Wheels of Fortune




【Ⅹ.運命の輪】
 -思いがけない事件
 -大きな転換と好機の到来
 -運命的な出会い



 そりが合わないとはまさにこうした関係を言うのだろう、と、延々と連なる叱声を遠い演説のように聞きながら、インフェルノは内心に独りごちた。よくもまあ毎度毎度語る言葉が尽きてしまわないものだと感心さえ覚えながら、もはやそれが常態とも言うべき、渋面に腕組み姿の上官を見下ろす。威厳という点に関してはその地位にいささかつり合わない外見を持つ小柄な指揮官は、それでも相応にこなれた鋭さの視線を上げ、反応のない部下の顔を睨めつけてきた。
「おい、ちゃんと聞いているのか?」
「聞いてるよ」
 じゃあ初めからくり返してみろと言われれば半分も答えられやしないが、そのあたりには相手も気付いていると見え、重い排気の音とともに呟きをこぼした。
「にしては反省の色が感じられないがな……」
 反省ねぇ、とまた胸中で語をくり返す。そもそも、こうして叱責を受けていること自体に納得が及んでいないのだから、そのうえ反省を求められたところで殊勝に頷けるものではない。声に出ずとも態度に如実なその思考に、対峙する上官が険を深める。今は部屋に二人きりだが、周りに隊の同僚たちがいれば、やれまたか、と揃って肩をすくめてみせたことだろう。
 サイバトロン軍部の誇る生真面目な消防指揮官、保安員アラートの下に就いてから、既に一年近い日が過ぎている。自他ともに認める付き合いの良さを発揮し、配属間もなくして周囲に馴染んだインフェルノであったが、この直属の上司との関係に限っては、いまだ良好なものとは言えなかった。思い返せば、顔合わせの日に交わした初めの会話からしてが、これから共に働く仲間とも考えがたいやり取りであったものだ。
『評判は聞いている。初めに言っておくが、これまでの物差しがそのまま通用するとは思わないことだ。軍には軍の法があり、今後はそれに従ってもらう。業歴にあるような命令違反は全て懲戒の対象となる。従前の評価による特別扱いは一切しない。重々わきまえるように』
 まだ任務どころか日常の活動さえ場を同じくしていない自分の、ごく月並みな挨拶への返事がこれだった。さすがに面食らってまじまじと見つめた顔には、皮肉を発したという気配すらない。
 インフェルノは兵としては紛うかたなき新人であったが、救助員としての名は軍内部でも既にいくらか知られていた。もともと保安部員を志望し、実働能力については申し分ないとの評だったものの、学識考査に通らず、養成施設を出た初年に軍属資格を得られなかったため、一度民間の消防組織に入隊していたのだ。数年務めるうちに内外でその働きが話題となり、本来は倍以上の年月を要する再試認定期間が大幅に短縮され、形ばかりの考査を経ての推薦入隊となった。
 いわば特別の待遇を受けたわけだが、評価には素直に胸を張りつつ、と言って別段それを鼻にかけてふるまおうというつもりもなかったのだから、アラートの訓告は今さらごと以外のなにものでもなかった。特例の新入りを迎えるにあたっての当然の配意ではあるのだろうと、一定の理解はしたものの、にしてもあまりに堅苦しく高圧的な物言いである。遠巻きに立っていた新たな仲間たちのあいだに同情混じりの苦笑が渡り、それだけでこの上官の評判と、隊の空気のおおよそが呑み込めた。
 厄介なところへ来てしまったようだと嘆じつつも、そんな言葉にはいとおとなしく頷ける性分ではなく、こう切り返した。
『了解、努力する。けどよ、軍だろうがどこだろうが、法だの規則だのってのは大して変わらねぇと思うぜ。その時あったほうがいいからってんで後付けで作ったもんで、状況が変わりゃ邪魔になるもんもある。確かに俺は違反もしょっちゅうだったけどよ、コトを良くするために作ったもんをがちがちに守って、逆に動けなくなるなら本末転倒だ。そうだろ』
 見下ろす渋面が崩れ、驚きの色が浮かぶ。少し気を良くして続けた。
『俺もあんたの話は聞いてるよ。優秀なエリート様でもなんでも、俺は自分が見たもんで判断するぜ。初めっから特別扱いで拝んでやろうとは思わない。それでいいんだろ? レッドアラート主任』
 上官への侮辱行為とみなされても仕方のない発言だった。色めき立つ同僚たちの視線を受けつつ、さてどう来るか、と開き直りの生む愉快半分に待つ。が、さすがに怒りを示すだろうと身構えた予想に反し、その顔はゆがみを大きくするどころか、ほんのわずかの揺れも見せずにふっと色を抜き、もとの無表情に戻った。
