ひなたのねこ
恵み豊かな水と緑の星、と内に外に謳われるここ地球だが、あえて学術的な正確さを求めるのなら、恵みの根源はこの星そのものではなく、この星の属する星系の中心、すなわち太陽にあると言える。燃えさかる恒星の産む膨大なエネルギーは、地球という天体の質量や、自転および公転の周期、星間座標、ほか誕生より固有に備わる特性の、明白な(そして非常に幸運な)偶然の積み重ねのために、宇宙全域で眺めてもまれなる豊潤の地、うつくしき青の惑星を成すに至った。もっとも美醜の評については見る者の価値観にもよりけりだろうが、何にせよ、表出する自然という意味でも、埋蔵するエネルギーという意味でも、驚くべき活力を誇る星であることに間違いはない。その九割からが、天に頂く太陽にもたらされた恵みである。太陽系とは驕らず良く名付けたものだ。
我らが母星にこの光があったなら、と
の羨みを感じつつ、サイバトロニアンたちもその恩恵を認め、地球駐留の間の重要なエネルギー源として活用を図っている。初めのうちこそ雲浮かぶ青い空や、出ては沈む陽に戸惑いを覚えたものだが、今ではもうあって当たり前の景色だ。急激な光量と気温の変化にも充分に慣れ、日光浴、などとヒトの慣習を真似て称し、機体の乾燥や装甲温度の調整に使う者もある。
自他共に認める「懐疑家」のアラートも、かの星をまず善きものとしてまなざしている。もちろん、科学的な裏付けが何よりの根底だが、空からそそぐ適度な光、適度な熱を、仲間たち同様、身に快く感ずるという単純な事実も、理由のひとつであることは確かだ。他はどうあれことこの一点において、サイバトロニアンと地球の原生生物との感覚はごく近しくあるらしい。
明るい。あたたかい。全宇宙普遍の評価ではないのだろうが、少なくとも今ここ、今この身には、好もしい事象と受け取れる。
とは言え。
「……これはさすがに、好きに受け取り過ぎの状況じゃないのか……」
冬晴れの穏やかな陽の下、完全なる無警戒の様で座る大型機のすこやかもすこやかな寝顔を前にして、漏れる呟きまでも明るく響かせようというのは、
難しい注文ではあった。
(この様子じゃあ、ザル警備と言われてもまるで反論できないな)
しかもこんな「おまけ」込みと来た日には、と、声なく肩を落とす。
通信に応答しない部下を、基地の端から回り歩いてようやく探し当ててみれば、全館放送の音が届くやも危うい敷地外れで独り寝こけていた、というだけでもなかなかに気の抜ける事態ではある。そこへ来てさらに眼前の画の脱力感を煽るのが、同時に視界に入った「おまけ」であるところの地球生物の姿だった。十、いや、二十を超えようかという数の肉食小型哺乳類が、資材に腰掛けて寝入る機体の傍ら、のみならず肩に腕に脚に、我が物顔で身を据えている。端的に言えば「居眠り男ネコまみれ」の光景である。いつの間にこれほど基地に入り込んでいたか等々の問題含め、いざと張った力もたちまち萎えようというものだ。
排気こぼしつつ足を進めて近付いていっても、寝入ったインフェルノのみならず、集まった猫の群れさえ目立った反応を見せない。データベースには比較的警戒心の強い生物であると記されていたように思うが、逃げの構えを取るどころか、赤い機体の上でごろごろと身をくねらせ、気だるげにあくびなどしている。慣れ云々を超えてもはや無視の域に近く、そのへんの石、ならぬそのへんの建造物とでも思われているのだろうか。影の届く距離に至ってようやく二、三匹が動いたが、機体を後ろへ回り込んでおざなりに身を隠したのみだ。
数歩の間を置いて立ち止まり、椅子に腰掛けてなお視線を下へ向けさせない、小さな生き物から見ればまさしく何かの建屋のたぐいであるに違いない図体を、正面から眺める。陽を浴びて眠る顔は普段の威勢が影もなくゆるびており、兵士の勇も救助員の勇もどこかへ忘れてきてしまったかのようだ。
常であればここで遠慮会釈なく呼び起こし、寝ぼけ面に叱責のひとつも飛ばしてやるところなのだが、あとの騒がしい一連を容易に想像できる画は、そのまま想像の域を越えず、アラートのブレイン内に留まった。上官の寛容を(柄にもなく)発揮した、というわけではない。大いに気抜けさせられる姿であるとは言え、怒声を張る根拠としては明らかに弱かった。なぜなら、現時点、現時刻において、救助員インフェルノはその身に一切の任務を課されておらず、私事に没頭してなんら咎め立てられる謂れのない待遇――有り体に言えば、休日のただ中にあるからだ。
