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結論から言えば、飯田、そして轟も、若化とその副作用による重篤な健康障害などは生じておらず、入院や投薬の必要はないと診断された。飯田の症状もあくまで一時的なもので、摂取した成分が全て分解されてしまえば、後遺なく治まるだろうとのことだった。
もともと周囲が気付かない程度に現れていた副作用が、あの瞬間から強く表出した理由としては、男の加害による精神的ショックに加え、たまさか柑橘飲料と類似組成であったことでガソリンのように体内で半ストック状態になっていた若化の変質水の成分が、エンジンの急稼働により一気に分解吸収されたためではないか、と推察された。こればかりは誰にも予想のつかなかった事態であり、責任の所在の話などにはならなかったが、飯田は自分自身が一番察することのできた変調のはずだとしょげていたし、轟も再度大いに反省した。
移動と診察の諸々を経ても、飯田の若化は解除されず、これもやはり液体燃費の問題だろうと研究員は説明した。個性主である雄英生が集めていた平均データよりはるかに少ない量で効果が生じる体質であったため、予定より長時間持続してしまっている、というわけだ。思えば作戦当初からその傾向は現れており、初日は轟のほうが二十分ほど早く解けていたのだが、個人差があるとの説明が事前にされていたので、特に疑問に思われていなかった。しかし改めて確認すると、二日目、雄英帰校後さほど間を置かず、ブリーフィングの前には既に元の姿に戻っていた轟に対し、早上がりした飯田の若化が解除されたのは、なんとそれから二時間近くが経過した、轟の帰宅直前であったのだという。
差異の長さは水の摂取量と相関関係にあり、二日目の倍量以上の水を摂取した今日の効果時間も当然それに比例しているが、先の急分解によって多少は短くなった可能性がある、とのことだった。
「ショート先輩の若化が早く終わってしまったのも理屈としては同じで、大出力の個性発動によって水の養分が一気に消費されたんですね! いやあ、これまで被験者が若化中に強力な個性を連続で使用した例はありませんでしたので、盲点でした! 申し訳ありません! 新鮮なデータのご提供ありがとうございます!」
化学版の発目はそんなことをはきはきと語って、目を輝かせながら頭を下げた。無論のこと非は全くないため、あまり迷惑を被る者を出さずに世に役立つ研究を続けてくれればいいが、と願いつつ、イダテンの移動用車両による帰寮を見送った。
診察対応中、ウェブ上のデータ操作や裏取引などを担当していた主犯一味の最後の一名も、アジトとしていた雑居ビル内で問題なく確保されたとの報告があった。先に捕らえた犯人たちからの情報の引き出しと、仕上げの捕縛を担った別働要員としてナイトハイドの名が挙がった際には、さすがに驚いて一度言葉を聞き返した。もともとは別件をきっかけに相澤との協働で犯人を追っており、今回の作戦にも一部関係者のみに存在を明かす形で協力してくれていたのだという。
現場周辺では先に補導した二名に加え、さらにもう一名の「雇われ」の存在も発覚して即御用となり、状況をまとめると、今日の自分たちは、主犯の三名、雇われ三名、追行班四名、そこに別働隊として動いていたヒプノシスヒーローこと心操人使を加え、計十一名の人間を四方に引き連れて行動していたことになる。とんだデートであったものだ。
かくて舞台の幕は人と道具の撤収を残して全てが閉じ、秋の長夜も更けた午後十一時十五分、同僚たちに急き立てられて事務所をあとにした轟と飯田は、ともに暮らす家のリビングのソファに並んで寄り添い、カーテンコールの合図を待っていた。
そっと肩口に預けられた頭を後ろから抱き込み、乾かしたばかりの艶やかな黒藍を撫で梳く。指へかからずさらさらと流れ落ちる感触は、この姿の当時から今日までほとんど変わっていないようだ。遠慮がちに向けられる目も、交差の高さこそ違えど、鮮烈でいてあたたかな薄暮色のうつくしさはずっと同じだ。
「……轟くん」
「おう」
名を呼ぶ声はひそやかで、いとけない。声帯には多少変化があったのか、それともこの奇異な状況が及ぼすものなのかは判然としない。ひとつ確かにわかるのは、齢十七歳の、この姿では恋人であるはずのなかった恋人に、控えめに甘えられているということだけだ。
こめかみから頬へと指を滑らせ、顔を寄せて、口付ける。やわく撫でるように触れ、軽く下唇を食んで離れ、角度を変えてもう一度、二度。やわらかな門の
面をすり合わせる間にそっと舌先であわいをなぞっても、慎ましく閉じた唇はその誘いの先をまるで忘れてしまったように、結んだ一の字をほどかない。今日びませた中学生でも数度で卒業してしまえるだろう、幼いキス。だのに、無性に胸を騒がせる。
ひとつ前にこのあたたかな身を腕に抱いて存分に愛を交わしたのは、何日前のことだったろう。両手の指ではとても数え収まらない。両足の指まで足してぎりぎりかというところだ。乾いた喉にぽたぽたと甘露をひと粒ずつ垂らされているごとくで、もどかしいことこの上ない。その一方で、ただ深まり溜まっていく情にたゆたう、不思議な快さのようなものも感じる。
支えた背がもぞりと身じろぎ、またおずおずと呼びかけてくる。
「あの……轟くん」
「駄目だ」
語尾を奪う速さで返すと、むうと眉根が寄った。改めて眺めるとなんともおかしな形の眉だ。吊り上がると厳めしく、下がると妙に愛らしい。
自分の手の熱の高まりが伝わったのだろうからと反省はしつつ、その線までは踏み越えさせてなるまじと、腹に力を入れて耐える。潤む瞳の直視さえ避けた轟に、飯田は拗ねた声で呟いた。
「……大丈夫なのに」
「お前が大丈夫でも、俺が駄目だ」
たとえ二人きりの場でも、客観的に見戻ってしまった時の絵面があまりにも駄目だ。当年度二十六歳のプロヒーローと、十七歳の高校生。衝動のままに押し倒してしまったが最後、完全なる未成年淫行の現行犯のできあがりである。キスをしてしまった時点で既にややアウトかもしれないが、我から舌を誘い入れることすらできない相手に、そのさらに先を強いるのはさすがにヒーロー失格だ。まして飯田はほんの数時間前に愚昧な大人から望まぬ慾をぶつけられ、激しいショックを受けた身なのだ。覚悟の任務中の被害だとて、決して軽んじてはならない。
