※『アンダーザブランケット』(※R18)後年談。『彼方』から続く連作シリーズとは別軸の(ただし設定的にはほぼ同じ)戦後話です。例によって夢と理想を詰め込んだ未来設定ですのでご注意ください

 
インサイドザカーテン



 気が付けば既に深夜と述べて間違いのない時刻を回っていたが、前方に仰ぐ我が宅の窓はまだほのかな明かりを表へ投げかけていた。自然と弾んだ意気に応えていっそう速度を上げるほどの距離は残っておらず、数瞬間後にはその灯下へ車体を滑り入らせて停止し、梯子にくくり付けた荷を慎重に下へ降ろしてからトランスフォームする。腕にはやや幅の余る荷袋を地面に引きずらぬよう脇に抱え直し、大股に足を進めて開いた戸の内から、ふわりと甘い湯茶の気が香った。
「アラート、ただいま」
 薄くたなびく湯気の出元へ声を投げると、ソファに沈んでいた機体がすぐに半身を振り向かせ、おかえりの言葉とともに微笑を浮かべた。こちらも笑みを返し、荷はひとまず戸口に降ろして、部屋の中へと進み入る。
「とっくに寝てるかと思ってたぜ」
「ん? ……あ、もうこんな時間だったのか」
 隣へ歩み寄りながらかけた言葉に小首傾げたアラートは、時刻を確かめて驚き混じりの声を落とした。少し目を通すだけのつもりでいたんだが、と語って前へ置き戻したカップの周りには大小の端末とメディアが散らばっており、意図せず夜更かしに至った経緯が容易に想像できた。
「急ぎってわけじゃないんだろ」
「うん。もう終わる」
「んじゃ、俺は裏の戸締り見とくな」
 整頓を始めるのを横目に、戸へ足を返しかけると、
「お前も少し遅くなったんじゃないか?」
 何かあったのか、と、詮索と言うよりはもはや習い性なのだろう問いを寄こされたので、そっと笑いを噛み潰しつつ答えた。
「シゴトのほうは問題なしに終わったよ。帰りに輸送局で待たされたんで遅くなっちまった。いっつも手続きがまどろっこしいよな、あそこは」
「輸送局? ……その荷物か?」
「ああ」
 相槌しながら後へ数歩戻り、荷袋を両手に抱え運んで、きょとんと見上げてくる顔の前に差し出す。
「寝る間際に渡そうと思ってたんだけどな。まぁ長々もったいぶるほどのもんじゃねェし、ちょうどいいから今開けちまってくれ」
「え」
 俺が? の問いに、お前に、と短く答える。それでもまだ隣に置かれた袋をまじまじと眺めるだけの用心深い相棒へ、爆発しやしないぜ、と笑いを贈った。
 とまれ、言葉足らずは確かであったので、ソファの背に腰を寄りかけつつ説明を加える。
「前の短期遠征で行った、地球に似てるっつー星の話、お前にもしたろ?」
「ああ。有機生命体系の惑星だったな」
「その時に頼んでた土産が今日届いたんだよ」
「土産の話なんて聞いてないぞ」
「言ってないからな」
 いいからほら、と不審げな顔へさらに押し近付けてやると、ようやく手が動き始めた。荷元の星に衛生上の危険がないことはアラートも承知しているはずだが、それでもなおこの反応とは、自分への信頼がつくづくとしのばれる。もちろん、この生真面目で遊び下手な同居人を日々豊かな刺激に見舞わせてやれるという、前向きな意味での信頼だ。
 爆発物の処理に当たるかのごとき慎重さで開かれた袋の口からは、当然ながら火も煙も上がらず、空気の膨らむ間の抜けた音とともに、中に押し込められていた物体がのそりと姿を現した。
「……布だ」
 たっぷりの間を置いて、見たままの事実が述べられる。
「布団な」
 言い添えると、ふとん、とその語を初めて聞いたかのような声でおうむ返しがあった。まだ状況を良く呑み込めていないらしい相手へ、もう一歩進んだ解説を行う。
「そこの星の連中もそいつをかぶって寝てるらしくてよ。馬鹿でかい鳥が何種類もいて、繊維の工場もあちこちにあってな。一級ものの名産品なんだと。お前、地球で結構気に入ってたろ?」
 今は懐かしき青の星における駐屯活動中のひと頃、それは防寒用の寝具として各員に支給されていた。エネルギー節減を目的としていたが、時期が限られるだけ効果もそれなりにとどまったのか、いつの間にやら上からの指令はなくなり、利用はそれぞれの裁量に委ねられ、結局は徐々に基地から姿を消していったと記憶している。そうした中で、少なくとも日々の小事を顧みれなくなるほど戦闘が激化するまでのあいだは常に、アラートはこの布と羽毛でできた寝具を好んで使い続けていたはずだ。
