シークレットAm
「あ、こっちにも映っとるよ瀬呂くん、どんまいコールの時!」
「明るく古傷えぐってくんね麗日」
「勝負の舞台に立てただけでもいい記念だ」
「うえー、チア衣裳のもあるじゃん。こんなの撮らなくていいのに……」
「でもあれ結構楽しかったよね!」
久方ぶりの連休を迎えた週末の昼下がり。遠出だ帰省だと人の減った寮の共用部には珍しく常と変わらない賑わいがあり、横を通りかかった眼鏡の委員長がおやと首傾げ、こちらが呼びかける前にテーブルを囲む居残り組のもとへ歩み寄ってきた。
「何を盛り上がってるんだい」
ロードワーク後の風呂上がりだろうか、湯の匂いとともにソファ横に立ちつつ問う顔には既に微笑が浮かんでいる。いかにも堅物然とした外見や学業中の口うるささとは裏腹に、日常のクラス内の賑々しさを前向きに善しとし、時に自ら盛り上がりの輪に加わってくる飯田の「意外性」は、思い返せば割合に早期から現れていた。進級後間もなくの一分足らずの話し合いで再び委員長に任じられた我らがクラスリーダーのそうした性質を、瀬呂は純粋に良いものだと思っている。
「あ、飯田くん。去年の体育祭の写真見てたんよ」
「ほう。現像写真とは今どき珍しい」
「先ほど特田記者が置いていってくれてな」
テーブルに散らばる百何十枚もの写真を指し、飯田の不在時に予定外の訪問者があった経緯を障子が説明する。戦争終結直後からの二桁回に及ぶ申入れを経て、今日ようやく雄英から取材の許可が下りたのだと苦笑して語ったフリージャーナリストが、手土産と称して菓子の袋とは別に持ってきたのがこの写真の束だった。
「そうなのか。俺もお会いしたかったな」
「裏に番号が振ってあるから、希望をまとめておいたら焼き増ししてくれるってよ」
今の時代、本職でなければほとんど手にする機会のないだろう光沢のある現像写真は、さすがプロの手によるものと言うべきか、液晶画面の中の動画や画像の切り抜きとはまた違った趣があり、希望する画を探し眺めながらああだこうだと入学間もない頃の記憶を語り交わす愉しさも相まって、少人数の輪でも思いのほか盛り上がったというわけだ。
「そういえば、今年の五月の体育祭は中止になってしまったけど、もうないんかなあ。飯田くん知っとる?」
背もたれ越しに見上げる麗日の問いに、うむ、と飯田が顎に手を当て重々しく答える。
「今のところの予定にはないようだ。先の中止自体は復興活動が優先されたためのものだったが、ヒーローの在り方が問い直されて、見世物の色が濃くなっていたイベント自体の意義も改めて考えざるを得なくなったようだからな……社会が少し落ち着いたからはいやりましょう、というわけにもいかないのだろう」
「けどウチらには就職活動の一環でもあったわけだし、アピールの場は欲しいよね。今年の一年とかただでさえ入学から遅れてるし、可哀想じゃん」
「ほかの学校ではやってんのに、せっかく入った雄英で無いってなったら本末転倒だよな」
「そうだな……雄英内でも検討は続けているだろうし、我々のほうから意見書などを出してみるのもいいかもしれないな。生徒側の要望があったほうが世間へ申し訳も立つだろうから」
「それいいね! また皆で出たいもん。飯田くんも写真見てかない? ほら、これとか懐かしいよ。爆豪くんが鎖でがちがちに……あっ」
明るい声とともに上がった葉隠の見えない腕が言葉の途中でわたわたと揺れ、数枚の写真が大きく宙を泳ぐ。ちらりと見えたのは飯田不在の表彰式の画。突然の早退の理由を自分たちが知ったのは、閉会後のテレビ報道においてのことだった。
「そうだ、飯田くんこのとき大変だったんだもんね! ごめん……!」
体育祭そのものが嫌な記憶かもしれないと思ったのだろう、沈痛の声で葉隠が謝罪する。飯田は逆に慌てて手を振り、ありがとう、と朗らかに応えた。
「確かに大変な日だったが、気を遣ってもらうことはないぞ。そのあと当日の映像を兄さんと一緒に見たから表彰式の様子も知っているし、表彰台には立てなかったが、同率三位の成績は褒めてもらえたよ」
爆豪くんもこの頃に比べたらだいぶ穏やかになったなぁ、と笑って言う。
「リハビリを再開したそうだな」
「ああ。病院のほうも事務所のほうもようやく落ち着いてね。遅れを取り戻すために週に四日も通っているから仕事の気分だなんて言っていたが、ひとまず安心したよ」
「良かったねぇ」
事情を聞いていたらしい障子の言葉からの会話でさらに安堵の空気が流れ、じゃあ俺も拝見していこうかな、と落ちた言葉を待ち構えていた瀬呂は、先手を取って動いた。
「飯田そこだと遠いだろ。こっち座れよ。俺はもう大体見たから」
