Dear My Friends
「緑谷くん、隠さず俺に気兼ねせず、正直に答えてほしいんだが」
と、そんなことを唐突に口にした友人のただならぬ様子に、出久ははたと手の動きを止め、開いた箸を丼の上空に静止させたまま、その横顔を注視した。「真面目」の概念を具象化して線に描き出したかのごとき角張った輪郭が、いつも以上に固くこわばっているように見え、こちらもつられて姿勢を正す。
「ど、どうしたの。飯田くん」
雄英高校に入学して、人生初めて心からの安息を得られるようになった昼休み。クックヒーローの預かりによる品目豊かな学食に舌鼓を打ちながら、これまた人生初めてできた明るく優しい友人たちと和やかに談笑する場を得てはや半年。憩いの、という言葉がまさにふさわしいものとなった時間に、そんな言葉と真逆の圧を隣から不意に受け、思わずどもってしまいながらも、出久は先を促す言葉を返した。色々の都合が重なり、今日は飯田と二人きりだ。ほかに返事を任せる仲間はいない。いやむしろ、「二人きり」だからこそのこの様子であり、話であるのかもしれないと思えば、聞こえなかった振りをする選択肢などなかった。
「その……」
正直に答えてほしい、と切り出しながら、飯田は常に実直明快な彼らしからぬ、ためらいのそぶりを見せた。うん、と今度ははっきりと相槌を打ち、続きを待つ。飯田は入学間もなくから今に至るまで特に親しくしてくれている、日頃から何かと世話になっている大事な友人だ。何か悩みがあるのならぜひとも力になりたい。
出久の傾聴の姿勢を受けて意を決したように頷き返し、しゅっと前へ手を振り出しつつ、飯田は問いを発した。
「俺は、二人の邪魔になっていないだろうか?」
「え?」
予想の範疇外であったどころか、その意味するところすら瞬時に理解できなかった訊ねかけに、間の抜けた声を返してしまう。
「いや、以前から三人で行動することが常態化しているが、俺抜きに二人だけで話したいことや、仲を深めたいこともあろうなと思って……」
「えっ」
やや早回しに続けられた言葉を聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは、まさに名は体を表す麗らかなクラスメイトの笑顔だった。飯田と並ぶ高校での初めての友人。高校で、どころかほとんど生まれて初めて出久と仲良くしてくれた、そして今も仲良くしてくれている女子(しかも大変に可愛い女の子)だ。
そんな子と、仲を深めたい……仲を、深めたい? と、投げかけられた言葉の意味を咀嚼し、想像を巡らせるだけで、顔から汗と湯気が噴き出してくる。こうした反応がクソナードのクソナードたる所以なのか、それとも年頃の男子学生であれば皆このようなものなのか、自分には到底判別が付けられないが、ともあれ、「年頃の男子学生」らしからぬ落ち着きと少々?のずれを兼ね備えた友人は、出久のような動揺は見せずに、淡々と言葉を先へ続けていく。
「もし二人きりで過ごしたいと思うことがあるなら、いつでも言ってもらえば俺は別行動を――」
「いっ、いや! そんな、ふ、ふ、ふふ、二人きりになりたいとか、な、な、ないよ! ナイナイ!」
ぶんぶんと、相手のお株を奪うほどの高速で手を振り否定する。実態を語ってしまえば、日ごろ麗日と二人きりになることとてさほど稀ならずあるのだが、事のなりゆきでそうなるのと、自ら意図してそうなるのとでは大きな差がある、と少なくとも自分は感じる。
出久のどもり裏返り果てた声を聞いても飯田は不審げな顔を浮かべることなく、むしろ表情をなお険しくすらして、本当かい、と追及の態度をゆるめない。規則や規律の維持に反しない限りは意外なほど他者の行動に鷹揚な飯田が、今日はなぜここまで、と頭の隅に疑問もよぎったものの、話題の種類に対するあせりが先んじて、出久もそのまま否定の言葉を重ねた。
「本当だって! 麗日さんだって急に僕と二人にされるようになったら変に思うだろうし……!」
「ん? 麗日くん?」
「え?」
思わぬ問い調子で名が返され、こちらもハテナの付いた声を発した。もしや、と別の汗を誘う推理は的中してしまったらしく、飯田は首を横へ傾げてのち、ああ、と手を打って頷いた。
「そうか、肝心の相手の名前を言っていなかったな。緑谷くんは麗日くんのことだと……」
「そっ、そうだよね、違うよね! ごめん早とちりしちゃって!」