さらなる実情を語るなら、休息中の部下をこうして探し回り探し当てたアラート自身も、今日は紛れもない非番の一日であった。
『二人とも今回は本当によく働いてくれた。事後の処理は他の者に任せて、二、三日休養を取ってくれ』
サイバトロン総司令・コンボイからそんな労いの言葉を拝領したのは、このひと月のあいだに近隣で目まぐるしく発生した災害および事件事故の数々が、おおよその収束を見せてすぐのことだった。
市街地での大規模なビル火災から始まり、燃料倉庫の爆発事故、老朽化した送電塔の倒壊、広域に及ぶ道路陥没と水道管破砕、混乱に乗じた暴徒の発生と、平生であれば年に一度あるや否やの難事が日を置かず相次ぎ、緊急出動中に別の緊急出動要請が複数舞い込むという、地球での活動開始以来、未曾有のものと言ってよい異常事態であった。あまりの頻度に一時はデストロンやその他の破壊組織の関与さえ疑われたが、調査の限りでは個々の事案に特別のつながりは見出せず、最後には、ただ偶発的な災害が短期間に集中して起きた、この上なく不運な一時期であった、との結論が下されている。
もっとも、事の渦中にあるうちはそうした背景に気を回す余裕もなく、その不運の期間の始まりから終わりまで、アラートとインフェルノはまさしく火の中水の中を休まず駆け回っていた。あらゆる手を尽くして事態解決に努めた甲斐あって、全くの犠牲なしとまではさすがに行かなかったものの、災害の質・量に比して充分に軽度と言える規模の被害に収めることが叶い、ほうぼうから届いた感謝の報の総括として、コンボイより慰労の言葉と恩賞を賜るに至った次第である。
(司令官の心遣いはとても有難いが……正直そう何日も休んでいられる状況じゃないんだよな)
事後処理を請け負ってくれた仲間を信頼していないわけでは決してない。配置の都合から今回の対応に中途参加したプロテクトボット部隊も、まだ軍の一員となって日は浅いが、隊長のホットスポット始め非常に有能な頼れる同志たちだ。しかし、長年に渡りサイバトロンの保安統括を担ってきたアラートには、いまだ他者へ気軽に受け渡すことのできない、代役の立てられない業務が山ほど預けられている。これほどの騒動の直後とあれば、たとえ三日の間と言えども、なおさら安穏と休みほうけてなどいられない。
とは言えコンボイの厚意をむげに撥ね付けるわけにも行かず、こうした時ばかりてきぱきと組み直された消防チームのスケジュールには、前日朝からの休暇予定が間違いなく設定されている。それでも、さてどうしたものか、と悩むほどの状況ではなかった。部下たちの自由と自主性を尊ぶ総司令は、もちろん休日の過ごし方についても特別な規則を定めてはいない。だからして、自らの自由意思で残務に当たるぶんには責められる理由もないだろう、とアラートは判断した。――警備室周辺での常駐業務などを避けたのは、さすがに気が引けるところがあったからと認めざるを得ないが。
そうした事情のため、同じく報奨を受けた部下兼相棒の行動についても、アラートは特段の制限を課さなかった。今もただ数点の確認があって連絡を取ろうとしていただけだ。平和そのものの寝姿にいくばくか気勢を殺がれたのは事実だが、叱って仕事へ連れ戻そうなどというわけではない。
「……起きないな」
朝から晩までヒトの球技に興じていたという前日の反動か、うたた寝の範疇をいくらか超えた眠りに落ちているらしい。壁ふたつ向こうの鼠の足音でさえ目覚ましになる自分とは比べるだけ無駄な話だが、妙な場所で豪胆を発揮しているものだ。
(まあ、さすがに名前を呼べば気付くだろうけど)
どちらかと言えば声への反応ではなく、日頃の一喝に対する反射で、と理解しつつ、やはりアラートはその名を呼ばなかった。こぼした言葉も、感慨と言うよりは、なおも確かに、という確認に近い。
起きない、まだ起きない、と一歩ごと探るように歩みを進め、遂につま先の当たる位置までたどり着いた。当然に止めるはずの脚がそのまま前へ動いてしまったのは、広いフロントガラスが返す陽の眩しさに処理の一端を奪われ、判断を鈍らせただめだろうか。
開いた膝の間に身を入れ、何事かと仰ぎ見てきた猫を指先で追い逃がし、自らそれにすげ代わるごとく赤い機体の上腿部にちょんと腰掛けて、なお数瞬の間を置いてから、ようやくアラートは我に返った。