「んな焦らねぇでも、今夜中に戻るだろうって言われたろ」
「だが、もうこの時間だ。どうなるか……」
「心配すんなって。明日もあさっても休みにしてもらってんだ」
深い不安と焦燥。飯田に現れた精神症状は、若化の効果が切れたのちも多少続くかもしれないとのことだった。しつこく後は引かないだろうがどうかよろしくと、チームの頼れるリーダー兼かわいい末っ子を託されて、その期待と信頼を裏切って無体を働くことなどできない。何より、自分がこの愛しい相手の心身を、今何よりも大事にしたい。
「今日はもう寝ちまうか?」
寝て起きた時にはさすがに解けているだろう、でなければまたインゲニウム事務所の医療部へ直行だと提案したが、飯田はすぐに首を振った。
「興奮してしまって、とても眠れないよ」
「まあ、そうだよな」
朝から晩まで活動していたとは言え、派手な立ち回りがあったのは夜のあの何分間かだけだ。普段の非常事態対応や、手配犯相手の捕り物と比べてしまうと、運動量はずっと少ない。しかし精神的には良きにつけ悪しきにつけ多大な高揚にさらされていたので、互いに不均衡かつ未発散の熱を抱えてしまっている。それも三日のうちに数度に分けての告白合戦のような一連を演じ続けたあげくの、今この場面だ。伝え交わした思慕をここでいざ重ね合わさずにどうするのか、といった時と場合である。
端的に言って、セックスしたい。飯田を抱きたい。時間を忘れて愛し合いたい。
具体的には、と思考が俗な方向へ流れかけたのをどうにか引きとどめ、騒ぐ心を落ち着かせようと、また傍らの十七歳を胸へ抱き寄せ髪を撫でたが、ぬいぐるみならばいざ知らず、まぎれもない恋人の身体を抱き撫でて慾を落ち着かせようだなどと、土台無理な話だ。立ち昇る爽やかな柑橘を嗅いで下肢に熱を集めてしまう、さながら愚かなパブロフの犬。
ん、と腕の中で熱い息をこぼす飯田も、轟の慾を受け入れたい、望みを叶えたいという献身にとどまらず、自分の我慢のきわにも差しかかっているようだ。自制心の強い人間であるという以上に、大きな愛情にあふれた人間であるだけに、飯田は性欲を伴う交歓行為にも前向きで、恥じらいはすれど無駄な躊躇はしないたちだ。
誰かどうにかしてくれ、と、親友の雄英教師の心配顔に始まり、飯田の兄の顔、両親の顔、元級友たちと担任教師の顔、チームスタッフたちの顔、果ては自分の父母兄姉の顔に至るまでを順繰りに脳裏に思い浮かべて無理やりに熱を冷まそうとしていると、抱えた身体が不意にびくんと大きく跳ね動いた。
「ぐ、ぅっ……あ……」
漏れ落ちる苦悶の声。はたと見下ろす前で、魔法のように九年の歳月が流れる。
轟も経験したが、若返っていた時間が長いほど戻る際の痛みも長く激しいらしく、息もできないほどの激痛に身を丸めて十数秒、不意にがくりと弛緩した肢体がこちらへ倒れ込んだ時には、生涯を誓った同い年の恋人が、腕の中に帰ってきていた。
飯田、と抱き起こしかけて一度声を呑み込み、改めて呼ぶ。
「天哉」
黒藍の頭がゆるりと自ら起き上がり、薄暮の
玉がまっすぐにこちらを向いて、
「焦凍くん」
甘く甘く、笑みとともに名を唱え返した唇に、今度こそなんの自制も挟まず、噛み付くように口付けた。
「んっ、ぅ」
「……天哉、ベッド行こう」
あえて重なりは深めずすぐに離れ、目を覗き込んで言う。相手を求める勢いに任せ、ソファの上で性急に抱き合ったことはある。だが今日は一度昂ぶりを抑えてでも、飯田が心から安心して身を開ける場所で、ゆっくりと睦み合いたい。
飯田もこちらの想いを察しているらしく、うん、とまたほほ笑んで素直に頷き、名残惜しげに身を離した。寝室までのわずかな距離を、公園での続きのように手をつないで歩いた。
広いベッドの中央に向き合って座り、始まりの儀式のように口付けを再開する。
無事に二十六歳の姿に戻った飯田だが、まだ意識がふわついた部分があるのだろうか、幾度も交わしたはずのキスへの反応は、先ほどまでと変わらず妙にあどけなかった。数回舌先で唇をつつき、少し強引に潜り込ませかけてようやく気付いたように口を開け、轟の熱を中へ受け入れた。息継ぎもうまくできておらず、粘膜の触れ合う濡れた音の合間に、ん、ふ、と切れぎれの吐息が声と一緒に漏れたと思えば、離れた隙にぜいぜいと肩で息をつく。
(そういや、こいつ俺と付き合って生まれて初めてキスしたって言ってたよな)
それは自分も同じで、雄英卒業の日、告白と同時にしたのが初めであったので、つまり十八歳同士のファーストキスであったことになる。しかし先ほどソファの上で轟と口付けを交わした飯田は十七歳の身体でいたわけであり、結局デート中には「まがい」までの戯れのキスしかしなかったため、十七歳の飯田の唇を知っているのは、二十五歳の轟だけという珍妙なことになってしまった。倒錯しているのかいないのか、なんとも不可思議な話である。
「ふぁ、ん」
まあ後にも先にも互いだけという点では何も変わらないと結論付け、つたない挙止も懐かしい香味のひとつと調子良く受け止めて、甘く漏れる声ごとじっくりと味わった。飯田も息苦しさより気持ちよさのほうが勝っているようで、顔を逸らしたがる様子もなく、口中丸ごと轟の舌に舐られるままでいる。
「ん……焦凍くん、好きだ、んぅ、ン」
「俺も、好きだ」
普段は情事の後半、散々に交わり前後不覚になり始めてからくり返し唱えるようなことがこの段階から出てくるのも、どことなく幼さを感じる。全く悪くはない。言葉で伝え合う思慕も、行為で伝え合う思慕も、どちらも等しく価値あるものだ。
「好き……」
「うん」
いちいちに相槌し、告白を受け取る。焦燥も不安も恐怖も、寄せては返す情のさざ波の中に消えて、幸せな高揚だけが胸に残ればいい。
