小春日和のねぐらにて
とある世界のとある時代、ヒトに近くヒトとは違う、様々な個性を持つ亜人や獣人たちが暮らすとある街の中通りを、吹き付ける寒風もなんら意に留めぬ様子で、若いユキヒョウの領主が颯爽と歩いている。行き違う年頃の者たちをこぞって振り返らせる端麗な顔は、付き合いの浅い者でも珍しく見てわかる程度に濃く上機嫌の色を乗せ、尾もぴんと背に沿い立って揺れている。自然と早まる足の運びは帰路の途上で、十日ぶりの我が家への道だ。多少気が
逸るのも仕方がないと言えただろう。
とは言え、片割れながらに土地を預かる身。住人からの呼びかけがあれば、足を止めて話を聴くのは厭わない。商店の並びを行き過ぎかけたところで、明確に何かの用向きをにじませた声が「轟さん」と名を呼んだので、その場に止まり、振り向いた。馴染みの魚屋の前で、ヤマネコの亭主がこちらへ手を振っている。
「やあすみません、見逃さなくてよかった。今朝お嫁さんがいらして夕暮れ前に帰る予定だとうかがっていたので」
「よめ……ああ」
飯田のことか、と心中で名を呼び、口では聞いた言葉のみをおうむ返しにして頷く。今まさに目指し歩いていたところの我が家で共に暮らし、轟が隣邦へ赴いていた十日のあいだ、家と街の留守居を請け負ってくれていた伴侶を指して、時たまにそう呼ばれることがある。全くの誤りというわけではないし、父の治める猫族の領に近い土地柄、以前から顔を知られている轟のほうが地主のように見られることが多いゆえの扱いなのだろうが、正確には二人ともに家を独り立ちして、新たに興し任されるに至った領地だ。少し郷の遠い犬族の出とはいえ、飯田が
嫁してきたわけではない。
いつかは正しいところを伝えなければと思うが、改めていきさつを語るとなると、先の争乱どころか我が家の醜状のあれやこれや、家出して飛び込んだ雄英自治領での暮らしと事件のあれやこれや、さらにその前の出逢いの契機となった飯田の兄の敵討ちにまつわるあれやこれやにまで時間を遡らねばならず、とても立ち話の間では終わりようがない。何か良い方策を考えておこうとだけ決めて、今は訂正を挟まずに続く話を聞く。
「予定より早い時間にいらしたんで、まだ注文のものが入ってなくて、代金だけいただいてましてね。店を閉めてから届けに行こうと思ってたんですが、ナマモンだし遅くなっちまうのも悪いので……お手間でなければ今お受け取りいただけませんですか?」
「わかりました」
あとは帰るだけなのだから簡単な頼みだ。了承してから一瞬(あいつとんでもない量を頼んでないだろうな)と危惧がよぎったが、良かった、と言って奥から亭主が出してきた包みはさほど大きなものではなく、片腕に抱えられる程度の重さだった。袋に防水がしてあるので氷の個性を発揮する必要もなさそうだ。
礼を言って受け取り、きびすを返そうとしたところに、そういえば、と何やら思い起こす言葉が投げかけられる。
「お嫁さん、なんだか具合が悪そうでしたね……いつもハキハキお元気なのに、今日は少しぼうっとしてたようで。このところ空っ風ばかり吹いて、今朝なんてとびきり寒かったですし、お風邪じゃないといいんですが」
え、と思わず声が漏れた。確かに留守のあいだは一帯で冷え込む日が続き、遠地での独り寝が余計にわびしかったものだ。飯田は身体も強く轟よりよほど健康に気遣った暮らしのできる性格だが、だから病気と無縁というわけではない。途端に逸る気分が立ち戻り、この店に寄ったあとはまっすぐ帰ると言っていた、という情報を得てから二度目の礼を口早に残し、帰路を急いだ。早足は途中でほとんど駆け足になり、街外れの新居に着いて、ただいま、と表戸を開けた時にはさすがに少し息が弾んでいた。
投じた言葉に返る声はなく、すぐに違和感が湧く。しんと空気の沈んだ家の中は暗く、暖炉の火も焚かれていない。轟がこの時間に帰ってくることは知っていたのだから、常から良く気の回る
番いが出迎えの準備をしてくれていないというのはいかにもおかしい。
やはり変事があったのだと悟り、そもそも家にいるのかと、預かった包みと旅の荷をテーブルの上に放り、獣の五感を澄ませる。意識して探ったのは音だったが、先に捉えたのは匂いだった。飯田の個性が薫らせる
甘酸の香に違いないが、普段より心なしか甘さが強く思える。何か心が騒ぐのを感じ、引き寄せられるように辿る香りは、二階から流れ来ているようだった。階段の途中でかすかな布擦れの音も捉え、ぴくりと耳が揺れた。