 規格外のサイズの品は注文を受けてからの製作となるため多少時間を要するが、外惑星へも輸送が可能だ、という話を聞いたその場で、インフェルノは取引を即断していた。
「ここは地球ほどやたらに冷えたり暖まったりもしねェけど、つい懐かしくてな」
「布団か……」
 こちらの言葉を聞いているのかいないのか、アラートは意味のない呟きをして布団をさらに袋から引き出し、もそもそと手に感触を確かめている。
(ありゃ、ちっと外したか)
 この相棒のことであるから飛び上がって喜ぶだろうなどとは考えていなかったが、それでも予想よりかなり反応が薄い――と顔を覗き込みかけたところへ、ぱっと青の閃きが持ち上がり、視線がかち合った。
「今日から使っていいか?」
 発された声には、音ひそやかながらも確かな高揚がにじんでいた。一瞬面食らってから、すぐにそれを上書いて湧き上がったおかしみの念に任せ、もちろん、と笑いを返す。頷いて両腕に布団を抱えたアラートの頬にはほのかな赤みが差しており、平時なかなか見られる興奮の様ではない。少し外れ、どころではなく、どうやら大正解を引き当てたようだ。
 嬉しげに布団と戯れ始めた恋人の姿を見て大いに悦に入りつつ、本来あるべき場への移動を促す。
「もう寝るだろ?」
「うん」
「俺もすぐ行くから、先に部屋入れといてくれよ」
「ん」
 今夜中の整頓は資料を端に重ねた段階までで良しとしたらしく、アラートは反駁ひとつなく立ち上がり、既に三分の一ほど中身がはみ出た袋を、寝室の方向へいそいそと押し運び始めた。滑稽で幸福な姿を満足して見送り、自分も日の終わりの仕事を果たしてその背を追うべく、インフェルノは早足に家の奥へと向かった。


「……あれ、いねぇ」
 常の日課どおりに家の内外を見回り、休眠時用の警備システムを作動させ、最後に区内の保安異状と緊急出動要請がないことを確認してから、信号の波立つ心身を最後の部屋へと運ぶと、そこに待つはずの赤白の機体の姿が見当たらなかった。寝台の上には袋から引き出された布団がこんもりと山を作っており、一度ここへ来たことは間違いない。
 そう広くはない家である。見回りの間のわずかな時間で行き違いになるとも考えにくいが、と首をひねったその時、よそへ渡しかけた視線の先で、山の表面がかすかにうごめいた。廊下から漏れ入る明かりを白く照り映していた布地の一端が開き、探したものの一部が隙間からぽこりと生えてくる。
 咄嗟に言葉が出ず見つめるうちに、対の青が穏やかに揺らぎ、
「……あったかいぞ」
 肩から下はなお山に埋もらせたまま、特徴的な知覚機を有するその赤い頭部だけが視認できる状態で、元上官から締まりのない報告が上がった。
 無言のまま後ろ手に戸を閉め、一歩、二歩、三歩とごく鈍重に足を進めて、四歩目を前へ出せずに直立で止まる。こちらを見上げていた顔が不思議げに横へ倒れたのがわかったが、まずは一瞬にして湧き上がった種々の情動を御し、勢いの行動を結ばぬうちに破棄の処理をするので手一杯だった。
「インフェルノ?」
 名を呼びかけられるも、
「……いや、あー、そうか。あったかいか」
「うん」
「そうか」
 などと、わかりきった確認をすることしかできない。頷くアラートは、無論、と言うべきか、冗談を口にしているような様子ではなく、万が一にもここで「何をしているんだ」などと真っ当に問いを投げかけ、「先に安全性を確かめていた」などとやはり冗談ではない説明でも返されようものなら、噴き出して笑い転げるのを耐え切る自信はなかった。
(こいつ、たまーにこういうことしてくるから困るんだよな)
 周りに知人がいれば「嘘つけどこからどう見ても困っていない」と十人中十人が指差すだろう口元のにやけを手の下に隠し、またゆっくりと歩み寄る。首反らせて仰ぎ見てくる小さな頭へ、笑みとともに訊ねかけた。
「隣にお邪魔してもよろしいでしょうか、教官?」
「よし、許可する」
 芝居めかした台詞に応じ、布団を背にかけた機体が身を起こす。笑いを行き交わさせながらこちらも寝台に膝を乗り上げ、許しを得た場所へ迎え入れられるのを待ったが、相手はそこでまたもや想定外の動きを見せた。
