◇
「一週間お疲れさま! 非常に短い時間ではあったが、きっと皆それぞれに現場ならではの学びを得てくれたことと思う。ぜひ今回の経験を糧にして、学校に帰ってからの勉学や実習の際にも意識して役立ててほしい。クラスのほかの仲間たちとも――」
「飯田、長ぇ」
「ええ……まだこのぐらいはいいじゃないか……。ん、まあ、職場体験の意義はもう充分わかってくれているだろうし、あとは食べながらゆっくり話そうか。改めて紹介だけしておこう。皆知っていることと思うが、こちらはヒーロー・ショート。俺の学生時代の同級生で、今日は偶然に都合が合って、職場体験生の二人とともに会に参加してくれることになった。違う事務所や学校の話を聞くのも学びとなるので、ぜひ仲良く交流してもらいたい」
「ん、よろしく」
「それでは、乾杯!」
インゲニウムと対照の端的な挨拶を挟み、乾杯、お疲れさま、とグラスが打ち鳴らされ、総勢九名での夕食会が始まった。場所はイダテン御用達だという半居酒屋の料理屋で、人目に触れづらい店の奥の個室が用意されていた。ひとつ挟んで隣の大きな個室にはイダテンのメンバーも二十名ほど集まっているらしいが、うるさい大人は気にせず若いのだけで楽しみな、とこちらには干渉しない旨が伝えられている。子どもを気にせず酒が呑みたいだけだろうとはインゲニウムがこぼした苦笑の弁である。
そして今夜の特別ゲストであるショートはと言えば、自分がゲストであるという認識も特にないらしく、今の挨拶のような実にあっさりとした態度で登場し、学生たちの緊張もどこ吹く風といった様子で、実にあっさりと輪の中に加わった。席決めの際にも、そばに学生を座らせようとインゲニウムが采配しかけたのをよそにさっさとその隣に座を占めてしまい、悶着とも言えない短い掛け合いが生じたが、移動しやすい掘り炬燵席であったため、まああとで替われば良かろうと結論が出て、長テーブルの中央にヒーロー二名、周りを七名の学生で囲むような配置でまずは乾杯となった。
「最後に集合写真お願いしよっか」
「なるべく離れて写れば許してもらえるかな……」
期せずしてヒーローふたりの対面の席に座ったユウカだったが、良い位置だからと言って無遠慮にカメラを向けるわけにもいかず、隣席のチサトとそんなやり取りを交わした。それなりに幅のあるテーブルであったため、間近というほどの距離ではないものの、実物は画面越しに眺めるより何倍も端正な容姿に見える。シャワー浴びてすぐ来た、と語ったラフな私服と適当に梳かしたような髪でいてさえ人をどぎまぎさせるのだから、衣裳とヘアとメイクをばっちり整えた広告写真を端から集めている友人が熱狂するのも無理はないと思えた。
おまけに、と正面をうかがう。頭の中で言葉をまとめる前に、代弁のように声が飛んだ。
「インゲニウム、あのアーマーもかっけぇけど素顔もすげーカッコいいっすね! 初め誰かと思った!」
「そうかい? ありがとう。君は氷の個性の子だったかな」
「はい! ショートには一週間で一回も出力勝てませんでした!」
「そりゃそうだ。と……ショート君は幼い頃から今日までずっと努力してきたんだからな。君もまだまだこれからだよ」
「頑張ります!」
高らかに応えたのはショートの側の体験生で、賑やかで人懐っこく、数名の頭越しのそんな会話をインゲニウムと交わしたのちは、周りに座ったこちらの学生たちと早速打ち解けて話を始めている。ショートの連れてきた二名はどちらも数年前に新設された東京のヒーロー養成校の学生だそうで、今回都内を訪れていたのもその縁が元であったらしい。
「切島くんに似ているな」
「俺はお前と夜嵐も浮かんでた」
元気があっていいことだ、と笑うインゲニウムは、当然ながら活動時のアーマースーツではなく、ショートと同じく私服姿だ。先の学生の言葉通り、メットに隠れていない素顔はショートと並んでかすんでしまうどころか、引き立て合うように整っている。この六日間はほかのあれこれに目が向いてほとんど意識していなかったが、サイドキックが「顔を出せば一般層の人気はすぐ釣れる」などと嘯いていたのが全く冗談ではなかったのだとようやく理解した。そんな二名が目の前に並んでいるのだから、ますます地元で詳しい報告ができなくなってしまった、とも思う。
話に聞いただけでは今ひとつ胸に落ちていなかった関係性についても、実際に見てみれば確かなもので、付き合いの長さは互いの呼び方にも既に表れていた。
「とど、ショート君」
「なあ、面倒だし呼びづれぇからもういいだろ。本名で」
「うむ……皆がわかりづらいかと思ったんだが、気がゆるんでいると自然に出てしまうな……」
ユウカたち学生は、皆つい先日ヒーローネームを決めたばかりだ。自身の名にしても級友たちの名にしても、まだそれこそ名前ばかりのといった響きで、そのうち呼び慣れるのだろうと思っていたが、やはり普段の名に成り代わるものというわけでもないらしい。ユウカたち、つまり世間一般の人間にとってはあくまでショートでありインゲニウムであるヒーローたちが互いを呼ぼうとすると、先に別の名前が出てきてしまう、というだけで多少の特別感が受け取れる。
