Very well suited!
ちょっとごめん、と言って社用携帯に来た通知を一瞥し、手早く何やらの入力操作をした先輩は、テーブル端に携帯を置き戻した途端、はあと盛大にため息をついた。
「何かありました?」
「あ、ごめんね、食事中に……」
「いえいえ。ずっと忙しいんですか」
大学時代からきびきびとしたお洒落な才女として評判だった先輩は、今は大手出版社でファッション誌の編集者を務めており、プロカメラマンを目指して修行中の自分は卒業後も公私にわたり何かと世話になっていた。今年からやや低調の続くメンズ誌のてこ入れ役に抜擢されたとかで、これまでと畑が変わるから一層勉強しなければと意気込みを聞いていたが、うまく回っていないのだろうか。
「それがね……あ、これあなたの先生にお願いするつもりでゆうべ連絡してる件だからすぐそっちでも聞くと思うけど、もちろん外にはオフレコね」
そんな前置きののち、声をひそめながらの話が始まる。
「新年度合わせでスーツの紹介記事を巻頭特集にすることになって、うまくコネがつながって大手の一社提供に決まったんだけど、そのメーカーがメインモデルにってショートを引っ張ってきたの」
「え、凄いじゃないですか」
聞けば広告主は国産オーダースーツメーカーの代表として誰もが名を知る老舗企業で、これまでのメイン商材であったハイクラスラインとのマルチブランド戦略として、来春からミドルクラスのサブブランドを大々的に展開するのだという。宣伝にも初手からかなりの力の入れよう、というのは出てきたモデルの名でも明らかだった。ショートと言えば同年代では一、二を争う人気を集める若手ヒーローで、その端正な顔立ちと本職顔負けのスタイルは世の女性の注目の的。当然ながら広告業界でも呼べば必ず数字の取れるモデルとして引く手あまただ。最近も私生活絡みの大きな発表をするなどして、何かと話題に事欠かない。
そんな人間をメーカー自ら抜擢してきたとなれば、企画側としてはキャスティングの手間も減って万々歳と思えるのだが、ええ、と頷く先輩のため息の原因は、ほかでもないそのショートであるらしい。以前の仕事で数回軽く関わって、モデルとしての扱いの難しさを感じたのだという。
「こっちの話を聞いてくれない、とかですか?」
「ううん。むしろ全部企画任せでなんでも聞いてくれるの。それが逆に難しくて。髪にも顔にも服装にも特にこだわりがないって言うか、着飾って自分をより格好良く見せようって意識があんまりないみたいで、こっちから的確に指示しないとなかなかいい画が撮れないのよね……表情もぼんやりした芯が無い感じになっちゃって」
確かに、広告で見るショートはいつも無表情に近い似たような顔をしている。もとの造りがいいためそれでも十二分に鑑賞に堪えるのだが、ヒーロー活動をしている時のほうが何倍も表情豊かで、素人が街で撮った写真にプロの仕事が完敗しているのはいかがなものか、と業界ではお馴染みの憂いになりつつある話題だそうだ。
「もちろんショートがいいスーツを着て髪をそれらしくセットしてカメラ目線で載ってる、ってだけで雑誌は売れるけど、それで買っていくのはメンズスーツに用のない女性層だし、一度きりのことでしょ。こっちとしては長い目で見てメーカーとの信頼関係のほうが重要だから、モデルの人気じゃなくて、それをより引き出す企画と、本来の広告ターゲットへの訴求効果を評価してもらわなきゃいけないわけで……人気ヒーローにスーツを着せるだけなら、ギャランティさえ出せればどこのメディアにだってできるもの」
次につながる大手メーカーだけに是非とも逃したくないが、ショートを呼ばれたことで全体のハードルが上がってしまい、それに見合う企画を考えあぐねているのだと、先輩は話の最後にまた深いため息をついた。
いちカメラマン、それもまだまだ修行中の身としては激励を送るほかその場でできることはなく、もちろん先輩も何かを期待して話してくれたわけではなかったろうが、別れたあともなんとなく心がかりにして、翌日、事務所に出勤して一番に案件のことを師匠へ訊ねた。確かに依頼は来ていて、撮影の日程は三か月後、条件も良くスケジュール的にも問題ないので請けるつもりだという返事だった。
