ラブインフレーム



 ディスプレイと向き合うままこちらの呼びかけに気のないあしらい返事をくり返していた赤と白の機体は、かしゃり、と鳴った独特の電子音に作業の手を止め、ようやく後ろへ振り返った。
「お、よし。そのままそのまま」
 小さなモニター越しに見える顔が注文に反してたちまちしかめられていくのを笑いつつ、トリガーのボタンを押す。かしゃりとまた軽妙な音がして、呆れ混じりの渋面が枠の中に収められた。
「……今度はなんの遊びを始めたんだ」
「遊びじゃねェって」
 これでも頼まれ仕事だぜ、と決めつけの問いに苦笑で答える。どれだけ不真面目に思われているのかと少々心外ではあったが、知らずに見ればそうした感想も出るのだろう。とは言えそのあたりの責任の所在は、今回に関しては自分よりも我が軍の技術者の遊び心にある。
 いまだ疑わしげな目に促され、インフェルノは手の中の「遊び心」を軽く持ち上げて説明を始めた。
「ホイルジャック先生とパーセプター先生の共同発明だよ。つってもまだ未完成品らしいけどな。新型の記録分析装置だと」
 実際にはもっと長々としたややこしい名前が付けられていたが、これまた長々としたややこしい原理の解説とともに綺麗さっぱり忘れてしまった。精細な静止画像に加えて温度や明暗などの周辺環境を同時に記録し、のちの分析に利用しようという試みの、詰まるところは「従前のものより高性能なカメラ」であるらしい(データの具体的な活用方法に言及されなかったのが気になる、と小プレゼン後にプロールが呟いていたが、常のごとく流された)。
 何にせよまずはサンプルの収集をということで、何人かが試作の装置を預かったのだが、地球のカメラに似せてみたのだという独特の形や音のために、使っているとやたらに注目を集めるのはいいやら悪いやらわからない。挙句、試用依頼の報告に上がった上司からは「遊んでいる」との断定なのだから、軍での実用にあたってまず外形の再考は必須であるようだ。
 述べたいきさつで初めの冤罪は晴れたらしくも、生真面目な上官どのの表情まで一度に晴天とは行かず、排気混じりの声が落とされる。
「開発に協力するのはまあいいが、不用意に撮り散らすのはやめてくれ。この部屋では機密情報も扱うんだから」
 そもそもなんでお前が試用を頼まれたんだ、と問われたので、なるべく多様なデータを集めたいらしいと聞いたままの答えを述べた。
「大気分析だ物体温度の記録だっつって、詳しいことはわからねぇけど消火が済んだ現場だとかで使ってくれってよ」
「ならなおさらここで撮る必要はないじゃないか……」
「もちろんそっちでも使うさ。サンプル集めろってんならあればあっただけいいだろ?」
「ノイズばかり増やしても仕方ないんだぞ」
 苦言をまあまあと笑いで受け流す。実際のところ、今は数個の試作品を早々に倍までにはしたい、などと二人の発明家は揚々語っていたから、データ不足で困ることはあっても、多すぎると叱られるようなことはないだろう。
「こういうのも改めてやってみると結構面白いぜ。お前もどうだ? こいつを交代で使ってもいいし、なんなら次の試作分を予約しといてやるよ」
 監視用の録画データをはじめとする種々の動画像や、そこから切り出した一部の映像を眺めるのは常の習慣であるものの、純粋な静止画に関しては、高精度の「目」と随意に保存・読み出しの可能な記憶媒体を個々に有する生体上、必要性を欠くこともあり、こうして積極的に撮り溜める機会というのはあまり多くもない。対面した地球の人間たちが好奇の目とともに手にした装置をぱしゃぱしゃと瞬かせる様子は、慣れないあいだはいささかばかり奇異に感ぜられたものである。
 しかし自分がそれを実行する段になると、なるほどなかなか興味深いかもしれない、というのが半日ほどいじってみての感想だった。ただ漫然と周りの様子を記録するのではなく、限られた範囲を限られた一瞬で切り取るとなれば、より集中して見ようとするし、より良い瞬間を待ちもするし、より興味のあるものを探しもする。