 一度起きて布団の両端を掴み、相手が入れるように布を持ち上げる、というところまではなんら変哲のない動作であったが、そうして空いた間を作って待てば済むところを、直前の掛け合いで興が乗ったのか、アラートは両手で外套を広げるように布団を持ち、膝でいざってインフェルノへ近付いてきた。どうやら、我が手ずから中へ招き入れてやろうということらしい、が――
「あれ」
 近似規格の機体であればともかく、体格で大きく劣る相棒の腕では、インフェルノの身幅を全て巻くことはできず、当然、向き合った体勢から布団に納めることも不可能である。それがわからぬはずはないのに、不思議げに呟きを漏らし、あまつさえ懸命に腕と背を伸ばして、どこか不服の響きで「足りない」などと自明の事実を口にするのだから、二度目の衝動をこらえる余地はなかった。
 胸元で奮闘している機体を横から掬い、片腕に抱え上げる。慌てて指開いた手から布地を受け取り、胡座の姿勢にととのえた脚の上にその身を降ろして、今度はこちらが背に羽織った布団で共に包んでやった。背部から回した手でなだめるように肩を撫ぜれば、ぽかんと固まった顔は不平も上げず、すぐに表情をなごませる。
「酔ってるか? ひょっとして」
「いいや?」
 ふと浮かんだ問いへの答えに揺らぎはなく、どころかまたも首を傾げてみせさえするので、確かに素面の状態ではあるらしい。インフェルノの関心をよそに、布団に巻かれた身体をもそもそと動かして腰の据わりのいい位置を定め、満足げに胸へ寄りかかってくる。いかにも上機嫌の様を懐に納めてしまえば、取るに足りない怪訝などはいくらの間ももたずに消えた。
 夜具にも負けずやわらかな空気で満ちた場に、ほう、とひとつ呼気の音が落ち、
「お前は変わらないな」
 しみじみとした声が、羽に乗って現れた記憶を手繰る。
「いつもこんな風に俺や仲間のことを気にかけて、好きなものだとか、気に入ったものだとかを憶えていて……俺は布団のことなんて、今の今まで名前すら忘れてたのに」
 いざ言われてみれば、あれこれどうでもいいことまで思い出せるんだから変な話だ、と笑い、ゆるびた頬をさらに寄せてくる。
「昔から、お前には色々なものを貰ってるなぁ……」
 フロントガラスを曇らせる位置で発された言葉に、途中でふと危惧した翳りの気配はない。否定の語を返す必要のないことに満足し、感謝もしながら、胸張って応じた。
「ま、昔っから気前がいいのが長所だからな、インフェルノさんは」
「部下に奢りまくって懐をカラにしたあげく、重要な請求を元上官に立て替えさせてるようじゃ、気前が良すぎるのも問題だけどな」
「あー、あれは、たまたまその支払いだけ忘れてて……」
 つい先日犯した小さなミスを冷静に突かれ、へどもどと釈明にかかるが、アラートは指摘を説教に発展させることなく、表情なごませたまま自ら話を進めた。
「これだって、かなり値が張ったんじゃないか。もともと交易のあった星ではないし、輸送費だけでも馬鹿にならないだろ」
「そうでもないぜ。定期船に相乗りさせるっつってたし。お陰で届くまで時間はかかったけどな」
 何より、贈った相手をここまで浮かれさせることができたのなら、出銭がいくらになろうが安いものだ、と内心に続ける。
「悪ガキ気分がいつまでも抜けてねぇ、だとか言われちまえばそうなんだけどよ。お前が驚いたり喜んだりしてくれりゃ俺も楽しいし、布団ならこうやって二人で使えるしな。半分以上は自分のためにやってるようなもんさ」
「……そうか」
「おう」
 インフェルノの言葉の全てを気楽に呑み込んだ様子ではなかったが(それをむしろゆかしい反応と捉えられる程度には、今や自分もものを考えるようにはなっている)、アラートはあえて疑いの素振りを挟むでなく、瞳灯を面映ゆげに揺らして頷いた。
「ありがとな、インフェルノ」
「どういたしまして」
 こちらも無駄な謙遜はせずに、笑みとともに応える。ほのかに顔を赤らめた恋人の指がそっと胸へすがってきたので、腕曲げてさらに身を引き寄せ、低く名を呼んでから口付けた。
 ん、とひそやかにこぼれる声は過剰に甘くはならず、浅くゆるやかに触れ合わせ、またゆるやかに離れる。
「……あの」
「ん?」
「うん、布団で思い出したんだが、この前、俺の職場の同僚がな――」
 自らねだった照れをごまかすためか、やや唐突に話題が切り替えられたが、咎めようとは思わなかった。他愛ない笑い話を普段の調子で弾ませながら、胸底で感じ入る。
