◇


 浮上する意識に機体の稼働が追いつくまでには少しの時間を要した。中枢から信号が渡るにつれ、わずかずつ各部の機能が取り戻されていく。初めに音と触感が回復し、次に視界のよどみが晴れて、仰臥の体が黒々とした坑道の岩塊ではなく、くすんだ灰白色のシーリングの下にあると知れた。その色形に見覚えはなかったが、整備された建屋の中であることは間違いない。
 頸部の軸とアイセンサーをかろうじての動きで横へ向ければ、肩の横に別の機体の一部が見えた。自分が寝かされているのが床から浮いた位置にある寝台――リペア台であり、傍らに伏している鮮やかな赤が、見下ろすのに馴染んだ上官の頭部パーツであることを理解した瞬間、メモリの最表層にある驚嘆の場面の記憶がブレインに読み出され、発作的な動揺に襲われた。身を引かせようとした咄嗟の命令が、まだ正常に起動しきらない機体の一部のみをいびつに跳ね動かす。台が大きく軋んで、枕辺の赤と白がはたとその身を起こした。
「あっ……気付いたのか、インフェルノ」
「お、おう」
 どもりつつ応える。現状把握ができないための混乱と取られたらしく、アラートはごく平静の様子で、自分たちが保安本局内のリペアルームにいることを一番に語った。そのあたりはおおよそ予想できていたものの、坑道へ落ちた夜から丸一日以上が経過しているという事実を聞いた時には、さすがに驚かされた。それだけの時間が経っていれば、アラートの平然とした態度も頷ける。
「そんなにぶっ倒れてたのかよ」
「明け方には救援が来てすぐに搬送されたんだが、何しろ時代の違う機体だからな……。規格に合う治療なりパーツの交換なりをするのに少し手がかかったんだ。向こうに帰ってからまた何かで腹を開けた時に、オーバーテクノロジーの部品が出てきたら困るだろ」
 シャットダウンからの復帰を待って手付かずにしている修理箇所もあり、完治まではまだ少し日数がかかるらしい。それまでは予期せぬ不具合が起こらないとも限らず、応急処置要員を兼ねて残っていたのだと言う。
 語られるいきさつの端々から、アラートが自身の持つデータを駆使して旧い機体に適合する処置を探し、二日のあいだ、付ききりで面倒を見てくれていたらしいことは推量できた。今の特殊な事情を考えればやむを得ない部分もあったのかもしれないが、横で居眠りすらさせていたのだと思えば、その心遣いを穿った目で見る余地などない。
「……色々、手ぇかけさせて悪ぃ。ありがとな」
 数日の煩悶が嘘のように、するりと感謝の言葉が口を出た。元来は迷いやためらいの少ないたちだ。この何日か、いや、この時代に来てからこっち、らしくないことばかりしていたと言うのが正しいのだろう。なにげなく聞き、見たつもりでいた種々のことごとに、実際は非常な衝撃を受け、心を疲弊させられていたのだ。こうして癒えてからやっと気付くのだから、我がものながら鈍い神経である。
 アラートは一瞬ぽかんとしてのち、小さく排気して言った。
「まあ、反省はしてもらうべきだな。災難ではあったが、無断の外出がきっかけという点では自業自得だ」
「へい……」
 返す言葉がない。寝かせた頭で力なく頷くと、
「だが部外の者を巻き込んだのは我々に非があるし……あの工作員を捕らえたことは組織壊滅への重要な足掛かりになる。お前の射撃も功績の一片だ。今回の行動は不問にしておく」
 負傷についても後遺なく治るのだし、終わり善ければすべて善しという言葉もある、と語り、ふっと微笑してみせる。その穏やかさを見て、自然と口が開いた。
「あんた変わったよな。いや、変わったっつーか……」
「成長しただろ? 射撃の腕だけじゃなく」
 また怪訝にされるかと思いながら発した言葉に、意外な声が連ねられる。良く言われる、とアラートは得意とも自嘲とも取れる笑みを深めた。
「これこそ自業自得だが、昔の評判はずっとついて回ってるよ。変わり過ぎていてお前から見ると気色悪いかもしれないな」
「いや」
