オツカレアイドリング
その日、ヒーロー・ショートこと轟焦凍は大変疲れていた。疲労困憊であった。
夜明けとともに家を発ち、事務所に到着するや否や、腰を落ち着ける暇もなく強盗事件の発生と支援要請の報が飛び込んで、緊急出動の運びとなった。近隣のチームとともに逃走と潜伏に特化した個性を有する三人組のヴィランを追い、索敵要員を複数名動員してなお半日がかりの大捕り物を繰り広げ、最後の一人を確保して警察へ引き渡し完了、さて戻るかというところで、今度は工事用ロボットの暴走事故に行き遭った。居合わせた工員と通行人の避難誘導を行いつつ、大型ヴィランもかくやという勢いで暴れ回る一般住居並みの大きさのロボット三台を氷漬けにして鎮圧し、ようやくひと息、と思えば次は集まったヒーロー同士で揉めごとが勃発。知名度だけを頼りに仲裁に駆り出されたものの、明らかに向かない仕事に時間ばかりが無為に失われていき、折衝の得意な知人を見つけ後を任せて逃げるように帰路に就いた時には、既にとっぷりと陽も暮れていた。
そこでお疲れ、解散、となればまだ少々の雑事はあれども胸を張るべき充実のヒーローの一日、と題されて終わる望みもあったのだが、事務所のデスクで轟を待ち構えていたのは、朝からの多忙の中に忘れた無情の現実、早出して片付けるつもりでいた未処理の事務仕事の山であった。ショートさん明日も朝からでしたっけ、と横からさらなる非情を思い出させてきた後輩を弾みで本日四つ目の氷のモニュメントにしてしまわなかったことこそ、その日一番の成果と言って良かったかもしれない。
半ばやけになって全ての庶務を片付け、家へ帰るまでの途上の記憶はほぼなかった。全身疲れたの塊と化し、動物的本能でもって休息だけを求め帰巣した、という有り様であった轟は、さらにひとつ、重要な現実を忘れていた。
緩慢に鍵を回し、重たるい動作で引き開けたドアの向こうからすぐさま飛んでくる、時間気遣って控えめながらも通り良い声。
「お帰り、轟くん」
ルームシューズの音がぱたぱたと廊下を早足に寄ってきて、重力に負けるまま地面を愛でていた顔を上げた瞬間、光に目が灼かれた。イケメンヒーローランキング(女性誌調べ)殿堂入り目前の男にあるまじき中央皺寄せ顔を披露するのに構わず、きらきらと後光、ならぬリビングのLED光を背負って玄関へ参じた同居人は、照明の何倍もまばゆい笑みとともにねぎらいの言葉を発する。
「今日は朝から大変な活躍だったそうだな、お疲れさま。君もほかの皆も大きな怪我はなかったようで何よりだ」
真心のこもる声で言って、自然に広げ示された腕の中に、一も二もなく飛び込んだ。無情で非情な現実は尽きねど、家に帰れば愛するパートナーが待つ幸福もまた現実。どうだお前ら俺んち飯田がいるんだぞ。理想の結婚相手ランキング上位常連ヒーローのお出迎えを頭の中で思い切り自慢してやれば、逃げ足ばかり速いヴィランもロボットの欠陥を隠した技師も下らない諍いをする同朋たちも、ついでに明日の休みは彼女とデートなんですと口を滑らせ、轟ではなく同期のサイドキックに半身凍らされていた事務所の後輩も大目に見てやれるような気がした。
「……つかれた」
「ああ、お疲れ」
滑りの悪い舌で心底からの念をこぼしつつ、手加減のない強さでぐりぐりと肩口へ額を押し付けても、鍛えられた身体は微塵も揺らがず、回し返した手で轟の背をぽんぽんとやわく叩き、頭を優しく撫でてくれる。心地良さに喉が鳴るようで、与えられる労りにしばし本能のまま身を預ける。
真面目な堅物であることは間違いないうえ、エリート一家の生まれという出自も合わさってか、飯田は心身両面で潔癖症のように捉えられがちなところがあり、同居を始めて以降、いったい家でどんなやり取りをしているのか、ずばり言って恋人としての振る舞いはどうなのか、と好奇の問いを向けられたのは一度や二度のことではない。実際のところを言えば、遅く生まれた末子であり、ひと回り以上歳下の弟であるという環境で愛されて育った飯田は、むしろ学生時分から人との触れ合いに抵抗のない人間だったと記憶している。手を握る頭を撫でる肩を組む抱きしめる、などのひと通りのスキンシップは自ら動いて実行していたし、礼儀を失さないと判断される場面であれば、食べ物の分け合いや回し飲みにも寛容だった。
