ハンド・トゥ・ハンド
「やあワーパス、お疲れ様だね」
ちょうど準備をしていたところだよ、と、機工室の戸を開くなり投げかけられた穏やかな声に、戦時の昂揚を保ったままでいた身の内の熱が、ふっと沈んでいく感覚を覚えた。
回路を巡る電気信号までがその波高を抑えるのを感じながら、補修台の前で器具を並べている部屋主の前まで進み、言葉を返す。自分でも驚くほど普段通りの(前線で聞くのとは印象がだいぶ異なると評判の)声が滑り出た。
「お疲れ。いつもすまんなァ」
頭掻きつつ言えば、
「なぁに、お安いご用さ」
即座に返答があり、全く繕いのない言葉と知るからこそ、逆に自省の念が強まる。とは言え、起きたことは変えられず、今はその好意の世話になるほかなかった。
「連絡は受けているけど、弾詰まりだって?」
「ああ。砲塔の動きも鈍くてね」
そうかと頷きつつ、こちらを見つめる青のゴーグルの裏には既に透写された機械図が流れ、寸時で診断を済ませたらしい。反応を見るとそう深刻な状態ではない様子で、じゃあと言って補修台を示される。
「外からじゃわからない程度だけど、筒の内側にひずみが出ているな。砲塔の動作不良のほうはオイルの目詰まりだと思う。時期としてもそろそろだったし、できれば全体を外してオーバーホールしてしまいたいんだが、構わないかい?」
「そのほうが良さそうだな。頼むよ」
答えて台に上がり、寝そべる。よしきた、と人が腕まくりをするように自らの手のバーナーをひと撫でしてから、サイバトロンの補修員・ホイストは作業にかかり始めた。
現在のサイバトロン軍内には仲間たちの治療に携わる要員が三名在籍しているが、もちろんその中心は専任の軍医であるラチェットだ。彼が不在の際や、数や規模の点で一人では手が足りない状況が来れば、代理、および分担・協力体制で対処に当たるものの、ホイルジャックは技術者として新設備や新武器の開発に注力する時間があるし、ホイストは本来治療よりも、施設内の装置を含めた各機器の整備補修が主な仕事である。
しかしいくつか例外もあり、たとえばダイノボット部隊に関する治療や各種の調整については、ホイルジャックが自ら主担当を申し出ている(親心ってやつだろうね、とホイストは評した)。そして、戦車を変形体に持つ赤の戦士ワーパスもまた、一部分的に例外に属していた。
「それじゃあ、始めるよ」
「ああ」
答えて間もなく電動スパナと熱切断用のバーナーの作動音が胸の上で行き交い、いくらも経たないうちに、ごとりと砲塔が横へ外される。例外とはこの自慢の砲のためで、胸部に一体化した武器を主活用するワーパスのリペアは、故障箇所の施療と砲塔の精緻な補修調整との二重作業が必要になるらしい。治療は請け合うがあとは専門のほうで見てほしい、とラチェットが言うので、初めはリペアののちオーバーホール、と段階を踏んで行っていたが、そのうちに、二度手間を避けるため、胸部中心の軽度の負傷であれば初めからホイストが担当する、ということになった。
そんな経緯を聞いて、いささかばかり羨ましそうな顔を見せたのはクリフだったろうか。ラチェットの腕は誰もが認めるところであり、皆の信頼も非常に厚い名医だが、いかんせん、患者に対して少々辛辣というか、有り体に言ってしまえば少々恐ろしいところがある。無慮や無茶の行動をきっかけに得た負傷については(それは往々にしてサイバトロン陣営の負傷の主要因であったが)、その行為を一切の容赦もなくばっさりと斬って扱い、淡々とした言葉で極太の釘を刺しつつ、最高の技術でもって最高の戦慄を感じる治療を施されるのだから、皆の無事を人一倍願ってくれていればこそのものとわかってはいても、その世話になりがちな前線要員たちにはある種の畏怖の対象である。
一方のホイストは、尖った個性を持つ者の多く集まるサイバトロンにあって、指折りに温厚で気さくな性格をしており、仲間に対して厳しい言動を向けることはほとんどない。それはリペア時においても同様で、その人当たりのやわらかさを頼り、軍医からお叱りを頂戴しかねない怪我を負った者がこっそりとホイストを訪れることもあった(だがホイストは自分の手に余ると思えば悪気なくその場でラチェットへ連絡してしまうので、実際の成功率はあまり高くはなかった)。
「ああ、これなら大丈夫。それほど手間もかからないで直せるよ」
「そりゃ良かった」
外装甲が外され剥き出しになった胸にさえざえとした空気が当たるのを感じつつ、首を横にひねってその手元を見やる。槌にバーナーに人の指にと次々形を変えながら動く器用な手は、自分の命にも等しい主砲を預けて良いと掛け値なく思える、数少ないもののうちのひとつだ。
