本日快晴、デート日和
「ほんと悪ィ」
「君が謝ることなんかじゃないよ」
「こんなだせぇ怪我して」
「名誉の負傷だろ」
「せっかく久々に休み合わせられたのに」
「また次の機会があるさ」
愚痴や自嘲をこぼしてはなだめられる、というやり取りは幾度くり返しても居たたまれず、情けなく、非生産的で、しかし全てわかっていながらすぐに引き収めることもできないという、非常に不毛な時間だ。こちらはベッドの上で背を丸めて布団をかけ、相手は横にしゃんと座っている、という状況が不甲斐なさをいっそうに深める。まるきり子どもと大人の対比のごとくだ。
長座の膝の上に落としていた目を緩慢に持ち上げ、あえて視界から外していた相手の様子をそろそろとうかがう。危惧した不興の気配の一片もない、いつもの朗らかな顔がまっすぐこちらを見つめていて、視線の交差を合図ににぱりと笑った。
(……かわいい)
思わず胸中にこぼれた正直で場違いの感想を慌てて押し込め、また目を逸らし、次に発するべき言葉を探した。謝罪、反省、悲嘆、自虐。どれを口にしても、飯田が轟の非を認めないことはとうにわかりきっている。だからこそ、この不毛な時間をすっぱり終いとすることができない。
「轟くん」
黙り込んだ轟へ、相槌と返事に徹していた飯田が満を持して呼びかけてくる。もう一度向けた視線に応えてゆるりと頷く穏やかな顔が、大丈夫、と音なく語り、問いかけてくる。
「愚痴が言いたくて言ってるわけじゃないんだろ? なんで今君は落ち込んだり、謝ったりしてるんだい?」
なんでって、と考える。そう、ただ愚痴を言いたいがためにぐずぐずしているわけじゃない、と認め、今のこの不毛な時間に至るまでの、今朝の出来事を、ゆうべの出来事を思い出す。
居たたまれないのも、情けないのも、不甲斐ないと思うのも、元はと言えば、全部、全部、
「……お前とデートしたかった」
そのひと言、その一事の所以に尽きる。
昨日夕方から発生した強盗立てこもり事件の対応中、投降を装って躍りかかってきた犯人の思惑を読み、予測していた攻撃を身をひねってかわしたまでは良かったが、人質が逃げ損ねてすぐそばで転倒してしまったため、氷炎ではなく徒手で反撃した。具体的には、側頭に蹴りを見舞い、首尾よく失神昏倒させた。咄嗟の動きのうえ鉱石形質の表皮を持つ相手であったため、こちらも打った足首のあたりを少し痛めてしまいはしたものの、お前に教わってた通りにできたぞ、という、恋人への土産話の対価程度に思っていた。
事件の後処理に思いのほか手がかかり、家に帰り着けたのはとうに日付を回った時刻だった。明日があるから待たないように、と頼んだ言葉に素直に従い、既にベッドで寝息を立てていた(きっと翌朝早く起きて、轟の分も支度をしようと思ってくれたのだろう)飯田を起こさぬよう、そっと隣に身を滑り込ませて、かねてから計画していた休日デートを楽しみに、静かに眠りに就いた。
そして今朝、轟くんそろそろ、と予定より遅い時刻にやさしく揺り起こされて、おう、とあくびしつつベッドから降りた轟は、足先から駆け上がった激痛に息を呑み、その場に崩れ落ちかけた。さすがの反射神経で横から抱き支えてくれた飯田は、大丈夫、のだの字も聞かず、一分後には電話をかけ、三十分後には迎えの車に乗り、一時間半後にはかかりつけの医院の病室で、ともに診断結果を聞いていた。
骨折ではなくひびが入ってもいないが、その半歩手前の状態、骨挫傷であるとのことだった。症状は打撲に近しいものの、通常は完治まで一か月程度、個性と機械を併用した特殊促進治療を用いても一週間はかかるという。さらに間の悪いことに、特殊治療の予約も応急鎮痛処置の予約も、三日先まで既にいっぱいだった。
入院の必要はありませんが、脚はしっかり固定して、治療に入るまで安静にしてください、とぼんやり顔の轟へ語りかけてきた医師に、はい、と斜め後ろに控えていた飯田がはきはきと答えた。その瞬間、既に荒れ狂う嵐の目前にあった、数月ぶりのデートに至る灯し火は、哀れ儚く消え去ったのであった。
「そうだね、俺も君とデートしたかった」
深々と頷く飯田の声は、轟への非難どころか悔しさの一片もにじませず穏やかで、口元には「よく言えました」と幼い子どもを褒めるかのごとき笑みさえ浮かんでいた。ごめんと轟が反射で返す前に、だから、と続ける。
「デートをしよう、轟くん」
「……ん?」
何かの聞き間違いかと反問を発しかけたが、小首傾げる轟をよそに飯田は素早い動作で椅子から立ち上がり、声をかける間もなく早足に寝室を歩き出ていってしまった。
独りぽつねんと残されて約一分、ひょっとしてあの顔で怒っていたのか、と不安の雲が広がりかけたのとほぼ同時に、それをひと息で吹き晴らす爽やかな風が舞い戻ってきた。
「お待たせ! さあ、デートの時間だぞ!」
麦茶に氷浮かぶペアグラスの乗った盆を右手に、大画面のタブレットを左手に携えた飯田は、聞き違えようのない明朗快活な、そして奇妙奇天烈な宣言をしたかと思うと、盆をサイドテーブルに置きつつ轟のかけていた布団をめくり、
「お邪魔するよ」
