※懐かし漫画『ハムスターの研究レポート』の1エピソードの設定を元にしたパロディ&擬ネズミ化パラレル作品です。動物化したキャラクターが登場しますので、そういった改変が苦手な方は閲読をお避け下さいませ。
※活動時間や運動能力など、本来の動物の習性をあえて無視して書いている部分がございます。地球産とは種の違う宇宙ネズミということでご容赦を……
Choo☆Choo トランス!
その物語はある星、ある街の、小さなペットショップから始まります。
昼下がりのお店には、一人のお客さんが訪れていました。その背の高いお客さんは、ここらあたりではとても有名なお人で、みんなからはコンボイ司令官と呼ばれています。
「店主、このネズミには値札が付いていないが、もう買い手が決まっているのか?」
小動物用の餌の袋を店のご主人に差し出そうとしていたコンボイ司令官は、隣の棚に置かれたケージを指差してそう訊ねました。金属製の広い小屋の中には、小さなハムスターが一匹だけぽつんと入れられています。
店のご主人は笑って首を振りました。
「いや、逆なんですよ。そいつだけ買い手が付かなくってねぇ。全然人に慣れないやつで、売れてもすぐ返されちまうんです」
だからもう処分しようかと思って、と言うご主人に、コンボイ司令官が驚きます。
「いや、それはあんまりじゃあないか。売れなければ処分すると言うなら、私が買おう」
「お、ほんとですかい?」
「うむ。うちにも以前から一匹いるから、仲間が増えていいだろう」
こんな大きな小屋に一匹ぽっちでは可哀そうだ、と優しい司令官は考えたのでした。値段も見ずに、迷わずそのハムスターを買うことに決めてしまいます。名前は初めの飼い主に付けられていたそうなので、そのままアラートと呼ぶことにしました。
さて、そうしてコンボイ司令官の家に行くこととなったアラートでしたが、実はあまり嬉しい気分ではありませんでした。
店のご主人が言っていた通り、アラートは人に飼われるのが苦手でした。用もないのに巣をじろじろ覗き込んできたり、寝ているところをつついて起こされたり、乱暴に持ち上げられたりいじり回されたりと、わずらわしいことばかりだからです。何を言われてもつんと無視して隅に隠れたままでいると、最後には怒って店に返されるのです。こんな暮らしがずっと続くぐらいなら、もう処分されてしまったっていい、と、最近のアラートはそんなことさえ思うようになっていました。
「さあ、今日からここが君の家だ」
車に揺られて連れられてきたコンボイ司令官の家には、もう小屋が用意されていました。移動用のボール箱ごと中に降ろされて、ふんふんと足元のにおいを嗅いで警戒しながら外へ出ると、急に前が暗くなりました。鼻先が影の中に入ってしまったことに気が付いて、顔を上げ、仰天します。
「お、なんだなんだ、新入りか?」
大きな声でした。そして大きな大きな体でした。目の前に、アラートのひと回りふた回りどころか、二倍も三倍も大きさのありそうなネズミがいて、こちらをしげしげと見下ろしていました。思わず身を固めたアラートの後ろから、コンボイ司令官が声をかけてきます。
「インフェルノ、彼はペットショップから来たアラートだ。今日からここで一緒に暮らすことになるから、仲良くしてやってくれ」
大きなネズミに向かってそう言うと、何か用事があるのでしょうか、コンボイ司令官はすぐに回れ右をして部屋を出て行ってしまいました。
ドアが閉まるのを横目に見届けてから、アラートは目の前の相手を改めて見上げました。
(……なんだこのうすらでかいハムスターは……)
ペットショップで暮らしていた時にも、同じケージの中に大柄な仲間がいることはありましたが、ここまで大きい者は見たことがありません。良く育ったにしても、ちょっと呆れてしまいさえするぐらいの体です。
そして一方のインフェルノも、アラートの顔を見下ろして、その時こんなことを考えていました。
(やけに小せぇモルモットだなー。ちゃんとメシ食ってんのか?)
