Kiss me, Darling !


~戦士と補修員の場合~

 ――金星を上げて帰ったらキスしてくれよホイスト!
 戦場での振る舞いそのまま、普段から大変にストレートな感情表現をする恋人どのが、これまた大変ストレートな台詞を残して基地を出発してから約半日。作戦はどうなったろうかとブレインの片隅に気にかけながら、ホイストは仲間の愚痴に付き合っていた。――いや、正確には仕事に付き合わせているのはこちらなのだが、例によって留守番を言いつかった救助員が手と口を同時に動かすので、そんなような状況になってしまっている。
「またデストロンのやつらが妙なもん持ち出してんだろ? もし爆発でもしたら誰が消火してやるんだよ」
「だから爆発させないように出動したんじゃないか。それにお前さんは編制の時間はパトロール中だったろ」
「そうだけどよ……」
 かなり規模の大きな出動となったため、自分がそこへ加われなかったことが悔しいらしい。後方支援役の自分としてはあまりぴんと来ない感情だが、例の戦車どのを初め、前線要員とは一般にそうしたことを思うようだ(とは言え、本来的には救助員も後方支援役のはずなのだが)。
 聞き流すでもなく深刻になるでもなく軽い相槌を打ちながら、こちらの指示は余さず述べる。
「ああ、あれも取ってくれインフェルノ」
「へいへい」
 もちろん急の騒動などは予定になく、今日はもともと小型機器の定期点検日に当たる一日だった。事件の状況を気にしつつも、戦闘やその援護に参加しない以上はただ漫然として日常業務を怠るわけにもいかず、今は廊下を少しずつ移動しながら、監視センサーなど高所に設置している機器の確認を行っている。取り外しと再設置、点検および必要に応じた簡易メンテナンス、データベースの更新など、地味ながら手のかかる作業で、一人では効率が悪く普段はグラップルなどに助手を頼むのだが、デストロンとの争いとは別の件で不在のため、アラートが早番から戻って手の空いていた部下を貸し出してくれたのだ。踏み台にでもなんにでも使ってやってくれ、と疲れ顔で言った保安部長はメインルームで戦況を見ており、その隣でインフェルノが騒がしく歩き回りながら、今のように喋りたくっていたのだろう。まあ体よく厄介払いをされたというところである。
 そんな扱いへの不満も含めた渋面から、だいたい、とまた愚痴がこぼれかけたところに、かしゃかしゃと小走りの足音が近付いてくる。曲がり角の向こうから現れたのは、くだんの保安員の姿だった。
「アラート」
 呼びかけに応えて動いた視線が、その声の主ではなく、先にこちらへ向いて思案の色をよぎらせたことに気付いて、おや、とホイストは内心に声を漏らした。問う前にすぐ外れていき、先に呼んだのはやはり部下の名だった。
「インフェルノ、出動だ。すぐ出られるな?」
「お、爆発したか?」
「馬鹿、違う。期待したように言うんじゃない……。ホイスト、第二ラウンジでホイルジャックとリペアの準備をしておいてくれ。負傷者を運び入れるよう伝えたから」
 きびきびと述べる顔から既に思案の表情は消えている。わかったと頷き、並んで早足に歩き始めた。
「ラチェットは?」
「リペアルームに。数が多いんだ。手分けして当たってほしい」
「ああ、了解」
「んで結局勝ったのかよ負けちまったのかよ」
「負けていたらこんなに落ち着いてない」
 どうやら危惧した最悪の事態は免れ、デストロンの軍勢は退却したらしい。が、大規模な戦闘後に毎度のことながらではあるものの、こちらにも多数の被害が出ているようだ。話がみなまで終わらぬうちに、基地出入り口への岐路にたどり着く。
「まあ詳細は道々説明する。先導するから付いてくれ」
「おうよ」
 つい今しがたまでの不機嫌はどこへ行ったのか、意気揚々の様子で頷く部下へアラートが号令をかけ、共にビークルモードへとトランスフォームする。ではそちらは任せた、とスピーカーから発せられた声に手を振って応え、赤と白の指揮車に大型の緊急車両が続く馴染みの姿を見送ってから、きびすを返して指定の場所へ向かった。
 ラウンジには既に移動式のリペア台が並び、ホイルジャックが器具の用意をととのえていた。遅れてすまない、と声をかけつつ受け持ちの場へつく。緊急修理の備えは日頃から万全にしているため、準備自体はさほどの大支度ではない。
「さて、細工は流々、あとは我らが勇敢な戦士たちの到着を待とうじゃないかね」
「ああ」
