焼いた餅に砂糖ひとさじ


「なあ緑谷、お前なんであんなに飯田と仲いいんだ?」
「へ?」
 そろって唱えた「いただきます」の言葉からわずか十余秒、なんの前触れもなく切り出された問いに、持ち上げかけた豚肉が箸から丼の中へ落下して、口からは抜けた声が漏れ落ちた。
 隣を見やれば妙なことを言ったなどという気配は微塵もなく、問いの主はいつもと変わらぬ所作で蕎麦をすすっている。その顔が普段以上に綺麗で涼しげに見えるのは、直前の言葉の反動のせいか、それとも普段はあいだに挟む大きな身体がないせいだろうか。
「僕と飯田くんが?」
 聞き間違いとも思えなかったが、念のため、その不在の人物の名前を出して訊ね返す。入学間もなく隣り合って昼食を取るのが習慣となった友人は、今日は各組の委員長とのミーティングを兼ねたランチ会があるそうで、どこか別の部屋を借りているのか食堂には姿が見えない。
 おうと事もなげに頷いた轟の口から冗談を聞いたことはなく、つまりは先の問いも含みのない純粋な疑問として出たものということになる。ええと、と出久は探り探り言葉を返した。
「入学して初めに仲良くなってくれたから、かな?」
 芯を食った答えでないことはわかっていたものの、これ自体は嘘ではない、とも思う。入学初日に言葉を交わし、帰路を並んで歩いてくれた飯田、それに麗日は、単純な友だち歴で言って他のクラスメイトより始まりが早く、共に過ごした時間も長い。
「そうか。まあそうだな」
 得心したのかしていないのか、質問側の応答としてはだいぶ茫洋としている。問いはそのままの意味でも、何かほかに引っかかっていることがあるんだろうな、と推し量れるほどには、轟との付き合いもそれなりの長さになった。
(お節介かもしれないけど、ふたりに何かあったりしたら嫌だし……)
 意を決して踏み込みを決め、
「何か気になることでもあった?」
 こちらから訊ねると、やはり根は別のところにあったらしく、ん、とすぐに答えが返った。
「昨日の演習で二人組作るとき、飯田に声かけようとしたらあいつ俺をスルーしてお前のとこ行っちまった」
「え? あ、そうだったんだ……」
 昨日の演習は必殺技の洗練強化がテーマで、開始十五分あまりはウォームアップと今の動きの確認に、と二人一組での組手が言い渡された。確かに飯田が率先して声をかけてくれて喜んで応じたのだが、初めの並び位置が二人と遠かったこともあり、轟が飯田を誘いかけていたことは知らなかった。
「そのあともずっとお前と技見合ってたし」
 続く言葉はいつも通りの無表情で発されたが、あれ、ひょっとするとこれは愚痴かな、と察せられる程度の抑揚は聞き取れた。珍しい態度に関心と戸惑いを同時に抱きつつ、フォローの言葉を探す。
「えっと、実はこのあいだのクラス対抗戦のあと、高速戦闘での蹴りのコツを教えてもらいたくて、またシュートスタイルを見てくれないかなって僕が飯田くんにお願いしてたんだ。それで自分から声をかけてきてくれたんだと思うよ。轟くんを無視したとかそういうんじゃなくて!」
 飯田のことだ、組手と聞いてすぐにこちらへまっすぐ意識が向いて、轟が声をかけようとしたことにも気付かなかったのではないだろうか。最後のひと言を強調して事情を語ると、
「対抗戦……あいつ速かったからな」
「うん。凄かったよね、レシプロターボ!」
 思わぬところへの反応が返ったものの、声音は愚痴の調子を抜けていたのでひとまずほっとし、出た話題に乗る。あの日飯田と同チームであった轟にはより記憶も鮮明なのだろう、数度に渡って頷き、口を開いた。
「あのあと、あいつ保健室で」
「うん」
「……いや、なんでもない」
「え?」
 言いかけてやめるなど、いつも率直な轟にはやはりなかなかない仕草だ。思わず声漏らして見返すと、ふいとわずかな気後れをにじませて目が前へそらされる。次いでほつりと声。
「お前だって、あいつとふたりでしか話してない秘密とか、あるだろ」
 んんん? とさらに瞠目して隣を見つめる。いつもの端整な無表情に、ほんのかすかににじむ色は、もしやすると拗ね、なのだろうか。
「い、いや、どうかな? 飯田くんはあんまり隠し事とかするタイプじゃないし……僕もそんな大した話題とか持ってないしさ!」
 また愚痴が復活する気配を感じ、慌てて当の不在の友だちのごとく手を振って否定する。前者は嘘ではない。今思い返しても少し胸を痛ませるあの特大の隠し事から始まった事件のあと、飯田はおそらく意識して積極的に自分の状況や考えを共有してくれるようになった。そもそもは公明で誠実な人間なので、よりそれが深まったと言える。そうした態度はきっと轟に対しても同様だろう。後者はそれこそ特大の秘匿事項があるためあまり胸を張れないが、その隠し事に関しては飯田にも打ち明けられないものであり、多少ずるいがこの場合の返事としてはやはり嘘ではない。
(ん? この轟くんの反応って、裏を返せばつまり『あの日の話は俺たちふたりの秘密だ』ってことだよな)
 それって、と考えを整理する間に轟はひと口蕎麦をすすり、そうかと短く相槌を打った。どうやら鵜呑みにはしてくれなかったらしい声だが、あったとして秘密事を追及しても仕方がないと納得したようで、代わりに続いたのはこんな言葉だった。
「俺とこうやって飯とか食うようになるまで、あいつとどんな話してた?」
(やけにぐいぐい来るな今日の君!)
