「今日はデートをしないかい、焦凍くん」
さあ朝だよご飯食べるだろう、と揺り起こされて、前夜ぎゅうぎゅうに抱きしめて寝たはずの恋人があっさりと腕を抜け出し、爽やかな顔でベッドの横に立っていたことにまず首を傾げ、その疑問を寝ぼけた頭で処理する前に出てきた言葉に、もう一段首を傾げた。
「……デート?」
もそもそと身体を起こし、布団の上にあぐらをかいた状態でぼんやりと横を見上げ、ぼんやりと言葉をくり返す。飯田は「今日も見事な寝ぐせだな」と笑って轟の頭を撫でつけてくれつつ、ああと頷いた。
「君が疲れて動けないのでなければだが」
「ああ……それは大丈夫だけどよ」
ゆうべは事件対応が重なったうえ、年末の繁忙期の到来までに前倒しで片付けねばならない書類仕事の始末もあり、帰宅が日付をまたぐ、どころではない草木も眠る時刻になってしまった。ともに休日前とは言えさすがに寝ていてくれとあらかじめ頼んでいた言葉に従い、先にベッドに入っていた飯田は、どうにか寝支度を済ませふらふらと寝室へ踏み入った轟にお帰りの声をかけ、羽毛布団の端を持ち上げて、お疲れさま、さあおいで、と手招きほほ笑んでくれた。
疲弊した脳が突沸し、よしこれから朝まで抱く、と本気で考えた勢いで布団に飛び込んだ轟だったが、全力でしがみ付いた腕にもまるで動じない大きくあたたかな身体に抱き止められ、ぽんぽんと背をあやされた数秒後には、深い眠りの中へと落ちていた。何か幸せな夢を見たように思うが憶えていない。きっと普段のごとく飯田に優しく甘やかされる夢だったのだろう。
ともあれ一分のまどろみすら挟まない完全な熟睡のお陰で、昨日の疲れはすっかり取れている。起きて動くにあたっての支障はない。
しかし、と身をひねってヘッドボードの時計を見ると、九時を数分過ぎたところだった。これから朝食を取って外出の支度をして、ということを考えると少々遅いようにも思う。それも「デート」と来たものである。今日もいい天気だぞ、とベッドを離れてカーテンを開けにかかっている発言者の背に、冗談を口にしたという気配はない。全くそんなそぶりは見なかったが、何かひそかに計画でも立てていたのだろうか。
「……こまる」
「え?」
「いや」
思わず口の端を漏れた呟きが届いてしまい、飯田がこちらへ振り向いたが、はっきりとは聞こえなかったらしく、首を振ってそのまま曖昧にごまかした。
もちろん、飯田とともに穏やかに過ごせるのはいつもどんな時でもどんな場であっても嬉しい。しかし「デート」となると、今は諸手を上げて喜べない事情が轟にはあった。
(先越されることは考えてなかった……)
二十日ばかり前、雄英高校からの依頼で飯田とふたり学生に扮し、囮捜査の名のもとに三日に渡るデートをした。それなりのすったもんだを生じつつも事件は無事解決し、その余波もおおよそ収まりがついているが、ひとつ自らへの宿題として残した、「飯田を自分の計画したデートで楽しませる」は未完遂、どころかまだあれこれと情報を集めている段階だ。集めねばならない情報が何か、の特定さえ済んだとは言いがたい。
そうやってまごついているうちに、相手方からデートに誘われ完璧なプランでエスコートなどされては、悪いなどとは言わないが、なんとなく格好が付かないうえ、こちらのハードルが急に上がってしまう。決して嫌ではない。悪くもない。しかし少し困る。そんなちっぽけと言えばちっぽけな事情だ。
「デートって、どこ行って何すんだ」
してしかるべきごく普通の問いかけに、敵情視察の響きを聞き取ったのは自分の耳だけだろう。とは言え、多少珍しい、妙だという疑問は実際に胸に浮かんだ。なにごとにも慎重で気回しの利く、かつ遊び心には少々欠ける飯田が、相手の予定に配慮しない、予告なしのサプライズなどを企図するとは考えづらい。
こちらのせせこましい内情など当然知らない飯田は、やはりデートらしい戯れ仕草を持ち出してもったいぶるようなこともなく、うん、と軽い声音で答えた。
「車で国道沿いのホームセンターに行って、このひと月ぐらいで要り用になるものを揃えて、駅前のいつものお蕎麦屋さんで少し遅い昼食にして、スーパーで三、四日分の食材を買うでどうだい」
「ド近所だな」
またしても正直な感想が口をついて出た。その程度の予定であれば、確かに多少遅い時間から言い出されても大した問題にはならない。
「いつでも行けるからといって後回し後回しにしていると、あっという間に年の瀬どころか年越しを迎えてしまうからね」