『……ああ、構わない』
 平坦に声が落ちる。逆に意表を突かれて見返す間にも、波のない事務的な言葉が続き、以上だ、と結んで、こちらが問いを投げる隙もなく、さっさときびすを返して部屋の外へと歩み去っていった。戸が閉まるなり快哉を叫んで駆け集まってきた仲間たちの好感を一度に得たことは間違いなかったが、独りその場から消えた上官が一体何を思っていたのかは、ついぞ謎のままだった。
 その後は驚きや黙過の反応を示されることもなく、二人の口論は隊の日常の風景となった。大抵はまず部下の行動についてアラートがあれやこれやと意見叱責をし、それにインフェルノが反論する、という流れで始まって、時に別の話題をも巻き込みつつ延々と火花を散らせることになる。ああいう性格の上司をいちいち気にしていたらきりがない、と初めは無視を勧めてきた仲間たちも、最近は一向に退く気配のない両者のやり取りをただ遠巻きに眺めるのみだ。
 小康の時代と言われて久しく、大規模な激突などもない時勢、規律ゆるみがちな軍の内部にあって、アラートの謹厳な態度は異彩を放ち、有り体に言えば、周囲から非常に煙たがられていた。一年足らずのうちに隊を去っていった者もいたが、インフェルノは宣言通りの規則違反のたび厳しく譴責を受けながら、除隊やそれに準ずる処分を言い渡されることもなく、こうして堅物の上官との口争いをくり返している。
「要するに、あんたは俺が勝手にライフルをぶっ放したのが気に入らないってわけだろ」
「気に入る気に入らないの問題じゃない。重大な二次損壊を出しているんだ」
 今日の面責は、軍本部で起きた火災の消火任務中、インフェルノが取った行動に端を発した。資料庫内の機器トラブルによる単純な出火であったが、施設内部の自動消火システムが作動せず、本部付きの保安部隊の手に余る規模となったため、別件で居合わせたアラート隊に応援要請がなされたものである。現場一角が高セキュリティ区域に設定されていたために使用できる経路が限られ、避難も消火活動も予想以上に難航していた。
 指示と誘導の号の飛び交うなか、施設内部の出入口付近から消火を行っていると、前方の通路の厚い壁板が高熱によって剥離を始め、見る間に崩落寸前の状況に陥った。折悪しの瞬間とは重なるもので、今しも崩れ落ちようかという壁下の通路へ、白煙の奥から最後の避難者の一団が出口へ向かって進んでくるのが見えた。並んで消火にあたっていた隊の一人が、止まれ、と声を張り上げるが、放剤の音と濃い煙にさえぎられて、頭上の危険は伝わらない。資料庫の壁は特殊金属製で、へりから垂直に落ちれば、大型機の装甲さえ切断するほどの衝撃を生みかねなかった。
 飛び出してかばうか、落下前に壁を破壊できるか――迷いと躊躇の思考の気を打ち払い、誰よりも先に動いたのはインフェルノだった。前へ踏み出てライフルを構え、問いの視線も制止の呼びかけも待たず、一点に的を絞って発射されたビーム砲が、あやまたず目標に着弾する。瞬間、炸裂音が鳴り響き、爆発に近い力をともなって噴出された高圧気体が、元あった壁面もろとも、はがれ落ちた金属板をフロアの逆端へ吹き飛ばした。崩落地点の直下に据え付けられていた、機器冷却用ガスの入った気密タンクを撃ち抜いたのだ。
「確保!」
 巻き立つ煙を裂いて、指揮官の号令が上がる。声とほぼ同時に飛び出していたインフェルノに続き、一瞬の竦みから我に返った隊員たちが前へ駆け、爆風にあおられて倒れた避難者たちの救助と誘導にあたった。施設内の無人を確認して高出力の消火を行い、ほどなくして火も消し止められ、目立った重傷者を出すことなく、事態はおおよそ上首尾に収束した、――はずであった。
 現場の後処理は本部の人員が担当することとなり、申し送りと一連の事態報告のため残任を言いつかったアラートは、空き室で待機していた隊員たちに保安局への帰投とそののちの解散を命じ、最後に、ただし、と付け加えて言った。
「インフェルノ、お前はここに残れ」
 は、と思わず疑問の声がこぼれた。理由を訊ねてもあとで話すの一点張りで、わけのわからぬまま従うしかなかった。さすがに一人お褒めの言葉が得られるなどと安閑なことは考えられず、慰めのように肩を叩いて出ていく同僚たちを恨めしく見送り、一対一となって開口一番に頂戴したのは、案の定、あの瞬間の独断行動に対する問責の言葉であった。どうやら、剥離した板を弾き飛ばしたまではいいものの、ガス圧が強すぎたため逆側の資料庫内部の壁までが崩れ落ち、真下にあったデータバンクのひとつを破壊してしまったらしい。