「俺は飯田って呼ぶぞ。なあ飯田」
「君はここに着いた時から既にだったじゃないか。俺のヒーローネームはそこまで長くないのにいつも面倒がって……まあ、わかったよ轟くん」
そんなやり取りののち、いいか諸君、俺は飯田天哉で彼は轟焦凍くんだ、と改めて名乗り始めるので場に笑いが起きた。首をひねるインゲニウムを横目にショートも笑っているのに気付き、我なくどきりとしてしまう。本当に仲がいいんだ、と思ったことを今度はチサトが口にした。
「お二人は仲良しなんですね! 雄英でも食堂で一緒にご飯食べてたって聞きました」
「そうか、君は雄英だったな。昼はたいてい一緒だったよ。彼は毎日蕎麦ばかり食べていたから、俺は栄養の偏りが気になってしまって……」
「お前だって大体カレーかシチューだったろ」
「そんなことはない、確かに多かったがちゃんと総合的な栄養バランスには気を遣っていたぞ!」
「俺も毎日蕎麦でここまで育ったんだし、総合的には問題なかったってことだろ」
「もう、教育に良くないな君の食生活は!」
といった文句を並べながら、数分後には「こちらの蕎麦掻きのお汁粉は評判だぞ轟くん」などと言って品書きを見せているのだから、周りの笑いと興味も収まらず、せがみに応じて学生時代の話をいくつかしてくれた。インゲニウムはこの六日で見慣れたより少し気安い態度で、ショートはテレビや動画で見るよりだいぶやわらかな態度で、まさに当時のやり取りを偲ばせるような、ゆるくも快い会話が続いた。
そうして場が良い具合に砕け、一時間ばかりが経った頃。席の入れ替えで隣へ来た学生へ、インゲニウムがおもむろに声をかけた。
「先ほどから浮かない顔をしているが、何か気にかかることでもあったのかい?」
はたと顔を上げた学生はショートの側の体験生で、クラスメイトだというもう一名からの紹介によれば、雄英並の高倍率を勝ち抜いて推薦で入学した、非常に優秀な生徒だということだった。口数少なく顔立ちは涼しげに整っていて、髪は一色だが白に近い銀色と、どことなくショートに似ている。
言葉少ないなりに周りの会話には加わっており、特に沈んだ様子にも見えなかったが、咄嗟の反応は明らかに図星を突かれたとわかるものだった。奥で同級生が声を上げる。
「すげー。そいつ全然顔変わらないからわかりづらいって評判なんすよ」
「うむ、俺も表情の乏しい友人との付き合いが長いからね」
微笑して逆隣の「友人」の顔を横目に見やり、
「説教をしようってわけじゃないんだが、皆に共通する悩みかもしれないから、もし良ければ話してみてくれないだろうか。いや、もちろん無理にとは言わないし、会の後ででも、別の機会にでも……」
「あの、俺っ」
穏やかな口調で語りかけたインゲニウムの言葉の上から、弾かれたように声が重なる。
「うん」
「あ、……その」
「うん、大丈夫。……プロの現場を見て、少し自信が無くなってしまったのかな」
衝動で前のめりになってしまったのを恥じたのか、銀髪の学生は続きを言い淀んだが、インゲニウムは初めから察していたように訊ね、学生も驚きにまた目を開いてから小さく頷いた。
「俺、ほとんど見てるだけで全然ついていけなくて、なんかこれから大丈夫かって」
それは日々ため息していたユウカのみならず、おそらく場の学生全員の不安でもあったので、自然とほかの会話が絶えて、耳目が二人に集中した。俺も全然だった、と同意の口を挟んだのはもう一名のショートの担当生だ。
「そうか。轟くんのほうは大変な事件続きだったと聞いたよ。この一週間で手配中のヴィランを三名も逮捕したとか……初の職場体験としてはすこしハードだったのかもしれないな。それに彼のところは皆そろって精鋭ばかりだから、比べて悩んでしまうのも良くわかる。まず代表の彼がこうなんだから」
不意の評を受けて、なんだよ、と隣でショートが眉を寄せた。褒めてるんだよと笑って、インゲニウムは言葉を続ける。
「先ほども言ったが、君たちはまだまだ成長途上だ。初めからなんでもプロのようにできるわけがない。大丈夫。これからどんどん伸びていける。遅れはいくらでも取り返せるし、しくじりは何度だって挽回できる。悩むことは必要だが、過度の落ち込みは前へ進むのが遅くなるだけだぞ」
「……インゲニウムも悩んだりしたんですか」
「そりゃあたくさん悩んださ。悩むどころか、俺の時の職場体験は……それはもう盛大に、……盛大に失敗をしてね……」
封じたものを喉の奥から絞り出すような、苦り切った声だった。いかにもな優等生姿の似合うヒーローの意外な告白に、ユウカたちも思わず身を乗り出して聞く姿勢になったものの、詳しいことは教えられないんだが、と初めに釘が刺された。
「そんなにすげー失敗だったんすか……」
