の人のについて


 四限終了の号令のあと、飯田は斜め前の切島の席へ向かったので、出久は先に轟と目線を交わして合流し、麗日さんたちは中庭で食べるって、と朝聞いた話を共有しながら並んで二人へ近付いた。どうやら提出用のプリントを集めていたらしく、机の中からようやく引っ張り出した紙を切島が飯田へ差し出す。
「遅れてすまねぇ!」
「うん……あったのはいいが切島くんはもう少しプリントの扱いを丁寧にだな……」
「そうだよな、悪ぃ!」
 謝罪しつつ折れた紙の皺をざっくり引き伸ばそうとするので、飯田は慌てて自分の手にプリントを受け取った。声の大きさや動作の大仰さに共通点の見える飯田と切島だが、物の取り扱いの丁寧さの上限下限には多少の開きがある。
「これはあとでまとめてファイリングするから……どうかしたかい、切島くん」
 もう昼食へ行ってくれていいぞ、と譲るジェスチャーをする飯田の顔をじっと覗き込んでいた切島は、おう、と頷きながら答えた。
「今さらだけど、委員長の目って赤いんだよな。俺と割と見た目が近いよなと思って」
「……目だけじゃねぇか?」
 後ろでともに会話を聞いていた轟が小首傾げて口を挟み、あ、と切島が個性も使わず数秒固まる。そうして、
「そうだな! 俺メシ行ってくっから! プリントよろしくな!」
 何もごまかせていない漢らしい肯定とスルーを決め、何に対してのものかわからないガッツポーズとともに駆け出し、ばたばたとその場を後にしていった。
「なんだったんだろ……?」
「うむ……? まあ、無用の詮索はすまい」
 空腹も手伝い、この程度の騒ぎは日常茶飯事とこちらも看過を決め、三人並んでランチラッシュの食堂へと足を急がせた。


