インタビュー・ウィズ・ヒーローズ
その質問が飛んだ瞬間、会場の空気に電気信号のようなひりつきが走ったのがわかった。やってくれたな、と天を仰ぎたくなる衝動をどうにかこらえて、隣に立っていた上司とともに固唾を呑んで次の反応を見守る。演者も客だが、聴講者も客。どちらにも気を遣わねばならないのが仲介業者のつらいところだ。
「ええと……」
本日初めてとなるだろう言い淀みの様を見せつつ、舞台上の青年は我々が待機する上手袖のほうへ視線を投げかけてきた。と言ってもその目の先にいるのは我々ではなく、数歩前に立っている彼のチームのマネージャーである。OKか、NGか、判断する権利はこちらにはない。演者である青年――二代目インゲニウムとともに、その裁定を待つのみだ。
はや七年前となる大戦直後、急激に高まったヒーローたちの脱興行化の機運のあおりを受け、営業不振からの破綻が相次いだタレントマネジメント界隈であったが、イベント運営畑の企業も巻き込みつつ半ば強制的に行われた業界再編成が落ち着いてからのここ数年は、むしろ多様化の進む社会環境が追い風となり、かつての盛況を取り戻しつつある。〝人気者〟を見境なく囲っては時間いくらと勘定していた姿勢を改め、互いに必要とする者同士をつなぐ、という基本に立ち返った結果、普段は本業に専念しつつも、是非にと求められる場があれば応えたい、あるいはそういった相手を招きたい、という声を掴むことが叶ったのだ。
チャートの高低や知名度にかかわらず、持ち前の能力や経験、知識、信条などの特性に応じたマッチングのもと、個人を企業へ、企業を個人へ紹介する、というのが現在の潮流だ。近年はヒーローにとどまらず、スタートアップの起業や活動団体の発起などのために後援を求める人間も増加傾向にあり、需要の右肩上がりはしばらく続くだろうと見込まれている。
今日の仕事はそうした仲介が半分、従来のイベント支援と講演マネジメントが半分、といったところの内容で、企業の年度始めの集会の運営を請け負う中で、コンテンツのひとつとしてゲスト講演を執り行いたい、との要望に応じて準備が進められた。事務的な発表も多い本日のプログラム中の目玉、と言っていい。
しかし、初めから今売り出し中の若者を呼ぼう、と計画していたわけではなく、当初、社外取締役の知人というありがちな伝手を辿って声をかけていたのは、インゲニウム当人ではなく、ターボヒーローの開祖とも言うべき、彼の祖父であった。特段奇妙な話ではなく、いかに世の流れが許せど、現役ヒーローに現場を引き上げさせて講演仕事を、となるとやはりそれなりの意義や理由を要するため、通常は引退済み、またはそれに近い立場の相手への依頼が多くなるのだ。今日のような企業イベントで一席ぶつに当たっては、経験に基づく説得力も評価点となる。そうした意味でも申し分ない人選ではあった。
が、イベント十日前、予期せぬトラブルが発生した。連絡してきたのは初代ターボヒーローの孫息子の事務所、すなわちインゲニウム事務所はチームIDATENの渉外担当で、『飯田のお祖父様が庭仕事で腰を痛めてしまいまして……』という牧歌的だが大変に困る一報であった。
症状は幸いに軽く、本人もそのまま演台に上がる気でいたのだが、大事を取るよう周りが必死で止め、渋々頷いたらしい。このたびは大変申し訳ございません、と、声を失ったままのこちらへ謝罪に続いて投げかけられた言葉は、輪をかけて予想だにしないものだった。
『実は弊事務所のインゲニウムがその日ちょうど身体が空いておりまして……お祖父様が直接ご依頼の会社の役員様に代役として推薦したところ、大変乗り気になられてしまったとのことです。急のお話で恐縮でございますが、交代の対応は可能でしょうか?』
結論を言えば、思わぬ逆オファーはそこからとんとん拍子に展開し、全面支援を約束してくれたチームイダテンの助力もあって、おおよそ無事に代理講演が実施される運びとなった。最も難色を示していたのはインゲニウム当人で、プロデビュー十年にもならない若輩が祖父の代役を立派にこなせるなどとは思えない、と主張していたらしいのだが、その祖父を始めとする親族、そして事務所の面々に総出で押し流された、と事前のオンラインでの面談時にこそりと打ち明けられていた。
