愛したがりのキスウォーズ
社会規範の再構成と人類のパーソナリティの多様化に伴い、結婚、婚姻という言葉は個性発現時代以前に比して制度と通念の両面から大幅に〝型〟をゆるめたとされている。実際、二十一世紀以前に通用していた制度や、描かれていた物語を調べると、あまりの窮屈さに驚いてしまう儀礼や形式が多々存在している。この時代の生まれで良かった、でなければ飯田の手を引いての逃避行なども考えねばならないところだった、と轟は個人の努力ではいかんともしがたい世相の巡りの幸運に感謝した。
しかして型通りには動かないのが世の常、人の情の常。たとえ形がゆるんだとしても、ひょっとするとゆるんだがゆえに、一度結んだ輪がほどけてしまうという顛末は今も折々に生じ、それなりに耳目を集める悲喜劇として茶の間の話題に挙がるらしい。ドラマの主題を飾るような大恋愛の末に結婚に至ったはずが、小さなひずみからあっという間に関係が瓦解してしまう、いわゆるスピード破局という事象は、どの時代にも様々な異称を冠されつつ存在している。
――と、そんなようなことがもっと砕けた言葉でつらつらと書かれていたのは、後輩が事務所に持ち込んでいた生活情報誌だった。二十代から三十代の主に女性をターゲットとした雑誌のようであったが、その号は(轟は知らなかったが流行りの恋愛ドラマか何かにあやかってのものらしい)新婚生活に関する特集が組まれており、表紙に躍る『新米夫婦ハッピーライフのための七つの心得』だの『新婚なんでもランキング十五選』だのといった賑やかな文字の並びを見て、そういえば俺も新婚ってやつなんだろうか、とふと思い、談話スペースのテーブルに投げ出されていたのを、休憩時間になんとなく手に取って眺め始めたものである。
高校在学時代からの友人にして数年来の恋人、飯田天哉との待ちに待った同居生活が始まったのはつい三日前のことだ。正式なパートナーとなるための届け出も挙式もまだ少し先だが、その前後で暮らしが大きく変わるということもないと思われるため、事実上の結婚生活がスタートしていると言って間違いではないだろう。つまるところ「新婚さん」である。
人を応援したいのか脅したいのか、ところどころにセンセーショナルな言葉を使いつつ、誌面には先のような新婚にまつわるマイナス情報もあれこれと書かれていたが、そうしたことを気にかけて読んだわけではなく、特別に胸に刺さって不安に陥るような記述があったわけでもなかった。言葉の上では新婚ということになったとしても、飯田とはヒーロー科での三年間の濃密な学び、および寮での共同生活と、東京と静岡に離れていた期間を含む五年間の交際を経て、今日の暮らしに至っている。「新婚の悲劇」としてありがちだという、互いへの理解が浅い段階での尚早結婚、価値観の深刻な不一致や隠していた性根の露呈による不和といった問題などは、まずないと言っていい程度に長く深い付き合いを重ねた。驕るつもりはないが、純然たる事実として胸を張れる積み重ねだと思っている。
とは言え寮での団体生活と家でのふたり暮らしでは違いも多かろうし、もとは他人である以上、相手を一から百まで何もかも全て理解できているというわけではもちろんない。過度に憂慮する必要まではなくとも、「スピード破局」なる事象が確かに世に存在し、それを防ぐための心構えや心配りがある、という知識は持っておいて損ではないはずだ。
そんなことを考え、クール系イケメン人気ヒーローが「新婚カップルのセックス事情徹底調査!」などといった文字列に真剣に向き合っている姿を同僚たちにちらちらと気にされながら、轟は休憩時間いっぱいを使ってその特集記事を通読した。
その日飯田は早出であったため、轟が帰宅した際には既に家にいて、夕飯を作って待っていてくれた。明かりの点いたあたたかな部屋に帰る、というのは独り暮らしではできないことの代表で、雑誌でも結婚の醍醐味として語られていた。確かに良いものだ。靴を脱いで廊下に上がるとリビングのドアが開き、ひょこりと身を覗かせるのが笑顔の恋人と来ているのだから、これまた最高の暮らしの変化である。
