ヒーローズ・インターミッション


 じき短い陽も落ちかけようという日曜の午後、人の少ないハイツアライアンスの一角で、休日の穏やかな空気に似合わぬ真面目なやり取りが交わされていた。
「飯田さん、たったいま耳郞さんから連絡があって、ギャングオルカとウォッシュの事務所も火曜まで延長だそうですわ」
「なに? とすると、朝に報告のあった六名に加えて三名がそのまま公欠か……五名はもともと水曜までで、月曜から出るのが麗日くん、梅雨ちゃんくん、心操くん、瀬呂くん、轟くん、八百万くんだから」
「飯田さんお一人になってしまいますわね……」
 前方右手のソファから聞こえてきた何やら物思わしげな会話に、真っ先に反応したのは最も外側を歩いていた轟だった。並んで歩いていた瀬呂と心操の前を斜めに横切る形で目指す方向を変えたので、自然と自分たちの足もそちらへ向く。
「おや、轟くん。自主練は終わったのかい」
「ん」
「何かあったん? 委員長ズ」
 不意に横へ歩み寄ってきた轟に飯田と八百万が顔を上げ、首傾げる前に瀬呂が後ろから如才なく訊ねる。A組のまとめ役二名はPCとプリントの束をテーブルに置いて向き合い、例によってクラスの事務仕事をしていたらしい。二人そろって頷く。
「ああ、来週の公欠者を確認していたんだが、月曜から復学予定のメンバーが軒並み業務延長になってしまってね……」
「今朝の港湾地域の工場火災にヴィランが関わっていた可能性があるとのことで、周辺の事務所に応援要請がかかったそうなんですの。直接の捜査には関わらなくとも、人員が割かれれば日常業務には支障が生じますから」
「念のため留め置きってわけね」
「どこも手が足りないんだな」
 ヒーローネットワークシステムを含む社会活動がある程度正常化し、雄英からのインターン再開がアナウンスされたのはつい先月のことだが、猫の手ならぬ学生の手も借りたい、という事務所が手ぐすね引いて待っていたらしく、それなりに厳しい条件の中ですぐさま複数のプロヒーローから受け入れ表明が上がった。例の大戦で働きを見せたとは言え、ヒーロー科に編入して日が浅く、まだ仮免取得に至っていない心操にも職場体験の名目で即座の声かけがあったのだから、界隈の建て直しにかかる人手不足はよほど深刻なのだろう。
「飯田ひとりって、どうしたんだ」
 まさにその語が気にかかって足先を転じたのだろう轟が続きを訊ねる。PCに表示された網状の予定表を前に、名の出た当人が頭を掻いて答えた。
「今雄英に残っているA組メンバーは、俺が水曜から、ほかの皆が月曜から校外活動の予定だったんだ。本来は入れ替わりで戻るはずの九名が活動延長になってしまったから、以降はともかく月曜と火曜は確実に俺ひとりしか学内にいないことになる」
 かねてから親交のあったヒーローとの再会のため、地域復興のため、自身の経験のため、雄英生たちもめいめい早速の活動開始を望んだが、そこは学業本位の学生の身である。最上級生ともなればクラスの九割方が校外活動で不在、という日も珍しくないようだが、二年生はまだ必修すべき授業を残しているため、あまりに偏って人が出払ってしまわないよう、A組・B組の両委員長たちが多少日程の調整をするらしい。
 が、にもかかわらず再開初回から、と言うより初回だからこそ、予想外の事態が生じてしまったという状況のようだ。ヒーロー活動に伴う「想定外」は雄英側もそれなりに織り込み済みであろうとは言え、さすがに学生一名のみで通常の授業進行は難しいだろう。
「いっそB組の授業に混ざっちゃえば?」
「B組は来週いっぱい校外実習ですわ」
「あ、そうか。俺らが先々週やったやつか。交替なんだった」
「むう……俺ひとりに先生方の手を煩わせるわけにもいかないし、二日間は自学自習しておくしかないか……」
 眉根を寄せて考え込む様はいかにも真面目な委員長らしい。まだ親交の日は浅いが、それなりに既知の情報から心操もひとつ問いかけた。
「委員長のインターン先、確か親父さんのとこだろ。少し融通利かせてもらって月曜からの開始に早めらんないの」
 飯田が高名なプロヒーロー一家の出で、無念の実動引退となった兄の名を継ぐべく励んでいることは編入前から知っている。今回、父親が所長として復職した件の事務所で活動を行うということで、クラス内でもインターン再開時の話題のひとつとなっていた。
 言ってしまえば家族のことなのだから多少の無理は、と思って訊ねつつ、しかしそうした我が儘を良しとする性格でもないだろうかと否定の言葉を予想したが、返ったのは珍しい苦笑混じりの声だった。
「いやそれが、もともと月曜からの予定だったのを、チーム内の事務整理が遅れているから水曜からにしてくれとつい三日前に言われたもので……」
「先にこっちが融通利かせられたかぁ」
「先月末から管轄区域で事件が多発していてね。兄じきじきの連絡だったから相当ごたついているのだと思う。無理に行っても何もできないことが目に見えているし、難しいだろうな」
