ハッピーリングホルダー


 がちゃん、ばたん、と玄関のドアが開閉する音が聞こえて、珍しいなと轟は手にした雑誌から顔を上げた。廊下をぱたぱたと早足に歩く音さえ耳に届き、何事があったのだろうと想像を巡らせる。
 身体に比例して声も動作も大きな飯田だが、当人の性格と育ちの良さもあり、不相応の場で騒音を立てるようなことはほとんどない。戸の開け閉てなども静かなもので、今日のように轟が先に帰って待っていても、リビングの戸を抜けながらのただいまの声まで帰宅に気付かないことが多く、飯田が時折してくれるように廊下まで出迎えに行きたい(まさに新婚といった風情で嬉しいと思っている)側としては、やや不都合な習慣である。
 待つあいだにソファでうたた寝してしまったのを、いつの間にか帰っていた相手にじっと見守られていたことさえ既に幾度かあった。すぐに起こしてくれと不服を申し立てると、仕事を頑張って遅く帰った時の役得だから、と愉しげに断られてしまった。ならば自分も同じようにしてくれればいいのに、真面目で品行方正なヒーローはリビングでの居眠りなど滅多にしない。まったく不公平な話である。
 閑話休題。そのように日頃は玄関ドアを無用に鳴らさない飯田であるので、聞こえてきた音には何かしらの所以があるはずである。たとえば荷物で手がふさがっている――ということはなさそうだ。荷を一度降ろして開けたドアを固定し、運び込んでから閉める、という手間を惜しむ性格ではない。ドアの建付けの問題、は轟もつい一時間前に開閉したばかりなのでまず起きないだろう。
 とすると、と、推理の時間は五分にもならず、リビングの戸ががちゃりとまた音立てて開いて、答えを呼び込んだ。
「おかえり」
「ただいま、轟くん!」
 ほんの少しだけ身構えて振り向いたのは、ほんの少しだけ「機嫌が悪い」という可能性が頭をよぎったためだが、どうやら杞憂であったようだ。むしろ、返った声も向けられた表情も、その真逆の様子を示していた。
 椅子から立ち上がった轟にまっすぐ歩み寄ってきて、広げた腕の中に素直に収まり、ちゅ、と自ら〝ただいまのキス〟をくれる。にこにこと、それこそ音の出そうな笑みの上へこちらからもキスを返し、気の向くまま二度三度と唇や口のを啄ばむと、くすぐったい、と笑って顔を離した。
「機嫌いいな。なんかあったのか」
 腰を抱いたまま問いかける。飯田はもともとテンションの標準値が高めの位置にあり、ものの見方や接し方もポジティブな人間であるため、長時間不機嫌でいたり鬱々としていたりすることはごくまれで、プラスの態度でいることのほうが圧倒的に多い。だがここまで上機嫌でいるのはさすがに珍しい。食事は外で済ませているはずだが、酒を吞んで酔っているということもなさそうだ。
「ああ。いいことがあったんだ」
 頷き、当ててみるかい、と返してくるので、これは相当だと少し驚きが湧いた。同時にぬくみが湧くのも感じる。真面目が過ぎて遊び心がないと揶揄されがちな飯田は、まあその通りの性格ではあるが、それでもごく近しい人間に対しては、時折こうしてささやかな稚気を見せてくることがある。同レベルで遊び心に欠ける轟に初めてそれを覗かせた時には驚いたものだし、年々その機会が増えるのは嬉しいことだ。
「当てたらなんか賞品出るか?」
「え? うーん」
 そう来たか、と言いたげに少し目を丸くさせつつ、すぐに口角が上がって、上機嫌の様子は続いたままだ。相手にも同じ感慨があるのだろうとわかり、それもまた嬉しい。
「そうだな……じゃあ何かひとつ君のお願いを聞こう。常識の範囲で」
「俺の常識とお前の常識じゃ色々違わねぇか」
「そこはすり合わせが必要だな」
 大きく出つつ但し書きも大きい。逃げの余地を残しているというよりは、当たらぬものと思っているからこその不公正案のようだ。あえて不満はこねずにわかったとひと声で請けると、意外げに目が瞬いた。
 揺れる赤を覗き込み、
「A組の誰かに会ったんだろ」
「ん?」
「麗日あたりだろ」
「あれっ?」
 短く言い連ねれば、見る間に表情が驚きに染まる。一周回って心配になるほどわかりやすい反応だ。小さく噴き出した轟に、はっとした様子で腕上げて抗議してくる。
「君、さては知っていたな?」
「知ってたわけじゃねぇけど、たまたま昼に配置表見てた」
