(後年談おまけ)


「あー……、馬鹿だったなぁ、俺ら」
「いきなり回想に巻き込んで馬鹿とはなんだ」
 小さなモニターを眺めてぽつりと落とした呟きに、即座の抗議が返る。お、と思って見上げた機体はまだこちらに背を向けた姿勢でデータパッドを操作していたが、だんまりを続けるほどの仕事は終わったらしい。
「いや、部屋の棚ひっくり返してたら出てきてよ」
 自分も横臥の体勢のまま、目前に腰かける機体の横から腕を前へ出し、こいつ、と手にした装置を示す。実際に使ったことは結局ほとんどなかったはずだが、さすがにアラートもこの「カメラ」のことを忘れてはいなかった。
「また懐かしいものを……」
「懐かしいよな。いつ頃だっけ?」
「地球に基地を構えて二年も経たないうちだったから、六、七年は前じゃないか」
 答えにそうかと頷き、腕を戻してまたモニターを見る。自分たちサイバトロニアンにとっては、それが六年であれ七年であれ、はたまた十年であれ、そうまで長い単位の時間とは言えない。でありながらもそこに「懐かしい」という言葉を使うのが奇妙と感じられないのは、この地で過ごす日々が常に新鮮な驚きに満ち、我が身を取り巻く何もかもが目まぐるしく移り変わって、一切の揺らぎなく落ち着くということがほとんどないままでいるためだろうか。異邦の惑星で過ごす慌ただしい一日一日、次から次へと舞い込む事件、予期しない出来事にまつわる衝撃や感慨の大きさは、下手に口にすればまた無識な若造扱いされるのだろうが、それまでの一生で得た経験に匹敵してなお余るのではないかとさえ思えるほどだ。
「そういえば、結局その発明の最終成果を聞いていない気がするな……」
 小さくこぼれた言葉がちょうど手の中に現れていた難しげな表情と同調しているようで、後ろでひそかな笑いを噛み潰した。十年経っても百年経っても、この上官の生真面目さには変わりがない。
 装置を撮影モードに切り替えて顔の正面に構え、ボタンを押し込む。かしゃり、と鳴った独特の電子音は、その鋭敏な聴覚にも懐かしく響いただろうか。
「何してるんだ」
「アラートの尾っぽ撮ってる」
「そこは尾翼であって尾っぽじゃない」
「じゃあケツ撮ってる」
「正しく言えばいいってもんじゃない」
 言葉を投げ合う間にも、見えるままの景色をかしゃかしゃと音鳴らして撮り続ける。カメラをいじりだす前から延々と眺めていた背を十数枚写し、端末の背景にでも使おうかな、とわざとらしく呟いたところで、ようやく首が振り返った。すかさず向けたモニターの中に、いつもの呆れ顔が収まる。
「あー、ひでぇ顔」
「悪かったな」
「いや嘘、可愛い可愛い」
 すぐに訂正を入れたが当然のごとくフォローにならず、またぷいと前に向き戻られてしまう。これはもう絡め手では効かないと判断して、寝台に転がしていた身を起こしつつすまんと詫びをかけた。時にさらなる怒りを買う笑い混じりの謝罪ではあったが、さまで気を損ねてはいなかったらしく、反応は無言の身じろぎにとどまったので、懲りずにその肩の上から腕を前へ掲げ、今度はレンズをこちら向きにして再びカメラを構える。
「はい、笑って笑って」
「邪魔するなよ」
 もはや視線を上げもしない。ぶれのない態度にまた笑いが漏れたが、まあそれでも、と自ら思い直した。
 変わらない部分は山ほどあるが、何もかも全て同じというわけでもない。変わったものは確かにある。言葉にすればほんの数語で終わってしまうごく単純な変化こそが、この短い日々をそれ以前の何より重みあるものと感じさせる、大きな所以のひとつだ。
「いや、変わったっつーか、馬鹿が若干治ったっつーか……」
「なんなんださっきから」
