◇
「なんだ、まだ拗ねてるのか」
諸々の事後処理を終えて、何日かぶりに帰った家の中央の居間で、インフェルノは巨躯を折り縮めるような姿勢でソファに座り込んでいた。声をかけても戸口側へ向き直らず、むっつりと口を引き結んでいる。
昼まではガキだなんだと騒いでいたのに、『あちら』が帰った途端に自分までそうなってどうする、と苦笑しつつ、隣へ歩み寄ってもう一度呼びかける。引き続き反応はない。
その心中はおおよそ察していたので、強情なやつめ、と呆れはしなかった。長い遠征から戻ってみれば、帰還を心待ちにしてくれていたはずの恋人が別の相手を構っていたのだから、まずもっていい気はしないだろう。そのうえそれが過去の自分と来た日には、なおさら話は複雑になる。同じ存在に取られたといういわく言いがたい悔しさもありつつ、全くの他人であったなら躊躇なく激怒できる(とは言っても、そんな事態が来るはずもないことはアラート自身が一番わかっている)が、苦境に陥った『自分』が何も顧みられずに捨て置かれていたとなれば、それはそれで心外に思ったはずだ。そのあたりが自分でもわかっているから、怒るに怒れず、しかしあっさりと流すほどにはまだ腹が治まらず、結果、この子どもじみた拗ねに至っている。
隣に腰かけ、常の溌剌さが鳴りをひそめた横顔をじっと見つめる。いつも自分の想いを衒わず表に示し、くるくると移り変わる真正直な表情を横で眺め、共にこぼれるあれやこれやのこれまた馬鹿正直な言葉を聞くのが、アラートは昔から嫌いではなかった。腹芸にはまるで向かないまっすぐな気性は、何かにつけて事を勘繰りがちな傍らの心までもをその揺らぎのなさで励まし、しゃんと背を伸ばさせてくれる。
とは言え、いつまでもむすくれていられては、見るにしてもあまり愉しいものではない。まして、長らく焦がれていたはずの時間に、いつまでもよそを向いていられるなどと。
いかめしくも慕わしい巨躯を仰いで、ひそやかに名を呼び、問う。
「すぐに気が治まらないのはまあ仕方ないが……せっかく無事に戻ってきたのに、おかえりも言わせてくれないのか?」
言外の心を、声に、そっと伸べて腕へと触れさせた指先に、伝える。ひたりと空気の止まったような一瞬があり、さらに言葉を継ぐより早く、その四角張った造りに似合わぬ機敏な動作で、一度こちらの手を離れた腕が逆に胴を丸ごと捕らえてきた。体が浮き、視界が大きく揺れ動いたかと思った次の間には、横ではなく真正面から顔を見合う位置、座した脚の上に乗せられていた。
「ん」
ごく短かな声ともつかない声を鳴らし、不意の動きにほうけたアラートへ向けて、顔を――唇を、前へ突き出すようにしてくる。拗ねの気配を残しながらも爛と輝く瞳に見つめられて、笑いがこぼれた。
「現金なやつだな」
落とした指摘に反論も述べず、いいから早く、とばかりにその顔のままうんうんと頷きが返るのだから、なおさらおかしい。おかしく、そして愛おしい。
肩へ手をかけ、少し伸び上がる。背に回った大きな掌が、身の内の想いをも力強く支える。
「おかえり、インフェルノ」
約束の言葉を紡ぎ、求めに迷わず応えて口付けを贈った。軽く触れては離れを数度くり返し、呼気の混じり合う距離から色深い青を覗き上げて、言う。
「……心配した」
「ああ。ごめんな」
そっと背を撫でる手に抱き寄せられるまま、広い胸に頬を預けた。メモリの奥深くに刻み込んだゆるやかな機体の駆動音と輝ける魂の拍動が、心をあたたかく安らがせる。
しばし身を寄せてぬくもりを分け合ったのち、アラートを腕の中に納めたまま、インフェルノが沈黙を切って呟いた。