「なあ、ホイスト」
ほつりと呼びかける。うん? と手を動かしながらの声が返った。
「お前さん、こういうのを嫌になったりはしないのか?」
「こういうのって?」
「せっかく直してやったものを、また荒っぽく使って壊してきやがって、みたいなことをさ。思ったりしないのか?」
問いかけに今度は一度手が止まり、首を横へ傾げてみせる。
「うーん。まあ、怪我については思うところはないではないけどもね。そのあたりはラチェットやほかの皆がうまく言ってくれるし、俺は特別口を出さなくてもいいかなと思ってるよ。そういうの得意でもないからさ」
それにね、と続ける。
「武器や道具に関してはさ、壊れてもなんでも、しっかり使ってくれたほうがいいんだよ。完璧に修理したから、って使い惜しみされちゃったら、直した意味がないだろ?」
「まあ、そうか」
「そうさあ」
自分の言葉に納得するようにうんうんと頷き、こちらを見る。なぜ急にそんなことを訊いてきたのかと疑問に思ったようなので、問われる前に答えた。
「いや、前回ここに寝たのが割と最近だったような気がしてね」
「記録が残ってるよ。六日前だ」
「最近だな」
「最近だなぁ」
また頷き、少しの沈黙の間を切って、はは、とホイストが笑いを立てた。
「なんだ君らしくない、気にしてるのかい」
「前回はともかく、今回はあんまり褒められた戦果じゃなかったからな」
「でもまぁ大した怪我がなくて何よりじゃないか」
そう言ってまた笑い、こちらが口結んだのを見下ろしつつ(もちろん実際はマスクの下なので見えていないが)、俺はねワーパス、と語りかけてくる。
「この仕事がとても好きなんだよ。自分が修理や調整をした物が仲間たちの役に立ってくれるなんて、誇らしいじゃあないか。何度壊されたって、何度直すことになったって構やしないさ。それだけ使ってくれているってことだし、それが俺に任された大切な仕事なんだからね。道具ばかり丁寧に使ってもらっても、それで大事な仲間たちが怪我をしたら、そのほうがつらいし悲しいさ」
滔々と述べるホイストの表情は、きっと声音と同様に穏やかでいるのだろう。サイバトロンには珍しく幅広のゴーグルとマスクで完全に素顔を隠してしまっているホイストだが、その外見に冷たさは微塵も感じられず、まとう空気はいつも明るくやわらかい。
眩しく見上げつつ、何を言って返そうかと考えていると、こちらの言葉がまとまるより先に、まあでも、と声が続いた。
「俺もさ、申し訳なく思うことはあるよ。ラチェットやホイルジャックのように複雑な治療ができるわけではないし、応急処置もあまり得意じゃないから、前線部隊に付いての救急要員には向いてないしね。と言って、君やアイアンハイドみたいに、どんどん前へ出て戦ったり仲間を守ったりできるってわけでもない。武器も機材も自分の手を離れてしまったら、あとはそれが不備なく使えることを祈って、君たちに任せるしかないんだ」
「……ホイスト」
思わぬ言葉にひとつ呼びかけを送る。見上げる顔は、しかし変わらず穏やかなまま、翳りの気配を帯びてはいなかった。ぱっとおどけたような仕草で手を広げ、言う。
「だからおあいこさぁ。そのぶん、皆が自分の仕事を頑張ってやるのさ。君は前線で戦って皆を守る。俺は君たちが使う武器や道具の手入れをしっかりきっちりやる。それがチーム、そして仲間ってもの!」
だろ? と渡されるやわらかな問いかけに一瞬ほうけてしまってから、つられるように笑みを漏らし、だな、と頷く。まったく、戦場に飛び交うどんな砲弾にだって、これほどの威力はない。
サイバトロンはそのメンバーのほとんどが民間出身者で構成され、敵対するデストロン軍団に比しても、純粋な軍事能力は決して高くない。が、ホイストしかりラチェットしかり、高度な特殊技能を有する者が多く集い、その能力を活かして組織を支えている。そんな中で、ワーパスは希有に戦闘に特化した人員である。それを呪わしく思ったりなどはしないが、ふとした弾みで、たとえば今のように、直し造る者の手と、戦うしか能のない者の手を引き比べて考えてみることも、時にはある。ことに、見つめるその手が、特別に好意を抱いている相手のものであるときた日などには。
しかし彼にとってみれば、そんなものは一時の悩みにもならない些末なわずらいであるらしい。
「お前といると前向きになれていいよ」
「はは、そうかい? ありがとう」
笑いを向け合う。たとえ互いの目に形が映らなくとも、この親しみは薄いマスク一枚にさえぎられるほど小さなものではない。