「うん」
 言葉での説明に代えて、先の身じろぎで台のふちに浅く座り直した機体の後ろに腰を据え、姿勢よく座る身を挟んで両脚を床に降ろす。
「ま、こういうことだな」
「意味がわからん」
「いいんだよ」
 示される怪訝は唐突な言動に対してのもので、前後に重なる体勢と呼気の触れる距離に対するものではない。それこそが答えであり、変化の如実な表れでもある。
(つくづく馬鹿だったよなぁ)
 今日に至るまでの寸劇じみた騒ぎの数々を思い返しながら、改めて腕を前に伸ばした。背を丸めて頭の位置を下げ、ふたつの顔が画面に収まるようにする。
「笑おうぜー相棒」
「仕事中に笑えるか」
「そうか?」
 本当に手が離せない重要な仕事なら、先ほどまでがそうだったように、何をしても何を言っても黙殺で終わるはずである。ちょっかいが過ぎれば本気の説教も始まる。淡々とした声音ながらもいちいちに言葉を返し、相手の座る場所を気にする余裕さえあるのだから、おそらくその手の中の作業は既についでのものに移っていて、気のないあしらいは戯れの延長になり始めている。
 ならば逃さず乗らねばなるまい、と即断し、カメラを持つのとは逆の手をそっと持ち上げて、頭を前へ倒しているため眼下にむき出しの頸部を、声もかけずに指先でぞろりと撫ぜ下ろした。
「ひゃあっ」
 高い声が上がり、機体の背が跳ねる。なおも指を動かしてくすぐればその口から笑いの音が出てきたので、掲げた装置のボタンを押した、が。
「ひゃ、や、やめろ馬鹿っ」
「あ」
 身をよじり暴れ出した腕に手首をはじかれて、指から抜けたカメラが宙へ跳ね上がる。ゆるい放物線を描いて落下した先はかろうじて寝台の上であったものの、それなりに大きな衝撃音がした。モニターは光を灯したままなので、幸い壊れてはいないようだ。
「危ねぇな。頭に落ちちまってたらどうすんだよ」
「お前のせいだろっ」
 さすがに怒りを買ったらしい。きっと睨み上げてくるのにひるまず、逆に口尖らせて不平を返した。
「だって全然構ってくんねーんだもんよぉ」
 正式な業務中であれば、集中を要する作業でないことが明らかでも、ここまで露骨な邪魔はしない。上官の仕事熱心さは理解し支持しているし、やり過ぎれば大いに機嫌を下降させることもわかりきっている。だが今は本来そうした時間ではないのだ。一日の仕事がはけたあとの余暇を、アラートが残務の処理に充ててしまっているだけである。それはインフェルノの支持する真面目の範疇外だ。
「もう少しもう少しって、ずっとほったらかしだぜ」
 とは言え急にくすぐったことはまた別の問題なのだが、強引にすり替えて訴えると、当人もやや後ろめたく感じていたらしく、「……すぐ終わる」と小さく返したきり叱責の言葉をつぐんだ。勝ちに気を良くしてまた頭を近付けると、肩越しに覗くアラートの端末画面に、何やらの映像が動くのが見えた。
「何やってんだ? それ」
「次の講習会で見せるビデオを作ろうと思って……」
「ああ、そういやもうすぐか」
 数か月に一度行う街の市民や消防隊向けの講習会も、確かあの装置の発明と同時期に始めたものだったから、つまりはもう六年か七年に渡って続けていることになる。初めこそなぜ自分がと不服と不安ばかりこぼしていたアラートだったが、否応なく回をこなすうちに指導の分野に関心が深まったのか、次第に熱を入れて企画に取り組むようになった。あれこれと頭をひねってより良い講習にしようと工夫も重ね、今では率先して楽しんでいる様子さえ見せるから、これも大きな変化のひとつと言っていいだろう。意外にも感じたが、何事にも細かく口うるさい部分が、教育者向きの熱心な面倒見の良さにうまく転化されているのかもしれない。