――いったい何をやってるんだ、俺は。
己の行動に困惑しつつ、咄嗟に立ち上がる前に、傍らを見上げる。動揺する視界の先に動じない寝顔を捉え、ひとまず胸を撫で下ろしたが、同時に、この場を退くべしという意志までもが奇妙に凪いでしまった。
何をしているのかと同じ自問をくり返しながら、身を凍らせるではなく、さりとて脚を立たせるでもなく、自答を後に回して、ただ間近の機体を見つめる。我なく緩慢に伸ばした指は、どうにかその装甲へ触れかかる寸前に、ひたと宙に止まった。
薄い苦笑とともに問いを破棄して、手を引き戻す。触れようとしたことに笑ったのか、それとも、触れられなかったことに笑ったのか、どちらともわからなかった。
相棒として過ごした日の長さは今や定かではないが、同じ組織の仲間という範疇に収まらない「ある意図」を持って名を呼び、触れ合う近しさにまで至ったのは、ごく最近のことだ。相手は嬉々としてためらいなく声を手を差し伸べてくるが、アラートはこの新しい、愚にも付かない夢想こそすれ、予想まではほど遠かった関係に適切な距離を、いまだ掴みかねていた。
まさか睡眠に乗じて脚に座るごときものではなかろう、とは思いつつ、妙に腰が落ち着いてしまい、相手に覚醒の気配がないのをいいことに、無言のまま観察を続ける。軍でも有数に重くいかめしい造形を誇る機体は、意識なくただ座しているのみであってさえ、その存在を際やかに場に語る。それでいて、戦火、あるいは災禍の下を征く時にまとわせる、猛る熱の目に見えるような圧は、今この場にはなかった。微動だにしない躯体はひたすらに大きく頼もしく、頭上からそそぐ陽の光は、赤の塗装の表面を、その腕でいなす炎に似せて濃くあかあかと燃やすのではなく、ただ明々と、ただ鮮やかに輝かせている。
(明るい)
集光を絞ってなお眩い閃きから視覚器の焦点を逃さず、凝と見入る。軍章からゆるやかに上へたどり、いまだ動かない寝顔を見上げ、少し背を後ろへ反らせて脇腹に描く盾の紋を見やってから、またゆっくりと視線を始めの位置へ戻す。
ここに映る全てが明るい。そして、
(……あたたかい)
それは不可視の形容だったが、アラートはふと胸に浮かんだ想像を疑わなかった。小さな野の獣が警戒の性を忘れて集まり安らぐ「ここ」は、ほかの何よりも明るく、あたたかい。
ここ、と短い言葉をくり返す。青の星の上、冬晴れの空の下、穏やかな光の中。翳るもの無い日なたの懐。見えない言葉を確かめようと、一度は止めた手を、再び前へ伸ばした。指先が赤に触れ、胸奥で刻まれる周期の長い拍動を直に受け取る。
あれほどの難事であったのに、逆に多少の慎重意識が働いたのか、期間中にインフェルノの得た損傷の程度は、普段に比してさほど多くも重くもなかった。口頭での状況確認こそ日ごと欠かさずしていたが、我が目で、そして我が手で異状なしを検めたのは、これが初めての機会になるかもしれない。終わりの見えない災害の連鎖の中、急報の合間に差し込まれる相棒からの頑健自慢が、どれほど大きな気の助けであったことか。
輝きの強さに引かれるように、腕のみならず、身体が自然に動いていた。離した指先に代え、頭を、肩を、広い胸にひたりと寄せる。己の一番の知覚でもう一度その身の健常を聴き確かめ、口の中でひとつ名を呼ぶ。のぼせたような緩慢な動作の間にも、いったい何をしているのかと冷静に問う声は鳴っていた。しかし、「そこ」を離れるに至るほどの強さのものではもはやなかった。
やはりあたたかいと、感ずる事実だけを認め、ひたひたと寄せる心地の良さに意識を任せる。それが陽の光のゆえであるのか、それとも別の何かのゆえであるのか、しかと答えを出す前に、思考は揺らめき絶えた。
ふ、と音なく両の青の灯が戻り、数刻ぶりに機能復帰したセンサーの角度を慎重に調整して、現状を確かめる。おそらくは問題ないと予想しつつも、手先に信号を伝え、脚上の機体を支える位置に腕を持ち上げきるまでには、相当の時間を要した。それと思えば自分もこの程度の注意深い動作はできるのだと胸張ってやりたくあったが、自賛を聞かせるべき当の相手は、今や深い眠りの中だ。
「……起きねェな」
先にはこちらへ使われていた言葉を折り返して発する。一切の反応がないことを充分に見定めてから、インフェルノは詰めていた呼気を細く長く吐き落とした。