 そうしてかしゃかしゃふらふらと歩き着いた先たる警備室のあるじ・保安部長アラートは、案の定と言うべきか、部下の提案に笑って乗ってはこなかった。
「遠慮しておく。俺が持っていても基地の中の同じような画像が溜まるだけだし」
 なんとも無味乾燥な返事だが、当人は特に自虐をしているわけでもなく、単純な事実として「生産性なし」と判断しただけなのだろうから、逆に説得の余地がない。まあ予想通りだなと再び苦笑し、了解の返事を返す。同じ仕事熱心でも遊び心の多少の点では技術者に大きく水をあけられる、どころか組織内でもワースト一、二を争う相手だ。試用協力を却下されなかっただけ良しと言わねばならない。
 そろそろ仕事に戻りたい(そしてお前も寄り道してないで真面目に働け)、と言いたげな空気を全身ににじませ始めた上官が前へ向き戻ってしまう前に、もう一度カメラを持ち上げてシャッターを切る。いよいよお叱りに転じかけた不機嫌な声に追われて廊下へ逃げ出し、どれと確かめた小さなモニターの中から、いつものしかめ面がこちらへ呆れの目を向けていた。


 基地の内外でかしゃかしゃと軽快な音が響き始めて数日のうちに、インフェルノ同様、「写真を撮る」という行為に興を寄せた仲間たちが我も我もと任を買って出て、試作品は予告通りにすぐ倍の数まで増やされた。試用者からあぶれた者も自分の端末に簡易な撮影装置を付けるなどして、サイバトロン軍には今空前のカメラブームが到来している。
 平和で何よりだ、とアラートは排気も深くこぼしてみせたが、技術改善に(ことに、監視業務に寄与する改善に)繋がるならばと考えてか、少なくとも今までのところは、この状況に異を唱えてきてはいない。それでも、ならばと誘えばすげなくかわされるばかりで、自ら参加する意思を見せはしなかった。
 試作第一号の開発から二十日ばかりが経過し、一度データを収集したいとの要望を受けて、データを移したメモリーチップを手にラウンジへ向かうと、何やら場が賑わいを見せていた。
「はいインフェルノ、オイラが回収係だよ!」
「おう、よろしく。やけに盛り上がってるな」
 収納ケースを抱えたバンブルにチップを手渡しながら、奥の台を囲んで騒いでいる面々を指差す。顔ぶれを見ると、やはり今回の試作機を預かった仲間たちのようだ。
「せっかく集まったから、撮った写真をみんなで見せ合いしてるんだ」
「へぇ」
 それは愉しそうだと、早速インフェルノもそちらへ歩み寄っていって輪に加わった。やあ、と隣立ったリジェが手にした装置を差し出しつつ声をかけてくる。
「インフェルノは消防現場担当だったかい?」
「あァ。ほかにも色々撮ったぜ。特に意味がないモンも多いけどよ」
 自分のものと交換に受け取ったのは、「航空担当」のパワーグライドのカメラだった。本体に記録されたデータを順繰りに見ていけば、やはり空や高所からの写真が多いが、地上での日常の風景もそれなりに混ざっている。ある一日の撮影分などは半分以上が過日の任務で知り合った地球の女性の姿で占められており、冷やかしの言葉を飛ばすと、既に散々からかわれたのだろう、もうやめてくれよと真っ赤な顔で手を打ち振ってみせた。
 同様に日頃のパトロール圏を受け持ったシースプレーの海原や水中生物の写真はもちろん、他のメンバーの成果にしても、同じ場所で生活しているなりにおのおのの個性が出るもので、並べて見比べているだけで面白い。ハウンドは常々に讃してやまない自然の風景を中心に撮っているし、逆に街中の画が多いのはトラックスの集めたデータだ(自身のビークルを写したものもあり、「ラウルに撮ってもらったのさ」と嬉しげに自慢をされた)。施設の陰の思わぬ景色や不意の瞬間を収めたリジェの写真は、こんな怪しげに撮ったつもりはなかったのに、と当人さえ笑わせていたが、一種の職業病のようなものだろうか。インフェルノの持ってきたデータにしても、あらかじめ引き受けた現場の風景にとどまらず、消防にまつわるあれこれが気付けば半数を埋めていたので、そうした点については大差ない。