こうした広告写真の仕事では撮影側で企画を主導することもあるが、今回は完全に出版社側の主導とのことで、あまりこちらからの口出しの余地はない。師匠は腕は確かながらヒーロー専門のカメラマンではなく、ついでに私も右へ倣えでその方面については被写体として以上の詳しい知識を持たなかったため、先輩の力になりたくともお手上げ状態ではあった。
まあ仕方ないかと一度諦めての数日後、今度は高校時代の知人から何年かぶりの連絡があった。同じ委員会で親しくなった元気の良い後輩で、歳がふたつ違いですぐに卒業別れしてしまったため疎遠になっていたが、仕事で私の名前が載った雑誌を偶然見つけ、懐かしいと思ってメッセージを送ってきてくれたらしい。現況を訊くと、なんとヒーロー事務所のスタッフとして働いているという答えが返ってきた。
例の仕事の件を思い出し、何かアイデアが得られないだろうかと詳細をぼかしつつ話をしてみたところ、幾度かのやり取りののち、
『それ、ひょっとしてショートのことでは?』
と、いきなり核心を突く問いが飛んできて、しまったと慌てる間もなくぽんぽんと続けざまにメッセージが並ぶ。
『もしそうだったら、私お力になれるかもしれません!』
『これ以上のことは今は聞きませんので、良ければ先輩の先輩につないでもらえますか?』
『ご迷惑はかけないように気を付けてアポ取りますので!』
学生時代からの勢いの良さは健在で、あれよあれよという間に先輩の連絡先を持っていかれていた。翌日、宣言通り早速アポイントを取ったとの報告があり、今度お暇な時に三人でご飯ご一緒しましょう、というメッセージのあとも、二人のあいだで何やらのやり取りが続いていたようだった。
私はと言えば、その後すぐに依頼の入った別件を任され、アシスタントとして現場入りする予定のそちらの案件については、当日までほぼ何も関わらずじまいになってしまった。言葉は悪いがカメラ助手などというのは日雇いのバイトでも務まってしまう仕事ではあり、そうした状況も特段珍しくはなかったが、独り仕事できりきり舞いになりつつ、やはり先輩を悩ませていた企画と後輩の「力になれる」という言葉の顛末がどうなったのか、ひそかに気にかかってはいた。
そうこうするうちに年は明け、何かの調整があったらしく一度のリスケジュールを挟んだ二月初旬、撮影の日がやって来た。
◇
初めて生の目で見たヒーロー・ショートは想像以上のまさに美丈夫だった。雑誌社側のスタッフからもスタジオのスタッフからもスポンサーからも褒めそやす声がそこここで湧いたが、マネージャー一人を連れて現場入りした当人はあくまで涼しげ、と言うより、先輩の語っていた通り「自分の容姿が評価されてモデルに選ばれた」という状況にどこかぴんと来ていないような様子に見えた。周囲への受け応えはかなり言葉少なながらも丁寧で、人気モデルにありがちな驕った態度がないというだけで撮影側からの印象は良かったが、簡単な声かけで和ませられる雰囲気ではない。
何か方策は見つかったのだろうか、と気になりながらも先輩へ話しかけに行く暇はなく、動き回っている間にメイクと衣裳がととのい、一着目の撮影準備に入りかけたところ、スタジオの入り口付近でにわかにざわめきが立った。何ごとか、と一斉に視線を向けた先へ、その場で最も早く反応を投げかけたのは、カメラの前へ進み出かかっていたショートだった。
「飯田?」
場の注目を一挙に浴びてぽかんとした顔を浮かべていた人物は、呼びかけになおさらの驚きを示し、四角い眼鏡の向こうで目を丸く見開いた。
「轟くん? ……あ、いや、ショートくん?」
呼びかけの改め方で知人、それもヒーローの同朋であるらしいことは察せたが、名が浮かんでこない。しかしこの秀でた容姿と体格、近ごろ確かにどこかで、と首ひねった時、見つめる長身の後ろから、ひょこりと今度は名まで良く知る顔が現れ、あ、と思わず声が漏れた。
