Victor Bouque



「ほらよ」
 と、扉を開くなり軽い声とともに投げ寄こされたのは、大作りの薔薇の花束だった。
 咄嗟に片腕で受け止め、赤い花弁と寄こした相手の顔とを順に見比べる。後に続く言葉はなかったので、こちらから口を開いた。
「なんだブラック、随分情熱的だな。今日の活躍のご褒美なら、花もいいがキミからのハグのほうがなおさら……」
「寝ぼけてんのか」
 捧げかけた麗句をばさりと切って落とされ、笑って説明を求めると、ブラックホールは一歩横へ体をよけて、後ろの長机を指し示した。見れば簡素な木の天板の上に、色も形もとりどりの品が小さな山を成している。
「さっきお前のとこのやつが持ってきたんだよ」
「ああ」
 それだけ聞けば状況はわかった。試合後の控室に大量の品、となれば、九割は観客からの差し入れや進物だ。普段なら整理されたものを後日まとめて受け取るが、今日はタッグでいることに配慮して、マネージャーが先に運んできたのだろう。何しろこの神出鬼没の四次元超人と来たら、練習後にしろ試合後にしろ、少し目を離せばいつどこへ消えてしまうか、パートナーであるペンタゴンにさえしかとはわからないのだから。
「それで選り分けてくれてたってわけかい」
「せしめるもんを物色してただけだ」
「身もふたもないなぁ」
 先に希望の品を渡しておこうというこちらの思惑の上では間違っていないが、なんともヒールらしい厚意の扱い方だ。それでもペンタゴン個人へ宛てたとわかる物はあっさり脇へどけているあたり、根っからの卑しさとは程遠いのがさらにこの従兄らしい。
「私宛のものも持って帰って構わないぜ、ブラック」
 後ろ手に戸を閉め、隣へ歩み寄りながらそう声をかけると、どいつもこいつも揃って趣味が悪い、とまた容赦のない評が返った。
「いかにも女子供からの安モンばかりだな」
「そりゃ私ぐらいの実績じゃあ、まだまだゴッド・フォン・エリックやローデスのような玄人人気とは行かないさ。どんなファンだって応援してくれているのに変わりはないし、こうして手間をかけて贈り物をしてくれることに感謝しないと」
「フン」
 興味なさげに息鳴らして物色を再開する姿に苦笑しつつ、にしても、と机の上の小山を見て思う。
(それでも少し、以前とは物が変わったみたいだな)
 より正確に言えば、この大会の開始以前とは、だ。理由は考えるまでもなく、突如として表舞台に現れたタッグパートナーの存在によるものである。
 前触れもなく発表した今回のタッグ結成と公式選手権への出場に関して、無論ある程度のごたつきは事前に予想していたが、実際の反響たるや、こちらの気構えをはるかに超えるもので、しばらくは記者やファンのみならず、身内のスタッフや知人からの問いへの対応にも追われる羽目となった。それもそのはず、ペンタゴンにとっては何より先に「親類」であり「友人」であるブラックホールは、大多数の仲間や人間たちにとっては、侵攻と撃退の記憶も新しい、恐るべき「悪魔」にほかならない。説明に苦慮するペンタゴンをしり目に、あれだけ気軽な発表じゃ当たり前だ、と呆れの言葉をこぼした従兄は、一方でそうした周囲の騒ぎを面白がっているようにも見えた。
 虚実織り交ぜどうにか協会への筋を通し、いざと臨んだ予選の試合が始まってのちは、登場すぐこそ穏やかならない空気があったものの、一戦目、二戦目と勝ち進むうち、異色の新タッグへの怪訝のまなざしも急速に薄れていった。元来実力主義に偏重する面のあるこの世界の観客たちは、リング上で無様な姿を見せる者に対しては、時に故国の代表にさえも過激なほど辛辣である。しかし裏を返せば、実力さえ認めさせることができたなら、少しの疵には文句を付けない。ブラックホールは顔の大穴を使わない限りは正義超人もかくやのクリーンファイターであるし、テクニカルな身ごなしには充分に華もある。一日かけて行われた予選の最後には、もはや疑いの気配はかき消え、勝利を祝福する歓声が会場を包んでいた。