飯田、と名を呼ばわりかけて、もし具合を悪くして寝ているなら悪いと思い直し、そのまま耳と鼻で探すと、果たして音と匂いの元は寝室にあった。しかしそっと戸を開けて覗き見た寝台の上には敷布が平野を成しているのみで、求めた姿はない。首傾げてさらに戸を引き開け、半歩身を部屋の中へ入れ込めば、意外な場所に意外な光景が見えた。
薄暗い寝室の片隅、ベッドから離れた部屋の角に、白い布の塊がうずくまっている。掛布を剥がして作ったのだろう山の下に探した相手がいることはすぐにわかった。が、その珍妙な姿に至る経緯は想像ができなかった。
「ただいま飯田。どうした、具合悪ぃのか?」
珍妙ではあるが確かな異常事態でもあり、おかしみなどより心配がつのる。努めて静かに呼びかけると、びくりと布の塊が跳ね動き、起きてはいるらしいことを知らせた。そっち行ってもいいか、と慎重にかけた言葉を受けて、塊が少し形を崩し、掛布の下に十日ぶりにようやく
見えた番いの顔が覗く。
「……轟くん」
ほつりと落ちた小さな声も、覗いた顔の浮かべる弱げな表情も、明らかに普段の様子ではない。しかし拒絶の反応でもなかったことは幸いで、そっち行くな、とまた念入りに声かけてから急がず歩み寄る。一歩の間を空けて前へしゃがみ、視線を合わせた瞬間、こちらを窺うような目にじわりと水の膜が張り、
眦に溜まりを作ったかと思うと、ぽろぽろと音もなく涙の粒が頬を転がり落ち始めた。
「飯田?」
さすがに動転を覚え、慎重さを忘れた手を咄嗟に前へ伸べて、肩を支えるように触れる。飯田は感激屋で涙もろいたちではあるが、精神的には非常に健全で芯もしっかりとしており、理由なく泣きむせぶような不安定なところはこれまで一度も見られなかった。いったい何があったのかとすぐにも問い質したい気持ちをこらえ、震える肩を掛布の上からさすってやる。頭に被っていた布が首元まで落ちて、ひょこりと現れた頭頂の犬の耳が、常のぴんとした三角の形を忘れてすっかり横に寝てしまっている。
「なあ、どうした」
しおれた耳に囁き入れるように問うと、ひくりと漏れた嗚咽のあとから、あえぐような声が絞り出された。
「ご、めん、とどろきく……ごめんなさい……」
かすれた言葉を聞き止め、瞠目して見つめる。唐突な、しかもやけに幼げな言葉での謝罪の理由に、まるで心当たりがない。
ぐすぐすと鼻を鳴らし身を縮こめる姿がいとけなくも
労しく、肩に置いた手を滑らせて背の後ろに回し、横合いからそっと抱き寄せたその一瞬、腕の中に薫香が立ち昇った。柑橘の実の香りに入り混じる、
清かながらも強く胸騒がせる甘い匂い。飯田がはっとした様子で身じろぎ、轟の腕を逃れようとした反射の動作で、衝撃を受ける前に理解を得た。
ひょっとして、と再び耳元で囁き問う。
「……発情してるか? 飯田」
ひ、と返ったかすかな嗚咽は悲鳴のようにも聞こえた。余計な思い込みをさせる前に、咎めて言ったのではないと教えるべく、背を撫で、濡れた頬へ口付け、大丈夫だと言葉にして伝える。
盛りにまつわる特性は種によってそれぞれだが、犬族は猫族とそう変わらず、雌は主に年に二回程度の周期性、雄は雌の発情に応じる形で情を昇らせる体質のはずだ。雌雄の区別は生来の性別に加えて番いとの情交の経験にも左右されるため、昨年の秋半ばから番い始めてのち、飯田は次の年の春から周期での訪れがあるかもしれないと頬染めてこそりと教えてくれた(轟は「そうか楽しみだな」と正直に返して怒られた)。今はまだ冬のただ中で、予告の時期までは早過ぎるが、頭の一点を痺れさせるような誘いの香りと、普段の凛々しさが鳴りを潜めたただならぬ様子は、「それ」としか考えられない。
とすると、周期のものとは別の要因が想像される。
「今朝、何かあったのか?」
弱っているところを追い詰めるようなことはしたくなかったが、事態を確かめなければ対処もままならない。轟の問いに腕の中の身体がまたびくりと跳ね揺れ、正解を語る。脳裏によぎった推測の画はあまり愉快なものではなく、我知らず尾が強く振れて床を叩いた。
周期的な盛りとは別に、他者の強い欲動の気配や、それに伴って発せられる体香に当てられて発情してしまう例が、特に歳若い獣に多く見られるという。襲いかかられた時に身を守るためだというが、当然、相手を退けるための反応ではない。では何故かと考えるだに胸の悪くなる次第はさておき、今は愛しい番いの身のことだ。もしこの想像が正しいなら、今朝どこぞの誰ぞかが飯田へ劣情を向けてきたということになる。ヤマネコの店主の話を聞くに買い物へ寄ったのはそのあとのようだから、大事に至ったとは考えづらいが、そんな不届きの輩がいたという事実だけで腹立ちの理由としては充分だ。これほどの萎縮の様子を見ればなおさらである。
