Passion Red Lovers
サイバトロン保安部にその名を誇る鮮赤の救助員・インフェルノは、今の己の暮らしに非常に満足していた。万事余すところなく順風満帆、と断ずるまででなく、大なり小なりの波乱は折節に生じつつも、それですらたまの良い刺激と笑って呑み下してしまえるような、有り体な言葉を使えば非常に幸福な毎日を送っていると言ってよかった。
戦中に上げた種々の功績が認められて一兵卒を脱し、寡兵ながらも分隊を率いる立場となってそれなりの日が経つ。初手のうちは経験の浅さが響き、任務以前の段でこまごまとしたヘマを続かせもしたが、慣れて現場に出てからは規模相応以上の成果を示し、高い実戦能力を有する機動消防隊という位置付けで、新規の組織としては上々の評を得ている。
他方、身辺が落ち着いた頃を見計らい、かねてより希望していた新居を市街に構えた。もちろん、自分独りの家ではない。幾千、幾万もの日を隣に過ごし、保安救助の任のためともに尽力してきた唯一無二の相棒、数多の辛苦を乗り越えて心結ばれた、最愛の恋人と暮らすための家だ。
仕事はおおよそ順調、周囲との関係も変わらず良好を保っている。公私ともに充実し、当面気にかけるべき翳りは何もない。
常と変わらぬ喧騒の中、ごくなにげなく場に落とされた言葉を聞くまでは、そうと安気に信じて疑わなかった。
その日、遠征任務から帰還したインフェルノ分隊は、諸々の事後処理を終えたのち、揃って馴染みの酒場へ足を運び、夕刻から賑やかな酒宴に興じていた。慰労会と言うほど大仰にかしこまった席でもなく、部隊新設にあたり、まずは互いに知り合い打ち解けるところから、と始めた場が恒例行事のようになったもので、若手中心の隊の結束を強めるのに一役買っている。
「マスター、同じの一杯追加で」
「あ、俺も!」
「お前ら少しは遠慮しろよな。人の金だと思って」
「ちゃんと隊長の懐で収まる量は考えてますよ」
「そうそう。あふれないペースですんで」
「あふれなけりゃきっちり使い切ってもいい、ってわけじゃねぇからな?」
酒席にふさわしい軽口を交わして盛り上がるのも茶飯事なら、酔いはそこそこに、上下隔てなく議論を白熱させるのもまれのことではない。参会の人数が増え、立場上の出費が嵩むこともままあったが、得られる実の大きさを思えば安いものだ。
遠征自体は短期に終わったものの、労働量としては相当規模となった任務のあとということもあり、今夜の会は気楽な談笑の場に終始していた。一人が口を閉じれば次の一人が待っていたとばかり話し出すといった具合に、言葉は尽きない。
しばしグラスを重ね、場の空気が一層ざっくばらんに砕けたものとなった頃、隣に座っていた部下の一人が不明瞭なうめき声とともに卓へ突っ伏した。潰れてしまったのかと周りが慌てて覗き込めば、
「幸せになりたい……」
地を這うような声が天板の隙間から漏れ出る。言葉の唐突ぶりにあぜんとする間ののち、呆れ混じりの笑いが渡り、首傾げるインフェルノに別の部下から説明があった。
「店に来る前にフラれたんですよ」
「フラれた? んな暇あったか?」
「こいつ史上最速の見事なフラれぶりでした」
「瞬殺だったな」
任務報告のために場を外していた際の出来事だろうか、どうやらインフェルノ以外のほぼ全員が一部始終(一瞬で終わったらしいが)を目撃したらしく、口々に冷やかしの野次が飛ぶ。普段から言動大げさな賑やか者が相手だからこその親愛あふれたあしらいに、悲劇の顛末には同情寄せつつ、さすがに笑いを誘われた。眼下からは嘆きの声が続く。
「今回は俺なりに色々努力したつもりだったのに……旨い店探して何度もおごったし……ナリだって気ぃ遣うようにしてたし……ちょっとずつ距離詰められてると思って、今日帰ってすぐ機嫌うかがいに行ったら、こっちが話しかける前に『煙臭い』のひと言でばっさり墜とされた……救助員がモテるなんて嘘だ……もう飛べません……」
「飛べなくなったらさらにモテ要素半減だぞ航空救助員」
「しかしきっつい台詞だな……俺らの心までえぐるなよ」