そう、と三たび頷きを示し、ホイストは言った。
「だからそんなに気にするなって。グラップルには俺からうまく言っておくから」
転げた名前に、う、と思わず声を詰まらせる。
「あ、あー……知ってたのか」
「ああ。一緒にいたゴングから聞いたよ。外れた砲撃が監視塔を壊してしまったって。その時崩れた岩に当たってこうなったんだろう?」
とん、と手にした砲塔を台に鳴らす。ワーパスは気まずく肯定を返した。
「怒るよなァ」
「ちょうどそいつの増築の設計図を引いてたところだからなあ。うーん、怒るというか、下手に教えると膝から綺麗に床に崩れ落ちてしばらくそのままになっちゃうと思うんだよなぁ。だからタイミングを見計らって、何か手頃な言い訳もつけて伝えておくよ」
「すまん……」
小さく謝しつつ、ブレインに思い浮かべた繊細な建築家の姿にも、せめて心の中で同様に謝罪を述べる。武器や機材はまだしも、大きな施設や建築物は壊れてこその物ではないのだ。不可抗力ではなく狙いを外してという苦さもあり、さすがに胸は張れない。軽く排気をこぼすと、ホイストは首を横へ振り示し、
「だから気にすることないって。わざとやったわけじゃないんだ。君は君のやるべきことをやってそうなってしまっただけだし、俺は俺の、グラップルはグラップルのやれることをやるさ」
まずはこれから、と言って、止めていた修補の手をまた動かし始めた。砲身の歪みを眺め、槌で叩いて調整しながら、言葉を続ける。
「まあそれでも、俺ももう少し前線に付いていけるようになれたらなぁとか、思ったりはするけど」
「……それはあまり勧めないがね」
「はは。やっぱり足手まといか」
気を悪くした様子もなく言うのに、いや、と答える。前線に出るということは、それだけ危険と隣り合う機会が増えるということだ。
「私だって、大事な人が怪我をしたら悲しいからな」
「え?」
かん、と槌の当たった大きな金音に重なって聞き取れなかったのか、問いの一音が返る。強く意識しないまま、心任せに口をこぼれ落ちた言葉だったが、さてそのまま伝えるか否か、と巡らせ始めた考えを、不意の闖入者が断ち切った。
「インフェルノォ! ここかぁっ!」
戸が開き始めると同時に大音声を部屋へ投げ入れ、次いで姿を見せた赤と白の機体は、サイバトロン保安部長、アラートのものだった。
肩をいからせ、体側に拳を握り、頭部の感覚器が放電を見せていないことが不思議なほどの激高の気配をまとわせながら、鋭く光るアイセンサーが機工室の端から端までを見渡す。一度、二度、と視線が往復し、そうして見たもの――見つけられなかったものにようやく怒気を鎮めたアラートは、一転声を抑えて謝罪を唱えた。
「……すまないホイスト、急に怒鳴り込んで。ここに来ているものと思っていたんだが……」
「インフェルノか?」
それを呼ばわって入ってきたのだからわかってはいたが、説明を求める意味も兼ねて彼の相棒の名を出す。時たまに面倒な言動もあるものの根は聡明な保安員は、しかと察して言葉を返した。
「今朝の任務中に負傷をしたらしいと聞いたんだ。私も今基地に帰ってきたばかりで会えていなくて。ラチェットもホイルジャックも来ていないと言うし、あとはここしかないだろうと……まったく、また報告もなしにあいつは」
胸の前に組んだ腕をいらいらと指で叩いているが、その発言の裏に角度を合わせて眺めれば、憤りよりも、焦燥と不安が強くにじみ出ているのが見て取れる。自分にさえわかるのだから、常から気の回るホイストももちろん承知で、まあまあ、となだめにかかった。
「俺は朝からここにいるけど、見てないなぁ。らしい、ってことは本当は負傷していないかもしれないし、今の時点でそうぴりぴりすることないさ。通信は?」
「……したら逃げてしまうかもしれないと思ったから、まだ」
「呼んでみたらいいよ。そういう時は、意外と部屋で寝てるだけだったりするもんさ」
「うん……そうだな、そうするよ」
ありがとう、ワーパスもリペアの邪魔をしてしまってすまなかった、ともう一度丁寧に謝意を述べてから、現れた瞬間の騒がしさを完全に収め、アラートは部屋を出ていった。
扉が最後まで閉まり切るのを見届けて目線を戻し、二人顔を見合わせる。
「相変わらずだな」
「アラートは心配性だからなあ」
逆にそれだけ仲がいいってことなんだろうけど、とほほ笑ましげに言うのに、しかしなと口を挟む。
「インフェルノ、来てたろう?」
「あ、わかるかい」
「もちろんハウンドほどじゃないが、硝煙のにおいに限っちゃそこそこ敏感なんでね」