みなまで言われてしまうのをさえぎり、今朝とか三人で話してたからつい、と早口に弁明して、うかつな思い込みの詳細から一目散の脱兎を図る。幸いすぐに納得してくれたらしい飯田は、逆に自分の言葉不足の非を認めてすまないと謝し、出久のしてしまった人違いについてはそれ以上突っ込んで訊ねてこなかった。
胸をなで下ろしつつ、ということは、と、勘違いからのやり取りの前へ立ち返って考える。どうにか平静を取り戻した頭に浮かぶ〝相手〟の名は、ひとつきりのように思われた。
「えっと、轟くん……だよね? 飯田くんが言おうとしてたのって」
クラスメイト、と一口に言っても交友の濃淡は当然それぞれで、関わりの多寡が大きく異なる者もいれば、共通して良く話す者もいる。しかし自分と飯田を含めた三人での行動が常態化している、とまで言えるのは、
件の女子を除けばあとは一名、いま名を挙げた紅白頭の彼のみのはずである。今日は仮免補講の用事で不在だが、昼食を共に取る習慣ができてから、もう五か月あまりが過ぎている。
うむ、と肯定の返事を得て、思い浮かべていた顔と名を正しい相手のものに差し替えながら、もう一度事態の整理を試みた。とは言え、話そのものは特に込み入ってはいない。今は何かと三人で行動する機会が多いが、実は出久と轟はもっと互いと親睦を深めたい、二人きりで過ごしたいと思っているのではないか、と飯田は感じた。そのために自分の存在が邪魔になってしまっているのではないか、と考え、その事実を確認すべく、今日この場で出久へずばりの問いを投げかけてきた。そういうことになる。
込み入った話ではないが、なるほどそうかとただ納得もしづらい。ええと、と首ひねり、出久はさらに確認を重ねた。
「僕は飯田くんが邪魔だなんて思ったことはないし、きっと轟くんもそうだと思うんだけど……そういう風に感じさせるようなこと、なんかしちゃってたかな」
こちらが意識的にそうしたそぶりを見せたことはないし、そもそも飯田を遠ざけて二人になりたいと思ったことがない。それは自分だけでなく轟も同じだろう。問いを口にした飯田とて、この五か月ずっと疑いを抱きながら過ごしてきたわけではないはずだから、そうした推測に至るきっかけが、おそらくは最近になってからあったと考えるべきだろう。
もし自分が何か勘違いをさせるような言動を見せてしまっていたなら、すぐに謝罪して誤解を解かなければ、とも思って訊ねると、きっぱり首が横へ振られた。
「いや、二人の話や行動をおかしく感じたというわけではないぞ。むしろそうした振る舞いに何も気付けていなかったのではと不安になったぐらいで……思い過ごしであったのならいいんだ」
「ひょっとして、誰かが何か言ってたとか?」
不安、という飯田に似合わない後ろ向きな一語が気にかかって即座に質問を切り返したが、あ、やっちゃったかな、と内心冷や汗が浮かんだ。踏み込みなど不要で、誤解でした、めでたしめでたし、の流れで終えたかったかもしれない。
そう思って自分の過旺盛な「首突っ込み欲求」を叱ったものの、飯田は特に不興の反応も見せず、またすぐにああと肯定を唱えた。出久と轟の言動に自ら疑念を抱いたのでなければ、考えられるのは外的要因ということになるので、それ自体は意外な返事ではない。
自分と轟の関係を変に勘繰っている誰かがいて、飯田にその考えを吹き込んだのだろうか、だとしたらそちらはそちらで誤解を解く必要があるのでは、とややネガティブな方向へ想像を膨らませた出久であったが、続けて飯田が語ったいきさつは、そうした意図的な煽りではなく、ごくなごやかな雑談の延長として始まったものだった。
時は二週間前、九月の終わりまでさかのぼる。具体的な日付としては、出久のインターン期間中、かの敵組織の拠点突入直前の頃であったらしい。
出久や麗日、蛙吹といった馴染みの面々がインターン生として校外で活動しているあいだ、必然的に飯田は轟と二人、あるいはそこへ数名のクラスメイトたちが加わった席で昼食を取っていたとのことで、その日の同席者は芦戸と上鳴だった。賑やかな二名と世間話を交わすうちに、上鳴がふとこんなことを言い出したのだという。
『けどさぁ、なんか意外っつー感じするよな。お前らがそんな仲良くなってんの』
唐突な感想に、飯田と轟は揃って首を傾げた。出久がその場にいたとしても、おそらく同じように首を傾げただろう。
『別に誰と誰が仲良くなったっていーじゃん』
もっともな意見を述べた芦戸に、上鳴は慌てて手を振った。