 都内で開催されている国際会議の運営支援のため他県からも応援が入る、という連携情報の中に配置名簿があり、先にウラビティの名を見つけた。イダテンにも警備の支援要請が来ているという数日前の飯田との会話を思い出し、ひょっとするとどこかで会っているかもしれない、と想像していたのだが、見事に的中したらしい。
 素直に当たったとするのは納得行かないが、不正とまでは言い難い、といった顔で眉寄せるのを見て笑いを噛みつつ、無効試合ってとこか、と自ら譲って、尖らせた唇にもう一度口付けてから腰に回した腕をほどいた。ぜひにも勝敗を決しようと意固地になるほどの賭けではないし、そも日ごろから轟の我がままに甘い飯田が叶えてくれない「お願い」など、そうそう生じるものではないのだ。口論にもつれこんでまで強引に権利を得ずとも、仕方がないな、と笑って許される範囲でそのたび願い求めるだけのことである。
 こちらがさっさと引いたため飯田も面倒な議論は無用と決めたらしく、腕を引いて誘えば問いを蒸し返しもせず素直についてくるので、いつものように並んでソファに腰を下ろした。夕食は共に外で済ませてしまっており、残した家事もない。おそらく「会った」だけで終わるものでもないのだろうこの報告談が、就寝前の最後の用事となりそうだ。のんびりと寄り添うにはおあつらえ向きの時間だろう。
「麗日に会うのは久しぶりなんじゃねぇか」
 こちらから続きを促せば、そうだな、と頷きが返った。
「メッセージのやり取りはあるからあまりそんな気もしていなかったが、確か前回顔を合わせたのは昨年の夏だったかな」
「もう半年か。俺は一年以上会ってねぇかも」
 住居も活動拠点も離れており現場を同じくする機会が少ないうえ、二人で個人的な会話をする仲でもない。とは言え飯田も語ったように、元雄英A組のグループチャット内ではそれなりに名前を見る相手なので、疎遠になったというほどの感覚もなかった。旧友たちのやり取りを眺めるだけになりがちな自分を向こうがどう思っているかはわからないが――などと考えたのを読み取ったようなタイミングで、飯田が言う。
「上がりの時間が重なって一緒に夕食を取ることになってね。近況を訊き合うことになったから君も元気だと伝えておいたよ。轟くんの顔はテレビやネットで毎日のように見ているから、一年会っていない気がしないと言っていた」
「そうか」
 麗日のことだ、皮肉などの含みもなく純粋な感慨として語ったものに違いない。自分が彼女から何かしらの苦言や忠言をされることがあるとすれば、ともに暮らす飯田がそれにより不利益をこうむっていると感じさせた時ぐらいだろう。
 雄英在学中から仲の良かった飯田と麗日は、今も親しい友人関係にある。顔を合わせる機会そのものは轟と同じ理由であまり多くもないようだが、現場が重なれば今日のように二人で話した食事をしたという報告があるのがお決まりだ。
 ともに名が知られてきた頃、色めいた仲を勘繰るメディアの話題に持ち出されたこともあったが、当人たちがあっさりと否定し、その後も下手に距離を取ることなく、揚げ足取りよりも漫才的な突っ込みを要する兄妹のような親しさを披露し続けた結果、逆に周りが毒気を抜かれる形で噂が沈静化する、という展開を見せたのも学生当時の再現のようだった。ほどなくして轟と飯田が婚約を世へ公表したためそうした話も立ち消え、最近ではむしろ「恋愛の一切絡まない男女の友情」といった概念を好む一部層からペア人気が高まってきている、というのはイダテンの広報から流れてきた情報である。
「昨年の秋から講習で月に一度ほど九州のほうに行っているそうでね。お土産をもらったんだ」
 そう言って飯田は羽織っていた丈長のカーディガンのポケットを探り、それただの飾りじゃなかったのか、と思うような小さなポケットから、小さな紙袋を取り出した。薄青色の地にストライプの模様と店の名前らしき文字の入った、いかにも「お土産」然とした袋の口が丁寧に開かれ、くるりと天地を返して手の上に転げさせたのは、犬と猫、二種の動物型のマスコットだった。
「キーホルダーか?」
「ああ」
「九州のなんかなのか、これ」