 即座に首を振った。同時に、納得を得る。何もかもががらりと変わってしまったわけではない。他者を容れ、棘は必要な時にだけ表され、短所は色を控えて、美点が良く見えるようになった。その変化には、「変貌」という言葉より、確かに「成長」という言葉が似合う。きっと、全てを何かに変えられてしまったのではなく、何かをきっかけに、自ら変えてもきたのだろう。
「悪かねぇよ。いいと思うぜ。……すげぇ、いいと思う」
 意識せず言葉に感がこもる。アラートはわずかに動揺を浮かばせてから、うん、と小さく頷いて視線を脇へ逃がした。その頬の上に薄く赤みが差しているのを見て、いまだ胸の内に消え残る熱が揺れる。
「……嘘とか、冗談とかじゃねぇからな」
「え?」
「穴ん中で言ったこと」
「あ……」
 己でも整理がつかないままの告白ではあった。だが、この身にくすぶる熱は、決して偽りのものではない。『こちら』がどうの、『あちら』がどうのと、ややこしく考えるのもひとまずはやめた。いつまでも迷いためらって、今ここにある確かな心をごまかしたくはない。
「けど、私は」
「わかってる」
 気後れがちに呟かれた言葉を先に補い、言う。なり代わる余地のない存在がその傍らにあることは、もちろん承知している。
「困らせて悪いと思ってる。けどよ、俺はこらえ性がないから、黙ってられねぇんだ。色々溜め込んでるとそれはそれであんたに当たっちまう。だから、今だけ……そうやって思ってることを、許しちゃくれねぇか」
 なんとも卑怯な言葉だと、口にしてしまってから理解した。散々その気遣いに不審を寄せたあとで、今度はそれにすがろうとしているのだから、まったく呆れてしまう。だが、もはや覆せない。無様な居直りを善しとするほどに、胸を焦がす炎は強い。
 案の定と言うべきか、アラートは困惑の表情を浮かべながらも、無下に頼みを撥ねつけようとしてはこなかった。目線が右、左、とさまよい、インフェルノの顔ではなく台に置いた手の上に戻って、小さく口が開く。
「あ、あのな、インフェルノ。そのことなんだが……多分、お前は」
 訥々とした言葉が何かを語りかけた、その時。
「教官っ、レッドアラート教官! 大変です、イン……」
 部屋の戸が開き、がしゃがしゃと騒がしく飛び込んできた足音と叫び声が、場の空気を一瞬にして塗り替える。見覚えのある顔、と言うよりもはや知人の域に近いアラートの組の訓練生は、ふたつの視線を受けて、はっとした動作で言葉を呑んだ。
「あの……」
「どんな非常事態でも報告は速やかに確実に。いつも言っているだろう」
「はっ、はい。申し訳ございません」
 椅子から立ち上がって教え子に振り向き、厳格な教導官の表情で忠告を述べたアラートは、一度ちらりとインフェルノへ視線を寄こしてから、静かな声で確かめた。
「まあいい。……あいつのことだな」
「あ……は、はい。帰投途中の第五分隊の船が、予定進路上から、急に、その……」
「わかった。廊下で聞く」
 しきりにこちらを気にして舌の回らない訓練生を促し、少し外す、と短く言い残して、共に部屋を出ていく。了解を返しつつも事から放り出されたまま、ただやり取りの途中で口にされた一語を反復した。
「あいつ、って……」
 まさか、と思い巡らせる時間は、さほど長くもならなかった。再び開いた戸から歩み入ってきたアラートは、ごく平常の顔と声とで、騒がせてすまなかった、とひとこと謝し、静かに傍らの椅子に腰かけた。言葉がその先へ続かないことを察し、自ら求める。
「なあ、何があったんだ」
「いや……」
「あんたのコイビトのことだろ?」
 ずばり、問う。アラートはひるまなかったが、ほんのわずかに表情を曇らせた。少しの沈黙のあと、頷く。
「今さら隠しても仕方ないな。その通りだ」
「どうしたんだよ」
「乗っている船が行方不明になった」
「……え」
 遠征地からの帰投のため宇宙空間にあったスペースシップが、進路上、母星までの距離十日あまりという地点で、忽然と反応を消したという。急ぎ調査と捜索が進められているが、まだ原因も何も掴めていないらしい。