 感心と野次を飛ばし合いながら、やはり一日だけでもアラートに使わせるのだった、いやこれからでも使わせよう、と考える。あの堅物が何を見て何に関心を持ったのかがこうしてありありと記録されるのかと思うと、想像するだけで愉快ではないか。
「バンブル、お前のも見せてくれよ」
「いいよー」
 チップの回収を終えたバンブルが合流してきたので、手元のものと交換した。人懐こいミニボットのアルバムは軍の仲間や地球の少年たちの生き生きとした姿で溢れており、これもまた納得の取り揃えと言える。
 ほほ笑ましい気分でページを進めていく途中、基地内で撮られたとおぼしき情景のうちの、ある一枚にふと目が止まった。最前に名を思い浮かべた「堅物」が、他のページの仲間たちと遜色のない穏やかな表情を見せて、一人大きく写し出されている。
(こういう顔ができないってわけでもないんだよな)
 相対的に渋い反応が多いというだけで、笑いを見たことは幾度もあるから、今さら驚くほどの姿ではない。とは言うものの、なかなか良い一枚だ。自分のカメラの中に収まった呆れ顔を苦笑とともに回想しつつ、そうだ、と思い立って傍らの撮影者に声をかけた。
「なあバンブル、このデータくれないか?」
 当人も表情が豊かでない自覚があるのか、はたまたいつもそう言って周り(主に自分と、彼の兄弟機)が茶化すからか、この二十日、カメラを携えて声をかけるたび、「俺の仏頂面なんて撮っても面白くないだろう」などとあしらわれていたものだ。この写真を持っていって、ほらお前もこんな顔をするんじゃないか、と言ってやったら、一体どんな反応を見せるだろうか。
「どれ?」
「このアラートのやつ。笑って写ってる写真なんて滅多にないだろ」
 本人に見せてやろうと思って、と続けかけるのを、え、と意外げに落ちた声にさえぎられた。
「そうかなぁ? オイラもう何枚かは撮ったと思うけど」
「お、ほんとか?」
「うん。ほら、これとか」
 手元を覗き込むバンブルの反対側から、
「アラートの写真ならこっちにもあるよ」
 そう言ってリジェが別のカメラを差し出してくる。そこには確かに笑みを浮かべる保安部長の姿があり、誰が撮ったのかと問うと、予想しない答えが返った。
「アイアンハイドだよ。さっきカメラだけ置いてったんだ」
「え、ハイドのおっさんかよ?」
 思わず声量が上がった。バンブルやリジェが撮ったというなら納得もできるが、アラートとはまた別の部分で堅く真面目な熟練の警護員は、人を笑わせる冗談などを相手構わず口にするタイプではない。だが、小さなモニターの中の我が相棒どのの顔は、紛れもなく笑んでいる。作り笑いなどではなく、少し上機嫌にさえ見える。
 それきりで終わっていれば、良く撮れたものだと感心で済ませることもできたかもしれないが、さらに奥からもう一台、先ほどの返礼とばかりに高々とパワーグライドが掲げたカメラにも、良く似た、しかし場面の違う写真が実例として示された。
「ん……?」
 どういうことだ、と少々の混乱とともに考える。どうやらこれは、さほど取得の困難な画ではないらしい。日常のうちになにげなく撮れてしまう表情であるらしい。にもかかわらず、自分(彼の直属の部下であり、唯一の相棒たるこの自分!)のカメラには、それが一枚も収められていない。つまり、つまり。
「どういうことだ……?」
「インフェルノ?」
 首傾げたバンブルの呼びかけが続くより早く、
「どうもなにも、つまりそーいうこったろ」
 廊下側から冷ややかな声が飛び、振り向けば、赤と黄の双つ子のカウンタックの姿があった。出自の上ではくだんの相棒と最も近しい仲間からの、いかにも知った風な突然の決めつけに、少しむっとして言葉を返す。
「なんだよ、そういうことって」