「悪ぃ飯田。話したくないならいいからな」
身のほど知らずの奸賊にはぜひともこの手で氷炎をお見舞いしてやらなければ気が済まないが、思い出したくもないこととてあるだろう。相手を見つけるだけなら街の住人に聞いて回ればいい。そう思って自ら問いを撤回したが、飯田は俯けていた顔をゆっくりと起こし、いや、と小さく呟いて首を振った。声はまだ震えているが、多少なりと気分は落ち着いたらしい。
「ちゃんと話さないと、君に申し訳ない……こんなこと、俺……」
じわとその目にまた水が溜まりかかるのを見て、わかったと頷いた。余計な言葉を言わせれば言わせるだけ心わずらわせてしまいそうだ。ならば本人が話したいと思うことをそのまま聞いてやったほうがいい。轟の声に自分もかすかな頷きを返し、訥々と飯田が語り始める。
「轟くんが、遠出をして頑張ってくれているから、俺もそのあいだ、しっかり留守を預からねばと……昨日までは、平気でいたのに……君が疲れて帰ってくるだろうから、家を綺麗にととのえて、部屋を良く暖めておいて、君の好きな料理を作って待っていようと思っていた、のに」
何もできていないんだ、と悲嘆する様がなんとも痛ましく、もういいからと抱き締めて終いとしてやりたくなる心を抑え、今朝の事の仔細を聞くのに身構えながら、続く言葉を待った。
「今日は外での用事をまとめて済ませてしまうつもりで、少し早めに家を出たんだ。……けど、朝から風が強くて、寒かったろう。まだ陽の出ないうちだったから、余計に冷えていて……それでその、君が忘れていったマフラーを借りてしまったんだ。勝手に……」
語りながらまた耳をしゅんとへたらせる飯田とは逆しまに、轟は内心で首を傾げた。たとえ無断にであれ伴侶に防寒具を借りられる程度なんということもないが、様子を見るに後ろめたい告白らしい。マフラーぐらいいつでも使ってくれ、と口を挟むか迷う間に、話は先へ進む。
「役場へ顔を出して、外れの空き家の様子を見て回って、市で買い物をして……行く先々で皆が君のことを話してくれた。今日帰ってくるんだなと思ったら、俺もますます嬉しくなって、待ち遠しくて……それで、陽が昇って少し暖かくなったら、マフラーが……その……」
「うん……?」
語るに従い頬に朱が昇っていくのを見ながら、やはり自分の想像した類の話ではなさそうだ、と相槌が思わず疑問調子を奏でる。外れの空き家、のあたりで、すわ不埒の輩の登場かと耳を文字通りそばだてたのだが、飯田の萎縮は轟が憂慮したような怯えではなく、どうやら含羞に近いものであるらしい。
ふわと昇る清香が鼻先をくすぐり、心を波立たせる。
「……マフラーが?」
止まってしまった声をくり返し、先を促せば、目じりに残った涙のひと粒とともに、告解のような言葉が落ちた。
「匂いが、したんだ。僕の凄く好きな、その、轟くんの匂いがするって、気付いて。そうしたら、身体が熱くなって、頭がぼうっとしてしまって……おかしいと思って予定より早く家に帰ってきたのだけど、君のことばかり、頭に浮かんで、何も手につかなくなって、それで……、は、」
――発情してしまってるって、気付いたんだ。
すっかり恥じ入りまた下を向いてしまった口からこぼれた声が、その音嵩に見合わぬ激しさで脳髄を揺らした。起きた事象はわかっていたが、当人から、それもこの清廉潔白を絵に描いたような相手から直に聞くと、なかなか衝撃が大きい。しかもそのきっかけが、どこの獣の骨とも知らぬ輩の秋波などではなく、己の物の残り香とは――と、そこで疑問に気付く。
「ん、じゃあなんで俺は謝られたんだ?」
番いの匂いに情昇らせて何を気に病む必要があるのかと、開口一番に発された先の悲愴なまでの謝罪を思い返して首傾げると、だって、と飯田は顔上げて言いつのった。
「君が大変な仕事をこなしてようやく帰ってくるという日に、こんな……出迎えの準備もできないで、部屋の隅で丸くなって震えているなんて、情けないにもほどがあるだろう……。わかっているのに、気持ちが治まらなくて、ずっと君とのことを考えてしまって」
はしたないよ、と背を丸める。きゅうと哀しげに鼻を鳴らす様は大きな仔犬のようであったが、その実は番いを求める熱を必死に押し込めようとしている姿なのだと思うと、情けない、はしたないだなどという感想は微塵も湧かず、ただたまらなく愛おしいと感じるばかりだ。