「まあ、軽々しく口にできないぐらいのものだったと思ってくれていい。それほどの大失敗を経験しても、今こうやってプロとして人に教えを垂れるような立場になれているんだから、全く取り返しのつかないことというのはなかなか世にあるものではないと思うし、俺は本当に周りの人や環境に恵まれていたよ。一から語れればいい反面教師になれるんだが」
いつ思い出しても冷や汗をかいてしまう、と苦笑するインゲニウムに、
「恵まれてただけじゃねぇだろ。お前がちゃんと反省して、間違えずに前を向いたからだ」
隣座す友人から投げかけられた言葉は端的ながらも音強く、伏せられた事情を知る人間であることを場に教えたが、誰も不躾に踏み込もうとはしなかった。
まっすぐに自分へ向けられた視線を見返して、ありがとう、とインゲニウムが頷き笑う。
「そうだな。反省もしたし、そのぶん努力もした。その時に得た教訓と、貰った言葉は、今でも僕の大切な宝物だ。君たちにぜひとも失敗をしろとは言わない。小さな失敗が大きな損失につながってしまうことだってあるし、しくじりなんてできればしないに越したことはない。だがそれでも失敗をしない人間なんていないんだ。大事なのは、そこから何を学んで、どう立ち上がるかだと思う」
静やかに語り、隣で聞き入っていた銀髪の学生へ向き戻って、
「もし今回君が自分の至らないところを知ったのなら、その心はきっとこれからの君にとって大きな力になる」
俺が保証するぞ、と自分の胸を叩く姿は、決して「反面」のものなどではない、正しく尊敬すべき教師のように見えた。
はたから聞いてすら感じ入ってしまうようなプロの言葉を、本当の間近で渡されてよほどに衝撃を受けたのか、銀髪の優等生はぽかりと口を開けたまま傍らの笑みを見上げていた。そうしてしばしののち、会話初めに近いのめり姿勢になって、言う。
「あの」
「ああ」
「イダテンってインターンも受け入れてるんですよね」
「ん?」
思わぬ言葉を受けて目を瞬かせるインゲニウムの後ろから腕が伸び、学生の肩をがしりと掴んだ。
「逃がさねぇぞ、お前はうちに来い」
「あ、こら、青田買いは良くないぞ轟くん!」
インターンは学生側にも同等の権利があって、と腕を振るインゲニウムを挟んで二人は数秒無言の視線を交わし(やはり似ている、と周囲の感想が一致する空気が流れた)、やがて同時に姿勢を戻して居住まいを正した。ちらと横目を使い、ショートが口を開く。
「お前の動き、特別に悪かったなんてことはなかったぞ。最初から全部こなそうとするなっつったろ。遠回りでも手の届くとこからやってきゃいいんだ。周りはお前が思ってるほど鈍くもねぇし、薄情でもねぇ。仲間のフォローを活かせるように視野を広げろ。そうすりゃすぐに変わるし伸びる」
「……はい」
頷く学生にインゲニウムが笑みを深め、実は、と語った。
「イダテンでまとめた学生の候補リストには、君の名前もあったんだ。しかし君のような上を目指す意識の高い子には、うちよりふさわしい事務所からいくつも指名があるだろうと思って、今回は指名を見送ったんだよ。インターンにしても、個性の強化に重きを置くうちは、やはり轟くんのところのような事務所のほうが向いていると思う」
俺は放出系や操作系の個性の教導は得意ではないし、と頬を掻き、だがと続ける。
「これからヒーローを目指す中で君のなりたいものの姿がはっきりとして、その道の途中でより実践的なチームワークやリーダーシップの学びが必要だと思うようなことがあれば、その時は是非うちに声をかけてくれるといい。インターン期間でなくても、いつだって相談に乗るぞ」
もちろんほかの皆も、と朗らかに腕を広げる仕草に場の頷きが重なり、ショートがあとを引き取るように言った。
「それとお前、今年さっさと仮免取っちまおうと思ってんだろうが、足りないものがありゃ普通に落ちるからな」
「ふふ、そうだな。油断せず頑張ってくれ」
インゲニウムが意味深に同意し(その理由を知ったのは、後日ショートが自分の学生時代を語るインタビュー記事を読んだ時のことだ)、頑張ります、と銀髪の学生が応える。奥で氷結個性の同級生がはいと勢いよく手を挙げた。
「ショート! 俺も最後の講評が欲しいです!」
「お前はまず個性どうこう以前にもう少し落ち着け」
「うええ」
笑いが渡ったそんなやり取りををきっかけに、インゲニウムもユウカたち自分の担当生一人ひとりにまとめの講評を改めて贈ってくれ、最後まで和やかな教室然とした空気のまま、会はお開きとなった。
「では皆、気を付けて帰るように。無事に家に帰って一日ゆっくり休んで遅刻せずに学校へ行ってクラスの仲間たちと経験を分かち合ってレポートを提出するまでが職場体験だからな!」
「長ぇー」
「次に会った時の成長に期待しているぞ! それでは、解散!」
店の前の道でもう一度感謝の挨拶を交わし、インゲニウムの溌溂とした号令を合図に仲間たちと手を振って別れた。とは言え店が事務所のごく近くであったため、そのまま駅へ向かわずに近隣のホテルへ一泊してから帰る者がほとんどである。
