(付記)
「おや、バッファローマンじゃないか」
名を呼ぶ声を聞いて手にした雑誌から視線を起こすと、横の建物の中から現れたとおぼしき一人の超人が、手を上げてこちらへ歩み寄ってくるところが見えた。
「ペンタゴンか」
背に大きな翼を負う姿の印象深い、正義超人仲間の一人。予期していた邂逅ではないが、顔を合わせるには特に不思議のない相手であり、場所であった。
「こんな遅い時間に、アメリカの協会まで何か手続きかい。中の待合室にいればいいのに」
「いや、さっきまでいたんだが、暖房が暑かったんでな。用もテリーを待っているだけだ」
「テリー? 来てたのか。中では会わなかったな」
肩越しに超人協会のビルを振り向くペンタゴンに、別件でアメリカを訪れたついでに食事の約束をしたことを短く教える。なるほど、と返った頷きに続く少しの間のあと、思いがけない問いがあった。
「じゃあ今は暇ってわけだ。どうだい、テリーが来るまで少し話しても?」
「構わないが……」
サンキュー、と応諾に礼を述べた相手を隣立つ位置に迎える。意外に背丈がある、と今さら知る程度には、経験のない距離と言えた。確かに同じ陣営に属する仲間ではあるが、特に親しんでいる友たちに比較すると、年齢や実績の点で一歩置いた位置にいる相手だ。大会の出場者として名を並べた時にも、むしろ彼より彼の隣にいた者のほうがまだ近しさがあり、その存在を間に挟んでこそ、自分はこの若者の名前を知っていると言っても過言ではなかった。
しかしそれを共通の話題と思って語っていいものか、と迷っていると、先に相手方が口を開いた。
「静かでいい夜だな。月がはっきり見えるね」
いかにも知人向けの台詞に同意の相槌を打ちつつ、空仰ぐ姿を横目に覗く。白い肌に五芒の星があるだけの顔。一体どのようにして見ているものかと疑問を浮かべて、別方の異相をまた思い出しかけたところへ、前触れなく、ずばりの言葉を受けた。
「実は、キミの昔の仲間の一人に私の親戚がいるんだけど、知ってるかい?」
突然の踏み込みにやや面食らいながらも、ああと頷きを返す。
「何度か話を聞いたからな」
「本当に? 私には迂闊に話すななんて言うくせに、ずるいな、ブラックは」
さほど気にした風でもなく言い、お陰で前のトーナメントでの説明が大変だったんだ、と笑ってみせる。確かに、正義超人のコミュニティにおいては、所属の異なるペンタゴンとブラックホールの血縁を知る者は、いまだごく一部に留まっているようであった。例の大会に出場した折には、悪魔軍自体が半ば瓦解していたことを理由に使ってでもいたのか、自分のように籍ごと変えたというわけではなかったらしい。当然のようにエントリーしている姿を見た時にはさすがに驚いたものだが、お互い暗黙のうちに無干渉を貫き、すぐ別の問題に注目が集まったこともあって、最後まで詳しい経緯を聞くことはなかった。
「彼とは仲は良かった?」
「いや……特にいい悪いってこともなかった。普通だったな」
公言はばかられるのは当然だろう関係を、しかしかつての仲間同様、こちらの当事者も、表立って語っていないとは言え、特別に忌むべき事情と捉えてはいないようだ。ごく気軽な調子で話を続けてくる。
「悪魔超人たちはみんな魔界で暮らしてるんだろ」
「ああ」
「どんなところなんだ?」
「岩山だの荒れ野だのばっかりで、まあ景色のいい場所じゃあねぇな」
ありのまま答えると、そうか、とひとつ頷きが置かれ、
「今でもそこへ行けるかい」
やはりごく気軽な声音で問いが落ち、こちらもすぐに返すつもりが、思いがけず、喉が詰まった。
「バッファローマン?」