「インゲニウム事務所より参りました。本日はよろしくお願いします!」
物怖じしない元気な挨拶が上がり、私と同じく名を思い出しかねていたらしい場の人間たちがまた一斉に合点した空気が流れる。先に名乗られたヒーローは慌てて姿勢を正し、よろしくお願いします、と腰を直角に折りつつ同行者に負けない威勢で挨拶をした。そこへぱたぱたと駆け寄っていった影は、いつの間にかフレームアウトしていた本日のメインモデルである。
「飯田、なんでこんなとこにいるんだ?」
「それはこちらの台詞だよ。ゆうべ話した撮影の仕事ってこれだったのかい?」
「おう。お前も言ってなかったろ」
「む……まあ守秘義務があるからな」
どうやらお互い予期せぬ遭遇だったらしい。不思議げな顔を向け合う二名のもとに、雑誌社側の代表者である先輩とメーカーの広報担当が歩み寄っていき、心得た様子で挨拶をした。ひょっとしてと思い師匠の顔を見やると、やはり不測の事態と捉えてはいないようで、黙々とカメラチェックを続けている。
「ずいぶん早く到着されましたね、インゲニウム」
「え? 道が少し混んでいたのでそこまででは……」
「あ、うちの撮影は午後からですよ。時間が空いてたから見学しててもいいですかってお願いしたらオッケーいただいたので、先行で来ちゃいました」
「ええ? そんなご迷惑では……しかもよりにもよってショート君の撮影の時間に」
「ちゃんとあちらの事務所にも話は通しておきましたよ。ショートさんも我々も今日は終日こちらの現場です」
「知っていたなら教えておいてくれれば良かったじゃないか」
「だって知ってたら別の日がいいって言ったでしょ」
「それはだって、公私の分別というものがあるし……」
突如現れた後輩とショートの同期の人気ヒーロー――事務所の広報スタッフとインゲニウムとの内輪のやり取りを聞き、私含む中核メンバー外のスタッフたちもおぼろげに状況を理解し始めた。多忙なヒーロー一名の撮影仕事にしては、妙に拘束時間が長いとは思っていたのだ。
まだ少し準備の時間となりそうだ、とめいめい作業を再開する横で、作業を進めながらも耳をそばだてられているとわかっているのかいないのか、ヒーローたちの井戸端じみた会話は続く。
「お前、スーツのモデルとか受けるんだな」
意外げにショートが言う。確かに、俊足のターボヒーローとして名の知られたインゲニウムは、同じアパレルでもアスリート系の商材のモデルを務めていることが多く、タイアップでも宣伝広告でも今回のような服飾特化の商品のイメージはない。後輩が一枚噛んだようだが、そもそもメーカー側に起用を承諾させるのにいったいどんな手管を使ったのだろう、と耳を傾けていると、実は渡りに船の様相であったことが判明した。
「こちらのメーカーさんとはお祖父さまの代から懇意にさせていただいているんだよ。創業間もない頃からのお付き合いだそうで、父や兄もモデルを務めたことがあるんだ。俺も以前から声をかけていただいてたんだが、まだ若輩の身だから……」
「いやいや、ようやく口説き落とせて何よりでしたよ」
笑って口を挟んだのはメーカーの担当者だった。老舗のハイクラスブランドのモデルとしては役者不足と辞退を続けていたところ、若年層をターゲットとするサブブランドの話が持ち上がって改めてのオファーを受け、それならばと承諾したという経緯らしい。
「しかしまさか君が同じ仕事を請けていたとは……」
とそこまで言って、ようやく落ち着いてショートの姿を見たらしいインゲニウムは、半端に口を開けたまま声も動きもぴたりと絶やせてしまった。注視を受けた側がどうしたと訝しげに首を傾げる。
「なんか変か? 俺あんまこういうの似合わねぇから」
「いや、全くそんなことはないぞ!」
本当にそう思っているらしい卑下を即座に否定し、
「むしろとても格好良くて見惚れてしまっ、あ、ええと……」
続けた言葉は途中で濁されたが、初めの声量が人一倍だったうえに、ほとんど最後まで口にしているためあまり意味はなかった。ごほんとやはり無意味な咳払いを挟み、やや無難に収めた感想が述べられる。
