※企画小説後日談です。前2作と異なり、この話のみ時系列が『白と黒』と『深影』の間にあたります
 ※割と真面目です

「なんでおめぇがあんなところに呼ばれんだァ?」
「おっかねぇなァー。ものすげェ化けもんがうじゃうじゃ巣食ってるってェ話だぜ、あそこ」
「さては『影の王』の持ちもんに手ェ出しでもしやがったんだろ。度胸あんなァこの野郎! うん、胸ェ張って行ってきやがれ。骨は拾ってやっから」
「よせやい、冗談じゃねぇんだよほんとにィ……」
 兄弟たちにひとくさり脅しかけられ、しかしほかにどうすることもできずにすっかり縮み切った胸を抱えてチャックが向かったのは、冥府に名高き王の居所、大いなる影住まう『黒の塔』であった。
 たとえ天地が逆になっても己などは一生関わり合うことのない場所であろうと、そう思っていたのはつい先日までのことである。日常というのはえてして一瞬に崩れるもので、森で偶然見つけ手を貸してやった幼い天使の主人が、なんと一生関わりあるまいと思っていたその塔の主、『影の王』。まさしく影のごとく形のない噂ばかりを聞いてきた、畏怖そのものに等しい相手と茂みひとつの間を置いて対面する、などという驚天動地の出来事から二十日余りを経て、ようやくまた日常が身に沁みてきたところに、『山羊の王』の使い走りが岩屋を訪れた。
 暇の許す時に『黒の塔』を訪れよ――。それが、昨晩渡された影の王からの伝言だった。
 今度こそ本当に命がないかもしれない、と逐電も真面目に考えたチャックであったが、逃げたところで先行きは同じと思い直し、翌朝早く住みかを飛び立った。
 これも偶然と言うべきか、塔はチャックたちの住処からさほど遠くもない場所にあった。しかし何しろ昏き名の王の居である。間近で見ることはおろか、そばに寄ろうと思ったことすらない。いつも遠く横目に眺めていただけの黒壁の塔が、今こうして目の前にそびえ、しかも自分はこれからその門をくぐろうとしている――
「はァ、わっかんねぇもんだなァ。人生ってのはよォ」
 深い息と呟きを共に落とし、さてどうしたものかと閉じた外門の上空に静止したその時、
「お前さんが、チャックという彫像族かの?」
 近くに不意の声が鳴り、ぎょっとするチャックの前に赤い光が昇って、一枚の絵が現れた。
「へ……」
 一見して魔力の宿る代物とわかる絵板を呆然と見返していると、ひゅうと塔のほうから軽い羽音が聞こえ、魔絵の隣に蝙蝠の羽を生やした小さな少女がやってきた。
「もォ、ヌグマ様ったら一人で先に行っちゃってェ。……アナタがそうなの?」
「そうって……」
 言葉を振られ、わけもわからず絵と少女の間に視線をさまよわせる。絵がゆらりと額の中の彩色を回し、老爺の声で言った。
「まだ何も説明しておらんのじゃよ。うむ、先日森で幼い天使に会ったのはおぬしじゃろう?」
「あ、あァ」
 頷き、今日はそのことで呼ばれたみてぇなんですけど、と細く続けると、少女が首を傾げた。
「昨日伝言を頼んできたばっかりって言ってたケド、随分早いのね」
「ほほ。どうも言葉少なく伝わったようじゃの。今ちょうど主が不在での、儂が説明するように言われておる。ま、中に入って話すとしよう」
 言って魔絵はくるりと身を返し、少女がその後に続いてほらこっち、とチャックを手招く。
 予想と大幅に異なる応対に、どうもヘンなことになったなァ、と困惑しつつ、チャックは二人の後を追ってまだ見ぬ塔の中に足を踏み入れ――そこでまた、驚愕の言葉に出会うこととなる。