融け出しそうな赤い瞳を至近で見つめ、頭を支えていた指を下へ滑らせ、刈り上げたうなじを触れるか触れないかの手つきでくすぐると、あ、と大人の官能を呼び起こされつつある声がこぼれて、わななくように全身が震えた。力が抜けていくのを止めず、背を支えたまま肩を押し、ゆっくりと敷布の上に倒す。やわらかな寝具に沈んだ身体が安堵の気配に包まれて、またひとつ深く吐息をした。
「服、いいか?」
「あ……うん、そうか……」
いつもはできているように、キスの最中に自分で脱げば手間がなかった、と謝罪したげな飯田の次の言葉を口付けで封じ、俺にやらせろと笑って手を伸ばす。てきぱきと積極的に動いてくれても嬉しいが、こちらへ身を預けて好きに手を出させてくれても嬉しいのだ。今日は一から十まで世話してやるという気概でさえいるのだから、謝られることなど何もない。
飯田の寝間着はゆるい前開きの型なので、寝たままでも問題なく脱がせられる。ぷつぷつと上からひとつずつ丁寧にボタンを外していく作業は、プレゼントの包みを解くようで気分も上がる。脱がされる側は逆に少しずつ恥じらいがつのるのか、頬の赤みがじわじわと増して、指の動きを追って下がる目線が次第に焦点をぼかしていく様も愛らしい。
末端まで外してはらりと布地を横へ分けると、うつくしく鍛え上げられた上体があらわになり、薫る艶気に思わず喉が鳴った。早速と手を伸ばしかかり、思い直して宙に止める。
「触っていいか、天哉」
え、と声が落ち、驚きの目がこちらを見仰いで、すぐにきゅうと細められる。強いて思い出させたくはないが、決しておざなりにやり過ごしてはならないことだ。男が男に少し触れられたぐらいで、と言う人間もあるかもしれない。だがあの瞬間に飯田がどれほど衝撃を受けて傷付いたか、何年も隣で過ごしてきた自分にはわかっているつもりだ。
ヒーローは敵意や害意と常に隣り合わせの職業だ。犯罪や迷惑行為を起こすヴィランはもちろん、時に世間一般からの悪意や非難の目にさらされることもある。それらを全て善しとしているわけではないが、ある程度の慣れと覚悟は必携の心構えであり、犯罪者の敵意が怖いからこの仕事はできません、などと言っていられるはずもない。轟も飯田も、時に殺意にさえ転じる視線の中、膝折ることなく与えられた任務をこなす胆力は既に備わっている。
しかしあの時、男から飯田に向けて投げ付けられたのは、敵意でも殺意でもなかった。悪意と害意の一種ではあったが、肝が据わっていれば気にならなくなるというものではない、明確かつ下劣きわまる無差別の性欲だった。あの無法の取引サイトに投げ込まれていた下卑た慾を、直接の暴力として受けたのだ。
飯田は潔白な人間だが、無欠の潔癖症というわけではない。雄英での三年間を経て欠けていた柔軟さを手に入れ、プロになってからはますます視野も広くなり、世の暗さも濁りもしかと理解している。
しかしそれでも、全く見知らぬ人間から、あれほどあからさまな性欲を浴びせられたことはこれまでなかっただろう。世には有名税の言葉を免罪符に、そうした品のない振る舞いを見せる自称ファンも存在するが(自分などはここを通じてその手の害を理解したくちだ)、品行方正なヒーローには品行方正なファンが付くものだ。先代から承継するチームの後ろ盾もあり、インゲニウムの支持者たちは、少なくとも表立ってそうした言動を見せてくることはなかっただろう。カウンセリングチームにおいてもあくまで女性三人のボディガードを自負する飯田は、その手の不埒な目がまさか自分に向き、あまつさえ実際に手出しをされるなどと、ちらと考えてみたこともなかったはずだ。
もちろん、轟には飯田を害する意思などない。男がかけらも持ち合わせなかった愛情の大きさも、ほかの誰にも負けないつもりだ。だが、慾は慾だ。時に過ちを生み、暴力にさえ変わり得る激しい心だ。これから飯田に触れる轟の手には、間違いなくそれが宿って見えるはずだ。一度動じた胸にまだそれへの恐怖と不安が残っていたなら、自分は軽々に彼の肌に触れるべきではない。
ゆっくりと、飯田が口を開く。
「焦凍くん」
静やかに呼ぶ声に怯えはなかった。何を言っているのかと訝しむ響きも、見くびってくれるなと憤る響きもなかった。ただ触れ合いをねだって呼ばれた名と、差し伸べられた手に応えて身を倒し、口付けを贈る。
軽く重ね合ってすぐに離れた唇が開き、ゆっくりと言葉を刻んだ。
「……情けない話、あの時は本当に驚いたし、怖かった。九年どころか二十年分も若い子どもになってしまった気分だった。相澤先生が言っていた通り、あの頃の僕たちは自分では大人ぶって自立したつもりでいても、学校や本当の大人に守られていたんだなと、落ち着いてからつくづく感じたよ」
今は自分が大人として守らなければいけない、そして自身が子どもを
脅かすようなことをしてはならない、とも思った、とヒーローらしく決意を語ってのち、こちらをもう一度見上げた目は、そうした使命をあとへ置いて、閨の熱気に潤んでいた。
「君に触れられるのは何も怖くない。どこへ触れられても、どう触れられても、君のことが好きだと思うだけだ。つい小言が出てしまう時もあるが、君は俺が本当に嫌がることは絶対にしないってわかっているから、何も嫌じゃない。君に欲しがってもらえるのは、……嬉しくて、幸せになるだけだ」
だから、と先を言わせる前に、がばと諸手で抱きしめた。骨も砕けよと力を込めても痛み揺るぐ様子のまるでない、たくましくあたたかな身体。
「今日はたくさん触る」
「うん」
問いではなく宣言にして告げる。頬を染めた顔が花のようにほころび、柑橘の香りが昇った。心が安堵にゆるんだ拍子に、そういえばオレンジはどんな形の花を咲かせるのだろうか、などとどうでも良いことが頭をよぎる。ほとんど同じ瞬間に相手も場にそぐわないことを思い出したらしく、そういえば、とこれもまた同じとっつきの呟きを漏らした。
「先日カウンセリングの休憩中に麗日くんに胸を揉まれたが、あれも全く怖くはなかったな」
「いや何やらせてんだ」
多重に聞き捨てならない言葉に、早口の本音がそのまま漏れた。親友の彼女と遠地でいったい何をしているのか、どうしてそんな素っ頓狂な事態になったのか、ベッドの上の今このタイミングで話すことなのか、とひとつなぎいくつもの問いがあふれ出るも、整理する間に飯田は先へと進んでいく。