――そうなのです。二匹は確かに一見同じような姿をしていましたが、実はかたやハムスター、かたやモルモットという、違う種類の生き物だったのです。心が大きくて少し大雑把なコンボイ司令官は、小さな動物たちがそんなにたくさんの種類に枝分かれしているなんてことは思ってもおらず、ハムスターもモルモットも全部まとめて「ネズミ」という枠に放り込んでいたので、二匹の違いなどさっぱりわかっていないのでした。
それは当人、ならぬ当のネズミたちにとっても同じで、お互い相手を「変わったやつ」だと思いながらも、初対面なりの会話を始めます。
「俺はインフェルノだ。よろしくな、アラート!」
「……ああ」
「お前は店ん中で暮らしてたんだな。俺は前は野っ原に住んでたんだけどよ、街も色々面白そうなもんがあっていいよなーと思って出てきて、うっかりヘマしてネズミ捕りにかかっちまったのを、司令官に助けてもらったんだ。司令官はみんなのリーダーで、この家にも仲間がたくさん来るから、賑やかで楽しいぜ」
「ふぅん」
うるさいのは嫌だな、と思いながらアラートはそっけない相槌を打ちました。構わずインフェルノは話を続けます。
「いつも忙しいみてーだからたまーにメシの時間を忘れられちまうけど、仲間も世話してくれるし、ちゃんと部屋の散歩にも出してくれるしな。俺も恩返しになんかしようと思って、棚の後ろに落ちてるもん拾ったりとか、ゴキブリ退治とかしてるんだぜ! んじゃ、これから仲良くしてこうな」
「うん」
再び気のない相槌を打ちながら、ゴキブリをせっせと追い回すようなやつとはあまり仲良くなりたくないな、とアラートは思いました。
そんなこんなで始まった新しい暮らしは、初めに思ったよりはそう悪くもないものでした。コンボイ司令官は決して細やかで良く気が付くような飼い主ではありませんでしたけれど、そのぶんあれこれと指図したり、無理に懐かせようとしてきたりしないので、大抵の時間は自分の好きなように自由に過ごせました。入れ代わり立ち代わり人が訪れて、初めは新入りのアラートと遊びたがりましたが、昔の話をペットショップのご主人から聞いていた司令官が、彼は静かにしているのが好きなようだから、と注意してくれたので、むやみに構わずにいてくれるようになりました。小さな子どもがするように乱暴に扱われることもありません。
ペットショップのケージの中、隅に身をひそめてお客さんの目から隠れ、一体いつ処分されるんだろうとぼんやり考えながら過ごすよりは随分ましかな、と思える生活で、ここへ連れてきてくれたコンボイ司令官に感謝をしました。
それでも、やっぱり嫌なこともありました。
「なぁアラート、お前もたまには散歩に行こうぜ」
食事のあと、司令官が開けておいてくれた小屋の戸の前に立って、今日もインフェルノが声をかけてきます。
「俺はいい」
「外には面白いもん色々あるぜ?」
「危ないものも色々ある」
「俺が注意しててやるからさ」
「お前の注意なんて当てにならない。この前小屋にクモが入って来た時も全然気付かなかったじゃないか」
「あんな小せぇクモ、別に相手にする必要ないだろ」
この同居ネズミは気のいいやつではありましたが、いつもこんな調子で、アラートとは意見が全く合わないのでした。がさつでうるさくて、遊びたがりで、危ないことが大好きです。気遣いなんてまるでなくて、同居のために初めに話し合った小屋の使い方もちっとも守りませんし(彼に言わせると「決め事が細かすぎる」のだそうです)、相手の様子などお構いなしに、あれこれとどうでもいいことを始終話しかけてきますし、何かの時のために、とアラートが貯めておいた餌を勝手に食べてしまったりさえします。
体の大きさ以上に性格が正反対で、少し話すだけでしょちゅう言い合いになるので、ペットショップにいた時のように、「ただ同じ小屋にいるだけのやつ」としてあまりかかわらずにいよう、とアラートは思ったのですが、どんなに邪険にしても、どんなに喧嘩じみた言い合いをしても、インフェルノは気にせずまた話しかけてくるのです。
「なんでお前、いつもそんなにカリカリしてるんだよ?」
「お前がいつもうるさいからだ。カリカリしているのが気に入らないなら、もう俺に構わないでくれ」
「別に気に入らないってことはねぇけど、せっかく一緒の家に住んでるのに、何も話さないでいるなんておかしいだろ」
「俺はおかしいなんて思わない」
「えー。固っ苦しいやつだな。仲良くしようぜ」
こんな会話ももう何度したことやらです。いいからほうっておいてくれ、と言ってあとはだんまりを決め込むと、インフェルノもようやく諦めて、ちぇ、と舌打ちしながら一匹で小屋を出ていきました。