しかしご縁を結んだからには精いっぱい務めさせていただきます、と力強く宣誓された言葉の通り、迎えたイベント当日、初めてではないが場数を踏んできたわけでもない、と語っていた講演者としての振る舞いは、なかなかどうして堂に入っていた。くせなのか少々腕が大仰に動くきらいはあったが、かの雄英黄金世代のリーダーの一名であった経歴は伊達ではないようで、明朗な語り口も、理路整然としつつ若者らしい情熱を感じる話の中身も、期待以上のものだった。彼が支援を表明している健康振興事業と障害福祉の活動と関連深い企業人を相手取っての場であっただけに、事務所内での準備もいっそう抜かりなく行われていたのかもしれない。
初めは所詮二十歳を少し過ぎたばかりの若造、と侮っていた者も多かったに違いない聴講者たちも、開始数分ですぐに姿勢を正し、話の終わりには真剣な拍手を送っていた。続けて質疑応答の時間となっても、事前の根回し要員が働くまでもなく、自発的な質問の手が複数挙がり、インゲニウムも如才なく答え、やれこのまま上首尾に終えられそうだ、と胸を撫でおろしかけた、その数秒後だった。
「お時間が迫ってまいりましたので、あと一問か二問で終わりとさせていただきます。……はい、前のほうのそちらの女性の方」
舞台袖に設置された会場モニター越しに、司会がマイク係へ指示した席を確認して、おや、と思った。マイクを手渡されて立ち上がったのは、「女性」よりも「少女」の語が似合うような若者だった。明らかに場違いだが果たして――と、素性を推理する前に、その質問は発された。
「こんにちは。あの、今日どうしても訊きたいことがあって……。私、もう中三なのに全然恋愛とかできてないんです。ショートと結婚したインゲニウムが凄く羨ましいです。ああいう素敵な人と恋をするには、どうすればいいですか?」
瞬間、会場に小さなどよめきと電気信号のようなひりつきが走り――場面は冒頭に戻る。
やってくれたな、の言葉を奥歯で噛み潰しつつ思い出したのは、今日の依頼企業が創業社長のオーナー会社である事実だった。そうした場合、会社行事にオーナーの家族が顔を出してくることが往々にしてある。おそらくたったいま会場に巨石を投じた少女は、社長の娘か、近しい身内だろう。先に知っていれば司会に注意を促しておいたのだが、時既に遅し。マイクを通して場に響き渡ってしまった言葉をなかったことにはできない。
雄英黄金世代の中でもひときわ名高い一名、今や国民的人気と知名度を誇ると言っても過言ではないトップヒーロー・ショートと、その親友(とまでは公言されていた)インゲニウムの数年に及ぶ交際の公表、および婚約発表があったのがおよそ一年前。挙式の事後報があったのがおよそ三か月前。世間に大騒動を呼んだビッグカップルの話に関心を向けるのは、当たり前の人情だろう。
しかし、既に世の耳目に触れた話題だからといって、軽々しく、わけてもこうした公的かつ別の主題を共有する場で、他人のプライベートの領域に踏み込むべきではない、と考えるのが社会人の常識である。インゲニウム事務所からの事前要望はごく一般的な内容にとどまり、質疑応答についても特記すべき事項はなかったが、そのたぐいのことは事前に注意するまでもなく、皆当然に理解しているはず――という認識の外から、今まさに石、どころか爆弾まがいの危険物が放り込まれてしまったわけだ。なんとも度し難い。めまいを感じつつ上司の横顔を見やると蒼白になっていた。これをきっかけにチームイダテンとのコネクションが結べれば願ったり叶ったり、と話していたのだから、その心境は痛いほどにわかる。
事務所の統制が既に確立されている事情もあり、インゲニウムのメディア露出は同年代のヒーローたちに比較してやや渋い。慎重と言うよりは、表沙汰にしなくて良い情報は出さない、拾わせないの方針が徹底されており、それを可能とする後ろ盾を持つ稀有な若手であると言える。ベテランと思ってかからねば痛い目を見る、と一部メディアのあいだで警戒されている組織だ。当然、こんな問いが善しとされるはずがない。