「おかえり、轟くん。今日もお疲れさま!」
「おう、ただいま」
自身も早朝から働き、帰宅してすぐに家事をこなして疲れているだろうに、飯田はいつも元気で明るい。と言うとまるで幼い子どもへの形容のようだが、この持ち前の意気高さに昔から活力を分け与えてもらっている。元A組の級友たちが時折「事務仕事が面倒すぎてやる気が出ない、委員長に隣で尻叩いてほしい」とグループチャットにこぼしている気持ちが非常に良くわかる。
「今日は母からレシピをもらった筑前煮を作ってみたぞ! 君の口に合うといいのだが」
しゃきしゃきと腕振って言う飯田の隣に並ぶ。開いたドアからは食欲をそそる甘辛い煮汁の匂いが漂ってきて、腹の虫が空腹を訴えて騒いだ。それ以上に騒いだのが胸である。ひときわエンタメ感の強いランキング形式の記事の中にあった、『男性に聞く! 憧れの新婚シチュエーショントップ5』の第四位、「料理中にエプロン姿でお出迎え」をまさに今ごく自然にクリアした。あまりにしゃきしゃきはきはきしているので正直なところ色気は皆無だが、精悍な容貌と男らしく鍛え上げられた身体に、生活感のあるシンプルな紺のエプロン、という相反する取り合わせが逆に多面的な魅力を持つ飯田の良さを引き出していて、料理雑誌のモデルにでもなったら大変な好評を呼びそうである。
そんな姿を手の届く位置に独り占めだ。四位どころではなく優勝と言っていい、と無言の頷きをしながら、同じランキングの一位はなんだったろうかと記憶を掘り起こすと、これもまた「今」のシチュエーションであったことに思い至った。
「なあ飯田」
「ん?」
もうできるぞ、とリビングへ戻りかけるのを呼び止め、
「ただいまのキスとかしてみてぇ」
「んっふ」
振り返った顔を見つめてずばり言えば、珍しい笑い方で噴き出された。
「なんで笑うんだ」
「いやだって君、そんな真顔で……」
にやけ面で言われたほうが嫌だろ、それはまあそうだろうが、と新婚にあまり似つかわしくないようなとぼけた掛け合いをして、「ただいまのでもおかえりのでもどっちでも構わねぇけど」と雑誌で見たとは言わずに語る。
「なんか新婚っぽくっていいだろ」
「新婚」
「まだ結婚はしてねぇけど、似たようなもんだろ」
畳みかけるように言うと、ぽふ、と肉の薄い頬が赤く染まった。これほど「っぽい」ことをしておきながら全く無自覚だったのか、と思いきや、
「うん……みんなそう言ってくるから、もうそれでいいのだろうな」
と、眉を八の字にして呟く。
みんな、というのはおそらく事務所の仲間たちだろう。飯田の所属するチームイダテンには、飯田を雄英入学前、ともするともっと幼い子どもの頃から知るメンバーも多い。先代インゲニウムの弟の「天哉くん」が結婚前提の同棲生活を始めたとあれば感慨もひとしおで、何か声をかけてやろうと思うのも自然なことと言える。既に散々冷やかされたところへ轟までもが予想しない乗り方をしてきたものだから、改めて照れが深まってしまったということのようだ。
うん、ともう一度頷き、ひと呼吸の間をおいてこちらを正面に見た顔に、躊躇の気配はなかった。
「いいぞ、しよう」
「いいのか」
「俺は全く嫌じゃないし、むしろ嬉しいし、それで君がしてみたいなら、しない理由はどこにもないだろう?」
きっぱりと言う。つい十秒前に含羞に眉を寄せていたとは思えない明瞭さだ。ああそういうとこがすげぇ好きだな、と素直に思い、素直に惹かれて早速前へ踏み出したが、伸べた手が届く前にちょんと唇に触れたのは、相手のやわらかなそれではなく、長く四角張った指の腹だった。
「まず手洗いうがいだぞ、轟くん」
「んむ」