「……ああ」
止まった息を飲み下し、
「行こうと思えば、な」
声が揺らがぬよう慎重に、答える。相手が咄嗟に次の言葉を言い差し、思い直してやめたことが空気でわかった。その顔から感情を読み取ることはできなかったが、言葉が謝罪に連なるものであったのだろうことは予想がつき、口にされなかったことに感謝した。
まあ、と自ら沈黙を切り、言う。
「なんにしろ、道が遠すぎてそうそう行く気にならん」
「へえ。やっぱり遠いのか」
ごく今さらとも言える感想に首傾げたのが伝わったのか、ペンタゴンがひょいと肩竦めて言葉を付け加える。
「そのあたりのことはずっとはぐらかされ通しなんだ」
「まあ、あんまり大っぴらにする話じゃないな」
「どうにも信用がないらしいんでね。十年前の悪戯だの迷子だのの思い出話まで持ち出されちゃ、そりゃあこっちに勝ち目はないさ」
大げさに年下ぶった口調で訴えるのを笑ってやりながら(そういえばあの血気盛んなドイツ超人と同じ年頃だったか、とふと思い出した)、ほだされ気分で教えた。
「正直勧めはしねぇが、鳥なんかはたまにふらっと出入りしてるのを見たから、飛んで行って帰るぐらいならそう難儀に感じないのかもな」
なんの気なしに述べた言葉だったが、思いもかけず、今度はこちら方が相手に気軽な返事を呑ませたようだった。笑いの気配が沈んで、うーん、と頭を掻きつつの声が落ちる。
「どうも誤解が多いように思うんだが、鳥だって年中気ままに飛び遊んでるわけではないだろうからね」
翼を腕の外から前へ寄せ、語る評への同調を示すように、ぴんと先端を弾いてみせる。
「この羽は私の自慢だけれど、これのお陰でやけに自由勝手に見られている節があって、その点は困りものだったりもするんだ。超人ならみんな飛べるのが普通で、それが少し人より得意というだけなのに」
そうは言っても、たとえ親類であれ対立組織の悪魔と組んで大試合に臨んでしまうあたり、周りに比べればやはり少々自由に見えるが――などと思いつつ口には出さず、続く言葉を黙って聞いた。不平連ねるといった様子でもなく、ペンタゴンは飄然と語る。
「どれだけ速く高く飛べる鳥でも、用のないところへわざわざ行こうとは思わないだろう。羽を使えばごく当たり前に疲れるし、毎日ふらふら飛び回っていられるわけじゃない。そこを目指す理由があるから目指すんであって、興味がなければ無視して通り過ぎるだけさ。だから、気まぐれだの惰性だのそういうんじゃなしに……どうもそこがうまく伝わってくれないらしいんだな」
そんなに軽く見えるかい、と問われて、重くは見えねぇな、と正直に答えれば、おかしげに笑いが返った。
「いい風が吹いてくるのを何日もけなげに待つ鳥もいるってのに、損なものさ」
するりと指を逃れた羽先が背に戻る。指摘を受けてなお重々しくはならない言葉が、文字通りの意だけを語るものなのか、それともほかの何かを含んでいるものなのかを判断するには、この若者との付き合いの長さも、その特異な顔をじっくりと眺めて測る時間も足りなかった。
「ヘイ。待たせたな、バッファローマン」
横合いから今度は聞き馴染みのある声が飛び、テンガロンを手に掲げたテリーマンがこちらへ歩み寄ってくる。やはりと言うべきか、並び立つ二人の姿に違和感を覚えたらしく、意外げな表情を浮かべてみせた。
「なんだか珍しいツーショットじゃないか」
問いの視線が向けられるのを、やあテリー、とさすがに同国の代表仲間らしい気安い挨拶でペンタゴンが受ける。
「私も協会に用があったんだ。帰りがけに偶然彼を見つけたものだから、いい機会だと思って少し話を」