――と、半ばやけになって描いていた想像が、次の瞬間、本日二度目の裏切りに見舞われた。
うかがうようなインゲニウムの視線を受けて、彼のマネージャーがほとんど即座に掲げたサインは、両の指先を頭の上で合わせた、大きな丸印だった。インゲニウムもすぐに頷きを示し、ハンドマイクを口の前に構え直して、会場のさざめきの上から声を発した。
「ご質問ありがとうございます。とても難しいお訊ねです。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、彼との関係は高校時代に同学年のクラスメイトだった偶然から始まっているので、その点についてはあまり参考にならないかもしれないと言いますか……正直なところ、人生一番の幸運だったと思っています」
一語一語を慎重に吟味しているような、それまでの調子に比してややゆるやかな話しぶりであったが、声に
嫌気や躊躇は感じられなかった。会場の空気が思わぬ問いへの驚きから思わぬ答え(この場合、当たり障りなく流されずに答えが述べられているという事象)への驚きに塗り替わるなか、言葉が続く。
「それがそのまま今日まで来たという話でしかない、と言ってしまえばそうで、人に助言できるほどの経験も見識もないのですが……。しかし恋愛に限らず、誰かや何かとの関係というのは、そうした些細な偶然や幸運をきっかけに始まることがほとんどだろうと思います。何が始まりだったのか、何が自分の未来を変えてしまうほど重要な出来事だったのか、あとで振り返ってようやく気付けたことも沢山ありました」
雄英高校での三年間はそんな出来事ばかりが続いていたと講演中にも述べたことをくり返し、さらに回顧を深めてヒーローは語る。
「今改めて当時のことを考えてみると、そうした時に、自分が特に意識して大切にしていたと言えるのは、目の前で起きていることと、目の前にいる相手をしっかり見て知ろうとすること。些細な話でも真剣に耳を傾けて聴くこと。それから、まっすぐに向き合って、自分の想いを言葉にして伝えることだったのではないかと思います。そうした振る舞い自体、いくつかの事件を通して学んだものでしたが。恥ずかしながらあまり察しの良い人間ではないので、そうやって心がけていなければわからないことばかりだったんです」
お互いに、とインゲニウムは面映ゆげに苦笑して言葉を足した。得心の頷きを見せる聴講客たちも多数いた。きっとみな一斉に氷炎のヒーローの美貌を頭に浮かべ、そのかたち良い口から飛び出てたびたびファンをざわつかせる頓狂な言葉を思い出していたのだろう。
「友人たちからは回りくどいとか考えすぎだとか笑われてしまうこともあったんですが、そんな歩み寄りをずっと積み重ねてきたおかげで、幸運や偶然の糸がその場限りで切れてしまわずに、長く長くつながり続けてくれたんじゃないかと、今はそう思っています。だから僕からアドバイスできることがあるとしたら、ふたつ。今までの出会いと、これからきっとある沢山の出会いを、すぐにくだらない、意味がないものだと切り捨てずに、ひとつひとつ大切にしてください。そうしてもっと知りたい、もっと大事にしたいと思えるものを見つけたら、初めから諦めてしまわずに、歩み寄って、手を伸ばしたり、語りかけたりしてみてください。もしそれができない状況であったら、できるようになるまでただそばにいるだけでもいいから。そんな積み重ねを続けるうちに、いつかきっと、ショートくんみたいな素敵な人との関係が生まれてくると思います。……あ」
つい名前を呼んでしまった、すみません、と、何かの線引きがあるのだろう、インゲニウムは腰折って頭を下げたが、そも質問の時点で濁されていなかったのであまり意味はない。そうした気遣いなくずばりを訊ねた質問者は、マイクを両手に抱えたまま、あっけに取られたような顔で舞台上を見つめている。
「あまりいいお答えにならなかったかな……」
「あ、ごめんなさい、良くわかりました!」
頬を掻いたインゲニウムの言葉をさえぎり、少女が叫ぶように応え、なお言いつのる。