「鍛え方が凄いと褒めてくれて……あと君も良く言っているだろう、力を入れていない時はやわらかくて触り心地がいいって」
本当かという話の流れでそんなことに、とあっさり語るので、大いに脱力した。飯田と麗日の二人のことだ、好奇心と親切心以外の他意は本当に全くなかったのだろうが、飯田と同種のとぼけ脳を持つ八百万はともかく、蛙吹あたりが冷静に止めてくれればいいのに、と頬を膨れさせる。
「……俺も揉む」
殊勝なためらいを放り捨てて手を伸ばし、宣言通りにぺたりと胸の上へ触れた。ひゃっ、と色気のない高い声が上がる。
「つめたい……」
「あ、悪ぃ」
勢いでうっかり冷気を発してしまった。すぐに手を入れ替えてあたためながら、脇から連なる
体側の線を指先でゆるりとたどると、はあ、と凍えの声は熱こもる息へ変わる。
憂いの気配がないことをもう一度だけ見確かめて、豊かな胸筋の下部に手を置き、揉み上げるように触れる。耐圧性の高いアンダースーツとアーマーで常から厚く防護しているために、傷もほとんどなく日にも焼けていないなめらかな肌の感触と、指を程よく返す筋肉の弾力がなんとも快い。この魅力をなぜか麗日に知られたらしいのは少々不本意だが、小言をつかれつつ日頃から(それも肌へ直に)触れることを許してもらえるのは自分だけだと思えば、一周して優越感にも転じるというものだ。
「ん……ぁ」
胸の皮膚や肉自体は本来男女とも性感を得られる部位ではなく、飯田も当初は轟が好んで触れるのを不思議そうに見ていたが、次の行為への期待の働きもあるのか、次第に心地良さげに身じろぎ、今のように小さく吐息するようにもなった。これがまさに愛撫というものなのだと感動した記憶がある。
張りのある肌を撫ぜ上げ、表面に徐々に狭まる渦状の円を描いてから、その中心、刺激で昂ぶり始めた色づく粒へ、つうと指を滑り寄せる。先端へ上って頂点からこね動かすように触れると、あっ、と結んだ口の間からまぎれもない快感の声が漏れ聞こえ、手の下の皮膚が粟立って震えた。ここは以前から敏感な場所で、轟が胸ごと愛着を注いでいるうちに、すっかり飯田の最たる性感帯のひとつに育ってしまった。
「気持ちいいか?」
「んっ……うん……」
乳頭を指の間に挟んで爪先から股まで滑らせ、側面を擦り撫でながら、胸の肉をやわやわと揉む。触れやすいのでつい手が伸び、可愛がれば可愛がったぶんだけ愛らしい反応があるので調子に乗り、また次も弄りと、当時の飯田いわく「あまり良くない循環」を、釘刺されても右から左で飽かずくり返した結果、今はもう注意もされなくなったし、たまに触れずにほうっていると、飯田のほうから期待の視線を受けるようにすらなった。積み重ねと研鑽の勝利だと思っている。
左手で右胸を愛撫しつつ上体を折り寄せ、左胸に唇を寄せる。指でしたのと同じように舌で肌をくすぐり、もはや尖り切った高嶺にふっと息を吹きつけてやると、ひくんといやらしく背が反り上がった。熱に揺れる視線に応えてそのまま唇の間に含み、舌先で舐れば、高く感じ入った悲鳴がこぼれた。
「あっ……! ン、んん、あぅ……」
ぴちゃぴちゃとわざと音立てて吸い舐めると、逸らされた視線がこちらを向くので、そうする。含羞に色濃さを増す赤が融け落ちそうに潤み、切れぎれに発せられる甘い声と吐息が快感を伝える。ゆるりと伸ばされた手がややつたない動きで轟の髪を梳き撫でていくのは、赤子扱いされているわけではなく、大丈夫、気持ちいい、を言葉の代わりに伝える、飯田らしい応えの仕草だ。
思うさま、しかし決して苦痛までは至らないように、胸を中心に腹から腰、上へのぼって鎖骨、肩、首と、手指と唇と舌を総動員して慰撫を捧げた。今日までに獲得した飯田知識を駆使して、心地良く感じる場所、熱く息を漏らす場所、甘く腰を震わせる場所を順にたどり、ひとつひとつ、全てに余さず熱を伝え渡していく。今お前の身体に触れているのは、ほかの誰でもないこの自分だと、肌身にしかと教え込んでいく。
途中、飯田があえぎあえぎになりながら、ちゃんと服を脱ぎたい、君も、と頼んできたので、素直に一度中断し、互いに下着まで脱いで裸になった。飯田は早くも
萌していた局部を恥じらい隠したがったが、それでも轟の思うところを理解して前向きに受け止め、布越しではなく直接に触れ合いたいと思ってくれたことは、幸い以外のなにものでもない。
仕切り直し、改めて組み敷かれてくれた身体を、光度を上げた常夜灯の明かりの下でまじまじと見下ろす。相も変わらず、古代の名工の手がけた彫刻のごとき、雄々しく均整の取れたうつくしい肢体だ。この完璧な線のいくばくかを例の裏取引場で見られたやもしれないとすると、せめて厚着の季節の仕事で良かった、と思う。
この身体を性的にまなざし始めたのは、高校卒業と同時に交際を開始してからのことだ。在学中の片恋(と思い詰めていた)時分は、彼の心や体を我が手に得ることより、彼という存在そのもの、ただそばに在ること、隣に在ることのほうがずっと重要だった。
その頃も鍛錬の成果としての発達を賛すべきものと評価してはいたが、なんと魅力的な身体だろうと気付いて瞠目したのは、晴れて恋人となり、かねてからの願い通りに、隣立つ権利を得てのちのことだ。伸びやかな四肢、雄々しく強靭な胴、生物と機械の構造美を融合する個性。全てに触れることを許され、自分の手指の下で甘く震えることを知った時には、あまりの歓喜にめまいすら感じた。
デビュー直後のばたつきの中で、たまの暇に逢い、話し、ぎこちなく触れ合うことでただ満たされていた一年目、仕事の慣れに伴って逢瀬を増やし、さらに心身の結びつきの深まった二年目を過ぎ、互いに名が売れて、再び多忙になり始めた三年目。自分の知らない場所、知らない時間に相手の名を目にする機会が増え、それぞれに知らない交遊が広がった。じわりと胸に湧く焦燥を互いごとだとなだめるも、どうにか作った余暇を待ち構えては、上がり切った熱を交わし、慾をぶつけることにばかり性急になってしまい、身体だけを求めているわけではないのにと、真剣に悩み、深刻な行き違いを起こした時期もあった。
