ユアマイハート



「なんだマイスター、まだ上がっていなかったのか?」
 戸の滑り開く音に一瞬遅れて、意表を突かれたような声が部屋に落ちる。キーを叩く手を止めて振り向くと、コンボイが怪訝な表情を浮かべて立っていた。
「仕事が終わっていなかったのなら、言っておいてくれればもっと早く戻ったんだが……」
 部屋の中へ足進めながらそう済まなげに言うのに、いいえ、と笑って首を振る。
「ただ私用で残っていただけでしたので。そちらはどうやら大事なかったようですね」
「ああ。事故や敵襲でなくてひとまずは良かった」
 基地に突如緊急警報が鳴り渡ったのは、共に司令室で今日の残務を整理していた時のことだった。脇目も振らず飛び出していったコンボイの後詰めとして部屋に控えていたが、さほど間も置かずに連絡が入り、警報はアラートが熱暴走の弾みに誤って発してしまったもので、当人はリペアルームへ運ばれたが問題なかろうとのことであったので、今は警戒の態勢も解いている。
 集まった仲間たちも既に解散させて、アラートの付き添いは外出する軍医の代わりにインフェルノへ任せてきたという経緯を聞き、それはまた、とひそやかに笑いをこぼす。気心知れた相棒ならば安心できようという配慮であったのだろうが、そもそもアラートが突然オーバーヒートを起こしたという事の起こり自体、あの救助員が原因として絡んでいる可能性が大いにある。部下を思いやる一方でそうした方面には気が回っていないのがコンボイらしいと言えばらしいが、リペアルームではどんなどたばたが起きていることか(それとももう起きた、か)と、マイスターは一途な保安部長の心中を察した。
 コンボイがすぐに戻ってこなかったのは、誰かに呼び止められて、そのまま会話に興じていたためだろう。こちらへ状況を報せた時点で今日の務めを終えたマイスターが自室に引き上げたものと思っていたから、まだデスクに向かっているのを見て驚いたというわけだ。確かに私用を果たすにしても少々遅い時刻ではあり、一体何をしていたのかと問われ、答える。
「手紙を書いていたんですよ」
「手紙?」
「ええ」
 キーパネルを示して頷くと、こちらへ歩み寄ってきたコンボイが後ろから手元を覗き込もうとしたので、ぱちりとディスプレイの電源を落とした。笑って見上げる。
「駄目ですよ司令官。途中の手紙を覗かれては」
「む」
 そうか、と言いつつよけた視線で捉えたらしく、ディスプレイの代わりに、横に置いていた紙片が指差された。
「これが、昨日君が街で貰ったとかいう……」
「ああ、お聞きでしたか」
 好奇心旺盛なメンバーの多い我が軍においては、ひとつめぼしい話題が持ち上がるや、たちどころにそれに連なる声が広がっていく。外から帰った足でそのまま食堂に物を持ち込んだ自分も迂闊ではあったのだが、昨夜の話が今日の昼にはほとんど全員に知れ渡っていたようだから、特別に隠すつもりもなかったとは言え、さすがに少々面映さも感じてしまうというものだ。スパイクやバンブルあたりならともかく、同僚や上官にまで自分が「ラブレター」を受け取ったことを当然のように話題にされるというのは、なかなか妙な状況である。
「その返事を書いていたのか?」
「はい」
 でも、と言葉を続ける前に再びそうかと相槌してコンボイは横を離れ、後ろの自分の席へ戻ったようだった。首をねじって見やると、部屋を飛び出していった時のままのデスクの整理を始めており、いくらか時間がかかりそうだったので(彼は仕事中に物を端から広げて使うたちである)、ならばとディスプレイの電源を入れ直し、浮かぶ文面と再び向き合う。
 少し、のつもりが思いのほか集中してしまったようで、ふと気付くと後ろで物をがさつかせる音が止まり、背に視線が投げかけられているのを感じた。しまったと思いながら振り向けば、こちらを見る蒼と視線がかち合う。
「司令官、何かご用でしたのなら伺いますよ」
 椅子に腰かけてはいるが特に何をしているという様子でもないから、マイスターの手が止まるのを待っているのだろう。上官へ無用の待機をさせてしまったと申し訳なく思いつつ呼びかけたが、いや、と首が振られた。
「別に急ぎの用ではないんだ。長くかかりそうなのか?」
「いえ、そこまででは……しかしこれも全く急ぎではないので」