 ごく真剣に、しかし思い詰め過ぎずに、という治療班の鉄則を体現するような技術者の言葉へ頷きを返すのと、負傷者の到着が報されたのとはほぼ同時だった。先触れとして駆け込んできたのはほぼ無傷であるらしいバンブルで、続いて現れた司令官コンボイが、自ら腕と肩に運びかついできたチャージャーとパワーグライドをそれぞれリペア台に降ろす。
「あ、司令官、もう少しそっと……」
「戦勝お見事でしたな。貴方のお怪我は?」
「私は崖から落ちたときに少し装甲を擦っただけだ。問題ない。まだ運ぶ者がいるから一度向こうへ戻らねば」
 皆のリペアは頼んだぞ、と言い置いて大股に去る背を見送り、ホイルジャックと顔を見合わせる。コンボイが積載する必要があるということは、すなわち、トランスフォームして自走できない者が複数いるということにほかならない。
「忙しくなりそうやね、ホイスト君」
「そのようだ」
「何か手伝うことあったらなんでも言ってよね、二人とも!」
 オイラ元気だから、と明るく響くバンブルの声に助けられて気を入れ直しつつ、俎上の患者へと向き戻った。

 機器のメンテナンスであれ仲間の治療であれ、集中して修補に当たる時間は瞬く間に過ぎる。気付けば一人あたま四名のリペアを終え、外ではとうに陽の落ち切る時刻になっていた。当初のばたつきと緊張も解け、ラウンジにはやや和やかな空気さえ流れ始めている。
「ひゃー疲れた!」
 連絡に雑用にと駆け回ってくれていたバンブルが声を上げ、どさりと椅子に座り込む。笑って呼びかけた。
「色々助かったよ。だいぶ落ち着いたから、もう休んでくれて大丈夫だ」
 うん、と答えて小さな機体が再び立ち上がった音と、ラウンジの扉が開く音が重なる。姿を見せたのは、二度目の訪れとなるコンボイを筆頭に数名の出動組で、後に控えていたごく軽度の負傷者たちのようだ。バンブルが嬉しげに駆け寄っていった。
「お帰りなさい司令官、お疲れさまでした!」
「ただいまバンブル。今回は少々荷が重かったな」
 文字通りってやつですね、と言うのにああと笑って頷く常のほほ笑ましいやり取りのあと、部屋へ戻るバンブルを見送ってから、こちらへ進み入ってくる。
「ホイルジャック、ホイスト、手が空いたら我々も頼む。いや、私の傷などほうっておいてもいいぐらいなのだが、ちゃんと治してこいと叱られてしまってな……」
「ええ。小さなひびが大きな故障に繋がることもありますしね」
「この通り道具は揃っていますからな。おやすいご用でっせ」
 すまない、と頭を掻くコンボイはだいぶん殊勝な様子でおり、怪我をそのままに洗浄だけ済ませようとしたところを見咎められ、手厳しく叱られて長躯を小さくしている姿が見えるようだった(相手のことは語られなかったが、彼を恐縮させる部下となるとおおよそ名前は絞られる)。
 まあそれだけ心配されているということだ、と口をひそかに笑ませつつ仲間たちを招き入れ、気付く。
(……ワーパスは?)
 最も優先すべき怪我を負った第一陣、自走できる比較的軽傷の第二陣、再びコンボイが積載してきた重傷者の第三陣、そして最後に訪れたこの第四陣。いずれの中にも、あの赤の戦車の姿はなかった。彼は他人を砲に触れさせるのを嫌い、またその機体の造りゆえ砲塔や砲身の微細な調整を必要とするため、普段は自分がほとんどそのリペアを担当している。にもかかわらずこちらへ寄こされないということは、無傷か、あるいは、
(よっぽどの重傷か――)
 よぎった考えにぎくりとし、打ち消すように首を振る。どうかしたのか、と怪訝な表情に見上げられて慌ててなんでもないと答え、リペアを開始した。
 一度振り払いはしたが、やはりそれ以外のことは考えにくかった。何しろ生粋の好戦家であるうえ、戦場での振る舞いもあの通りだ。この規模の戦いで無傷はまずない。とすると軍医の待つリペアルームへ運ばれているということであり、もともとこうして手分けして治療に当たる際には、ラチェットが重傷者を担当するのだから、導かれる答えは自ずと明白のものとなる。
 もうひとつ気にかかることと言えば、廊下で行き会ったアラートの物言いたげな視線だ。ずっと戦況を見ていた彼は、誰がどの程度の怪我を負ったかも把握していただろう。自分たちの関係は特に隠してもいないから、連想に互いの名が浮かんでもおかしくはない。
 深みに入りかける思考をいさめ、手元への集中を唱えたが、それでもややそわついているのが伝わったのだろう、最後のリペアが完了したところで、すぐに上がっていい、とホイルジャックが勧めてきた。
