メイルオブラヴ



 警報騒動から明けて五日。停電ともども仲間たちの口に上らなくなった騒ぎの話に代わり、ある流行が兆し始めているサイバトロン基地の一室に、こちらは平素と変わらず工具を繰る音が響いている。
「今日の獲物はなんだね、ホイスト」
 補修台に向かう部屋主の背に歩み寄り、頭上から訊ねかける。ホイストは首を倒してこちらを見上げ、やあワーパス、と細い溶接ごてに転じた手を振った。台上には方形の電子基盤が置かれており、横に外された枠の形を見ると、どうやら個人用のデータパッドのようだ。声にして確かめれば肯定の頷きが返る。
「『マイクロチップくん』の担当はパーセプターじゃないのか」
「機能そのものの改良の話ならそうだけど、これはただの点検と調整だから俺の管轄さ」
 座れよ、と勧められた隣の椅子に遠慮なく腰かけ、手元を覗く。普段は透過パネルに覆われているため中を意識しない端末も、開けばやはり種々の細かな回路が精密に絡まり合っており、見ているだけで目が回りそうだ。自分では絶対に関わり合いたくない領域だが、そうした物を組み上げ直していく鮮やかな手業を眺めるのは嫌いではなかった。
「誰の端末なんだ?」
「アラートのだよ。このあいだ停電があったろ? その時に過電圧で飛んだから、念のためほかに不具合がないか確認してほしいって」
「ふーん。やけに慎重だな」
 いつも通りに、と続けると、そうだな、とホイストが同意して笑う。
「いや、けどまぁアラートは端末をよく使うほうだし、点検しておくに越したことはないさ。それに、どうも訳ありと言うか……ちょっと必死な感じで頼み込まれちゃったからなぁ。『隅から隅まで見ておいてくれ!』ってね」
「なんかあったんだろうな」
「だろうなぁ」
 頷き合う。名こそ出さなかったが、互いにブレインに思い描いたのは同じ画であったろう。固い表情の保安員と、その隣に、こちらは上機嫌に笑う、彼の相棒たる巨躯の救助員。数日前の騒動からとみに様子のおかしい一組である。結果どう転んだにせよ、あの騒動にも絡むなにがしかの進展があったことに間違いはない。
「ま、戦闘に支障が出なけりゃなんでもいいがね」
「はは。君らしいな」
 俺はやっとまとまりそうで良かったと思うよ、と衒いなく述べられる言葉こそ、穏和で気のいい彼らしい。ひと通りの内部点検を終えたらしく手元は外装の研磨に移っており、透過パネルをなぞりつつ、だいぶ傷が付いているな、と感想を漏らした。
「地球で新しい物を配ってからそれなりに経つし、パーセプターにも手伝ってもらって、一度全員分を点検したほうがいいかもしれないな。ワーパス、君のも何か不具合かい?」
 不意に話を振られ、へ、と台に肘をついたまま首を傾げる。鏡のように首傾げ返され、今持ってるじゃないか、と指差された先には、手に提げたデータパッドがあった。
「ああ、本当だ」
「本当だ?」
「いや、出てくる時に見ていたから、うっかりそのまま持ってきただけさ。別にどこも壊れてない」
 薄ぺらい端末を台に上げつつ答える。まだ不思議げにしているのに、どうも私にはこいつの存在感が薄くてね、と続けた。
「なにせ滅多に使わないからな。報告書なんかもほとんど作らないし。点検も内勤の分だけで構わないんじゃないか?」
 そもそも、特化要員である自分はまあ最たる例としても、純粋な前線メンバーがこの端末を積極的に活用する機会は日頃からそう多くない。パトロールの報告だけならメインルームの専用機で事足りるし、戦時の報告なら大抵は現場指揮役がほかにいるので、こちらまでお鉢は回ってこないのだ。先に顔の浮かんだ救助員などは日々そうした苦手な事務に頭を悩ませているようだが、それは前線要員でありつつも本来は消防という特殊任務を帯びて活動しているからであって、お気の毒様と言うほかない。
 投げた提案に、いや、とホイストは首を振り、
「むしろ普段触ってないほうが、意外とガタが来るのが早かったりするもんさ。それでいざ使おうとすると変なことになるんだよ」
 実は昨日今日で三つ目の端末修理でね、とおかしげに笑ってみせる。クリフにチャージャーに、と並べられる名前を聞けば、なるほど説得力にあふれている。と同時に、
「例の流行か」
「かもしれないな」
「ふぅん」
 あの二人までね、と、そんな想像もついた。
 数日前、騒動の直後から基地内でひそかに始まった流行というのが、手紙のやり取りである。発端はどうやら人から副官宛に渡されたものらしいのだが、同じく地球式の紙の手紙であったり、もしくは端末からの電信であったりと媒体は様々に、故郷の知己へ、地球で知り合った人間へ、そして基地の仲間へと、長さも中身も思い思いのメッセージが飛び交っているようだ。何か高尚な理由があって流行っているわけではなく、つまるところ一過性の暇つぶしで、普段しないことをこの機に、と思うのは、まあわからないではない。常なら過度の無用な通信は傍受や漏洩の危険がどうの、と一応の警告を発しそうな保安部長も、今は自身のこと以外に頭が回らないのか、特段お咎めもなしの状況となっている。
「お前さんは書いたのか?」
「自分では出してないけど、貰ったものには返したよ。君もバンブルから来たろ?」
「ああ。全員に書いたとか言ってたっけな」
「グラップルからはソーラータワー計画についての熱弁が届いたし」
 ビルドロンたちにも出したがってたけどさすがに止めておいた、と語るのに、それが懸命だと頷く。
「君は?」
 当然の流れでそう切り返されたので、ひとつも、と首を振った。バンブルには口頭で礼を言ったのみで、それでも充分喜んでいた。まあ初めから期待されていなかったのだろう。