「重要施設だから細心の注意を心がけるようにと、初めに伝えただろう」
「そりゃそうだったけどよ」
 設備に損害を出したことは事実であり、それ自体についての言い逃れはできない。居残りを命じられたのも、司令部からその一件で留め置きの令が出たためであるようだ。しかし、そうして物の損失に関してのみ言及がなされる状況には、どうにも合点が行かなかった。淡々と苦言を並べる上官に疑念と憤懣がつのり、相手と同等の険を込め、反論の言葉をぶつける。
「じゃあ逆に訊くぜ。確かに俺は独断で動いたし、結果としちゃあんたの忠告に従わねぇで、大事な機械をぶっ壊しちまった。そいつは認める。だがよ、だから何もしないでぼけっと突っ立ってりゃ良かった、ってぇのか? あのままほうっといたら、壁が避難してきたやつらの上にもろに落ちた。下手すりゃ二、三人死んでたかもしれんぜ。そのぐらいあんただって……あんたは、わかってたろうが?」
 現場実働型か後方指揮型かという差は関係ない。隊で最も長いキャリアを持ち、時に過剰なほど注意深いこの上官が、先の状況を見誤っていたはずがない。
 指摘を受けたアラートはこちらを仰ぐ視線をそらさなかったが、光の鋭さはそのまま、その淡い青の中にわずかな揺らぎが生じたのが確かに見て取れた。声なき答えに少しく語調をゆるめ、続ける。
「俺は、自分のやったことを間違ったとは思っちゃいないぜ。上のお偉いさんらが部下の生き死によりその大層なハコのほうが大事だってんなら、そんなやつらの作った決まりだのなんだのに従ってやるのは御免だね。ただの道具のために仲間を見殺しにしろなんて命令、到底聞く気が起きやしねぇよ」
 青臭い言葉ではあるのだろうと、多少なりと自覚はしていた。だが、これは自分の偽らざる信念であり、かねてからの誓いでもある。立つ場や背負う名が少し変わったからと言って、おいそれと翻すことはできない。
「あんたは……」
「言い分はわかった」
 さらに言い重ねかけた言葉をさえぎり、淡然と声が落ちる。
「今から司令部へ行って沙汰を仰いでくる。いい意味にも悪い意味にも、ここでは既にお前の名前は知れている。何か反省の弁があればと思ったが、その調子を言葉のまま伝えるわけにはいかないな」
「別に、俺はそのまま言いつけてくれて構わないぜ」
 隠してどうなるものでもない、と言うと、ふっと細く排気の音が鳴り、
「ひとつの軽はずみな言動が、重大な損失を生むこともある」
 平坦な声音でそう続け、こちらがもう一度口をひらく間もなくきびすが返される。無用の出歩きはせずおとなしく待機しているように、と戸口の前に短く言い落として、赤と白の機体はそれきり振り向きもせず部屋を出ていった。
 残されたインフェルノは前へ上げかけていた手を身の横に引き戻し、閉じたドアへ小さく舌打ちを送ってから、傍らの椅子を寄せて雑な動作で座り込んだ。背もたれに反りかえり、飾り気ないシーリングを仰いで呟く。
「人のこと言えたタマかよ……」
 いつも余計なひとことを吐いて(それが全て相手にぐうの音も許さない正論であるからこそ)各所に敵を作っているのは誰なのかと、苦々しく考える。指摘したところで、それがなんだと冷えた視線が返るのみだろうが。
(合わねぇし、頭ン中が違ぇんだよな。結局)
 もやのように湧き広がる苛立ちを感じながらしばし待機を続け、独り考え込むのにも飽きを覚え始めた頃、思考にざわめきの声が混じり入り、戸外に面する窓の向こうで何やらの騒ぎが生じている気配に気付いた。身を寄せて見下ろせば、横手に建つ格納庫の前に、本部付きの兵とおぼしき幾人かのサイバトロニアンが集まり、思案の表情を寄せ合っている。
 今日までの経験に得た直感が働き、反射的に立ち上がって廊下の方向へ踏み出した。ドアを抜ける瞬間にアラートの出がけの言葉を思い出したが、説教なら既に頂戴しているのだからひとつもふたつも同じだ、と反発の念とともに開き直り、階下へ向かって早足に歩を進めていった。
「よぉ、何があったんだ?」
 人を集めていた施設は、どうやらリアクター格納庫のようであった。技術部のしるしを付けた一人に話しかけると、思わしげに答えが返る。
「中に妙なエネルギー反応があるんだ。調査したいんだが、高熱で近付けなくて」
 保安部隊を呼びに行こうかと話していたが、今日の火災の処理で手が取られているようだから、と言うので、迷わず名乗り出た。
「俺は本局の保安部員だ。良ければ見に行ってやるよ」