これでようやく静かに過ごせるかな、とその時は思いましたが、散歩から帰ったインフェルノはいつもと同じで、あっちの窓の外にでっかいカラスがいた、なんてどうでもいいことを興奮して話してきました。そして動き足りなかったのか小屋の金網を登って遊び始め、あげく手を滑らせて、無視して寝ようとしていたアラートの上にどすん、と降ってきたりしたので、我慢も限界に達します。
「司令官、私はもうこんなやつと一緒に住むのはごめんです。せめて小屋を別々にしてください」
部屋へやって来たコンボイ司令官に切々と訴えましたが、ネズミの言葉のわからない司令官にはただちぃちぃと鳴いているようにしか聞こえず、なんだまだ腹が減ってるのか、ととんちんかんなことを言われて、餌をもらっただけで終わってしまいました(餌は運動してお腹を空かせたインフェルノが喜んで食べました)。
◇
また幾日かが過ぎ、季節が少し進んで、街に冬が訪れました。インフェルノは相変わらずアラートに仲良くなろうと言い続けていて、アラートは相変わらずそれを拒否していました。
「私は明後日まで家に戻らないから、余分に餌を入れておこう。仲良く分けて食べるんだぞ」
昼頃、外へと出かける予定を告げに来たコンボイ司令官に、そんなことより私をあの食い意地の張ったやつと別のところへ移してください、と鳴いて訴えましたが、もちろん通じず、ありがとう、行ってくるよ、と良くわからない返事をされてしまいました(でもちゃんとお見送りはしました)。
積み上がった餌を前に、さて自分の分をどう隠そう、とアラートが首をひねって考えていると、奥ではしゃいだ声が上がりました。
「おい見ろよアラート、雪だぜ、雪!」
指差す先を見上げると、確かに空からちらちらと白い雪が舞い降りています。どうりで朝から冷えると思った、とぼんやり眺めて、その雪が妙にはっきり見えるのに気付きました。それに、いくら雪が降るぐらいだと言ったって、なんだか部屋が寒過ぎます。
「嘘だろう、窓が開いているじゃないか!」
思わず声を上げます。そう、小屋のすぐ後ろにある窓が、半分ほど開いたままになっているのです。
「そういや、朝に司令官が、暖房で部屋の空気が悪いから少し換気しよう、なんて言って開けてたっけなぁ。寝てたから良く憶えてねぇけど……不用心だな」
「のんきなことを言っている場合じゃないぞ。俺たちはただでさえ小さくて体が冷えやすいんだから、二日もこんな吹きさらしのままじゃ、最悪の場合凍死してしまうかもしれない」
司令官のたまのうっかりを、とんでもないところで出されてしまったものです。来客が多い家とは言っても、家の主人が不在ではさすがに誰も来ないでしょう。
どうしよう、と降り続く雪を恨めしく見上げて、ふと思い出しました。
「お前、上側の戸から出られるって言ってただろう」
「ん? ああ、出れるぜ」
この小屋には側面と天井にそれぞれ戸が付いていて、普段は横の扉が出入りに使われていましたが、そちらは引っかかっている金具を強い力で押し込んで開けるもので、自分たちにはとても動かせません。しかし、天井の戸は鍵が壊れていて、横へ引き開ける造りのものなので、やろうと思えば金網を登って簡単に外へ出られるのだ、とインフェルノは以前得意げに話していました。
じゃあ、とアラートが言いかけるより早く、インフェルノが口を開きます。
「けどさすがにあの窓は動かせないぜ。そうだ、外から紙だのティッシュだの集めてきて、それをかぶってりゃいいんじゃねぇか?」
思いがけない提案に、アラートはびっくりしてその顔を見つめました。どうした、と首を傾げられます。
「外に出られるなら、窓から遠くて風の当たらない場所に逃げればいいだけじゃないか」
当たり前のことを言ったのに、今度は逆にインフェルノのほうが驚いたようでした。
「だって、お前は網を登れないだろ? 俺もお前を抱えて登るのはちょっと無理だと思うぜ」
「え……」
「あ、なんだよお前、ひょっとして俺だけ逃げりゃいい、なんて言うつもりだったのか? 仲間を見捨てて一匹だけ助かるなんて、まさかそんな薄情なことできるわけないだろ」
ぽかんと口を開けたアラートを笑って、そうあっさりと言い切ります。アラートは訳がわかりませんでしたが、じゃあなんかあったかそうなもん取ってくる、と早速金網に手をかけるインフェルノを慌てて呼び止めました。
「ちょ、ちょっと待て。紙やティッシュをかぶっている程度じゃきっと駄目だ。風が直接小屋へ当たらないぐらいにしないと」
「じゃあどうすりゃいい?」
「ええと……」
だからここを離れるのが一番簡単なんだ、と言いたかったのですけれど、一匹だけ逃げる、という考えはインフェルノの頭の中にはもうさっぱりないようでした。きっと自分がどう注意しても、いつものように話を聞かずに小屋へ残ろうとするに違いありません。それなら、ここで二匹とも凍えずに済むようにするしか方法はないのです。アラートは懸命に考えました。