「そういうことはそういうことだろ。んな簡単なこともわからねぇようなやつに、アラートのカワイイ笑い顔なんて撮れやしないね」
 さらに揶揄の色を濃くするランボルの言葉に苛立ちが膨らみ、じゃあお前はどうなんだと反問したが、どうやら予想されていたらしい。にっと口角上げてこちらへ向けられた二機の端末の中に、もはやこの場では当たり前のものと化した笑貌があった。
「えー……よりによってあんたらに負けてんのかよ……」
「つくづく失礼なガキだなてめぇは」
「ランボルはともかく俺まで一緒くたにするなよ」
「お前も失礼だな!」
 落とした言葉に今度は相手が険を深めるが、偽らざる心境だった。部下か兄かの立場の違いはあれど、アラートに「身近な問題児」として厳しく叱責を頂戴し、呆れの目を向けられる頻度は似たり寄ったりのものと思っている。それがこうして目に見える差を示されてしまうと、感ずる気落ちもひとしおだ。
「なあ、俺の撮り方間違ってねェよな?」
 撮り方、と言っても仕組みとしては子どもでも扱えるような単純な装置だし、場を和ませるふるまいももともと苦手ではないのだから、普段通りに実践している。何か特別のコツがあるのだろうか、と傍らのバンブルに向けた問いかけを、再び前方から切り捨てられた。
「よせよせ。今のそいつじゃ逆立ちしたって無理に決まってる」
「ま、確かに教えるだけ時間のムダだな」
「そこまで言うかよ」
 もともとの〝行儀の良さ〟を差し引いても、これはいささか棘が過ぎるというものだろう。兄弟喧嘩じみたものに巻き込まれることはこれまでにも珍しくなかったが、思えば近頃はアラートごとというわけでもなく、インフェルノ個人へ妙に当たりを強くされているようなところがある。理由も判然としないままけちを付けられるのは腹に落ちず、何か気に入らないことがあるなら言えとずばり求めると、
「これよりイイ顔撮ってきたら教えてやるよ」
 無理だろうけどな、と冷笑を重ねられ、「自分だけ得られていない」不可解に対するもやつきも相まり、元来そう長くない癇癪の導火線が燃え尽きた。
「あーわかったよ! 撮ってきてやるよ! 相棒の笑い顔ぐらい、十枚でも二十枚でもなっ」
 そうだ。共に過ごした時間は互いに誰より長いのだ。ほかの仲間が特段の苦も無く遂げているのに、自分が成し得ていないのはおかしな話だ。真逆の性格ながらに公私とも理解し合えているという自負もある。こうした些細な点であれ、いや、「付き合いづらい」と評されがちな〝私〟の域にかかわる些細な点だからこそ、遅れを取っているなどと思われるのは面白くない。大変に、面白くない。
 善は急げとカメラを掴み、見てろよ、と捨て台詞を発して床を蹴り出す。早歩きは戸口ですれ違いざまの笑いを受けて小走りに変わり、いくらもせずに駆け足になった。後ろから仲間たちの呼ばわる声が聞こえたが、立ち止まり振り返る冷静さは既になかった。


「インフェルノー! それアイアンハイドのカメラー!」
「あーありゃダメだな。顔合わせた途端に『廊下をうるさく走るな』の説教だ」
「さっぱりわかってやがりゃしねぇ……」
 相棒が聞いて呆れるぜ、と肩すくめて轟音の遠ざかる廊下に背を向け、部屋の奥へと歩き進んでくる双子に、バンブルがおかしげに声をかける。
「意地悪しないで教えてあげればいいのにさ」
 こういうことでしょ、と前へ示したカメラのモニターの中には、先に眺めた写真と同じく、和やかな表情を浮かべたアラートの姿がある。ひとつこれまでのものと異なるのは、それがやや引きの構図であるために、周囲の様子まで写り込んでいる点だ。立ち話をしているらしい赤と白の機体に向き合っているのは、ほかでもない、つい今ほど部屋を駆け出ていった鮮赤の大型機である。
 常日頃から言動堅い生真面目な保安部長がふと人の目を引き、カメラを向けようと思われる態度を見せるとしたなら、その傍らに、あるいは視線の先にいるのが誰か、もはや決まっているようなものだ。