今でこそ笑い話として和やかに振り返ることのできる時間だが、思えばあれこそが、自分たちの〝三年目の危機〟であったのかもしれない。なるほどゴシップ記事の憶測が何ひとつ響かないはずである。自分たちはそうした憂いを五年前に全て解決済みで、今はもう酸いも甘いも噛み分けた、とまでは言わないが、多少の騒ぎや不安では容易に動じない、八年目の仲なのだから。
「もうお前の身体の博士みたいなもんだしな」
「やっ……ァ、……え、なんだい……?」
「一番知ってるし、一番触ってる」
「ん、ん……そうだけ、ど、……あっ、も……」
学術的な知識は二十年のお抱え医師や研究員に敵わないかもしれないが、どんな触れ方を好み、どこを撫でれば悦び、何を与えれば泣いて求めるのか、そうしたところは知り尽くしている。もちろん身体のみならず、心まで余さずつながっていると、今は胸を張って言える。
「あっ、焦凍く、そこ……やぁ」
「気持ちいいだろ?」
「っう、ん……きもち、いぃ」
鎖骨のきわを吸い上げて薄い皮膚に赤い跡を残し、右手ではまた胸の先を摘まみ擦りつつ、左手は脇腹を撫でおろして鼠径部をゆっくりとたどり、先走りをこぼす陰茎に触れるか触れないかのところで指をさまよわせる。飯田はもどかしげに腰を揺らしたが、直接の刺激がほしいとねだってはこず、ただ自分の身体の上を我が物顔に遊ぶ轟の指と口を見つめ、触れたところを素直に開き明け渡しては、甘いあえぎをこぼした。
(スローセックスって言うんだっけか、こういうの)
交際八年目ともなれば、多少冒険的な方法や、遊びの色の強い性行為を試してみた経験もある。何十日も間が空いて互いに抑制が効かず、結果的にそのような次第に至ってしまったこともある。反対に、こうしていつもの空気で始まり、前戯にじっくり時間をかけた日ももちろんあったはずだ。
ほかと比べてこれという記憶が残っていないのは、行為自体が穏やかなものになるという必然に加えて、ただされるがままになることを、普段の飯田があまり善しとしないからかもしれない。三年間の委員長経験で根付いた、あるいは強まった奉仕癖は、恋人に抱かれている最中にまで適用されるらしく、轟を気持ちよくさせたい、と訴えてくることが多い。それは自分が快楽に翻弄されがちなことへの裏返しの態度でもあって、日常の堅さとのギャップをたまらなく感じるこちらとしては、訴えを受け入れること半分、そのまま押し流すこと半分、といった対応具合ではあるが、自分が気持ち良くしてもらっているから相手にもしてやりたい、という認識と好意は単純に嬉しい。
今夜の飯田はあまり我から手を出してこず、自分ばかりと不平をこねる様子もなかった。これもおそらく若化の副作用の影響なのだろう。明確に精神退行を起こしているというわけではないのだろうが、情緒不安定と三日間に渡る身体若化、それも同様の姿でともに行動する相手がいたことによる暗示じみたものが重なって、近しい状態にはなっているのかもしれない。今日はじっくりゆっくり甘やかしながら愛してやりたい気分なので、こちらとしてはちょうどいい。三日間のデートの最後にまったりとスローセックス。どうだろう、悪くないのではなかろうか。
少なくとも飯田はずっと気持ち良さそうだと、あえがせ続けていた胸を解放して身体をずり上げ、顔の位置を同じくして正面から見下ろす。視線が合うと赤い瞳が四角い枠の中でとろりと丸く揺れ、頬がさらに赤みを増す。気持ち良さそうで、やや反応過敏。
「どうかしたか?」
急にそわそわとし始めるのがわかったので、躊躇せず訊ねた。飯田は目を落ち着かなげに右往左往させてから、ごく小さく答えた。
「いや、その……君が、すごく大人で格好いい人に見えるんだ……」
もちろんいつもとても格好いいが、とすぐにフォローを入れて、ぽぽっとまた頬を染める。
「だからなんというのか、余計に胸がどきどきしてしまって……」
先ほどから轟にも伝わっていた激しい拍動は、性感だけが原因のものではなかったらしい。早い話が自分にぞっこんだという、その告白自体は嬉しい。嬉しいのだが。
「お前さ」
「うん……」
「やっぱ歳上が好きなのか?」
「えっ?」
「昔からちょっとそのケがあるなと思ってたんだよな」
兄の天晴や師の一人と慕うマニュアル、事務所関係者やサイドキックその他、飯田がことさら親愛や尊敬の念をあらわにするのは、いつも十歳からそれ以上に歳の離れた男だ。昔から年長の人間の言動に追従しがちなところもあり、やり場のない慕情に悶々としていた学生時代、自分は飯田の好みに当てはまっていないのではないか、などと悩んでみたりもしたものだった。
二十六歳の飯田は虚を突かれたようにぱちくりと目瞬きしたのち、普段の調子を少しだけ取り戻して、違うぞ! と腕を上げた。
「あ、いや、本当に違うかどうかは正直わからないし、なんとも言えない……が、たとえそうだとしても、別にだからどうなどということはないぞ!」
今好きなのは君だし、これからも君が一番好きなんだから、ときっぱり宣言して、
「君だから、どきどきするんだよ……」
目線を脇へ逃がし、また語尾をつぼめながら言う。
「……そうか」
「うん」
「じゃあこっち見ろ」
「うん、聞いてたかい……?」
「俺だってかわいいお前見てどきどきしたい」
「俺は今ちょっと変になって分不相応に十代の気分でいるだけであって、外見はかわいくもなんともない二十六のゴツい男……ひゃっ」
みなまで言わせず再び胸を探り、捕らえた先端を指の腹で擦りいじめる。悲鳴をこぼして身をよじらせる飯田へ、お返しのように告げた。
「お前は昔からずっとかわいいし格好いい」
俺もお前だからどきどきする、と教えた心を証すべく、広い胸へ自分の胸を合わせる。とくとくと早打つ心音が重なり、やがて境をなくすように融け合っていく。青くさい十代の頃から何も変わらず、相手の姿に、言葉に、心に、幾度も新鮮に驚いて、ときめいて、恋をしている。
「焦凍くん」
またとろりと夢心地の色に沈む瞳に誘われ、幼いキスをした。ちゅっと音立てて離れ、一拍置いて笑い交わす。ゆるゆると再開した愛撫の手により、言葉はすぐに意味を成さない音へと呑まれていったが、高鳴る鼓動はいつまでも雄弁に慕情を語った。