学生時代から続く心がけの細かさは今も健在だ。あいだに幾日も挟んで家を行き来していた頃は毎回注意をされていたが、キスとひと揃いと考えれば今度こそしっかり身に付けられるかもしれない。
してくる、とまた素直に頷いて、足早に洗面所へと向かう。くすくすとやわらかに響く笑いの音に背を送られて、こういうのも新婚の醍醐味なんだろうか、いやこれは前からずっとか、とじんわり胸がぬくむのを感じながら考えた。
結婚というある種の関係性の終着を迎えた事実に気が抜けて、セックスどころかキスやハグなどのスキンシップさえ、まだ新婚のうちになくなってしまう家庭が実はそれなりにある、と記事の中では謳われていた。そうしたカップルは例の「スピード破局」に陥る割合がそうでない場合より高いのだとも。
キスやハグをしないからといって愛情が一切ないなどと短絡的なことは思わないが、自分は飯田との触れ合いが好きだし、もちろんセックスも好きだ。愛している、愛されていると強く感じる幸福に満ちた行為が半年や一年でなくなるものとは考えたくないし、考えていない。記事には「仲の冷え込み・マンネリ防止には日ごろの会話と日常的なスキンシップが重要!」などと書いてあった。そうした点とは関係なく、ただ純粋に『憧れのシチュエーション』であるところの〝ただいま(またはおかえり)のキス〟をしてみたい、と思った。結び付ければ一石二鳥。飯田になにゆえと訊かれた際にも合理的な説明が適う。
まあ結果的には陰の一片もない明瞭さにまた灼き焦がされたわけで、そういえば昔から合理性より気持ちを重んじる人間だったと何度目かの納得をした。充分に理解をしたと思っていたこともまだまだ新鮮な発見の宝庫である。日ごろの対話や触れ合いが重要であるという示唆の論拠にはなるだろう。
「してきた」
「うん、おかえり」
「ただいま。飯の支度ありがとな」
念入りに手洗いうがいをしてリビングへ戻ると、今度は自ら歩み寄って迎えてくれた(惜しいことにエプロンは脱いでしまっており、次は必ず洗面所へ寄ってからにしようと改めて胸に誓わせた)。広い背に腕を回し、肩へ置かれた手のあたたかさを感じながら、二回目の帰宅の挨拶と、家事の礼とともに軽く一度口付ける。続いて二度、三度、とやわらかな感触を楽しんでいると、んん、と息が音になってあいだにこぼれ、身じろぎとともに呼びかけられた。
「あの、轟くん」
「なんだ」
「通常こうしたことは一回で終えるものなのではないだろうか」
「そうなのか?」
「と思うが……」
自信なげに返される。当然ながらともに初めての新婚生活であり、さしもの博学委員長の知識も及びきらぬところのはずだ。記事では回数については明記されていなかったが、飯田の言う通り一回であっさりと終えるのが普通なら、世の新婚たちは尊敬すべき自制心の持ち主である。
今日読んだ雑誌以外の根拠を記憶の中に探してみても、かつての級友や今の同僚たちの断片的な会話がちらほらと浮かび上がってくるのみで、これといった情報には思い当たらなかった。多くの人間にとって最も早く知る、最も身近なパートナーであろう両親に関しては、自分の場合はただ客観的事実として参考のさの字にもなりはしない。
互いに遠慮が働いてしまっていたが、兄姉たちともっとそうした話をしておくのだった、と反省しつつ次に思い出したのは、今では実の家族に迫るほど身近と言える、飯田の家族たちのことだ。
『うちの両親はああ見えて凄い恋愛結婚だったんだよ』
と、どんな話の流れであったか、二人での雑談中に笑ってそんなことを教えてくれたのは、在学中の交流や真剣交際の報告などの諸々を経て、今や轟を第二の弟と公言してくれている飯田の兄、天晴だった。
『じゃなきゃ揃って仕事の忙しい駆け出しの頃にうっかり俺が産まれてないだろうし、それから十五年経って弟ができたりしてないだろ。はは』