「……えー、オレの聞き違いだと思うんですがね、ちょっともう一回言ってもらえますかィ?」
 『物凄ェ化けもんで溢れ返っている』と噂の塔の中は驚くほどさっぱりとした清潔で重厚な造りをしており、行き会った人影もごく少なかった。少女の弁によれば、常の住人は塔主を合わせて七人しかいないのだという。
 促されるまま二階の広間の椅子に縮こまって身を据え、そこで渡された言付けに、チャックは目を開いて先のように言葉を返した。
 ヌグマと名乗った絵姿の老爺はかたりと身を倒し、
「うむ。まぁ突然で信じがたいとは思うんじゃがの、平たく言えば、おぬしに塔付きの伝使となってほしいということじゃよ」
 そうあっけなく言うのであった。
 オレ、夢見てんのかなァ。
 あまりの事態にぼうとしながら、続く説明の弁を受ける。
「先日おぬしが出会った天使は、確かにこの塔の住人でな。あの時ヴァルナード様は――というのが儂らの主人の名じゃが、おぬしに彼を助けた礼として魔晶を渡したじゃろう? が、おぬしのような暮らしの者にとっては、いかに力ある石とは言え逆に扱いがたい物ではないかと思っての」
「綺麗だけど、それだけじゃしょうがないものね」
「……まァ確かに、宝の持ち腐れではあるんだよなァ」
 魔晶はそれだけで価値を持つ物ではなく、しかるべき力とかけ合わせて効を成す媒質である。群れで気ままなその日暮らしを送る彫像族には過ぎた力だ。何かと取引に使おうにも、今度は価値が高過ぎてなまなかな物とは釣り合いが取れず、動かしがたい。
「それで、伝使……」
「うむ、ならばほかにないかと考えて、そうなったわけじゃ」
「ヴァルナード様なんてどこにでも自分でぱっと行ってぱっと帰ってこれるし、そのほうが早いんだから、実際そんなに仕事もないものね」
 つまり、重要なのはその「名」だ。
 冥府においての名はしばしば物よりも実を持つ。『黒の塔』の伝使――その名は、あの魔晶より数段高い価値を持つものであるのかもしれない。
 確かに説明はつく。しかし、合点が行ったかと言えば、それはまた別だ。
「あのねェ、つまりね」
 まだ驚きの抜け切らない状態で固まっていると、少女が横から口を入れた。
「お礼っていうのは勿論あると思うんだけど、結局レイが可愛くて仕方がないのよ」
 だから会ってってね、と、何が「だから」なのか訊く余地もなくひとくさり事情を述べられ――
 そして、話は冒頭に戻る。

「というわけだから、よろしくね、レイ!」
 扉を開けた次の瞬間からチャックについての紹介の言葉を一気に並べ、そう言い残して少女はさっさと階下へと去っていった。
 後に残されたチャックはぽかんとした表情を浮かべている目の前の天使を見つめた。短い金の髪といい、頬に通ったひと筋の傷といい、何より背に負った四枚の白い翼といい、森で見つけたあの日の天使に間違いない。しかし、それはぶかぶかとした服を着た、あどけない顔の小さな子どもではなかった。レイ、と名を呼びかけられて部屋から出てきたのは、戦着を隙なく身につけ、腰に剣留めの帯を提げた、すらりとした立ち姿の青年であった。
「……なんか良くわからねぇけど、とりあえず座るか?」
 促され、チャックもまた「良くわからない」まま、頷きを返すほかなかった。


      ◇


 四つ羽の天使・レイは本当はとうに成年した大人であり、あの子どもの方がとある妙事によって出現した仮初めの姿で、しかも本人はその時のことを何ひとつ覚えていないのだと、夢魔の少女は扉を叩く前にそうチャックに説明した。そしてまた、その出来事は当人には秘密なのだと。
 幼い翼のようにふわふわとした空気をまとい、気丈にふるまいながらも泣き虫だった子どもの姿を思い返しながら、チャックは驚きの目で青年を見つめた。冥府の住み人とは違うやわらかな気に変わりはないが、ぴしりと伸ばした身に宿る力はより凛として強く、それはまさしく子どもが幾度も口にしていた、精悍な「騎士」の姿だった。
「けどお前も変わってるな。いきなりこんなとこの使い走りになるなんて。そもそもあいつ使いなんていらねぇような気がするけど」
「なるっつうか、なりゆきでっつうか、なァ……」
 少女が口にしていたのと同じようなことを言われ、頬をかきつつ答える。青年――レイは難しげな顔になり、
「もしかして本当はなりたくないのに、とかなのか? あいつ人の話聞かねぇからなー。言いにくいなら俺が代わりに断ってやってもいいぜ?」
 真剣な口調で提案した。
「いや、別にどうしても嫌だってわけじゃねぇからよ。出世は大出世だし、まァそんなに仕事がねぇんだっていうなら逆に助からァな」
「ふぅん。そんなもんか」
「あァ」
 不慮の出来事で動転から覚めきらずにいるチャックよりも、レイのほうがまだ冷静に、初対面の――と本人は思っているのだろう――相手に対して気安く話を進めた。子どもの幼さは抜けているが、人好きのする明るい笑みと快活さはほぼそのままである。生きた年数だけを数えればチャックよりやや下で、故郷においてもまだ年長者とは言えないという。
「……しっかし、なァ」
 一体自分はこんな場所で何をやっているのだろう、と思いながらもしばし雑談を続け、ふと話に区切りの差したところでぽつりと声落とし、まじまじとレイの顔を見返す。レイは怪訝な表情を作って、なんだよ、と首を傾げた。
「いやよォ」
 ――随分口が悪くなったんだなァ……。
 声には出さず、ぼやり思う。
 口の悪さについては自分が何を言えたものでもないが、その伝法な言葉遣いと態度は、丁寧に話していたわけでもないあの子どもと、それでもどこか大きな違いがある。それは、言葉遣い云々と言うより。
「おめぇよォ」
「ん?」
「……天使、なんだよなァ」
 どう言ったものかわからずそんな自明の呟きを落としたが、含んだ問いは即座に伝わったようで、レイはああ、と頷き、
「ま、色々あってさ」
 短く答えた。
 軽い声音はしかし、そこに乗せられた言葉の意味もそのままの気軽さで響かせるものではない。
 真っ当な経緯で冥界に暮らす天使などいないと、チャックも知っている。今ここにいるのは、自分の出自もわからず、二つ名を知らない主人をただただ慕っていた子どもではなく、我が身に起こったその「色々」の出来事を記憶に残し、冥府における塔の実相と、現在の己の遇の奇妙さを理解した青年なのだ。
「あいつ、変なやつだからな」
 お前もこれからきっと大変だぜ、と笑うレイの口にする「あいつ」というのは、子どもが慕って名を呼んでいた塔の主、『影の王』(真名はヴァルナードというらしい)のことなのだろう。よりぞんざいに口に出されているが、そこには子どもが語っていたものとはまた違う、ある種の親しみが込められているように聞こえる。
 ――オレに言わせりゃ、おめぇもだいぶ変わってると思うけどなァ。
 口に乗せかけたそんな言葉は、
「ほんとに……変なやつだよな」
 誰に聞かせるでもなく、ほつりと繰り返された声の前に散り消えた。

