P.S.
「アラート、本当にもう平気なのか？」
「はい、申し訳ありません……。大丈夫です、あの……少し驚いてしまっただけで。本当に……」
気遣わしげなコンボイの問いかけに、リペア台の上のアラートはひたすら身を小さくして恐縮し、謝罪の言葉をくり返していた。少々滑稽なやり取りではあるが、どちらの態度にせよ無理もない。夜勤のない者がそれぞれ余暇を過ごし始めたゆったりとした時間、突如として基地全域に警報が鳴り響き、その発信元で軍の保安部長が煙を上げて倒れていた。すわ何事かと仲間たちが色めき立つ中、リペアルームにかつぎ込んだ機体を診てみれば、なんのことはない、瞬間的な異常演算負荷による熱暴走――要するに、何かに仰天してひっくり返り、その弾みで警報を発してしまったという診断である。
少し驚いただけで叩き起こされたらたまんないよ、とタワーの点検で夜を徹したらしいギアーズがぼやくのを誰かがなだめる声が聞こえたが、アラートはまさに返す言葉もない、と言いたげな表情を浮かべていた。
「そうか、まあ疲れが溜まっていたんだろう。今夜のところはゆっくり休むように」
「はい……」
「付き添いは一人でいいな。さあ、あとの者は解散だ」
付き添い、の言葉でこちらに顔が向いたので、すぐに頷きを返した。追い立てられるように部屋を出ていく仲間たちを見送り（途中とびきり険しいひとつふたつの視線を受けたが反応は控えた）、最後に残った軍医とのやり取りを後ろで眺める。
「不良記録の出ていた油圧調整器も少しいじったから、少しのあいだは動きづらいだろう。今日はここで寝ていくといい」
「ああ、ありがとう」
「じゃあ後は頼んだよ、インフェルノ」
「え？」
ラチェットの言葉に、今初めてこちらに気付いたとでもいうような、驚きの表情が向けられる。わざとらしく手を振り示してやると、あたふたと目線が脇へそれた。
「ラチェット、あの……」
「実はこれから街のほうへ行く用があってね。付いていられないんだ。まあほかに不具合もないようだから大丈夫だろうさ」
何かあったらホイストかホイルジャックを呼ぶように、とこちらに言葉を振るラチェットの顔はあくまで涼しく、逆に何かしら思い至っていることを感じさせたが、互いに口にはしなかった。彼なりの気遣いでもあるだろうし、相手がごく軽度とは言え病人だと強調することによる諫言でもあるだろう。
では、と去っていったラチェットに代わり、リペア台の隣まで進む。アラートはぎくしゃくとした動作で長座に起き上がり、視線を自分の膝に向けたまま口を開いた。
「インフェルノ、あの、俺はもうなんともないから、部屋に戻ってくれて構わない」
「そういうわけにもいかんだろ。司令官が付き添えっつったんだから」
「う、そ、そうか……」
それを言われては、といった様子で言葉をしぼませる。少し面白くないものを感じて、責任は取らなきゃならんしな、と自分の存在を割り込ませると、はたとこちらへ顔が上がった。
「せ、責任って」
「部下があれこれ世話かけるから、疲れもするって話だろ」
違うか？ と笑い含みに言ってやる。否定も肯定もできないのだろう、いや、あの、と不明瞭な言葉が口の中に消えた。コンボイの問いにも「ただ驚いただけ」とくり返し、頑として明確な理由を語らなかったアラートだが、普通ならそんなにも驚くことなど起こり得ないような自室で、データパッドを手に抱えたまま倒れていたのだから、さすがに今日の今日では察されるものがあった。
それが明確にわかったのは自分だけ、それを起こさせたのこそ自分なのだと思えば、ひそやかな優越感じみた情動に胸が沸く。気にしていたわけではないが、少しは意趣返しできたろうかという満足をも得た。何しろ、昼にアラートからの「ラブレター」を読んだ瞬間の自分は、本当に椅子を転げ落ちる寸前だったのだ。少しばかり熱に強い体質でなければ同じくオーバーヒートも起こしていたろう。その向こうを張れるだけの言葉をブレイン総動員のうえひねり出そうとして、いくつかの文章をつづったものの、結局はえいまどろっこしいと机を蹴立てて対面し、しかしいざとなると踏ん切りの悪い台詞しか出てこず、一度は望まない形で泣かせたわけである。まったく、情けないにもほどがあるというものだ。
だがどうにか誤解は解け、今や自分たちは特別な関係にあるのだ。いずれ必ずと思えど、なんだかんだと引き延ばし引き延ばしにしてきた願いが一足飛びに成就したのだから、あの言葉を書いてうっかりと残したアラートにも、履歴を覗いてその足で彼のもとへ向かった自分の決断にも、今この時にあっては感謝を捧げるべきだろう（どうやらカンニングの件もうやむやになりそうな気配であるし）。