やや下世話な話をあっけらかんと語り、おっとこれは父さんたちにも天哉にも言わないでな、と口の前に指を立てた天晴の様子はあくまで朗らかで、世間からお堅く格式ばったエリート一家とみなされている飯田家の、驚くほどの健全な愛情にあふれた内実をまさに体現するもののようだった。
その両親の話にしても、仲が良好だったからこそ飯田天哉という最愛のパートナーがこの世に産まれてきてくれたのだから、轟にとってはただ伏して感謝すべき事実である。そこまで踏み込んだ話をするのはまださすがに気恥ずかしいと感じてしまうが、いずれはそうしたことも打ち明けて話せる関係になれればいい、と思う。
「俺はお前とキスするの好きだから、一回したらもっとと思っちまう」
根拠が見つからないなら自分で作るほかない。そしてそれには会話が必要なのだろうと、間近に顔を覗き込んだまま、思う通りを口にする。
「けど一回のほうがいいならそうする。我慢できないってわけじゃねぇ」
そう言うと、飯田は少し慌てた様子で腕を振った。
「が、我慢などする必要はないぞ! 別に規定があるわけでもなし、一般の基準を気にし過ぎなくてもいいだろう。それに俺だって、君とその……するのは、好きだから」
頬を赤くし言葉を途切れさせつつも、常のごとくはっきりと気持ちを伝えてくれる。そうかと笑いかければうんと鏡写しのように微笑が返り、触れ合う胸がまた騒いだが、相手も同じほど鼓動を速めていたので、どちらの音かはわからなかっただろう。
「じゃあもう一回な」
「え? いや今日分は今の一連で終わったのでは……んぅ」
目を丸くする飯田の疑問の声をキスの中に呑み込む。唇のあわいを舌先でなぞり、中へ差し入れかかったところでさすがにお叱りを受けて終了と相成ったものの、どこからどこまでが一回なのか不明瞭な〝ただいまのキス〟は、翌日以降も続く帰宅時の習慣となった。
くだんの雑誌はすぐに処分され、ほかを当たって調べることもなかったため、世間一般の基準がどうなっているかは結局わからず仕舞いであったが、自分たちのそれが何がしかのラインを多少踏み越えているのだろうという自覚はあった。ただいま、あるいはおかえりの、と言うからには、たとえ一回で収まらずとも通常はその場限りで切り上げるもので、うっかり盛り上がって十秒二十秒どころか分単位の時間が経過したり、そのまま寝室行きとなったりするような習いではないだろう。
そうした轟のしつこさに飯田が小言をこぼすこともないではないが、後に予定が詰まっていなければ大抵の場合は笑って受け入れてくれたし、脚一本の力で人の身体を押し返せるような人間が、素直に寝室まで連れ込まれあまつさえベッドに倒されて、新品のエプロンの胸元をきゅうと皺寄せて握り、潤んだ赤い目でこちらを見上げながら、「……とどろきくん」などと舌足らずに呼んでくるのだから、許されていない求められていないと思って踏みとどまるほうが無理な話だ。
やっぱ同じ家に住んでるっていいもんだな、と新婚と言うよりは同棲の醍醐味を噛み締めつつ、ランキングの同率一位であった〝行ってらっしゃいのキス〟もまた同じく習慣にしたいと思っていたのだが、同様の盛り上がりの結果二度にわたって飯田を遅刻させかけたため、毎朝のお決まりとするのはあえなく却下されてしまった。ならば見送りとは関係なく勝手にするか、と隙をうかがう攻防が続いており、勝敗はまず五分五分といったところである。
○
ぱちりと目が覚めたのはいつもの時間だった。
すぐにヘッドボードの時計に手を伸ばしかけ、姿勢が横臥の状態にあることと、傍らに寝具のものではないぬくもりがあることに気付いて動きを止める。そっと目だけを下へ向けると、紅白の頭が首筋に埋まっていた。すうすうと穏やかな寝息が胸にかかり、背には腕が回され、片脚が軽く絡め取られている。前夜の甘い触れ合いを思い出し、とくんと胸がひとつ鳴る。