「このあいだ、ふたりの活躍のニュースを見てほんとに素敵だな羨ましいなって思って……私もショートとインゲニウムみたいな素敵なカップルになれるように頑張ります! ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げ、ぴょこんと席につく。いかにも若者らしい、正直な言葉に動作、そして勢いだった。初めの質問自体はインゲニウムをおざなりにするようで礼を欠いて聞こえもしたが、同じ態度のまま心からとわかる礼を述べたところを見ると、単に若さゆえの配慮足らずであったらしい。ひりついていた場の空気は一転して大きくなごんだ。
片や舞台上のヒーローは、ありがとうございました、と礼を返しつつ、少女のストレートな物言いに当てられてしまったようで、やや動揺を見せている。
「ええと、僕らが目標……? に、なれていたなら、嬉しいのですが」
訥々と言いつつ、すみません、とマイクを口元から外し、じわじわと上気してついに真っ赤になってしまった頬を両手で挟んで、
「こういう場ではあまり話さないことだったので……熱くなってきました……」
ぽつり、ささやくようにこぼした〝らしからぬ〟言葉と仕草に、質問者の少女のみならず、場の聴衆の好感が一斉にさらわれたことは明らかだった。見れば当の青年のマネージャーは満足げにうんうんと頷いており、NGが出されなかった理由もそれで明らかとなった。
空調は大丈夫です、もう下がりますので、と本気で口にしたらしい台詞で最後にひと笑いを起こし、万雷の拍手とともに当代ターボヒーローの講演は幕を閉じた。
結果として丸く収まったとはいえ、失敗は失敗。ゲスト用の控室に下がった二名について行き、事前の注意不足について上司とともに謝罪したが、全く問題ないと笑いを返された。
「むしろ俺の回答が問題なかったかのほうが心配で……」
「大丈夫ですよ! 広報的にもそろそろ素のインゲニウムを押し出していきたいなと見計らってるとこですし」
「別に普段から何かを装っているわけではないんだが」
なごやかな雑談といくつかの事務連絡を交わしたのち、次の移動の関係上、出発までもう三十分ほど控室を借りてもいいかとの申し出を受けてもちろんと答え、出発の際に声をかけてくれるよう頼んでいったんお開きとなった。
イベントは続いていたが、我々は休憩のためスタッフ控室へ戻った。食べはぐれていた軽食を取り分けていると、待機中のスタッフが点けていた備え付けのテレビから、どこかで聞いたような台詞が流れてきた。
『きっかけに関しては、正直運が良かったと思ってます』
見れば、先ほど幾度か名を聞いた、今日の演者のパートナーその人が、ゲストとして画面に映っている。向き合って座っているのはファットガムで、午後の報道バラエティの中の、若手ヒーローを始めとするゲストをスタジオに呼び、インタビュー形式でトークをする定番のコーナーだ。元は関西圏のみの放送だったが、大阪人らしい切れの良さで相手の本音を引き出しつつ、事故を起こさせない良識を備えたファットガムの話術が話題を呼び、今は全国区の人気となっている。時おり素を出させ過ぎて規制音が流れるのもお馴染みの演出だ。
さぞ視聴率をうなぎ登らせているだろう本日のゲスト、ショートは以前にも呼ばれていたことがあるはずだが、このタイミングである。当然、視聴者の期待は今年からの新生活に関するトークだろう。そしていざ切り込む問いが放られ、答えがあったというわけだ。
『雄英の同級生やもんな。その頃から仲良かったんやろ?』
『はい。俺はあんまり周りに合わせないというか、学生の頃は特にずっと自分のペースで生活してたし、「普通」がわからないこともしょっちゅうだったんで、クラスメイトに色々と世話されてて。あいつは昔からしっかり者だったし、クラス委員長だから一番面倒見てくれてました。世話焼きなんで』
『ほーん。お世話してもらおう思て、狙ってやっとったんとちゃうかあ?』
ショートに限ってまさか、とスタジオに笑いが起きる。いかに相手のイメージを損なわずにほかで聞けないエピソードを引き出していくか、ファットガムの腕の見せ所、といった場面だが、返ったのはまさしく狙い通りだろう、意外な言葉だった。