そうした親愛表現をただ喜んで享受していた轟が、「あいつは周りの誰にでも公平に寛大過ぎやしないか」、「俺を親友だ恩人だと言うならもう三割ばかり多く頭を撫でられる権利があるのではないか」、「なんなら俺もクレープだかなんだか知らねぇけど半分分けながら食べるとかしてみてぇんだが緑谷おい聞いてるか緑谷」と不平や欲求を表出させるようになった果てが今の関係であり、とどのつまり触れ合いは初期からの標準装備である。TPO意識には厳しい飯田であるのでいつでもどこでもとは行かないが、こちらが求めずとも進んで手を差し出してくれる――といった事実を、先のような不躾な問いに正直に答えたことは一度もない。なら我も、などという不届き者が現れた日には、出るところに出ねばならなくなる。法廷ではなく決闘場あたりに。
ハグによるストレスの軽減効果は研究で実証されているそうだ、と面映ゆげに前置きしつつ実践に及んできた日から幾星霜、今夜も轟は名も知らぬ研究者に感謝を捧げつつぬくもりを堪能していたが、さすがに靴も脱がずに廊下の前に留まり続けているわけにも行かず、ぽん、ともう一度背を叩くのを終いの合図のように、飯田が腕ゆるめて問いかけてきた。
「夕飯もシャワーも済ませてきたんだろ。今日はもう寝てしまってはどうだい」
んん、と唸ってドアを開ける直前に確認した時刻を思い出す。確か十時を少し過ぎたところだった。床に就いておかしな時間ではないが、誘いではなく勧めの言葉であったことが気にかかる。
「お前は」
「俺はもう少し用を済ませてから」
「じゃあ俺もまだいい」
「大丈夫かい?」
「おう」
今日は食事も何も共にできなかったどころか、起床の時間も合わなかったため、まともに声を交わすのですら今が初めてなのだ。明日もお互い朝から仕事の身、就寝前のひと時ぐらいは並んで過ごしたい。書類仕事の合間にかき込んだ海老のやたらでかい天ぷら蕎麦で腹は満たしたが(やべぇ昼も夜も蕎麦だった黙っておこうと改めて思い決める)、疲れ身に必須の栄養素が足りていない。端的に言えば深刻な飯田不足である。
飯田は気遣わしげな顔を浮かべたが、腕ほどいてなお胸元に懐いてくる恋人の甘えを優先しようと決めたのだろう、それ以上の逡巡は見せずにそうかと頷き、まずは靴脱いで手洗いを済ませてくるよう轟を促した。自分専用抱き枕、もとい広い胸と懐から一時でも離されるのを動物の本能は拒んだが、ここで無用にごねれば委員長モードが召喚されてベッドへ一直線である。いつの間にやら受け取られていた荷の運搬を礼とともに改めて頼み、重い足を動かして、おとなしく言葉に従い洗面所へと向かった。
手洗いうがいを済ませ部屋着に着替えてリビングへ入ると、飯田はこちらを振り向いてよしよしと笑って頷き、ソファの奥側へ寄って轟の座るスペースを空けた。轟の帰宅前に進めていた「用」に関わる品であろうか、前のローテーブルにはノートほどの大きさの箱と冊子、そしてタブレットのような端末が置かれている。
明るさに誘われるままぽてぽてと隣まで歩いて行って、空けられたスペースに座りかけたが、ふと動物の本能が甦り、直前で足を止め、呼びかけた。
「飯田、ちょっと立て」
「ん?」
小首傾げながらも依頼通りに立ち上がった相手を差し置き、ソファの中心に腰かける。そうして再度呼ぶ。
「ここ座れ」
「ああ、うん」
また素直に応じてこちらの指し示した空間、轟の左右の足の間に、自分の背と轟の胸が前後に触れる距離で腰を下ろしてから、飯田は今度は大きく首を傾げた。
「……うん?」
「ん」