「や、ァ、だめ、イっ……あぁぁっ……!」
びくびくと痙攣を生じた脚が敷布の上を蹴り滑り、反り返る胴に白濁が散る。
「はっ、あぁ……うぅ」
頭から足先まで丹念に愛撫を施し、すっかり力の抜けた身体の中心で勃ち上がり震える陰茎を、さすがにつらいだろうと手に握って擦り上げてやると、三も数えぬ間に吐精に至った。恥じ入ったように顔の前にかざしかかった手をさせじと途中で掴んで止め、気持ち良かったか、かわいい、と耳元で睦言をささやけば、くぅと何かをこらえるような声がこぼれ、呼吸をととのえる間ののち、そろりと肩へ腕が回される。
「……あの、焦凍くん、もう……」
「ん。一緒に気持ち良くなろう」
飯田と同じほど、こちらも限界だった。先の会話もあり、今日はがっついたりせず大人らしくクールにスマートに愛してやろう、などと考えもしたが、二十日ぶりに肌を重ねる恋人があまりに可愛らしく、腕の中にあらわされる媚態はあまりに艶めかしく、我慢の利かせようがない。
こちとらまだ二十半ばの青二才だ。四捨五入で三十路だのと言われようが、先日のふとした雑談中、「俺は五十を超えてもお前を抱くつもりだ」と本気で宣言したばかりだ(そして本気で発熱を疑われたが、今振り返ると彼我ともに失礼な反応ではないかと思う)。付き合い始めてからの年数を考えれば、まだ三合目にも差しかからない途上である。若さを振るって何が悪いという話である。
自分の腹の下で膨らみ切った欲を、引き締まった飯田の下肢にぐりと擦り付ける。かあっと赤く頬が熟れる望みの反応は見られたが、自身にも目の前に火花の散るようなダメージが返って、漏れかけた声をどうにか呑んだ。ここで暴発などさせては情けないにもほどがある。
一度身を離し頭を振って、枕辺に用意していたゴムとローションを手に取りつつ、脚をそっと横へ割り開かせた。緩慢な動作には羞恥がにじんでいるが、抵抗はない。いつ見てもやわらかいと感心する股の関節の間に入り、ローションで濡らした指を下へもぐらせて秘所へ触れる。くち、とかすかな水音を立てて、招くように指先を吸った後孔は、しかし思わぬ感触を手へ伝えて侵入を止めた。
「お?」
「んッ……、どうか、したかい……?」
「いや、なんかいつもと」
違う、と思ってまた指を探り動かす。今度はつぷりと粘液の膜を割って指がもぐり、飯田がひゅっと息を呑んだが、同時に本人も違和感に気付いたようだった。言うなれば「中途半端」な状態だ。こじ開けて長時間念入りに拡げてやらねばならないほど頑なではないが、すぐに指を増やせるほどやわくもない。
「……あれ、準備、した……のに……」
「したのか」
かすむ語尾に重ねて言うと、うん、と含羞混じりの頷きが返る。帰宅後すぐ、先にと押し勧められてカラスの行水をした轟に続き、飯田も風呂へ入っていた。してたのか、そうか、とただ事実として納得する頭のもう半分で、その時間の状況を思い返す。飯田の若化が解除されたのは、ベッドに入る直前。風呂を使った時には、まだ十代の姿のままだった。
「おお……」
最前はこらえた声が我なく漏れて、股のあいだで今や遅しと待つ杭が、恥ずかしげもなくはしゃいでぴょこりと揺れた。こちらの気の回っていないあいだに、十七歳の少年に男を受け入れる準備をさせていた。本日一番の背徳と言っていい。
「あの、焦凍くん……」
「いや大丈夫だ。身体が育って締まったんだろ。健康な証拠だよな」
自分でも何を言っているのか良くわからないことを沸きかけの頭で口走りつつ、任せろ、と親指を上げると、ひぃと嘆きが返った。手間の省略の側面もあるのだろうが、向き合ってさぁいざ、とされるのが恥ずかしいからあらかじめ自分で慣らしているのに、という底意がその音ひとつで語られる。
反射的に脚を閉じかかる飯田と、ついでにお預けの延びた自分の欲をなだめながら、まず一本の指を呑ませた。
「ぅあっ、あ……」
もはや数秒で探り当てられる前立腺を内からつつくと、たちまち声と表情が甘く蕩けて、揺らめく腰が雄を煽り立てる。隘路を割り開き、潤滑液のぬめりを借りてくちくちと内壁を撫ぜ回すたび、あ、あ、とあえかな乱れ声がこぼれた。
そこから先は半ばやけになって丁寧に細心に指を呑ませ、じっくりと中を寛げ、もうだめだ、ほしい、おねがい、とぐずぐずに崩れた懇願を引き出したところで、こちらの忍耐もちょうど空と尽きた。
「挿れる、なっ……」
「うん、うん……来て……」
しょうとくん、と舌足らずに呼ばれた名を合図に、抱え持った両脚をさらに上げ、開かせた門に昂ぶり果てた茎の先端を押し当てる。と、くちゅ、と卑猥な音とともに肉が動き中へ誘い込まれて、ほとんど抵抗を感ずることなく、亀頭までがひと息に埋まった。
「ひ、あぁッ……!」
「んぐ……」
悲鳴とうめきが重なるのをどこか遠くの声のように聞きつつ、そのままゆっくりと止まらず腰を進め、ぐぷん、と「準備」で入れていたらしい潤滑剤の膜を割って、膨れた肉茎の全てを納める。待ちぼうけを強いられ荒ぶりかけていた欲は、良く知る
洞の形に気付いて、きつくやわらかくまとい付く熱に機嫌よく包まれた。
「は……天哉、大丈夫か?」
「ん、んっ……うぅ、だい、じょうぶ」
好きに動きたい、意のままに慾を遂げたいという衝動を呑み下し、小刻みに揺れる上腿を撫でて問うと、あまり信頼のおけない声音で応えが返った。しかし苦しげではない。ただただ愉楽の波に揺さぶられ、溺れてはならじと耐えている様が、逆になんとも言えず婀娜っぽく、いやらしい。
いざと抽挿のために腰を引きかける寸前、ふらりと上がった手がこちらへ伸べられて、頭や肩へ届かないことに気付くと、もの惜しげにまた寝台の上へ戻った。脚を折り畳ませて覆いかぶさるようにすれば届くが、一瞬考えて、やめた。
「ちょっとごめんな」
「えっ……な、あァッ! や、あぁ……っ」
「……くっ」
抱えた脚を脇に下ろし、敷布に沈んだ胴を下から入れた両腕で抱えて、ぐいと引き起こす。慌てて宙を掻いた手は思惑通りにこちらの首へ回り、轟に抱きついてその長座の上へ座り込むような体勢になった飯田は、埋まったままの陰茎に中をこそぎ擦られて、奥の奥を突き上げられて、嬌声とともに絶頂した。ぎゅうと締まった筒に絞られ、轟もわずかに精を吐く。