 そうして、日を空けて行われた本選初日、すなわち今日この時、早速その評価が形として現れ出たものらしい。悪魔喩えるところの「女子供から」のプレゼントの中に、毛色の違う物がいくつか紛れている。多くはタッグであることを意識したのだろう二分できるような気遣いの品だが、明らかにブラックホールの佇まいを意識して選ばれたと思しき一点もある。今ちょうど当人が品定めしているワインやウイスキーといった高額の酒精のたぐいは、本選出場程度の機会ではこれまで滅多に贈られてこなかった(見くびられていると言うより、自身が日ごろ公言している嗜好のためであることは重々承知している)。
 幼い日からの夢にも等しく待ち望んでいたこのタッグが、そして幾年ぶりかに隣立つことを許されたパートナーが、公の場で認められたことが素直に嬉しく、胸浮き立つ想いで見ていると、
「しかし前から思っちゃいたが、地球の人間てのはつくづく浮かれ騒ぎが好きだな。本選に上がった程度でこの見栄の張りようなら、優勝した日には豪勢なフルコースでも並んでるんじゃないか」
 などと、またもや情緒のない感想が落とされたので、少々同意していた点もあれど、一応のフォローを差し挟んだ。
「まあ、確かに少し大げさな物もあるようだけどね。私たちのタッグのデビュー戦でもあったわけだし、結成祝いと無事の初予選突破祝いと、両方を兼ねているんだろうさ。『For 4D Killers』――そのワインなんてラベルに早速タッグ名まで入れてくれて、光栄じゃないか」
「はッ、無事突破、なんざ。無理なら即解散のレベルの大会だ。この名をそう安く見られちゃ困る」
 即座に反駁されてまた苦笑いし、しかしこの言葉は自分たちを誇るものとして喜んで認めておくべきか、と考えていると、答えを出す前に、「そいつも」とブラックホールの手が今度はこちらに向けられた。指差す先の我が胸元に視線を落として、腕に抱えた花束の存在をようやく思い出す。
「普通ならベルトと一緒に受け取るぐらいのもんだろう。いかにもお前のキャーキャー言ってる取り巻き連中が寄こしそうな大層さだ」
 決勝までに枯れでもしやがったら験が悪い、責任持って片付けておけ、と億劫にじませて語る顔は、花の優美など一顧だにもしていない。何もそうまでと意見しかけ、ふと浮かんだ軽口に変える。
「あ、ひょっとして妬いてくれた? ブラック」
「一生寝ぼけてろ」
 さすがに乗ってはくれないらしい。冗談冗談、と脇へ流して議論の方向にも戻らず、しかしこの食い違いは解いておこうかと、意見までは行かない指摘だけを口にした。
「片付けるならスタッフに預けておけばどこかへ飾ってくれるだろうから、それはいいけれども……ブラック、これは私宛じゃなくて、キミ宛じゃあないか?」
「まさか」
 お前だろう、と返る言葉はあくまできっぱりと短く、可能性として取り上げた様子もなかった。
 確かにそうした印象はあるだろう。しかしこれまでの経験を踏まえた上で、この花束が自分宛でないことにペンタゴンは半ば以上の確信を持っていた。自分に差し入れをしてくるようなファンは、熱心であればあるほどこうした大層な花束など寄こさない。相手に花より好むものが多くあり、またそちらのほうが用意するにも手がかからないことを、かねてから良く知っているからだ。そしてブラックホールの指摘の通り、大会途中にこうした大層な花束などを贈ってくるのは、おそらく熱心の部類に入るファンだ。自ずと予想は絞られる。
 何より、この色深い真紅の薔薇の風情が、客観的に見て自分と彼のどちらにより似合うかと考えれば、もはや答えは決まっているようなものだ。
 さてどうするかと次の言葉を探しているあいだに、ブラックホールは取り分の確保を済ませたらしい。そろそろ出ると言って酒瓶を机に置き戻しつつ、ペンタゴンへ訊ねてくる。
「そういやお前、何か確認してきたんじゃないのか」
「ああそうそう。ここにはテレビが無かったんでね。向こうの会場の結果を先に伝えておこうと思って」