「ほんとに、あいつには何もされてないんだろうな?」
「まだ気にしてるのか」
いつにないしつこさに排気し、嘘は言ってない、と胸の中で弁明しながら、本当に何もされていないと答える。それでもまだ疑いは晴れないらしく、むう、とうなり声が落ちた。
「どう見てもお前に粉かけてたし、『俺』が何もせずにおとなしく帰るとは思えねぇんだよな……」
「自分を信用しろよ」
「信用してるから言ってんだよ。考えの浅さと手の早さをな」
なんだそれは、と呆れて笑えば、その証明とでも言うように背から下りた指が腰の周りで遊び始めるので、こそばゆく身をよじってから、お返しに肩へ歯を立ててやる。痛い、と笑いの混じる白々しい悲鳴が上がり、
「そこより、やっぱこっちで頼むぜ」
そう言って再び身を引き起こされ、間近に顔が向き合った。悪戯めいた稚気と雄々しさのふたつがにじむ笑貌に見惚れ、引き寄せられるようにまた唇を重ねる。やわらかく啄み合ううちに間をつついてねだられ、そっと開くが早いか滑り込んできた熱い舌を、抗わず迎えた。
「……んっ、ぅ……」
漏れ落ちる吐息は高まる熱に揺れて、油液に濡れる舌の音とともに、想いを煽る。身と心の全てが恋い焦がれる者との久しい触れ合いを求めるのを、恥ずべきこととは思わなかった。アラート、と低く名を呼ばれる声に宿る慾の気配は、ただ幸いばかりに転じて胸を満たす。
「インフェルノ……」
深い口付けの間に、自分もまた、唯一の名を呼ぶ。甘くかすれる音の中に何を聞き取ったのだろう、乱れた吸気をくっと喉の奥に呑み、インフェルノは背に滑らせていた手でアラートの体を軽々と横抱きにかかえ、そのままソファから腰を上げた。
奥の部屋へ向かって足進める間にも、頬に額に、雨のごとく口付けが降る。笑って受けながら、ちゃんと前を見て歩けと一応の注意をすると、こんな慣れた道で転ぶわけがあるかと平然と返されて、思いもかけず胸が震えた。一年の日を置いても消えずに在る場所、なお熱増す想い。数多のきっかけを積み重ねてたどり着いた、これは自分と彼の幸福な未来だ。
願わくは、と思慮を遠く馳せる前に、そっと寝台に体を降ろされ、すぐ腕と腕の間に囚われる。知覚の全てが愛しい赤の機体で満ちて、よそ見はさせじと甘く心を誘った。
「あっ……、ンッ」
大きな手指はいつもその形にふさわしく無骨に動き、繊細さは微塵もないが、秘めた慾の激しさと想いの強さの如実に伝わる荒らかな挙止は、ただ己に触れていることを意識するだけで刻々と熱を高めさせる。ただでも刺激に過敏な機体は、身を知り尽くした愛撫のいちいちに反応し、反らせた首筋を口で
食まれて高い悲鳴が漏れた。
「相変わらずやらしい体だな」
「んぅ、うるさ……、ひぁっ」
頭上に落ちる揶揄に反論を試みるが、頭部の知覚器に唇が当たり、濡れた舌の感触にびくりと背が跳ねる。そこはやめろ、と逃げようとしても、そのままの位置で名を呼ばれ、会いたかった、などと低い声でささやかれれば、抵抗の力も心もすぐに失せてしまう。
「俺も……」
腕伸ばして首元にすがり、応えて近付く精悍な顔をじっと見上げ、口付けを受ける。画面いっぱいに向き合い、ケーブルを伝う声を直接聴いても、まるで足ることはなかった。そんな折に出会った懐かしい姿の若者との交誼は、ものわびしい心を少し弾ませたが、最後には互いにそうと認めた通り、やはり、どこかが違っていた。
「んっ……、ふ、ぁ……あっ……」
胸の装甲を辿り、腰を撫で下ろした手が、下腹部のパーツに触れる。ここは貸してやれないのだと、ただ一人にのみ捧げることを宣した部位。今になって振り返れば、なんとも思い切ったことを言ってしまったものだ。
