Special Day



 部隊の先頭を進む赤の大型車両は、普段よりいくらか速力を上げているようだった。これが災害現場への途上という状況であれば別段珍しくもない、どころかだいぶん遅いとさえ言える速度だが、今は本局へと向かう帰路にあるに過ぎず、特別に急ぐべき要素はない。しかし街へ近付くほどなお速度は増すようで、さすがに不思議に感じたのか、隣を走っていた配属間もない新人がこちらへ幅を寄せ、小さく語りかけてきた。
「隊長、随分ご機嫌な様子ですね」
 やはり任務がうまくいったからでしょうか、と、誇らしげな響きの混じる声で言う。それは確かに間違いではない、と思ったので、そうだなと肯定を返した。
 事実、今回の成果は偽りなく上々のものだった。辺境の星で勃発した内乱の鎮圧部隊への従軍、および救援活動という、久方ぶりに重みのある遠征任務となったが、我が隊は経験豊かな救助員、今まさに先頭を行くインフェルノ分隊長のもと、到着から休む間もなく活動し、人命救助に加えて争いの鎮静化にも大いに貢献した。結果、当初の予想よりはるかに早く戦乱は終結し、被害も数段階低く抑えられ、胸張っての母星帰還となったわけである。意気揚々としているのはみな同じであり、心とともに多少足がはやるのは自然のこととも言えた。
 今回が初の長期遠征であった新人は、任務完遂の感が高まるにつれ緊張が感動へ転化され始めたのか、興奮の様子で話を続ける。
「しかし、隊長のご活躍は素晴らしかったですね! もちろん以前からそうですが、今度の任務ではいつも以上にそばにいて勇ましく心強く感じられました。この部隊に配属されて自分は本当に光栄です!」 
 声高く落ちたその言葉にもやはり否やはなかったので、私は再び肯定の相槌を打った。
 我々の分隊を率いるインフェルノ隊長は、まだ統率格の経験は浅かったが、救助員としての実績と現場での雄姿は若年の時分から広く知られており、名のある保安部員の一名だった。優れた救助の腕に加え、豪放かつ明るく気っ風のいい性格は、同僚のみならず、現地の民間人からもすぐに懐かれて、直属の部隊員である我々ももちろん彼を心から慕っていた。大胆を越えて少々向こう見ずなところがあることと、事務仕事がめっぽう苦手なことが玉に瑕ではあったが、そのあたりの欠点もまた、上官への親しみやすさを深めるのに寄与していた。
 本局への平らかな道が尽き、奥へ段差の続く(地上からの侵攻を防ぐためとは言えもう少し階段を短くできなかったものかと、仕事終わりに毎度誰かしらが愚痴をこぼす)門をひとつ抜けたところで、隊長の号令とともに一斉にロボットモードへ戻る。――と、それを一手遅れて追いかけるように、後ろから同じ号令と変形音が聞こえた。別の方向から門へ曲がってきたため、今まで気付かなかったらしい。振り返り目にした一団の所属を判ずる前に、声が飛んだ。
「よぉ、アラート!」
 先頭で今しも階段へ脚をかけようとしていた隊長がきびすを返し、がしゃがしゃと音立てて後ろへ駆け戻っていく。向かう先の部隊の先頭には、名を呼ばれた赤と白の機体のトランスフォーマーが、かすかな驚きの表情を浮かべて立っていた。インフェルノ、と意外げに応えが返る。
「今帰ったのか? 随分早いな。もう少し事後処理が続くと思っていた」
「充分働いたってことでそっちは免除になったんだ。黙っといて驚かせようと思ってよ」
「そうか。話は聞いている。素晴らしい活躍だったそうだな」
 おう、と喜色満面に頷く隊長の姿は長途の疲れを微塵も感じさせず、いつもながらの頑健さであった。疲労困憊の部下たちへ、先に相手の側が気遣いを見せてくれるのもまた、毎度恒例のやり取りである。
「それはいいが、みな長い遠征で疲れているだろう。早く報告を済ませて部下を休ませてやったらどうだ」
 そう言ってこちらへ視線を寄こすので、いいえ自分たちは構いません、無限階段前の小休止です、と口々に言葉を返した。別に示し合わせているわけではないが、彼と我々の部隊とは以前からの顔馴染みであり、こうした場合の対応も慣れたものだ(同時に、すぐに階段を登る気にならなかったのも事実である)。済まないな、と苦笑いしつつ彼は一度後ろへ向き戻り、自分の連れていた隊に解散を告げたようだった。
 上官同士の立ち話が再開されたのを横目に、こちらも雑談を始めかけたところへ、
「あの、先輩、今隊長とお話をされているのは……?」
 そんな問いがかかったので、私は逆に訊ね返した。
「お前、訓練生の時に教わらなかったのか?」
「あ、こいつ外の支局に直接入ったから養成所出てないんだぜ」
 新人の代わりに隣にいた同輩が答える。なるほど、しきりに見つめているはずである。初めて見る相手、初めて遭遇する光景というわけだ。おそらく、尊敬する隊長の初めて目にする態度、でもあるのだろう。
「あれはレッドアラート教官だよ。元保安部長で、隊長の元直属上司」
「えっ」
「今もたまに一緒に任務することあるぜ」
 我らが隊長、救助員インフェルノと、保安教導官レッドアラートと言えば、昔から保安部でも指折りの名コンビとして知られている。今は一線を退いているレッドアラート教官も、困難が予測される救助任務には保安員として同行することがあり、的確な指揮と、それに颯爽と応える隊長の働きの見事さは、いつ何度居合わせてもそのたびに感嘆してしまうほどだ。一人としても一組としても、保安救助任務に携わる者の憧憬を一身に集める存在と言って過言ではない。
「元保安部長……そんな方が……」
 さらに尊敬を深めたように呟きつつも、少しの疑問の色がその声に混じる。
「元上官にしては、その、随分と親しくしてらっしゃるのですね?」
 それは眼前の光景を語るには既にだいぶん控えめな表現だったので、私と同輩は一度顔を見合わせて、笑いを噛み潰しつつ頷き、
「まあ上司と部下と言うか、相棒らしいからな。昔から」
「パートナーってやつ」
 新人の初々しい態度に免じてそんな当たり障りのない言葉で答えてやったが、正直なところ、終わりまでその見方が保たれる気はしなかった。何しろ、前から漏れ聞こえてくる会話の端々に、覆いようのないあれこれが早くもにじみ出してきている。