「こんなにわかりやすいのに、なんで気付かないんだろ?」
「まあ、当事者だからこそってこともあるかもしれないし……本人が一枚も撮れてないっていうのは少し驚いたけど」
「単に馬鹿なだけだろ。一、仕事中に声かける。二、わざわざ自分のほう向かせて撮ろうとする。三、見られてる時は気付かない、話してる時はカメラのことなんざ頭にない」
「はいジャックポット、か」
 呆れ声を連ねるランボルに、おのおの苦笑とともに同意を寄せる。確かにここまで問題が明らかになっていれば、あとは答えが出るか出ないかの話でしかない。問いが解けたとなれば、それはほとんど目当てのものを得たのと同じことなのだから、撮り方がどうこうと外野が口を出すだけ馬鹿らしい気分にもなるというものだ。
 さらにそのうえ、
「アラートもわかりやすいけど、インフェルノも大概だよね」
 置き残されたカメラに収まる画を眺めれば、データを解析するまでもなく、問題はなお単純になる。大半は消防任務にまつわるもので、あとは本人いわく「特に意味のない写真」らしいのだが。
「特に意味のない写真って言うか、半分ぐらいは『特に意味もなくアラートが写り込んでる写真』だよな、これ」
「うわキモ」
「半分が自撮りのサンストリーカーもなかなかだと思うけど……」
「ホント、なんで気付かないんだろうなぁ」
「これ撮るだけでもたぶん十回以上怒られてるはずなのに、全然めげないところはすごいよね」
「アラート、本当にこんなニブ男でいいのかよ……兄ちゃん心配でならないぞ……」
 ひと回り感を述べたところでまた何やらの騒音が廊下を渡って聞こえてきたが、敵襲でないことは明らかだったので、頷きひとつ向け合ったあとは特に反応の声もなく、またすぐに鑑賞会が再開された。


      ◇


 メモリーチップの回収要請が各員に伝達された頃、アラートは資料保管室にこもり、ひとり黙々とデータ整理の作業にあたっていた。
「片付いていない記録が山ほどあるのに、また増やそうっていうんだからな……まったく」
 ディスプレイいっぱいの膨大なデータリストを眺め、近頃の流行りごとに思いを馳せつつ独りごつ。新技術の研究開発はもちろん重要な任務だ。日々前線で戦いに明け暮れる戦士たちがたまの気晴らしに精を出すのもいいだろう。だが、結果としてあとに残るあれこれのことも少しは顧みてほしいものだ(おまけに、最近では「たまの」気晴らしではなく「いつもの」気晴らしになっていると感じることもままある)。
 度が過ぎるようなら上へ注進しなければ、また何人かにはぼやかれるだろうが、と排気し、リストの一行に「済」を付けて、次のデータ群へと移る。アーカイブを開くと小タイトルの表示と同時に横手のキャビネットが自動で引き出され、大量のディスクとメモリーチップが現れた。思わず虚脱感を覚えるが、数の多さはどれを選んでも同じようなもので、上から順に片付けるしかない。
「あ、これはうちのだな……」
 画面に並ぶタイトルには消防チームを表す『F.D.』の類別記号が振られている。チームとは言いつつ現状は構成員二名のみ、うち一名は現場一辺倒で、事務作業などやれと言ってもなかなか手をつけないから、こうした細かな仕事はどうしても後回しになってしまう。先月も同様の整理をしたはずなのだが、少しほかへ手が取られるとたちまち未処理のものが増えるのだ。
 これじゃほかのチームのことを言えないな、と反省しながら読み込んだひとつ目のデータは、近くの街からの依頼で半月ほど前に行った、消防の講習会のビデオ映像だった。参加者が実地訓練の様子を撮影していたものを、終了後に記念として贈られたのだ。
『よーし、順番に降りてくれ。焦らないでいいぜ。一人ずつな』