「俺たちはどうする?」
「天晴さんたちまだ中にいるんだろ。とりあえずもう一度挨拶してくか」
「うーん、うかつに踏み込むと引っ張り込まれる不安もあるが……まあ少し顔を出すぐらいなら……」
ヒーロー二名はそんな会話をしてから店の中へ戻っていった。どこかで呑み直したりするのかもしれないね、とチサトと雑談をしながらホテルへの道を歩く。偶然同じホテルに宿泊していたため、今夜はどちらかの部屋に集まってお喋りとお疲れ会をしよう、と決めていた。途中で今回の学生仲間のひとりからグループチャットに通知があり、会の終わり際に撮った集合写真が届いたが、友人へ転送するかどうかは二日後の登校までに考えることにした。
「――そういえば私の化粧水、今朝切れちゃったんだった」
「貸そうか?」
「ううん。朝に来るのも悪いし、下のコンビニで買ってくる。ウメちゃんも何かほしいものある?」
「あ、じゃあ一緒に行く。明日の分の水とか買っておこ」
職場体験の話、ヒーローの話、学校の話と話題は尽きず、あっという間に二時間ばかりが過ぎて、そんなやり取りを経て外へ出た。東京は星が少ないねぇなどと言いながらホテルの裏手のコンビニで買い物を済ませ、道を出て数歩で、同時に足を止める。
「ね、あれ」
「うん」
短く囁き交わして見つめる先に、長身の男性がふたり。片方は特徴的な髪を隠すキャップを被り、片方はメディアに露出の少ない私服姿だが、つい二時間前まで席を同じくしていた人物たちだ。距離もさほど離れておらず、見誤りようがない。
道の向こう端に並んで歩いているのは、確かにショートとインゲニウムだった。足取りはごくゆっくり、と言うよりは。
「インゲニウム、酔っ払ってる?」
「ふらふらしてるね」
いつもまっすぐ、良過ぎるほどの姿勢でぴんしゃんと行動している印象の強いヒーローが、千鳥足とまでは行かないものの、背を少し丸めて一歩一歩地面を確かめるようにして歩いている。チサトと二人、ホテルへ戻る道なりに、それでも多少意図的な蛇行をしてしまいつつ進める歩みが後ろへ追い付き、話し声が聞こえてきた。
「すまない轟くん……久々に呑んだら足に来てしまった……」
「炭酸混ざっちまってたか?」
「いや、エンストしたわけじゃないんだが、単純に酔いが回って……ターボヒーロー失格だ……」
「今近くでなんかあったら俺が片付けるから心配すんな。どっかで酔い覚まししてこうぜ」
横から背を支えるショートが一度足を止めて周囲を見回し(ユウカたちは慌てて道脇に隠れた)、休める場所を探したようだが、都心とは言え土曜夜の裏通りとなると、コンビニ以外に明かりの点いている店はない。粘らずすぐに諦め、どうやら一ブロック先の公園を目指すことに決めたらしく、そのまま前へと歩き出した。
「大丈夫かな」
ぽつりと言いつつも、まず問題ないだろうことはわかっていた。どちらも良識ある大人のヒーローだ。悪酔いのようにも見えなかったし、少し休めばすぐにも覚める範囲だろう。だから、その言葉は本気の心配ではなく、単なる言い訳だった。
「……ちょっと追いかけてみる?」
「……うん」
平凡なヒーロー志望者も、優秀なヒーロー志望者も、まだまだ普通の女子学生だ。好奇心は捨てられない。この六日の経験と今日の席とで根付いた憧憬も相まってと来ては、とてもこの場を見過ごし何事もなかったようにホテルへ戻ることなどできなかった。
向かう先の見当は的中して、二人は公園の中に入っていった。ビルとビルの隙間の空き地を申し訳程度に緑化整備したという風情で、遊具はなく数個のベンチと手洗い場が設置されている。それなりの高さの樹とつつじか何かの灌木が横長の敷地ををぐるりと囲うように植えられているので、横を通ったぐらいではプロヒーローの姿にも気付かなさそうだ。
「ウメちゃん、たぶん同じこと考えてると思うんだけど」
「うん、たぶん……でも良くないよね」
奥のベンチへ向かったふたりを横目にうかがいながら、ひそりと声を交わす。
「良くはないと思うけど、プロの会話とか気にならない?」
「気になる……」
「食事の時ショートとインゲニウム想像以上に仲良しだなって思わなかった?」
「思った」
「気にならない?」
「めちゃくちゃ気になる」
じゃあやっちゃお、と、元の性格なのか雄英で身に付けたものなのか、チサトはこの六日でも折々見せていた大胆さをあっさりと発揮し、はい、と自分のバッグから取り出したタブレットと無線イヤホンを手渡してきた。
「バッグごと財布持ってきちゃっててラッキーだったね」
「でもここからじゃ見えないでしょ?」
「そう、だからウメちゃんの出番」
「うう……見つかったら絶対怒られるよね……」
「その時はその時! インゲニウムが心配だったのは嘘じゃないし!」
大丈夫! と今度はわかりやすくそのヒーローの真似仕草をしてみせて、ぽんとユウカの背を叩いてくる。ままよと意を決し、深く息を吸い込んで、自身に備わった個性を発動させた。