『いや、悪いとかってわけじゃなくて……、なんてーの? ほら、飯田は雄英入って割とすぐの頃から緑谷と仲良くて、体育祭で色々あってから、轟も一緒に行動するようになったって感じだったじゃん? 言っちゃえば緑谷繋がりだろ?』
『まあそうだな』
『でも今日みたいに緑谷がいねー時とかでも、見てて意外に自然だなと思ってさ』
『不自然に見えてしかるべき、ということだろうか……?』
『いや違くて!』
なんとも要領を得ない話に、でもちょっとわかるかも、と芦戸が横から口を挟んだ。
『緑谷が接着剤、みたいなイメージあるよね。緑谷ってあー見えて妙にアクティブでさ、巻き込まれ体質っていうか、主人公気質っていうか、そういうとこあるし。意外な相手と仲良くなっててももう意外じゃないって感じするもん。爆豪とか轟とかと仲いいって言われたら、逆にあーわかるーってなるかも』
『そうそう! 強キャラ引き付け人間て感じじゃん?』
キョウキャラヒキツケニンゲン、と、飯田が一語一句違わず記憶してそのまま口にしたのだろう呪文のごとき言葉を、出久は全く呑み込めずにそのままおうむ返しにした。知らぬ間に分不相応な称号を与えられている。しかも、現に仲良くしてくれていると言える轟はともかく、もうひとかた名の挙がった相手が聞けば大爆発必至の評価付きで。
『体育祭で轟がつっかかってったあと、気付いたら仲良くなっててマジかと思ったけど、まあおかしくもないかって』
『轟もずいぶん丸くなったしねー』
『漫画とかドラマとかだとさ、性格だのなんだのが正反対だから逆に仲良くなる、みてーなのあるよな。喧嘩するほど仲がいい、とか』
『あるある。第一印象がサイアクで、初めはお互い反発してたのに、一緒に過ごすうちにむかつくアイツのことが妙に気になって……なんてめちゃくちゃ王道!』
ハテナを浮かべ続ける飯田と轟をよそに、二人は話を右へ左へ、現実へフィクションへ、と無軌道に蛇行させつつ盛り上がり、特にオチが付くわけでもなく、鐘の音とともにその場はお開きとなったらしい。
それはまた好きなように話されたな、でも二人とも全く悪気はなかったんだろうな、と苦笑しつつ、納得に加えてさらなる疑問を同時に得た。先ほどの問いのきっかけとなった話そのものについては理解したが、その話をきっかけとした飯田の思考については、まだなるほどと思えていない。真面目な飯田ならば、「現実と物語の中の話を同列に語るのはいかがなものか」などといった意見を述べていてもおかしくないと感じる。
「僕の話はちょっと良くわからないんだけど……二人ともそういうドラマとかが好きだから、色々ごちゃ混ぜにして話してたんだろうね」
代弁めいた感想に飯田から返った相槌は、またしても肯定と同意の「ああ」だった。
「そうだったのだろうな。一種の偏見というか、ステレオタイプな見方だろうとは思って、その場では多少注意もしてしまったんだが」
「あ、したんだ……」
さすがだなあ、といついかなる時もぶれのない姿勢に感心していると、しかし、と飯田は本日二度目となる揺らぎの気配を覗かせた。
「なんというか……、少し気になってしまって」
やや不明瞭、かつやや控えめな声。上鳴と芦戸が見ればさぞ驚いたことだろうが、出久から見てもまれな姿だ。
「気になるって、その、僕らが三人で一緒にいたりすることについて、だよね」
「うん。俺が職場体験で二人に助けられて以来、ずっと親しくさせてもらっているが、上鳴くんの話の通り、轟くんは体育祭前から緑谷くんに強い関心を寄せていたろう? それこそ、強者として君に引き付けられたみたいに」
「あ、えっと……」
それは厳密に言うと僕じゃなくてオールマイトに対しての関心で、と言い訳したいが、自身の秘密も轟の生まれの秘密も公言できない以上、なんの説明も叶わない。もごもごと言葉を濁す出久をよそに、飯田は言葉を続ける。
「君は心身ともに力があって、どんな窮地でも果敢に前へと進み、逆境を跳ね返してしまいそうな輝きを持つ素晴らしい人だ。オールマイトにも目をかけられているほどだし、轟くんや爆豪くんといった才能のある人間が意識してしまうのも、引き付けられるのも良くわかる。不肖この俺も、君をいつか追い付き追い抜くべき良きライバルだと思っている」
「へっ? きょ、恐縮です……」
不意の賛辞に殴りつけられて、思わず肩を縮めた。飯田が事あるごとに人を褒めるのは今に始まったことではないが、毎度あまりにもな豪速球を投げ込んでくるため、咄嗟に受け止めきれた試しがない。歯に衣着せぬ、の賞賛版である。