 昨晩のことだが、スパイクを交えた仲間たちとの会話中、必然的にこの状況がもっぱらの話題となった。異星から来た友人たちの、妙に地球的な流行を興味深く感じたらしい少年は、愉快げに笑いながら、皆の中で誰が一番ラブレター(そう、もともとはただの手紙ではなく歴とした恋文がきっかけだった)が似合うだろうと場に議題を投げかけた。まず挙げられたのがそもそもの発端であるマイスター、そして地球好きのハウンド、物腰の穏やかなリジェやスカイファイアーの名も出た。片や、似合わないメンバーとして挙がったのが、自ら理解しがたいと話したゴング、直情的な戦闘要員筆頭のクリフ、そして同じ理由で自分である。悪いんだけどちょっとそういうのが想像できない、と苦笑とともに語った少年へ、いや良くわかる、と頷いておいた。
「その端末とおんなじさ。普段し付けないことを急にしようとしても、たいがい無駄ってわけだ。私には山向こうの的に砲弾を当てるほうがずっと楽な仕事だね」
「はは。そうか」
 でも無駄ってこともないと思うけどなあ、と笑うホイストに、
「いや、無駄だったんだよ実際」
 そう言葉を返す。え、とまた首傾げるのへ、台の上の自分の端末を示した。
「普段しないことをこの機会に、ってのは私だって思ったんだよ。ついさっきまで書こうとしてたんだ。だが結局いい文句のひとつも浮かばないし、まどろっこしいからやめた。ゴングは好きだとかなんだとかってのは直接顔を見て言やぁいいって意見だったらしいが、私も同じだね」
「うん……?」
 一応の相槌は返ったものの、理解できていないらしい。ゴーグルの奥のセンサー光が疑問の念に揺らめいているのがかすかに見える。構わず続けた。
「どうやらラブレターを書くなんてのは私には向いてないよ」
「うん……え? ラ、」
「だから来たんだが」
「え?」
「まどろっこしいから、直接顔を見に」
 告げた言葉の通り、じっと隣を見つめる。硬質な面に隠れて表情はうかがえないが、口を開けたまま呆気に取られているのだろうことは、それでも如実に伝わってきた。ぽん、と湯気が立ったようにさえ見えた数瞬の間を置いて、勢いよく正面にそらされた顔を、片側がこてのままの手がぱしりと押さえる。
「隠れてないしもともと隠れてる」
「わ、わかってるさ。気分だよ……」
 手とマスクで二重に覆った口からもごもごと呟き、いつも突然なんだからなとぼやくのに、回りくどいのは苦手なんでね、と笑って返す。鈍いわけではないが常に穏やかで起伏の少ない相手を乱すには、搦め手より正面突破のほうが効果があるらしい、というのが今のところの経験則だ。
「……君といるとゴーグルが曇って困る」
 そう言ってぱたぱたと顔を扇ぐので、どうやら湯気が立ったというのも見間違いではなかったようだ。こちらへ向き戻らなくなってしまった横顔を眺め、ふむと考える間も一瞬、自分のマスクを引き開き、身を寄せた。
「……え」
 顔横の装甲の当たる金音にまぎれて、ちゅ、とかすかに鳴ったやわらかな音に、何度目かの声が連なる。ゆっくりとこちらを向くゴーグルの結露が青を瞬かせた。
「曇るなら外せばいいんじゃないか、ホイスト」
 とん、と指でマスクをついてやる。熱がこもるなら外へ逃がしてしまえばいい。もちろん、二重の意味で、などとことさら言わずとも、気の回る恋人どのには意図が充分伝わるはずだ。
 また少しの間を置いて、黒の面が横へ収まる音がする。欲目を捨てて見ても隠しているのが惜しい端正な顔立ちだと思うが、まあ、こうして時折目にする機会が己に最も多く与えられているのなら、別に公然とされる必要もない。
「……ワーパス」
 いつも心地よく響く、今はさえぎるもののない呼びかけへ笑みで応え、ほの赤い頬へ指をかけて、胸の砲の当たらぬ角度からさらに身を寄せる。なるほどこれは結露も起きるだろうと納得する、熱持つ呼気の触れる位置で、その名を呼び返そうとした、次の一瞬、
「アァラートォーッ!」
 部屋に響き渡った大音声は別人の名で、次いで聞こえたのは声にならない叫びと、厚い装甲が背から床に落ちた重低音だった。
「あっ、す、すまないワーパス……」
「ホイストっ、アラート来てないか?」
「え? アラート?」
「それアラートのだろ?」
「あ、ああ……。そうだけど、今朝預かったきりだよ」
 そうか、と人の頭上で行き交わされる声の間に、ゆらりと膝を起こして立ち上がる。あれ、と巨躯の闖入者が間の抜けた声を落とした。
「いたのかよワーパス」
「インフェルノ……」
「ん?」
「撃つぞ」
「えぇッ?」
 待てよお前が言うとシャレにならんだろ、とあとずさる救助員へ半ば以上本気で砲塔を向けるが、ホイストに慌てて後ろから取り成され、どうにか気を治める。一体なんなんだと問えば、相棒が今朝から捕まらないのだと騒がしく訴え始めた。
「あいつ今日に限って俺より早く起きて逃げやがった!」
「逃げるようなことしたんだろ」
「し、してねぇよ……まだ」
 つまりされる気配を感じて先に逃げたということで、結果としては同じである。聞けば二人とも非番だと言うから、前日にどんなやり取りがあったかは想像に難くない。
「なあワーパス、お前も休みだろ? 探すの手伝ってくれ!」
「は?」
 唐突に請われ、腕を引かれてたたらを踏む後ろから、じゃあ、と声がかかった。
「アラートが見つかったら連れてきてくれないか。直した端末返すからって。ほら君のも忘れるなよ」
「あ、ホイストお前……」
「わかった。よし行くぜワーパス!」
 照れが嵩じてひとまず追い出しにかかっているらしい恋人に非難を上げかけるが、いかに重量機といえども、体格の勝る相手に力任せに引かれては踏みとどまれない(しかも砲を用心して背の側から掴まれている)。次に来るときは自動ドアを手で開けるのはよしてくれよインフェルノ、とひとつ仕事の増えたらしい部屋主から見送りの言葉を受けつつ、そのまま十数歩ほど引きずられる形で機工室を後にした。