「もともと君にはこういった正装が似合うと思っていたんだよ。だが堅苦しいからとあまり好んで着ないだろう。あまり見ないから驚いてしまった」
とても似合ってる、素敵だよ、とさらり口にされた賞賛は、はたで聞いてもお世辞や持ち上げではない心底からの言葉だと良く伝わり、幾人かの若いスタッフが息を呑む反応を見せていた。確かに、ミドルクラスとは言え充分に上等の仕立てのスーツに身を包んだショートの姿は、場の誰もが一級と認める完璧な装いであったが、ほかの誰が同じ賛を発してもここまで説得力のある響きにはならなかっただろう。正面から受けた相手にはなおさらのものに感じられたはずで、そうか、とごく短い相槌に確かな上向き調子がにじむのが聞き取れた。
「では、お二人とも本日は撮影のほうよろしくお願いいたします」
いざ好機とばかりに先輩が開始の挨拶を発し、スタッフに促されてカメラの前に戻ったショートの表情は、十分前の茫洋とした姿とはがらりと様子が変わっていた。それもそのはず、じゃあせっかくだから見学させてもらおうか、と笑って言った婚約者が見守るなかで、その視線を全く意識せずにぼんやりしていることなど、どれほど豪気なヒーローであっても難しい仕事に違いない。
のちの語り草とまでなったらしいこの日の撮影風景は、なんともイレギュラーなものだった。
当初は昼またぎで交替する予定でいたところ、むしろ効率が悪いしふたりとも疲れてしまうだろうとの判断で、途中から様子を見つつ交互に撮影という流れになったのだが、それが予期せぬ効果を生んだ。撮影に慣れていない兼業モデルにありがちな、慌ただしさへの嫌気や長時間の拘束による飽きが軽減されただけでなく、とあるやり取りにつながったのだ。
スタジオには撮影必須の衣裳に加え、慣例通り何かの際に代わりに着るための衣裳も複数持ち込まれていた。何か、というのは不測の事態のほか、余裕があった場合の追加撮影も意味していて、当然モデルが着用した商品のほうが売れるためメーカー側は期待するのだが、よほど現場の状況がうまく噛み合わなければ滅多にその機会は訪れない。私自身、「その機会」に居合わせたのはこの日が初めてのことだった。
「交替らしいぞ、飯田。……どうした?」
先に二着分の撮影を終えてカメラ前をはけたショートが真っ先に探したインゲニウムの姿は、持ち込んだ服を吊るすハンガーラックのそばにあった。何やらそわそわとした様子の相手へ問いが投げかけられ、はたとして振り向いた手には、予備のスーツを吊るすハンガーが握られている。
「あ、とど……交替か、うん、お疲れ」
「それ着るのか?」
「いや、これはその、俺のではないんだが、あの……ショート君!」
「お?」
歯切れ悪く言葉を置いてのち、意を決したような大きな呼びかけとともに、手にした衣裳が前へ差し出される。
「もし良ければ、こちらのスーツもあとで着てみてもらえないだろうか!」
「俺が?」
「あ、ああ。追加で着用して良いものだとうかがったから。今着ているネイビーもとてもいいが、君の綺麗な
紅と白の髪には、こういうブラウンのスーツも良く似合うんじゃないかと思って……」
実際に着ているところを見てみたくなってしまったんだ、と、この場のほかの誰も口にできない大胆なことを遠慮がちに言ってのけるのに、周囲が耳をそばだてる間もなく返る声は早かった。
「わかった。着る」
「本当かい? じゃあこちらの撮影は手早く終わらせてもらうから……」
「俺もお前の追加のやつ選んでいいんだろ」
「え、しかし」
良いのだろうかとそこでようやく周りへ振られた視線に、先輩とメーカー担当が揃って腕で大きな丸を作って掲げた。どちらも明らかに笑いをこらえる顔をしていたが、すぐ自分たちの世界に戻ってしまった、数か月前に婚約を発表して間もない仲のふたりには気付かれなかったようである。