出久を剛腕でひるませているあいだに、だから、と挟んだ言葉で少し気勢を落ち着かせ、飯田は「きっかけ」からの自らの思考の道筋を述べた。
「体育祭の時のように、轟くんは君ともっと話したいのではないか、親しくなりたいのではないか、と思って……自分で言うのもなんだが、俺は口数が多いから、同席していると二人の言葉を奪ってしまうこともあるだろう? それについては今後意識して改めていきたいと思うんだが、俺がせっかくの君たちの親交を邪魔してしまったこともあったんじゃないだろうかと……」
言葉は結びまで言い切られずに、やや半端な位置で途絶えた。いつも凛と前を見据えている視線は下方へ沈み、ほとんど空になった手元の皿を寄る辺なさげに見つめている。
やはり珍しい、と思う。他人の言葉、周りの目を気にして思い悩んでいる飯田の姿など、あの路地裏での事件以降、ほとんど初めて目にするものかもしれない。独りただ悩むままで終わらず、解決のため当事者へ問いかけてくるのは彼らしいとも言えるが、それでも二人いっぺんではなく出久ひとりに対して切り出してきたあたり、よほど胸に引っかかりを残したきっかけ話であったのだろう。
そして飯田のその選択は、より意識している相手が誰か、という裏の事情をも同時に教える。
さてどう答えよう、と少し考えて、感じたままに答えることに決めた。決して飯田を邪魔になど思っていない、と今ある事実だけを伝え、めでたしめでたしとすることは可能だが、根本的な解決にはならない。もし自分が同じ疑念を抱くことがあったとしたら、きっと飯田はより親身に誠実に、問題と相対してくれたろう。
ならば自分もそうあるべきだとお節介の意を決し、「少なくとも僕はそんな風に感じたことはないよ、ていうのは前提として」とくり返しとなる返事を置いてから、考えを伝えた。
「僕も正直そういうのに詳しいわけじゃないから、……って言うか雄英に入ってようやく友だちが作れたぐらいだから、全然偉そうなこと言えないんだけど……周りからどう思われるかじゃなくて、飯田くんがどう思ってるかのほうが大事なんじゃないかな」
轟くんのこと、とあえてわかりやすく名を付け加えると、飯田ははたと顔を上げ、こちらへ視線を向けた。鮮やかな赤い瞳に驚きがにじんでいる。ひょっとすると、自分が出久の言葉に驚いてしまったこと自体にも、驚きを感じているのかもしれない。
二人の邪魔に、とは言ったが、飯田がその言葉のきっかけとしたのは、芦戸と上鳴が好きなように語った、轟から出久へ向けての姿勢の話だ。自分が轟の意に反した行動を取っているのではないか、轟にとって邪魔な存在になっているのではないか、と引っかかりを感じ、気にして、その相手であるところの出久へ訊ねかけてきたという流れである。
「俺が、轟くんをどう思うか……」
「うん。邪魔ならもう離れちゃおう、なんて思ってるわけじゃないんだよね」
そうすべきなのだろうか、と悩んだということは、是非そうしようとあっさり決めたわけではない、ということだ。飯田はそんな意志薄弱な人間ではない。
出久の確認に小さく頷き、顔を正面へ戻しながら、彼は、と飯田は口を開いた。
「不思議な魅力を持ったひとだと思う。初めに目を惹かれた力の強さや才能の豊かさはもちろんだが……それ以上に、あまり表に出てこない心根の熱さであったり、優しさであったり、一見とても華やかな様子なのに妙に純朴にものを言ったり、いつも茫洋としているようで、実際は周りのことを良く見聞きしていたり、そういう内面が非常に好ましいと、今は感じているんだ」
一語一語を熟慮しつつ、声に出して自らへ確かめるように、飯田はゆるやかな口調で語った。見目と中身に少々乖離がある、とクラス全体に印象の浸透しつつある轟の頓狂な言動を思い起こしているのか、話を先へ進めるにつれ、口元にかすかな笑いが浮かんできている。
「彼は君と一緒に俺を救ってくれた恩人で、同じように切磋琢磨して、もらった言葉に報いたいと思っているし、俺にやる気をくれる指針のような存在だとも思っているんだが……、その一方で、幼い子どもじみたと言うか、赤子じみたと言うか、そんな振る舞いが目に付いてしまって、逆に助けたいような、世話を焼きたいような、そういう相手とみなしてしまっているところもあるかもしれない」