部屋へ入った瞬間に気付いていた。この基地内で常から煤混じりの煙のにおいを濃くまとっているのは、例の救助員以外にいない。なるほど、とホイストは頷き答えた。
「昼頃だったかな。出先から帰った足で来て頼み込まれてさ。まあそこまでひどい怪我ではなかったし、事情も不可抗力ってとこだったようだし、ささっとね」
「教えなくて良かったのか?」
「本当は良くないんだろうなあ。けど気持ちはわかるからさ」
「まあ」
アラートには悪いが、理由によっては負傷を気恥ずかしく情けなく思うことだってあるし、普段から心配をかけているのだから、もし隠せるチャンスがあるならそうしたいとも考えてしまうものだ。だから秘密にしておこうじゃないか、と顔の前に指を立てるホイストへ了解のジェスチャーを示す。そうしてから、ふと思った。
「だがなんでアラートは気付かんかったんだろうな? においにだってずっと敏感だろうに」
何しろ過剰なほど優秀な知覚センサーの持ち主だ。ワーパスでさえが気付いたものに気付かないはずがなかろうと思えるのだが、ホイストの自然な態度があったとは言え、微塵も疑念を働かせる様子がなかった。
首をひねっていると、それはさ、とひそやかな声が降る。
「馴染みすぎてと言うか……自分にもそのにおいが移っちゃってるから、なんじゃあないかな」
思いがけない言葉だった。驚きとともに見上げると、なんだい、と問われる。
「いや、まさかお前さんがそういうことを言うとは思わなかった」
彼が仲間たちのあいだの特別な関係を先の言葉のようにほほ笑ましく見ているのは知っていたが、そこまで直接的な表現で評するとは、少し意外だった。全方位にポジティブというのか、相棒とも言うべきグラップルへの多少保護者然とした態度を除けば、周囲へ寄せる好意の多寡の差があまりないように見えるホイストである。この性格であるから、実は昔から「好い声」を向けられていることも多いのだが、当人はそれに無頓着で(と言うより、あまり気付いていないのかもしれない)、そういった方面への興味に今ひとつ薄いように思えていたのだ。
そうしたところをごくかいつまんで答えると、
「なんだいそれ。俺だって別に枯れてるわけじゃあないんだよ」
そう不服げに返される。すまんと謝ったが、まだ意外の感が勝り、まじまじと見つめてしまった。それに気付いてかゴーグルの青が一度こちらを正面に捉え、と思えば、すぐまた手元へ目線を戻す。しばし、奇妙な沈黙が流れた。
そういえば先ほど自分は考え事をしかけていたな、と、静けさにつられるように闖入者登場の前の思考に戻りかかる。彼の博愛精神のようなものに逆に熱なだめられて、言葉を宙に浮かせたままでいるのはまさに己こそなのだが、もしも、こちらが感じていたよりその手の話に自覚的なのだとしたら――
と、解を導きかけた思慮の波が再び、今度は外からの不意の声ではなく、頭上に落ちる静かな声に止められた。
「――さっきね、俺は『気持ちはわかる』って言ったけど」
「うん?」
一度首傾げてから、ああインフェルノの話か、と思い出した。怪我を隠したいっていう、と、そこまで考えて、またもや先をさえぎられる。しかも、もう一段にも二段にも増して、思いがけない言葉で。
「多分君は、勘違いしているんじゃあないかな。俺はさ、インフェルノじゃなくて……、アラートの気持ちがわかるって言ったつもりなんだ」
――俺だって、大事な人が怪我をして帰ってきたら悲しいよ。
はたと見上げた。かん、と槌の音が大きく鳴るが、いつも好ましく響く柔和な声は、はっきりとセンサーに捉えられ、波形ひとつ変えることなくブレインに届いた。
(私だって、大事な人が怪我をしたら悲しいからな)
心のままこぼれ落ちた、金音ひとつ程度には紛れなかっただろうはずの己の言葉が、胸によみがえる。つまりこれは、そういうことと、受け取ってしまっていいのだろうか。
マスクの下の口を数度開き閉じし、
「……そうか」
「……うん」
結局、互いに間の抜けた相槌だけを紡いで終わる。
「……とりあえず、これを終えてしまっていいかな」
「ああ、……頼む」
ぼそぼそと言い合って、また沈黙を迎える。有能な補修員は、そう時間も置かずに砲の修理を終えてしまうだろう。それまでのわずかな間で次に発するべき重要な言葉をととのえねばならないのに、隣で軽やかに動く大事な手指を眺めながら、あの硬質なゴーグルとマスクの下の顔は今は一体どんな色をたたえているのだろうかと、埒もないことばかりがブレインの内を経巡っていった。
Fin.