Groom Groom : in pair's nest
「やぁいらっしゃい常闇くん、
黒影。ひと月半ぶりかな」
またよろしくと向けた笑みに、よろしくお願いいたします、と折り目正しく礼をする鳥貌細身の学生と、ヨロシク! と元気よく腕を広げる影の異形。姿は違えど仲の良い兄弟のような二名の姿を迎える回数も片手に余るものとなり、もはやこの場に馴染みの光景と言っていい。
「報告受けてるよ、着いた途端にひと活躍してくれたってね。さっすが『
ホークス事務所のツクヨミ』!」
「うむ。偶然の成せるものだったが貢献が叶って何よりだ。しかし聴取や何やですっかりこちらへの到着が遅くなってしまい申し訳ない」
今回のインターンで一番に常闇を出迎えたのは、悲しきかなと言うべきか、我が事務所の面々でもなく、福岡市内にちらほらと生まれつつあるヒーロー(の雛)・ツクヨミのファンでもなく、空港に出現した手配中の
敵であった。結果、預け荷物窃盗の現行犯として、飛行機到着後十分内でのスピード御用となったのだから、当面は留置所で我が身の間の悪さを嘆きつつとっくりと反省してもらうほかない。
重々しく述べた常闇に何言ってんのと笑い、
「本当のインターン開始は明日からなんだから、今日の仕事は時間外労働ってところでしょ。学生に尻拭いさせる我が街のプロヒーローたちの不甲斐なさを嘆いてこっちが謝る場面だよ」
すっかり夜になっちゃったし、報告書の作成とインターン受け入れの手続きは済ませておくから今夜はもうホテルで休みな、と促すと、真面目な常闇だけに一度渋るか反駁があるか――と思いきや、言葉の代わりに鋭い鴉の目がこちらにじっと視線を投げかけてきた。問う前に、低い声。
「……ホークス、もしや風邪でも引いているのでは?」
ぎくり、と胸の中で劇作じみた音が鳴ったが、態度には表れなかったはずだ。声のかすれもない。顔色も目の充血などもこの場に出てくる前に鏡でしっかり確認した。まばたきひとつで動揺をやり過ごし、
「え? いや何もないよ。いつも通り――」
「後頭部に寝癖が付いている」
さらりとかわそうとした応えに二秒で切り込まれ、後ろで静観していたサイドキックたちがぶっと笑いを噴き出す。ああもう、その反応でバレ確定やなか。と言うか寝癖に気付いていたなら先に教えてくれりゃ良かったんに。
苦虫を噛む間に淡々と指摘が続く。
「寝癖が付くほどの睡眠ならうたた寝ではなく仮眠室を使っているはず。だが普段のあなたなら人の到着直前まで部屋で寝こけているなどとは考えづらい。前日に大きな事件が起きたような報せもなかったし、寝不足でなければ体調不良か何か。見たところ怪我の様子はない。であればまあ風邪だろう。季節の変わり目でもあるしな」
夜景を指して窓へ身を向けた時に寝癖が見え、推理を働かせたのだろう。はあとため息し、ご明察、と素直に称える。
「着眼も洞察も一人前だねえ」
「師の指導の賜物だ。誇ってくれ」
賛辞への応答さえ実に如才ない。どこまで男前に育っていくのかと内心で感嘆していると、では、と相手からさらに踏み込みがあった。
「御厚意に甘えて報告書の作成は明日の朝にさせていただくとして、今宵はあなたの夕餉と服薬と就寝を見届けてから宿へ帰るとしよう。インターンの手続きも明日で問題ない」
「は、え?」
黒影、と呼ぶや、待ってましたとばかり威勢のいい返事が上がって、大きく膨らんだ影がホークスの背後に回ってくる。そのまま両肩を鷲掴まれて慌てて身をよじった。
「いやいや、もう大丈夫だって! もともと大した風邪じゃなかったし、ほとんど治りかけてるから! 寝てるあいだの仕事も溜まってて……」