「吹きっさらしだけど仕方ねぇな。水とか持ってるか?」
「オレンジジュースなら……」
「予備だろ? じゃあ飲み差しで悪ぃけどこれ飲め」
「いや、しかし」
「俺は駅かどっかでまた買うから。ぬるくなっちまってるな。……ほら」
並んでベンチに座った二人の正面、灌木とフェンスのあいだにしゃがみ込んで、チサトはそのまま前を、ユウカは手元のタブレットをじっと見つめる。と、不意に画面が暗転し、イヤホン越しではない肉声が落ちた。
「映像と音声ちゃんと入ってる?」
ゴーグルを着けた顔がこちらを向き、弦から垂れたコードを揺らして訊き確かめてくるのに、指で作った丸を示して頷く。よしと言って目線を前へ戻すと、タブレットに流れる映像もベンチの画に戻った。お互い様ではあるが、他人の個性、特に
超自然型の力が働く様子は何度見ても少し不思議だ。
チサトの個性・「千里眼」は、視界に入った現象の任意の一部を切り取り、範囲内の映像に加えて音までを丸ごと知覚することができる。さらに、雄英サポート科の開発した特製ゴーグルを介せば、知覚内容を電気的に出力することも可能で、イダテンのオペレーターからはその有用性と応用可能性を高く評価されていた。当人に言わせれば使用の制約が多くまだまだ改善伸長の余地があるそうだが、この場での単純な目的を果たすためには必要十分な能力である。画面にはチサトの知覚を再現してふたりの会話が映し出され、ショートが個性を使ってペットボトルの水を冷やしたらしい動作の後の、ぱらぱらと氷の散る音までもが聞こえてきた。
「全然気付かれてなさそう。凄いなーウメちゃんの個性」
あまりにも普通の声量で言うので、慌てて手を振り、口の前に指を立てた。でも聞こえてないんだよね、と首傾げられて答えに迷い、もう一度同じジェスチャーをくり返すと了解の頷きが返った。聞こえないのではなく、聞こえてはいるが、気にされないだけだ。この微妙なニュアンスの違いを人に説明するのは難しい。
ユウカの個性は「埋没」と言って、自分自身と、自分に触れている人間の存在をあらゆる生物の意識から強制排除するというものだ。極端に言えば、道端の石ころと同程度の存在感になる(身に着けると類似の効果を発揮する道具が古いSFコミックに登場するそうだが、詳しいことは知らない)。使用中に声が出せないわけではないものの、効果が呼吸の深浅と連動しており、呼吸が乱れたり荒くなったりすると意識に入りやすくなってしまうため、なるべく息ひそめて動くよう心がけている。
チサトの個性はあくまで「視界内の現象」を知覚するものなので、あいだに遮蔽物があったり、対象がこちらに背を向けていたりすると、音声が拾えなくなるらしい。つまり発声を正確に捕捉するには、相手の口元が見えている必要がある。そのためこうしてふたりの正面に回り込まなければならなかったのだが、ユウカの個性が働いているとはいえ、チサトはだいぶ思い切り良く茂みから顔を出している。どうか最後までばれませんようにと祈りながら、それでもつのる好奇心には抗えず、自身は身体を茂みの陰に小さく丸めて、タブレットに映し出される映像をじっと見つめた。
「――ありがとう、轟くん。新幹線の時間は大丈夫かい」
「おう。終発取ってる」
「とんだ世話をかけてしまって……」
「俺はお前の世話焼けんの嬉しいから気にすんな」
いつも世話焼かれてるほうだからなと、しゅんと落ちた肩を叩いてショートが言う。確かに、夕食会ではインゲニウムのほうがてきぱきと動いて、あれも食えこれも食えとショートの面倒を見ていた。職場体験で学生に応対する際にもそんな調子だったので、もともとの性分なのだろうが(そして蕎麦偏愛家だという友人の栄養の偏りを気にしていたのかもしれないが)、気が回るを超えて甲斐甲斐しいとさえ称せるような態度を、ショートはいつものものとでも言うように平然と受け入れていた。そもそも理解していないのかと思いきや、こうして返そうと思うほどには普段から気に留めている、馴染みのやり取りらしい。
水を飲み、そのまま少し休んでいくことに決めたのか、雑談が続く。
「にしても二人用の個室とかあったんだな、あの店」
「うむ、昨年の改装の際に新設したと聞いたな。最近は料理だけで話題になるのも難しく、競合との差別化の一環だそうだ。まさか勝手に予約までされていたとは思わなかったが……」
「おかげで店探す手間省けたし、また改めて礼言っといてくれ」
「うーん……厚意には違いないんだろうが……手回しが良すぎるというかなんというか」
どうやら店を変えずに席だけ移って呑み直していたらしい。であればこそこうして偶然に姿を見つけることになったのだろう。イダテンのメンバーたちに感謝すべきかどうかはまだなんとも言えないが、その一員のヒーローとしては何やら思うところがある様子だ。
「君も落ち着かなかったろ、あんなしょっちゅう声をかけに来られて」
「俺が個室で末っ子に妙なことしないか見張ってたんだろ」
「轟くんは妙なことなどしないぞ!」