「うぅー……」
「悪ぃ……」
快感に震える背を撫で、
「今日はこれでしねぇか、天哉」
問う。正面に目の合う、互いに身を重ね、全身に熱を感じながら抱き合える座位。はあはあと息つき、十秒ほどかけて轟の言葉を咀嚼した様子の飯田は、放心顔をたちまち笑みにゆるめて、うんと頷いた。
「じゃあ、ええと、俺が……」
「いや、そのままでいいぞ」
「え」
しかし、と身じろぎする飯田を抱きしめ、耳先へ、こめかみへとキスを贈る。座位や騎乗位での性行為では上で受け入れる者が動くのは普通であるし、挿れる側が下から突くこともできる。だが今日はあくまで穏やかに、安らかにと決めたのだ。どうせならば最後まで成し遂げてみせたい。
轟の肩口で首をひねった飯田だが、抱きしめられるのは心地いいようで、素直にこちらへ身を預け、頬を寄せてくる。が、そうして一分も経たないうちに、抱えた腰がわずかに動じ、徐々にこぼす息が荒く、熱くなり始めた。
「んっ……あ、ぅ」
まさしく思わずといった風情で濡れた声が漏れ、ゆるり、下肢が揺れる。
「え……? ……ひ、ぁ、……あっ、んん」
「はー……」
「あっ、ぁっ、なに……なんで……? やぁ、あ」
口が開き、あえぎと疑問がこぼれ落ちる。お互い抱きしめ合ったまま、突くも引くも何もしていない。だが、情交のために浅瀬から奥まですっかり馴らされた飯田の後孔は、根本まで銜えた轟の陰茎を感じて、きゅうきゅうと
自ずから蠕動を始めていた。
「はっ、ア、あぅ」
「すげぇ、絞ってくるな……」
「や、ちが、ぁ、これ、かって、にぃ……」
熱い肉の内側で絞られるほどに、奥まで喰わせた杭は張りつめ、こちらも自然に動じては、飯田の内の快楽の点を刺激する。その愉悦を受けて孔はまた壁をよじり、受け入れた雄を奥のぬかるみへ誘うように愛し始める。生じている作用としては性具での自慰に近いが、相手が生きて熱を持つ愛しい人であるだけに、拾う官能の大きさは桁違いだ。
「あ、あっ、しょうと、く……、やぁ、ァ、ぼく、おかしぃ……だめ、ぇ」
「んっ……おかしくねぇ、大丈夫、だ」
何もしていないのに、と戸惑い首を振る飯田の背をさすり、なだめてやる。激しい性行為の終盤、意識乱れて自失に至ってしまうことも多い飯田は憶えていないようだが、これまでにも幾度か同じ状態を経験しており、あとへ何かしらの尾を引くようなものでないことはわかっている。
完全に動かずにいるのはさすがにつらく感じ、より快感が互いに沁み入るよう穏やかに身をゆすり、轟の背にしがみついて甘くあえぐ恋人に声をかけ続けた。
「イイか?」
「んっ、うんっ、きもちぃ、なんで……」
「俺がお前を好きで、お前も、俺を好きでいてくれるからだ」
「すき……」
「おう」
本来は異物でしかない他人の一部を、預け、身体の奥底へまで受け入れ、快感を与え分け合う。そんな行為が愛の発露でなくてなんなのだろう。心から想う相手と触れ合うからこそ、これほどに快く、心地いい。
ぎゅう、とまた下腹が締まり、中が淫らに蠢いて、愛する男の雄を悦ばせ、注がれる熱を求める。抽挿の動きがほぼないにもかかわらず、つながった性器の隙間からはぐちゅぐちゅと淫猥な水音が聞こえた。
「あッ、あ、だめ、閉じたら、やぁ、またっ……」
「んぐ、はぁ、あー……、やべェ……」
「あ、あン、んっ、焦凍く、んっ、や……も、くる、きちゃう……」
「ん、一緒に、なっ……」
内からのドライオーガズムを予感する言葉をこぼして、飯田は轟の種を誘う。思うさま突き上げ、暴き、犯したいという凶暴な慾動を鎮めて、ただ互いに対する慕情だけで昇り詰める、その瞬間を待ち、そして迎えた。
「ひ、あ、あああぁ……! ン、う……あぁ……」
「くぅっ……! はぁ、あ」
背と首をのけぞらせて飯田が果て、続いて轟も飯田の中で射精した。ゴム膜越しに精を搾り取ろうとする蠕動を感じて腰震わせながら、後ろへ倒れかけた身体を自分の胸元へ引き戻し、また抱きしめる。
しばし互いの肩の上で荒い息を行き交わせてから、
「……焦凍くん」
「ん?」
「キスしたいな……」
絶頂の余韻冷めやらぬ声のまま幼い甘えを投げかけてくる恋人に笑い、赤い顔を起こさせ、今度は大人と子どもどちらのやり方が良いかなどと考えつつ、頬包んで唇を寄せる。
晩秋の長夜、奇妙なふたり芝居のカーテンコールはまだ始まったばかり。
○
いくつかの後始末の話をする。
予備日に充てていた翌火曜と水曜、要さずに終われば通常業務としていた二日間は、飯田の症状の経過観察が必要との判断もあり、両事務所員たちの厳命のもと、ふたり揃って完全休日となった。全くの予定外の休みであったため、一切なんの準備もなく、症状観察のお題目が課せられている以上は遠出もできず、明け方まで果てず続いた情夜ののちは、家の中でふたり寄り添って、ただのんびりと過ごした。他人が見ればまだデート中なのかと呆気の口を開かせるような、甘く穏やかな睦言と睦み合いの間に、邪魔をせぬよう計ったかのようなタイミングで事務所と雄英高校からの連絡が届いて、事件の詳細が徐々に明らかとなった。
それぞれ【擬装】、【電機操作】、【溶け込み】、【データクラック】の個性を持つ四人の主犯たちは、何年も前から同種の手口で犯行をくり返しており、今回の事件はむしろ本命のものではなく、実態は公機関や企業の機密データの盗難売買で名を成すヴィランチームであった。一般人を標的とした盗撮やメディアデータの取引は趣味と小金稼ぎを兼ねた遊びのようなもので、雄英生に手を出し始めたのは、「商品」に高値が付くことのほかに、世に名立たるヒーロー養成校への挑戦と侮辱の意図もあったらしい。
普段の仕事では主犯たちはほぼ表に立つことなく、雇いの人間に実行を任せ、アジト常駐担当以外の三名も直接的にターゲットに関わらず、人と物の「擬装」を駆使した慎重な行動で警察の目を逃れていた。なぜ今回に限って軽率に姿を見せたのかといえば、雇いの人間が轟と飯田の隙のなさにしり込みし、近付くことのできないでいた状況に業を煮やしたという理由がひとつ。そのさらに根本とも言えるもうひとつの理由が、リーダー格である「擬装」個性の茶髪の男が、当人の嗜好から飯田の容姿を非常に気に入って目を付け、個人的執着から行動した、というものであった。二日目の自然公園での振る舞いなどから、困った人間を見過ごせない性質を察されていたため、あの夜は先に近くの女性に声をかけ、助けを求めさせることでおびき出す策を取ったようだ。