テーブルの短辺側のソファに向かいかけた足を止めさせ、遠慮が返る前にさっさと立ち上がり、空いた席を示す。隣からふわと暖気が上がったように感じたのは気のせいではないだろう。
「ああ、どうもありがとう。轟くん、隣お邪魔するよ」
「おう」
ずっと無言のまま級友を見上げていた紅白頭が大きく頷き、異色の瞳をかすかに煌めかせた。よしと思って座り直した席の向かいで麗日が丸い頬を膨らませ、空いた隣席を叩いてこちらを恨めしげに見てきたので、ぎりぎりのタイミングで競り勝ったらしい。弁解の笑いを返しておく。
今ではこうした輪の常連になった当時ガンギマリの優等生は、まだスムーズに人を誘導する技巧には長けていないので、こうした時は横から手を貸してやらねばならない。あのころ特に良く行動を共にしていた飯田と並んで話をしたかったのだろう麗日には悪いが、そこはこちらも男の友情やら隣室のよしみやら数日後に迫った英語の試験対策の相談やら、様々な事情が重なっているのだ。
「君はなんの写真を見ていたんだい」
自分を挟んだ水面下の攻防など当然知らない飯田は、邪気なく隣へ訊ねかける。ん、と差し出された写真に意外げな表情を浮かべる理由もわかっていた。轟が先ほどから熱心に眺めている写真は、準優勝を獲得したトーナメント戦のものかと思いきや、第二種目の騎馬戦の模様を写したものだ。まあわかりやすいと言えばわかりやすい。
「騎馬戦か、懐かしいな」
「飯田くんの
超必の初お披露目やね!」
麗日の言葉に、そういえば、とめいめい頷く。今でこそ十分超の持続が可能な、飯田の代名詞とも言える急加速技は、あの試合で一瞬の秘技として使われたのが始まりだった。
一年と少しの時間でさえ歴史を感じるものだなと改めて思い出にふける空気の中、その技のお陰で一位通過を果たしたと言っていいだろう当時の騎手は、なあ飯田、と低く相手の名を呼びかけながら、写真を持つ手に横から自分の手を重ねた。
「と、轟くん?」
跳ね上がった肩の動揺にも瞬時に集まった周りの視線にも構わず、轟は言う。
「体育祭が復活して、もし次も騎馬戦が種目に入ったら、またお前のこと誘うから、今から予約しておいていいか」
「え?」
「子どもみてぇなわがままなのはわかってるけど、お前に乗せてもらう役目、ほかのやつに譲りたくねぇ」
握った手を引いて上体を自分へ向かせ、思わぬ望みにぱちくりと瞬く四角い目をまっすぐ覗き、そのまなざしだけで人のひとりやふたり転がせそうな色男は、さらに真剣な面持ちで言葉を重ねた。
「あの時は単なる戦力として見てたけど、あれから何度もお前に助けられて、今はもうそれだけじゃねぇって良く知ってる。お前の背中すげぇ頼もしいし、乗せてもらうと落ち着くし、やる気が湧いてくる。そういうの知られたら、皆お前のこと離したくなくなっちまうと思う。俺よりお前と特別になるやつが出てくるかもしれねぇって、心配になっちまうんだ。だからまた俺と組んでほしいし、できれば俺以外は乗せてほしくねぇ」
凄いこと言い出したぞこのイケメン、という突っ込みはおのおの胸の中だけで済ませたようで、場を遮る茶々もなく、真面目に言葉を受け止めた真面目な委員長が、轟くん、と真面目な声で呼び返した。
「俺はヒーローを志す者として、人を助けるためなら何度でも誰かの手を引くし、この身に背負うつもりだ。だから、君の望みの全てには応えられない」
「真面目や……」
今度は場の全員の感想を麗日が代弁した。ひそやかな声は真摯に向き合う二名には届かず、疑義含む真面目な会話がそのまま転がっていく。
「そうか、そうだよな」
残念の感はにじませつつ、しかしそれでこそと納得を深めもする(瀬呂は心中ひそかに「惚れ直す」と言い換えた)様子で轟は頷いた。全体として言えば晴れやかに締まりかけた問答に、物腰やわらかなリーダーが板に付きつつチェーンの外れたバイク具合も健在の飯田が、エンジンを空噴かせて待ったをかける。
「だ、だが! 君以外の誰を何度乗せることになったって、決して君とのことを上書きするものではないぞ! 俺にとっても、君とともに走った記憶は、その……、やはり特別に大事なものだから……」
「飯田」
ぱあ、と背景に花が咲くのが幻視された。それぞれタイプは異なれど、どちらも見目
佳しの野郎どもである。イケメン同士が間近で見つめ合っている構図は実に圧が強く、まばゆく放たれた光に目をしょぼつかせる周りをよそに、斜め方向へ急加速するふたりの世界は落ち着く様子を見せない。
「騎馬戦は、次また君が誘ってくれたらもちろん請けるとも。だが当日どんな状況になっているかわからないし……俺は人との相性の良し悪しがはっきりあるが、君は誰とでも組めるし昨年以上に引っ張りだこだろう。障子くんや砂藤くんやB組の宍田くんのように、俺より良い身体をしている人も沢山いる。君がそうした誰かに乗った時に、彼らのほうがいいと感じるんじゃないかと思うと、俺も少しだけ心配を覚えてしまうよ」