「今日の午後は事件も少なかったけん、所長が寝とうあいだに事務仕事終わらせといたばい」
「よろしくツクヨミくん、それがいっちゃん面倒な仕事やけんね」
「ちょっと!」
サイドキックたちのけろりとした暴露と頼みに「御意」と常闇は頷き、事務室の戸を開けて黒影を促す。抵抗を試みるがホークスの膂力では夜の影の力に敵うべくもなく、背を押されずるずると寄り切る形で廊下へ連れ出された。そのまま引きずっていこうとするので、わかったわかったよ、と降参の声上げて自分の脚で立つ。
「ホントにほとんど治ってるんだけどなぁ……」
「治りかけが一番ぶり返しがちになるものだ」
「モノダ!」
どうやら見逃してくれる道はないらしく、両脇から挟まれあたかも護送される囚人のように休憩室へ向かう。無理を見咎められたならそれこそ現行犯として神妙にするが、今回に関しては嘘はひとつも言っていないので少々不服の状況ではあった。朝方は確かにまだ明らかに風邪の残りがわかる具合であったので、事件に遭遇したため到着が遅くなる、と夕刻に常闇から連絡があった際には、僥倖、とすらひそかに思ったものだ。長めの仮眠を取って調子をととのえてから顔を合わせようと図ったというのに、輪をかけて格好の付かない展開となってしまった。不服、そして不覚である。
「本当なら自宅で静養すべきだとは思うが、あなたは外食ができないと無精をしてそのまま寝るだけに済ますのが目に見えているからな」
「信用ないなぁ……」
勝手知ったる事務所、と備蓄の棚から薬とレトルトの粥や何やを取り出し、給湯室と行き来しながらてきぱきと夕飯の準備をする常闇を横目に、座って待てと命ぜられた椅子の上でぼやく。強く反論できないのは自分でもまあそうしていただろうなと思うからだ。エネルギー補給のための補助食品ぐらいは口にしていたろうが、しっかり者のインターン生からの及第点はもらえないだろう。
常闇は昼食を食いはぐらせたお詫びに、と空港駅の職員から渡されたという弁当(見ればかなり高級なもの)を温めて夕食とするようだ。卓に食事が並べられてしまえばもう不要とは言えず、簡素なテーブルに向き合って手を合わせ、食べ始めてから食欲がそれなりにあることに気付いた。これで薬を飲んで寝れば、明日の朝には胸張って健康と言える状態に戻るに違いない。
「そういえば、先週……もう先々週か、写真ありがとね」
不服の気分も落ち着くのを感じ、我ながら調子がいい、と思いつつ、雑談の口を開く。過ぎたことは過ぎたこと、格好が付けられなかったのをいつまでも気にするより、さっさとひと月半ぶりの直の交流を愉しむほうが建設的である。
「先々週……」
「これ」
すぐに思い出しかねる様子だったので、テーブルに放置していたタブレットを取り上げアルバムアプリから写真を表示する。寮の共用部のものだろう暖色のソファを背に、常闇とその級友たちが黒影を囲んでいる画。大小の手に四方から撫でられてご満悦の顔をしている影には、ヴィランとの対峙の折に見せる猛々しさは微塵も感じられない。学生らしい、なんともほほ笑ましい光景である。
「ああ、その写真か」
「皆ニ撫デテもらッタトキ!」
嬉しげに言う。平和な景色を、との注文に応じて撮られたものなのだから、何かそれらしいエピソードもあるのだろうと、写真を送られた際にはあえて聞かずに今日まで楽しみを取っておいたのだ。
「この子はイヤホン=ジャックの耳郎ちゃん、こっちはチャージズマ上鳴くん、右側が轟
焦凍くん、でその後ろの子が確かインゲニウムを継いだ弟さんだから……飯田くん、かな」