「飯田」
低く呼びかけ、できる限りの優しさを意識して撫でた背が指の下でぶるりと震えを帯びる。赤く染まった顔を正面から見られるのを避けてか、轟と目を合わせるのをらしくなく避けてか、抱えた膝の間に目線を落としたまま、飯田は言う。
「と、轟くん……もうしばらく独りでじっとしていたら、治まると思うから……本当に申し訳ないんだが、今は俺のことは放っておいて、下で待っていてもらえないだろうか……落ち着いたら夕飯の支度をするから、その、少し遅くなってしまうけど……ごめん……」
「謝ることなんてなんもねぇよ」
連なるほど沈んでいく声を掬うように、きっぱりと断じた。十日離れていた伴侶を恋う心と体に、一体なんの落ち度があるだろう。無用な自嘲は否定してやらねばならないし、これほどに焦がれられ、いじらしい告白を受けて、独り放っておくことなどできるわけがない。
「俺こそ十日も留守番させてごめんな。もっと手際が良けりゃ早く帰ってこられたのに」
「そんな。君が慣れない土地へ出向いて慣れない仕事をしてくれているのだから、家に残った俺が少し我慢するぐらい、当然で……」
「けど我慢はしてたんだろ」
轟の謝罪に思わずといった様子で顔を上げ、否定を述べた飯田は、言葉尻を取られてはっと声を呑んだ。また落ち込ませぬよう、すぐに続ける。
「俺はすげぇ我慢してた。早く帰ってお前に会って、触りたかった」
こんな風に、と肩へ回した手でもう一度身を引き寄せ、こめかみに口付けを送る。指で唇で触れるたび、震える身体は宿す熱の高さを上げていくようだった。だめだ、と舌足らずにこぼれた声も吐息も、熱く、甘い。
「お、治まらなくなってしまう、から……」
「治まる必要ねぇだろ。俺がいるんだから」
もう我慢などせず、存分に情を寄せてくれればいいと、静かに諭すように言い聞かせつつ、こちらからは自身の心の騒ぐまま、背へ肩へ首へ、ためらいなく指を滑らせてやる。なあ、と敏感な獣の耳に直接声を送り込む。
「ベッド行こう。もっと触りてぇ」
自律自戒の気の強い飯田には、決心を曲げさせるより、目先を変えさせたほうが早いことがある。自ら求めるのを躊躇するなら、こちらから求めてやればいい。飯田はいつも轟の頼みに甘く、今の状況下での気後れはともかくも、普段から番いとしての交誼にはむしろ前向きだ。
「……っ、うん……」
犬耳が痺れたように震えを立たせ、思惑通りに了承の頷きが返ったのを見て、すぐに手を引き立ち上がった。飯田も緩慢にこちらの動きを追うが、床へ落ちた掛布を気遣う余裕まではもうないらしい。代わりに拾い上げてやりながら、ふと訊ねる。
「なんでこんな部屋の隅にいたんだ。寒かったろ」
「いや……少し寝たら落ち着くかと思ったのだけど……ベッドにいられなくて……」
ぽそぽそと言い、また頬を上気させる。熱を鎮めるために寝室へ来たのはいいが、
閨事の記憶の濃い二人の臥所へ上がることができず、しかし身体が砕けて部屋を出ることもままならず、身を隠し守ろうという本能だけがどうにか働いて、布団をかぶって丸くなっていたというところだろうか。そういえばどこかで外したのか落としたのか、いつもの眼鏡もかけていないが、それはあとで探してやればいい。
掛布は洗い干して間もない陽の匂いをさせており、先の話の通り、轟の帰りを万全の準備で待とうとしていたことがうかがえた。これすら番いの匂いを残したままでいたら、今頃は身も世もなく自涜にふけっていたのかもしれない。事実そうした状態に近付いているのだろう飯田を支えて寝台の上へ座らせてやり、自分も正面に向き合う体勢で膝を乗り上げて、は、は、と息ついて熱逃がそうとしている口と、そこから覗く赤い舌を、自らの唇と舌とで捕らえた。
「んぅ、む、うう……ひぁ、」
熱く熟れた肉を合わせ、先端から半ばまでを舐め上げる。そのまま喰いかかるように口付けを深め、小突起の並ぶ舌で敏感な上顎をくすぐってやると、唇の隙間から甘い悲鳴がこぼれ、ゆるくかぶりが振られた。
「と……ろき、くん、だめ、駄目だ、もう、俺……」
ここに至ってまだ「駄目」の語が出る理性の強固さには感心するが、動くたびに立ち昇る香りにつられてこちらも別の意味で「駄目」になりつつあるので、そろそろ流されてしまってほしい、と思う。まあ閨房における飯田の「だめ」はほとんどの場合拒否を意味する言葉ではないので、もとより深刻に聞く気はあまりない。