「お、そうか。それは助かるが……正式な手続きを飛ばしていいのかい?」
「構やしないさ。うちの隊長は用事でしばらく帰ってこねぇし、もし爆弾かなんかだったら急いだほうがいいだろ」
 まさにその不安が取りざたされていたようで、周りにいた他の兵員たちも顔を見合わせて頷く。では頼む、と要請の言葉を受け、軽く了解の手振りを返してから格納庫のシャッターをくぐった。
 事前の言葉の通り、内部に足を踏み入れた途端に機体が高温の空気に包まれたが、火災現場に並ぶような危険水準のものではない。しかも奇妙なことに、入り口を離れるほどに温度が低下していく。ざっと熱源を探してみれば、やはり火や漏電漏出の気配はなく、シャッター上方になんらかの装置らしきものがあるのみだ。ただ高熱を発するだけのもので、人を遠ざけておくための偽装と見てまず間違いない。ことによると、先の火災もこれに連なる工作の一端であったのだろうか。
 つまり確実に別の何かが中にあるわけだ、と気を引き締めるとともに高揚をも感じつつ進んでいくと、リアクターの裏手へ向けた視線の中を、小さな影が飛び横切るのが見えた。
「誰だ!」
 ライフルを構え、誰何する。応答はない。この状況を考えればまず味方ではあり得ないだろう。
 聴音や物体視認といった基本感覚に関し、インフェルノの感知機構はさほど高性能とは言えなかったが、今は周囲の熱気が逆に助けとなり、サーモセンサーで相手の居場所を容易に捕捉することができた。高温から身を守るために断熱バリアを施しているのだろう、周囲より温度の低い物体が物陰を移動している。その備えは取りも直さず、偽装工作を仕掛けた当人、あるいはその仲間であることを示すものにほかならない。
 熱探知で捉えた侵入者の反応は一体きり。小型機のようだがそれだけに動きが素早く、応援を呼ぶ間に逃走されるおそれもある。単独対峙を決め、通路の中央に陣取り、姿を見せた瞬間に撃ち落としてやろうと、腕のみを動かして銃口で侵入者の動きを追う。長期戦も覚悟したが、膠着はすぐに破られた。
 宙に鋭く上がった影が陽動のデコイミサイルであることはロックオンの前に気付いた。しかし銃口を戻すより一瞬早く、本命が横へ飛び出す。バードタイプの小型機で、独特の声を発して旋回する機体の上に、インフェルノは敵軍の紫のインシグニアを見止めた。
「逃がすかっ」
 片足を軸に体を回し、崩れた体勢のままトリガーを引く。それで当たるのが不思議だ、とたびたび揶揄されてきた射撃だが、精度には自信があった。放たれたビーム弾は直撃こそしなかったものの(咄嗟の減速が回避に効いたためで、なかなかの知能と判断力を持つ相手であるらしい)、左の羽をかすめて機体がよろめきを見せる。
 しめた、と追い討ちを放つべくライフルを構え直し、しかし照準を固定する寸前、自ら放したのか、着弾の衝撃で取り落としたのか、敵機の足から落下した物体に気を取られ、動きが止まった。こぶし大の装置。撃つべきか、撃たざるべきかと迷い、いややはり本体の確保が先決だと思い直して、グリップを握る指に力を込めた次の瞬間、異変は起きた。
 予想より早く金属音が響いたのは、物体の落下先が化学反応装置の上であったためだが、衝撃とも言えないその衝撃の直後、リアクターが異常な駆動を始めたことに気付き、インフェルノははっとしてそちらへ向き直った。設備の破壊が目的であれば侵入時点で果たされているに違いなく、時間稼ぎの手段さえ用意したからには、何か手の込んだ工作を目論んでいたはず――そう考えたが、正解である保証はない。追い詰められて目的を破壊に切り替えたのなら、次に起きるのは。
 腕を前へかざし、来たる衝撃に備えて身構える。いくら優れた防御性能を誇る装甲を有していても、この至近距離では安穏としていられない。敵機自身がまだそう遠くない位置にいるのだから、それほど大規模には、と思いたかったが、捨て身の自爆行為に走る可能性とて否定はできなかった。なにしろ、相手は卑劣なデストロンの兵なのだ。
 異音を立てるリアクターから余剰エネルギーが漏れ出し、熱波が身の横を過ぎた。中空を走る激しい放電の音も聞こえたが、危惧した爆発の起きる気配はない。手の隙間からそっと前方を見やり、インフェルノは言葉を失った。視界に飛び込んできたのは、火花を散らす制御装置や膨張した金属管ではなく、明滅する光と、具象化した巨大なエネルギーの渦であった。
