詰まってあえぐような音だった。
「……途中からで良けりゃ、行くわ」
「お、よっしゃ」
 久方ぶりに会った旧友は気付かず笑ったが、このごろ親交の深い者であれば容易に事態を察し、「何か企んでいると丸きり悪者顔」だの「引きが弱いやら強いやら」だのと言って、やはり笑ってみせたかもしれない。
 雑多に寄せ集められた参会者たちの名のなか、今はもう長の付かない保安部教導官の肩書きは、周囲からさして浮き上がっているようにも見えなかった。



←BACKNEXT→

NOVEL MENU