 ご当地キャラか何か、にしては衣裳や小物などの目立った特徴も持たず、なんの変哲もない犬と猫といった様子である。同じシリーズの商品ではあるようで、絵柄と言うのか全体のデフォルメ具合は似ているが、ほかに意味のありそうな要素は見出せない。
 そうした方面への知識が薄い轟が知らないだけで、すぐに意外な事実が判明する、かと思いきや、飯田の答えは淡白だった。
「たまたまあちらの店で見つけただけで、特に土地の由来などはないとのことだ」
「じゃあなんなんだ」
「うん、君もわからないか」
 俺も初め全くわからなかったんだよ、と笑うので、ならば当ててやりたいところだと、対抗心をもたげさせて再度飯田の手の上を見つめる。
 それぞれ小指ほどの大きさの犬と猫。どちらかと言えば犬のほうが特徴的だ。まず日本の土地の土産だというのに日本犬ではない。艶のある黒い毛並にぴんと立った三角の耳。両の前脚をきちりと揃え、背をまっすぐ伸ばしたお座りの姿勢。いかにも聡明忠実、といった風合いのきりりとした顔。既視感がぼんやりと頭をよぎる。
「……この犬、お前に似てんな」
 ぽつりとこぼした評に、おお、と隣で声が上がった。
「猫のほうは俺も気付いたんだ。君がそう思うなら犬のほうもやはりそうなのか……俺たちに似ていると思って買ってきてくれたそうだ」
「じゃあこっちは俺か」
 飯田似の犬の隣に転がる、白に赤茶の毛色の猫。左目の周囲を覆うぶち模様や、無表情を際立たせる三白眼など、言われてみれば、といった点はあるものの、相手がそう思うならそうなのだろうという程度の、おおよそ飯田と同じ感想である。『お土産探してたら飯田くんと轟くんが並んで吊られてたから保護してきた』と麗日は語っていたとのことで、そこまできっぱりと言い切られてしまえば、こちらはそうかと頷くのみだ。
「先月引っ越してすぐの頃に、俺がまだ新居の鍵に何も付けていないとメッセージに書いたのを、ずっと憶えていてくれたらしくてね。有難いことだ。俺は使わせてもらうが君はどうだい」
 この流れで当然使うだろうと押し付けてこないのが飯田らしい。こちらも鍵を分けた時の仮留めがそのままになっているだけであったので、拒否する理由はなかった。使うと頷くと、じゃああとで付けるとしよう、と言って、二匹のマスコットがそっとテーブルの上に置かれる。
「ただこれ付けると財布の中に入らねぇな」
「財布に鍵を入れているのかい?」
「そうすりゃ忘れねぇだろうと思ったんだが、このあいだお前と同じ時間に出たとき財布ごと忘れちまった」
「あっ、先日廊下で合流したのはそれか! 偶然の割にはドアの前をうろうろしていた形跡があるからおかしいと思ったんだよ。気を付けてくれたまえ。それに財布は身分証も入っているし、万が一落とした時のことを考えると防犯上あまり良くないと思うぞ」
 そうだな、と反省とともに同意する。今はともに暮らす者のある家だ。ひとりではないからなどと思わず、独居の時以上に注意せねばならないだろう。
 居並ぶ犬猫を見つめながら、飯田が首をひねる。
「鍵を鞄から出してしまうと忘れかねないということなら、キーストッカーでも置こうか」
「なんだそれ」
「その名の通り鍵を保管しておく場所だよ。箱型のしっかりしたものもあるが、壁に付けるフック型のものでいいと思う。帰宅したらすぐにそこに提げて、出発の時に確認するよう癖を付けてしまえば忘れないだろう。お互い持っているかどうかもすぐにわかるし……」
 と、そこまで説明して飯田は不意に口を閉じた。見やった横顔にかすかな憂いが浮かんでいる。
「どうした」
 問いかけると、いやすまない、とすぐに笑いが戻る。踏み込むまでもなく自ら打ち明けがあった。
「独り暮らしの頃にもフック型のものを使っていたんだが、自宅の鍵と一緒に君の家の合鍵を提げていたのを思い出してね。渡し合った時はとても嬉しくて。でも、まあなにせ東京と静岡だから、そもそも持ち出す機会が少なかったし、たまに泊まれる時には一緒にいたしで、結局一回も使わなかったんじゃなかったかな。ずっとフックに提げたままで、見るたび君を思い出して寂しくなってしまって……」
 最後には外して棚に放り込んでしまった、と苦笑して語る声に、当時は口に出すことのなかった寂寥がにじんでいる。思わず手を伸べ、少し丸まった背を横から抱いた。
「いるだろ、ここに」