 一歩後ずさり、目の前の不可思議な光景を声なく見つめる。何が起きたのか見当もつかなかった。ただ異常な事態であることだけを理解し、動転を振り払おうと努めたが、下げたはずの脚が前へ引きずられ始めているのに気付くのも、刻々と色移ろわせる渦が、その中心の口を開きかけていることに気付くのも、わずかに遅かった。
 閃光が目を灼き、視界を白く染める。叫ぶ間もなかった。吹き荒れる熱風に引き掴まれ、生涯初めてのものと言っていい機体の浮遊感に見舞われたのち、全身を壁に打ち付けられたかのごとき衝撃を受けて、声にならないうめきが口から漏れる。急激に低下していく意識の波高を感じつつ、最後に思い出したのは、芯からそりの合わない上官が置き残した忠告の言葉だった。


      ◇


 意識レベルがゆっくりと回復し、まず初めにアイセンサーが捉えたのは、空――金属管の張り巡らされた格納庫の天井ではなく、文字通りの空であった。機体は仰臥の状態にあり、背の下にあるのもリペア台ではなくただの地面だ。よもや格納庫ごと吹き飛んでしまったのか、と一瞬動揺を覚えたが、その規模の爆発に巻き込まれてのうのうと寝ていられるはずがない。身のあちこちに鈍い痛みを感じはするものの、深刻な損傷はひとつも生じていないようだった。ライフルも手に握ったままだ。
 回路の具合を確かめながら身を起こし、立ち上がる。壁が横手に続き、反対側には何かの施設が建っているが、最前までいた格納庫とは造りが違う。集まっていた兵たちの姿もない。混乱を覚えながらも、メモリに焼き付く奇異の光景の記憶から、何が起きたか、を判じた。信じがたい。到底信じがたいが、ほかに説明がつかない。自分はおそらく、あの強烈なエネルギー波による空間転移に巻き込まれてしまったのだ。
「どこに飛ばされちまったんだ……?」
 過去の事例を噂に聞いてはいたが、まさか我が身に起きるなどとは考えたこともなかった。様子を見る限り軍の施設内部ではあるらしい。思い過ごしであることにまだ期待をかけつつ、現在地を把握しようとエリアスキャンを行うが、反応がない。数度試して全てエラーが返った。そもそも、接続先のホストコンピュータが見つからないのだ。
 セルフチェックの限りでは不具合なしと出るが、やはり衝撃で通信機構のどこかがおかしくなってしまっているのかもしれない。よもやデストロンの基地にでも飛ばされたのではあるまいな、と一抹の不安も感じつつ、あの場の顛末も気にかかり、ともかくここから動かねばと足を踏み出しかけた、その時であった。
 前方、壁が左手に折れた奥の道から、かしゃかしゃと小走りの足音が近付いてくる。一瞬前の有難くない想像が頭をよぎって身構えかけたが、銃口を起こす前に相手が角を曲がって現れ、互いに姿を認め合った瞬間、別の焦りに身がこわばった。赤と白の機体がぎょっとした様子で足を止め、驚倒の声が重なる。
「げっ、主任……」
「インフェルノ……? お前、どうしてここに?」
 慌てて銃を下ろし、いやその、と弁明を返す。
「最初はちゃんと部屋で待ってたぜ? けどなかなか戻ってこねぇし、外でなんか騒ぎがあったみたいだったからよ……」
 違反のひとつやふたつと開き直りはしたが、元は些細な命令であっただけに、いざ見咎められれば逆に後ろ暗さが深い。これで騒動を解決していたなら胸も張れたろうが、半ばで放り出され、今の今まで道端に気を失っていたのだから、そのなんとも言いがたい情けなさによる萎縮もあった。
 さて今度はどんな説教が来ることやら、と先とは別の意味で身構えたが、アラートは困惑の表情を浮かべ、叱責ではなく問いを口にした。
「部屋? 騒ぎ? ……なんのことだ?」
「あんたが部屋で待ってろって言ったんだろ」
「俺が? いつの話……いや、だからそもそも、なんでこんなところにお前がいるんだ?」
「だから外で騒ぎが……」
 説明をくり返すが、まるで反応が噛み合わない。もしや通信機構のみならず、記憶回路にまで不具合が生じているのだろうか、と再度チェックを走らせるも、やはり気にかかるエラー報告は現れなかった。仕方なしに、初歩も初歩の確認をする。
「ここはサイバトロンの軍本部の中であってるよな?」
「……ああ」
 これでまずひとつ疑問は解消した。初めにこちらの名を呼んでいたし、前に立っているのが直属の上官であることも間違いない。何やら値踏みでもするようにじっと注がれる視線はとりあえず無視をして、相手が口を開かないならと、現況を確かめる言葉を続けた。
