◇

 そこから数言挟んだのち手を振り交わして別れ、いまだ足元のおぼつかない日向を肩に掴まらせて、夜道へと歩き出した。
 家を出た時よりもまた少し気温が下がったようで、半袖のシャツ一枚では多少肌寒い。店の並ぶ通りを過ぎて住宅街へ抜けると、小さな公園の木陰から虫の鳴く声が聞こえてきた。ついこのあいだまで暑い寝苦しいと騒いでいたはずなのに、気付けば秋はすぐそこまでやって来ている。
「いつの間にか夏も終わりなんだなぁ」
 もう後期の授業も始まるしな、としみじみ落とした呟きに、背から声は返らなかった。何分か前の時点では、会話にならないながらも独り言めいた応答があり、それを少し愉快に思って言葉を絶やさずくり返していたのだが。首をねじって後ろをうかがうと、肩にあった掌の熱もがそっと離れていく。ゆっくりと歩を進める木吉よりさらに緩慢な足取りが、やがてその場に両脚を揃えて止まる。
「日向?」
 気分でも悪くなったかと、木吉も立ち止まって振り返り、不安の声で呼びかけた。地面に落ちていた視線が一度こちらを見上げ、気まずさをにじませてまたすぐによそへとそれた。
「……あー……、その、だ」
 唇のわずかな隙間からこぼれた音に、おやと目を開く。言葉そのものこそはっきりとしないが、意識はしっかり木吉へと向いており、先ほどまでの前後もわかっていない酩酊の様子はだいぶん消えかかっているようだった。人通りのない道の静けさが、逆に酔いを醒まさせたのかもしれない。
「いや、なんかマジ……、……悪ぃ」
 そう、いつになく弱げな声音で呟くのに、
「何がだ?」
 間を置かず問い返すと、今度はいつもの深い皺を眉間に刻み、色々がだよ、と照れをごまかすように無愛想な声で言う。
 夜遅くに突然知らない人間ばかりのところへ呼び出して、酔った思い込みで叱責を浴びせて、あげく帰路をつき合わせて、とくれば、まあ謝らざるを得ない「色々」と言えるのかもしれないが。
「いいって。逆に呼んでもらって良かったぐらいだ」
 笑み浮かべて言えば、逆に難しげな顔がこちらを見上げる。
「……なんか妙なこと吹き込まれてねぇだろうな」
「妙なことって?」
 重ねた問いに、日向はう、と言葉を詰まらせて口を結んだ。何を言っても薮蛇と感じているのだろう。どちらにせよもはや遅まきの用心ではあるが、木吉としては、妙な、どころか興深い話ばかりを聞いたという感触だった。まあこれこそ藪をつつくこともないと、ひとまずは語らずにおくことにする。
 日向も結局は掘り返さず話を流そうと決めたようで、何も言わずに歩みを再開しようとする。が、振り出した足がわずか二歩目でぐらつき、平衡を失った。咄嗟に手を伸ばし、今度こそ本当に前へ倒れかけた身を受け止める。
「大丈夫か?」
「あ……、お、おう」
 驚いた顔をしている。意識だけ先に醒めてしまったが、体のほうはまだ酔いが抜けないちぐはぐな状態のようだ。肩に掴まらせるのも逆に危ないかもしれないと、掴んだ日向の腕を指で下へ辿り、行き着いた手をそのまま握り込んだ。
「よし、行こーぜ」
「ちょっ、おま」
 よしじゃねぇ、と木吉の指から手を抜き取ろうとしてくるが、道へ向き直るとともに逆に腕をぐいと引いてやる。たたらを踏む日向を斜め横へ連れて、完全な「手つなぎ」の状態で歩き出した。
「ダァホっ、何してんだ」
「このほうが危なくないし歩きやすいだろ? そんな気にしなくても誰も見てねーさ」
 それにあったかいしな、と言うと、またぐっと唇をへの字に結ぶ。日向は部のジャージを着ているので、急に呼びつけ上着もない木吉に余計に引け目があるのだろう。
「誰か来たらすぐ離せよ……」
 そう言って、諦めたように力を抜く手を、ああと笑って答えながら握り直した。