 今日は食堂の利用者が多いのか、あいにくいつもの横並びの席は空いておらず、隅に見つけた前後二席ずつのスペースに座ることとなった。こうした時は格別の理由もなく出久と飯田が隣、前に轟、という席位置になることが多い。先日の餅焼きの様子を見てしまったあとだけになんとなく遠慮が働いてしまい、隣を譲ろうかと考えてみたものの、飯田が「混んでいるから先に水を取ってこよう! ふたりは席を取っておいてくれ!」と気を利かせたうえ誘導の暇もなく早足で出久の隣へ戻ってきてしまったため、あえなく失敗に終わった。轟の視線が痛い。切れ長の目、それも異色のオッドアイに凝視されるとなかなか迫力がある。出久個人への悪感情でないことはわかっているので、いっそ早めに心中を自覚してもらいたい。
「そういえば、さっきの切島くんの話じゃないけど、昔はもっと目とか髪の色は少なかったんだよね」
 連想から話題に乗せる。うむ、と飯田が頷いた。
「個性発現以前の時代の日本人、ほぼイコールでモンゴロイドと呼ばれた人種は、髪も目も黒、薄くとも茶程度までが通常だったそうだな。個性因子がヒトの外容を造る遺伝子に作用し多様化したと言われている」
「数が多いのはその名残りか」
「きっとそうだろうな。ただどうやら俺や梅雨ちゃんくんぐらいの色具合でも昔はいなかったそうだよ。先日読んだ記録によれば、当時の基準で黒と言えるのは瀬呂くんや八百万くんぐらいかららしい」
「だいぶ範囲が狭いんだなあ」
 飯田の髪はやや青みがかっていて、蛙吹の髪は緑がかっている。とすると毛先に向かうにつれ完全に緑になる出久の髪も当然黒の範疇外だろう。右を見ても左を見ても濃い黒か茶一色、という光景はあまり想像がつかない。
「目も確かに黒と茶色が多いよね。赤も昔からいたのかな?」
 これもまた切島の話に立ち戻るわけではないが、A組では黒や茶に次いで多い瞳色がおそらく赤だ。ということは、と考察して訊ねると、飯田は首をひねって答えた。
「それが、赤い瞳は基本的に先天的疾患によるもので、その中でもごくごくわずかな例だったらしい。動物にはやや多く現れて、身体の色素欠乏で虹彩が透明になって下の血管の色が見える、という理屈だそうだ。爆豪くんは髪も肌の色も薄いからひょっとするかもしれないが……もちろん疾患とは違うが」
 俺や切島くんや常闇くんの目はまた別だと思う、と言って、さらに続ける。
「実は当時書かれた物語などを読むと、赤い目はあまり良く描かれていなかったりするんだ。悪魔だったり怪物だったり、悪者が多くてね」
「え、そうなの?」
「ああ。人が本能的に血の色に恐怖を感じるからかもしれないな。我が家は父、兄、俺と赤目だから、子どもの頃は読んだ本に文句を言ったりもしていたよ」
 はは、と笑って細める目はもちろん悪者のものなどには見えず、服装の趣味もあり全体に落ち着いた雰囲気をまとう飯田の、唯一際立って鮮烈な印象を与える色だ。それは悪魔や怪物の血などと言うより、むしろ廉直な騎士の中に宿った信念の火のようで。
「僕は飯田くんの目、凄く格好いいと思うよ!」
 拳を握って伝える。飯田は鮮やかな赤をぱちぱちと驚きに目瞬かせ、いくらもなくまた細め、ありがとう、とほほ笑んだ。
「緑谷くんの目も、やわらかく優しげでとても素敵な色だと思うぞ!」
「えっ、ありがとう! あっ……、と、轟くんも、飯田くんの目いいと思うよね?」
 餅を焼け焦げさせてはならじと前へ水を向けると、轟の視線に危惧した鋭さはなく、むしろどこかぼんやりとした顔でこちらを眺めていたようだった。こちら、主に、飯田のを。
「ん……おう、そうだな」
 表情そのままぼんやりとした相槌があり、俺は、となお淡然と続く。
「飯田の目は、旨そうだと思う」
 はぇ、という間の抜けた声は、どうやら隣席の友人の口からも同時にこぼれたようだった。かちりと時間が停止したかのごとき空気のなか、ず、と蕎麦をすする音が響いて、ひとりだけが平然と動いて話す。
「あ、ネギ取るの忘れてた。もらってくる」
 何事もなかったかのように言って席を立ち、カウンターへ向かって歩いていく背を眺めながら、どうにか再起動したらしい飯田がぽつりと言った。
「……轟くんは苺や桜桃が好きなのかもしれないな」
「うん、そうかもね……」
 もうそういうことにしておこう、と大事な薬味が無いことさえ今の今まで気付かずじっと赤色を見つめていたらしい友人の真意から目をそらし、次の機会につつがなく席を譲る方法を考え始める。と、飯田が隣で落ち着かなげに身じろぎをし、また呟くように言った。
「俺は人体のパーツは旨そうには見えないが……何か別のものに見立てるということなら、轟くんの目は宝石みたいにうつくしく見える。君もそう思わないか、緑谷くん」
 はぇ、と今度はひとりで間抜けを演じた。ごく真剣な、憂いさえ感じるような真面目な声音で、彼は、と飯田は言う。
「彼は、切島くんや爆豪くんや常闇くんの目も、その、『旨そう』に見えるのだろうか……?」
 まじまじと見つめる赤い目の中に、謎かけや冗談を語る揺れはない。ひょっとして、と最前までの考えを改める。
 ひょっとして、自分は勘違いをしていたのではなかろうか。
 飯田は出久の隣ではなく、轟の正面を選んで座ったのではないだろうか? 彼の言う宝石のような目を、まっすぐ前から見るために。
 気付いてしまった真意から目をそらしておくか、それとももう直接訊いてみてはどうかと互いの火に薪をくべてやるのか、決断までの猶予は、異色の瞳の友人が席へ戻るまで、おおよそ残り三十秒。


end

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