「駄目じゃねぇよ。ほら」
「え……、あ、あッ……」
赤の他人の慾にすら反応してしまうらしいのだから、服の残りにでさえ効のある番いの体香と慾気に抗う
術などないだろう。これまで意識して使ったことのない雄の威圧の気を発し、正面からぶつけてやると、飯田はびくんと大きく身を跳ねさせた。後ろへ倒れかかるのを反射にこらえてこちらへ両腕を伸ばしてくるのを、もちろん受け止め抱き締めてやるが、飯田の「駄目」にとっては逆効果に違いなく、十日ぶりの匂いと体温に正面から包まれた愛しい番いの我慢の糸は、そこでとうとうぷつりと切れてしまったらしい。背に回った腕がぎゅうと轟の服を掴み、高く啼き声が上がる。
「ひっ……! や、あ、ぁっ……! と、どろきく、んっ……!」
「ん、どうした」
「う、うぁ、ひ、ああ」
示威の圧を抑えず、意地悪く訊いてやる。あわよくばまたあの不埒な語を彼の口から聞いてみたい、などと馬鹿なことを思っていると、意味を成さない喘ぎを漏らすその口から舌足らずの「だめ」が転げ、
「や、あぅ、う……とどろきく、ん、も、だめ……、ぼく、ひ……ひらいちゃう……」
続いて懇願のように発された言葉に、脳髄が揺れる、どころでは収まらず、一瞬間完全に、今回の旅程で見た一面の雪景色のごとく意識がホワイトアウトした。頭の中で火花が爆ぜるのを幻視し、次に我を取り戻した時には、両肩掴んで寝台へ押さえ転がした飯田の赤い顔を、真上から見下ろしていた。
はっとして見つめる相手からは拒絶も叱声もなく、くぅん、と犬の甘え声が鳴る。絞り出すように応えた。
「そ、うか」
「うん……」
間の抜けたやり取りで熱の引く段ではもはやない。組み敷く身体は色香で満ちていた。いつも凛と前を見る顔は熱に
惚け、赤の瞳は薄く涙をたたえて妖しの色を増し、とろりと融けるような眼差しでこちらを見上げる。しどけなく敷布に沈む伸びやかな手脚も鍛え上げられた胴体も、雄の慾に応じるための恭順の姿勢を示し、ゆるく膝立てた脚の間で
和毛豊かな尾がぱたりと揺れ、期待を語るようだった。
ぐっと生唾を飲み込みながらも、自分のために開いた身体を隅から隅まで暴いてやりたい、と胸に湧きあふれた凶暴なまでの慾の衝動を、腹に力込めてどうにか宥めた。発情もそれに伴う交尾も自然の営みのひとつだ。唾棄すべき本能だなどとは思わないが、飯田にとっては初めての、それも予期せぬ盛りである。最前のように意識を飛ばすなどして、少しでも粗雑に扱うようなことはしたくない。
考えようによっては、事が起きたのが今日で幸いだった。この状態で丸一日も二日も独り家にいさせていたらと思うとあまりにしのびない(いやそれはそれでそそる様子ではあるだろうが、と正直な思考もよぎったものの、ひとまずは棚に上げる)。おまけに真面目な飯田のことだ、こんなことで日々の務めを放棄するわけには、と外へ仕事に出向いてしまい、自分を不埒な視線で見るものがいるなどと露ほどにも考えず、衆目に身をさらしていたかもしれない。番いのこんな艶めく様を他人に見せるなど、相手が誰でも耐えられない。
「……轟くん?」
仮定の事態に悶々としていると、下から不安げな声で名を呼ばれた。仕方がないこととは思うが、どうにも気ぜわしい日だ。悪ぃ、と謝し、驚かせぬようゆっくりと上体を前へ倒して、言葉での始めの確認代わりに鼻先をちょんとぶつける。薄く開いてこちらを見仰ぐ赤の双眸と吐息に濡れた唇が声なく先を求めていたので、応えてそのままさらに顔を近付け、唇を重ねた。舌先を絡め、並び良い歯列をなぞり、角度を変えて口唇を食み合っては、上がる熱を行き交わせる。
「む、ンん、ふぁ……、んッ」
鼻に抜ける甘やかな息を漏らしながら、飯田は進んで轟の愛咬に応じる。多くの犬族の例に違わず、飯田も他者との触れ合いには積極的かつ好意的だ。特に兄を始めとする親族とはすぐに抱擁を交わしたり頬を寄せ合ったりして、悋気を煽られることもしばしばであるものの、自分に発揮される分には良い特性に間違いない。技巧に長けるとは言えないが、仔犬の甘えるような懸命な舌遣いは愛らしい。
「飯田、キス好きだな」
「んん……ん、すき、とぉ……ろき、くん、すき……」
「ん、かわいい」
発情してるお前、やらしくてすげぇエロい、と、浮かぶ言葉をぽんぽんと投げかけると、眼前の顔がさらに熱持って赤くなる。
「そ、そういう、……んぅ、仕組み、だからっ……」
「そうだな」
決して厭うような反応ではない。入りは多少どたばたとしてしまったが、もはや