「なんかの手続きがどうのって朝から本部に来て、昼に資料倉庫で火が出て、消火任務に就いた。んで、データバンクを吹っ飛ばした俺はお咎め喰らって居残り。あんたは上のヒトらに処分を聞いてくるっつって部屋を出てった。……ここまでもいいだろ?」
 少しの間のあと、頷きが返る。うまく説明できる自信はなかったが、アラートが部屋を去り、騒動の気配に気付いてからの一連をかいつまんで語った。
「――で、多分そいつに呑み込まれて、場所を吹っ飛んじまったと思うんだ。あっちがどうなったかわからねぇし、あの鳥野郎もそのままだし、戻らねぇと……あんたの説教はあとでちゃんと聞くからよ」
 この場はひとまず見逃してほしい、と言外に含ませて言ったが、アラートはいいとも駄目だとも答えず、代わりに、
「お前、一度トランスフォームしてみろ」
 そんな、唐突にもほどがある言葉を口にするので、は? と思わず間の抜けた声が漏れ出た。
「なんだよいきなり」
「いいから、してみてくれ」
 ほら、と合図のような声さえかけられ、わけのわからぬまま数歩下がり、言われた通りにビークルモードへとトランスフォームする。このまま格納庫へ向かって先導してくれるのかとも思ったが、アラートはただその場に立ってこちらを眺めるのみで、何やら意味深げに頷いてみせたあと、戻っていいぞ、とあっさり命を解いた。
「なあ、早く向こうに……」
「リアクター庫なら今さっき横を通ってきた。特に異状は見られなかった」
 姿を戻しつつ重ねた急き立ての言葉までもが、途中でさえぎられてしまう。じれるインフェルノの反応をよそに、アラートは任務報告をするかのごとき口調で淡々と語り始めた。
「リアクターの異常報告も、敵機侵入の形跡もない。さらに言えば、本部内で火災があったという話も聞かない。だから消火活動も行っていないし、司令部を訪れてもいない。そもそも――」
 一度言葉を区切ってこちらを見据え、言う。
「私は今日、お前と話しても、会ってもいない。『ここにいないはずの者』に対面できるわけがないからな」
「は……?」
 疑問符ばかりが頭を埋め、演算回路が処理限界に達するのを感じた。ただでも巡りの良いとは言えないブレインに、この状況は高負荷が過ぎるというものだ。
「あんた、さっき俺の説明にうんうん頷いてたろうが?」
「なるほどさっぱり身に覚えがないな、と思って頷いただけだ」
「おい……」
 さらりと述べる上官に顔を引きつらせつつ、じゃあ一体どういうことなのか、と説明を求める。今の口振りからすると、相手はこの状況に察しがついているらしい。
「つまり、」
 ようやく前へ進む気配をにじませた言葉を、しかしアラートは途中で呑み込んだ。はっとした表情を浮かべて駆け寄って来たかと思うと、インフェルノの体を横へ押し始める。
「そこの角に隠れろ」
「へ?」
「早く!」
 鋭く命ぜられ、わけを問う暇もなく右手の建物の陰に機体を入れ込む。それとほぼ同時に、アラートがやってきた前方の通路から、今度は二人のサイバトロニアンが駆け現れた。
「いかがでしたか、レッドアラート教導官」
「敵襲では?」
 二名ともに咄嗟に振り向いたアラートの前で立ち止まり、インフェルノの存在には気付いていない。慌てた様子をかすかにも漏らさず、アラートは答えた。
「どうやら狭域のワープホールが発生したようだ。既に消滅しているが、技術部に連絡して一帯の残存反応の調査を依頼してくれ。それと本局へ事態報告を。すまないが、私は急用ができてしまったから手分けして当たってくれるか。調査結果はあとで聞く」
「かしこまりました」
 簡潔な指示と応答が行き交い、保安部員らしき二名がもと来た方向へ駆け戻っていく。その姿が壁向こうに消えるのをしばし見送ってから、ゆっくりとこちらへ歩み戻り、アラートは言った。
「場所を移すぞ。あまり見られないほうがいい」
 理由を訊ねたところで答えは得られないのだろうと、諦めとともに了解を唱える。急かされて大股に歩を進めながら、とんだ一日だ、と深く排気を落とした。


 やけに大回りな道を通り、二度ほど壁の隙間に押し込められもしながらたどり着いた本部棟内の一室で、促され座った椅子に腰が落ち着く間もなく、結論から言えば、と告げられた言葉に、インフェルノはただあんぐりと口を開けるしかなかった。
「ワープ……なんだって?」
「タイムワープだ。こちらでも急激なエネルギー膨張反応が確認されていた。まず間違いない」
 聞けば、先ほどインフェルノが倒れていた地点に突然高出力反応が出現したため、偶然その近傍にいたアラートが初めに駆けつけたらしい。遅れてやって来たのは部下ではなく、本部の保安部隊員であるとのことだった。