 逢って想い深めるほど、次までの時間が耐えがたくなったのは自分も同じだ。こうしてすぐに手を差し出し触れることのできる今の距離を思えば、数年も爆発せずに乗り越えられたのは奇跡だとすら思える。
「なかなか会えなかった俺よりすぐに会える俺のほうがいいだろ」
「なんだそれ、昔の君に焼きもちかい」
 もちろん今のほうがずっといいよ、と、引き寄せる腕に抗わずこちらへ身を預けてくる。会えない時間があってこそ、などという言葉も世にはあるようだが、人好きで意外に寂しがり屋で、好意はいつも素直に表す一方、他者を気遣う意識が強いためか、逆に相手へ気遣わせるのを避けようとしがちなパートナーを持つ身としては、あまり理解できない論説だ。
 傍らの存在を知らしめるように、回した手を背から肩、首筋へと上げて順に撫でてやれば、心地良さげに目が細められる。これほど気のゆるんだ姿を見られるのは自分と親兄弟ぐらいだろうと思うと、言い知れぬ充足が胸に湧いた。
「お前、やっぱり犬みてぇだな」
「そうかい? 良く言われるがぴんと来ないな……君は確実に猫科だと思うが」
 それこそ学生の時分から言われてきたことだが、やはり良くわからない。まあ特段の文句があるわけでなし、そう見られるならそう振る舞ってやろうと、抱き寄せた身体に今度はこちらから頬や額を擦り付ける。頭上にくすくすとやわらかな笑いが降り、憂いが思い出の向こうへ去ったのを教えた。
 そのまま犬猫のように戯れ合い、数回目のキスから離れて(犬猫が口を重ねるキスをするのだろうかという問いは脇へ置いておく)絡めた指をほどきながら見つめた赤い目が、とろりと落ち込みかけた夢から覚めるように、不意にぱちぱちと瞬きを示した。そうだ、と少し慌てた声がこぼれる。
「どうした」
「話がまだ終わってなかった。うっかり轟くんの可愛らしさに流されてしまうところだった」
 ほとんど流されてたと思うぞ、可愛らしいはねぇだろ、その他いくつかの感想が浮かんだが、なんだ話って、と前へ進む言葉だけを口にした。
「いいことがあったって話さ」
「キーホルダーもらったって話じゃねぇのか?」
「それもそうだが、それだけじゃないんだ」
 持って回った答えを述べつつ、今まさにほどいた左手の指をこちらへ示してみせる。白色灯の明かりを返して光る、銀の環の片割れ。先ほどの相手の仕草を映したようにぱちぱちと目瞬きする轟へ、飯田は微笑とともに言った。
「見せてもらったんだ」
「……おお」
 さすがに驚きの声が漏れた。それは確かに、ことさら強調して「いいこと」と語るほどの話だ。
「一番乗りで聞いたんじゃねぇか」
「そこはさすがに梅雨ちゃんくんだということだよ。俺たちには緑谷くんから報告してくれる予定だったらしいんだが、たまたま先に会ったから隠したまま話すのもどうかと思ったそうでね」
 特別に教えてくれたんだ、と笑みを広げる。婚約発表の予定は決まっておらず、入籍と挙式は来年とのことなので、かなり早い段階で知らされたようだ。緑谷と麗日双方との親しさあってのことだろう。
「良かったな。あいつらも色々あったから」
「ああ。本当に嬉しいよ。危うく夕飯の席で泣いてしまうところだった」
「危ねぇな」
 人に見られればまた妙な噂が立ちそうだ。しかし感激屋の飯田や緑谷ならやりかねない、と想像し、笑って顔を見返すと、思いがけない表情があった。
「……飯田?」
「うん」
 確かな祝福の笑みの上に、ほんのひと刷き重なる陰り。轟はそれを別の人間の顔に見たことがあった。呼びかけにただ頷いた飯田も、自身の心の動揺に気付いているようだった。
 そっと肩に手を置き、問いかける。鍵の話から思い出されたものと同じ音の、少し色の違う言葉。
「寂しいか」
「……うん。少し」
 昨年、飯田との婚約を一番に教えた緑谷が、同じ顔を浮かべて、同じことを言っていた。そんなことはないとわかっているのに、三人の輪からひとり外れ落ちてしまうような心地がすると。
 自分と飯田と緑谷があの路地裏に流れた鮮烈な血と涙の記憶でひそかに強くつながっていたように、飯田と緑谷と麗日の三人は、もっと早い時節のうちから、おそらくはもっと優しい何かの記憶で深くやわらかに結びついていた。それぞれ片方の輪だけに属していた自分と麗日には隣り合うもう一方の輪も身近に見えてはいたが、飯田と緑谷が感じる複雑な心地は、当の二人でなければ本当の理解はできないだろう。