こぼれる吐露にそれぞれ思うところあってか、数人が神妙な顔で頷く。インフェルノも胸に覚えがないではなかった。救助員は保安部の花形、などと言われて確かにもてはやされもするが、一方、前線の兵士と並んで、ともするとそれ以上に、危険度が高くかつ男臭い――と言うのか猛々しい現場に身を置くことが多いだけに、相手によっては必要以上に敬遠される場合もあるのだ。
「お前、いっつも高望みだもんなぁ。今回はまだ傷が浅いうちでマシだったんじゃない?」
「そうだな。付き合う前に相性が良くないってのが知れて助かったじゃねぇか。そのうちぴったり来るやつが見つかるだろうから、あんましょげんなって」
まあ失恋の報告を受けるのはこれで四度目か五度目だが、と続けるのはこらえ、今日は存分に呑めとグラスを寄せてやる。他意のない純粋な慰めだったのだが、首を横へ倒してこちらを見上げたアイセンサーは、何やら恨めしげに鈍い光を揺らしている。
そうして、
「隊長はいいなぁ……強いし男前だし俺の三倍ぐらい大雑把でテキトーな救助員なのに普通にモテモテだし……ずるい……隊長の幸せ者……」
そんなことを真剣な様子で呟き始めるので、思わず噴き出してしまった。大雑把で適当は余計だろうと笑う間にも他愛のない羨みの言葉は続き、そうだ言ってやれ、と周りも面白がって囃し立てる。
「まだ若いのに出世してるし……」
「若いったってお前らよりはそれなりに上だからな」
「無茶な違反してもいつの間にか周りがうやむやにしてくれるし……」
「人徳だ人徳」
「遠征行ったらすぐその土地のやつに懐かれるし……まあ太った半魚人みたいなのにモテモテになってもあんまり嬉しくないけど……」
「オトしてんじゃねぇか」
ほかの部下たちと一緒になってくつくつと笑いを噛み潰しながら、おそらく聞こえてはいないだろう返事を挟んでやる。ほとんど褒めそやしと同義のものでしかない切々とした訴えは、やがて職務の枠を離れ、事の核心とも言うべき場所へ届き始めた。
「街にはイイ家建ててるしー」
「夢だったんだよなー。家持つの」
「『煙臭い』なんて言われないんでしょ」
「言われるぜ? 洗浄さぼんなって。布団に入れてやらねぇぞって」
しゃあしゃあと答えてやれば、周りも敵に回ったらしく、わぁだのぎゃぁだの出ただのとわざとらしい悲鳴を上げて、ここぞの惚気をさえぎろうとしてくる。そんな騒ぎすら己のセンサーに届かないらしい被撃墜機は、感こもる二度目のうめき声を漏らしたのち、遂にその名に触れた。
「いいなあぁ……レッドアラート教官だったら絶対俺らの仕事に理解あるもん……任務終わったら少しぐらい煤かぶってたって絶対嫌がらないで優しく労わってくれるもん……」
もはやぼやかしの一片もなく、明確に名指された相棒の顔を苦笑とともに思いつつ(まさかこんな話題で取り沙汰されているなどとは夢にも思っていないだろう)、理解があるだけ説教も痛烈なのだと弁明返すより先に、
「隊長ずるい……俺も幸せになりたい……恋人ほしい……俺もレッドアラート教官みたいな優しくて美人の恋人ほしい!」
まさしく心底から、といった声音で懇願の叫びが上がった。
「結局そこに行き着くんだな」
「いかにも飢えてます、ってのが丸わかりで引かれてんじゃないか?」
予定調和の落ちをおかしむ笑いが広がるなか、羨望の矛先当人であるインフェルノだけはしかし、聞いた言葉をなめらかに呑み込めずにいた。
「……うん?」
漏れ出た声に気付いた部下たちが、首傾げてこちらを見る。疑問の視線へ問いを重ね返した。
「今なんつった?」
「隊長ずるい」
「幸せになりたい」
「恋人ほしい」
「なんか身も蓋もない感じ……」
改めて言い並べるだに俗気むき出しの願望を、再び台へ突っ伏した当人に代わって仲間たちが答える。それはわかったと頷き、呑めずに止まった一語を反芻して、自ら口にした。
「……美人?」
「はぁ」
「誰が?」
「は?」
視線の種類が疑問を超えて怪訝に変わり、真っ先に次の声を発したのは、がばりと跳ね起きた傷病の兵、ならぬ傷心の兵だった。
「なんですか隊長! 嫌味ですか! それしきのことで騒ぐなよ的モテアピールですか! 墜ちて帰った部下の屍にさらに鞭打とうっていうんですか!」