俺が言うのもなんだが言う通り動いちまってからおかしいと思っても遅いんじゃねぇか、と差し入れかけた言葉を吞み、満足の頷きだけを返せば、数秒の沈思を挟んでまあいいかと結論したらしく、首の角度が元に戻る。さすがに普段からここまでとぼけてはいないので、甘やかし気分が続いているのだろう。だろうと思いたい。もし家の外でこんな無防備な行動を取っていたなら、一度膝突き合わせての話し合いが必要となる。
ともあれ望んだ体勢となり、望んだものを間近に得たので、当座のところは良しとして、広い背に貼り付き、腕を前に回して再び抱きしめた。廊下では顔を預けていた魅惑の部位、脱いだら凄いヒーローランキング(ネットメディア調べ)に昨年初めて名が挙がった(いつどこでバレたんだと大変ショックであった)雄っぱい、もとい鍛え上げられた胸筋が今度は手の触れる位置に来たため、躊躇なく掴む。もにもにと程よく指の沈む魅惑の触感である。
「やわけぇ」
素直に感想を述べると、うーん、と飯田は咎めるでもなく首をひねった。
「君、これが俺の胸筋だからいいが、もし女性の乳房であったなら完全に痴漢かセクハラだぞ?」
「いや女の胸だろうがお前の胸筋だろうが痴漢だろ何言ってんだ。ほかの誰かにされたら即脇腹にヒジ入れて背負い投げしろ」
「ええ……」
早口に言い含め、飯田の一本背負いは綺麗なもんだったな、とひと通りの格闘術を習った学生時代を回想する。高速の走りと蹴りの印象は当然に濃いが、単純な膂力も十二分に強い飯田は、そこらの不埒者に力づくで簡単にどうこうされるような人間ではない。しかし他者への基本姿勢が隔てなくポジティブスタートで猜疑心が弱いため、身にかかる火の粉を火の粉と認識しないことがあるのは大変問題である、とは彼のチームメンバーたちとも共有する見解だ。何か事が生じた際のホットラインは今や万全に構築されている。
動物的本能に従ってもにもにと胸を揉みつつ、しかし不埒の輩との一線は引くべく霊長類的弁明もしておこうかと、疲労した脳で言葉を探した。
「俺のこれは、あれだ。安全毛布、だかなんだか」
「防災用品のようだな……安心毛布のことかい」
「それだ」
どこぞかで仕入れた知識をあやふやで口にし、情報源である可能性が高い相手に正されつつも頷く。物への執心を指すセキュリティブランケットの訳語であるが、愛着の対象は毛布や布団に限らないらしい。すなわち、
「安心胸だな」
「語感が悪いなあ」
相当お疲れだな轟くん、と指摘を受け、つかれた、と再度心底から肯定する。
「疲れた時には胸を揉むといいんだろ」
「先月の峰田くんと上鳴くんとのチームアップが原因かなあ」
俺も複数回やらかしているからあまり偉そうなことは言えないが、彼らのその手の話は半分程度に割り引いて聞きたまえよ、と訓告を述べる飯田は、一方で轟の手遊びを叱らずされるがままでいる。どうやら変態扱いの憂いはなさそうであったので、指の制動は本能へ任せ、話をようよう前へと転がすことにした。
「で、何してたんだ」
広い肩に顎乗せて机上を見やりながら問うと、
「写真データの整理をしてたんだよ。なかなか暇がなくて、葉隠くんから戴いたフォトフレームがそのままになってしまっていたろ。せっかくだから雄英で撮った写真を飾ろうと思って」
そんな答えが返り、ほら、と手に取り上げ電源を入れた端末に、学生時代の旧友たちとの懐かしい光景が、数秒ごとにフェードしながら次々と映し出された。現像不要で三桁枚の写真を一度に飾ることのできるデジタルフォトフレームは、なるほど語る思い出の尽きない日々を納めるにはもってこいの代物である。
「選ぶのだけでひと苦労なんじゃねぇか」
「そうなんだ。何しろ量が多いもので……とりあえず携帯から一行事分ずつまとめて送ってしまって、端末側で表示の確認をしながら選ぶようにしているんだが」
写真データは当時から今に至るまでA組共有のクラウドアルバムにこぞって保管しているので、種がなくなるということはまずあり得ないが、その分だけ選定は骨だ。どうやら事前にざっくりと候補を絞っておいて、改めて轟に確認しようとしてくれていたらしい。相も変わらず仕事のできる委員長である。