まだまだ冷静さが足りないな、と自嘲する飯田に首を振り、身をさらに前へ乗り出して轟は言いつのる。
「どんなに乗り心地が良くても、お前以上に俺と相性のいいやつはいねぇ。俺はお前となら飛べる」
「……それは逆じゃないかい。君以上に相性のいい人が俺にいないんだ。君はひとりでも飛べるが、俺は君とじゃなきゃ翔べない。……でも、ありがとう。嬉しいよ」
「飯田」
「轟くん……」
頭上で重たい鐘が鳴る音を聞いたように思ったが、これも集団幻聴であったようだ。ねぇウチらはさっきから何を見せられてんの、とイヤホンジャックを抱き隠しながら呟いた耳郎に続き、全員からひとつなぎ感想が漏れ出る。
「なんか言葉だけ聞いてるとヨくない話の気がしてくるね!」
「私だって飯田くん飛ばせるんよー?」
「騎馬戦あるとして先頭に飯田で騎手に轟はもう禁止カードじゃねーかな」
「体当たりだけでほかの騎馬が炸裂四散しかねん」
「そもそも飯田に引っ張ってもらったり背負ってもらったことあるのってウチの組だと割といない? 緑谷なんて特にだし」
「うっ……み、緑谷くんも、轟くんとはまた少し違うが俺の特別な人なんだ……!」
「そうだな緑谷は別枠だ」
「あ、ちゃんとこっちの声も聞こえとるんや」
どうやら閉鎖世界ではなかったらしい空間に、本人知らぬところで重く名を上げられた級友は普段どんな顔をして身を置いているのだろうかとふと考えた。A組の誇る高学力トリオは、一見すると柔和な緑谷が真ん中に立って各々をつないでいるようでいて、意外に飯田が中心でふたりの手を(時に首根っこを)捕まえていたりする、あれはあれで不思議の多い三人組である。
ともあれ目下の不思議はここにいるコンビで、こう見えてこの二名、恋人同士というわけではない――というありがちなオチを語れていたのは、実はつい先頃までのことだった。もうひと月近くが経っただろうか、轟と二人で交わしていたなんでもない雑談中、「そういやこのあいだ飯田とキスした時に、あ」というとんでもない言葉が紛れ込んで事が発覚したものである。
盛大に口滑り散らかした轟に、いけねぇ付き合ってんの今は秘密にしておこうって飯田に言われてたんだった、黙っといてくれ、と強制で脳に情報を刷り込まれたあげく強制で秘匿を命じられた瀬呂はさすがに頭を抱えたが、その頃には既に深過ぎる友情と言われるよりは単純に付き合っていると言われたほうがまだ健全にも思えるような状態のふたりであったため、まあいいかと開き直り、今は傍観および先のようなちょっとした打算を含む時たまの支援に努めている。
「俺はこの写真を焼き増ししてもらおうかな。君も良く写っているし、いい記念の品になりそうだ」
「俺も。お前との初めて記念だ」
「誰かツッコミ」
「俺の手には負えねぇから緑谷呼んでくれ」
「オールマイトの最新の記念館がオープンしたって五時起きで出てってもーたよ」
実際のところこれでも関係を隠しているつもりではあるらしいのだが、片やエリート家庭出身の箱入り坊ちゃん、片や崩壊家庭(修復解体済み)出身の天然坊ちゃんは、その世間ずれしていなさ過ぎる一般的社交知識、および恋愛知識の薄さと偏りのために外への開示基準が妙な度合いに設定されているらしく、そもそも真剣に隠す気のない轟と何をどこまで隠せば問題ないかを良くわかっていない飯田、という成さぬ組み合わせが爆誕して、寮内では色々なものが駄々洩れである。結果、優しい仲間たちがスルーを決め込んでやっているだけで、面と向かって口滑り散らかされた瀬呂以外にもほぼモロバレの状態だ。
「そろそろ外では気を付けるよう忠告したほうがいいのだろうか」
「なんかこのままどこまで行けるのか見届けたい気持ちもあるんだよなぁ」
「ふたりとも気持ちいいぐらいフルスロットルだもんね!」
まあ壁にぶつかる前には止めてやろうというあたりが共通見解の、いまだ何かと世間の口にのぼり続ける我らがA組における、恥部などとは言わないが、秘部のひとつではあるかもしれない。だいぶしょうもないレベルの、とは評さざるをを得ないが。
「こっちのやつも焼き増し頼んでおくか」
「ん、どれ……って、それは準決勝の時の俺じゃないか! 君が写ってるのは別にあるだろ?」
「なんか良くねぇか」
「人が全身氷漬けになっている写真のどこがいいんだい、もう!」
頼もしいと危なっかしいを高度に両立させている不思議な恋仲どもを見守りつつ、とは言えそれなりの心配があるとすれば緑谷の胃の調子ぐらいだろうと、たまには役目を代わってやる考えを固める、今日も何もかもが平穏な二年A組ハイツアライアンスの休日だった。
end