 画面の中では赤い機体の救助員が非常用スロープを使う市民たちをてきぱきと誘導している。異星の、しかも自分たちよりずっと小さく弱い者のための訓練監督など初めてのことで、一度は断ったのだが、どうしてもと請われたうえコンボイ直々の勧めもあり、仕方なく引き受けたといういきさつの催しだった。当日まで不安を募らせていたアラートをよそに、なんとかなるだろうと楽天的に笑っていた相棒は、その言葉のとおり、持ち前の度胸と明るさでもってすぐに人間たちと打ち解け、あっさりと任をこなしてみせた。イベントとしての評判も上々で、終わってすぐに次の依頼が複数舞い込んできている。
『お、どうした? 怖い? 大丈夫、落ちやしないさ。それにもし何か危ないことがあったって、俺が絶対助けてやるからな!』
 響きやわらかとは決して言えない、しかし不思議に人の心を安堵させる声。緊急車両をスキャンした大きな機体は一見の厳つさを多少の不利ともせず、共に参加したほかの仲間たちを羨ませるほど人気があった。このあたりはもはや天性の能力と言えるのだろう。例のカメラも、記録と称した記念撮影のために忙しく働いていたようだ。
(……動画のほうがいいのにな。切り出せば写真と似たようなものだし、声だって……あ、いや、音だって残せるし)
 無意識に訂正を挟みつつ内心に感を述べ、処置を考える。
(まあ消すほどじゃないが、即時閲覧用にひとつ表へ出しておけば充分か)
 主要な部分だけ共用メディアに移し、残りのデータは重複を削除したのち参照資料としてひとまとめに整理する。さて次、と気を入れ直して、山積みのディスクをまた一枚手に取り上げた。
 そうして選り分けの作業に没頭することしばし。『F.D.』付きのタイトルリストの末尾に行き着いたところで改めて成果を眺めて、アラートは首を傾げた。
「あれ、おかしいな。あんまり減ってない……」
 リスト自体はだいぶん圧縮されたが、それまでの作業と同様、積まれてしかるべき空きディスクがさほどの数になっていない。おかしい、と言いつつ原因は薄々わかっていた。必須のデータはしっかり抜き出して少なく絞れているのだが、「必要につき移動済み」と「不要につき消去済み」のあいだの、「必須ではないが一時保留」に分類されたデータがやけに多いのだ。
「……別に、消すほどじゃないんだよな」
 判断を改めてくり返すが、口に出してしまうと妙に言い訳がましく聞こえた。消すほどではない。裏を返してしまえば、消しても特に問題はないということである。「一時保留」も「必要時参照」も、結局のところは「不要」とそう変わりないのだ。
 整理整頓時のありがちな陥穽に落ちていることを自覚しつつ、一体何を保留としたのだったかと、消去の語からそらした目をリストへ向け直す。ひと目で必要性のわかるテキストデータはきっちりと始末を付けている。一方でことごとく棚へ上げられていたのは、初めに流した講習会の様子を筆頭とする、種々の動画像であった。一部は今後のために残すとしても、長尺のものは類似の場面も多く、いちいち編集を加えてまで大事に保管しておく類の記録ではない。
 小山になったディスクの頂上から一枚を手に取り上げ、ドライブにセットしてフォーマット画面を呼び出す。あとは数回キーを叩けば作業完了、さらに残りの十数枚に同じ操作をくり返せば、リストの一行が片付くことになる。簡単な話だ。実に簡単な話なのだが――最後の命令を下す指が、どうしても動かなかった。それが戦いの勝敗を決する兵器の発射ボタンであるというならまだしも、ただのデータ整理に過ぎないというのに。
「でも……何か有用な記録が残っているかも……」
 ――ざっと確認しただけだったし、移し損ねた場面があるかもしれない。一人で作業しているからミスやチェック漏れもあるだろう。もう一度だけ初めから見直してみようか。この一行を早く終わらせたところで片付いていないデータはまだ山ほどあるんだから、どうせ今日だけで終わるはずがない。所要時間としては誤差の範囲だ。そもそも全て完了する未来が見えないが無駄に増やすほうが悪い。うん、そうだ、再確認しよう。いや、是非するべきだ。いつだってなんだって、用心にやり過ぎということはない!