乗りかかっていた上体が一度離れていき、熱揺れる瞳に見下ろされる。かりかりとくすぐるようにパネルの上を引っかかれて、奥からじわりと熱いものがにじみ、あふれ落ちるのがわかった。ほぼ意識なく錠が外れ、すぐに中を暴かれた。
「……もうぐしょぐしょだぜ?」
「う……み、見るな……」
今度の声は冷やかしよりも興奮の色を強く鳴らし、伝染する熱と湧き上がる羞恥に脚を閉じようとしたが、すぐあいだに身を入れ込まれて叶わなかった。
「ひぁ、んっ……!」
不意に受容器の入り口へ指がもぐり、高いあえぎが口をついて出る。垂れ落ちる油液を塗り込めるように表面を撫でられて、びくびくと小刻みに下腿が震えた。
しばしやんわりとした慰撫が続き、流れた液が溜まりを作ってしまっているのではないか、と痺れるブレインの片隅で思い始めた頃、また前触れなく指が離れ、数瞬の間のあと、くちゅ、と濡れた音とともに、指よりも太い熱が押し当てられた。何かと頭を起こして見るまでもない。震える手で口を覆い、与えられるのを待つ。
ず、と滑るように進んだ熱の塊は、しかし中を深く割り開いていくことなく、先端を埋め込んだあたりで動きを止めた。すぐに腰を引かれて外へ出ていき、と思えば、また半ばにも至らぬ部分まで進む。
「んっ、ん、ぅあっ……あ、」
浅い位置で抜き挿しがくり返されて、もどかしい刺激が切れぎれの快楽を生む。あふれる液と空気を混ぜる抽挿は、ゆるやかな動作とは裏腹、じゅぷじゅぷと淫猥な水音を高く部屋に響かせ、アラートの鋭敏な聴覚を容赦もなく犯した。
「インフェルノ、やだ……、あ、ぁっ」
回転の速まる排気の下から訴える。混乱に近い興奮で昇り続ける熱を冷ますため、オプティックの端からほろほろと水が流れ落ち、にじむ視界の中に、まばゆいほどに輝く深い青の灯が見えた。
「ん、どうした?」
口角上げた表情と声音は明らかにこちらの状態を察しながら、久しぶりだから、いきなりじゃないほうがいいだろ? などと言ってのける。抗議をしたかったが、声は弾むあえぎになるばかりで言葉を成さなかった。
コネクタの先が中へ割り入り、また出ていこうとするたびに、内部がひくついて、それを引き止めるように動くのが恥ずかしくてたまらない。インフェルノもきっと気付いているだろうに、例の一件の意趣返しのつもりでもあるのだろうか、意地が悪いにもほどがある。さらにそのうえ、
「実際、少し狭いかもな……。俺がいないあいだに、こっち使って独りでシたりしてねぇの?」
唐突にそんなことを訊いてくるので、顔が限界に近いほど赤くなるのを自覚しつつ、ぶんぶんと首を振った。もともとはそういった慾の強いたちでもないのだ。やむにやまれずコネクタを刺激して熱をほどくことはあったが、わびしくなるだけとわかっていて、道具で代えようと思ったことはない。
閨では別人のようだとか、禁欲的に見えて実はいやらしいだとか、先のように好きにからかわれることもあるが、全て、その揶揄をしてくる当の相手のゆえだ。何より焦がれる者の腕に抱かれて、平静でいられるはずがない。望むのは、ただひとつ、ただ一人だけだ。
「んっ……インフェルノ……頼む、から……」
「なんだ? アラート……」
なおもわざとらしく訊いてくるが、声は荒い排気に紛れ、余裕なく聞こえる。それは無論、こちらも同じことだった。
「もっと、奥まで……お前、の……」
欲しい、と、羞恥を押し込めて求める。恋に
盲いた心で駆け引きなどできない。ただこの身の奥に、彼の熱が欲しい。今や我が半身たる唯一の者と深く繋がり、満たされたい。
心に従い、無意識に内部が蠕動して、浅く咥えた雄をきゅうと絞る。