真冬ということもあり、今はただ寝る際にも肩の触れる近さで床に就いているが、情を交わした翌日は、大抵こうして抱きしめられた姿勢で朝を迎える。今や身長はわずかに飯田が高い程度なので、相手の頭が胸元にあるか、反対に胸元に抱き込まれているかはまちまちだが、今朝はこちらが枕役であったらしい。轟は飯田の胸筋を抱き枕として以前から妙に愛好している。
ふっとひそかな笑いを落とし、揺れの伝わらぬよう気遣いながらもう一度ゆっくりと手を伸ばして、時計のアラームをオフにした。予約の時刻まであと五分。目標の起床時刻まではあと十五分。ここと決めた時刻の五分前には目が覚める自身の体質を利用し、本来起きるべき時刻より少し早くアラームを設定するようになったのは、今月、轟と同棲を始めてからのことだ。
戻した手で相手の背を抱き返し、もう一方の手で顎下の頭をそっと撫でる。ふわりと漂うのは自分と同じ洗髪剤の微香で、胸揺れるのに応ずるまま眼下の
紅と白の分け目に口付けを落とした。すぐに離れるが、朝のあまり得意ではない轟はこの程度の接触では起きない。それを知るがゆえも重なって一度では収まらず、愛らしいつむじへ、火傷痕の残る額の
際へと、二度三度と唇を寄せる。
同棲初日、必然と言っても許されるだろう運びで深く長く愛し合った
後朝に、少し遅い時刻であったが例によって先に目を覚ました飯田は、自分を宝物のように抱きしめて眠る恋人の姿に感極まり、湧きあふれる想いに従ってその身を抱き返し、今のような触れるだけの口付けをいくつも捧げた。それはその一日のみに留まらず、次の情夜の翌朝、そのまた次の朝と続き、寝ている人間に対する勝手な手出しへの気後れを引き連れつつも、「新婚生活」が始まって今日までの三週間、飯田の秘めたる習慣となってしまった。
今朝も轟の眠りは深いようで、飯田の指や唇が触れても息ひとつ乱れる気配がない。常の涼しげで鋭利なほどの美貌がゆるびた寝顔は実齢より幼く見えて、出会った学生の頃を思い出させる。かわいい、と湧き上がった言葉が自然に口からこぼれた。好きだなぁと続けて転げ出た声の先を抑えるために唇を結び、またそっと額へ落とす。
自分がそれなりの激情家であるという認識は持っているが、ことさら愛情深い人間だと思ったことはない。それでも時折そうした意の指摘を受けるのは、おそらく育った環境に由来するものなのだろうと理解している。
時たまに喧嘩はするが仲の良い両親と、喧嘩した記憶などない明るく優しい兄と、チームの末っ子として可愛がってくれた事務所の仲間たち。幸福で恵まれた家庭で生まれ育った、という自覚は雄英に入学するまで芽生えなかった。中学までの友人とはあまり家族の話をしたことがなく(今振り返れば「エリートの飯田家」の自慢話が出てくると思われて避けられていたのだろう)、世間一般の家庭は多少の差はあれどもどこもこのようなもので、そうでなくともこれこそが社会的に正しい家族の姿だと、素直に信じていたからだ。家庭に根差す病理や犯罪がたびたび話題にされることを、知識として有していたにもかかわらず。
ひとりの人間には多すぎるほどの愛を一身に受けて育った自分の中には、貰った愛情が足先から頭までいっぱいに詰まっていて、ふとした弾みで簡単に外へ飛び出てくる。普段からその調子だというのに、轟といるとなお心が沸き立ってやまず、こうして寝ている時にでも発散してやらねば、溜まりに溜まって破裂しそうになってしまう。もしも慕情が実物のハートの形をしていたら、今ごろは胸からあふれた大小のハートの粒がベッドの上を埋め尽くし、部屋を満たして窓の外へこぼれ落ちていってしまっていることだろう。
轟は自分ばかりが甘やかされていると思うことがあるようだが、なんのことはない、ただこちらがしたいことをしているだけだ。あふれたハートを渡すたびに彼が嬉しそうに笑うから、飯田の中にはまた新たなハートが生まれてきて、次は自分を贈ってくれと騒いで際限がない。