同じ常闇のクラスメイトでも親交と知識の度合いはまちまちだ。向かって左に写る男女二名のうち耳郎はかの戦争で関わり、その後食事を共にした縁があるし、上鳴はまるで正反対の気質のように見えて常闇と仲が良いらしく、名前をたびたび聞くほか、送られる写真の常連でもある。一方、右側に写っているふたりは、自分にとっては彼らの親族との関わりのほうが強い。と言っても二名のあいだに相当の濃淡はあるが。
「先代のインゲニウム……飯田の兄とは知己だったのか?」
「プロヒーローの集まりの場で話したことはあるけど、まあ普通の顔見知りって感じかな。事務所も遠いし。弟くんはクラス委員長だったっけ」
A組の代表者として何度か会話した記憶があるが、いずれも事務的な話題に終始し、その役職にふさわしい真面目な印象が残るばかりだ。当然、残るひとりの轟焦凍についての知識のほうが多い。が、こちらはホークス自身との関わりからと言うより、一方的に情報を知っているという意味合いが強く、彼個人のパーソナリティの話となると理解の度はかなり薄れる。
にしても、と、あまり父親の影濃くはない、端麗な造りの顔を眺める。
「ずいぶん穏やかというか、こんなゆるい感じの顔もするんだなあ、焦凍くん」
黒影の頭に手を置きこちらに笑み向ける姿の柔和さは、まず初めて目にするものだ。家族の疵が露わにされた、あの戦いのさなかの張りつめた表情ばかりを見ていたせいで余計にそう感じるのだろうか。日なたにまどろむ猫のようなこの緩びようを見れば、親はさぞ安堵することだろう。
「……この写真、エンデヴァーさんに横流ししたら駄目だよね」
「『横流し』と認識している時点で推奨できないと考える」
「だよね……」
さすがにモラルに欠ける行為だろう。今度会った時にそれとなく様子を伝えるのみに留めようと決める。
「常闇くん、焦凍くんとは仲いいの?」
「教室の席が前後だからそれなりに会話はするが、特別に仲がいいと言うほどではないな。無論、悪いわけではない」
この日は確か黒影と話をしていたのだったな、と隣へ言葉を振ると、ソウ、と影が笑顔で頷いた。
「トドロキと〝撫デ
上手〟の話シテタ!」
「撫で上手?」
どこかで聞いたような語をおうむ返しにすると、また大きく頷きがあり、
「イインチョーが撫デ
上手ダカラ、トドロキと一緒ニ撫デテもらッタ!」
「んんん」
ソノ後デ皆ニモ撫デテもらッテ写真撮ッタ、と愉しげに回想を続ける隣で、常闇が茶を噎せさせる。確かに少々状況のわかりづらい言葉があったようだった。ホークスが訊ねるのを先んじて、嘴を拭いながら常闇が自ら補足を述べる。
「話の流れで友人同士の戯れがあったもので……轟は飯田に
懐、……委員長と仲が良いのだ。俺と共にいるだけでこの顔にはならない」
「へえ」
言い直しを挟みつつの言葉に余計な揚げ足取りは入れず、素直に頷く。多感な学生たちのこと、大人に説明しづらい機微もあるだろう。
「デクくん……緑谷くんと仲が良さそうなのは知ってたけど」
「どちらかと言えば先に緑谷と委員長が親しくしていて、そこに後から轟が加わったようだったな。三名とも真面目で気が合うのだろう」
「そうなんだ。いいねえ」
自分から見れば充分以上に真面目な常闇がそう評するのがどことなくおかしみを誘った。何にせよ眩いばかりの若さだ。一度は大人たちの無力の煽りで損ねかけた青春、このまま充実して過ごしてくれればいい。
写真を眺めてそんなことをしみじみ思っていると、
「……何か年寄りじみたことを考えているな、ホークス」
またも懐へ鋭く切り込まれ、ひどい、と思わずぼやいた。
「いや、でもそうか、こういうんが老け込みのもとなんかな……」