俺だってもう何人も後輩のいる立派な大人なのに、みんな変なところで弟扱いして、と拗ねたように口尖らせるインゲニウムの姿は、酔いもあってか、そんな当人の言葉とは裏腹に幼びて見えた。あるいは歳相応と言うべきなのだろうか。普段はまだ若いのに風格がある、ひとりふたり子どもがいそうだ、などと言われるような佇まいを見せているので、なかなかのギャップである。
そんな友人の姿をおかしく感じたのかほほ笑ましく感じたのか、ショートはふっと微笑を浮かべて言葉を返した。
「信用してくれるのはいいけどよ。お前はもう少し警戒心っつーかそういう……、あ、そうだ。あいつ」
「ん?」
「今日ありがとな。俺んとこのやつの話聞いてやってくれて」
「君のとこ……ああ、あの銀髪の子かい。そんな大したことはしてないよ。君も気付いていたんだろ」
「ん、まあな。終わったあとに言おうかと思ってた」
あそこで言って素直に聞くとは思わなかったから、と語るショートにインゲニウムも同意の頷きをする。
「ああいったことは初対面……ではないが、あまり知らない相手から訊かれたほうが反発もないだろうし。素直に答えてくれて良かったよ」
「俺との初対面なんざ酷いもんだったぞ。一週間でだいぶマシになった」
「それは大変だったな」
確かに昔の君に少し似ていたかもしれない、と目を細めるインゲニウムの言葉を受けて、ショートが座り悪げな身じろぎをした。六日前の雨中での会話の光景が思い出される。あの日のうちに夕食会の予定も決まっていたとのことであったから、そうした学生についての情報交換もしていたのだろう。
「……お前があの話するとは思わなかった」
「失敗の話かい? そう珍しいことでもないぞ。もちろん詳細を明かしたりはしないが」
「そういうとこすげぇよな、お前」
「ただの事実だからね。大失態だとは思っているし冷や汗が出るのも本当だが、でも同時に勇気の湧いてくる思い出でもあるんだ」
全部忘れず大事に墓まで持っていくよ、と、星の少ない空を見上げて宣言する声も表情もごく穏やかだった。その横顔をじっと見つめてから、視線を追うようにショートも正面を仰ぎ、言う。
「俺も一緒に持ってく」
「うん」
頷き合うふたりの映像が大きくぶれるが、目がこちらを向いたせいではないことはわかっている。しかし感想戦はまた後だ。会話が続く。
「少しは彼に響いてくれたろうか」
「響き過ぎたぐらいだろ。インターンの話だの、うちのほうで一切出なかったぞ。……ま、なんでもきっかけにして成長してくれりゃいいが」
頬を掻いて呟き、また目線を隣へ戻して、
「気を付けろって言っておいたろ、俺」
今度は近い過去の記憶へと切り替わったらしい話題に、インゲニウムは大きく首を傾げた。
「何を?」
「あっさり忘れてやがる……まあお前が気付いてないなら別にいい」
「え、何が? 勝手に納得されても困るぞ。俺に至らないところがあるならちゃんと言ってくれ」
「至り過ぎてるって話だ。んなことより酔いは覚めたのか」
「それはだいぶ良くなってきたが……」
まだ訝しげな相手の反応をあっさりと流し、ショートはまた話題を冒頭のものへと戻す。携帯で時刻を確かめると十時半に差しかかるところだった。新幹線には最寄りの駅から乗ることができるが、最終の便であれそろそろ移動せねばならない時間だろう。こちらも少し身構える。
「お前がそれだけ酔うなんて珍しいよな」
「みんな代わるがわる注ぎにくるものだから……初めに断っておけば良かったよ。轟くんは明日も仕事だっていうのに」
「あ、そうか。代わりに呑ませちまってたんだな。悪ぃ」
「悪いのはうちの先輩方だから君が気にすることはないぞ! それに、俺も今夜は酔ってしまおうと思っていたから」
「なんでだ」
ごく平常のやり取りに、短かな問い。返る答えを全く予期していなかったのは、おそらく覗き見の二名と、真正面から受け止めた一名、みな同じだった。
頷きひとつの間を置き、静かな声が夜風に乗る。
「酔っていれば、何も考えずに寝てしまえると思って。……寂しいとかまたすぐ君に会いたいとか、そういうことを思いわずらわずに」
がたんと硬い音がして、すわタブレットを取り落としてしまったのかと慌てたが、それはイヤホンから聞こえたベンチ側の物音だった。シャツのポケットから手に取り出し損ねて木製の座面に落とした携帯を拾い上げもせず、ショートが口開けて隣を見つめる。
「飯田」
名を呼ばれ、はたと我に返った様子で、端末ではなく爆弾を落とした当人が一番に動転を始めた。
「いっ……いや、今のは違うんだ、すまない、忘れてくれ!」
「いや無理言うな」
「酔っているんだ俺は!」
「もう覚めたんだろ」
つーか酔ってたところで口に出したら同じだろ、と指摘され、インゲニウムは薄暗い街灯の下でもわかるほど赤くなった顔を大きな両手に隠し、あああと呻いた。
「弱音なんて吐くつもりじゃなかったのに」