そこからの撮影は順調も順調であったと言っていい。互いにあれもこれもと自発的にねだり合ってくれたため、当初予定よりそれぞれ何着分も多く写真の枚数を確保することができたうえ、両名ともモデルとして純粋に申し分なかった。野暮ったく見えがちになるクラシックなスリーピースもショートが着れば実にスマートで現代的な佇まいに化けたし、年配者が着るイメージの強いダブルブレステッドはインゲニウムの優れた体格に良く似合い、爽やかな若々しさが演出されて、メーカーの担当もしきりに賞辞を飛ばしていた。
事前に聞いていたショートの無表情問題も、同席者の存在ひとつで簡単に解決してしまった。合間に言葉を交わすだけで自然に和んだ表情が出てくる。さすがにポーズなどはこちらで指定をしたが、カメラの前に立った時の空気感が、他の現場での彼を知るスタッフいわく全く違っていたそうだ。難点は視線がインゲニウムへ向かいがちになることぐらいで、最終的に目線を欲しい先に合わせて見学側に動いてもらうという、奇妙な指示が飛ぶこととなった。
それにしても、二名の仲睦まじさは大変なものだった。自分を良く見せる方法や不特定の人間への意識には無頓着でも、恋人のツボを突く方法は理解しているし前向きである、という実に人間的な性質が明かされた人気ヒーローは、相手の反応を面白がっているような、喜んでいるような態度でリクエストに応え続けていたし、インゲニウムはそうしてショートが衣裳を変えるたび、自身で白状してしまっていた通り見惚れる様を見せてははっと我に返り、語彙豊かに美辞を並べて賛を贈っていた。
「ああ、こちらの型も姿勢の良さが映えて素晴らしいな。やっぱり君もたまにはこういった装いをしてみたらいいのに」
「動きづれぇから嫌だ」
「もう、いつもそれだ」
「お前は普段が堅いから少し着崩してるぐらいのほうが……いや」
「ん?」
「やっぱ崩すな。堅くしてろ。あと上も脱ぐな」
「え? いやまあそれはスタイリストの方の指示に従うが……こら、タイはゆるめないと次のに着け替えれないだろう」
撮影と着替えの間を縫って、自宅で過ごしているかのごとき安気な掛け合いがくり広げられる。ショートなどはヒーロー仕事の一環であることを構わず遠慮なしに飯田、飯田と呼ぶものだから、遂にはスタジオスタッフまでもがつられて飯田さん、と呼びかけてしまい、慌てて謝罪したところ「お気になさらず! 俺は間違いなく飯田です!」などと高らかな宣言が上がって場が笑いに包まれる一幕もあった。時間を経るごとに〝公私の分別〟の曖昧な、不可思議ながら妙に和やかな空気を濃くしていきつつ、撮影はごく円滑に進んだ。
気付けばスタイリストではなくインゲニウムがネクタイや髪の乱れを甲斐甲斐しく直してやっていたし、ショートも当たり前のようにねだりに行っており、最終的には無自覚にいちゃつく婚約者たちの着せ替え合戦の場に雑誌社とカメラマンが同席している、といったような異次元の現場になってしまっていたが、同席者は「画が良ければ善し」の思考の業界人ばかりであり、どちらも見目麗しいためなんら問題なくイケメン無罪の法が適用されていた。みなプロだから賢明に態度には出していなかったものの、女子学生であれば自分の携帯を取り出して写真どころか動画で記録を試みていたことだろう。
休憩時間に入ってようやく話すことのできた後輩が、あっけらかんとした調子で謎の状況を指摘した。
「我ながら良い仕事をしたと思うんですが、これ誌面のほうの空気は大丈夫ですかね?」
「さすがに一緒に撮ってたとはわからないと思うけど……ショートが巻頭で、あいだにフォーマルスーツのモデルを挟んでビジネススーツのインゲニウムっていう並びになるらしいから、関連性も出ないはずだし」
なるほどと頷きながら、後輩は女学生の記録用ならぬ、事務所アカウントからのフォトSNSへの掲載用だという写真を撮影している(許可は各社各事務所へあらかじめ取っていたらしく、なんとも手回しがいい)。横から覗いたアルバムの並びにはインゲニウム単身の画のほか、ショートと隣り合わせの画もあった。
「ツーショット撮っちゃって大丈夫?」