「凄く嬉しいんだ。でも少しだけ」
「そうか」
 今夜の飯田の妙な高揚は、親友たちへの心からの祝福の想いと、ほんのかすかな寂しさが入り混じってできあがっていたものらしい。憂いすら上向きに発露する根っからの善性が愛おしく、もう一度手を肩から上げて、耳をかすめつつ黒藍の髪をさらりと撫でると、涙腺がゆるむのをこらえたのだろうか、鼻に抜けた息の音がくぅんと犬の声じみて鳴り、あたたかな笑いを誘われた。
「緑谷も言ってたよな」
「うん。僕もようやくわかったよ」
「周りの全部が全部そのままってことはねえだろうけど、あいつらとお前の関係は変わらねぇよ。俺らと緑谷だってそうだろ」
「うん……ありがとう」
 ひょっとすると、緑谷の例を見ていた麗日は飯田のこうした心境を予想し、報告の際には一緒に何か気の慰めになるものを、と思って土産を探してくれていたのかもしれない。よくよく優しい友人たちだと感じ入りながら、テーブルから小さな犬と猫を手に取り上げる。共にじっと前を見る目が早く役目を与えてくれと訴えているようだ。
 互いに似ているという評価があるだけ、可愛らしさとともにおかしみをも感じるマスコットを見て胸が落ち着いたのか、気を取り直して、といった調子で飯田が口を開いた。
「あとでと言ったが、今夜忘れないうちに付けてしまおうか」
「そうだな」
 相槌してふと思い立ち、差し出された手に一方のマスコットを乗せてやる。
「……こっちかい?」
「このほうが失くさねぇように大事に使えそうだ」
 ぶち猫を手にして首傾げるのに、自分の側に残した黒毛の犬をつまんで答え、それにと続ける。
「それが俺ならひとりで見てても寂しくねぇだろ」
「あ、……もう」
 さっと頬を赤らめ、それでも文句は連ねず手の中の猫をいかにも愛おしげに撫でるので、とは言えこちらが本物なのだぞと教えるべく、ついでに最後まで押し流してやるべく身を抱き寄せ、寂しがり屋の愛犬へ今夜幾度目かの口付けを贈った。


 翌週、緑谷から改めて連絡があり、四人での食事の誘いを受けた。もちろんと即答を返し、上機嫌でスケジュール調整をしている飯田の顔にはもう寂寞の陰りはない。
「ちょうどいいから俺らも式の話しようぜ。緑谷に友人代表のスピーチ頼むんだろ」
「ああ、そうだな。時期もちょうどだし」
 婚約発表から三か月、同棲を初めてひと月、式まではあと五か月を切った。忙しさは日に日に増しているが、もうじき正式な家族になれると思うと幸福の重みのほうがはるかに勝る。
 向こうもそうであればいい、ともうひとかたの親友たちを想いつつ、話を重ねる。
「まだ先だろうが、あいつらもお前に頼んでくるんじゃねぇか」
「だと嬉しいが、原稿をどう短くまとめるかが問題だな……今からじっくり考えておかねば……」
「そういうの見越して俺にきたりしねぇかな」
「む、こればかりはいくら轟くんでも譲れないぞ。本気の勝負も辞さない所存だ」
 ぐっと拳を握って宣戦布告をされるが、まあこれに関してはまず冗談のような結果になりはしないだろう。自分と飯田、そして緑谷と麗日がこうした関係になったことを差し引いても、あの頃からやはり緑谷の一番の友は飯田で、飯田の一番の友は緑谷だった。ふたりをかすがいに結ばれ、隣り合っていたふたつの輪だった。自分や麗日がどう羨んでもそこは揺るがない事実であるし、取って代わろうと思うものでもない。
 輪の形は多少変わり、さらになお変わっていくのだろう。だが結んだものの重さ強さが変じてしまうことはない。これまでも、そしてこれからも。
「俺らもあいつら似の動物のキーホルダー探すか」
「ああ、それはいいな」
「あいつら似っつってもどんなんだかわからねぇけど」
「そうだな、麗日くんは肉球があって目が大きいからやはり猫かな。緑谷くんはなんだろう」
「あいつは毛がもさもさしてるから」
「うん」
「イエティとかか」
「架空生物が出てきてしまったな」
 そこは羊などではないだろうか、そうか羊か、などと他愛なく言い交わす幸福な輪の片隅で、鍵の番をする犬と猫が二匹、今日も寄り添って揺れている。


Fin.

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