 不毛な諦念と八つ当たり含む責任転嫁とやや小ぢんまりと適用した信条を言い訳の後ろ盾に、初期化操作をそそくさとキャンセルする。すぐにメディアの再生をかけると、小さな読み出し音ののち、一番に確認した講習会の録画が流れ始めた。市長と話すコンボイを中央に捉えた映像を拡大し、ふと気付く。
(俺が映ってる)
 画面の隅に、鏡の中に見慣れた赤と白の機体の姿がある。鮮明とは言えない映像の中でも硬くこわばった表情が見て取れ、我ながらひどい顔だ、と素直に頷いた。不安と緊張で悶々としていただけなのだが、仲間たちにさえ何を怒っているのかと訝しげに訊かれたものだ。イベントの主要メンバーとして質疑応答の場も受け持っていたものの、地球人類の良き友にふさわしくふるまえた自信は全くない。
 やがて画面が暗転し、別のシーンを映し出す。そこにはもう保安員のしかめ面はなく、この日の主役となった赤の大型機の姿が正方形のフレームの中央に収まっている。明朗快活を絵に描いたような立ち居ふるまいを見せる救助員は、例によって賑やかな人の輪に取り巻かれていた。一瞬前との対比が際立つ画に、つくづくと感じ入る。
(この日は本当に助かったよな……)
 相棒の懸念を笑い飛ばし、群衆との苦手なやり取りは一手に引き受け、途中のこまごまとした難事も、時に力業を駆使しつつけろりとした顔でこなしてみせた。もちろん後で礼は伝えたが、言葉ひとつで報える成果ではなかったと今でも思っている。
 俺と来たらなんの役にも立たなかったな、ずっとこんな顔だし、と画面の中の笑貌を眺めながら、己の頬を指で無理やり持ち上げてみる。このところ例の流行のせいで度々レンズを向けられるが、ろくな表情でないことはわかっているので勘弁してほしい。自分とて、険しい渋面より明るい笑みのほうがよほど親しみやすく、より魅力的に映ることは重々承知しているのだ。たとえば、そう、今この画面の中にあるような。
 ――普段からあまりへらへらされてても困るけど。にしたって始終むすっとしてるよりはいいんだろうし……あいつの場合は別に笑ってばっかりでもないか。短気だし見た目は割と厳ついし。このあいだ道ばたで怒鳴って子どもに泣かれておろおろしてたよな。自業自得だ(そのとき通信で怒鳴り合ってた相手は俺だけど)。……まあでも、険しい顔が全部悪いってこともないかな。真剣にしてると妙に画になるからずるいんだ。戦いの時は頼もしく見えるけど。……そういえばさっき、このあいだの模擬戦の録画があったな。あれは何かの分析に使えるかもしれない。先に見てみようか。うん、よし、見よう。どうせ誰も手伝いになんて来ないし。急かされているわけでもなし。好きな順に好きなペースでやろう。
 もはや理論武装も何もあったものではない直球かつ雑な言い訳を自身では疑いなく唱えつつ、小山から引き抜いたディスクを一枚目と交換し、目当ての映像を再生する。二組に分かれた陣の中衛から、ひときわ目立つ鮮赤の機体が得意の射撃の腕を奮っているのを眺めながら、次第に表情がゆるみ始める自分にアラートは気付かなかった。
 そうしてまたしばしの間が流れ、「誰も手伝いになんて来ない」はずの資料室の特殊制御扉がこじ開けられるが早いか、騒がしい足音と呼び声が立て続けに飛び込んできたのは、見直しの名目で二周目に入った模擬線の録画がちょうど半ば時点に達した頃のことだった。
「アラァートォォッ!」
「うひゃああっ」
 頬杖ついて映像に見入っていたアラートは、突然の闖入者とその登場のけたたましさに思わず椅子を蹴立てて立ち上がり、振り向いた背の後ろにディスプレイを隠した。
「う、うるさいぞインフェルノ、廊下は静かに歩け! それにドアを無理やり開けるんじゃ……」
「アラート、写真撮らせてくれ!」
 平静を装って飛ばしかけた叱責が、今まで、否、今この瞬間も画面の中で躍動する部下の発した叫びに遮られる。急の事態を呑み込めず、は、と前を見つめ返すと、聞き違いではなかったらしい台詞がもう一度投げかけられた。
「写真? なんでこんな時に……」
「いいからほら、笑って笑って!」