「一年の春から初めてようやく二年の冬まで来たところだから、さすがに今夜中には終わらないな」
「冬の写真なのか、それ」
画面に写った旧友たちはみな半袖やタンクトップにハーフパンツといった薄手の装いで、とても冬の画には思われない。ああと飯田が頷く。
「正確には晩秋の頃かな。憶えていないかい? これは二度目の那歩島での写真だよ」
こっちのほうがわかるか、と数枚スライドさせて現れた、自分含むクラスの仲間たちが色違いの服を身に着け、真っ青な海を背景に立っている写真を見て、轟の頭にも当時の記憶が甦った。
一年次にヒーロー育成プロジェクトの一環で訪れた常夏の島、那歩島は、その時こそ不幸にも強力なヴィランの襲撃という非常事態に見舞われてしまったものの、留置施設などのない離島だけに、例の大戦での直接的被害は少なかった。そして大戦終結後、雄英生たちが全国を行脚して復興活動を行っていると知った島の住人たちが、かつてヴィランを退けたヒーローの卵たちへの恩を返したいと、ひと時の慰労滞在に雄英関係者を招待してくれたのだ。揃いのアロハシャツまで用意してあたたかく迎えてくれた住人たちの厚意に、感激屋の委員長・副委員長のみならずクラスの多数が涙していた光景が思い出される。
「みんな楽しそうだな……復興活動の頃は心身とも疲弊が激しくてクラスの雰囲気も沈みがちだったから、島の皆さんの心遣いが本当に有難かったよ」
しみじみと語って眺める画面には、水鉄砲を手に暴れる切島、上鳴、爆豪の三人、ビーチバレーに興じる蛙吹と麗日、オールマイトを象った特製のアイスに目を輝かせる緑谷、住人にウクレレを教わる耳郎と日傘を手にそれを眺める常闇と半身の黒影、浜で昼寝をする相澤と隣でかき氷を食べる心操の師弟、特別の招待により久方ぶりの再会となった青山始めその他波打ち際ではしゃぐ面々など、思い思いに季節外れの海水浴を満喫するA組の仲間たちが順に映っていく。と、幾枚目かでサーフボードを抱えた紅白頭と、浮き輪を持った眼鏡の委員長のツーショットが現れて、飯田は画面をタップし自動送りを止めた。
「君、意外にサーファー姿が様になってたなあ」
「波乗りなんざほとんどしてなかったけどな」
轟ちょっと持ってみて、うわイケメンはなんでも似合うわー、などとはしゃぐ芦戸たちに渡されたボードをそのまま持ち運んでいたが、高波のほとんど出ない日であったため、サーファーの真似事もそこそこに、ビート板代わりにして浜と沖の中間のあたりで飯田とのんびり浮いていたのを憶えている。
「そういや筋肉が多いやつは浮かねぇとか言うけど、実際どうなんだ?」
「筋肉だけで考えれば比重が水より大きくなって浮かないのは確かだが、人体の構成上脂肪やその他の臓器があるし、肺に空気も溜まるわけだから、まったく浮かないなんてことはないぞ。まあ極端に筋量が多く体脂肪が少ない場合は反対の場合に比べて浮きづらくはなるだろうが」
「お前ずっと浮き輪使ってたよな。じゃあ筋肉じゃなくてエンジンのせいか」
「ああ。脚が偏って重いから、泳いでいないと下半身が沈んでしまうんだ」
なるほど、と頷く。水泳や水難救助の授業などの際はそれこそほぼ常に泳いでいるし、元の身体能力の高さに加えエンジンによる推進力もあって泳ぎはむしろ速いほうであったので、そうした事情には思い至らなかった。ではこの海水浴の時にそんなことは考えなかったのか、雑談の種にでもしていそうなものだが、と思い返してみると、この時期はちょうど飯田にとっての自分と自分にとっての飯田、という関係に特別を見出しかけては首傾げて思量にふけるばかりの頃で、そばにいようと努める一方、相手から強い刺激を受けるのを避けようとしていた記憶に行き当たる。
もっと肉眼でじっくり見ておけば良かった、もったいない、などと埒もなく考えつつ色違いのシャツを着て並ぶ姿を眺めていると、ふふ、と顎乗せる肩が笑いに揺れた。