正しく臥所の上、腕の中だ。あたたかな春の先触れと思えばただ喜ばしい。
そろりと背に回ってきた腕に応え、締まった腰を撫で上げながら、片手で上衣の裾を抜き、もう一方の手で釦を外してやる。毛織のカーディガンと開襟シャツの前が開いて上の裸身を露わにし、うつくしく備わった筋肉と張りのある肌が浅く早い息と鼓動に上下して、番いに触れられ暴かれるのを今や遅しと待っている。
今度はあえて見せつけるように唾呑み喉鳴らして飢渇を教え、反った首筋に唇を落とし、ゆるく牙立てながら下へ骨を辿る。明け渡された急所はどこも刺激に弱く、鎖骨窩の薄い皮膚を舌で舐ると、ひんとあえかな鳴き声が上がった。
さてどこからどう喰ってやろう、と舌なめずりする豹の耳を、震える指がつんと引く。顔を上げればこちらへ何かを訴えかける目と視線が合った。
「どうした」
「あ……あの……、一回だけ、で……」
「いや無理」
「ええ……」
まさかの回数指定を一蹴すると、眉が八の字に下がった。今や何もかもがはち切れそうだというのに、ええ、はこちらの台詞である。
「だってきみ、腹ぺこだろ……ゆうはん、つくらないと……」
この期に及んで伴侶の空腹を顧慮できる姿勢は大変好ましい。好ましいが、別のハラヘリの深刻さも考えてもらいたい。いや、ひょっとすると轟の飢えの様を見て食事の支度に思考が飛んだのだろうか。急に理性が戻ったように見えて、やはり情にのぼせた頭は整然と働いていないようだ。
ならばこのまま押し流そうと、身を少し這い上げて下肢の熱を相手のそれに重ねると、双方とも充分以上に昂っていた。布越しに擦り付けてやれば、組み伏せた身体が震え出す。
「ひっ……、うぁ」
「熱ぃな……」
「やっ、ひゃぁ、あん」
漏れ出るたび艶増す声に煽られ、胸底に火の燃え立つまま、情を求め、ぶつける。
「腹ぺこだから、早く喰わせてくれ……飯はあとでいい」
「ァ、あ、だめ、んんンッ……!」
屹立を揺すり合わせ、裸の胸を撫ぜ、浮き出た喉骨に舌を這わせると、かすれた悲鳴とともに背が反りかえり、耳の先から脚先までがひくひくと淫らに痙攣した。こちらはどうにかこらえた熱を息にして吐きこぼし、終わりでいいのかと問うてやる。ふるりと首が横へ振られ、尾がなまめかしく揺れて雄の心を誘う。
「もっと、欲しい……」
羞恥の融け出した赤い瞳が煌めき、短く発された言葉に増して雄弁に慾を語った。笑って頷き、了解の相槌に代えてまた口付けを交わす。弾む息の間に名を呼び合うたび、昇り続ける情慾をも超える愛しさがあふれた。
「飯田、かわいい。好きだ」
「ん、ぼくも、好き……だいすき」
「夕飯、俺が代わりに作ってもいいから、お前を沢山喰わせてくれ」
「いいや、絶対にきみに包丁は握らせない……」
「すげぇなお前」
睦言に差し込まれる決意に笑い、火照る身体を重ねて抱き締める。くぅん、と愛らしくも色めいた鳴き声を耳元にこぼしつつ、飯田は背に回した手で轟の上衣をぐいぐいと引いた。脱がせようとしているのか、脱いでくれと言っているのか、常の幾倍もつたない指遣いにさえ心がくすぐられ、渇きがなお深まる。犬の耳ごと頭をよしよしと撫でてやってから、一度上体を起こし、服を重ねて脱ぎ捨てた。畳めとまでは言わないが、と普段なら無精を叱る飯田は、説教の代わりに甘い吐息を漏らしながら、赤い瞳でただじっとこちらを見上げている。
「お前も」
「あ、うん……」
先に裸になった轟がほとんど手を貸す形で半端に肩にかかった上衣を脱がせ、ズボンと下穿きを引き抜く。一度達して白濁をこぼした性器が糸引く様を恥じて脚が閉じかかったが、先んじてあいだに身を入れ込んでやった。立て膝の間にゆるく兆す根を握り、輪にした指でこすり上げれば、ひゃう、と高く啼き声が上がる。
「あぅ、うんッ……、っあ、ぁ」
いくらもなく硬さを取り戻した欲はまたすぐにも爆ぜてしまいそうで、そのまま追い上げてやろうかと速めかけた指の動きを、上から重なった手に止められた。
「だ、めだ……、イっちゃ、ァ」
「ん、達っていいぞ」
先走りに泣きそぼつ肉茎を指で少し揉み締めるだけでびくびくと脚が揺れるのだから、相当に熱が溜まっている。もう一度は吐き出させてやらねばつらいだろうと思って促したが、飯田はふるふると首を横に振った。快の反射の様子ではない。盛りに直面するのは轟にしても初めての経験であり、何か苦痛を与えてしまっているかと惑いがよぎる。
「……悦くねぇか?」
「ん、違……、あっ……と、ろきく、ん、」