「なら終わらせてしまうといい」
 きっぱりと言い切られてしまう。言い出したら聞かない上官のことだ。こうなっては固辞するほうが余計に迂遠なやり取りになるだろうと、少しだけ手を進めてから終わった振りをすることに決め、すみません、と応えて前へ向き戻る。そうして一、二行分キーを叩いたが、やはり沈黙と視線が気にかかり、コンボイの暇を紛らわせる意も含めて、こちらから語りかけた。
「ゆうべスパイクから教わったのですが、地球の手紙の文化というのはなかなか面白いものですよ」
「ほう? そうか」
「挨拶ひとつにしても、送る相手に合わせて何種類も使い分けるんです。国によっては季節ごとに何十通りもあって、その書き方にまつわる本まで売られているとか」
 届くまでに間があるどころかただ書くにも相応の手間と時間が必要で、よくよく地球の人間とは非合理的な振る舞いをすると評すこともできるのだろうが、そうした過剰に手の込んだ地球の文化が、自分たちロボット生命体から見れば一瞬のようですらある短い生涯を、彼らが目一杯の喜びに満たし、日々何かを残すべく懸命に生きている証のようで、マイスターは好きだった。基地を訪れる友人たちを始めとして、人類の持つ勇気や心の豊かさには時に驚嘆させられるし、その暮らしに触れた今では、長年の合理的な慣習が味気なく感じ、地球のやり方のほうに是を唱えたくなることもあるのだ(その最たるものが音楽だが、いまだ理解者が少なく残念の限りである)。
 コンボイもこの意見には概ね同意の様子で、マイスターが自ら学んだ知識を折々に披露するのを、いつも楽しげに聞いてくれる。有意な情報交換と言うほどでもなく、ほとんどが雑談めいた他愛のないやり取りは、しかし故郷を遠く離れた地で軍の統制と渉外に追われる日々のたまの息抜きであり、ふたり隣り合い心穏やかに過ごす貴重な時間でもあった。
 二通の手紙を潰してしまわぬよう指でそっと取り上げ、後ろへ示して言葉を続ける。
「通貨代わりのこのスタンプも、とても細やかで良くできているでしょう? 何かの記念の際に作った物があとで高値で取り引きされることもあるそうですよ」
「はは。すっかり詳しくなったようだな、マイスター。これなら今後人間たちに宛てて手紙を出す時は、全て君に任せてしまえるな」
「おや、確か今までも私が代送していましたがね」
「ああそうか。では引き続きよろしく頼むとしよう」
「お任せを、司令官」
 笑み交わし合い、机に置き戻した紙片の裏にふと視線を落として、地球の友人から教わったもうひとつの知識を思い出した。二通の手紙に共通して貼られている、これまでにも本や街の中で幾度か目にしたことのあった、特徴的なインシグニア。
「このハートのマークの話はもう聞かれましたか?」
 キーを叩く手を再開させながら訊ねかける。ハート、と言葉が疑問符を付けて返された。
「よく見るので名前は知っていましたが、今回改めて訊いてみたんですよ。これは我々で言うスパークに当たる、人の心臓の形を模したものだそうです。でもこのマーク自体は器官そのものを指すわけでなく、心や愛情を表すものなんです。なかなか意味深いと思いませんか」
 命の形で愛を示すなんて、とマイスターは関心を覚えたのだが、常ならばなにがしかの感想を述べるだろうコンボイからは言葉が返らなかった。おや、と思ってもう一度振り向こうとしたその時、
「うわっ」
 突如、後ろから伸びて胴に回った腕の感触に、思わず声が漏れ出る。首を倒して見上げれば、いつの間に席を立って歩み寄ってきていたのか、椅子ごとマイスターを抱き込むような格好でコンボイが背後に立っていた。慌ててディスプレイの電源を切ったマイスターの身じろぎに構わず、言う。
「君の貰った手紙に、そのマークがあったのか?」
「え、ええ。便箋の封代わりに貼られていたんですよ。……あの、司令官」
 どうかなさいましたか、と問いかける。どこか不機嫌じみたものを感じさせる様子なのだが、腕は胸を捕らえたまま離れていかない。頭上から低い声が落ちる。
「そうした文化は、確かに興味深く感じるのだが」
 少しの沈黙を置き、
「……君がそれを受け取って、また返すのかと思うと、その点についてはあまり面白くはない」