決して下に見ているわけではないんだが、とフォローの言葉を付け加えるのに、理解が伝わるよう大きく頷きを返した。当人は至って真面目だが、マイペースで大雑把かつ口数少なく不器用、という特性から大小の問題を生じさせがちな轟の生活と言動を見かねて、あれこれと注意や助言をしたり、時に自ら手を出して面倒を見たりと奮闘する委員長の姿は、今やA組内でもお馴染みのものとなっている。その少し滑稽だがあたたかみのあるやり取りを眺め、ほほ笑ましい親子関係のように感じる者はいても、友人同士にあるまじき上下関係を見出す者はいないだろう。
「彼はあまり自分自身のことを積極的に開示しないが、そうしたところも含めて、もっと彼のことを良く知って、理解できればいいと思うし、もっと親しくなれればいいと思う。もちろん、彼の意向を無視しない範囲でだが」
そう話を結んだ飯田は、まだ少し先の疑念を気にかけているようであった。
ここまで聞き出してしまったなら、こちらも言葉を渋る理由はない。よしと決めた勢いのまま、思いを告げる。
「飯田くんがそう感じてるなら、気にせずそのままでいていいと思うよ。だって飯田くんは、轟くんと仲良くなりたいから僕が邪魔、なんて思わないよね?」
「当然だ! 俺は君ともよりいっそう親しくなりたいと思っているぞ!」
予想通りの言葉で予想以上に間髪入れない答えが返り、出久は逆隣側へ大きくのけぞった(たまたま空席で幸いであった)。周りの目線をいくらか集めたのを感じて頬が熱くなったが、丹田に力を込めて上体を戻し、今は気にせずを努めて頷き応える。
「僕たちだって同じだよ。僕は飯田くんとも轟くんとも仲良くできて嬉しいし、もっと仲良くなりたいからって、どっちかがいないでほしいなんて思わないよ。もし二人で話さなきゃって時は、寮に帰ってからでも充分時間は取れるんだし」
語りながら、自分にふさわしい言葉ではないように思った。分不相応だというのではなく、平素であれば、やはり自分よりもむしろ飯田のほうが、整然と述べそうな見解であると感じたのだ。
誰と付き合い親しむか、周りにそれをどう見られているか、自分が他者同士の親交を妨げていないか。特に入学すぐの頃の飯田は、良くも悪くもそうした人と人の関係の機微を積極的に気に留め、また気に病むような性質は持っていなかった。規則や常識や人倫にのっとって「正しい」と考えたことを、間違いなく「正しい」と信じている、相澤とはまた毛色の違う合理性と理屈を重んじる人間で、それは時に周囲の曖昧さとのずれを生む固着の態度でもあった。
しかしきっと、あの痛ましい事件を皮切りとして、次々に身の回りに舞い込んだトラブルに相対するうちに(中には出久が巻き込んだに等しい騒動もあり、重々反省せねばならないが)、彼の考える「正しさ」は、時に揺らぎを生じさせるようになったのだろう。この半年で、出久が知る限りの範囲だけでも、飯田はずいぶん変わった。入学初日、もっと言ってしまえば入試会場で出会った折に比べて何倍も取っつきやすくなったし、やわらかになった。今も「正しさ」を重んじてはいるが、ひとつの正解に固執せず、その周りにあるものにまで、考えを巡らせるようになったように見える。だからこそ、「誰と誰が仲良くなってもいい」という正しさだけを唯一の解と決め込まず、今日打ち明けてくれたような悩みを抱いて、出久の答えを求めてきたのだろう。
「本当かい」
「うん」
話の始まりのあたりで聞いたのと同じ追及の問いに、ためらわず相槌した。疑う、という態度は必ずしも悪しきものではないと、飯田の変化を見て改めて知ったように思う。
そうか、と飯田はほっとしたように表情をゆるめ、艶やかな髪を揺らして頭を下げた。
「ありがとう、緑谷くん。轟くんもそう思ってくれているといいんだが」
「絶対そう思ってるよ!」
このたぐいの話を交わしたことがないため全て想像にはなってしまうが、轟は何事も率直な人間なので、自分たちに何か思うところがあれば、すぐにそれとわかる態度を示すだろう。もし予想に反して現状に大いに不満だなどと言われたなら、声失うほど驚愕してしまうかもしれない。少なくとも自分は、二人との親交をそれほど幸いなものと捉えている。
この関係をひと言で語るなら、居心地がいい、という言葉が一番似合いだろうか。麗日と飯田との三人でいる時とはまた違った、しかし勝るとも劣らない自然さを感じる。麗日に不足や不満があるわけでは全くないが、「男子三人」が楽な時もあるのだなと、これもまた生まれて初めて知った。おそらくそれは麗日の側も同じで、入寮以後は特に、女子だけで過ごしている姿を見ることが増えた。三人だけで秘密裏に共有している記憶があることを察してか、少しこちらに気を遣ってくれている気配も感じる。