「間違いないっつってもよ……」
 ワープホールらしきものが現れたことは自分もこの目で確認した。しかし、そこへ時間の概念が持ち出されたのが不可解でならない。確かに互いの話の噛み合わない部分はあったが、メモリの損傷による記録齟齬であると言われたほうが、まだ充分に納得できた。
 インフェルノの疑いの視線を受けて、そう判断した理由はいくつかあるが、と置いてから、アラートはごく平然とした口調で告げた。
「お前が『どこ』から来たのかはっきりとはわからないが、『ここ』のことを教えるなら、今はデストロンとの戦いが始まって一千万年以上経っている」
「……は?」
「だからお前の時代からは、少なくとも四百万年以上経過している」
 そうだろう、と重なる確認に、呆然と頷く。なぜアラートが『お前の時代』をたとえはっきりとではなくとも推し量れたのかはわからないが、語られた年代が真実であれば、確かにそういうことになる。四百万年という歳月はサイバトロニアンにも短い時間ではない。容易には信じがたい話であるものの、この生真面目な上官が、そうした突飛な冗談や作り話を始めるとも思えなかった。
「極めてまれな事態だが、皆無というわけじゃない。私も過去に数回発生を目にしたことがある。おそらく、コンドル……お前の発見した侵入者が設置しようとしていたのは、エネルギー奪取のための転換装置のようなものだろう。その誤作動か何かをきっかけにリアクターが異常放出を始めて、急激な高次エネルギー反応の結果、時空間転移を引き起こすワープホールが生じたんだと思う」
 つらつらと述べられる解説が的を射たものなのか、インフェルノにはほとんど判断がつかなかった(そういったややこしい知識の詰め込みが不得手であったからこそ、従軍考査に落ちたのだ)。否定はできず、と言って納得にも至らず、じゃあ、とあがくようにさらなる根拠を求める。
「ここが四百万年だか五百万年だかの未来だってんなら、教えてくれよ。デストロンとの戦いはどうなった? 俺たちは勝ったのか? それと、さっきあんた、俺のことをなんだとかかんだとか言ってたな。俺はどうしてる? いないってのは、死んじまってるってことか?」
 矢継ぎ早に問いを連ね、睨むに近い強さで机向こうの上官の顔を見つめる。アラートはわずかに瞳灯を細めたが、憤りの表現というわけでもないようだった。静かに口が開く。
「戦いは長い停滞を挟んで幾度か大きな区切りがあって、劣勢は脱したがまだ続いている。お前は死んではいないが、今現在はこの場にいないことになっている。それ以上のことは教えられない」
「教えて不都合なことでもあるのかよ」
「論理混乱を避けるためだ。これほど長い時間を挟んでいると、保持しているデータとの矛盾や、受け入れがたい情報の処理負荷が中枢回路にダメージを及ぼすことも考えられる。特に自己にかかわる情報はできる限り入れないほうがいい」
 噛みつくように投げた問いに返ったのは、つまることろインフェルノの身を顧慮する答えであったので、虚を突かれた形で一度声をつぐむ。命令違反をくり返す部下への戒めか何かかとも考えたが、こうまで念の入った芝居をする相手ではないだろう。
 やはり信じるしかないのかと、自覚以上に動揺していたことに気付いて情けなく肩すくめつつ、小さく言った。
「別に、受け入れられない話なんざないと思うぜ。自分で言うのもなんだが、俺はそう繊細なたちでもないし、そこまでヤワな神経回路してねぇよ」
「かもしれないが、何が受け入れられて何が受け入れられないかは、いざ聞くまで判断がつかないだろう。記録してしまったあとでは遅いんだ。用心するに越したことはない」
 いかにもな警告に、何百万年経とうが変わらないもんだな、と妙な感心を覚えた。同時に、『あちら』の上官と最後に交わしたやり取りを思い出す。今頃(という言い方が正しいのかはわからないが)、司令部から無人の部屋に戻って、姿を消した部下に呆れの言葉を漏らしているだろうか。
 結果こうして難儀な事態に陥っているわけであり、今回ばかりは大した反論もできやしない、などと思って黙り込んでいると、まあ、と『こちら』の上官が声を落とした。
「発生から間を置かず捕捉できたし、幸い場所が軍施設内だから、技術部が研究を兼ねて精密に調査してくれるだろう。最近では時空移動をともなうワープホールの生成技術も確立されてきている。いずれ帰れるはずだ」
 並ぶ言葉をぼんやりと咀嚼し、間を置いて得た驚きとともに、その顔を見つめ返す。首傾げられ、なんでもないと言って視線を外した。