「へえ。何を話してたんだ?」
普段の交流が少なく、ファイトスタイルなども全く異なる二名であるだけ興味を惹かれたのか、さらなる問いが振られたが、今度は自分へ向いた視線にバッファローマンが応じるより早く、隣でつと腕が上がった。さり気ない仕草でこちらへ指を立てるのに気付き、開きかけた口を再び閉じる。かすかな頷きの気配のあと、芝居めかした言葉が落ちた。
「今日のところは秘密にしておこう。いずれ披露する機会があることを願ってね」
「ふーん。何かアドバイスでもしたらしいな」
「いや、オレは……」
挟みかけた否定をペンタゴンはまたもさえぎり、
「ああ、とても参考になった。宣戦布告が必要になる可能性も考えていたから、その心配がないことがわかっただけでも大収穫だ」
誤解を正しもせずに突飛な言葉を続けた挙げ句、サンクス、と礼さえ述べてくる。その声の明朗さを聞けば急になんだ、と咎めることこそ場違いに感じ、立ち戻って訂正する気も起こらず、ただ黙って首を頷かせた。
そんな会話の流れで思い出したのか、そういえば、とテリーマンがひとつ手を叩いて言う。
「先月の大会では素晴らしい試合ぶりだったそうじゃないか、ペンタゴン。確か三連覇だろう。おめでとう」
「ああ、ありがとう。限定ルールの大会だからそう自慢できるものじゃないが、得意分野できっちり勝てていなければ総合試合の結果なんて明らかなんでね。ほっとしたってとこさ」
「ははは。スカイマンに聞かせたらまた落ち込みそうだな。そうだ、これから何もないならユーも一緒に来ないか。優勝祝いにおごるぜ」
いいかと問われればもちろんバッファローマンも快諾しただろう、ごく自然な同席の誘いであったが、ペンタゴンは丁寧に辞した。
「とても嬉しいが、久しぶりに会ったところを邪魔しちゃ悪い。また次にいい機会があれば」
「そうか。じゃあ今度改めて。今日はすぐ帰るのかい」
いや、と答えて仰ぐ空の奥に、黒を刷いた画布へひとつ穴を穿ったような、真円にわずかに満たない形の月が、ほかり音もなく浮かんでいる。
「適当に散歩なんかしながら、ゆっくり帰るつもりだったんだ。いい夜だから、何か幸運にでも行き会うんじゃないかと思ってね」
静かに語り、大きく背の翼を広げる。ゆるやかな羽ばたきに風が
繰られ、引力の縛めを感じさせない軽さで足先が地面を離れた。
「二人とも夕食前に引き留めてしまってすまない。このあたりで失敬するよ」
「またな」
「いい夜を」
手を振り交わし、じゃあ、と声が落ちたかと思った次の一瞬には、その身ははるか上空へ舞い上がっていた。隣でひゅうと口笛が鳴る。
「いつもながら見事な
鳥人だな」
「鳥か」
まさしく正真の鳥と見まごうような白の翼は、夜闇の深さにも紛れず、黒の中に良く映える。
月影ににじむ姿を見送る中、どうだった、と友から訊ねかけられた。
「何が」
「我がアメリカの若き星さ」
「歳はお前とそうまで変わらないだろ。オレからしちゃ、まあだいぶ若造だが……だからわかりづらいのか、元が見た目通りにわかりづらいのか、なんとも言えん」
「レディたちに言わせれば、ミステリアスでキュートでクール、だそうだ」
「ますますなんとも言えねえな」
だがまあ、異容だというばかりでなく、軽やかな言動を含め、確かに印象深い姿ではあるのやもしれない、と心中で認める。
ただ純朴なだけに見えながら、漠として輪郭を定めず、容易に掴み果たされない全き色。時に多彩にも増して鮮やかに目に焼き付くその色に、そしてその色に身を染めた鳥に、困惑を覚える者もいれば、ひと目見た瞬間から惹かれてやまない者もいるというわけなのだろう。
Fin.