「かなりの激戦だったそうだが、途中で負傷者は出なかったのか?」
「ああ。ま、後方支援の時間のほうが長かったからな。たまには本体にも入ったけどよ、あんまり前に出ると誰かさんが心配するだろ? 通信のたびに釘刺されてたし?」
「あれはその、お前が隊長としての行動をしっかりわきまえているかと……」
「ま、そういうことにしとくか。俺だってさすがに部下連れて特攻かけたりはしないぜ」
「そうだな……すまない」
「お? いや、別に謝られることでもないんだけどよ」
「今のお前の評価は聞いているし、信用してないわけじゃないんだ。もう自隊の部下でもないのに……今度のように離れていると、どうしてもうるさく気にしてしまう」
「おいおい、んな顔すんなよ。うるさいなんざ思っちゃいないさ。お前が昔からそうやって色々言ってくれたから、今こうして立派に隊長やれてんだ。感謝してる」
「……そうか」
「おう。……っと、肝心なこと言うのを忘れてたぜ」
「ん?」
「ただいまアラート。心配してくれてありがとな」
「あ、……お帰り、インフェルノ。……無事で良かった」

 暖色の靄に本局の影が二重の意味で薄れていく様子を眺めつつ、ちらと隣の新人に視線を移せば、見事に口が丸く開いていた。
「ええと、相棒……え? あの、なんだか妙に、近……」
「お、伝統の反応だな」
「大丈夫だ。お前は何も間違ってない」
 両側から肩を叩いてやる間にも、周囲を忘れたかのようなやり取りはなお進む。