「お前なァ……」
「悪ぃ悪ぃ」
 わかった付き合うから引きずるのはやめろと訴え、並んで歩き始める。軽い謝罪に再び戦意が湧き上がったが、相棒の仕打ちをあれこれと語る様に次第に気が抜け、少しの同情とともに話を交わし出した。ほとんどわかっていたことだが、あの騒動の前後にそうした関係に至ったという事実も改めて聞く。
「それから初めてお互い非番なんだぜ。なのに朝一番で逃げられてみろよ」
「まあわからないではないがね……。しかし向こうにだって心の準備ってもんがあるだろうさ。ましてアラートだろう」
 いかに相手がもともと近しいパートナーであると言っても、あの警戒心の塊のような保安員があっさりと一線を許すとは思えない。それを念頭に言うと、怪訝な目線が向けられる。
「なーんか意外だよな。お前なら押しまくれって言うかと思ったのに」
「もちろん迫撃上等だとも。戦場ならね。相手によっちゃ毒気も抜かれるもんだ」
 どんなに似合わなかろうがラブレターなんぞに手を付けてみるって具合に、と続けると、何か思うところがあったのか少し驚きを浮かべてから、そうだな、と大笑が返った。
 廊下の角まで来て、さてどこから探そうかと立ち止まったちょうどその時、出がけに無理やり持たされた端末が小さな電子音を鳴らした。見ればメッセージの受信通知で、送り主が例の補修員と来ては無視もできず、行き先を考えているインフェルノから数歩離れて開封する。現れた文言に思わず苦笑が漏れた。

『さっきはすまない。
 アラートはラチェットの部屋へ色々相談しに行ってるようだから、今日のところはインフェルノをうまく遠ざけておいてくれないか。
 ※夕食後はマイスター副官が引き受けるとのこと。

 俺は夜までここにいるよ』

 まったくいついかな時でも人が好い。そんなところが大いに魅力ではあるのだが、自身の相手が折々に割を喰っていることもしっかり訴えてやらねば、と笑って排気する。

『了解。
 戻ったら覚えていろ』

 ごく短く書き送る。やはりこのぐらいのシンプルな文章のほうが、自分には似合いのようだ。あとは面と向かって伝えてやればいい。あえて地球の小さな友人に反論しようとは思わないが、無骨な装甲よろいをまとった戦車でも、心から想う相手があれば愛のひとつやふたつぐらいは語ってみせるものだ。
 よし行こうぜと張り切って歩き出す巨躯を追いつつ、だがまずはどんな言葉よりも先に、この少々哀れな同類のためにしそびれた口付けからだ、と来たる夜の予定を心に誓った。


Fin.
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