「司令官には悪いけど、向こうの窓のカーテンを少し切り取って、前に吊るそう。冬用のだからそれなりに風を通さないようにできるはずだ。それから、厚い本を立てかけたりするといいかもしれない。窓の正面だけじゃなくて、上も横もなるべくふさがないとならないし……」
「よし、まずはカーテンだな。取ってくるぜ!」
口にするだけでげんなりしてしまうような大仕事を、インフェルノは反対の言葉ひとつなく、任せろと言って請け合いました。ひょいひょいと金網を登っていく姿を見て、自分ももう少し運動をしていれば良かった、とアラートは後悔を感じました。
それから、二匹は食事する間も惜しんで仕事に取り組みました。インフェルノが必要な物を外から取ってきて、アラートがそれに細工して、床に敷いたり、金網に取り付けたりしました。
「インフェルノ、もっと上だ」
「このへんか?」
「もう少し右に……うん、そこでいい」
高いところに物を吊るす時などには、周りの良く見えないインフェルノの代わりに、アラートが指示を出しました。あれこれ細かい指図をしてもインフェルノは嫌な顔をせず、危ないことも進んで引き受けてくれました。
「よう相棒、次はどうする?」
「次は……」
いつの間にやら、インフェルノはテレビか何かで聞いたのだという妙な呼び方をアラートに対して使うようになりましたが、仕事に集中していたこともあって、別に気に障ったりはしませんでした。
最後まで力を合わせて働き、陽が暮れきってしまう前に、なかなか立派な壁ができあがりました。気温は昼よりずっと下がり、風も雪もとても強くなっていて、何もしなければきっと二匹とも一日ももたずに凍えてしまったことでしょう。満足して健闘をたたえ合います。
「すげぇな! これ、俺たちが作ったんだぜ」
「ああ。……色々助かった。感謝する」
「俺は言われたまんま動き回ってただけだし、お前があれこれ考えてくれなきゃ、そもそもこんなもん要るとも思わずに凍え死んじまってたさ」
ありがとな、相棒、とまた妙な言葉で呼ばれましたが、アラートはやめろとも言わずに、少し照れくさく感じながら、うん、と頷きました。
壁は無事に完成しましたが、それでも窓の開いたままの部屋はとても寒く、冬の強い風は壁にさえぎられながらもまだかすかに小屋の中に届いてきました。部屋から取ってきた薄いハンカチの毛布にくるまって震えていると、インフェルノがすぐ隣までやって来ました。
「なんだ、お前の寝床は向こうだぞ」
寝ぼけてでもいるのかと、初めに決めた場所を指差すと、インフェルノは言いました。
「くっついて寝ようぜ。そのほうがあったかいだろ」
「いやだ」
きっぱりと答えます。仕事のことは感謝しているけれど、それはそれ、これはこれ。アラートは無防備に寝ている時に誰かがそばにいるのが大嫌いです。
「でもよ」
「お前の寝床は向こうだ」
「ちぇ」
にべもなく断られ、インフェルノはのそのそと自分の寝床へ帰っていきます。薄目を開けて眺めたその背に少しだけ胸が痛むのを感じましたが、ぶんぶんと頭を振ってうち払い、さっさと寝てしまおうと、頭を深く床へうずめました。
翌朝、起きてみて驚きました。
「うぉ、今日も寒いな! 体が半分凍ったみたいになっちまったぜ」
朝から騒がしいインフェルノは、起きたばかりの顔をしていましたが、その体は自分の寝床ではなくアラートの寝床側にありました。そば、と言うほどには近くもなく、アラートの寝ていた場所と、昨日作った壁との真ん中のあたりで寝ていた様子です。
「お前、なんでそんなところに……」
訊ねかけて、ふと違和感を覚えます。インフェルノは自分で言った通りにぶるぶる震えているのに、アラートは今はそれほど寒くありません。なぜだろうと思いながら餌場へ向かおうとして、気が付きました。
「うわっ」
横へ数歩進んだ途端、冷たい風が体に当たり、思わず目をつぶって縮こまります。まさかと思って振り向くと、喩えでもなんでもなく、インフェルノの体の右半分が霜のようなもので覆われているのが見えました。
謎が全て解けました。インフェルノは、抜けてくる風がアラートに当たらないように、自分の大きな体を二枚目の壁にしていたのです。さえぎる面が広くなるように、窓に背を向けて頭を守るのではなく、わざわざ横向きになりまでして。
「お前、何をしてるんだ!」
駆け寄って問い詰めます。そんなバカなこと、ひと言だって頼んでいません。
「いや、だってよ。小さいと冷えやすいって言ってたじゃねぇか。お前ゆうべすげぇ寒そうにしてたし、俺のほうが体がでかくて頑丈だし」
「だからって……」