また首が振られ、切れぎれに名を呼ばう。閉じ伏せていた目がうっすらと開き、赤を潤ませて切なく懇願した。
「君の、が……、きみが、欲しい……」
君としたい、と続く言葉は声ではなく、見仰ぐ目とこちらの指にすがる手、そしてはたりと揺れる尾の恋い仕草で語られた。どくりと心臓が跳ね、沸き立つ血が全身を巡る。
「そうだな、悪ぃ」
独り高めて発散するための熱ではなく、身体を開き欲を受け入れるための熱だ。一方的にしてやるのではなく、少し性急にでも繋がり情を交わしたほうが良いのだろう。謝する轟に示す三度目の首振りと微笑はこちらと同じ想いを語るもので、飯田も初めての昂りに戸惑いながら、身を重ねることに喜びを感じてくれているのがわかる。春の花がひと足早く腕の中で咲きほころんでいるようで、たまらない。
いいだ、と名を呼び上体を倒して額へ、鼻先へと唇を落としながら、腕伸ばしてヘッドボードから香油の瓶を取り上げる。片手で栓を抜き中身を垂らして指を濡らし、少し温めてからまた下肢の間へ手を寄せた。
「んぅ……ァ、ひぁ、う」
勃ち上がったままの茎を指先でゆるりと撫で下げ、張り詰めた嚢をくすぐり、会陰に至るまでのわずかな刺激でさえ、こらえかねるように脚が揺れる。後孔に触れるとひくりと肌があわ立って誘い込むように蠢動し、あえて性急になる必要もなく、先へ進む指を熱い肉が迎える。
「くぅ、んっ……」
纏わせた精油のぬめりが道を割り開き、襞を濡らして内へ押し入るのを援ける。否、押し入ると言うほどの抵抗はなかった。これはとすぐに増やした指を口で丸呑むごとく受け容れ、きゅうと絞って下腿を引きつるように震わせる。やわらけぇな、と感じたままに呟くと、見下ろす瞳に羞恥が浮いた。
「風呂入ったのか?」
「覚ましたく、て……あ、んッ」
寝室に来る前に湯を浴び、中を慰めて熱を散らそうとしたらしい。が、覚めるどころか余計に昂り、困り果ててしまっていたところに轟が帰ってきたという顛末だったのだろう。言われてみれば、元の体臭が湯に流れてほとんど失せている分、興奮で内燃させてしまったらしい個性の香りと発情の匂いが強く感ぜられているように思う。
舐ればそれこそ花の蜜のように融け出すのではないかと思えるほど、甘くかぐわしく、喉鳴りを誘う。
「……蜂になったみてぇだ」
「ハチ……?」
「刺さねえけど、挿れるな」
「あ、うんっ……」
一瞬きょとんとした目がすぐに期待を浮かべて細まり、与えられる快楽を待つ。しなやかに開く脚を上げさせ露わにした孔に、数度の慰撫でたちまち反り上がった欲の先端を押し当てると、濡れた音を立てて吸い付かれた。抗わずに腰を進めて中へ
侵し入る。常日より熱の高い内壁にぴたりと包まれ、搾るように食まれて、酩酊にも似た強いめまいを感じた。
「ひぁ、あっ……!」
「っは、これ、やべぇ」
「やっ、ァ、あん、あぁッ」
根まで納めて一度落ち着こう、などという慎重な考えはすぐに散り消え、ぴりぴりと脳を
灼く快を追って律動を始める。いつもは憶えて久しい愉楽の腺を意識して抉ってやるのだが、急速にのぼせる頭で本能を御しきれず、しかし飯田の側も中の全てで感じてしまっているらしく、技巧もなく引いては穿つ雄に
裡を擦られるだけで艶めいた声を漏らしている。
「んぁ、うぅ」
「こ、らっ」
「ぅあっ、が、アぁッ……!」
無意識にだろう、上に逃げかかった腰を
諸手で捕らえ、ぐぷん、と油膜の割れる音とともにいっそう奥を貫くと、獣の嬌声が上がった。そのまま速度を増して肉楔を打ち付け、愉悦をむさぼる。少し空いた身のあいだにさまようように腕が差し伸べられたので、再度上体を近付けてやると、すぐに背へ回ってきた。あふれ出す庇護欲と支配欲に突き動かされ、震えてすがる身体を揺さぶり、責め立てる。
「やぁあっ、んっ、あう、深、いぃ……!」
「ぐぅ……熱っちぃな、ナカ」
「あッ、そこ、駄目だ、だめぇっ」
「イイ、だろ? 天哉……」
「ひ、あ、ああぁァッ……! あぁ、あ……や、ぁっ……、くぅ、んン……んっ」
振り乱す頭に口を寄せて低く真名を呼べば、びくりと背が跳ね、感じ入ったように内壁が痙攣し、中の性感だけで昇り詰めたのが伝わった。ぐっと反り上がった身体は数秒で敷布へ落ちたが、内に残る蠕動で轟の肉茎を締め、その反発でまた快を拾い、
胎と下腿をひくつかせながら軽い絶頂をくり返してしまっている。