「どうした」
「いや、君は憶えているかな……この日、海から上がって宿に帰ったあと、熱くなってしまっただろうからと個性を使って俺の脚を冷やしてくれたんだよ。ほかの連中に見つかるとねだられてうるさいからなんて言って、ふたりで隅の部屋に隠れて」
俺のエンジンは普通の暑さぐらいじゃなんともないんだが、嬉しくて甘えてしまった、と確かな情の宿る声で語りながら、胸に置いたままでいた轟の手にそっと自分の手を触れさせる。
「白状すると、俺はあの頃から君のこの前腕の形がうつくしいななんて思っていたよ。トレーニングの時なんかに特に意識しているとは聞かなかったから、個性柄自然に鍛えられたものなのかな。君の思うところと同じかどうかはわからないが、ずっと俺にとっての安心の形だった」
「マジか。全然気付かなかった」
「言わなかったし、言えなかったからな。まだ自分の中の気持ちがはっきりしなくて、まさかだろうなんて考えていたりして……この時久しぶりに腕を出すような薄着になって、それどころか脚に触れられて、俺は少しどきどきしていたよ」
若かったな、とおかしみと照れとを混ぜた笑いをこぼし、服の上からその形を確かめるように轟の腕を辿る指のやわらかな所作に、疲れた心身が融け崩れるのを感じた。もにり、とお返しに(なっているかどうかは定かではないが)胸を揉み、想いの丈を吐き出す。
「そうか……飯田、結婚しようぜ」
「してるんだよなあ」
「してたか、そうか……」
「実はそうなんだ。このフォトフレームもそのお祝いにもらったものだし」
「そうか。俺よくやったな……」
世間も認める高嶺の花に見事手の届いた幸運を胡乱な言葉とともに噛み締めると、本当にお疲れだな、とまた笑いが鳴る。触れ合う身体からくすくすと伝わる揺れが心地いい。
優しい音に惹かれ、胸から離した片手を頬へ添えてそっとこちらへ振り向かせてやりながら、
「天哉」
そう、時たまに使うようになった名を呼べば、耳先をかすかに赤らめて、焦凍くん、とひそやかに応えが返る。
「キス」
「してくれるのかい?」
「ん」
したいと思ったのはこちらなのに、そんな言葉を使って微笑をくれる伴侶が愛おしくて仕方ない。宣言通りに口付け、唇と舌をやわく擦り合わせながら、残した片手で胸元から腹までを撫ぜ下ろすと、ン、と甘い息が肩口にこぼれた。
しばし陸み合ってから、返る答えを先に知るだけ深くなるため息をはあと落とす。
「……シてぇ」
「駄目だぞ。明日はふたりとも早いんだから」
「わかってる……」
予想に違わぬ返答には逆らわず、せめても幸福を長く味わっていようと、今度は腰へ両腕を回し、体重をかけないようにと前傾していた上体をぐいと後ろへ引き寄せ、背をこちらの胸にもたれかけさせてやって、全身を余すところなく触れ合わせた。
「重くないかい?」
「安心の重みだろ」
「ふふ」
そうかと言って端末をテーブルに置き戻し、空になった両手を腰に巻いた腕へと重ねてくる。軽く揉むのは艶気ではなく眠気を誘う慰撫の指で、どうやら忠告に逆らい強引に寝室へ連れ込んだところで、ものの数秒で寝かしつけられる落ちが待っていたようだ。
「つかれた。ねみぃ……」
盛大にあくびして首筋に頬をすり寄せ、心底の念をこぼす。
「寝てしまってもいいぞ。あとでちゃんとベッドまで運ぶから」
「横抱きはやめてくれ。ダメージ喰うから……」
「このまま背負い搬送するよ」
なら安心だな、安心だろう、と胡乱に頷き合い、鳥が啄ばむごとく耳やこめかみに口付けてはくすぐったいと揺れる広い背と肩にあやされて、とろとろと眠りの淵を漂う。
次に休みが重なるのはいつだったか、今日の分までこの手でベッドに捕らえ囲って存分に啼かせてやろう、などと不埒を考えたのが気取られたのかどうか、下腹をまさぐった指が肘打ちの代わりに軽くつねられたが、伝わる痛みはただ甘く、秘めた期待をひそやかに行き交わせさせるだけだった。
Fin.