けろりとした顔で言われて、返す言葉が出てきません。インフェルノはこんなん大したことないぜ、と体から霜を落とし、メシにしよう、と笑ってアラートを促しました。
その一日、アラートは小屋の隅にうずくまって過ごしました。色々なことを考えました。昨日のこと、今朝のこと、これまでのことを、たくさんたくさん考えました。途中でインフェルノが具合でも悪いのかと心配そうに声をかけてきました。そのことも一緒に考えました。
そうして、あっという間にまた夜がやって来ました。
自分の寝床に身を据えたインフェルノがそわそわとこちらをうかがっているのを横目に見て、あいつも気を遣うことがあるんだな、とおかしく思いました。それで、しっかり心が決まりました。
「インフェルノ」
「お、おう。どうした?」
ぎくりとした様子で振り向くインフェルノの隣まで自分から歩み寄っていって、同じ向きに寝そべります。
「アラート?」
「くっついて寝たほうが、あったかいんだろ」
あれこれ説明するのは気恥ずかしくて、それだけ言いました。インフェルノは一瞬ぽかんとしてから、すぐに満面の笑みを浮かべました。
「おう、そうだな! くっついて寝ようぜ!」
「うるさい。耳元で大声を出すな」
照れ隠しではなく半分本気で怒りましたが、インフェルノは気にせず上機嫌で向き直り、もっとくっつこう、と言ってアラートの体を胸に抱え込みました。少し息苦しいと思ったけれど、不思議に嫌ではありませんでした。
「んじゃ、おやすみ、アラート」
「……おやすみ。インフェルノ」
言い交わして目を閉じます。風はまだ少し吹き抜けてきましたが、ゆうべほどには冷たくありませんでした。耳元でずっとインフェルノの寝息が聞こえていても、うるさいとは思いませんでした。それどころか、胸からとくとくと伝わる鼓動が、心地よい子守唄にさえ感じられました。
体を包んでくれる腕があったかくて、やさしくて、アラートは不意に寂しくなりました。いいえ、寂しさを思い出しました。何も気にしていないと澄ましていたけれど、ペットショップの小屋の中で邪魔者扱いされて、一匹ぽっちになって、本当はとても寂しかったのです。やけになって強がっていたけれど、いつ捨てられ処分されてしまうのだろうと思って、本当は怖くてたまらなかったのです。
アラートは生まれつきとびきり警戒心が強く、そんな彼にとって、世界は危ないものや恐ろしいものであふれ返っていました。それに立ち向かって生きるには、何もかも取るに足らないものだと意地を張って、つんと蹴散らしてみせるしかありませんでした。けれど本当は、ゆっくり安心して眠れる場所が、ずっとずっと欲しくてたまらなかったのです。
(明日起きたら、今までのことを謝ろう)
何度蹴飛ばしても明るく笑いかけてくれた初めての仲間に、相棒と呼んでくれた初めての友達に、仲良くしてくれるよう頼んでみよう。
今さらなんだ、当たり前だろう、と笑う顔が簡単に想像できてしまって、少しおかしくて、少し涙がこぼれました。
◇
それからのアラートとインフェルノは、お互いに認め合う仲の良い友達に、親友になりました。相変わらず性格は正反対で、喧嘩をすることもしょっちゅうでしたが、お互いのいいところをたくさん見つけましたし、悪いところはきちんと注意して話し合って、できる限り直す努力をしました。
インフェルノに連れられて、アラートは部屋の散歩もするようになりました。危ないところや怖いところもありましたが、面白いこともいっぱいでした。良く動いて食べる量も少し増えたアラートに、コンボイ司令官は健康的で素晴らしいと喜んでくれました(ちなみに、窓開けっぱなし事件に関しては二匹でひと噛みずつお礼をしました)。
楽しい日々はまたたく間に過ぎ、春の気配が感じられ始めたある日のこと、アラートは散歩中にテレビを見ていました。インフェルノは突如現れたゴキブリを追って廊下へ出て行ってしまいましたので(どんなに仲良くなってもそれだけは一緒にやろうとは思いませんでした)、部屋にはアラート一匹だけでした。
「あ、俺たちの仲間が映ってる……」
テレビの向こうではペットについての番組が流れていて、ちょうどハムスターが特集されていました。そのままなんとなく眺めていると、突然、ナレーションの声が驚くべき言葉を発しました。
『さて、ではそんなハムスターと良く似たこちらのペットを、皆さんはご存知ですか? こちらはモルモットと言って、一見同じように見えても、まったく別の種類の動物です』
えっ、と思わず声が漏れました。画面に映し出されたのは、インフェルノとよく似た姿のネズミでした。