飯田も轟も割と我の強い、と言うのか、色々と自己のはっきりした人間なので、互いに反発しそうだと上鳴たちは想像したのかもしれない(我が強すぎると一周回って仲良くなるという見解らしいが)。しかし実際にふたりと行動を共にしていると、これに関しては自分にとっても予想外であったのだが、むしろ相性の良さを感じることが多々ある。異なるところも多いが、相通ずるところも多い。ふたりだけで延々と(ややあさっての方向へ)会話を転がしていることもあるし、自分があいだにいなければ不自然だなどと、全くもってそんなことはない。
轟と共にいる時の飯田は、彼の言葉を引き出そうと思うのか、少し態度がやわらかくなる。それこそ今日までの飯田の変化につながる気遣いと言えるだろう。一方の轟も、主に人と相対する時の振る舞いについて、飯田の積極性や丁寧さを善きものと評価し、手本としているふしがある。反発するどころか、というのが実情だ。
ともあれ飯田の煩悶はひとまず解決を見たらしい。胸なで下ろしつつ、少しの好奇心を働かせて、話の初めからつきまとっていた〝らしくなさ〟に触れた。
「でも飯田くんがそういう話で二週間も悩んでたなんて、ちょっと驚いたな」
出久と話そうと思えばこれ以前にも機は作れたろうから、偶然の二人きり、という状況を使ってようやくという顛末である。遠回りした自覚があるのだろう、むう、とうなった飯田は〝らしくない〟小声で答えた。
「いや、俺も馬鹿げた勘繰りをしているとは思ったんだが……上鳴くんたちが『反目からの惹かれ合い』の話でやけに盛り上がっていたから、どうも自分が二人の間男になってしまったような気分で……」
「まおとこ」
しゃかしゃかと腕振りつつ弁明する口から飛び出したとんでもない語を、本日二度目のおうむ返しで処理した。本当に二人きりで良かった。もしきっかけをもたらした例の二名が同席していたら、話があさってどころか一年先の方向まで転がっていたかもしれない。
念のためにこの場限りの話とするようほのめかし、こんなこと君にしか相談できないよ、という有難い言質を取っての休み時間終了ぎりぎりの幕引きから、特に何事もない穏やかな時間が経過し、二日後。
またつつがなく巡り来た昼休み、文化祭に向けた打ち合わせやら委員の仕事やらが重なって、二日前と同様に人が減り、奇しくも今度は轟と二人きりとなった昼食の席で、おもむろにその言葉は発せられた。
「なあ緑谷」
「うん」
「俺に隠したり遠慮したりとかしねぇで、正直に答えてもらいてえんだが」
瞬間、次に切り出される問いかけを完全に察した出久は、次の授業がグラウンドでの演習であることを思い起こし、二日前の一連のやり取りの記憶をたどって、問答を早回しに終えるための思索を静かに開始したのだった。
◇
「――ていうこともあったなぁって、今ふと思い出しました」
あれって焼きもちみたいなものだったのかな、と呟くと、前の席に並んだ形の違うふたつの頭が、揃って恐縮の礼をした。
「その節は誠に面倒をかけてしまい……」
「悪ぃ」
口にする謝罪の言葉の長短の差がなんともそれらしく、ああ飯田くんと轟くんだなあ、と声には出さずに笑いを噛んだ。記憶の山の中からひょこりと顔を覗かせた、おそらく一番初めのあたりに位置する〝そんなふたり〟のエピソードからざっと七年。それぞれに変化と成長を重ね、選んだ夢も少しずつ異なる輪郭をかたどっているが、あのころ共に描いたおかしくもあたたかな情景の数々は、今も変わらぬ色味を残している。
相手の不在を機にして互いについての相談を持ちかけてきた、かつての青く未熟な少年たちは、今日は初めからふたりの名を連ねて誘いの声をかけてきてくれた。集まる場所が違っても、「男子三人」で食卓を囲む気安さ、居心地の良さはそのままだ。
「そっか、あれからもう七年も経つんだね」
「七年か。若かったな……」
「今も若ぇだろ」
「もちろんまだまだ若輩の身ではある」
微妙なずれを奏でる会話を聞いて、ああふたりだなぁ、とくり返しの感慨を得つつ、出久はなおも深まる回想を脳内で遊ばせるままにした。今日はそのための場であり時間だ。懐古気分をいさめる必要などない。
あれから七年、どころか一年の日も過ぎないうちに、世は激動の時代になだれ込んで、真正面と言っていい位置からその大波に呑まれた自分たちも、否応なしに身体と心を揺さぶられ続けることになった。戦いが始まってからはもちろん、戦いが終わってからも、〝