 言葉の中身とは裏腹、相手を和ませる要素の微塵もない怒号じみた声が放たれるが、その手には武器ではなく例の装置が構えられているのだからなんとも間が抜けている。しかし、それを笑うことも訝しむことも、今のアラートにはできなかった。落ち着きを欠いているという点では全く同じで、正しいあしらいの反応が浮かばなかったのだ。妙な要求を執拗にくり返すインフェルノも、やがて相手方の異変に気付いたらしい。
「アラート、なに机に張り付いてんだ? 後ろになんかあるのか?」
 ぎくりと身がこわばる。音声だけは手元のスイッチで切ることができたが、映像は流れ続けている。衝動的に隠し、さらにそれを指摘されたことで、冷静に考えれば後ろ暗さなどないはずのデータが、己でも理由のわからないまま「ぜひ隠し通さねばならないもの」とブレインに認識された。
「べ、別に、なんでもない」
 どうにかディスプレイの電源を落とせないかと、目線をあさっての方角にそらし、後ろ手でキーを探りながら答える。
「なんでもないなら、んな妙なカッコしてないでこっち向いてくれよ」
「嫌だ」
 にべなく撥ねつけるが、さすがに対応慣れきった部下はこれぐらいでは諦めてくれず、じりりと対峙の距離を狭め、疑わしげに問うてくる。
「……やっぱり俺に何か隠してるだろ」
「隠してない」
「じゃあなんで笑ってくれないんだよ? 相棒なのに」
「それとこれとは全然関係ないじゃないか」
「ある! ほかのやつとか、あの双子にだって笑って撮らせてるだろっ」
「別に俺が撮らせてるわけじゃないっ」
 みな思い思い勝手に撮っていくだけだし、笑えなどと言われた記憶はない。そんな不毛なことを注文してくる仲間がいるとしたら、せいぜい目の前の様子がおかしい部下ぐらいのものだ。
 言い合いの熱を少しずつ高めながら、ともかく一度この場から追い払ってしまわねばと、大義名分となる言葉を探す。
「これは、えーと……そう、機密文書なんだ。一人で管理する必要のあるデータだから、お前がいると仕事にならないんだ。話ならあとで聞くから、今は出て行ってくれ」
 なんとも都合のいい嘘だが、一定の譲歩はしたし、真偽がわからない以上は従わざるを得ないだろう(何しろ資料の保管状況などまるで知らない相手だ)。そう思って口にした命令も、やけに頑なな今日の相棒には今ひとつ届かなかった。
「じゃあ、笑ってくれたら出てく」
 これである。何が「じゃあ」だ、とさすがに憤りの念が湧いた。
「こんな状況で笑えるかっ」
「笑ってたろっ。前もここで!」
「はっ?」
 急に新たな話題が持ち出され、右へ左へ蛇行しながら言い合いは続く。
「ひと月前だか、データ整理するつってこもってた時、なんかほにゃっとした顔で画面見てて俺に気付かなかったろ!」
「ほ……ほにゃっとなんてしてない!」
「してたろ! やけに長いことしてた!」
「そ、そういう時はすぐに声をかけろ! お前が来た憶えなんてないぞっ」
「こっちもぼーっと見ちまって気付いたら外で風に当たってたんだよ! 伝言渡しそびれてあとでプロールにすげー説教食らったんだからな!」
「知るかそんなこと!」
「俺だってアラートのカワイイ写真ほしい! あの時のほにゃ顔でいいからもう一回! なあ相棒、なあ!」
「うるさい! そんな顔してない! 戻って仕事しろ!」


 サイバトロンがにわかのカメラブームに沸き始めて二十日。その熱気はいまだ衰えていなかったが、フルスロットルで空回りつつ進む実りない口論の図を、あえて記録に残そうと考える者は初日から特になく。
「あー、またやってる」
「カメラ返してほしいんだが……」
「あいつらが来る前にメシ全部食っておいてやろーぜ」
「俺の作ったセーフティゲートが……!」
 仲間たちのあたたかい言葉とともにほったらかされた争いは、感情回路の急激な出力増と数日の過労でエネルギー切れに陥った上官を部下が大慌てで救護室へ担ぎ込んだところで終了し、仲良く並んで軍医の公開説教を受けることと相なるのだが、幸いにして、こちらも今さら被写体となるほど珍しい光景ではないのであった。


完。

おまけ→

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