『ハムスターとモルモットは見た目は似ていますが、実は色々なところで大きく違っています。たとえばハムスターは基本的に単独で暮らします。一方のモルモットは仲間と群れで暮らします。また、ハムスターは冬眠に備えて餌を蓄える習性を持ちますが、モルモットはそうしたことを行いません』
初めて知ることばかり、そしてぼう然としてしまうことばかりでした。同じ一族の仲間だと思っていた相手が、実は全く違う種類の生き物だったなんて、夢にも思わなかった衝撃です。
でもそれ以上にショックだったのは、ナレーションの最後の言葉でした。
『似ているからと言って一緒にすると喧嘩をしてしまいますし、食べ物の好みや生活の仕方も違うので、必ず別々の小屋で飼いましょう』
「別々に……」
少し前までは自分からずっとお願いしていたことです。でも、今は違います。もし今、インフェルノと離ればなれにされてしまったら――
「ん? テレビを消し忘れていたな」
不意に後ろから声が落ちてきて、アラートは驚きのあまりぴょんと飛び上がりました。振り向くと、手にインフェルノを乗せたコンボイ司令官が立っています。どちらもアラートを見て不思議そうな顔を浮かべていました。
「アラート、どうした?」
隣に降ろされたインフェルノが訊ねてきます。テレビはもう別のコーナーを映していて、司令官もインフェルノもアラートの見たものに気付いていないようでした。
「いや、別に……なんでもないんだ」
アラートは必死に動揺を押し込めて、嘘をつきました。黙っていればいいのです。司令官は大雑把で動物に詳しくないお人ですから、あまり騒がしい喧嘩をしないように気を付けていれば、二匹が違う種類の生き物であることなんか気付かずに、ずっと一緒にしていてくれるでしょう。
しかしそんな淡い期待は、次に落ちた言葉で、がらがらと崩れていってしまいました。
「ふむ。アラートがここに来てもう半年か。そろそろ一度獣医へ連れて行って、インフェルノと一緒に健康診断でもしてもらうかな」
えっ、と今度は声さえ出ませんでした。コンボイ司令官ならわからなくても、獣医さんが見れば二匹のことなどすぐにばれてしまいます。そうしたらきっと、別々に飼うように勧められるに違いありません。最悪の場合、小屋だけでなく、部屋さえ別にされてしまうかもしれないのです。
「えーやだなー。あそこの先生、腕はいいらしいけどよ、ちょっと怖いんだぜ。ヘマで怪我こさえたりするとすぐ叱られるんだ。気を付けような」
隣で何やら話しているインフェルノの声も、今のアラートの耳にはまるで届きません。どうしよう、どうしよう、と考え続ける小さなペットネズミの不安などつゆ知らず、よし今週の日曜に行くぞ、と司令官はその日をあっさりと決めてしまうのでした。
それから、アラートはずっと憂鬱に過ごしました。いくら考えても、病院に行かずにいられる方法が思いつきません。私は健康です、医者に診てもらわなくたってなんともありません、と一生懸命訴えても、コンボイ司令官にはちぃちぃとネズミの鳴き声が届くだけです。
そんなアラートの様子を見て、インフェルノは何度も心配の声をかけてくれましたが、打ち明けることはできませんでした。仲間だと、相棒だと言ってくれたのに、本当のことを伝えたら嫌がられてしまうかも。そんな思い込みをしてしまうぐらい、気が沈んでいました。
そして、遂に「その日」が翌日まで迫った土曜日、事件は起こりました。
晴れてあたたかい、とてもいい陽気の一日でした。しかしそんな良い天気もアラートの心のもやもやを晴らしてはくれず、気もそぞろにふらふらと部屋を散歩していました。インフェルノは舞い込んできたたんぽぽの綿毛を追いかけて楽しげに遊んでいましたが、いつものようにそちらを眺めて笑う気にもなれません。
そうして足元ばかりを見て落ち込むあまり、アラートはひとつ失敗をしてしまいました。いいお天気だったので、司令官は部屋の上の窓を開けていました。そうした時には絶対に窓側へ近付かないようにしていたアラートでしたが、その日は普段の警戒などまるで忘れて、のろのろと窓の下まで歩いていってしまったのです。
ギャァ、と耳触りな鳴き声が聞こえたと思った時には、既に手遅れでした。はっと見上げた目に飛び込んできたのは、大きな大きなカラスの鋭い爪が、今まさにアラート目がけて、開いた窓から急降下をしてくるところでした。
次の一瞬、部屋に響いたのは小さなハムスターの悲鳴ではなく、モルモットの勇敢な叫び声でした。
「危ないアラート!」
どん、と大きな音がしましたが、アラートの体に衝撃はありませんでした。その代わりに、大変な光景が見えました。後ろの棚の上から飛び出したインフェルノが、カラスの首元に思い切り噛み付いたのです。カラスは驚き暴れてインフェルノを振り払い、その体を乱暴に蹴飛ばしました。ぱっと、真っ赤な血が宙に舞い散りました。