腕だけをかろうじて轟の背へかけ、力なく横たわったままひくひくと絶え絶えに震える様がなんとも艶めかしく、触覚と視覚の両挟みでこちらも埋めたまま欲を吐いてしまいそうだったため、一度腰を引いて抜きにかかる。が、先端を残すところでぎゅうと孔に喰い止められ、うぐ、と思わず声が漏れ出た。達しはしなかったが、気早な精が走って感じられた。
「天哉っ……」
「まだ、だめ……轟くん、もっと……」
きゅうん、と鳴きねだる声は愛らしいが、瞳に情慾を浮かばせ腰揺らせて誘う姿は、淫靡な獣そのものだ。よほど追い詰めて理性が崩れた時でなければ、この「駄目」は飯田の口から出てこない。
「すげぇな発情……」
「ぅ……嫌かい……?」
「嫌なわけねぇ」
自分だけに向けられる情ならば大歓迎だと、しおれた耳先へ口付け、抜きかけた肉をまた奥へ突き挿れる。
「ひ、ぅ」
「っく、うあ……すげぇ、いい」
「あん、んッ、ひゃ、」
一度果てた中は雄を嫌うどころか誘いのうねりを増して、続けざまの交合を悦び、なおも熱を上げて快感をふたりへ分け合う。さすがに耐え切れず、呻くように息を吐いた。
「は、やべぇ……すぐイくっ……」
「っ……ん、うん、出してくれ、きみのっ……」
「くぅ……っ」
「あン、んッ……」
欲しい、と落ちた切願を合図のように、焦らされ膨らみ切った欲が爆ぜて、飯田の
胎内へ種を吐き出す。余さず奥へ注ぎ、腰掴む手を背へにじり上げて抱き締め、滾つ精を受けてまた甘く達した番いとしばし余韻の吐息を重ねたが、ともに燻らせる火はまだ双方消える気配を見せない。もう一回、と声にして確かめ合うこともせず、いずれともなく口付け舌を絡ませながら、交わりを再開する。
「ぅあ……ッあ、や、ぁんっ……! 熱、い……っ、はぁ、ァッ、あぁっ」
「んく、ぅ……あとで、冷やしてやる、から」
硬く張った肉茎と段差の深い雁首に孔のふちから最奥までを長い幅で穿たれては甘く慰撫され、降りようのない快感に悶える身を、もはや逃がさぬと指絡めて寝台へ縫い留め、天哉、と名を呼び、治まらない慾をぶつける。こぼれた精と香油が混ざって泡立ち、抽挿のたびぐちゅぐちゅと淫猥な水音を響かせ耳をも犯されて、鳴き喘ぎながら、飯田は轟へ名を呼び返し、熱を訴えた。
「とどろき、く……、しょうと、くん、んぉ、ぼく、へんっ……、んぅぅ」
「ッはぁ、どこ、がっ」
「ぜん、ぶっ……ぜんぶ、気持ちいぃっ……」
それが下肢の繋がりの一点だけを示す言葉でないことは明らかだった。発情しきった身体は全身が性感の沼のごとくぐずぐずにぬかるみ、吐息に触れただけでも波が寄せるように悦楽を渡らせている。全て自分という番いの存在がもたらしたものと思えば、淫奔の様と言うよりはむしろ貞淑の表れにさえ見えて、また脳が痺れる。
「ここもか……?」
「ひッ、ああぁっ!」
「ぐっ……」
悪戯心が働いたわけではないが、眼前にあった豊かな胸に舌落とし、つんと勃ち上がった乳頭をざらりと舐め上げると、高い悲鳴とともに飯田が達し、奥を犯していた陰茎を締め付けられて轟もまた吐精した。それでもまだ萎える様子がないのが驚きである。おそらく飯田につられてとうに自分も発情しているのだろう。
「いきな、りっ……!」
「悪ぃ。ここでイったの初めてだな」
「もおぉ……!」
ともに果てた直後は少々の余裕が戻るが、ずちゅ、と音立てて腰を使い身を揺さぶると、たちまち羞恥とそれを上回る快楽の中に心身が融けて、ひんひんと啼き声が上がる。いたいけな仔犬を手籠めにして交尾を教え込んでいるようで、しかもそれに倒錯した悦びを感じてしまい、俺は変態なのかと一瞬落ち込んだが、焦凍くん、と甘えた声に呼ばれればすぐに立ち直る程度であるからいい気なものだ。
「あう、ぅ……まだ気持ちい、欲しいよ……しょうとくん……」
「ん、好きなだけやるぞ」
「ゆうはんは……?」
「忘れとけ」
宵のうちに離してやれたとて、いくら丈夫な飯田でも数刻はまともに足が立つまい。まだ腹も鳴っていないし、今は心ゆくまで番いと睦み合い、胸の飢渇を満たすのが何より先決だ。食事のことはねぐらを出てから考えればいい。
「ん、ン……」
「っは……天哉」
好きだ、と告げると情の匂いが強まり、蕩けた顔に
春日の幸福をしのばせる笑みが浮かぶ。想い重ねる褥の上、窓の外でちらつき始めた雪に代わって降り積むのは、幾度果てても潰えない思慕の
彩の花の
香だった。
――翌朝、前夜の己の媚態に恥じ入り切った真面目な番いをなだめ、布の塊の下から引っ張り出すのに小一時間ほど要することとなったが、それも春待つ獣の戯れとして終わり、不満を騒ぎ立てたのは腹の虫ばかりという、小春日和の些々たる話。
end