 スタッフに聞いた五日後の準決勝、そして十日後の決勝の対戦候補の名を挙げ、多分、と予想を言い添える。
「順当に行けば、前回優勝のジョイント・ナンバーワン――カレクックとスカイマンのタッグが決勝に進出すると思う」
「相手にとって不足なしとは言いがたいな」
「またそう……経験にしろ実績にしろ、二人とも私よりはよほど上だぞ?」
「だがお前、覆面のほうはこのあいだ負かしてただろう」
「え」
 お定まりのやり取りに発展しかけたところへ唐突に切り込まれ、ぽかんとして大穴の顔を見つめた。なんだと怪訝を浮かべるのに、いや、と頬をかいて返す。
「キミが知っているとは思わなかったから。『このあいだ』まで死んでいたのに」
「……情報なんざやろうと思えばどこででも手に入るんだ」
 墓場とやらへ赴いていた件に関してはさすがに苦い記憶なのか、曖昧に言い捨てられてしまったが、そうしてわざわざこちらの戦績を把握してくれていたというのは慮外の喜びだった。
「そうか。ありがとう、ブラック」
 礼を告げれば、浮き上がる空気をあえて濁すようにふっと息がつかれ、
「まあ、褒めるほどの試合でもなかったようだがな」
 と言う。その評についてはペンタゴンも否定を挟まず頷いた。
「もともと純粋な格闘形式の大会じゃないからな。それで一度勝ったからと言って、楽な相手とは思わないさ。もちろん、次だって勝つ気でいるがね」
「そりゃそうだな。あんな跳ねるしか能のない米搗きバッタなんぞに負けたとあっちゃ、そのご大層な鳥の羽はただの飾りってことになる」
「相変わらず口が悪いな、キミは」
 いや昔はもう少し優しかった気がする、いいやガキの記憶違いだろう、などと埒もない掛け合いをしながら、心は既に十日後の決勝のリングへ飛んでいる。二人ひとつの名で、勝者の名乗りを受ける瞬間、肩を並べて歓呼に応える瞬間を、自分も彼も、掴むことをほんのわずかにも疑わずに、今や遅しと待ち望んでいる。
「ブラック」
 かつて違えた道が今ここに確かに交わっていることを誇り、高揚を声に乗せて、無二のパートナーの名を呼ぶ。
「優勝しよう、必ず」
 場違いに強い言葉にブラックホールは一瞬首を傾げたが、不審の気配もすぐに消え、次に鳴り落ちたのは笑いの息の音だった。
「ふん、当然だ」
 互い限りに伝わる笑みを交わし、白と黒の拳をぶつける。つっと不可視の目線がこちらの腕を滑るのを感じ、
「たまの気迫に免じてお望みのハグでもしてやろうかと思ったが、花が邪魔だったな」
 残念だ、とわざとらしく続く言葉に慌てた。
「ああ、しまった……今置くから!」
「もう遅い」
 呵々と笑い、花もハグもせめて優勝までは早いってことだ、と嘯くパートナーは、やはり年嵩なりにまだ少し上手らしい。失敗したなと肩を落としつつ、先ほど中断した思考をふと蘇らせて、あだとなった花束の内をそっと探る。いくらもかからず、指先にそれが触れた。
(ああほら、やっぱり)
 二つ折りのカードの中には、「To.BH」の文字がはっきりと記されている。茎の間に落ち込んでいたことと、当の意中の相手の先入観とで、気付かれないままになってしまったのだろう。
(キミも少々タイミングが悪かったみたいだな)
 実際のところ、ブラックホールも自分で乱暴に語るほど花の価値を軽んじているわけではないはずだが、美酒には劣り、そして勝利の前にはものの数とも見なさないたちだ。試合のまだ続くなかで気に留められようというのは、いささかばかり難易度が高い。
 とは言え、芯から薄情と称するにも遠く(でなければこの場にすらあってはくれないだろう)、洒落事を解する心は充分にあるのだから、今本当のところを伝えて「せっかくの気持ちだ」とでも言って押し付ければ、中の一輪ぐらいは受け取らせることができるはずだ。
 しかし、と、思慮に落ちる間は続かず、見知らぬ観客への気遣いとともに、閉じたカードを手の中にしまい込む。
(申し訳ないが、私もまだ試合の最中なものでね)