「インフェルノ!」
床に倒れたインフェルノに、カラスが後ろからなおも襲いかかろうとします。アラートの声でそれに気付いたインフェルノは、力を振り絞り、床に落ちていたペンを後脚で思い切り蹴り上げました。まっすぐに飛んだペンはカラスの目のすぐ近くに当たり、ひるんだカラスは遂に飛び上がって、窓から退散していきました。
「インフェルノ、インフェルノっ!」
逃げたカラスの行方など一瞬も気にかけず、アラートは全速力でインフェルノに駆け寄りました。ひどい傷でした。お腹のあたりから流れた血が、みるみるうちに床に広がっていきます。
「アラート……、怪我、ねぇか……?」
苦しげな息を吐いて訊ねてくるインフェルノを、ばか、と叱りつけます。
「怪我をしてるのはお前だろうっ。俺がぼーっとしてたのが悪いのに、助けたりなんてするから……ばか!」
わかっています。一番ばかだったのは自分です。悩み事なんかに夢中になって、外から見える場所までふらふらと歩いていったのですから。そんなばかな自分を、危険もかえりみずに助けようとするなんて。
「いやだ。インフェルノ、やだ、死ぬな……」
目を閉じ、次第に息の弱くなっていく親友を、必死の声で呼びます。司令官、司令官、と主人を呼びます。祈りが通じたのでしょうか、いくらも経たないうちに、コンボイ司令官が部屋へ戻ってきました。
「むっ、これはいかん」
司令官はすぐにインフェルノの怪我に気が付き、大きな手で器用に応急処置をしてから、その体を移動用のキャリーにそっと移して、あっという間に家を飛び出していきました。
「インフェルノ……」
小屋の中に戻されたアラートは、前の道から車の音が聞こえなくなっても、ずっと窓の外を見て、インフェルノの無事を祈り続けていました。
コンボイ司令官が家に帰ってきたのは夕方で、インフェルノは一緒ではありませんでした。
「今手術をしてもらっているんだ。大丈夫、頑丈なやつだからな。きっと助かるさ」
つまり、まだどうなるかわからない、それほどひどい怪我だということです。司令官は安心させるように笑いかけてくれましたが、アラートの心は後悔と哀しみでいっぱいのままでした。
その夜は、寒くて寝られませんでした。
次の日も、次の日も、そのまた次の日も、インフェルノは家に帰ってきませんでした。病院へ連れて行かれる不安なんてとても比べものにならないぐらい、アラートは打ちひしがれて親友の帰りを待ちました。食事は喉を通らず、目をつぶっても眠ることができません。一匹ぽっちでいた頃、自分が毎日を一体どのように過ごしていたのか、まるで思い出せませんでした。
二匹でいると少し狭く感じる小屋が、妙に広く、寒々しく見えました。寂しくて仕方がありませんでした。コンボイ司令官は仕事が急に忙しくなってしまったようで、インフェルノがどうしているのか詳しく教えてくれません。今日こそ、とまさか、の混乱をくり返して、アラートの心と体は日ごとに弱っていきました。
そうして五日目、アラートは小屋の床に寝そべったまま、立ち上がることさえできなくなっていました。
このまま死ぬのかな、とアラートはぼんやり思いました。怪我もしていないくせに、なんて弱いんだろう。あいつはすごく痛かっただろうな。俺の代わりに助かってくれるといいな。あいつは強いから、きっと大丈夫。俺は、どうせ処分されるはずだったんだし、仲間もできたし、短い時間だったけど、すごく楽しかったから、もういいかな。
でも。
でも、最後に、あいつの顔が見たい。
今までありがとうって、お前に会えて良かったって、ちゃんと伝えて、それで――
(――いやだ)
(やっぱり、死にたくない。せっかく仲良くなったのに、仲間だって、親友だって、相棒だって言ってくれたのに。死にたくない。死んでほしくない。ずっとお前と一緒にいたい。インフェルノ、インフェルノ……)
頭がふわふわして、目の前がかすんで来ます。涙ににじんで最後に見えたのは、驚いた司令官の顔と、明るくてあったかい相棒の笑顔の幻でした。
ちくり、とかすかな痛みを感じて、目が覚めました。
「栄養剤を注射したので、少しすれば動けるようになるでしょう」
頭の上で穏やかな声が聞こえます。それに答えたのはほっとしたようなコンボイ司令官の低い声でした。
「ああ。ありがとう、ラチェット。まさかここまで弱ってしまっているとは……ここ何日かばたばたしていて、ちゃんと見ていてやれなかったからな。すまないことをした」
「小さな動物ですから、ちょっとした変化ですぐ弱ってしまうこともあるんです。でももう大丈夫ですよ」
どうやら、ここは動物病院の中のようです。助かったんだ、と息をつきかけて、アラートははっと大事なことを思い出しました。
(インフェルノは?)