雄英生となって多種多様の背景や思想を持つ沢山の人々と出会い、学んで、世には無数の家族の形が存在することを知った。それはひとつの正しさの型に押し込められるものではなく、ひとつの評価の言葉で語り尽くすことのできるものでもない。
しかし歪みの大きな輪はやはり大小のひびや瑕を生み出すことがあって、轟焦凍はそうした輪の中で痛みながら育った人間だった。彼の中には沢山の強さや優しさがあるが、その傍らには空白も沢山あった。彼は自身の空白を認め、不足を知って満たしていくことをいつもとても大事にしていた。そしてその優しさゆえに、空虚の全てを
他人から貰ったもので埋めようとは考えず、愛されて満ちる喜びを知り、それを善きものと理解した彼は、すぐに人を愛する側へ立つようになった。なってしまったのだと、飯田は少し哀しく愛しく受け止めている。
飯田を愛したがり、甘やかしたがりだと呼ぶのなら、轟も相当の愛したがりだ。ベッドの上で捧げてくれる言葉や手指の甘さと言ったら、クールな氷炎の貴公子として彼をまなざす世間の人間が知れば、目を剥いて卒倒しかねないほどである。ねだられて始めた〝ただいまのキス〟にしても、ただいまの瞬間に収まらなくなりがちな現状を含めて、そうした性質の発露と言えるだろう。
あからさまに多く大きくはないけれども、宝石のようにきらきらと輝くハートを子どものように両手に大事に抱えて、どうか受け取ってくれまいかと、懸命に前へ差し出してくる。そんな姿を見るたび泣きたくなるぐらいに胸が騒いで、あふれたものを一度に押し付けてしまいそうになるのをどうにか堪え、ありがとうの言葉に変えて渡し、望まれる触れ合いに応え、こちらからも求めて、それでもどうしても詰め切れない分を、こうしてこっそりと形にしている。轟と言い自分と言い、少し滑稽なやり方で感情の昇華をしているなと、ここにも一応の自覚はある。
彼の空白を自分が満たしてやりたいなどと、そんな驕ったことを考えてはいない。ただ自然にあふれる心を贈って、贈り返されて、ほんの少しずつでも積み重なって、意味のあるものとして残っていけばいいと思う。他人には馬鹿げてくだらなくも見えるようなキスひとつの騒動であったって、真面目に考え、語り合って、ふたりともが幸せになれる道を探していきたい。滑稽で迂遠な選択であれ、ともに頑固で愛したがりの自分たちには、きっとそれが一番似合いのやり方のはずだ。
ちらと確かめた時計の針は、あとちょうどひと回りで起床時刻を指すところだ。あたたかな布団の中、いつまでも穏やかに寄り添って寝ていたいのが本音だが、健全な愛と幸福は健全で健康な生活から育まれるものというのが飯田の経験則であり持論だ。それに関しては自分も相手も甘やかすことはできない。今日の朝食は轟が作ってくれると言っていたから、それを楽しみに少し長く走ってくることにしよう。
「おはよう、焦凍くん」
いつもの踏ん切りのための挨拶を口に出して、今日は初めて唇に〝おはようのキス〟を贈ってみたが、映画のように相手が目を覚ますということはなかった。しかし轟とてこの先ずっと眠りが深いということはないだろうから、いつかはさすがに気が付いて、人が寝ている隙に何をしてくれているのかと、笑い咎めてその場ですぐに反撃をしかけてくる日がやって来るだろう。こちらもそれをあえて回避しようとは思っていないし、ことによると先に我慢が利かなくなって、こんな穏やかなキスだけじゃ足りない、もっと君を愛したい、君に愛してほしいと、彼を揺り起こしてしまう日が来るかもしれない。
さて軍配はどちらに振られるのだろうと、想像を巡らせるのも楽しみながら、そろりと腕の輪を外して身体を起こす。最後にもう一度紅白の頭をひと撫でしてから、大寒の室温に耐えるべく気合いを入れて布団を抜け、ベッドを降りた。サイドボードから取り上げた携帯の通知画面に終日快晴の予報が浮かぶ。今日も素晴らしい一日になりそうだ。
Fin.