 淡々と語られる話に示した動揺は、インフェルノのそれのほうがよほど深かった。現状を述べたきり椅子から腰を浮かせもしないアラートへ、行かなくていいのか、とこちらが訊くのだから妙な話だ。
「どこへ」
「どこって……」
「しかるべき部門で捜索の手は尽くしている。技術部も出張ってくれているようだし、私ひとり乗り出したところでできることはない。……そうだ、技術部で思い出したが、お前の水冷器の型番を」
「お、おい、主任っ」
 これはもう、照れ隠しがどうのという話ではない。彼は本心から残ろうとしている。この状況では有難いなどと素直に喜べず、勢い込んで言葉をさえぎった。
「なんだ?」
「なんだじゃねぇよ。行ってくれ」
 いきなり昔へ戻ってしまったような態度に面食らいながら、滑稽な要求を口にする。本来ならここは、相手が慌てて部屋を出ていってしまい、横恋慕の男は独りとり残されて、やるせなく悋気を噛み締める、というのが常套の展開のはずだ。しかしアラートはなおも立ち上がる気配なく、首を傾げてさえみせた。
「なんでお前が行かせたがるんだ」
「いや、だってよ……」
 一度口ごもり、
「……その程度のやつに負けたとか、思いたくねぇんだよ。だから」
 行ってくれ、と決まり悪く白状する。自分の小ささが余計に身に染みる思いだったが、ただでさえ過ぎるほどの厚意を受けているのだ。このうえさらなる期待(と言うより思い込み、なのだろうが)をさせられるのは遠慮願いたかった。
「なんだ。そんなことか」
 しかし返った声は実に軽々としており、さすがに顔が引きつった。
「あんたな、人が恥をしのんで告白してんのを『そんなこと』って……」
「実際にそう思ったんだから仕方ないだろ」
 悪びれる様子もなく言い、
「お前、もし自分が向こうの立場にあったとして、待たせている相手がそいつを必要としてる怪我人をほったらかしにして、できることもないのに捜索に加わったと知ったら、喜ぶか?」
 唐突にそんなことを訊いてくる。戸惑いながらも考え、正直に答えた。
「いや……喜ばねぇかな。場合によっちゃ、ンなに信用ないのかよって逆に腹立てちまうかもしれねぇ。心配されといて勝手な話だけどよ」
「だろう」
 インフェルノの答えを肯定も否定もせずに頷き、短い相槌で話を切り上げようとするので、あくまで自分の考えだ、と付け加えたが、アラートは態度を変えなかった。なお言い重ねようと口を開けば、先にゆるりと首が振られ、呟きに近い言葉が落ちた。
「別に心配していないわけじゃない。だが、こちらにできることがないのは事実だ。だから私は自分が今すべきことをする。大丈夫だ。きっと無事に帰ってくる。そう約束してるから。……大丈夫だ」
 静かに言い聞かせるような声に混じ入る、かすかな音の揺らぎに気付き、見上げる。変わらず落ち着いた表情だった。だが、ゆっくりとその身の先に視線を辿っていけば、台の上に握った拳が、ほんのわずかに震えを立てているのが見えた。
 名を呼ぶ形に開いた口を、また声なく閉じる。正面の壁へ向きながらどこか遠くをまなざす淡色のが、自分の手元の異変に気付いているのかどうかはわからなかったが、インフェルノは問いも指摘ももう言葉にせず、ただ黙ってその横顔を見つめ、次の指示を待った。
 結局この日、これまで幾度も見送った赤と白の機体の立ち去る背を見ることは、その後一度もなかった。


 アラートのデータ支援と慎重なリペアの甲斐あって、機体の不具合はその後の二日でほぼ解消された。施療の場から離れる際などに、彼が行方不明機の状況を確認している気配はあったが、特にその中身を伝えてくることはなく、インフェルノも自ら訊ねはしなかった。