なんとも所帯じみた台詞だが、言っていることは正しい。今年は一年ずっと働きづめだったのだし、年末年始ぐらいゆっくりしてはどうか、と周りは気遣いの提案をしてくれたが、年で一、二を争う繁忙の時期、同じ事務所の人間たちが出ずっぱりの中で、代表の自分だけがこれ幸いと休みを享受するわけにはいかない。飯田も当然同じ判断をしており、きっとこの冬もクリスマス前後を境に私事での行動はほぼ不可能となって、年の瀬から正月まで瞬きの内に日が過ぎていくことだろう。
そのようにどうせ揃って多忙だからといって、年越しの準備や正月の行事をおろそかにすることを、飯田は善しとしない。両親に加え兄までもがヒーローを生業としていた飯田家では、だからこそ年中行事を大切なものとして、繁忙期に家に独り残されてしまう幼い末っ子が少しでもその意義や楽しさを知ることのできるよう、様々に手を尽くして準備し、ともに過ごす時間を捻出し、思い出を作ってくれたのだという。してもらったことを忘れず続けていきたいし、何かを言い訳にして遂げる努力を欠いた瞬間に、それまでできていたことさえ全て崩れて駄目になってしまう、というのが真面目な元委員長の持論だ。
少し日が前後にずれたって問題ない、真剣にやろうとする気持ちが大事だからと語り、よほど知識にも記憶にも欠ける轟と新たな思い出を分け合ってくれようとする飯田は、いつも備えに余念がない。ともに年末年始は七草がゆの話が出る頃になって(人日の節句、という名が付く行事であることも飯田に聞いて初めて知った)、ようやくゆっくりできるようになるか、といったところが例年のスケジュールだが、その合間を縫って、年の暮れと明けを感じることのできる色々を、時にふたり、時にそれぞれひとりのために、何ひとつおざなりにせず準備している。
つまり今日はそうした諸々をこなしにいこう、という提案なのだろうが。
「それってデートなのか?」
ごく普通の休日の買い出しではないのか、と素直に思って口にした今朝いくつ目かの疑問に、
「大好きな人と一緒に出かけて、一緒に買い物をして、一緒に美味しいものを食べて、一緒にのんびり話をして帰るのがデートでなくてなんなんだい」
事もなげにそんな答えが返ったので、思わず目瞬きして見つめた顔が、ふふ、と面映ゆげに笑みを深めた。
「先日のデートでは不甲斐ないところを見せてしまったからな。今日は慣れた場所で最後までしっかりしていようと思って」
買い物のメモもばっちりだ、と携帯を掲げ示す。
「もちろん荷物持ちもするぞ!」
「いや、そこは半分任せてくれよ」
拳を握って言うのに笑いつつ、布団を抜けてベッドを降りた。味噌汁の香りがしないので朝は洋食を用意してくれたようだ。昼は蕎麦だから塩分控えめに、という相も変わらず真面目な思惑が伝わってくる。
どうやら飯田も轟とはまた少し別のところで自分に宿題を課し、挽回の機会をうかがっていたらしい。先日のごたごたは半分以上が偶発かつ不可抗力のもので、飯田自身に責任があったわけではないが、任務中に事実上の途中退場となってしまったことを当人はかなり苦い失態と感じたらしく、周りに面倒をかけてしまったとへこみを見せていた。チームでの活動は常に持ちつ持たれつだと理解していても、大所帯の、それも兄から継いだ大事なチームのリーダーの立場を負う身としては、己に甘くなれない側面もあるのだろう。古参のメンバーから過保護にされている、という自覚も伴い、なおさら複雑に感じるところがあるのかもしれない。
「不甲斐ないなんてことはなかったけどな。それを言ったら俺こそお前の調子がおかしいことに気付いてやれなかったし、副作用が強く出たわけでもねぇのに、頭に血が昇って周り考えずに公園で人燃やしそうになった」
自省を漏らすと、いや、と即座に横からフォローの声が挟まる。
「あの状況で|他人《ひと》の調子に気付けないなんて普通のことだ。それに君はちゃんとその場で思いとどまって、見事な捕縛をしてのけたわけで……」
「黒帽のやつを追い詰められたのは、お前が踏ん張って走ったお陰だった。お互いちょっと格好つかねェとこもあったけど、任された仕事はこなせたんだから、成功だったし、おあいこだったろ」
さらにフォローを重ねてやれば、これ以上は水掛け論であり、轟の図ったところであると気付いたのだろう、むうと口がつぐまれ、小さく頷きが返った。リーダーとして、後輩として、どうしても融通の利かないものを抱えてしまうなら、横から口出して軽くしてやるのは、それこそ荷の半分を分け合って持つことのできる自分の役目だ。