学生っぽい〟だけの暮らしはなかなか得られず、ようやくそれらしい落ち着きを取り戻せたのは、最高学年に進級して以後、あるいは、卒業が間近に迫った時期ですらあったかもしれない。
社会と学び場の変転に伴い、おのおのに求められる力や役割も、日々折々に移ろっていった。飯田も轟も、それぞれクラスのリーダーとして、ヒーロー科トップレベルの実力者として、自身にふさわしい場所に身を置き、その場、その時々においてふさわしい相手とかかわっていた。戦中に相性の良さを存分に発揮し、卓越の働きをした二名だからと言って、常に組まされるような計らいはなかった。出久ももちろん同様で、その過程で新たに親しさを深めた者も少なくない。
しかし、かくて早年に結んだ絆は儚くも、というわびしい展開にはならなかった。叶うならば相手をもっと知りたい、もっと親しくなりたいと、ただただ愚直に望みを語っていた少年たちは、戦場を比翼束ねて翔けたのち、いつしか自分を奮い立たせるために、次第に安心させるために、相手を必要とするようになっていった。明日への
航路を照らす灯台のように、心身を安んじる郷里の港のように、お互いがお互いを代えがたい存在として、特別に想い合うようになっていた。相手を見る目が、呼ぶ声が、日に日に甘さを帯び始めて、かと思えば急にぎくしゃくとし始めて、それに伴い巻き起こったあれやこれやの挿話の量は、とうてい片手の指では数え上げられない。
そんなこんなではありながら、飯田も轟も、出久との三人の関係を、その後もなんら変わらず大事にしてくれるままでいた。気付けばふたりでいたし、気付けば三人でいた。卒業を迎える頃には、誰かひとりが欠けていても、誰と誰が隣り合っていても、周りに意外と言われることはなくなっていた。
当初とはっきり変わったことと言えば、こうして三人で集まり、向かい合って座る時の座席位置ぐらいだろうか。果たしてどの時分からであったか、飯田の居場所がいつの間にやら出久の隣から轟の隣へと移っていた。今夜はふたりの家へ招かれているから、というだけでなく、外食の際もこの並びがほぼ定位置となっている。取られたなどとは思わないが、ほんの少しの寂しさを感じたことはある。
「思えば、君には当時からずっと俺たちのことで世話をかけていたな……」
きっと何度も困らせてしまったろう、と飯田がたくましい肩を引き縮めて言う。轟も隣で同意の頷きを示した。
「俺らレンアイだのなんだの全然わかってなかったし、緑谷がいなかったらどうなってたかぞっとするよな。どっかでとんでもねぇこじれ方させて、今ごろ顔も合わせなくなっちまってたかもしれねぇ」
あっけらかんと語るのに、そんな、と手を振って返す。
「ふたりはあの頃から凄くいい関係だったし、僕なんかがいなくてもきっと仲良くなってたよ」
緑谷が接着剤、とかつて賜った評を思い出す。全くもって、そんな事実はなかった。三人で結んだ絆はまさに輪のかたちをしていて、誰かひとりが中心にいるわけではなく、結び目はくるくるとその日ごとに変わった。
始まりのきっかけとなった、そうした関係の仲立ちをしたという意味では、確かに自分がかすがいだったが、無茶をして突っ走りがちな二名を案じていつも目を配り、時にいさめ、時に手を引いてくれたのは飯田だった。社会に出たのち、多忙で連絡が疎になるたびに「なんか寂しいからお前らと会いたい」と子どものごとく素直に表明して、集まる機会を途切れず作ったのは轟だった。
「こら緑谷くん、『僕なんか』とはなんだ。自分を無用に卑下するのは君の悪いくせだぞ!」
「そうだぞ。俺ら本当にお前には感謝してんだ」
「あ、ごめん……。ありがとう」
指摘を受け、素直に頭を下げた。揃って友人想いのふたりは、相手の弱腰を甘やかさないし、正面から咎めることをためらわない。だからこそ、その裏、あるいは表の言葉として、一切なんのつくろいもなく投げ込まれる賛辞は速球どころの騒ぎではなく、身構えなしに受ければ卒倒必至だ。
いつまでもどこまでもやさしく居心地の良い関係。自分もふたりのようにあれればいい、と見習う姿勢を新たにしつつ、いよいよの気配を感じて、椅子に深く座り直し、音速の衝撃に耐えるべく、丹田に力を入れた。
一瞬の間が合図となり、赤、
碧、灰色、二対三色のまなざしに、まっすぐに射抜かれる。