「っ……お前、ほんと……」
「ひぅ、んっ、インフェルノ、ぉ」
刺激に震える機体に、わかった、降参、と笑いと昂揚の入り混じる声が落ち、一度全て抜けたコネクタが、次の一瞬、ひと息に奥まで埋め込まれた。
「あ、あああぁっ……」
「くっ……」
ゆるく引き延ばされていた快感が弾け、背をのけぞらせて達する。過剰なほど流れ出ていた保護液のぬめりのため、さまでの抵抗はなく最奥へ届いたが、規格違いの接続器の圧迫は強く、分け拡げられた内壁がみっしりと隙間なくその剛直を締め付けている。
「ん、やっぱ、きつ……」
「あ……すまな……」
「いや、謝るところじゃねぇよ」
顔をしかめるインフェルノへ反射的に詫びかけると、大丈夫だ、と笑みとともに頭部へ唇を落とされる。逆に痛みがないか問われたので、こちらもなるべくはっきりと見えるように頷き返した。
動き止めたままアラートの機体を抱き込み、インフェルノは感深げに声漏らす。
「あー、でもすげぇ気持ちいい……」
ナカ熱いな、と衒いなく教えてくるので非常に面映ゆく、さらに身が火照るようでさえあったが、自分の体が相手へ快を与えられているのだと思うと嬉しかった。時折ひくりと跳ね、うねる、互いの熱の源から、痺れるような愉悦を得ながら、しばし心地よく抱き合い、落ち着きを見計らって、またゆるゆると動き出す。
「あっ、やぁ、ン、あぁっ」
「んくっ……、ぅ」
ごくゆっくりとした前後から始まり、徐々に激しく打ち付けられ、揺さぶられる。諸手をかかげて首を巻きしめ、名を呼んだ。
「インフェルノ、インフェルノっ……」
「アラート……」
「んっ……、俺、きつくない、か? 気持ち、いい?」
訥々と問えば、あァ、と朗笑浮かべ、事もなげにうそぶく。
「んな心配しねぇでも、またすぐ俺の形にしてやるって」
「ばか……っ」
照れにそむけた顔へまた唇が降り、抽挿がさらに激しさを増して、言葉はあえかな艶声の中に消えた。いつの間にか引き出されていたコネクタにも愛撫を受け、留まるところのない快楽の波に、がくがくと全身が揺れる。それを押さえ込むように寝台に縫い止められて、なおも強く奥を穿たれる。
「やぁ、あっ……深、い、ぃ」
「はぁ……すげ……」
「うんっ、んんーっ」
切れ目なく責めを受け、幾度か軽く極めてしまっているように思えたが、そのたびすぐさま次の愉楽に襲われて、思考が白くかすむ。どくり、肚の奥でひときわ大きく怒張が膨らむのを感じ、応えるように中が収縮して、誘った。
「アラート、……中、いいか?」
「ん……、欲し、ぃ……」
俺も、と限界を告げ、頷きとともに与えられる信号を受け入れ、返す。ちかちかと明滅する光が視界を覆い、次の刹那、強烈な快感が全身を駆け昇った。
「やぁっ……、あ、ああああぁっ……!」
「くぅ……っ」
痙攣する機体の奥に、内から身を灼くような熱が広がる。全て余さず注ぎ込まれ、そのまま呼気が落ち着くのをしばし待ったのち、こちらへのしかかっていた巨躯が腕で上体を浮かせて、ぼんやりと上を仰ぐアラートに手を伸べてくるので、顔と頭を優しく撫ぜる指に頬すり寄せて甘えた。
オイルの汚れを手早くリネンで拭われ、側臥した機体から差し出された腕を枕に、胸元に添う。すぐに逆の手で背を抱き込まれて全身にぬくもりが伝わり、心地よさにほうとひとつ排気を漏らした。想いを高らかにぶつけ、狂おしく抱き合うひと時はほかの何にも代えがたいが、こうして静かに寄り添い、言葉のないやわらかな情を行き交わせる時間も好きだ。この大きな体と心の傍らにいることに、何よりの安寧を感じるようになったのは、一体いつの頃からだったろうか?