(お前は変わったなぁ、アラート)
 簡単な言葉ひとつで語り尽くされないものとは承知しつつ、この場は相手が口にした語に倣って評した。かつての日々を思い起こせば、そう言い切って誤りというわけでもないだろう。
 厳しい戦いに気を張り詰めてさせていたあの頃は、酔いや眠気に任せてでもなければ、唯一の相棒たるインフェルノにさえ、なかなかおどけた振る舞いを見せてはくれなかった。閨へ連れられれば自分と相手、そして常に心痛める軍員としての務めのほかは何を考える余裕もなくし、愚にも付かない世間話など、こちらが始めたところで一往復ももたずに終わっていたはずである。
(俺の同僚だの俺の生徒だの、お前の口からンな楽しそうに聞く日が来るなんざ思わなかったぜ)
 喧噪を嫌って社交の場を逃れ、傍らへ至る戸を自ら閉ざし、やわらかな寝具さえ防壁に見立てて、我と我が身を固く守っていた臆病な保安員の姿は、もうほんのわずかな名残りをその横顔にとどめるのみだ。周囲を取り巻く囲いは見通しの利く柵に変わり、道行く者と垣根越しに手を振り交わしてみせもする。無用のものでないと知った休息を得るべく、こうして時に身を包み隠してしまっても、志のためとあらば我が手で幕を払い、心地よい静謐を飛び出して、色さまざまの視線と雑音にあふれた舞台の上へ立つことを、きっと今の彼なら一瞬たりとためらいはしない。
 自分が隣でうるさく仕掛け続けてきたちょっかいも、わずかばかりは何かの糧にしてくれているといい、と感慨を深めていると、口数の少なさが気にかかったのか、アラートが気遣わしげ、と言うよりは訝しげな面持ちで呼びかけてきた。
「どうかしたか、インフェルノ」
「ああ、いや」
 適当に言葉散らし、怪訝の視線を受け流す。互いに認める今と、それに続いた道であり、ふとした瞬間に噛み締めてはみても、ことさら声重くして語り出すほどの話ではもはやない。まして夜半ばの寝室の内、身を間近に寄せた状況にあってはなおさらだ。
 にっと口の端を上げ、答えめかして言う。
「お前の同僚のズッコケ話もいいんだけどよ、元部下さんのほうももう一回、もう一歩深い話題に取り上げてもらいてぇかなって」
「深い……」
「ま、明日はお前のほうが早いし、せっかく上等の布団も仕入れたこったし、ゆっくり寝ちまうのも悪くないけどな」
 つらつらと並べるうち、一度首をひねったアラートも言葉の意に気付いたらしく、またもや頬が赤く染まる。長じたとは言えこのあたりの耐性に関しては、今もそう劇的には変わっていない。むしろ押し一辺倒の態度を改めたぶん、インフェルノのほうがより小ざとい、いや、賢い振る舞いを身につけたと言っていいだろう。
 だが、またもや少々芝居がかりに口にした台詞も、決してその場のつくろいや出まかせの謂いではない。良き折を進んで見つけて情を交わすことに躊躇はないが、今この瞬間ぜひにもと焦り、一夜二夜の刹那に恋慕を託した日々も、その生き様の中に結んだ絆も、忘れがたい宝ではありながら、既に過ぎた時間のものとなった。確かに、若く猛々しい想いの現れのようでもあった過度の性急さが静まり、唯一の者のみを受け入れていた壁が崩れたことに、一種の寂寞じみた念を欠片も覚えないと言えば嘘にはなるだろう。しかし、明日を忘れて熱に溺れる夜と、明日を慮って穏やかに寄り添い過ごす夜、今はどちらも同じだけ愛おしく、尊ばしい時間であることを知っている。賑々しい舞台を降りてまっすぐに帰る幕の裏手に、いつの日もいつの時も、愛する者のあたたかな笑みが待つことを知っている。
「な、アラート」
「う……うん」
 さすがに意地が悪いかとは思いつつも、あえて軽い声音で呼びかけ、結論をゆだねる。響きの白々しさに気付いた様子なく、アラートは一度曖昧に頷いて、迷いも明らかに指先をもじもじとすり合わせ始めた。
(そういや、寝床で身体丸める癖も変わってないよな)
 小さく膝を抱えて恥じらいと戦っている、おかしくも愛くるしい恋人の姿を眺め、埒もないことを思い起こしながら、心決まるまで気長に待機する。どちらの決定が下っても、あとに待つのは幸福の時間ばかりだ。まずはこの真新しい夜具をさらに深くかぶって、重ねた胸の間にぬくもりを分け合うことから始めるとしよう。


Fin.
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