立派にやってるから心配は無用だぞって、胸張って君を送り出すつもりだったのに。夕食会中に自身の失敗を語った時と同じほど沈んだ声で言う。ショートは首を振り、逆しまに笑った。
「心配ぐらいさせてくれよ。いつもお前にされてばっかりじゃ格好悪ぃだろ」
「君の前では誰より格好いいヒーローでいたい……」
「俺だってそうだよ」
ほらと促されて手を外し、おそるおそるの速度で傍らへ向ける、爽やかな白と青をまとうヒーローの持ち物の中でひとつきり婀娜めいて赤い目は、酔いのためか含羞のためか艶やかに潤んでいる。巷の女子たちを熱狂させるイケメンヒーローの左右異色の瞳が煌めいて、意外なほど太い首の中心で喉仏がゆっくりと上下するのが、画面越しにも明確に見えた。
飯田、と名を呼んだらしい声がくぐもって聞こえたのは、手を回して引き寄せた顔と身を乗り出して近付けた顔の影が重なって、口元が隠れたためらしい。ひと息に縮んだ距離があと数瞬でゼロになる、かと思われたその時、大きな手がそのあいだに入り、がっとイケメンの顔をわし掴んだ。
「屋外だぞ! 轟くん!」
「んぐー」
顔に加えて肩まで掴んで押し戻され、イケメンらしからぬ動物じみた唸り声を漏らしながら、ショートはぎろりと眼を鋭くして逃げた相手を睨んだ。
「そんな目をしても駄目だ!」
「先に『そんな目』したのはどっちだよ……」
俺は睨んだりしてないぞ、と手刀のように腕を振るインゲニウムにわかったわかったとため息しつつ、ショートは取り落とした携帯を座面から拾い上げ、何やら手早く操作をして頷いた。
「……何か連絡かい?」
即座に気遣いの冷静さを取り戻した問いに、
「新幹線キャンセルした。お前んち泊めてくれ」
「へえっ?」
あっさりと答えが返り、シーソー遊びのようにまた動揺が湧き上がる。
「キャンセルって、君明日は朝から仕事なんだろう?」
「始発で戻って駅から直行すりゃ間に合う」
「ばたばたじゃないか」
「あんなこと言われてひとりで帰せるわけねぇだろ」
断じるような言葉を受けて、またすぐに反論を唱えようとしていたのだろう口が半端に開いたまま止まり、顔の俯きに合わせてゆっくりと閉じる。
「ごめん……」
「謝んなよ。俺だって最初っから泊まっていきたかったのを見栄張ってやめたんだ。我慢できんだぞって」
馬鹿なことした、と言い切ったショートが、有無を言わせない様子でさっさと腰を上げ、追従を促す。
「立てるか」
「あ、ああ。しかし轟くん……」
「もうキャンセルしちまったから遅ぇ」
「まだ何も言ってないじゃないか」
「お前が泊めてくれなかったら野宿になっちまう」
「それはずるいぞ。野宿なんてさせられるわけないだろう」
「じゃあ泊めてくれ。何もしねぇから」
「な、」
「いや悪ぃ。嘘言った。何もしねぇことはねえ」
「撤回が早い!」
揃って立ち上がり、テンポの良い、と言うよりは、公園の出口へ向かう歩調そのまま、後を気にせず早足に進むひとりになんとか追いすがっていくもうひとり、といった会話を交わして、道との境の車止めの前で一度振り返り、最後通告のようにショートは言った。
「俺は弱音も愚痴も山ほど吐くぞ」
だからお前も気にせず聞かせろよ、と笑みかけられて、戸惑いに眉を下げていたインゲニウムがふっとつられるように口の端を上げる。
「もう、仕方ないな」
ふうと息つき落とした声も、時間になったら遠慮なく布団から追い出すからな、とひそやかに続いた声も、穏やかな笑いをにじませて鳴り、かろうじて音になったその言葉を最後に、今日の仕事を終えたヒーローたちはこちらへ背を向けて、ふたり並んで歩き去っていった。
暗転した画面の上に詰めていた息を吐き出し、深呼吸をする。隣でチサトが大きく伸びをし、大丈夫かと声をかけてきた。
「うん、平気。途中で少しだけ呼吸浅くし過ぎて、おととし死んだおばあちゃんが川の向こうで手を振ってるのがぼんやり見えた気がするけど……」
「ええちょっと、覗きで臨死体験しないでウメちゃん」
「チサトこそ画面ぶれぶれだったよ」
「だって動揺するでしょあんなの!」
「するね……」
よくも声を出さずに我慢できたものだと思う。チサトは合間合間にきゃあやらひぃやらと悲鳴を漏らしていたが、過剰なほどの集中の甲斐あって、ふたりには気付かれずに済んだようだ。
「凄くない? 私たちプロを出し抜いちゃった!」
「出し抜いたでいいのかな……」
「ウメちゃんインゲニウムに最後まで見つからなかったの初めてだよ!」
「そうだった」
物陰からこっそり覗いていたというだけだが、おそらくごく限られた人間しか知らない秘密を得たという点では、大きな仕事をやり遂げたと言えるのかもしれない。職場体験中、インゲニウムやイダテンのメンバーから君の個性は人との連携で十倍にも百倍にも活きると励まされていたが、まさかこんなことで活用の道を見出すとは思わなかった。
「ヒーローの出歯亀してコツを掴むって、凄く人に言えない感じになっちゃった気がするんだけど」
「平気平気! なんでもきっかけにして成長してくれりゃいい、ってショートも言ってたし!」