隣のリペア台に腰かけ、居たたまれなげに身を縮めている上官の姿を物珍しく見つめる。こちらが少し身じろぎすると、連動したようにびくりと肩を揺らすのがおかしい。まるで臆病な子どもか手負いの獣を見ているようだ。おかしく、そしてなんとも可愛らしい。そういえば泣き顔だって充分にクるものがあった、などと思うがひとまず脇にどけておく。
そういえばついでに思い出したのが、あの時、警備室からの呼び出しに邪魔された一連の行為である。あれは非常に惜しかった、と思いながら、眼前の機体の、きゅっと横に引き結ばれた小さな唇を見つめる。途端に舌の上に湧いたオイルを嚥下し、気付けば声が滑り出ていた。
「なぁアラート」
「え？」
「キスしようぜ」
「……え？」
間の抜けた声を返し、こちらの言葉が理解できないような表情を浮かべていたアラートは、数瞬後、その顔を頭部のパーツと見分けがつかなくなりそうなほど真っ赤に染め上げた。
「なっ……こっ……！」
おそらく「何を言っているんだ」だとか「ここをどこだと思ってる」だとかといったことを口にしようとしているのだろうが、言葉になっていない。構わず続ける。
「ラチェットは行っちまったし、今夜はもう誰も来ないだろ」
「だとしたって、キ、キ……」
その単語さえ口にできないらしい。薄々予想はしていたが、本当にこういったことに対して免疫がないようである。台に浅く座り直して身を寄せると、わたわたと腰をずって遠ざかろうとする。
「アラート」
「や、やだ」
「なぁ」
「やだ、近い、近い」
「近いってお前」
「け、警報鳴らすぞ……！」
「それ脅し文句に使うのやめようぜ」
苦笑して返す。今またどやどやと仲間たちに集まられてはたまったものではない。まあアラートも今夜の失態は相当に後悔しているだろうから本気でやるとは思えないが、たとえばなんだかんだと信頼を預けている兄弟機たちなどを呼ばれては、むしろそのほうが事だ。
「なんで逃げるんだよ。俺のこと好きっつってくれたろ？」
「い……言った、けど……」
それは否定しないらしい。少し気を良くして続ける。
「俺も、お前が好きだぜ」
「あ、う」
「つまり俺たちはもう恋人同士ってことだろ？」
「こ、こい……」
「だろ？」
念押しに言い重ねると、その顔から少し焦りが消えて、
「……うん」
小さく落ちた声とともに、ほわり、幸福をにじませる笑みが浮かぶ。身の内で熱が弾けるのを感じたが、勢いで掴みかかりそうになるのをぐっとこらえて、なお語りかけた。
「恋人ならキスぐらい普通だろ」
「で、でも、今日なったばかり、で」
「関係ねェよ。俺もお前もずっと好きだったんだし、パーセプターから呼び出しがなけりゃあの時しちまうつもりだったんだぜ？ 遅いぐらいだ」
「そ、そうか……」
ぐいぐいと心身の距離を詰めつつ、おいおい大丈夫か相棒、と胸の内で不安を紡ぐ。いつもの用心はいったいどこへ行ってしまったのかと、常とあべこべの注意をしたくなったが、相手が自分である限りはまあやぶさかではない。
これについては今度とっくり忠告せねばとメモリにタスクを刻んで、今は目の前の上官兼めでたく恋人を腕に迎えるのに集中する。そっと伸ばした手は今度は避けられず、包んだ肩は少し跳ねたが、少し水にじませるアイセンサーの青が、間近の位置からじっとこちらを見上げている。
「好きだ、アラート」
「インフェルノ……お、俺も……」
好きだ、と懸命に紡がれた声を呑み、覆い被さるように口付けた。背に回した腕で小柄な機体をぐいと胸に抱き込み、全身に熱を分け合う。
「ん、ぅ……」
重ねただけの口を一度離し、鼻にかかった声を聞きながら、小さな唇を噛むようになぞる、あ、と咄嗟に声漏らすのを逃さず、開いた隙間に舌を滑り込ませた。腕の中の機体が動揺に揺れるのを構わず、奥へ逃げる相手の舌を追い立て、捕らえ、絡める。
「んんっ……！ ふぁ、あ、ァ」
水音の合間に落ちる甘やかな声が、じりじりとスパークを焦がす。望んだ唯一をこの手の内にしている歓喜にせがまれるまま、貪るように求めた。何度重ね合い、情を行き交わさせても、まだ到底足るに至るとは思えなかったが、やがて先に苦しさを訴えられたので、名残惜しく離れた。
呼気をふたつ散らしたところで、さすがにやり過ぎたかと反省を覚える。なにせ相手は初めてなのだろうから、と少しの罪悪感とともに見下ろしたが、
「……インフェルノぉ……」
澄んだ青を潤ませ、頬を赤く染めて、もどかしげに身を震わせながら、どちらのものともつかない油液に濡れた唇で呼ぶのだから、それを「もっと」とねだる言葉に聞き違えたとしても、ここまで来れば一周してさほどの罪でもないのではあるまいか、と考え直した。
そういった顔も声も自分以外には向けないように、と忠告のタスクに追伸を書き添えながら、名をささやき返し、もう一度その体を腕に抱き寄せる。後に続くのが堅苦しい注意でも凛とした指示でも甘やかな愛の言葉でも、彼が呼べば自分はこの先幾度であれ、嬉々としてその声に応えるだろう。
Lots of love,