「……『あっち』のお前がな」
ぽつりと呟いた途端、眼前の口が笑みを収めて不満げに結ばれたが、反射のようなものだとわかっていたので気にせず続けた。
「来る前に、『俺』と口論になったと言ってた」
「いつものことだろ」
自分が返したのと同じ言葉を、それ以上の速さで口にする。うん、と肯定の頷きをしつつ、言う。
「ただ、珍しく引きずって考え込んでいるようだったから、少し気になって。……うまく行ってないって」
確かに自分はそんなことをしょっちゅう考えていたものだが、まさか昔から豪放で直感的な性格の相棒が、そうした思いを口にするとは思わなかったのだ。
相棒。今では一片の疑問もないこの語も、おそらくあの時代の自分たちにはそぐわないものだ。
アラートの気がかりを一蹴するように、へっ、とインフェルノが気のない感想を吐く。
「自分とこでうまく行ってないからっつって、こっちのお前に手を出そうとするなんざ太ぇ野郎だぜ」
いまだもって、あの夜目撃した行為に対する腹立ちが治まりきらないらしい。あれはアラートもいささか驚かされたが、嫌悪などよりも(そもそも自分が『インフェルノ』を相手に嫌悪など催すはずがないとは思うが)戸惑いが先立った。ただ色めいた執着のみで伸ばされた手ではないように思えたからだ。しかし去る直前には、その翳りのようなものも消えていた。
「向こうの『俺』がそのままだったら、きっと嫌ってなんていないと思うが、……どうなるんだろうな。まずはいい仲間にだけでもなれるだろうか」
未来など、ふとしたきっかけでいかようにも形を変えてしまうものだ。自分が今ここに、この腕の中にいられるのは、数多の幸運の積み重ねによるものだとアラートは信じて疑っていない。
「あいつには、自分で選べなんて物分かりのいいことを言ったけど……やっぱり、もしできたら俺を好きになってほしいなんて、思ってしまってる」
自嘲とともに呟けば、
「そりゃあ、言わなくて正解だぜ。絶対調子乗ってたからな。一回なんかでガンとやられてもう少しオトナになってくれりゃいいけど、あれじゃ昔のお前だって渡せねぇよ」
と、『自分』をばっさり斬って評するので、さすがに笑ってしまう。過ぎた日の姿を外から見た気まり悪さもあるのかもしれないが、確かに、と思うところはあった。
「俺と違って、お前は昔から全然変わってないように思えてたけど、そんなこともなかったんだな。やっぱりあっちは少し若いと言うか、軍の兵士よりはまだ訓練生のほうに近い感じがした」
「……あ、やたら構ってんなと思ったのはそれか? お前、教官なってからやけに下のやつに甘いんだもんよ」
「別に甘くしているつもりはないが」
扱いの差が気になるのか、最近のインフェルノはよくこの手の不満を口にする。無論、特別なひいきなどはしていないし、教導者として厳しく接すべき部分はしっかり締めているつもりだが、多少態度が変じてしまうのは仕方のないことだろう。自分自身の考え方が変わったというところも大きいし、出来のいい悪いによらず、教え子というのはやはり可愛いものだ。
「そうだな。あの頃からこういう心構えでいられたなら、もっとお前にも良くしてやれたのにと思うこともあるから……それが出てしまったのかもしれないな」
初めのいがみ合いもなく、もっと早く近付けたかもしれない、と思って言ったが、インフェルノはすぐさま首を振ってそれを否定した。
「いや、駄目だろ。そんなんなってたら、高嶺の花すぎて俺なんざ手も出せやしなかったぜ」
「そんなこと……」
「あるんだよ」
語尾を奪われ、さらに断言が続く。
「どうせまたお前、自分がこうやってられるのはただ運が良かったからだ、だとか奇跡が起きたんだとか思ってんだろ?」