 胸中ひとつ気を改め、ブラック、と紙に贈られたものとは違う愛称を再び唱えた。
「じゃあそれはまた大いに期待しておくとして、大会が終わったら、夜は二人で食事に行かないか?」
「食事?」
「一日ぐらいこちらに残ったままでもいいだろう? いいワインを出す店で、フルコースを予約しておくから」
「お前のとこで盛大に祝勝会でもやるんじゃないのか」
「仲間やスタッフとは次の機会にすぐ集まれるさ。その日はキミと二人がいいんだ」
 この期に及んで何を飾り立てても仕方がないと、単刀直入に言葉を重ねる。ブラックホールは今度こそはっきりと首を傾げたが、迷う素振りを見せるでもなく、すぐに答えた。
「いいだろう。解散してなけりゃあな。キャンセルの代金はお前持ちだ」
「当然解散なんてしてないし、優勝のファイトマネーが入るから二軒目だって三軒目だって問題ない」
「カカカ……せいぜい良い店を探しておけよ」
「ああ、もちろん」
 既に何店か目星は付けてある。それこそ、今度の大会の出場より、正式なタッグ結成より、陣営を別った再会よりもずっと以前から、夢に見ていた日なのだから。
 目当てのクラスの店で十日後となると多少急だが、出銭を惜しまずいくつかの伝手を辿ればどうにでもなるだろう。夜景の良く見える席がいい。店一番の酒と料理を頼んで、テーブルには彼に似合いの赤い薔薇を一輪、活けておいてもらおうか。
 そんなことを夢想していると、
「まーた勇み足で舞い上がってやがる」
 弾む意気がよほど表に出ていたのか、すぐ調子に乗るのがお前の悪い癖だ、とたしなめの声をかけられた。返す言葉なく笑ってごまかし、いよいよ帰宅の用意を始めた相手へ別れの辞を述べる。
「それじゃ、次は二日後だな」
「浮かれてヘリにでもぶつかるんじゃねーぞ」
「そっちこそ、相手が誰だからって気を抜いていないでくれよ」
 冷やかしを送り合うが、こちらの言葉が杞憂にすらならないことはわかっていた。昔から研究者肌で負けず嫌いの従兄のことだ。外へ表す言葉や態度はどうあれ、どんな敵でも見くびることなく、万全の準備をととのえてくるはずである。もちろん、自分もその気概に負けず全力を尽くすつもりだ。残り二戦、選ぶのは勝利の道のほかにない。
 ペンタゴンの見つめる前で軽い手振りとともに布地が広がり、机の端に寄せた酒瓶を奇術のごとく虚空へかき消す。ひゅう、と贈った賛に応えるでなく、ブラックホールはこちらへまっすぐ向き直って、
「じゃあな」
 ごく軽い声音を残し、背に負う赤の外套を鮮やかに翻して、次元の壁の向こうへと去っていった。

 その場に立ち残り、しんと風の沈んだ空間を見るともなく見つめていると、後ろで戸を叩く音が響き、振り向くと同時にペンタゴンのマネージャーが姿を見せた。視線を部屋の中にひと渡りさせ、訊ねてくる。
「ペンタゴン、君のパートナーは?」
「ちょうど帰ったところだよ」
 短く答えると、面食らった声が上がった。
「帰った? 明後日には今日の試合のスカウティング結果が出て、打ち合わせをと……」
「伝えてある。そういうことには遅れないやつだから、問題ないさ」
 しかし、と戸惑い浮かべるのを何かの手続きなら自分が代行するからとなだめ、小言をさえぎるにちょうどの話題と、三たび思い起こした品を差し出した。
「ファンから貰った花束なんだが、どこかへ飾っておいてくれるかい」
「あ、ああ」
 押し付けるように渡した花を改めて正面に眺め、ああやはり彼の去り際に見た赤のほうが何倍にもうつくしい、と思ってしまったことも含めて、
「勝ちはどうしても譲れなかったんでね。せめてもの詫びに、いい場所へ頼むよ」
 そう言い添えると、いまだこの顔を読み取れないらしい相手の困惑が深まったので、容易くそれをこなす唯一の代わりに、呵々と声を立てて笑ってやった。


Fin.

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