「でもまだ片付けが……」
「なに、残った諸君に手伝ってもらうから大丈夫」
「そうしろよホイスト。今日は朝早くから仕事してたろ」
 台から起き上がりつつ、後を請け負うとスモークスクリーンが同意する。疲れているのは皆同じであり少々申し訳なかったが、そぞろ気のままいるのも悪いだろうと厚意を有難く受けることにして(比較的丁寧に器具を扱ってくれそうなメンバーが残っていたのが幸いだった)、礼を述べてラウンジを後にした。
 リペアルームへ向かう足が無闇に速まらないように努めつつも、あせる心をひしひしと感じる。自分は荒れや波の少ない気性の持ち主だと言われるし、そこそこに自覚もあるが、やはりこういった胸騒ぎには慣れるものでもなく、治療班として仲間の負傷に冷静に相対できても、決してその痛みに麻痺しているわけではない。まして特別な関係にある相手なのだ。多少、いや、だいぶん動揺していることに否定も言い訳もしない。
 どんな負傷だったのだろうか。ラチェットは誰より信頼のおける名医だ。結果を案じてはいない。しかし重傷を負った事実に変わりはない。まさか出がけのあの台詞が原因ではないだろう。彼にとっては重要な一事なのだろうから、頭ごなしに否定しようなどとは思わないが、本当は戦果などどうでもいいのだ。無事に帰ってきてくれさえすれば――
 任を解かれたぶん演算が思考に集中するあまり、柄にもなく周囲への注意がおろそかになっていた。目指す部屋までまだ少しというところ、角を曲がってきた影と出会い頭に衝突し、倒れるのはすんでのところでこらえたものの、くわんと頭が揺れ、ゴーグルの裏に星が飛んだ。
「悪ぃ! 大丈夫か?」
「あ、ああ……こっちこそすまない……」
「お? ホイストじゃねぇか」
 名を呼ぶ声は数刻前まで共に作業をしていた巨躯の救助員のものであり、早足にぶつかったこちらのほうが跳ね飛ばされるのも無理はない。今お前さんのところに行こうと思ってたんだぜ、と言うのになんだろうかと疑問を浮かべつつ、衝撃でダウンした視覚機構をどうにか復帰させ、次の瞬間、センサーが捉えた画に思わず声を上げた。
「……えっ、ワーパス?」
 鮮やかな赤の腕に担ぎ上げられた、こちらはややくすんで臙脂がかった特徴的な赤。見誤りようなく、それはサイバトロンの特攻砲手、戦士ワーパスの機体だった。完全に気を失している様子に動揺が膨らむが、インフェルノはけろりとした顔で頷いてみせた。
「ラウンジのほうは店じまいなのか? そっちに運ぼうと思ってたんだけどな」
「ああ、さっき片付け始めたところで……けどそもそもリペアルームのほうがいいんじゃないか」
「いや、台も埋まっちまってるだろうし、今向こうにかつぎ込んだら俺がラチェットに叱られんぜ。ただのエネルギー切れだもんよ」
「エネルギー切れ?」
 苦笑いとともに落ちた言葉をおうむ返しにして、まじまじと見上げた。真新しい傷はあちこちに見えるが、確かに深刻な負傷の気配は感じられない。一体何がと訊ねる前に相手側の不思議げな視線に気付いたので、最も近い機工室までの足労を頼んだ。
 自分も伝え聞きだから詳細まではわからないが、と置いて始まった途上での説明によると、例によって敵方の重戦車と正面からやり合うなどの無茶はあったものの、結果的に最も交戦模様の激しくなった中陣より前に出ていたため、他の仲間たちに比較して最後まで損害が少なかったらしい。にもかかわらず、こうして帰還が遅れた理由、ひいてはインフェルノたちが出動に至った理由は、戦闘終了直後に起きた地割れが原因だった。もちろん偶然に生じたものではなく、情報参謀サウンドウェーブ率いるカセットロン部隊の特殊技能によるものである。退却の時間稼ぎのための攻撃であったが、ゆるい地盤に走った亀裂へ落ち込んでしまった者も多く、なかなかの置き土産となったようだ。
「ああ、それで引き上げに呼ばれたのか」
「そういうこった」
 これであの時アラートから受けた意味ありげな視線の謎も解けた。機体や車両の引き上げと牽引ならまさに本職がいるわけだが、グラップルは不在で、自分は治療班を兼務している。救助部隊への編制を考えて、いややはり基地へ残すべきだ、と判断した一瞬の思慮が現れ出た表情であったのだろう。