 二人分の影が重なり伸びる道に、ゆるやかな足取りに合わせて、ぽつりぽつりと会話を転がす。酔っ払いとの一方通行な話もそれはそれで愉快だったが、やはりきちんと言葉の往復があったほうがいい。
「部活、楽しそうだな」
「……まぁな」
 ウチみてーなとこで真剣にバスケやろうぜってバカばっかりだから、と言う。
「日向にぴったりだな」
「否定できねーのがむかつくわ」
 息をつき、それより、と続けた。
「二次会来なかったメンバーに色々言われんだろうな……本気でお前呼ばせにかかってくる」
「試合の日知らせといてくれれば自分から行くぞ?」
「頼むわ。センパイらがマジしつけぇんだ」
 面倒臭げに言いながら、日向自身、そうしたやり取りを楽しんでいるのだろうことが声音から伝わってくる。木吉にも言えることだが、高校のあいだは入学から卒業までずっと最高学年であったから、周りに常に歳近な目上の人間がいる状況は久しぶりだ。慣れないながら、人に世話を焼かせる「後輩」でいるのはなかなか満更でもない気分だった。
 話はそのまま日向の部活を題にして続いた。何ということもない問いや答えを交わしながら、木吉はふと、会話に興ずる一方で、先ほどの宴会で聞いたいくつかの言葉を、ふわふわと頭に思い起こしている自分に気付いた。それは今夜出会った部員たちの言葉ではなく、その口を通して語られた、日向の言葉だった。
 直接耳にしたわけではないそれを改めて口に乗せれば、言った日向にしても、又聞きをした木吉にしても、それこそ藪から出た蛇と言う名の極度の羞恥と、反動で八つ当たりにかかってくる日向自身に睨まれるのはわかりきっている。
 だが今この瞬間、ただ無性に。部員の失敗談を語っている日向の笑みをさえぎってでも、その話がしたかった。
(だって、オレは)

「……し、木吉? おい、痛ぇってのっ」
 呼びかけにはっと思考を戻し、慌てて日向の手を握る指をゆるめた。無意識のうちにどれほど力を込めていたのだろう。この握力バカ、と悪態をつかれる。
「スマン」
「人の手をボールかなんかと勘違いしやがって……あとお前、前見てんだろーな。このまま行ったら袋小路だろ」
「あ」
 気付けば道はもう半ば以上を過ぎて、十数メートル先に十字路が見えていた。駅は左の方向で、まっすぐ行くと行き止まりの私有地に入ってしまう。そうか、と頷き気を改め直すと、少しの間のあと、言葉が落ちた。
「……何ぼーっとしてんだよ」
 静かな声。昔からいつだって、人を本当に案じた時の日向は、普段の罵詈の勢いが嘘のように、穏やかに問いかけてくる。
 ああそんなところも好きだな、などと埒もなく思いながら、考えのまとまらないまま口を開いた。
「いや、自分でも良くわかってねーんだが」
「ん」
「最近、ちょっと気になってたことがあって。でもそれが具体的になんなのかがはっきりしなくてさ」
「……ん?」
「けどさっきから、ちょっとわかりかけてきたような気がし始めてて」
「……何が言いてぇのかさっぱりなんだけど」
 抽象的過ぎる説明に顔をしかめる日向へ、だから良くわからねーんだって、と笑いを返すが、
「逆にすげー気になっちまうわ」
 もっと良く考えてみろ、そして話せ、と、妙に尊大な態度を作って畳みかけてくる。三年のあいだに染みついた主将気質はなかなか抜けるものではないのだろう。日向なりの心配の表れだと知っているから、うっとうしいなどとは思わなかった。しかし実際、お前とのことだから、と打ち明けるのがどうかということを抜きにしても、話ができるほどの明確な言葉がないのだ。
 難しげな表情のままの日向に、じゃあ、と提案する。
「良く考えておくから、もし次までにまだわかってなかったら、相談に乗ってくれねーか?」
「……おう」
 改めて言われて少し及び腰になる気配も見えたが、それでも日向はきっぱりと頷きを示した。それだけでもう、気がかりが少し減ったような気分になるのだから、この心も大概正直だ。
 よしと笑って、ちょうど十字路に差しかかった足を左へ向ける。
 と。
「っ、おい」
「ん?」
 握った手が思わぬ抵抗を受け、互いに身がもつれたようになって、その場に立ち止まった。怪訝な顔が見上げてくる。
「日向、どうした?」
「どうしたはお前だろ」
 え、と首を傾げる。この先が行き止まりだと言ったのは日向なのに。
「あんまりのんびりしてると、終電なくなっちまうぞ?」
 そう言うと、見下ろす顔がはっとした表情に変わり、眼鏡の向こうで目が丸くなる。
「あ……、そう、か。駅……、だよな、……ワリぃ」
 訥々と呟き、そうだよな、と自分に聞かせるようにして気まずげに目をそらす。その言葉を反復して、示す意味にたどり着き、次にはっとさせられたのは木吉のほうだった。
 左に行けば駅。まっすぐに行けば行き止まり。残った右に行けば――
 答えとともに、耳に残っていた種々の言葉がひと息にフラッシュバックする。