 好奇心旺盛な小学生に付き合っているような気分になりつつ、勢いに押されるがまま回想する。とは言えこうして三人で共に行動するようになったのは例の事件後なので、思い返せば意外に高校生活序盤である。当初は他人に関わらなかった轟も入学初日からクラスメイトではあったからして、と考えると、確実に知られていないのは。
「そうだな……前にちょっと言ったことがあった気もするけど、僕、飯田くんとは入試の会場が同じだったから、そこで少し話してるんだ。話してるというか、その時は注意されただけなんだけど」
 しかも二回、と頭を掻く。思えばあの時は「怖い人」という認識しかなく、同じクラスにならなければいい、などと考えたものだ。仲良くなった今になって振り返ると少し笑ってしまう思い出である。
「中学生の飯田……」
 轟がぽつりと思わしげに呟き、どんなやつだった、と訊ねてくる。
「えっと、やっぱり凄く真面目で、見た感じも今とあんまり変わってなかったかな? 一年も経ってないしね」
 制服も雄英と同じブレザーで、あとは確か、と記憶を探り、
「あ、そうだ。青のトレーニングウェアを着てたんだ。文化祭のダンスの練習の時に同じのを着てて、前に見たやつかなと思って飯田くんに訊いてみたんだっけ」
 お兄さんの事務所と提携したメーカーのウェアだって言ってた、と頭の中のメモをめくりながら語ると、轟はああと頷きひと言返した。
「あのぱつぱつの目のやり場に困るやつか」
「う、うん。ぱつぱつはまあ、ぱつぱつかもだけど……」
 確かに身体の線が出るフィットタイプのウェアで、飯田の鍛え上げられた筋肉が浮き出て見えるのを周りから凄い凄いなんて軽い冷やかしまじりに褒めそやされたりしていたものだが、目のやり場に困るという声はなかった気がする。ヒーローコスチュームにはままあるスタイルで、クラスメイトにも数人いるし、それこそオールマイトや、轟の父エンデヴァーも似たようなものでは、と思ったものの、指摘する勇気はなかった。
「中学生が着たら危ねぇやつじゃねえのかな」
「ど、どうだろう……」
 耐久性がとかそういう話じゃないんだろうな、ともはやおおよその事態を把握し始めた出久は、勢いを増しつつもおそらくは自身の心情を把握していない友人が無意識にばら撒いている地雷を踏み抜いてしまわないよう、慎重に言葉を探した。下手なことを言って友だちふたりの関係を揺らがしてはならない、と頭を抱えかけたその時、
「やあ緑谷くん轟くん、やっぱりまだ食べ終わってなかったな」
 頭上に声が落ち、そろって振り向く。まさに話題の中心であった人物が、そうとは知らずにこやかに手を上げて立っていた。
「飯田」
「飯田くん、早いね! ミーティングは終わったの?」
「それが先生の前の授業が長引いて中止になってしまってね。昼食を取るだけになったから食べ終えてすぐ中座させていただいたんだ。午後は直接運動場へ向かうから」
 二人がいたら同行させてもらおうと思って来たのさ、と笑う。委員長仲間たちとの場に残るでなく、さっさと演習の場へ向かうでなく、自然に自分たちのもとへの寄り道を選んでくれた行動を嬉しく感じたのは、当然出久だけではなかっただろう。何やらせわしなく食器をいじる音が聞こえたかと思うと、轟はやにわにテーブル端の席を立ち上がり、出久と飯田がきょとんとして見つめる間に盆を持ってつかつかとそのあいだを抜け、出久の隣に並んで空いていたふたつの椅子のうち、奥側を選んで腰かけ直した。必然、真ん中にできた空席を叩き、言う。
「飯田ここ座れ。茶ぁ飲むだろ」
「うん……?」
 飯田の相槌に疑問符が付いたのも無理はない。予鈴まではまだ十五分ほどあるから座らせるという判断は間違いないとして、轟がわざわざ立ち上がるまでもなく、出久の隣の空き席にそのまま座れば済んだ話である。当人はやはり妙なことをしたなどという顔も見せず、麦茶の入ったピッチャーを手元へ引き寄せている。