 ワーパスも運悪く地割れに巻き込まれ、戦時は概ね戦車形態でいる彼はその重量も手伝って亀裂に深くはまり込んでしまい、重車両のインフェルノが到着するまで一切の救助が叶わなかったのだという(初めにコンボイが皆の引き上げ役を買って出たのだが、二次災害回避のため丁重に止められたらしい)。戦闘中に大容量のエネルギー砲を連射したのに加え、滑落防止を図って長時間ビークルモードのままでいたために、燃料切れに陥ってしまったのだろうとのことだった。現場の保全確認後、先に出発していたコンボイに代わりインフェルノが基地まで牽引して、今しがたの到着となったようだ。
 そうこうと話すうちに機工室に到着したので、一度会話を中断し、ロックを外して中へ招き入れる。
「いよっと」
「もう少しそっと頼むよ……」
 司令官といい怪我人の扱いが大雑把過ぎるな、と嘆じつつ、無造作に補修台に降ろされた機体を見下ろした。傷は多いがいずれも軽微で、やはり砲塔の歪みが最も手のかかりそうな修繕箇所だった。吊り上げんのは得意じゃないんだよな、とインフェルノが頬をかきつつ言う。
「引き上げの時にやっちまったのもあると思うんだけどよ、寝てるあいだに黙って治しといてくれよな」
「ああ。まあどっちにしろしばらく起きられないだろうさ」
 壁の通電孔から引いたケーブルを頚部のソケットに接続し、チャージを開始する。少し経った時点で強制的に起動させることもできるが、一度全停止したシステムへの負担を考えれば、やはり充填の完了を待ったほうがいいだろう。
「じゃ、俺は報告に戻るぜ」
「うん、お疲れ。アラートにもよろしく」
「おう」
 軽く手を振り交わし、がしゃがしゃと音立てて戸へ向かいかけた巨体が、そうだ、と何ごとか思い出したように立ち止まり、半身をこちらへ向き戻らせて言う。
「そいつ、今日の殊勲賞らしいぜ」
「へ?」
「今回のナントカっつー兵器あったろ。そいつを持ってスタースクリームの野郎がトンズラかこうとしたのを、長距離砲で撃ち落としたんだと。ま、それが元でエネルギー切れしたわけだけどな」
 良くわからんがブロードキャストのやつがお前に伝えておけとさ、と言い残して去る背がドアの向こうへ消えるまでを声なく見届けてから、傍らを見下ろし、呟く。
「……君、なんの話を人にしてるんだい」
 ひとつ排気し、補修台の前の椅子に腰を下ろすと、どっと一日の疲れが襲ってくるのを感じた。手を前へ垂らして背を丸め、台の上に顎を乗せる。だいぶだらしのない姿勢だが、ここは半分自分の部屋のようなものだし、今日はもう誰も訪ねてもこないだろう。
 仕事の疲れなど何ほどでもない。その何分の一かの時間に生じた焦りや不安のほうがよほどに重く、疑念が晴れてからもなかなか身の内から消えていかなかった。今日に始まったことではないが、今日で終わることでもない。そんな思いがあるからだろうか。
 内勤の技術者の割に、という但し書きが付くのかもしれないが、自分はそれなりの楽天家であると思う。たとえば今出ていった救助員の相棒と比較しても、普段から十倍は楽観的だ。だが、日々心痛に見舞われているのだろう保安部長を羨ましく思うことも時にはあるのだ。形は違えど同じ目的を定める彼らは、遠隔地にあっても概ね同じ指揮系統下にあり、今日のような同行任務の例も多い。戦いが激しさを増すほど能力を求められる場が離れ、相手の現況すら把握できなくなってしまいがちな自分たちとは、その点だいぶん異なる(もちろん、直属の上司部下ゆえの気苦労もあることはわかっているが)。
 ただ待つっていうのも意外にしんどいんだぞ、と眼前のくすんだ赤を見やりながら思い、だからこその出がけの台詞であったのだろうかと、ふと気付く。待つ間の気を紛らわせてやろうという思惑と、必ず帰ってくるという宣言とが合わさった、根っからの好戦家なりの心遣いの言葉であったのかもしれない。
 どこかずれている気もするな、と呆れ込みの笑いを漏らしつつ、台に懐かせていた体を起こし、椅子から立ち上がる。補修用の器具を取りに足を動かす前に、もう一度まじまじと無骨な型の装甲を見下ろした。
「……早く起きてくれよ、ワーパス」
 そうして寝られたままでは一日のうちに溜まった恨み言もねぎらいも伝えられないし、成った約束も果たせない。
 それとも、もうしただろうと何食わぬ顔で言ってやろうか、などとひそやかな意趣返しを考えながら、前に腰折って顔を近付ける。かつん、と硬い金属音があいだに散り、今日ただひとつ所以の異なる傷を互いの面にかすかに刻んだ。


Fin.
NOVEL MENU