「お前のほうはなんか変わりあったか?」
「いや、特には。今日は水難救助の演習に行っていたんだ。皆だいぶ動きが良くなってきた」
「宴会は?」
「宴会? ああ……その、お前が遠征中だと言ったら暇だろうと何度か誘ってくれたんだが……本局の仕事のほうが立て込んでたからな。行けなかった」
「そうか。あいつだろ? 誘ってきたの。あそこに居残ってる」
「うん、良くわかったな。実力はあるんだが、最近どうも上の空で気にかかってるんだ。酒の席ででも話を聞ければ良かったんだけど」
「その前に一回叩き直したほうがいいんじゃねぇか。現場演習やるなら付き合うぜ」
「そうだな、そろそろいい時期だし。今度頼む」

 あくまで自然な提案に、その裏に込められた意図を汲んで、うわ、とふたつ隣で同情の声が漏れた。
「どこの現場連れて行く気だろ」
「まあ二、三日はぶっ倒れるだろうな。救護班に連絡しておかないと」
「あの訓練生こっちを……と言うか隊長を睨んでるんですけど……」
「なんでかレッドアラート教官ってデカいのに好かれるよな」
 その筆頭である我らがインフェルノ隊長は、不穏な視線も一顧だにせず、いつもの快活な笑みのまま、どうやら牽制の意も含んでいたらしい「距離の近い」話を続けている。つまり自分から終える気はないということで、やはり締めを持ち出したのは教官の側だった。
「さすがにもう報告へ行ったほうがいいんじゃないか。到着は報せてあるんだろう」
「ああ」
「きっと拍手で迎えられるぞ。誇らしい成果だ」
 我がことのように笑む教官へさらに半歩身を寄せ、隊長が言う。
「んなことより、あの約束憶えてるよな? アラート」
「約束?」
 首傾げる仕草に、朗色一転、にっと悪戯めいた笑みが浮かび、
「四十日より早く戻ったら、なんでも好きなことしていい」
 落ちた言葉に、あ、という教官の声と、え、とまた口をぽかんと開ける新人の声と、ああ、と頷く部隊員たちの声が続いた。
「なっ……」
「そう言ったよな?」
「言っ、……た」
「四分の一も縮めたぜ! へへ、楽しみ過ぎて飛ばしてきちまった!」
「ば、馬鹿、声が大きい……」
 いえ、初めからそもそも小さな声ではありませんでした、と心の中で唱和しつつ、じゃあそろそろ行きましょうと皆で隊長(および固まっている新人)を促す。よし上まで走ってくか、などと無体なことを言い始めるのを四方から止めながらふと振り向けば、レッドアラート教官はまだ顔を真っ赤に染めたまま、それでもじっと大きな赤の背を見送っていた。
「え? じゃあご機嫌だったのは……、あれ?」
「お前もそろそろ落ち着け」
「すぐ慣れるすぐ慣れる」
 胸に描いていた「理想の隊長」の像は少し崩れたかもしれないが、まあ心配は要らない。本局で受ける賞賛を「んなこと」と一蹴されても、もはやまるで気にならない。そのうちに皆、形ばかりの賛辞より何より、もっと重要な幸福があり、待ちわびる特別な日があると気付く。保安部員の憧憬とともに、あらゆる意味でのあたたかなまなざしをその身に集める一対を見て、部下は決して特攻させないが、実は単騎で特攻することのある愛すべき無鉄砲な隊長を、なんとしても無事に家へ帰してやろうという気概を心底から抱くのだ。
 恋人ほしいなぁ、とこぼれた誰かの呟きに揃って頷きつつ、明日からの休み明け、既に十段ほど単騎先行してしまっている隊長の顔に彼のものよりふた回りほど小さな手形が咲いているや否やと、毎度恒例の賭けの話に興じながら、我々は今日もその尊ばしい背を追うのだった。


end.
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