「う……」
完全な図星を突かれて口ごもれば、ふう、と呆れ笑いの呼気が落ちた。
「お前のそういうとこ、悪いとは言わねぇけどよ、もう少しこっちの努力も認めちゃくんねぇかな」
互いに不足ばかりであったからこそ、共に変わってこられたから良かったのだと、インフェルノは言う。
「俺は初めっから、お前が自分で思ってるほど『主任』のこと嫌いじゃなかったぜ。まあ気に入らないとこも多分それなりにあったけどよ、すげぇなと思ってたし、尊敬もしてた。もっと強くなって、お前の一番信頼する部下になってやろうって決めたのは、そんなに後のことでもない。んで、しっかりなってやったろ?」
今じゃこんなことも許してもらえる、と得意げに笑い、頭に口付けを落としてくる。
「運だとか奇跡だとか、そういう言葉だけ使って不安になるんなら、全部ひっくるめて、運命だと思やいい」
「運命……」
ほつり言葉をくり返せば、ああ、と力強く頷きが返った。
「あいつがこっちで初めにお前と会ったのも、すげぇ偶然だろ。いつのどんな世界でも、俺たちは運命ってやつで結ばれてる。絶対に近付けるし、わかり合える。そう思っときゃいいんだよ」
な、と屈託なく浮かぶ快活な笑みに、ただ見入る。身の奥でうち震えるスパークの熱を感じながら、その広い胸にもう一度すがった。背に回る腕の力が強まり、懐深く抱き込まれる。
顔をうずめたまま、語りかけた。
「……やっぱり、お前は変わったな」
「そうか?」
「うん。昔だってそうだったけど……。昔よりもっとずっと、いい男になった。隣にいると、いつもどきどきさせられる……」
何千、何万の日を共に過ごしても、尽くことを知らず、なお膨らみ続ける想い。時に自分でさえが深すぎるように感じる心を、なんでもないことのように笑い、手を広げて、いつも優しく受け止めてくれる。
「お前に出逢えて良かった、インフェルノ」
どんな名の理由でもいい。今この時、この場に連れてきてくれたものに、ただひたすらの感謝を捧げたい。
腕の中で感じるぬくもりにうっとりと酔い、しばしののち、触れる機体にかすかな異変が生じ始めたことに気付いて、顔を起こす。
「……インフェルノ?」
「あー……」
上がった熱そのまま、顔に色昇らせて、
「駄目だ……もっかいシたいです。主任……」
昔の呼び名を交えつつ、そんなことを言う。
「えっ」
「お前が可愛いこと言うから勃っちまった……」
「ば、ばか」
「責任とってください」
主任、と声だけは殊勝に呼ばわりながら、既に手は明らかな意図を持ってアラートの装甲の上を這い始めている。仕方ないな、とこちらも言葉の中身だけ上司ぶって応え、与えられる官能に身を委ねながら、願わくは、と、思う。
まさしく奇跡のごとき未来を手にしてなお、贅沢な望みだとはわかっている。だが、祈り捧げずにはいられない。ほんの小さなきっかけでもいい。願わくは、この何にも代えがたい幸福をもたらす運命が、『彼』を待つ別の世界の己にもあってくれまいかと。
「……あっ、や」
「こら、別のこと考えてるだろ」
心を遠く馳せたのが伝わったのか、指が首筋を撫ぜ上げて頬を掴み、顔を正面に向き合わせられる。深色うつくしい青が、飢渇の火を宿してきらめく。
「いいから、俺だけ見てろって」
獰猛な光を笑いで受け止め、答えた。
「お前しか見えてないよ」
今も、昔も、いつだって。
「……ん、……インフェルノ、好きだ……大好き」
「俺も。愛してるぜ、アラート」
重ねた唇の間で名を呼び、幾万年かかって織り上げた思慕を伝え合う。同じ音を何度行き交わせても、そこから生まれる熱が冷めることはないように思えた。