昨日一日かけて存分に身体を動かしたので、今日は朝からのんびりとするかと、雑事を逃れられそうな場所で日光浴に興じていた。集まる猫をじゃらしてやりつつ、とろとろと眠りにたゆたう時間もあったが、上官が前へ現れたことにはさほどの間もなく気が付いた。非番の日には非番らしく休んだらどうだと意見し、苦笑とともに説得を諦める恒例行事は前日の朝に済ませていたため、少しの反抗心でもって寝たふりを決め込んだ。
仕事の話で来たらしいことは予想の通りであったが、急ぎの用でもなかったようで、しばし無言の視線だけを感じる間が流れる。さすがにじれて、身じろぎ呼びかけようと決めた一瞬後、思いがけない事態が生じ、気付けばこの体勢と相成っていた。
「いっつもいきなりなんだよなァ」
やれやれとこぼした言葉は既に常の声量であったが、アラートは起きない。いや起きられないのだと、インフェルノは知っていた。安らかなうたた寝に見えるが、その実、これは気絶のようなもの。重度の処理負荷による中枢システムのハングアップにほかならないからだ。
このひと月の激動を持ち前の気力と機体の頑強さで乗り切ったインフェルノに対し、アラートは自らの使命に対する責任感だけでもって、次から次へと湧いて出る務めをこなしていた。終わりまで見事に隠しきってみせていたとは言え、心身とも疲弊しきったまま、休日を返上してさらに働こうなどと、土台無理な話なのだ。おそらくコンボイも部下の状態の仔細を知っていたわけではないのだろうが、折々に見せる一流の直感を今回も発揮し、このほかにないという命が下された。三日のうちには必ずばたんと来るに違いない、と、これは概ね予想通りの結果である。
しかしこの展開までは、さすがに想像していなかった。
「まあ誰もいない場所で逆に良かったと言やそうだが……」
いずれどこかで騒ぎになるのを回収に行かねばと気構えてはいたものの、よもや向こうから率先して倒れにこようとは。あまつさえ、隣どころか胸元へまで自ら収まって。
相手が眠りを装っていることにすら気付かないほど消耗した状態で、いったいどの地点から意識を朦朧とさせていたものやら、突然の行動に驚いてわからぬままになったが、まあよし、と切り替える。意図はどうあれ、今この腕の中に彼がいる。それこそが肝要の事実だ。
すぐに部屋へ運んでやっても良かったが、なんとなく腰がその場に落ち着いたまま、脚の代わりに手を動かして、眠る相棒の頬をいたずらに突く。うにゅ、と間の抜けた声を漏らす顔は、つい数日前まで快刀乱麻を断つ指揮を振るっていた消防部隊長と同じものとは到底見えず、呆れと、それ以上の愛おしさに笑った。思えば今の関係に踏み込んで以来、アラートの側からここまでの接近と接触を図ってきたのは、今日が初めてのことかもしれない。大いに歓迎すべき事態であると同時に、目前で機会を逃してしまったようで、惜しくもあった。
この状況に相手の信頼を疑う余地はない。それは素直に喜ばしい。だが、いまだ少し、「ある意図」に対する認識の相違は残っているようだ。生来堅物な相棒兼恋人が乗るのとは逆の膝上に、これだからたまに心配になるんだぜ、と感慨を投げる。
「そりゃ俺にはお前らみたいな牙や爪はないけどよ、だから絶対食いついてこねェとでも思ってんのかね? この安全第一の保安部長サンは」
声かけられた灰茶の猫は気なさげに尾を振り、あくびひとつでインフェルノの言葉を一蹴した。苦笑し、また腕の中の赤白の機体に視線を戻す。我が身の色と寄り添う色、二種の赤を吸い映す精白が、陽の下にきらめいて大層うつくしい。回した腕でさらに懐深く抱き寄せ、知覚器の先へ口付けを落とせば、常なら怒りと羞恥で途端に紅く染まるだろう顔が、ふにゃりと
面をゆるめた。
「……あったけぇの」
青の星の上、冬晴れの空の下、穏やかな光の中。翳るもの無い日なたの懐。信頼結ぶ無二の対。今ここにある全てが、明るく、あたたかい。
「ジャガーになる、いや、オオカミになる、だったっけか。地球にはンな言葉もあるらしいぜ? ……ま、教えるのは今度にしてやるけどな」
強制停止の末とは言え、アラートの眠りは特段の難を感じさせるものではなかった。釣り込まれるように揺らぐ意識に抗う気もなく、身じろいで腰を深く場に据え直す。せっかくの休日、明日からのことは明日からの楽しみに、今は太陽が傾くまで、片や寝床に背を丸め、片や牙と爪とを引き込めた、穏やかな日なたのねこの二匹でいようと、ひとときの星の恵みに身をゆだねた。
fin.