飯田とともに受けた第一報ではこのあたりの詳細は濁されており、轟ひとりがあとで聞いたことだが、くだんの男の住まいの捜索の際、飯田と特徴のよく似た少年や成年男性の盗撮画像およびビデオ映像、果ては監禁暴行の記録とおぼしき動画像までが部屋から山と見つかり、中にはインゲニウムのスナップも多数含まれていたという。
渡された報告書をその場で燃やした轟にイダテンの情報スタッフは深々と頷き、今後サイバー犯罪追及の一翼を担うGeLとの提携と協働を強化することを語って、
「国家反逆クラスの余罪もきっと見つかるはずです。必ず社会的に抹殺して二度と日の目は拝ませませんので、あとはお任せください!」
と、朗らかかつ怒り心頭の宣言とともに、頼もしいサムズアップを見せた。
その後、犯人たちが運営していた裏取引用のSNSを始め、犯行との関連やその他の違法性が認められたウェブサイトは全て閉鎖され、掲載されていたデータは全てGeLにより削除、利用者の一斉摘発も行われたらしい。例のコメントを残していたうちの幾人かもなんらかの処罰を受けたと考えると、わずかばかりは溜飲が下がる。
かくして最後の撤収解散まで順調な終わりを迎えかけた浪漫劇であったが、千秋楽ののち思わぬ波がひとつ、世間へと漏れ流れた。
『ショート、深夜の乱心』とメロドラマティックに題されたその記事の冒頭を飾る写真は、夜の街で撮られたものだった。多忙の人気ヒーローが明らかな逢瀬の装いで人と甘く顔を寄せ合っている一枚に、各種メディアとSNSは一時騒然となり、いくつかの通話回線と通信回線がパンクし、事務所前には黒山の人だかりができ、元雄英A組のグループチャットに怒涛の勢いでメッセージが流れた。
『アンタら何やってんの?』
『今度はなんのプレイだよ』
『不埒』
『相変わらず仲が良くて何よりだね!』
『いやけど外はまずいよ外は。家まで我慢しろって』
『あらまぁあのショートさんが誰と密会を? と思ったら普通に飯田だった』
『(イレイザーヘッドの「お疲れさん」スタンプ)』
『心操くんが何か知ってる気配』
『緑谷も出番だぞ』
被写体となっていたのは、事件当夜の公園で犯人を確保した直後のヒーロー・ショートこと轟であり、相手は「普通に飯田」であった。ただし同窓の親友兼恋人であり法定パートナーであるところのヒーロー・インゲニウムではなく、十七歳の飯田天哉であった。二十五歳の男が十七歳の少年を腕に抱き、今にも口付けせんばかりの至近距離でしっとりと見つめ合っているという、そこだけを切り取って眺めると、まさしく未成年淫行現場すれすれの奇跡の一枚であった。
事態は早朝の記事公開からの数時間で上を下への大紛糾を見せたのち、その日の午後、ショート事務所を代表に連名で発信されたプレスリリースにより、ようやく収束を見た。事件との関連についても追って調査がなされたが、めぐり合わせの良い人間がいたもので、全く偶然にあの場を通りすがったアマチュアカメラマン撮影の一枚が雑誌社に売られ、それをもとに作られた記事であったらしい。本文の内容は一切全て捏造であるものの、写真だけは本物であったため、少々ことの説明に難儀し、事件の詳細は伏せつつも、写真の人物が特殊任務に当たっていたショートとインゲニウムであることは明記せねばならなかった。結果、ショートの密会スキャンダル疑惑が収束した代わりに、その日を境としてふたりの「学生時代のロマンス」を聞きたがる取材依頼が急増し、その余波が旧友たちにまで及んで、巻き込まれ賃として、両片恋時代の周囲への世話かけエピソードが少しだけ暴露された。
中でも共通の親友として最も対応の迷惑をかけた緑谷には、後日の三人での食事の席で並んで頭を下げつつ、騒動をきっかけに例の「三年目危機」に連なるゴシップが消え失せるなど、悪い影響ばかりではなかったことを報告し、終わり良ければの例になったと笑い合った。なおようやく渡すことのできたオールマイトカードはレアものが当たったらしく、ご利益があるかもしれないと、明日発売のランダム商品がどうなどという呟きとともに、別れぎわ低頭して拝まれてしまった。
そんなこんなで周りの状況には多少変化を生じたものの、飯田との関係は当然ほぼ何も変わっていない。いつも自然体で心地良く並び過ごせる、真面目でこころ優しい恋人だ。あえてひとつだけ変事を挙げるとすれば、一度スローセックスの話題がふとした雑談の種となり、飯田の困惑込みでそれなりに盛り上がった程度だ。戸惑いつつも探求心旺盛にその場で調べた飯田が「ポリネシアンセックス」なる方法を発見し、それも話題となった。飯田は五日目まで挿入せずに気分を高める、という手順に感心し、顔を赤くしながらもまさかの前向き姿勢を示していたが、ともにさらにもうひと回り大人になるまで、お互い一日目ですら耐えられる気がしない、と轟は思った。
次のデートの予定はまだ立てられていないが、あまり日が空いて今回の気付きを失してしまわないうちにと、一人こつこつと情報を集めている。きっと飯田は君とならどんなデートだって楽しい、と言ってくれるだろうし、自分も全く同感だが、たまには世間並みに張り切ってイベントごとに臨んでみてもいいだろう。それこそ十代の学生が演じるような青くさい恋物語も、自分たちには全て新鮮で愉快で幸福なものだと気付いたばかりだ。
とりあえずはもう一度一緒に買い物に行きたい。次はなんの遠慮もなく今の相手に似合うものを見立てることができるし、結局まだ注文できていない、相手色の気に入りのジャケットをその場で買うこともできる。そうして最後に紅白のカシミアのマフラーを贈って、不器用な自分でもどうにか作れるだろう大きなリボンの結び目の上に、たとえどこで離れ過ごしていても同じ家へ健やかに帰ってこられるようにと、おまじないを込めたキスをしてやるのだ。
Fin.