と言って、怪我した脚とは逆の左側のスペースに、いつもは轟を喩えてくる猫科の獣のごとき軽やかさで、するりと滑り込んできた。
「うお」
「あ、すまない。ギプスに触ってしまったかい?」
「いや……、大丈夫だ」
「もし姿勢を変えたくなったらいつでも言ってくれ」
そんな確認をしつつ、掛布の下の轟の腕に自分の腕を絡めて、上体を隙間なく寄り添わせてくる。ひょいとふたりの腹の上にまたがるように置かれたタブレットは動画アプリを開いており、中央に表示されたタイトル部には「A組再生リスト」とある。
「雄英のトークグループや事務所で教えてもらった皆の出演動画を登録しているんだが、最近忙しかったから視聴できていないものが溜まってしまって……君と一緒に観られたらいいなと思っていたんだ。どうかな」
それとも映画か何かのほうがいいかい、服と日用品の通販もチェックしておきたいな、もし診察で疲れていてひと寝入りしたいならそうしよう、と矢継ぎ早に提案されて、これと選ぶ段階まで思考を追い付かせられず、目瞬きをくり返しながら傍らを見つめた。頬の触れ合いそうな距離から、あたたかな熾火色の瞳が見つめ返してくる。
「……今話題の映画を観たり、買い物をしたり、予約した店で美味しいご飯を食べたり、君とコラボ中のアイスを食べながらのんびり公園を歩いたり、そういうことももちろんとても楽しくて、楽しみだった。謝ってもらう必要なんてないが、君が残念に思ってくれるのは嬉しい。でも、どこで何をするにしたって君が元気で一緒にいてくれなきゃ意味がないし、君が隣にいてくれたら、たとえどこで何をしてたって、俺はいつも楽しいよ」
君はどうかな、家でも俺とデートしてくれるかい。
そんなことを言われて、言わせて、それでもなお延々と愚痴を吐いていられるなら、自分は早々に飯田と別れてやるべきだ。いや、別れてやれるはずなどない。
姿勢を正し、深く深く
頭を垂れる。
「お前とデートしたい。別れないでくれ」
「うん、何か不思議な幻覚が混入してしまったみたいだな」
別れるわけないだろう、ときっぱり答えて笑い、ちょんと頬へキスまでくれる。
「足首は痛めやすいから、君のスーツなら別の部位を使ったほうがいいと言っておくべきだったって、俺も反省したよ。せめて骨折してなくて良かった」
「お前に責任なんてない」
「君の責任でもないぞ」
ぽんぽんと指摘を投げて、投げ返される。おそらくこう来るとわかっていての、あえての飯田の自省の言葉だった。
日々ある程度の負傷は互いに覚悟の仕事だ。傷を負ってしまったあとで細かなことをうだうだと言っても仕方がない。大事なのは、無事に愛する人の待つ家に帰り、今日もふたり隣り合って、言葉を交わし合えていること。
まったく日々反省ばかりだ。毎度律儀に学びに付き合ってくれる真面目なパートナーには、そのたび感謝の念しかない。
「ちゃんと治療して、すぐに治すな」
「ああ。それからまた改めて外出の計画を立てよう」
「今日はここで一日デートしてくれるか?」
「もちろん」
耳郎くんの新しいミュージックビデオが出ていたからぜひ観よう、から始まり、雄英のPRに緑谷と相澤先生が、常闇くんの台詞集とはなんだろう、砂藤のレシピ紹介すげぇ人気だな、峰田くんには今度改めて注意を、と、旧友たちの活躍を眺めては感想を述べ合うだけでも賑やかに愉快に時が過ぎていき、遅めの昼食は馴染みの蕎麦屋に出前を頼んだ。
午後からはまず不足していた日用品を通販で注文したのち、コラボ商品ではない苺のアイスを食べながら(もし寝具を汚してしまった時は俺が責任をもって洗う、と飯田がベッドでの飲食に今日限定で許可を出した)、ちょうど配信の始まった去年の話題の映画を観た。しかし今ひとつ好みに合わず退屈であったため、ラブシーン中に飯田がそわそわし始めたのを見逃さず、抱き寄せて敷布に引き倒し、エンディング曲が流れるまでしばし軽く戯れた。初めの一瞬だけ驚きの顔を見せた飯田は、すぐに目を甘くなごませ頬赤らめながら、君はあまり動いちゃ駄目だぞ、と自らたくさん触れてきて、たくさんキスをしてくれた。
「楽しいな、デート」
「うん。とても」
体裁としてはもはや並んで寝転んでいるだけだが、双方がデートだと思っているのだから、間違いなくこれはデートだ。昼前から始まって、昼食を挟み、夕暮れ迫る時刻になっても、まだ終わらない幸せな逢瀬。
しかしやや足りない睡眠時間と今朝の慌ただしさがたたってか、じゃれ合いをひと段落させた途端に、不意の眠気が襲ってきてしまった。くわ、とあくびした轟をデート中にあるまじくと叱りもせず、夕飯まで寝るかい、と飯田がやさしく訊ねてくる。
髪を撫でる指を握り返し、答えた。
「寝る。お前と」
「俺も? 夕飯の支度が……」
「一日デートだろ」
門限十九時の学生デートじゃないぞ、の意を込めて訴えれば、そうだなと笑いの頷きが返る。
「昨日の残りと店屋物でいいかい」
「天哉もの? いいぞ」
「たぶん違う変換をしているな」
それはまた今度、と言いつつ細めたまなじりを面映ゆげに染めるので、どうにか今日の締めのプランに許されまいかと考えながら、ひとまず夢の中にデートの続きを持ち込むべく、傍らのあたたかな身体を抱きしめた。
end.