 そう、ばつの悪さをにじませつつも同時に少し拗ねたような口調で言うので、驚き見つめた。下からの角度もあって表情はしかとはうかがえないが、マスクの下の口を尖らせてでもいるかもしれない。
 一度前を離れた片手が脇に置いた手紙へ伸び、くだんのマークを伏せる向きにぱたりと裏返したのを見て、いつも己を隠さない正直な上官の態度に笑いがこぼれた。
「妬いてくださったのですか?」
 貴方のほうがよほどこうしたものをお貰いでしょうに、と既知の事実を述べればむうとうなり声が返るものの、腕の輪は解かれない。その鮮やかな赤に自分の指を添え、言う。
「返すと言っても、私はこのマークは使いませんよ。明日スパイクが便箋と一緒に地球の音楽の記号を描いた封を持ってきてくれると言うので、それを貼るつもりだったんです」
 第一、と上に重なる腕ごと己の胸を押さえ、
「私のスパークは、もうこの身と心ごと、半分を貴方に預けてしまっているのですからね」
 ほかの誰に見せようと思っても、こんな綺麗な形にはなりません――そう紡ぎ、腕に頬を寄せた。出力の大きさゆえか、自分よりもやや高く熱を持つ機体のぬくもりを充分に感じる前に、その逞しい腕が優しくこちらの指を外し、ふらりと離れていく。
「司令官?」
 振り向き仰ぐ。コンボイは頭を押さえる恰好で、何やら気まずげに視線をさまよわせている。
「ああ、いや……すまないマイスター。部屋に戻るとしよう。ここにいると邪魔をしてしまう」
「え?」
 気を損ねたというわけでもなさそうだったが、言うなり本当にきびすを返して去っていこうとしてしまうので、立ち上がって呼び止めた。
「待ってください司令官。邪魔だなんて思っていませんよ。それに、何かご用だったのでしょう?」
「まあ、だが、それはまた今度にでも」
「しかし」
 もともとは少しの時間潰しのつもりで続けて、それがうっかりと長引いてしまっただけなのだ。そもそもなんの時間を潰そうとしていたかと言えば、そう、
「私は、貴方に用があったんです」
 コンボイが机の整理を終えるまで――ひいてはこの部屋に帰ってくるまでと、そう考えただけだった。
「私に?」
 ようやくこちらへ向き戻ってくれた大きな機体の前に立ち、はい、と頷く。だがいざ続きを促すように見下ろされると、すぐさまに伝えるのはためらわれた。
「なんだ? マイスター」
「ええと、いえ、先に司令官のご用から伺います。私は後で良いので」
「いや、私も君の用事の後で構わないんだが……」
 沈黙が行き交う。どちらも相手を待っていたというのに、揃って先を譲ろう――後を得ようとしていることの意味を考え、どうやら同時に思い至ったようだった。
「……マイスター、ひょっとして我々は同じことを考えているんじゃあないか?」
「私もそう思ったところです」
 頷きを挟み、順に言葉を連ねていく。
「さっき、ラチェットと街へ行ったプロールから連絡があった」
「ええ。こちらにもありました。用が長引いて帰投は明日の午後になると」
「ホイルジャックはタワーの最終点検をすると言ってもともと抜けているし」
「今日の様子を聞く限りアラートもでしょうから、六名中三名欠席では、明日の基地防衛の会議は延期ですね」
「ああ。我々の朝の予定がすっかり空いてしまったわけだ」
 だから、と置いて、
「「今夜は二人で過ごせないかと思って」」
 最後に発した声が重なるのは、おそらく互いに予期していた。一瞬の間のあと、ふふ、と笑い合う。
「初めに言って頂ければ良かったのに」
「君の仕事の邪魔をして今まで何度も怒られているからな」
 たまに遠慮をするとこうなる、とおかしげに言って差し伸べられる腕に応え、自らその内に招かれ入る。すぐに背に回された大きな手の、身に馴染んだ熱の高さが心地よかった。
「マイスター」
 低く呼ばれた名と、かしゃりとマスクを納める音を合図に、広い胸に手を置き、少し伸びしながら首を後ろへ反らせる。顔横のパーツをたどる指の感触のあと、顎を軽く掴まれ、唇が重なった。
 二度、三度、ゆるやかに口唇を食んでから離れ、薄く漏れた呼気が乾いた空気に熱を散らす。そのままの姿勢で仰ぎ見た蒼に宿る、色深くも息呑ませるような輝きの強さに、胸に抱く半身のスパークが震えた。