「えぇ? だってなぁ……アラートだろ?」
美人、と疑問符つけてくり返せば、周囲の反応にも妙に冷えびえとしたものが混ざり始める。
「ひょっとして『美人よりカワイイ系だろ』の展開か」
「あれ、おかしいな。この前検診したばっかなのにアイセンサーからウォッシャー液漏れてきたわ……」
「審議やむなし」
「ちょっと隊長! これ以上俺の心の傷をえぐろうってんなら出るとこ出ますよ!」
「軍法会議モンなのかよ?」
やいやいと訴えを(おそらく半分は戯れの延長で)上げ始めた部下たちへ頬掻いて詫び、なだめるポーズを取ったはものの、小さな心がかりは解決されないまま、予定していた散会の時間を迎えた。宿舎に帰る集団と別れ、独り街灯りの下を行く間もずっと同じ違和感をブレインの内に転がしていたので、
「――おかえり、インフェルノ」
帰宅を迎えてくれた声へ応えるのを一瞬忘れ、馴染みすぎるほどに馴染んだはずの顔を、今夜に限りじっと見つめ返してしまったのは、多少は致し方のない成り行きと言えるだろう。
「お前のほうが遅かったな。俺も今さっき帰ってきたところだけど」
そう続ける言葉の通り、演習用の装備を下ろす途中の姿勢でいたアラートは、動作を終えるやすぐに相棒の様子のおかしさに気付いて、再度こちらを見やった。
「どうかしたか?」
「あ……いや」
我に返り、なんでもないと首を振る。あやふやな言葉で濁す代わりに、ただいま、と遅れた返事を唱えれば、物問いたげな表情は頷きの微笑の中に消えた。この家で共に暮らし始めてからというもの、ほんの短い外出のあとでも欠かさず交わしている言葉だ。まして短期と言えど遠征を終えての帰宅なのだから、口数少なに戸の前で立ち尽くしている理由などない。
部屋の中へ足を進め、ソファに腰を下ろすと、深い排気が自然と口から漏れ落ちた。疲労の表れと伝わったのか、茶か何か飲むかと訊いてくるのにいやとまた首を振りかけて、別に遠慮をすることでもないと思い直し、頼む、とひと声返した。応じて早速準備にかかるカウンターの向こうの同居者の姿を、座面に深く沈んだままぼんやりと眺める。
幾万年に及ぶ戦難の火は絶え果てぬながらもようやく鎮まり、かつての直属上司兼相棒、保安部長レッドアラートは、今は次代の消防隊員たちの指導者レッドアラート教導官として、かつてとは少し隔たる立場で、しかしかつてよりさらに近く絆結んで、今も共に生きている。
小さな身で必死に負い続けた軍護の盾という重責を断固たる意志で辞し、良き後進の育成という新たな志に踏み出して以来、立ち居振る舞いがまるで見違えたとはもっぱらの噂だ。
(昔は茶なんて言葉すら出てこなかったよな)
用意の仕方を知っていたかどうかも怪しいと、傍らに配膳された補給の夜食が手つかずのまま冷えていくのにも気付かず、文字の隙間なく並ぶ書類と延々睨み合っていたしかめ面を思い出し、小さく笑う。自身さえがそんな扱いなのだから、もちろん他人にそうした方面の気配りをすることもまずなかった。地位上は特別におかしい態度とも言えず、下っ端であった自分こそそのあたりは随分おろそかでいたので、ことさら気にかけていたやり取りではない。とは言え、変わったものだと思うのは確かだ。穏やかな振る舞いにせよ、明確な上下のなくなった関係にせよ。
(つっても、そのへんは俺だって充分わかってるんだが)
改めて目前に示されればこうしてしみじみ感じ入りもするが、昨日今日で知り得た姿ではない。もとより、自分はこの件に関して「どの時点からどこが変わった」という一刀両断的な見方には異論もあるのだが――ともかく、周囲の口からアラートの変化にまつわる評が出てきても、今はもう意外とは思わない。
だが、今夜新たに聞いた評価は、間違いなく意外だったのだ。驚いた、と言っていい。もう一度、その語を胸中に反復する。
(美人? アラートが?)
無論、インフェルノは己の恋人のことを誰より何より可愛く思っている。誰がどんな異議を申し立ててこようと、十回問われれば十回全てに同じ答えを返すだろう。ああそうさ、あいつはとびっきりカワイイやつなんだぜ!