(フォローされたんだよな、今の)
 渋い表情で考え込む仕草を見て、暗に「心配するな」と言ってみせたわけだ。もちろん、自分が同じ立場にいたとしても同様の発言をしただろうとは思うが、この上官の口から聞くと妙に新鮮味を感じてしまう。記憶上、数刻前には険悪な諍いを演じた相手なのだから、なおさらだ。
 自分は物思いの続かない性格であるし、アラートはひとつひとつの任務を常に切り分けて扱っていたから、ある日の口論が次の任務時にまで続いている、ということはあまりなかったが、それでも火花を散らした直後は、互いによそよそしい態度で距離を置いていた。今こうして平然と向き合っていること自体、別の時空間に飛ばされてしまったという奇しき事象の、ひとつの根拠と言えるのかもしれない、と結論付ける。
「正直まだ良くわかってねぇけど、信じとくよ。俺は四百万年か五百万年ばかし未来に飛んできちまった。ただし場所はそのまま、戻るアテはある。整理すりゃまあ大した話じゃないな」
「その言い方はさすがに楽観的すぎるとは思うが……」
 まあいい、と呟きつつ椅子を立ち上がったアラートは、部屋の隅にある戸を指差して言った。
「あの奥が仮眠室になっている。今日はもう遅いからここに泊まれ」
 今の今まで意識していなかったが、確かにはや夜更け近かった。格納庫に向かった時点で夕刻を過ぎていたから、侵入者相手の立ち回りや、アラートとの会話の時間を考えればそんなところだろう。時刻はずれていないらしい。
 へいへい、と頷き、問う。
「で、寝て起きたら俺は何してりゃいいんだ?」
「ひと晩で全解析には至らないだろうが、朝には技術部から何かしらの一報が出ているはずだ。まあその結果次第だな。明朝また来る。それまで無用の出歩きはせず待機しているように」
 どこかで聞いた台詞が返り、思わず口から笑いが漏れた。訝しげにするアラートへ手を振り示しながら、ふと思うまま訊ねた。
「なあ。『こっち』の俺はここにはいないとか言ってたが、今でもあんたとは上司と部下をやってんのか?」
 予想しない問いであったのか、アラートは一瞬その顔に驚きじみた表情を浮かべた。まさかこんな些細なことさえ禁句事項なのだろうか、と首傾げる前にかき消え、短く言葉が返る。
「今は違う」
「――へぇ」 
 特に求める答えがあったわけではなく、気の利いた感想も浮かばず、口にできたのは平凡な相槌だけだった。アラートも初めの一瞬のほかは特にこれといった反応を見せず、じゃあと言ってきびすを返し、部屋を歩き去っていった。
 閉まった戸を何ともなしに見つめ、ややあって気を戻し、自分も足を返して奥の部屋へ向かう。仮眠室以上のなにものでもない、隅に簡素な寝台があるだけの部屋だった。明かりも付けずごろりと横になり、取り留めなく思考を巡らせる。
 本当に、とんだ一日だった。説教や口論などはまあ日常のことではあるが、今日はそれなりに紛糾したと言えたし、その前は消火任務、その後は侵入者との対峙、そして極めつきが数百万年の時間移動だ。慣れない労働を強いられた頭脳回路を含め、さすがに疲労を感じる。それでも、ブレインに浮かぶ雑念は尽きなかった。
(よくよく考えりゃ、アイツに見つかったのは結構な偶然だよな)
 入軍から間もない自分には、当然まだ知人と呼べない仲間のほうが多い。まして四百万年の歳月を挟んだ本部で、初めに出会ったのが互いに見知った直属の上官であったのだから、これを奇遇と言わずしてなんと言おう。無論、幸と考えるか不幸と考えるかについては全く別の話だが、話が早く済んだのは幸いの範疇であったに違いない。
 とは言え、今は同じ隊の所属でもないようだ。何百万年も経てば配置替えも幾度かはあるだろうし、反抗が過ぎて追い出された、とも考えられる。にしてもこの時代の自分は何をしているのだろうか。アラートが居場所を認識しているらしいということは、少なくともまだ軍に所属できていることだけは疑いがない。「いない」というのはどういった意味だろう。単に本部にはいないという意味だったのか、それともどこか地方の支局にでも勤めているのだろうか? 
 半端な演算がくり返されるばかりで一向に解は出ず、いつしか休眠を促す警告音が言葉の群れの中に入り混じり、無秩序に回る渦に呑まれるように、ゆるやかに意識が沈んでいった。



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