「ん……司令官、続きは部屋で、ですよ」
 脇腰をなぞり始める指をひとつたしなめ、ああと笑ってゆるめられた腕から抜け出す。自分のデスクに戻って端末をシャットダウンさせ、そのまま退室の準備をする(こちらはものの何手かで終わってしまう程度の整理である)マイスターへ、先の作業がまだ気にかかっていたのか、コンボイが再び確かめてきた。
「途中で終わらせてしまって良かったのか?」
「ええ。本当に急ぎではありませんでしたから」
「だが、明日スパイクに手紙のことで何かを頼んでいたんだろう」
「いえ実は、そちらはもう済ませてしまったんですよ。先ほどのものは別件なんです」
「そうなのか」
 頷きつつもディスプレイに視線を向けたままのコンボイへ、笑って説明を重ねる。
「大丈夫ですよ司令官。本当に邪魔だと思ったのなら、投げてでも撃ってでもやめて頂いていますので」
「ああ……身に覚えがあるな」
 でしょうと言って足先を返し、伸ばす手の届く距離に戻る。
 彼も己も、平素は組織をまとめ、それを支える重任を担う身だ。その務めに私情を挟まないことは互いに承知しているし、今のコンボイのようにことごと気にかけてもいる。いついかなる事態が起こるかわからない日々を送る以上、ひとたび仕事を離れれば、という理想もなかなか叶わないのが実情である。
 しかしだからと言って、愛し焦がれる相手があることを、諦め忘れているわけでは決してない。それは心という、機構ならざる機構を持つ身において否定せられぬべき、尊く得がたい情であって、安らかな明日を望む糧ともなる想いである。その機を得れば衒わず求めもするし、個人の信条には少々反しようとも、不恰好な行為や言葉を尽くしもする。
 もとより、この方の隣で一切に調子を狂わされずにいることのほうが難しい、と内心に笑いを噛みながら、言葉を続けた。
「仕事はもう片付いていますし、今この場に貴方より優先すべきものなど何ひとつありません」
 ですから、と言って傍らを見上げるが早いか、肩へ回った手に強く引き寄せられ、次の間には、その腕の上に座るような姿勢で体を抱え上げられていた。
「っ、司令官」
 咎めるつもりで漏らした声をさえぎり、
「急ぎの用ではないと言ったが、撤回しよう。……一瞬でも早く君が欲しい」
「あ、」
「邪魔をしたくなかったのもあるが、ほかの何かに気をかけられているのが嫌だったのでな」
 ――だがそうだとしても、私がこの手で忘れさせてしまえばいいことだ。
 厳とささやかれた飾りない慾に、ひたと挙動を絶やせる。詰めた言葉を呑み込み、思ったそばから、と苦笑に変えた。広い肩に手をすがらせ、顔横へくり返し口付けを贈る。くすぐったげに笑いを立てながら、コンボイはゆっくりと歩き始めた。
「マイスター、あまり煽らないでくれ。手元が揺れて落としてしまう」
「お互い様ですよ」
 幾度この身を内から揺さぶり立ててくだされば気が済むのか、と胸に呟く。言うこと成すことのいちいちが、預けたものの片割れを共鳴らせるがごとく、心を軋ませ弾ませる。驚きに、痛みに、哀しみに、恐れに。そして、果てなき喜びと、絶えざる愛しさに。
 明かりを落とし、廊下へ出て扉のロックを確かめ、コンボイの足ならば十数歩の距離もない彼の私室へ、肘の上に身を据えたまま連れられる。太い腕に背を支え直されたかと思うとともに視界が横転し、次の間には、広い寝台から愛しい上官の顔を見上げていた。
 つうと頬を撫ぜる指へ甘えつつ、口を開く。
「陽が昇るまでは、ただの恋人同士ですから」
 捧ぐ言葉がたとえ事のじつから外れていたとしても、心の真を確かに語るなら、そこにはごく些少の差異しかない。
「夜明けが来るのを忘れてしまうぐらい、沢山愛して頂けますか?」
 問うた想いに一瞬の光の閃きが返り、すぐに、深い蒼が優しく笑う。
「勿論だ」
 諸手を掲げて求め、降り来る口付けを受けながら、己が唯一の君が次はこの唇を拗ねて尖らせてしまわぬよう、あと数行を残す恋文の最後には愛を語るインシグニアを書き添えて届けようと、幸福と愉楽の時に身を任せて忘れてしまう前に、そっとメモリの奥へと予定を刻んだ。


Fin.
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