――とは申せ、である。確かに自分は分別のありやなしやで言えばなしの側に傾くたちだし、ブレインに貯めた知識の嵩も、その巡りの良さもまず自慢はできない。それでも、世に「ひいき目」という言葉が存在することは知っているのだ。「欲目」という言葉があるのも知っている。大事な恋人だから可愛い。当たり前のことだ。初手から色が付いていることなど重々承知している。さらに言えば、自分は瞬間の容姿で見てアラートを好きになったわけではない。それこそ半生をはるかに超える年月を隣に過ごして、わずかずつ良さを知り、わずかずつ心を寄せたのだ。その間、互いの外見にほとんど変化はない。
であるからして、と、持って回った思考で結論を導きかかったところへ、
「ほら」
湯気の立つカップを横から差し出され、反射的に受け取る。そうして前を横切る彩色を見た瞬間、ふっと、メモリの奥底から浮かび上がってきた記憶があった。
(けどそういや、ほんとの初っぱなには、ちょっと目立つやつだとは思ったかな)
軍に入隊した折、直属に決まった上官とじかに顔を合わせる前に、その姿を遠目に見た。警備灯の下の白に鮮やかな赤色が良く映えていたのを憶えている。少し気に留まる姿であったことを記録が語る。
その後に聞いた噂と対面の瞬間からの刺々しい態度とで、初めの印象は全て見事にマイナス方向へ上書きされたのだが、それがなければ――どうだったのだろうか?
顔は正面に向けたまま、センサーだけをそっと横へ動かし、隣に腰かけたパートナーを見る。同型の多い機体だが、後期改良型ということもあってか、割合にほかと差異のはっきりした姿をしている。当人は脚回りや腕のシザーパーツ、腰のウィングなどの造りについて、同方向の揶揄に重ねて「戦士らしくない」と自嘲気味に語っていたこともあるが、素直に装飾として眺めるならば、特徴豊かで悪くない。機能含め一番の個性と言える頭部のセンサーにしても、それこそ警戒のため必死にそばだつ小さな有機動物の「耳」のようで、つい手を出して触りたくなる(そして毎度の説教と相成る)ほどには魅力的だ。さらに、生来のものだという鮮やかな赤と清廉な白でくっきりと染め分けられた体色は、今の時代でも周りにあまり類を見ない、やはり目を引く彩りである。
「向こうはどうだった?」
「へ?」
つらつらと評を下しているところへ不意に問いかけられ、一度ほうけた声を返してしまってから、また首傾げられる前に、ああと慌てて答える。
「仕事自体はまあ難しくもなかったな。何度か余爆はあったが小せぇもんだ。ただなんつってもハコそのものは馬鹿でけぇし、監督がぼんやりした奴で行き当たりばったりに進めやがるから、初めのうちはずいぶん二度手間食わされたぜ」
「そうか……。今回は偶発的なものだから仕方ないとは言え、あそこまで大規模な廃炉は近頃ほとんどなかったからな。日々の作業にしても解体時の処理にしても、手順や点検項目が今の時代に即しているか見直す必要があるかもしれない」
途端に考え込む横顔を見て、いつもながら、とひそかに笑いをこぼす。今昔をあれこれと語られつつも、前のめりに仕事へ打ち込む姿勢は相も変わらずだ。
「そうだな。つっても、今からわざわざお前が悩んでやるこたねぇと思うぜ? そのために働いてるやつがいるんだから、泣きつかれるまではそいつらにやらせときゃいいさ。俺も報告の時にきっちり文句入れといてやったし」
生徒の世話もそろそろ忙しくなる時期だろうと、諭すというほどでもなく言えば、少しの間のあと、
「……うん、まあ」
いかにも強いて我慢しました、といった風情の頷きが返ったので、こちらの笑みも深まる。
ただのしかめ面なら歓迎できないが、熱意の表れと言えるこうした険しさを隣で眺めるのは、昔から嫌いではなかった。四角四面な態度に隠れたそのひたむきな志と、芯から貫かれた不器用な真面目ぶりにこそ、自分は心惹かれたのだ。
(そうそう。だから見た目じゃねぇんだって)
何に対するどんな理由の弁明なのか己でも良くわからぬまま、言い聞かせるように胸に唱えながら、それでもまだ何かを気にかける心に抗わず、しつこく隣を覗いた。と、こちらはこちらで仕事の話が頭から消えていないらしく、少し頬膨らせて拗ねたようにも見える顔で、カップの中身をずるずるとすすっている。
(あ、カワイイ)
いや――いや、仕方ない(やはり何に対しての「仕方なさ」なのかは良くわからないが)、認めよう。見た目は悪くない。あえて可と不可に二分するならおそらく可の側に入る部類だ。自分は決して見た目だけで彼を選んだわけではないが、それでもやはり可愛いと思う。当たり前だろう。惚れ込めば美点がきわ立って見えるのだから。元来好みの色であることを置いても、身にまとう赤と白の対比はうつくしく見えるし、今ああしてカップのふちへ口付けている唇にしても、機体相応に小造りだが割に厚みがあって、触れればやわらかく心地いいし、水や油液に濡れればぽってりとして大層艶めかしくも――
(……ひょっとして「美人」だったのか、アラートは)
語るに落ちた思考を自ら中断し、また部下たちから砲火を浴びそうな呟きを、妙にやるせない気分で心中に漏らした。