『もっとはっきりした気がかりなんじゃないか』
『ウチの初代7番』
『珍しいもん見てるな』
『オレはセンターには物凄く高望みするから』
『そんな仲いいんなら、気持ちもわかる』

 友人の言葉。日向のチームメイトたちの言葉。彼らの語った彼の言葉。
 そして、数日前に聞いた、なにげないひと言。

『――おかえり』

 ああ、そうか。
「……すごいな日向。全部わかっちまった」
 悩んでいる時、迷っている時、いつだってお前は道を教えてくれる。自分自身ですら気付けずに絡んだ心を、なんでもないことのように解きほぐしてしまう。
 ぽかんとしている日向の手を引き、再び歩き出す。足をつっかえさせながら、日向は抗議の声を上げた。
「おい、お前、こっち……」
「ああ。――帰ろうぜ、日向」
 笑み浮かべて言う。左に行けば駅。まっすぐに行けば行き止まり。残ったこの道を行けば、木吉の家だ。
 さっと頬を赤くした日向は、それでも手を振り立てることなく木吉の隣に並び、ただ黙って頷いた。



 そのまま少しのあいだ、道を抜ける風と虫の鳴き声を聞きながら、ともに言葉なく歩いた。
 沈黙は心苦しいものではなかった。握った手のぬくもりが互いの存在を能弁に語っている。決して小さくも華奢でもないが、それでも規格外の木吉の掌にはすっぽりと納まってしまう日向の手。骨ばった長い指が、繊細なうつくしい所作でシュートを放つ瞬間を見るのが好きだった。
 やがて、先に無言を破った日向が、さっきの、と言葉を落とす。
「……わかったって、どういうことだよ」
「ああ」
 頷き、
「嫉妬してたんだ」
 そう、端的に答える。は、と相槌にもならない声が落ちた。
「……嫉妬? ……誰が誰に?」
「オレが、日向の友達とか、チームメイトに」
「は?」
 今度は具体的過ぎて何を言っているのか理解できない、といった顔を向けてくる。また少し考えを巡らせてから、ゆっくりと語った。
「オレたち、高校からずっと同じ感じで付き合ってきたろ? もちろんそれが嫌だってわけじゃ全然ないんだが、少しだらだら続いているようなこともあるのかな、とか思っちまってたんだ」
 けど違った、と、自分自身の心を確かめるように、言葉を続ける。
「そう思うのは――実際がそうなんじゃなくて、そう感じるのは、……オレが、日向の特別になりたかったからなんだ」
 途端、呆気にとられたような顔を浮かべた日向にふっと笑いかけ、言う。
「多分オレ、日向と同じ高校で、同じチームで、並んでバスケしてて、二枚看板とか、呼ばれてさ。お前のセンターでいられたことを、お前の7番でいられたことを、すげー特別に思ってたんだ。自慢だったんだ。……今は、どうやってもそこにはいけないから」
 恋人として自分を好いてくれている日向の心を疑うなどということは、決してない。それを不足に思うことなどない。
 しかし「そこ」は、ほとんど別の次元、別の世界のようにして、自分たちの間にある。何よりも強く、眩く、痛みや哀しみさえ陰りとせずに、輝いていたあの日々。バスケから始まった自分たちの関係は、どんな風に形を変え、どんな名が付け足されようとも、貴く揺るがしがたいものとして、場所として、やはり中心にその存在を残している。
 自分はきっと、気付かないほどのゆるやかさで、しかしいつまでも消えないほどの根の深さで、ほんの少しだけ、焦っていたのだ。今そこにいられないことに焦り、今そこにいる彼の新たな仲間たちに、羨みを感じていたのだ。
「だから今日、いろいろ話聞いて、いろいろ知れて、すげー嬉しかった」
 嬉しかった。きっと無意識の中、心の底から、安寧を覚えた。
 日向がその場所に、木吉鉄平という名を残してくれていて。