重い体を起き上がらせようともがくと、動かないようにと司令官が慌ててなだめてきます。それで気付いてくれたのかどうか、そういえば、と獣医の先生が話し始めました。
「先にお預かりしていた大怪我の患者は、今朝がたやっと容態が安定しましてね。もう大丈夫だとお知らせしようと思っていたところだったんですよ」
何より聞きたかった言葉でした。胸の底から急に力が湧いてきたように感じました。にじみ出てくる涙をこらえて、よろよろと診察台の上に立ち上がります。
「こらアラート、無理をするんじゃない」
再び倒れかけたところを司令官の手の上に乗せられて、こちらです、と歩き始めたラチェット先生の後を追います。壁際に並んだケージの中に、その姿はありました。
「インフェルノっ……!」
金網の前に寄せてくれた手の上から、出せる限りの声で呼びかけました。白い包帯の痛々しい姿で、寝転んだまま動けない様子でしたが、ぱちりと開いた目には、しっかり生気が宿って見えました。
「……アラート?」
「インフェルノ、良かった、無事だったんだな……!」
「おう。お前、なんか細っこくなっちまったなぁ」
「お前なんて、ぐるぐる巻きじゃないか……」
お互いにあまり格好のつかない再会でしたが、それでも嬉しさがあふれて、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちます。泣くなよ、と笑った顔がやさしくて、ますます止まらなくなってしまいました。
そんな二匹を後ろから興味深げに眺めながら、ラチェット先生は言いました。
「司令官、ひょっとしてその二匹を一緒にして飼っているんですか?」
「ああ、そうだが……」
「ハムスターとモルモットは食性も習性もだいぶ違いますので、別々で飼ってやったほうがいいかもしれませんよ」
「む、そうなのか?」
首傾げる司令官に、ラチェット先生が二種のネズミの説明を始めます。来るべき時が来た、とアラートは思いました。けれどもう、悩んだり、諦めたりはしません。
「司令官」
言葉が通じないことはわかっていました。わかっていて、それでも真剣に呼びかけます。
「私たちは違う種族ですが、お互いに話してわかり合って、ちゃんと暮らしていくことができます。たまには喧嘩もするかもしれませんが、すぐに仲直りします。もう絶対に司令官にご迷惑をかけたりしません。だからお願いです、これからもそばにいさせてください」
ちぃちぃと懸命に訴えるネズミの鳴き声を、司令官は笑いもせずにじっと聞いていました。コンボイ司令官は大雑把で少しとんちんかんなところもあるお人でしたが、心が大きくて、生き物の真摯な声を聞き捨てたりはしない、みんなの優しいリーダーでした。
「大丈夫だ。君たちはずっと一緒だぞ」
力強く頷いてそう言い、ラチェット先生を振り返ります。
「ラチェット、インフェルノの退院まで、二匹ともここに置いてやってくれないか?」
「騒ぎを起こさないようでしたら、どうぞ」
「ああ、大丈夫だ」
そうだろうアラート、と語りかけてくるのに、こくこくと頷きます。司令官と、ケージの戸を開けてくれたラチェット先生にお礼を言って、まだふらつく足を必死に前へ動かし、寝そべるインフェルノに駆け寄りました。
「インフェルノっ」
「おぅアラート、心配かけてごめんな」
「いいんだ。俺こそごめん」
「俺たち、ネズミ違いだったんだな。驚いたぜ」
「うん」
「まあ、別に関係ないよな。今までだってこれでうまくやってきたんだし」
「うん。関係ない」
「俺たち、相棒だもんな」
「うん」
どんな生き物だって一匹では生きていけなくて、たくさんのものに囲まれて暮らしているのです。ちょっと種類が違うからと言って、一緒にいるのになんの問題があるでしょう? ちょっと性格が違っていたり、考え方が違っていたりしても、しっかりお互いの言葉を聞いて、進んでわかり合おうとすれば、共に暮らすための新しい生き方が見つけられるはずです。
きっと大丈夫。きっとずっと、仲良くやっていけます。
「うー寒ぃ……まだ陽が沈んじまうと冷えるよな。アラート、もっとこっちに寄ってくれよ」
「わかった」
包帯の巻かれた体の隣に寝て、一緒に丸くなります。とくとくと鼓動の聞こえる胸に頬をすり寄せると、インフェルノがくすぐったげに笑いました。
とてもあったかくて、心地よくて、やさしい気分でした。
「おやすみ、アラート」
「おやすみ、インフェルノ」
ささやきを交わして目を閉じます。今夜はぐっすりと、良い夢を見て寝られるような気がしました。
数日後の退院の日、コンボイ司令官はお祝いにひと回り大きな小屋を買ってくれました。もちろん二匹が一緒に住むためのもので、中には並んで入れる巣箱もありました。外はもうすっかり春で、寒さもだいぶゆるんでいましたが、二匹は毎日隣に寄り添って眠りました。
そんなネズミたちの姿をほほ笑ましく見守る、優しい飼い主のコンボイ司令官が、
(子どもはいつ産まれるんだろうか……)
なんてやっぱり少しとんちんかんな勘違いをしていることも知らずに、ハムスターのアラートとモルモットのインフェルノの二匹は、いつまでもいつまでも仲良く幸せに暮らしたのでした。
おしまい。