『そうですね。初めのうちは素だったんですけど、あいつが好きだって自覚してからは、まあ正直わざとやってたこともありました。髪濡れたまま共用スペースいたりとか、ネクタイ締め直さないままにしたりとか。そうするとあいつが仕方ないなって手を出してきて、頭撫でられたりすぐ近くで向き合ったりできるのが嬉しくて』
きゃあと場が湧いた。純粋な下心も、男前が語れば全て無罪放免である。
「いやいや飛ばすなぁ。今日ファットさんピー音出させんほうに集中せなあかんかも。その頃から愛されマンやったんやなショートは」
『でもあんまり世話かけると格好悪く思われるんじゃないかとか、愛想尽かされるんじゃないかとか思って、できる限りだらしないとこ見せねぇようにしようと頑張ってたこともありました』
『お、ええやん。恋する少年っぽいエピソードやん。そういうかいらしいの欲しいわぁ。んでうまいこと格好ええってなったん?』
『それが、始めてひと月ぐらいした頃だったか、あいつがなんか落ち込んだような顔して話しかけてきて。どうしたのか訊いたら「君に何か嫌われるようなことをしてしまっただろうか」って』
再びスタジオに黄色い声が上がる。テレビのこちら側も、先ほどの真面目な演者の弱った様子を思い返して、ささやかに湧いていた。
『しょんぼりしてんのあんま見なくてすげぇ可愛かったけど、俺もなんかそばにいられる時間減っちまったなって思ってたし、気ぃ遣いすぎるのはやめました。世話かけてばっかで格好悪く思わないかって訊いたら、「君にはほかに格好いいところが沢山あるからこんなことで思わない」って言ってくれたんで。あと「世話焼かせてくれないのは寂しい」って』
『あざとっ! ふたりしてあざといわー! それオツキアイ前やろ? とんだお似合いカップルやな!』
『ありがとうございます』
『褒めてへんのよなぁ』
なおも続く蔵出しエピソードを横耳に、最近の若い子は凄いね、と上司が隣で感心していた。最近の若者が凄いのか今日話を聞いた若者たちが特別に凄いのか。ともかくインゲニウムの語った高校時代の信条は、嘘いつわりなく実行されていたようである。
『ほな、最後に相方に向かってひとこと、お約束で行っとこか』
『なんでもいいんですか?』
『ピー音入らん程度でな!』
ちゅーかこの流れは謝っといたほうがええかもな、と笑うファットガムに促され、カメラ目線になったショートも傾城の笑みを浮かべて言った。
『いつもありがとう。俺いろいろ頑張ってもっと格好良くなるから、これからもよろしくな。ずっと大好きだぞ、飯田。……あ』
名前ってピー入りますかね、いや気にするとこそこちゃうんよなぁ、とコントのようにコーナーが締まるとともに、「そろそろお暇します」と今まさに名を呼ばれたヒーローたちから連絡が入った。
廊下で合流し、駐車場までの見送りぎわ、
「あの……控室、たぶん匂いが残ってしまって……苦手な方がいらっしゃったらすみません……」
と不思議な恐縮をしていた青年の発言の謎は、戻って
件の部屋のドアを開けた瞬間に解けた。ぶわりと風を感じそうなほどに中からあふれ広がってきたのは、濃いシトラスの香りだった。
依頼前にひと通り調査した演者のプロフィールの中に記された、らしからぬ個性の仕様と、それに伴う保有者の特性。ゲスト控室にはスタッフ控室の備品の三倍はかくやという大画面のテレビが置かれており、ご自由にお使いくださいと初めに知らせていた。広報の人間であれば確実に出演を把握しているはずの、無関係の人間でさえ高揚させた(おそらく数日は世間の話題を席巻するに違いない)インタビューを、完全なる当事者が見聞きしてしまったら、果たしてどこまで体温が上がることだろうか。
ひと仕事を終えた満足感に浸りつつ、今夜にも執り行われるのだろうヒーローたちの問答の場面を想像し、活躍に加えて人柄の良さも確かだが、彼らの新居に柑橘嫌いは寄り付くまい、とくだらないことを話しながら、貸ホールの管理事務所へ区画換気の依頼を入れた。
――昼休憩中のエンデヴァー事務所・東京支部(チームアップ with インゲニウム)にて。
end.