「……ありがとう」
ぺこりと頭を下げられる。互いに頑固だが馬鹿ではないから、この程度のやり取りは日常ごとで、妙な尾を引くこともない。
「ん。お前もありがとうな。最近朝メシの支度はやらせっぱなしだ」
じゃあ明日は君に作ってもらおうかな、と笑うので、任せろと胸張って請け合った。反省の心を忘れるべきではないが、映画の中ならいざ知らず、現実の時間は昔へ戻る暇などなく次から次へと湧き流れていくのだから、長々と足を止めず先へ進んでいく踏ん切りも大事だ。開き直りとは異なるそうした前向きの気構えも、飯田とともに日々学んできた暮らしの明るさのように思う。
「そういや緑谷はあのなんとかってオールマイトのやつ当たったのか?」
「どうだろう。彼も忙しいからわざわざそれだけ訊くのもな。もし外れていたら蒸し返すようで申し訳ないし……一月にまた麗日くんに会うから、こっそり訊いてみよう」
「あんま俺らと三人でのこと話すと妬くんじゃねぇか」
「彼女はそんなに心の狭い人じゃないと思うぞ! しかし打ち上げの時は心操くんにも気を遣わせて辞退させてしまったのだったな……それほど三人でべったりしているわけではないのだが……」
「あいつは俺らと行かねぇでも相澤先生とどっかで打ち上げしてるだろ」
そんな世間話の間にも出発の準備を着々と進めている飯田を食卓から横目に眺めながら、ふと気付いた。
「お前、その格好で行くのか?」
「え? どこかおかしいかい?」
「おかしくはねぇけど」
小首傾げる飯田は普段通りの格好だ。おかしくはないが、やや普段通りに過ぎる。髪はセットせず前へ下ろしたまま、眼鏡は近年種類の増えた数あるスペアのうちからフルフレームのウェリントン、服はニットのタートルネックにオーバーサイズのカーディガン。「首から上は活動時のようにととのえ過ぎると人に見つかって騒ぎになりやすい」と「近所でのちょっとした買い物だから首から下は室内着の延長でもまあいいか」の合わせ技で、見た目もちょうど学生時代と今とのあいの子のようになっており、最近の飯田は相澤流合理性が遅れて身に付いてきたようである。
全くおかしくはないが、なんと言うのか、自分だけが知る恋人を表に出しているような、特に髪型のラフさは風呂上がりの情事の際の姿さえ思い起こさせるような、そんな見目の恋人を、隣にはべらせて世間の人間に見せつけるかのごとくということになり――
「……それはそれで悪くねぇな」
「何がだい?」
うん、と独り首肯する轟に飯田はもう一度横へ首を傾げ、起き抜けと逆のやり取りになっている。
以前は自分もあれやこれやと悋気を働かせて飯田と周囲を困らせていたものだが、今や大人にふさわしい余裕を身に付けたのだ。先の奇妙な事件の副産物として、一部メディア上では「新婚熟年カップル」の称号も手に入れたことであるし、少しだけなら覗いていい、むしろ自慢してやりたい、もちろん本気で手を出そうなどと考える輩の局部は凍らせてもぐ、という腹も据わった。これも優れた合理性の獲得と言っていいだろう。おそらく。
悪くないから大丈夫だと態度を撤回し、苦言に代えて別の問いを投げかける。
「スーパーで買い物したあとはなんかあんのか?」
「特に考えていなかったが……どこか行きたいところがあるなら遠慮はいらないぞ」
「いや、むしろ買いもん終わったらまっすぐ帰って、家でお前の好きな映画とか観ながら、だらだらいちゃつきてぇ」
ちょうどそばに立つ位置に来ていたカーディガンの袖をつんと引き、ゆうべは何もなく寝ちまったから、と言うと、見上げる顔がほのかに赤らんだ。
「映画か……」
「家でじっくり観るのもいいって言ってたろ」
「うん。そうだな」
そうしよう、と頷き浮かべる表情のやわらかさに早くも満足の気分を覚えるが、今日のプランの進行度はまだ一行目か二行目の位置だ。末尾を延ばす変更も成った。
「おうちデート、ってやつだな」
「おうちでーと」
この三週間で仕入れた新語を口にすると、おうむ返しに言葉が返って、くすくすとおかしげに笑われた。こらと叱って袖口をさらに引き、指に輝く環の上に、夜までの交誼の予約に代えた口付けを贈る。
「もう、早いよ……」
落ちてくるのは咎めながらもまったく険のない、とろりと甘い声。途端にぐらついた大人の余裕を床へ投げ捨て椅子を蹴って立ち上がり、無防備な身体を今日は邪魔も入れずに腕に捕らえ、まるく弧を描いたままの唇へ、またひとつ計画外のキスを仕掛けてやった。
end.