フォローの言葉さえ盗み聞きのものだ。ごく引いた視点で見れば「ヒーローのお陰」ということにはなるので、休み明けのクラスメイト達との話はそれでどうにか乗り切ろう、と決める。
もうひとつ、友人へ渡す写真の問題があったが、これはショートに出会った事実から全て黙っておくで決定だ。何をどうしたって態度に出さずにいられる自信がない。
「チサトの個性もやっぱり凄いね。たぶん聞いちゃいけないことまで全部聞いちゃった」
「ほんと、私ウメちゃんとコンビで名探偵になれるかも」
「イダテンに入るんじゃなかったの?」
「えへへ、どうしよっか」
「どっちにしろ私たちの個性は絶対悪用しちゃ駄目だね」
「ヴィランっていうか犯罪者向きだもんね」
強いられた沈黙の分めいっぱいに口を動かしながら公園を出る。先に去ったふたりは駅へ向かったはずで、当然あたりに姿は見えなかった。得てしまった秘密をすぐにも語り明かしたかったが、それこそどこで誰が聞いているかわからない。ホテルの部屋まで我慢のアイコンタクトを交わして、それでも全ては耐えきれずに、道すがら少しの感想を分け合った。
「あの銀髪くん失恋しちゃったなー」
「
恋まで行ってた?」
「行ってたよあれは。三年後プロデビューしたら告白しますのやつだよ。でも相手がねー」
「さすがに敵わないかぁ」
「イダテンの皆がさ、インゲニウムかわいいかわいいって言ってたの、ちょっとわかっちゃったね」
「うん。初めはええーとかなってたけど」
「あとショートってテレビとかで見るよりなんか凄く男らしいよね」
「思った思った。で意外と口悪いよね?」
「ね。あとさ……」
箸が転んでも、ならぬ箸が恋しても愉快な女子学生に到底ひと晩で語り尽くせる話題ではなく、夜更かしを押して翌日それぞれの帰路に就いてのちも、チサトと交わすメッセージの中には氷炎のイケメンヒーローと白い鎧のターボヒーローの話題がたびたび登場し、かすかな「秘密」の気配を感じてはああでもないこうでもないと想像を膨らませて盛り上がった。
翌年にはショートが代表者となる東京支部の開設とチームアップが発表され、期待に胸沸き立たせてからさらに一年、秘密の禁がようやく解かれたのは、無事三年に進級しての秋のことだった。
ネットでも中継された婚約会見を見届け、ベッドの上に座したまま、晴れやかさと呆然が入り混じったような心地でホームに戻った携帯の画面を見つめていると、二種の通知が同時に届いた。一件は地元の友人から、一件は雄英の友人から。どうやら叫び声が詰まっているらしい地元の友人からの言葉に心の中で謝罪の手を合わせ、先にもう一方の友人からのメッセージを開く。『見た?』の問いかけに「見た」と返し、こちらはいつもより少しだけ高揚した調子で、いつものように見届け報告を行き交わせた。
『ほんと良かった。指輪きらきらだった』
「あれからもう丸二年以上って、結構時間かかったよね」
『うん』
まさしくこのやり取りの始まりとなったあの夜の出来事をふと思い出しつつ、何気なく送ったメッセージに一度肯定があり、でも、と続く。
『でもさ』
『私あのあともインターンでふたりに会ったりして』
『ウメちゃんにも報告したけどふたりともずっと変わらずに仲良しでね』
『私たちには凄い秘密だったり凄いきっかけだったりしたことも、ふたりにはきっとちょっとした一日の話だったんだろうなって』
『その前にも後にもたくさん色んなことがあったんだろうなって』
『今日までの二年のあいだもふたりで色々少しずつ頑張ってたんだろうな、って思って』
『今ぼろぼろに泣きながらこのメッセージを送っています』
「ちょっと私までもらい泣きさせないで」
急の告白に噴き出してしまいながら、じわりと浮かんできた涙を袖で拭い、ひとつ提案を送る。
「結婚式の祝電って学生でも簡単に贈れるらしいよ」
「連名で出さない?」
『いいね! やろやろ』
『あれでも結婚式は来年みたいだから学生じゃなくない?』
「あそっか」
「ならチサトは直接言えるね」
『こらウメちゃん仮免通ったんでしょ』
『一緒に直接言お』
『コンビ再結成待ってるんだから』
「そうだね」
「ふたりのおかげで成長できましたって伝えなきゃ」
『あの夜の覗きが始まりでってね』
「やめてやめて」
「頑張るから」
宣言のメッセージへ腕をぴんと上げたヒーローの「大丈夫!」のスタンプが返されてまた噴き出しつつ、今朝方届いた二通の封書を抱えてベッドを降り、勉強机の前の椅子にまっすぐ座り直す。
この三年で何度メッセージに記したかわからない名の冠された事務所とチームのロゴの横に、一通は「インターンの御案内」、一通は「サイドキック募集案内」の文字。開けてすぐには目を通せなかった怖じ気を贈られた言葉で振り払い、よしとひとつ気合を入れて、中の書類を机の上に広げる。薄い冊子の表紙の上、奇しくもスタンプの絵と同じポーズを作り、白い鎧のヒーローが朗らかに笑っていた。
Fin.