「なんかオレ、今日はどうしてりゃいいんかなァ……。ずっとおめぇの部屋に邪魔してるのもなんだしなァ」
 また少しのあいだ他愛もない言葉を交わし、そろそろ塔に来てから二刻が過ぎようとしているのを確かめ、チャックは頭をかいた。
「別にもう帰ってもいいんじゃねぇかな。あいつこの具合だと夜まで戻らねぇような感じだし。その仕事のことで何か言われてるのか?」
「何日か置いて暇な時に来いって言われただけなんだよなァ」
「適当だな」
 大体にしてここのやつらは適当なんだよな。呟きながら、レイは椅子から立ち上がって部屋の大窓を開き、下に降りるのが面倒ならここから出ていいぞ、とチャックに示した。窓から帰るというのも無作法な話だが、のこのことまた下まで降りて、もし塔の主と鉢合わせるようなことになればその方がたまらない。いずれ顔を合わせねばならなくなるのだろうが、少しでも先延ばしにしたいというのが本音である。
 じゃあそうするか、と翼を広げて窓枠に飛び乗ると、背を不意の音が叩いた。

 門の守り手の名を知るや?
 硬き翼は空を抱き 竜の眼≪まなこ≫は道を眺む
 そは生ける像 石の獣
 咎人畏るる不壊の衛

 厳かな旋律に驚いて振り向くと、
「これ、お前の詩だぜ」
 そう言って、思いがけない見事な歌を刻んだ口でレイがにっと笑いを寄こした。
「ガキの頃読んだ本に出てたよ。彫像族ってのは天使と一緒に聖堂の守護をしてたんだろ? 俺、一目見たくて、もう気の遠くなるほど昔の話だ、って言われてんのに夜に一人でこっそり堂に行ったりしてたんだ」
 もちろんいなかったし、帰ってからこっぴどく叱られたけどな、と苦笑と共に語る。
「冥界が元の住みかだったんだな。……まさか本当に会うことになるなんて思ってなかった」
 しみじみと言うレイに、チャックも何か万感の念を感じながらあァ、と頷いた。
「なぁチャック、……なんで、天界と冥界は――」
「ん?」
 途中で消えた声を訊き返すと、
「あ、いや、なんでもない。なぁ、塔に来た時は俺のとこにも少し寄ってけよな」
 首を振って言い、ふっとそらされた視線が、窓向こうの空を見た。
「なァ、レイ」
 思わず呼びかける。
「お前、――幸せかァ?」
 レイはきょとんと目を丸くした。
「なんだそりゃ」
「え、いや、その、……なんとなくよォ」
 自分でもほとんど意図せず口をついて出た言葉にがりがりと頭をかく。レイは声立ててひとしきり笑ったあと、ふっと表情から色を絶やせ、
「うん、まぁ……幸せなのかな」
 短く答えた。その白い手が身に寄せた翼を抱き込むように握っているのを見て、こちらが口開き言葉を探す間を先んじ、変なやつ、と続けたレイの顔は、もう元の快活な青年の顔だった。

 じゃあ、と言って窓を蹴り、ねぐらへと飛びながら、チャックはぼんやりと思考を巡らせた。
 冥府の住み人は、天の者がそうすると聞くほど、他者のために祈り願うということをしない。それぞれがそれぞれの力を拠りどころとして、それぞれの生を過ごすのがこの地の在るべき姿だからだ。
 だが、その時チャックの胸に湧き出したのは、そんな祈りにも似た感慨だった。
 あァ、確かにオレも変なヤツかなァ。
 独りごちながら、それでもこの想いが一族の血に反することはないのだろうとも思う。何せ、遠い遠い、古い協約の以前、天使と我が一族は盟友であったらしいのだから。
 あの朗らかな青年が、この空を自由に飛べる日が来るといい。
 森で出会った小さなひよこのように、屈託なく笑って幸せだと語る日が、いつか、来るといい。


Fin.
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