「あいつら、一体何話してくれやがったんだ」
 木吉の笑みにどんな感情を見たのだろうか、日向は顔に朱を差してこぼしたのち、つーかお前、と今度はこちらへ言葉を向けた。ひと呼吸のためらいの間を置いて、
「……特別じゃねぇとでも、思ってたのかよ」
 無愛想に言い落とせば、頬の赤みが増す。目を細めてその横顔を見つめ、声を返した。
「思ってないよ。……ありがとな」
 なんでそこで礼だよ、などとぶちぶち言うのを聞きながら、今夜見たこと、聞いたことを思い並べ、その言葉を噛みしめる。
 木吉にとって、酔ってわけがわからなくなった日向の姿は、そう新鮮なものでもなかった。初日の泥酔は置いても、家で呑み交わすようになってからは、幾度か同じような酔いぶりを見ている。そう慌てるほどの、珍しい姿ではない。
 けれども彼のチームメイト達は、それを知らなかった。帰り際のちょっとしたやり取りにしてもそうだ。日向が自分を背負おうとした手を拒んだのは、木吉の膝を案じてのことだった。周りはそれを意固地のようにとらえて笑っていたが、木吉はあえて訂正しなかった。自分だけが知っていればいいと、思ったからだ。
 この歳に至ってようやく知った、子どものような嫉妬や優越感。落ち着いた分別とは程遠い、荒々しい熱さえ内に秘めるそうした情動こそが、誰かを特別に想うということなのだ。それこそがきっと、恋というものなのだ。