 ここまで来れば心境のわかりやす過ぎる行動に、自分はノーコメントを貫きつつ無性にはらはらとしながら次の反応をうかがっていると、
「ありがとう轟くん。一杯頂いていくよ」
 洒落の通じなさに定評のある生真面目な委員長がぱっと爽やかな笑みを浮かべ、勧められた椅子にそのまま座ったので、凄いや飯田くん、と出久は心の中で喝采を送った。中でどんな思考を辿ったのかはわからないが、奇妙な行動は指摘せずに流し、気遣いは感謝して受け取る、ということで決まったらしい。轟の意図は察していないまま、おそらく半分がたは天然の判断で見事に最適解を選んでみせたようだ。
 嬉しげな轟の顔を横目で確認しつつ、さすが僕らの委員長、と内心で続けて賛じていると、おや、と声をかけられた。
「緑谷くん、あまり減っていないじゃないか。大丈夫かい」
「え、あ、うん、大丈夫!」
 丼の中が半分残っているのが見えたのだろう、食欲がないのか、気分でも悪いのかと心配の目を向けられて、前科があるだけに焦って首を振った。ひとつ向こうの轟の視線が痛い。君だって何かあれば心配してもらえるじゃないか、僕だけが特別なわけじゃないぞ、とは言えないので、代わりに理由を述べる。
「ちょっと話に集中しちゃって」
「ほう。どんな話をしてたんだい」
「お前の話してた」
 集中してというか驚きに気を取られてというか、とはやはり言えない出久の食事の進みに気を遣ってか、飯田はほぼ食べ終えている轟へ問いを向け、轟はごまかさずにあっさりと答えた。
「俺の話?」
「おう」
「あ、悪口とかそういうんじゃないから安心して!」
 丼の底に落としたままだった豚肉を急いで口へ放り込みつつ、後ろからフォローを入れる。なんだか照れるな、と頬をかいた飯田の反応をどう捉えたのか、轟は端的な言葉を続けた。
「お前だって、俺とふたりの時は緑谷の話ばっかするだろ」
 そうなんだ? という感想と、おおっと、という感想が同時に心中に漏れた。どうやら積もり積もったものがあって今日のあれこれの話となっていたらしい。頬ではなく見えない餅をぷくりと膨らませた友人に、何も知らない友人は小首を傾げて無垢に応える。
「そうだろうか。まあ不在者の話をしてしまうのは普通のことだろうな。悪口や陰口になるとよろしくないが……俺と緑谷くんふたりの時は、やはり轟くんの話を良くしているんじゃないかな」
「……そうなのか?」
「うん、そうだね!」
 多少の不自然さは厭わず全力で肯定した。雄英に入るまで友人と呼べる友人のいなかった自分も、穏やかな顔で不意に爆豪以上の爆発物を会話に持ち出すふたりのお陰で、だいぶ人間関係における処世術が上達したのではないかと思う。だがとりあえず、この甘いのか酸っぱいのかしょっぱいのかなんとも言えない空間は、早めに脱してしまいたい。
 そうか、と近ごろようやくはっきり見て取れるようになった喜色の笑みを浮かべる、クールなようで実はかなりの情熱家らしい友だちを出久は純粋に応援する気持ちでいるが、
「でも麗日がいたら俺の話しないよな……」
 などとなんとも返しづらい爆弾を(それは確かにそうだったりするかもしれないけど僕と麗日さんと飯田くんはそれこそ最初の友だちで三人でいるとそれだけで安定しちゃうというかやっぱり少し特別というかでも君を仲間外れにしてるってわけじゃなくて!)このタイミングで放り込んでくるのは勘弁してほしい、と、今日は妙にだし汁の甘く感じる米をかき込みながら、もうしばらくのあいだは自覚なしに餅を焼く彼の火が穏やかであるように、ひそかに願った。


end

NOVEL MENU