 勝手知ったる事務所だからこそ内情がわかるといったところだろうか。家に頼る選択は初めからなかったらしい。
「逆に実家はパスして、去年世話になってた事務所に飛び込み……は無理か、さすがに」
「今からでは急すぎるな。それにマニュアルさんのところは今回は一年生の職場体験の受け入れが多いそうで、インターンの同時受け入れ態勢はととのえていないと思う」
 ひとつひとつ可能性を潰し、やはり自習して過ごすほかないか、という空気に流れかけた時、腕組みする委員長の横顔をじっと見つめていた轟が、また不意に口を開いた。
「親父の事務所に訊いてみるか、飯田」
「え?」
「エンデヴァー事務所か」
 思わず名をこぼした程度には既知も既知の情報。轟の父、フレイムヒーロー・エンデヴァーの名は大戦を挟んで清濁こもごもの念を世間へ抱かせながらも、いまだトップの座にあることは間違いない。息子の轟がその立場をどう捉えているのか、自分には与り知るところではなかったが、インターン先として続けて選んでいるところを見ると悪い関係ではないのだろう。
 提案しつつ既に携帯を手に取り出している轟に、飯田が慌ててしゅぴしゅぴと腕を振る。
「いや轟くん、既に受け入れ態勢があったとして、やはり急すぎて手続きが通るかどうかわからないぞ。事務所の方にもご迷惑だろう」
「どこもごたついてるのは変わらねぇし、訊くだけタダだろ」
「それに俺の個性と御父上の事務所はあまり相性が良くないと……ああもう止まらないな君は」
「さすがの轟さんですわ」
 もっともな指摘の言葉をよそに、すっと場を離れて話し始めた電話の先は既に事務所の人間らしい。涼しい顔と口数少ない態度に似合わず意外に性急で、意外に情に篤い。普通科の、特に女子生徒間における「轟焦凍くん」のイメージかられるあれこれも含め、A組に編入して以降、幾度となく経験した予想外と想像外のうちでもそれなりのインパクトを誇る事実だ。
 A組は全体に気安い人間が多く、積極的に人と関わろうとするメンバーを中心に、編入初日からあれやこれやと心操へ構いかかってきたが、轟もそのうちの一名であったのは非常に意外だった。饒舌ではないためわかりづらい場面も多いのだが、日常においても学業においても何かと気をかけられていると理解した際に、思わずその端正な顔をまじまじと見返してしまったことを憶えている。そうした態度は一時の気まぐれに終わらず続き、個性が似通っているわけでもない、おそらく根っから世話焼きと言うわけでもないのだろう優等生からの厚遇に面食らった心操は、ある時ストレートに理由を訊ねた。轟はぱちくりと異色の目を瞬かせ、「自分がクラスに馴染めた時に嬉しかったから、お前も早く馴染めればいいと思った」という、なんとも純朴な旨の答えを述べ、またこちらを瞠目させた。
 迷惑だったらやめる、と変わらず平坦に、しかし残念の感の伝わる様子で言われて、ああやめろときっぱり断りを入れられる人間もなかなかいないだろう。実際、多少の困惑は伴ったものの、文武ともに優秀なクラスメイトを間近に見ることができるのは良い経験であったし、もともとはやはり物静かなたちらしく、過剰に絡まれてうるさいとも感じなかった。また、常から「轟に」気を回していた人間(場面によっては周囲の大多数)が寄ってきては心操ごと世話を焼いていくようになったために、結果としてクラスに馴染むのが本当に早まるという副次効果も生じ、以来関係はそのまま、それなりに親しいという程度の距離に落ち着いている。少々変わったところのある気質も、より進んで関わる相手を持っていることも、そうした付き合いの中で知った。
「――わかりました。それじゃまた」
 その発露と言える電話での会話が終わり、こちらへ振り向いて、轟は平然と打診の結果を告げた。
「飯田、俺も出んの水曜からになった」
「何故っ?」
 びし、と手刀が勢いよく空を斬る。飯田でなくともどうしたと声上げざるを得ない急展開に、順に言葉が並んだ。
「まさかの逆流……」
「事務所のほうで何かありましたの?」
「また息子が融通利かせるパターン?」
「なんか雄英との手続きミスってたらしい」
 月曜からの受け入れっつったら驚かれた、とまるで驚きの乗らない調子で言う。どこもごたついているのは変わらない、の予想がまさに証明されたようだが、当然喜べる話ではない。大丈夫なのかとトップヒーロー事務所の状況を案ずるクラスメイトたちをよそに、轟はひと仕事終えた面持ちだ。
「これで二人だな」
「うむ……何かやり遂げた感を出しているが全く事に進展はないぞ轟くん……」
「いまお前の後ろに『トドロキイイィィィ』て効果音出てるの見えてるよ俺」
 あぶれ者が二倍に増えたというだけで、授業が成り立たないという点では一人も二人も大差はない。どうしたものか、と眉間の皺を深くする委員長のほうへ歩き戻って、轟はひょこりとその傍らにしゃがみ込み、
「とりあえずお前が一人っきりにならなくて良かった」
 と、留守居を任されかかった子どもへ話すような調子で言った。