「君をだしにしたなんて言う気はないが、君がいてくれたからこそ僕たちがここまで来られたのは確かだ。君と親しくなれなかったら、僕は自分の未熟な考えに凝り固まった、ヒーローにほど遠い人間のままだったし、ひょっとすると今この場どころか、この世にすらいられなかったかもしれない」
「俺も、お前と会って正面からぶつかられて、自分の馬鹿さに気付かされなきゃ、いつまでもくだらない考えの中に止まったまんま、遅れたまんまで、自分が本当にしたいこととかなりたいものとか、大切なもんなんにもわからねぇ人間になってたと思う」
だから、と言葉がよどみなく続き、
「緑谷」
「緑谷くん」
少しだけ違う呼び名を挟んで、また次の声が重なる。
「「よろしくお願いします」」
ぴしりと整えられた黒藍の頭と、ラフに切り込まれた紅白の頭。色かたちの異なるふたつが、全く同じ角度でつむじをこちらへ向けて、今日のために一枚きり作ったのだという依頼状とともに、あの頃から変わらぬ誠意を差し出した。
膝の上に置かれたそれぞれの手に嵌まる、一対の環。自分にも立ち入れないふたりだけの絆のかたち。ほんの少し寂しいが、彼らがいつもためらわず語ってくれるように、自分がその輝きの一助になれたのだと思えば、何より嬉しく、誇らしい。
自分もまた彼らの、大事な親友たちの姿を賛じ、語りたい。だから、
「――謹んで、お受けします」
きっとあの頃と色味の変わらないだろう笑いを返して、『結婚式のご案内と友人代表のご祝辞のお願い』と題された書状を、同じ角度で頭を下げつつ受け取った。
起き上がった顔がぱあと花咲くように揃ってほころんで、ありがとう、と再び声を重ねる。類は異なれど二名ともにハイレベルな男前なので、満面の破顔を向けられるとやはり圧が強い。この画だけで何かの売り出しに使えてしまいそうで、式場の警備とマスコミ対策は万全に行われるのだろうな、などと、今から益体もない想像が浮かんだ。
輝きに押される上体を椅子の背もたれで支えながら、請け負ったものについて、改めて言葉を交わす。
「こちらこそ大事な役を任せてくれてありがとう。あと五か月だよね。あっという間だろうし、今から緊張しちゃうなあ……」
「緑谷くんになら安心して任せられるよ。とても楽しみだ!」
「マイクの下にビニールシートも敷けるらしいぞ」
「タオルも大判のものを用意してもらおう!」
「有難いけど泣き系のエピソードは控えるようにします……」
本当に色々あったからどうにか話を絞らないと、と笑い合い、今日の本題を済ませたところで、ではそろそろ夕飯にしようと家主ふたりが立ち上がった。
「ちょうど煮物が仕上がった頃だ。時間ぴったりだったな!」
「飯田くん、料理もどんどん上達してて凄いね」
「学校では得られなかった学びが沢山あって楽しいぞ。食べてくれる相手がいると作り甲斐もあるしな」
「煎りごま擦るのと芋潰すのとつくね捏ねんのは俺がやったぞ」
「仕事の分担規則がわかりやすい……」
「いつもの二倍作ったからどうぞ沢山食べていってくれ!」
「一・五倍じゃなくて?」
和気あいあいと話す間にテーブルにはあふれんばかりの料理が並び、凄いな食べきれるかなと笑って頭を掻いていると、そうだ、と飯田が指環の光る手を前へ振り出し、朗らかに言った。
「明日は緑谷くんも休みだったろう? 今夜は泊まっていってはどうだい?」
「え」
「そうだな、それならゆっくり食えるな。新品の寝間着貸せるぞ」
「えっ」
「来客用の布団もあるが、ベッドのほうが良ければそうしよう。クイーンサイズだから少し詰めれば三人で川の字もできるぞ!」
「いやいやちょっと待って新婚さんがた」
一世紀先の方向へ転がり始めた話を手を挙げて制する。心遣いはとても嬉しいが、同棲開始ひと月足らずのラブラブカップル宅での予定外のお泊りは、たとえクソナード卒業を成したとは言えない自分が相手でなくとも、少々危うすぎるように思う。
さすがにこればかりは察してくれまいか、とあえての渋面を向けようとしたが、きらきらと輝く親友たちの天然光を受けて、急ごしらえの陰はあっけなくかき消されてしまう。
まだ正式に結婚はしていないぞ、そうだね、もちろん君が寝づらければ俺たちが和室へ、そうじゃなくてね、今日はヤったりしねぇから安心しろ、ななな何を言っているんだ轟くん、仲良しなのは何よりなんだけどね、とお約束のような掛け合いを演じながら、ぐずぐずしていては絞り込むべきスピーチ用のエピソードが際限なく増えてしまうと、早口にいただきますの礼を発し、やさしい色合いの煮物を取り皿いっぱいに盛り付けた。
end.