「オレ、日向の特別になりてーな」
「……お前、人の話聞いてたのか」
「もっとそれ以上に。一番の特別になりたいんだ」
 少しの嫉妬や羨みなどかすんでしまうぐらい。「そこ」に立てないハンデなど、なかったことにしてしまえるぐらい。
「でな、日向。オレ、すげーいいこと思いついたんだ」
「だから人の話を……」
「バストイレ別ってさ、学生マンションじゃ見つからなくても、もう少し広い部屋ならあると思わないか?」
「……はい?」
 間の抜けた声が返る。とうとうおかしくなったか、とでも言いたげな冷たい視線に構わず、言葉を続けた。
「自転車があるし、駅は少し遠くてもいいから、でかいスーパーとかホームセンターが近くにあると便利だよな。家事は分担したら楽だし、家賃も浮くし、米代だって気にしなくていいぞ。それに裏が墓地とかワケありでも大丈夫だ」
 二人ならさ、と、笑いかければ、さすがにもう理解できないとは言われなかった。ただ、深い驚愕だけを浮かべた瞳が、声もなくこちらを見つめていた。
「すぐに寒くなるだろうから、炬燵も欲しいな。ちゃんと二人分の食器を揃えて、コンロ置いて鍋とかしよう。ばあちゃんの漬物つまみに釣り合わない安い酒呑んで、酔っぱらって、そのまま寝ちまったりしてさ。先に起きたほうが飯の支度して、寝てるほうを起こしてやって、時間が合ったら二人で家を出て、違ったら玄関で見送って。それで、授業出て、バイト行って、帰ってきたらもう明かりが点いてて……日向が笑って『おかえり』って言ってくれたら、オレ、幸せすぎて死んじまうかも」
「……お前、ほんと」
 妄想で死ぬなよ、と呆れたように息をつくが、それ以上の文句は返ってこない。落ち着かなげに揺れる瞳を横から覗き込むようにして、告げた。
「オレと暮らしてくれないか? 日向。ずっと、一緒にいたい」
 誰よりも近く、二人きりの特別な場所で、ずっと。
 ほかの友人や仲間たちにするように、「じゃあな」や「またな」ではなくて、互いにだけの「おかえり」と「ただいま」を、手の触れ合うこの距離で、交わしたい。
 日向はしばしほうけたように木吉の目を見つめ返していたが、やがて緩慢な動作で赤い顔を隠すように俯かせ、くそ、と呟いた。
「……お前のせいで、オレまでお幸せな頭になっちまった」
 責任取りやがれ、と言い捨てながら、その声音と裏腹のやわらかさで、包まれていただけだった指を動かし、そっと、木吉の手を握り返してくる。こちらからもう一度、万感の想いとともにその手に力を込め直し、もちろん、と誓いを立てた。



「楽しみだなー。引っ越しは軽トラ借りて、二人いっぺんにできたらいいな。安上がりだし」
「……え、お前免許持ってんのか?」
「あれ、言ってなかったか? 今年の春に取ったんだが」
「マジ? 先越されてんのかよ。むかつく」
「日向は長期休暇も部活が忙しいから仕方ないだろ」
「そうだけどよ……」
「またみんなに手伝いにきてもらおーぜ。久々に会いたいしさ」
「だな。しっかし説明が面倒だよな……どう言やいいんだ」

 先のことをああでもないこうでもないと語り合いながら、手を繋ぎ、肩を並べ、影を寄り添わせてふたり歩く。
(もっと早く、こうして話してれば良かったかな)
 なんでも内にしまい込んで隠すのがお前の悪いくせだと、いつも日向は言う。言いながら、自分は隠された木吉の心にすぐに気付いて、ひょいといともたやすく拾い上げてみせる。もうとても、この手を離せたものではない。

「二人暮らしなら、1LDKかな」
「いや、2DKだろ。どっちかリビングで寝るのかよ」
「でかいベッド買って二人で寝ればいいんじゃないか?」
「な……アホかっ。部屋ひとつにでっけぇベッドって、人が来たら言い訳しようがねぇだろーが!」
「うーん」
「あ、あとどんだけ安かろうが、裏が墓地とワケありは却下だ」
「そうか。あ、壁が薄いとこもやめとこーな! ……あいてっ、足踏んでるぞ日向。まだ酔ってるのか?」
「わざと踏んでやってんだよダァホ!」

 ようやく進み出したばかりのつたない恋だ。きっとまだまだ、この未熟な心では思い及ばないような問いがある。焦りや迷いや悩みがある。それでもこうして特別な人とふたり寄り添って、笑い語り合いながら、少しずつでも前へ歩んでいけたら。
 街灯の先に次の十字路が見えた。まっすぐに行けば家まではもうすぐだ。だが左に行けば、近くを流れる川に出る。橋を渡り、土手に登って、もう少し夜の散歩をするのも悪くない。日向は頷いてくれるだろうか? 今はまだ、この手のぬくもりを離すのが惜しい。
(あー……そういえば、右に行ったらホテルがあるんだよな……)
 まあともかく、いざそこまで来たら立ち止まって、ゆっくり話し合えばいい。どの道を選んでも、お前と二人なら。
 繋いだ手を確かめて、時間を忘れように弾み始めた想いのまま、怒鳴られてもいいから立ち止まったらまずキスをしよう、と心に決めた。


-fin-
←BACK
NOVEL MENU