「む……別に留守番が寂しいから困っていたわけではないんだが」
「けどお前ひとりより俺とふたりのほうがいいだろ」
「いや、うん……? うーん……まあ……?」
 あまりにきっぱりと言い切られて定まっていたはずの合理がぐらついたのか、らしくなく言葉がぶれる。相澤なら落第の裁を下すところだ。膝元からじっと顔を覗く轟の目は誇らしげに輝いているようにさえ見え、普通科の女子が直面すれば黄色い悲鳴が響き渡るだろう視線を受けて、真面目な委員長の表情もむず痒げに崩れつつある。
 一歩ソファから離れて後ろへ下がり、同じく下がった瀬呂へ声ひそめて問いかけた。
「……前から思ってたんだけど、あの二人さ」
「お、気付いちゃった?」
 気付かないってことあんの、意外にあるのよずっとあのキョリ感だから。ささやき交わす先、なんとも評しがたい空気を醸し出している二名の様子を真正面から見ているはずの八百万は、確かに「いつも仲がよろしくて何よりですわ……!」とでも思っていそうな面持ちである。ヒーロー科入学者は規格外が多いな、などと言うと隣立つごく常識的な人間からいや一部ね一部、と訂正が入るだろうか。
 A組内の人間関係について知識を得たのはほとんどが編入以後のことで、意図せずして轟まわりの交友を早期に知ることとなったわけだが、親友と称されるような相手が二人もいたのはやはり意外であったし、そのうちの一人が堅物の委員長であることは輪をかけて意外だった。しかし確かに仲はいいな、と轟と親しむ(そして時に世話を焼く)二名とのやり取りを眺めるうち、おやと思うことが増えた。
 確かに仲はいい。いいのだが、自覚的に適切な距離感を保っているように見える緑谷に対し、轟と飯田の距離は、言ってしまえば「妙」だった。奇妙でもあるし、珍妙でもある。ふとした弾みに懐へ入りかけるほど急激に近付いて、親友とは違ういくつかの線を無自覚に踏み越し、越した所以には気が回らず、自分や相手の言動に驚いたり戸惑ったり照れたりしている。この妙な空気への対応が瀬呂の言う通りなのだとしたら、A組の〝非常事態馴れ〟は多方面になかなか根深いものがあるようだ。
 そんな益体もないことを考えつつ観察を続けていると、思わぬ話の流れと親友の調子に呑まれて停止状態に陥ってしまった委員長に代わり、「仲良し」二名をほほ笑ましく見て取り溌溂とした副委員長が、ぽんと手を叩いて発案した。
「そうですわ、一年生の授業に呼んでいただくのはいかがでしょう?」
「一年生?」
「ええ。以前私たちがビッグ3の御三方に来ていただいた時のように、教導側に立つんですの。今年の一年生も年明けからはインターンが始まるそうですから、心構えを伝えるには良い時期かと思いますわ」
 ああ、と隣で瀬呂が頷く。現場には当然いなかったが、そんなようなことがあったと心操も小耳に挟んでいた話だ。
「ふむ。確かに俺たちにも学びとなりそうではあるが……まだ二年目の若輩としては当時のビッグ3に並び立てるようなものでは」
「いいえ、飯田さんと轟さんなら役者不足などということはありませんわ! お二人の活躍は一年生にもきっと知られていますし、お父様方の事務所のお話もできるのですからむしろ適任かと!」
 もし自薦がためらわれるようでしたら私から先生にお話してみます、と俄然はり切り出した八百万は、善は急げとばかりに一年生のスケジュール確認を始めた。つくづく奉仕精神の強い級友たちだ。呆れることなどはない。逆にヒーローを志す身として重々見習わねばと思う。
 八百万の厚意に礼を述べつつ、まあ最悪二人いれば組手などもできるか、と一定の納得とともに再稼働した飯田は、自身の言葉でこちらが通りがかった状況を思い出したのか、引き留めてすまないと頭を下げてきた。
「自主練上がりで浴場へ向かうところだったのだろう。あとの手続きや先生方への相談は俺たちで進めるから、どうぞ行ってきてくれたまえ。ほら轟くんも」
「ん。またあとでな」
「ああ」
 頷き交わして立ち上がり、心操たちに早足に歩み寄ってくる轟の顔は実に満足げだ。その心が「いつもはクラス全員に満遍なく気を配っている委員長を二日ものあいだ独り占めできる」ためかと思いきや、実は「危うく親友が二日ものあいだ独りきりになる事態であったところを防げた」ためであることが今では理解できるので、やはり呆れはしない。もちろん、二日のうちには前者の自覚も生えてくるのだろうが、とやかく言わずにおこうと思う程度には既に友人として付き合っているつもりだ。
 お前もだいぶうちの組に馴染んだなあと何気なく口にされた瀬呂の言葉に、自分がバロメーターにされているとは知らない優等生がそれは良かったとばかり大きく頷いたため、思わず噴き出してしまった言い訳を考えねばならなくなったとしても、今日もそれなりに悪くないヒーローへの途上の一日だった。


end

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