「これは事務所の先輩方に『みんなの可愛いインゲニウムがカレシさんの格好良さにメロメロでずっときゅんきゅんしてて超かわいかったですよ』って報告するための内部写真なんで大丈夫です! ショートさんには以前からお許しもらってますし、厳重にセキュリティかけますので所長代理のお兄さんにもバレません!」
「どんな事務所なの……」
そもそもの始まりから全体的に職権濫用の気配が薫っているが、お陰で上々の成果が出るだろうことは間違いなく、咎め立てる所以もない。全ての撮影の終了後、快哉を叫んだ先輩から後日の三人での食事の誘いを受けて揃って承諾し、帰り支度にかかったところで、後輩の目配せと手招きに呼ばれた。こそりと覗く壁の向こうに、並び立つ二名のヒーローの姿がある。
「うーん……だいぶ俺たちだけで好き勝手してしまった気がするが、大丈夫だったろうか」
「問題があるならなんか言われてただろうし、平気だろ」
「君のスーツ姿があまりに素敵だったものだから、つい我を忘れてしまった……はしたない……」
「かっちり着込んでるほうが好きとか変わってるよな」
「そんなことはないだろう。着衣の美の概念があるからこそ世にファッションというものが存在するんじゃないか」
「そんなもんか」
「そんなものだとも。だから今日のような、……む……」
「どうした」
「いや、やっぱり少しやり過ぎたなと思って……ただでさえ轟くんは格好いいのに、それをさらに世に知らしめるようなことをしてしまった。俺だけの秘密にしておくんだった……」
「……んなの、俺もお前も一番の秘密はお互いしか知らねぇし、小さいことだろ」
「一番の秘密?」
「裸」
「はっ……!」
「だからお前、外ではずっと堅っ苦しくしてろよ。たまに脱げるとエロくて仕方ねぇ」
「エ、……もう! 君ってやつは!」
なお続く戯れ言の出歯亀を中断して戻り、聞いて良かったものなのだろうかと後輩の顔を見やると、
「うちのインゲニウム、可愛いでしょう?」
先に私が返した渋い相槌への反論であったらしく、ふたりとも結局相手のことが全部まるっとツボなんですよねえ、としたりげに言って笑ってみせた。
○
ひと月半の制作期間を挟み、満を持して発行された雑誌の評判は、端的に言って最高だった。これまでにない様子のショートの写真が話題を呼び、女性層の口コミから始まって本来の購買ターゲットである若年男性へのリーチも上々、新ブランドの名は各種メディアを通じて一気に世へ広まった。
雑誌自体も異例の緊急重版が決まり、発行から二週間あまりが過ぎた今この時にも、隣の書店の軒先で制服の女子学生がきゃあきゃあと歓声を上げている。
メーカーではブランド立ち上げ早々に目標を上回る注文数を記録したほか、示唆の類の一切を排してそれでもまだ何かしら感じ取れるものがあったのか、ウェディングスーツの問い合わせが急増したらしい、と先輩から一報があった。実際にどのブランドがふたりに着られることになるのか、わかるのは数月先の楽しみとなっている。
「ねー、ほんっとこのショートかっこいい! もう一冊買っちゃおうかな……」
「ショートって今度結婚しちゃうんでしょ」
「まだわかんないよ! 実際するまでは!」
「私はしてても全然いいな。二人ともイケメンだし」
「まだわかんないの! このショートすごく雄っぽいし、なんかあるかもしれないじゃん!」
「婚前破局期待する系ー?」
「カメラの横にグラマーな美人でもいたんじゃない?」
「ショートはそんな色仕掛け効かないし!」
騒がしい掛け合いを横耳に時刻を確かめながら、(逆だと思われてるな)(破局はまずなさそう)(なかなか鋭い)と声に出さずに勝手な返答していると、携帯画面の中には先輩からの「あと五分で着きます!」のメッセージが浮かび、隣には後輩の明るい声が落ちた。
「いたのはグラマーな男前でしたよね」
画面の向こうへ了解のスタンプを送りつつ、色仕掛けも効くかも、と隣へ応え、スーツの似合うイケメンヒーローたちの姿を食前の肴に、ひそかで愉快な笑いを重ねた。
end