「トップヒーローとしての導きは有難いが、あなたはまだまだ若いのだから、私生活に関しては俺たち寄りにも考えてくれ」
体調管理については若さに甘えるべきではないが、と刺される釘にハイと頷く。まったく、こちらこそ優秀で情に篤い弟子を持って有難い限りだ。いつもこうしてホークスの生からこぼれ落ちていたものを丁寧に拾い、あなたが当然に得るべき光だと言って厳しく優しく手渡してくれる。
「……食べたらまた眠くなってきてもぉた。あれだけ寝たのに」
「あれだけと言っても数時間だろう。明日は早起きなのだろうからちょうどだな。ここは片付けておくから、薬を飲んで就寝の準備を」
「はーい」
もはや格好付けの意味もないのだから素直に甘えてしまおうと、指示に従って薬を飲み下し、隣の仮眠室へ入る。普段なら鍵をかけるが、今日は戸を閉め切らずに付添人を待った。他人をねぐらに踏み入らせることを良しとするようになったのは、果たしていつ頃からだったろうか。
寝台に上がって長座に布団をかけ、持ち込んだタブレットから急ぎの連絡がないことを念のため確認していると、常闇と黒影がやって来て横の椅子に腰かけた。
「冷却シートが切れていた。冷やさなくても平気か?」
「熱はもうないからさ」
至れり尽くせりの配慮に笑い、ありがとうと礼を述べると、隣り合った頭が同じ動作で頷く。その独特の曲線を見て、ふと思い出した。
「そうだ忘れてた。今日は予定外の仕事、お疲れさま」
両腕を伸べ、それぞれの額を撫でる。黒影はキャアと言って喜び、常闇はいつものように子ども扱いをするなと渋面を作るかと思いきや、何か複雑げに嘴の合わせをもぞつかせ、つっと横へ視線をそらせた。ヒトの顔であったなら頬を赤くしたのが見えたかもしれない、と気付き、思わず声が漏れかかる。
「……かわ、」
「ん?」
「……なんでもない」
咄嗟に喉を締め、余計なものが続かぬようにとそっと腕を引き、急ぎ横になって布団をかぶった。まだ早い、早い、と自分らしからぬ言葉で心を諫める。
ほぼ仰臥の体勢になり、じゃあ、と帰宿を促そうと口開いた眼前にふと影がよぎって、額にやわらかな人の肌が触れた。同年代に比べてやや小造りな指先の温度は特別に高くも低くも感じられない。
「確かに熱はないようだ」
「うん……」
照れたと思った次の瞬間にはこれだ。まったく油断がならない。わかっているのやらいないのやら、答えを求めるのはそう難しいことではないが、白黒なく宙ぶらりんに浮かんだ状態もそれなりに愉快だと思えるのだから、自分もこの歳でだいぶ変じている。いや、常闇によればまだまだ若いらしいので、今後も変じていけるのだろう。
ここまで来たのだ。いくらか気長になってもいい。あの戦争の後、初めに指名したのはあなただ最後まで面倒を見ろと、進退決まらぬ鷹の巣へインターン受け入れを直談判しにきた意志堅い鴉の子は、もはや
生半のことでは飛び去っていかないだろう。自分も最初で最後となるだろう可愛い弟子の手をそうそう離す気はない。
心に応じ、戻りかけた手を逆に掴んで額の上に引き留める。
「ホークス?」
「せっかくやけん、寝付くまで撫でとって」
「……子どもか」
呆れの声とは裏腹、嘴はやわらかく笑みを描き、指がひそやかに髪を撫で梳く。
「先週は多忙の極みであったと聞いた。あなたもお疲れさまだ、ホークス」
「オ疲レ!」
明るくねぎらいの声を重ね、嬉々として慰撫に加わってくる影が得意げに言った。
「俺タチ、ホークスにモ〝撫デ
上手〟ダロ?」
何故とは言わず笑うので、そうやねとこちらも笑みを返し、優しい羽づくろいの手におやすみの言葉を告げた。
Fin.