 いいことだ、と頷きながら、模擬戦の録画とおぼしき映像の中に自分の姿を見つけ、
「なんだ、カッコいい救助員さんの活躍を見せてくれようってわけか?」
 冗談めかして問うと、淡然とした答えが返った。
「いや、後先考えずに突っ走ると痛い目を見るから何事も注意が必要だ、の教訓にでもしようかと」
「え、やめようぜそういうの……良く見りゃ罠にハマった時のやつかよ」
 信用が落ちるからのなんのと異議を並べ、どうにか企画をしりぞける。すると、いい教材なんだけどな、と冗談でもないらしい呟きを落として今度は早速データの消去にかかるので、それも慌てて止めた。
「だからってンなすかっと消さなくてもいいんじゃね? 後半戦で俺なかなかスマートに挽回したぜ?」
「銃撃戦なんて見せても仕方ないだろ」
「いや講習会でじゃなくてよ……」
 言いつつ、端末を持つ手の下から自分の腕を回し、装甲の薄い腰を巻きしめる。肩はわずかに揺れたがもう暴れかかることはなく、すぐに背がこちらの胸へと寄りかかってきた。頭を横に寄せ、続ける。
「相棒にカッコいいとこ見てもらいてぇなー、なんて」
「データ整理の時に一度見てる」
「もっかい見ようぜ、もっかい」
「お前が見たいだけだろ」
「俺を見てるお前が見たい」
 これに関してのどたばた騒ぎも一度や二度ではなかったな、と懐かしく思い出す。この体勢では見えないが、衒わず告げるほどに俯いていく顔はどんな表情になっているのだろうか。やはり撮りたい、と横手に転がったカメラへ目をやったところで、ぽつり、ささやくような声が鳴り落ちた。
「そんなに何度も見てたら、それこそ馬鹿みたいだろ。……もうお前はここにいるのに」
 はたと視線を戻し、まじまじと胸元を見下ろす。カメラへ腕を伸ばす代わりに、もはや一操作も進んでいない端末を取り上げて脇に置き、空になった手を上から包んでもう一度その身を抱き込み直した。アラートは仕事を中断させられた文句も言わず、自分の膝に顔を向けたままでいる。
「アラートすまん。俺まだ馬鹿だったみてぇだわ」
「……まあ俺も、そのあたりは言えたものじゃないし」
「仕事もう終わりでいいか?」
「うん」
 正式な許しを得て、後頭へちょんと口付けを贈る。胸にかかる重みが少し増したので、そのままの位置でねだりかけた。
「待たせた詫びに笑ってくれよ」
「なんだそれは」
「今日はまだしかめっ面しか見てない」
「悪かったな愛想がなくて」
「アラートのかわいい顔見てぇなー」
「結構しつこいよなお前も」
「どうしても笑わないってんなら……」
「くすぐったら減給」
「そりゃ困る」
 腹の前でふたつの手を遊ばせながら掛け合いを続けるうちに、俯いていた顔は上がり、やはり淡々とした調子ながら、言葉にも笑いの色が混じり始める。最後に見やったモニターには上半分が切れたふたつの顔が映し出されており、どうやら先ほどの試みは失敗に終わったらしいが、今こそもう一度、とは思わなかった。
「なぁ、相棒」
「だからくすぐったいって」
 肩口に唇を落としてくり返し呼べば、いっそう声が愉快げにほころんでいく。
「アラートー」
「はいはい」
「好きだぜー」
「……知ってるよ、ばか」
 そう、馬鹿げた騒動とともにかつて求めた何もかも、今や全て腕の中に収めてしまっているのだ。あえて一時の枠に捕らえる必要はない。まだわざとらしくそっぽを向いているが、いずれすぐこの目にだって、愛らしい恋人の顔を直に映させてくれるだろう。

Fin.
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