 医師や技術者の出入りは頻繁にあったが、アラートはほぼ一日部屋で待機を続けていた。演習はどうしたのかと問うと、どうせ射撃は満足に教えられないから、別の教官に頼んでいる、との答えだった。さぞ生徒たちの意気が落ちていることだろうと内心で詫びを唱えながらも、その優先順位を否定する意見はもう述べず、安静を命じられた退屈を紛らわせるために、傍らの元上官と他愛ない話を続けた。互いにひとつ秘め事が消えたからか、会話はこれまでの日々で最もなごやかなものになった。無論それでも、相手とのあいだに決して越えられぬ壁があり、穏やかな時間に消えない翳がまといついていることを、忘れはしなかった。
 坑道への落下から二日目の夜、検査のあいだ廊下で立ち話をしていたアラートが、部屋へ戻るなり告げた。
「さっき技術部の主任が来て、例のタイムワープの分析がほぼ完了したと報告があった。まだ詰めを残してはいるが、順調にいけば五日もかからずに帰還の準備がととのうとのことだ」
 一瞬、なんの話をされたのかすらわからず、ぽかんとして相手の顔を見つめてしまった。遅鈍な思考がどうにか解を引き出し、応答を促す。
「そうか」
 なんとも間の抜けた相槌だった。アラートが拍子抜けの顔を見せ、せっかくすぐに教えてやったのに、もっと喜んだらどうだ、と笑う。だが、つられて笑む気分にはならなかった。まるで浮き立たない心があるのを、インフェルノは己に言い訳せずに認めた。
 消えた船に関してはいまだなんの報告もなく、すなわちなんの進展もないのだということはわかっていた。アラートが苦境にあるのに自分だけ、などと殊勝なことを考えたわけではない。むしろ、想いはその真逆と言ってよかった。
 元の時代に帰っても、取るに足りない上司と部下の関係に戻るだけだ。合わないうえに、『こちら』と違って初めから疎まれていると言っても過言ではないし、始まりの位置に立たせてくれる気配すらない。
 もし、と、考える。
 もし、彼の今の「特別」が、このまま帰らないようなことがあったら――
 なんとも浅ましく、弱い心だ。だがそれが確かに今の己の中にあることを、インフェルノは認めた。認め、そしてそのままあり続けることを許さずに、すぐには無理でも遠からず打ち棄てるべきものとして、胸の隅へと追いやった。
「いや、急だもんだから実感が湧かなくってよ。ありがとよ。あんたのおかげだな」
「解析に関しては何もしてないけどな。まあ、とりあえずのところはひと安心だ」
「俺が帰るまでに、船も見つかりゃいいな」
 余計なことを考えてしまうから、と、もちろんそんな下卑た思惑が伝わることはなく、アラートははっと表情を揺らがせてから、少し頬を染めて、そうだな、と小さく頷いた。
 翌日の夕刻、医師に全快が認められ、ようやく平常の活動の許可が出た。かなり異例の回復の速さであったらしく、呆れるほど生命力が強い、と評されたので、それが取り柄だからなと笑って返してやった。
「全快祝いに何かするか?」
 医師たちが去り、二人になった途端にアラートが訊ねかけてくる。そんなことをしている場合なのか、とこちらが訊きたい気分ではあったが、ひょっとするとこの幾日かに最も閉塞を感じていたのは彼なのかもしれないと思い直し、
「とりあえず、早いとこあのクソまずい病人食を忘れたいんだよな」
 そう前置きしてから、意を決して言う。
「……こんな時に、すげぇ勝手な頼みなのはわかっちゃいるんだが。今夜、またあんたとあの酒場に行きたいんだ。息抜きだとか馬鹿なこと言うつもりはねぇし、もちろん無理なら断ってくれて構わないんだけどよ」
 弁明を挟んでなお手前勝手な言葉だと感じたが、最後の機会だろうと思えば引くこともできず、濁さず言い切って、評決を待つ。アラートは危惧した不快の一片も見せず、すぐに了承を唱えた。
「わかった。行こう」
「悪ぃ」
「別に謝ることじゃない。そんなに気にするな。らしくないぞ」
 確かに、と苦笑する。まるでアラートのほうがこちらのことを良くわかっているかのようだ。奇妙な話だが、どこか心地よく、そして喜ばしくもあった。



←BACKNEXT→

NOVEL MENU